ク サ ラ ス生態ノート 真 タイワンマスとの対面 は 「サラマ オ マス」と呼んできたこのサケ 水面の波が一瞬消えたとき,湖尻に 近い 属色、 類には, サクラマスの 亜種として トロ場や瀬腕 に 兄 えかくれする色彩" 標高 1,740m の山地渓流の 岸辺に立ち , 山 ㎝, 0% 理小ゐ nl"s ル /orWos ㎝郎 という学名 が付けられている (渡部・ 林 私は多 1985@ 現 少の興奮をおぼえながらこの地にまぎれも 地で漢字で 表 すときは「 櫻 花鉢物 鮭」,そ ない「サクラマス」が住み着いているのを して英名では Formosam 確かめていた,ここは台湾の 中央部,台中 と称している。 Form0san から花蓮に抜ける横断道正紺東西横貫公路 ) という意味であるから,台湾陸封鮭 という の峠に近い 武陵 農場の中であ る。 「サクラ 意味になるのだろう。 マス」の住むこの 川の名前は セ家 湾渓 (Ch@chi ㌃ wan タ Stream り, 島の西側の台湾 landlocked salmon とは「台湾の」 イワンマスと日本に什 目するサクラマ ス (ヤマメ) との関係については,別種とす 海峡に流れ込む 大半 渓 (Tachia Ⅲver) の最 る人から,せいぜぃ型 (タイガの違 い 程度 上流域の 一支流で と主張する人までさまざまである。鰭の数 源 とする。 や脊椎骨 数,,体側の斑紋の 数などが異な 1989 年11 月初めにここで「第 Ⅰ回国際櫻 るため亜種とすべきとの意見もあ るが, こ 花鉢物鮭研究検討会」と称するサクラマス の数の変異は 日本列島の中での南北の違 い のシンポジウムが開かれ, 日本から参加し の 地理09 傾斜 (クライン) の延長上にあると を た 14 名の中に私もいた。下界はサトウキビ もいわれる。サクラマス群の 中でどのよ う 畑や軌帯果樹園の広がる亜熱帯地方で, な 介類約位置づけをこのタイワンマスに与 こ こから南へ約100km 行くと北回帰線が 通り えるのが適当かは, 軌弔へと変わる台湾。サケ属 魚類の国際研 られていくのであろうが,アマゴやビヮマ 究集会が開かれた場所としては ,おそらく スのような功 色白がなく,そのほかの形態 これまでで最も緯度の低い場所にちがいな 的特徴からも限りなくサクラマス (ヤマメ) し。 に 近いことは確かであ る (写真 1 )0 台湾の高地に「サクラマス」が生白して これからも論議が重ね 分類学的論議はさておいても, このよう いるとはいえ,今ではこの七表湾渓の流程 な南方に自% 分布していることが驚きであ わずか 5km のあ いだで認められているにす る。生物地理学的な面で興味がそそられる ぎない。日本名で「タイワンマス」あるい だけでなく, さけ ・ます類の起源を探る貴 一 7 一 であ ろうが,高地から流れ出る人中渓の上 流域が緩やかな 傾斜を持つこと 1936) (大島 もその人きな要因のひとつだったろ やたらと移植放流されてきた 日本のヤマ メに純系はいないとさえいわれる。はるか 昔に陸封されほかの河川群から隔離されて 真 写 札 場内 櫻 きたタイワンマス。これこそまさに遺伝的 な純系を保っている貴重なