, _ : : I I i i 碩士 二 子L 声 明 本学位龍文是我在等肺的指尊下取得的研究成果 o在本学位龍文中, 除了加 以転注和致謝的部分外 ,不包含其他人 己姪友表或公布辻 的研究 成果,也不包含我力荻得任何教育机杓的学位或学庚而使用辻 的材料 。 与我一 同工作的同事対本学位捻文倣 出的東献均 己在捻文 中倣 了明魂 的 悦明。 学位捻文作者笠名‥ 笠名 目期: 2 ^ 王 年 /シ 月 ・ 日 ( 学位捻文使用授枚声明 上海外国培大学有枚保存学位捻文的亀子和紙原文楢 ,可 以借閲或上 岡公井本学位捻文的全部或部分 内容 ,可 以向有夫部 口或机杓送交井授 枚其保存 、借陶或上岡公布本学位逸文的全部或部分 内容 。対干保密捻 文,按保密的有夫規定和程序赴理。 学位捻文作者笠名: も 守肺笠 駄敗 名:三 日を …__ 日 笠名 目期 ;yQ Q 峰 ′一月 笠名 目期… 乃 示炉 ( 適I D日 卜 要 旨 実験精神旺盛でたえず文体 を変 えて、 とどまるところを しらない筒井康隆 は 日本現代文壇の鬼才 と言 えるであろ う。文壇デ ビュー以来、 ドタバ クナ ン セ ンススタイル を確立 したが、この種の作風は文壇では正当に評価 されなか った。 この時期、深いイメージの喚起力、新鮮 な楓刺精神、現代的な大衆性 が筒井康隆の早期作品における特徴である。 とにか く、 ドタバ タによる笑い の共振 をとお して、現代の病巣を剥離 させてい く。星新一は この時期の筒井 康隆をこう評価 した。「 いずれ もみ ごとな発想 にもとづいてる。既存の作家に なかったアイデアだ。作品そのものは議論 も形容 もな く、あきらかに面 白い。 とい うことは、、もしか した ら筒井康隆 こそ、わが国は じめての真 の意味の大 衆作家なのではないか と思えてな らない。」 と。 1 その後、作風が一変 して超虚構志向にな り、長編純文学大作 「 虚人たち」 や 「 虚航船団」に見事に結実 した。 ノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎 は 当時筒井康隆を高 く評価 した。「 筒井康隆は、独創的な、かつお よそ多面的な ユーモアがある。その多 くは、す くな くとも日本の文壇の<純文学 >のシー ンには、 ごくまれな例外 をのぞいて一一それはたいてい作家 自身が意識 して いなかった し、同時代の批評家は感受 しなかったものだったのですが一一見 られなかった性格だ。また現代の世界文学のシー ンの全体で も、その多様 さ においてまれなものだ と思 う。」 と。2 大学で心理学を専攻 した筒井康隆はフロイ トに熱 中 した。 フロイ トが筒井 康隆にシュール リア リズムを勉強す るきっかけを作った。卒論 は 「 シュール リア リズム芸術の創作心理学的立場 よりの判断」である。彼 は 「 超虚構宣言」 とい うエ ッセイの中で以下のことを書いた。「 小説が、なぜ現実的でなければ いけないのか とい う考 えは、現実重視 を前提 に した批評 を読むたびに抱 く疑 問だった。鴎外 と遭迄の<没理想論争 >- 現実か美かの例の大論争があっ たにかかわ らず、 日本の近代以後では 自然主義が優勢 を占め、虚構性 の強い 1 星新一 「 にぎやかな未来」解説 p. 2 49-p. 25 0 2大江健三郎 「 筒井康隆全集 24」解説 p. 3 28 1 作品が一方的に非難 され続 けてきた。 」 と。3 また、「 現代 SFの特質」の中で こ うい うことをも書いた。 「 小説 はもとも と虚構です。ただ、 日本ではなぜかその虚構性が軽視 され、虚構性 の多い小 説 ほ ど低級なもの とされ る見方がながい間まか り通ってきま した。」 と4。 こ のよ うなェ ッセイや作品の実践 を通 して筒井康隆は独特な虚構理論 を作 りだ した。 さて、多 くの評論家は虚構理論 を作 った筒井康隆は基本的にシュール リア イズムの影響 を受 け、創作活動 をは じめた とい うことを認 めたが、 これ に対 す る詳 しい研究が少 なさそ うである。 したがって、本論はシュール リア リズ ムの理論 によって筒井康隆の作品を研究 してみ ることにす る。第-章で、シ ュール リア リズムの理論及び 日本でのその発展 を論述 したい と思 う。第二章 で、筒井康隆の作家 コース と創作理論 を論 じる。第三章 と第四章で、 60、 70、 80年代 とい う順番で筒井康隆の文学作品にあるシュール リア リズム の表現を分析す る。第五章で、筒井康隆の作品における独特な特徴 を論 じる。 おわ りでは、筒井康隆の性格 を論述 して結論 を出 した。 3筒井康隆 4 筒井康隆 「 言語姦覚 」 p. 7 4 「 筒井康隆全集 16」 p. 3 5 9 i i 摘 要 筒井康隆可 以悦是 日本現代文伝 的-今奇オ 。他写法多変 ,蛭常交換文凧 , 砦試各神写作技法 。 自壁上文伝 以来 ,他最初描写的多是有 夫 sF的作 品,碗立 了幽獣夙趣 的写 作夙格 。然而,当吋返神風格井没有得到碗切 的坪俳 ,仮被i ^カ在文学的通俗 性方面有所創新 ,升創 了大食文学的新天地 。星新一如此坪伊達十 吋期的筒井 康隆;"天龍郡部作品都充満 了奇思妙想 。其創意是現有作家所不具各 的。作品 本身勿庸畳疑 ,相当地有趣 O因此我臥カ- 筒井康隆或搾称得上是我国第一十 真正意又上的大食作家 O"在此之后 ,筒井康隆的作品夙格 随然改変 ,特 向対超 虚杓世界純文学的創作,代表作有 《虚人イ 「 1 》、《虚航船 団》等等 o曽荻渚9 1布 笑的 日本作家大江健三 郎高度坪俳筒井康隆…"筒井康隆有其独創且多面 的幽 獣,其 中多数是未 曹出現辻的特征 (当然也会有-些例外 ) 。至少在 日本文伝純 文学領域 ,返些特征作家本人没有意唄到,井且 同吋代 的批評家也未 曽友党 。 即使在現代世界文学領域 ,我覚得也是相 当竿兄的。"5 大学吋代攻凌心理学的筒井康隆対弗洛伊徳戸生液厚的共趣 ,迭是他 了解 超硯莫主又 的実机 。他 以 《基子超現莫主又芝禾創作心理学立場之判断》カ題 作力他 的畢北龍文 o在 《超虚杓宣言》-文 中他写到;` ` 小脱力什ゑ必須是現実 的嘱?毎 当湊到一些文学批評 以重視現実性力前提吋,我就有根大 的疑惑 .尽 管 目早就有鴎外和退避 的 《没理想龍争》,但在 日本近代 以后仇然是 自然主又 占 据伏勢 ,虚杓性強的作品被非碓至今 o"此外 ,在 《現代 sF的特虜》一文 中速 梓叙述 …"小悦原本就是虚杓的O然而 ,在 日本力什ゑ要如此軽視虚杓性 ,在相 当侯的吋岡里都玖力小説越虚杓就越低級 O"通辻対理龍的探村 以及文学作品的 実践,筒井康隆形成 了他独特 的虚杓創作理捻 o 畠然有根多坪龍家都臥 同基干独特虚杓創作理槍 的筒井康 隆的文学作 品依 然是忠実干超現実主文理絵来創作的,但是少有対此洋軸捻述 的研究。因此 , 本龍文主要是捻述筒井康隆的文学作品中所体現 的超現実主文表現 .第一章 , 陶述超現実主文理絵 以及超現実主又在 日本的友展 ;第二章,回頗筒井康隆的 摘要的引用同参照 〟要 旨"相夫部分。 5 i i i 作家庚程 以及他的創作理治;第三孝和第四章,按照 60、70、8 0的年代順序捻 述筒井康隆的文学作品中所体現的超現実主文表現 ;第五章 ,龍述筒井文学作 品所体現的十人特色;結尾部分,探究筒井康隆的性格特点井提 出本龍文的結 治。 l V 目 次 要旨 (日本語) 備要 ( 中国語) は じめに 第一章 シュール リア リズム 第一節 理論背景 第二節 日本のシュール リア リズム 第二章 筒井康隆 とその文学 第一節 作家 コース 第二節 虚構理論 第三章 60、 70年代の軌跡 第一節 60年代のデ ビュー 第二節 70年代の成長 第四章 第一節 第二節 第五章 80年代の作品におけるシュール リア リズムの結実 2 0 集大成の 「 虚人たち」 「 残像 に口紅 を」 「 虚航船団」 な どについて・ ----24 筒井康隆の作品における特徴 第一節 独特なユーモア 第二節 永遠の反伝統 おわ りに 主な参考文献 筒井康隆の作品におけるシュール リア リズム は じめに 実験精神旺盛でたえず文体を変えて、とどまるところを しらない筒井康隆は 日本 現代文壇の鬼才 と言 えるであろ う。文壇デ ビュー以来、 ドタバ タナンセンススタイ ルを確立 したが、この種の作風は文壇では正当に評価 されなかった。この時期、深 いイメージの喚起力、新鮮 な訊刺精神、現代的な大衆性が筒井康隆の早期作品にお ける特徴である。とにか く、 ドタバタによる笑いの共振 をとお して、現代の病巣を 剥離 させてい く。星新一はこの時期の筒井康隆をこ う評価 した。 「 いずれ もみ ごと な発想 にもとづいてる。既存の作家になかったアイデアだ。作品そのものは議論 も 形容 もな く、あき らかに面 白い。 とい うことは、、もしか した ら筒井康隆 こそ、わ が国は じめての真の意味の大衆作家なのではないか と思えてな らない。」 と。 1 その後、作風が一変 して超虚構志向にな り、長編純文学大作 「 虚人たち」や 「 虚 航船団」に見事に結実 した。ノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎は当時筒井康隆 を高 く評価 した。 「 筒井康隆は、独創的な、かつお よそ多面的なユーモアがある。 その多 くは、す くなくとも日本の文壇の<純文学 >のシー ンには、ごくまれな例外 をのぞいて一一それはたいてい作家 自身が意識 していなかった し、同時代の批評家 は感受 しなかったものだったのですが一一見 られなかった性格だ。また現代の世界 文学のシーンの全体でも、その多様 さにおいてまれなものだ と思 う。」 と。 大学で心理学を専攻 した筒井康隆はフロイ トに熱 中 した。フロイ トが筒井康隆に シュール リア リズムを勉強す るきっかけを作った。卒論は 「 シュール リア リズム芸 術の創作心理学的立場 よりの判断」である。彼 は 「 超虚構宣言」とい うェ ッセイの 中で以下のことを書いた。 「 小説が、なぜ現実的でなければいけないのか とい う考 えは、現実重視 を前提に した批評 を読むたびに抱 く疑問だった。鴎外 と遭造のく没 理想論争 >- 現実か美かの例の大論争があったにかかわ らず、日本の近代以後で は自然主義が優勢を占め、虚構性の強い作品が一方的に非難 され続 けてきた。」と。 また、「 現代 SFの特質」の中でこ うい うことをも書いた。「 小説はもともと虚構 1 「 はじめに」の引用は 「 要旨」の部分を参照。 です。ただ、日本ではなぜかその虚構性が軽視 され、虚構性の多い小説 ほど低級な もの とされ る見方がながい間まか り通ってきま した。」 と。 この ようなエ ッセイや 作品の実践を通 して筒井康隆は独特な虚構理論 を作 りだ した。 さて、多 くの評論家は虚構理論 を作った筒井康隆は基本的にシュール リアイズム の影響 を受け、創作活動をは じめた とい うことを認 めたが、これに対す る詳 しい研 究が少なさそ うである。したがって、本論はシュール リア リズムの理論によって筒 井康隆の作品を研究 してみ ることにす る。第-章で、シュール リア リズムの理論及 び 日本でのその発展を論述 したい と思 う。第二章で、筒井康隆の作家 コース と創作 理論 を論 じる。第三章 と第四章で、 60、 70、 80年代 とい う順番で筒井康隆の 文学作品にあるシュール リア リズムの表現を分析す る。第五章で、筒井康隆の作品 における独特な特徴を論 じる。おわ りでは、筒井康隆の性格 を論述 して結論 を出 し た。 2 第二章 シュール リア リズム 第-節 理論背景 シュール リア リズムは 日本語では 「 超現実主義」とも称す る。 20世紀 を代表す る芸術思潮の-である。それは第一次大戦後、立体派、未来派、ダダな どの諸運動 に続いて起 こった前衛芸術運動である。その運動はフランスを中心に世界に影響 を 及ぼ した。 第一次大戦 中スイスで起 こったダダイズムは、芸術運動 とい うよりはむ しろ徹底 的な反逆精神の痘撃的な現れで、いっさいの権威 に対す る破壊主義、苦悶にみちた 逆説的ユーモアは、ダダ 自体を否定す ることをもってダダの本質 とす るに至った。 この徹底 した廃嘘の中か ら、その純粋な反逆精神 を受けついで現れたのがシュール リア リズムである。パ リにおけるダダ運動参加者の中か ら生 じたこの新運動は、ダ ダの不毛な反逆に代わるべき建設的方向を求めて、それをフロイ トの精神分析学の 中に兄いだそ うとした。シュール リア リズム運動の理論的主柱 となったアン ドレブ ル トン1 は、精神分析学か ら夢や幻覚な ど非合理的なものや意識下の世界の重要性 を示唆 し、人間の全的解放 をめざし、そ こに芸術創造の未知の宝庫 を求めた。 シュール リア リズム とい う名称は 1917年詩人ギ ョ-ムアポ リネール 2が、 自 作の戯 曲の装置を担 当 したバブ ロピカ ソの舞台美術 を指 して言ったことに由来す るが、 1924年ブル トンが 「 シュール リア リズム第-宣言 」 3において、精神分 析的な考察を加 えた 「 夢の全能性-の信頼に基づ く」芸術の総称- と採用 し、以後 も指導的役割 を演 じた。 「 シュール リア リズム第一宣言」はシュール リア リズムを 定義 して 「口頭 あるいは筆記その他 あ らゆる方法で、思考の真の動 きを表現 しよう とす る際用い られ る、純粋な心の 自動現象。理性の統御 をいっさい受けず、いかな 1アン ドレブル トン :シュール リア リズムの創始者、フランスの詩人、エ ッセイス ト、批評家 ( 1 896-1 966)。元々精神科の医者である彼は、人間の行動は意識 して起 こるものばか りではな く多 くの無意識の行動が存在 し、そ してその無意識の行動が人間にとって重要な役割 を果た し ていると考えた。 2ギ ョ-ムアポ リネール : フランスの詩人、作家 ( 1 880-1 91 8)。象徴主義にシュール リア リズ ム的傾向を加 えた前衛運動の先駆者で、戯 曲 「 テ ィレジアスの乳房」で 「 シュール リア リズム」 とい う語 を始めて使 った。 3 1 92 4年アン ドレブル トンが 「 シュール リア リズム第-宣言」を発表、以後 「 シュール リア リ ズム第二宣言」、 「 シュール リア リズム第三宣言ための序文」等を著 した。 3 る美的あるいは道徳的先 入観か らも独立 した思考の書きとり」 と定義 した。 シュール リア リズム ( 超現実主義)は現実を超 えるとい う意味が理解 されがちだ が、「 超現実」は非現実ではなく、 「 現実の延長上にある現実以上の現実」である。 つま りシュール リア リズムは、「 現実か ら逃避 し個人の内的な世界 とい う非現実を 描 く主観主義」 とは対立す る 「 客観的なもの」である。 「 超現実」を追求す る方法 のひ とつ としてブル トンが選択 したのが 「自動記述 」 1である。つま り、文学上の 実験 として意識支配を排除 して、しば しば偶然の出会いに頼 る記述 を試みた。 シュ ール リア リズムは立体派の論理の力 を否定 し、その他の方法では表現できない潜在 意識の力や混沌 とした感情-の道 を開き、心理の 自動現象 をとらえた 自動記述 を訴 え、夢、無意識、非合理の世界を解放 し、 日常的な現実を超 えた想像力の解放 と、 合理主義反逆を主張す るのである。 「自動記述」の実験でわかってきたことは、どうや ら物 を書 くことをそのス ピー ドに応 じて段階化 してゆくと、最終的には 自分が書 くとい うところか ら、「 だれか」 が 自分を書 くとか、「 だれか」によって 自分が書かれ るとかい う状態に行 く。書か れたものは主語や動詞がだんだんな くなってゆく。主語があって、動詞があって、 それ らに統御 された客観物 としての 目的語や補語があるとい うよ うな、いわゆる通 常の構文ではなくて、大方が客体であるよ うな、つま り客観的な世界である。 ブル トンは 「 シュール リア リズム第一宣言」の中でこ う言っている。 私は、夢 と現実 とい う外見はまるであいいれない二つの状態が、一種の絶対的現実、いって よければ一種の超現実のなか- と、いつか将来、解消 されてゆくことを信 じている。 2 この運動の重要性は、人間存在の 自由と変革を求め、意識下の世界 を掘 り起 こそ うとしたことである。シュール リア リズムは、当初は文学運動 としての側面が強か ったが、 「自動記述」の理念は美術、詩、政治にも強い影響 を及ぼ し、 20世紀美 術の-大潮流を形成 した。無意識創作、熱狂的な想像、夢 と現実の錯綜、ブラック ユーモアがシュール リア リズムの四大特徴 として認 め られている。30年代未 には シュール リア リズム運動の終蔦 を迎 えた。現代生活では、映画やテ レビを含 めたテ クノロジーにより健在であるが、 運動そのものはほとん ど消えて しまった。 1事前に何 も用意せず筆の赴 くままに書 く。 ht t p: / / c he u rbi mt a t e i s hi . s i t e . ne. j p/ s hi r yo/ s hi r yo _t e xt . ht m1 2 4 第二節 日本のシュール リア リズム フランスのシュール リア リズム運動はその後 コミュニズム との接触、モ ロッコ戦 争か ら第二次大戦に至る動乱の中で多様な展開をとげるが、日本では大正末期か ら 初期にかけてのモダニズムの思潮の中に織 り込まれ、芸術至上主義的形式主義、主 知主義、純粋詩の主張な どと重な り合って、唯美主義的色彩の濃いもの となった。 その影響は主 として詩や絵画の技法的側面に限 られていた とい うことができる。シ ュール リア リズムは最初上 田敏雄、上 田保、北園克衛 らの雑誌 「 文芸耽美」では じ めて紹介 され、ついで昭和 2年、この三人に富士原清一を加 えた雑誌 「 番夜・魔術・ 学説」が刊行 された。また同年、西脇順三郎、三浦孝之助、中村喜久夫、佐藤朔、 滝 口修造、上田保 によって夢の記述に関す るブル トン的な方法が実践 された。また 山中散生は、単独でブル トン、エ リュアール らフランスのシュール リア リズム と接 触 、4年、雑誌 「 ci ne ( シネ)」を刊行 した。これ ら詩人の大部分は三年創刊の 「 詩 と詩論」に同人、寄稿家 として参加 し、いわゆる新詩精神運動の推進勢力 となった。 「 詩 と詩論」では西脇順三郎がきわめて活動的だったが、彼の超現実主義は豊かな 西欧文学理解に立脚 した独特な超現実主義で、ブル トンか らの行動主義的なそれ と は異質であった。ブル トンらの思想的立場に最 も忠実であろ うとしたのは滝 口修造 であろ うが、彼の活動領域は言語実験か ら美術、映画な どにひろがっていった。北 川冬彦はプル トンの 「 超現実主義宣言書」の一部 を 「 詩 と詩論」五号に訳 して発表 したが、資質的にはシュール リア リズム とはほとん ど関係がない。上 田敏雄の超現 実主義は耽美的貴族趣味的なフォルマ リズムの様相 を持 ち、北園克衛の場合は詩か ら意味を追放 しよ うとす る一種の抽象主義に主眼をおいていた。全体 として 日本の シュール リア リズム運動は社会参加的要素をもたず、純粋に美学的探求に終始 した 観があるが、詩史的には昭和期の詩的革新 に大きな刺激 を与え、現代詩 の形成 に深 い影響を及ぼ した。 ヨー ロッパのシュール リア リズム運動 と同時代に生 じた 日本のそれは、いったん 昭和 10年代半ばで終息 した といっていいが、敗戦及び戦後社会の激動の中であ ら ためてシュール リア リズム再評価の機運が生 じた。その最初の明確 な表現は昭和 3 1か ら33年にかけて 「 美術批評」お よび 「 みづゑ」誌上に連載 された 「 シュール 5 リア リズム研究会」のシンポジュウムである。飯島耕一、東野芳明、大岡信の発意 で芽生えたこの会は、滝 口修造、清岡卓行、江原順、針生一郎、村松剛、菅野昭正、 中原佑介 らをメンバー としてシュール リア リズム内外の諸問題 を論 じ、歴史的再検 討 を通 じて、この運動が二十世紀精神史において果た した大きな役割の意味をあ ら ためて浮き彫 りした。詩お よび美術の世界でのシュール リア リズムに対す る関心の 高ま りはこれ以後顕著 となる。現代詩の領域では、同人詩誌 「 鰐」がその動 きを代 表 した。昭和 35年以降、詩お よび美術諸雑誌 によるシュール リア リズム関係 の特 集が相次ぎ、ブル トン、アラゴン、エ リュアール をは じめとす る詩人、画家、小説 家、思想家の主要著作の翻訳紹介 もきわめて多い。詩人の天沢退二郎、鶴岡善久、 フランス文学者巌谷国士な どの新 しい論考がここに加わ り、シュール リア リズムに 関す る認識はますます精密で幅広いものにな りつつある。その間にあって滝 口修造 は、作品のみな らずその存在 によって、詩や美術のみな らず、音楽、舞踏、演劇 な どまで含 めて広 く芸術思想全般に影響を及ぼ した。 6 第二章 筒井康隆 とその文学 作家 コース 第-節 筒井康隆は 1934年 9月 24日大阪市に生まれた。小 さい ころか ら俳優志願者 であった。中学校の時、学校 を怠 け、毎 日のように映画を見てまわる。高等学校に 入学 してマル クス兄弟の映画に熱 中し、演劇部に入 り、のち部長になった。その後、 1953年関西芸術アカデ ミー研究科に進んだ。1954年関西芸術アカデ ミーを 卒業 して劇団青猫座に入団 した。主役 を演 じたこともあ り、評判 もよかったが、彼 にとって大阪は文化的には僻地であ り、何 をやっても仕方のない所であった。19 53年同志社大学文学部に入学、心理学を専攻 した。大学卒業後 もしば らくは演劇 活動に従事 したが、熱はかな り醒めていた。人生の第一 目標 は名優 になることだっ たが、その願望は青猫座時代に一応挫折 した。こうした演劇体験を筒井康隆はエ ッ セイ 「 演技者志願 」 1で振 り返った。 中学時代か らずっと芝居 をや り、会社員になってか らも劇団に加 わっていたぼ くは、当然の ことなが ら人生の第- 目標 は、でき得れば名優、少な くとも芸達者 といわれ るほ どの演技者 に なることだった。作家になるなど考えてもいなかったのである。夢次々 とぶち壊れ、やがて 「 ひ とを楽 しませた り演技 した りす るのは小説の上ででもできるのではないか」と考 えついたのは、 演技者-の夢をあき らめてだいぶ経 ってか らだった。( 中略)ぼ くは現在で さえ、もし生まれ変 わって くることができるものな ら、来世でこそかな らず演技者 になろ うと思っているO作家に な ど、な りた くないのである。しか し残念なが ら人生は一度 き りなのだ。( 中略)やっと最近に なってそ ういった演劇 関係者たちに仲間意識 を持たれ、認 め られは じめてきた様子で、ぼ くは たい-ん嬉 しい。 これは小説が面 白い といって褒 め られた嬉 しさではな く、演技力を褒 め られ た時のよ うな嬉 しさである。 2 1979年 1月に、ある雑誌社か らの電話取材 に応 じて次のよ うに語 っている。 昔か ら演劇が好 きで、役者 にな りたい と思った こともあ りま した。今でも劇 曲演劇-の思い は変わ りません。 自分の劇 曲を上演す るための劇団を持つ ことはぼ くの夢です。 3 これは成功 した作家の告 白としてす こぶ る特異なものだ といわなけれ ばな らな い。現実の舞台-の参加 を拒まれたのち、活字に舞台を移 し変 えた。過剰 までに演 劇的な構造をそなえていることが、筒井康隆の作品を現代の 日本文学のなかで も際 立ってユニー クなものである。この体験は筒井文学 と緊密な関係 をむすぶ といわざ 1 筒井康隆 2 筒井康隆 リし橋一郎 「 やつあた り文化論」所収 1 975 「 筒井康隆全集 3」 p. 3 63 「 評伝 筒井康隆」 p. 6 7 7 るを得ない。とい うのは、戦争の抑圧 か ら敗戦後開放 - と転換す るなかで映画 と出 会った時代は、筒井文学の原点をな した。 1960年弟三人 と SF同人誌 「 NU LL」 を主宰、同誌 に発表 した 「 お助 け」 が江戸川乱歩 に認 め られ、作家活動 を始 めた。主な作品に 「 東海道戦争」 ( 処女作 品集) 「 ベ トナム観光公社 」 「 アフ リカの爆弾」 「 大いなる助走 」 「 虚人たち」 ( 泉鏡 花文学賞受賞)「 虚航船団」 「 夢の木坂分岐点」( 谷崎潤一郎賞受賞)「 文学部唯野教 パプ リカ」「ヨツパ谷-の降下」( 川 端康成文学賞受賞)「 朝のガスパール」(日 授 」「 わた しのグランパ」 ( 読売文学賞受賞)な どがある。 「 筒井康隆 本 SF大賞受賞) 「 全集」 (24巻)が刊行 されてい る。映画、演劇 、テ レビな どにも出演 し、俳優 と しても活躍。 筒井康隆の作家 コースは、普通の文学志望者 のそれ とは違 っている。漫画、映画、 演劇、デザイ ン、シナ リオ、イ ラス トな どを通過 して作家 になった。今 日では珍 し くないが、当時 としてはパイオニア的存在であった。前書いた とお り、筒井が江戸 川乱歩に認 め られ、作家活動 を始 め、文壇 に登場す るのは 1960年代である。そ SF)の の時代が SF小説家 として活躍。早期の作品はサイエ ンスフィクシ ョン ( ほ うが多い。隠橡や訊刺や邦輪や辛殊 な言葉で熱狂的な世界 を描 き、人間本性のブ ラックユーモアを暴 くのが彼 の得意な ところである。 そ して、1970年代 になって純文学 と大衆文学の間の独特な作風 を確立す るよ 泉鏡花、谷崎潤一郎、 うになってきた。 1980年代 に入 ってか ら主流の文学賞 ( 川端康成文学賞な ど)受賞す ることが多い。筒井氏の作品の創作は量が驚 くほ ど多 い し、作風 も豊かで しか もよく変わる特徴が見 られ る。「 虚人たち」や 「 虚航船団」 や「 夢の木坂分岐点」がそれぞれ 1981年や 1984年や 1987年できた作品。 筒井康隆の創作理論 は主にこのよ うな作品に結実 した。 第二節 筒井康隆の虚構理論 筒井康隆は大学時代 シュール リア リズムに興味を持 ち、フロイ ト全集 を読破 した。 大学卒業論文は 「 シュール リア リズム芸術の創作心理学的立場 よ りの判断」であっ 8 たこ文学 と文学理論は密接な関係があるわけである. ' シュール リア リズムに基づい て筒井康隆 も独 自の文学創作理論 を通 じて、文学の道を歩みつづけている。筒井の 文学が虚構小説 と呼ばれ る。つま り、虚構 を描いてこそ虚構か ら迫 ってきた現実を 読者 に感 じさせ るとい う手法が多 く使われている。 筒井の創作理論は 「 真実の文学」、「 超虚構宣言」、「 パ ロデ ィと虚構性」、「 嘘 と法 虚構性の再発見」、「 虚構 と現実」な どのエ ッ 螺」、「 現代 SFの特質 とはなにか」、「 セイか らみ られ る。 「 真実の文学」 1は短いエ ッセイである。 人類はみな平等。愛。 「 わた しは嘘は申しません」 。性善説。 「 戦争はご免だ」 。まごころ。老 人を敬お う。不幸な人に愛の手を。 こ うい うものはみんな嘘であ り、それを嘘 と認識 した ところか ら ドタバ タ、スラブスティッ ク、ハチャメチャ SFは始まる。 人間は差別が好 きで、肉欲 に生きていて、嘘をつかねば生きられず、悪い ことばか り考える。 戦争は大好 きである ( 平和運動は戦争の第一段階だ) 。裏切 りこと繁栄につなが り、老人 を馬鹿 に し、早 く死ね と思い、不幸なやつがいるために自らは幸福だ といって喜ぶのである。 この真実を今や sF以外の文学は、措 こ うとしない。否、措 けない。 自らがそ うした虚偽の 中に とりこまれて しまっているか らだ。ただひ とつ、下等に して下品に して半気 ちがいで嘘つ きと思われていて、そ して何 ものか らも自由な、 ドタバタ、スラブステ ィック、ハチャメチャ SFのみが、この真実を描 き得 るのである。 彼は 「 超虚構宣言」 とい うエ ッセイの中で以下のことを書いた。 小説が、なぜ現実的でなければいけないのか とい う考 えは、現実重視 を前提 に した批評 を読 むたびに抱 く疑問だった。鴎外 と遭迄の<没理想論争 >- 現実か美かの例の大論争があった にかかわ らず、 日本の近代以後では 自然主義が優勢 を占め、虚構性の強い作品が一方的に非難 され続けてきた。 2 「 嘘 と法螺」の中でこう書いた。 嘘は一種のシュール ・リア リズム文学に近づいて くる。叱 られないため とい う実用的価値以 外に、 芸術的価値 も持 ちは じめるのである。嘘か ら実用的価値 をとっば らって しまったものは、 もはや嘘 とは言わない。( 中略)ある文学雑誌の書評欄で、あるひ とが 「この小説 には嘘がある か らいけない」 と書いているのを見て、ぼ くはびっくりしたものだ。事実誤認 な らともか く、 小説に嘘があってなぜいけないのだろ う、 とぼくは思った。 3 「 現代 SFの特質 とは」の中でこ う書いた。 小説 とはもともと虚構です。ただ、 日本ではなぜかその虚構性が軽視 され、虚構性 の多い小 説ほ ど低級なもの とされ る見方がながい間まか り通 ってきま した。物語性の豊富な外国におけ る自然主義小説はまた、科学精神 を思想的支柱 に した実証主義の小説で もあったのですが、 こ れが 日本-入ってきます と虚構性の否定、せまい意味での経験主義 とな り、科学性、社会性皆 無の諦観的な私小説、身辺雑記文学になって しまったのです。 この悪い影響が 日本の全小説界 1 筒井康隆 2筒井康隆 3 筒井康隆 「 筒井康 隆全集 20」 p. 26 0 「 言語姦覚」 p. 7 4 「 筒井康 隆全集 16」 p. 3 43 9
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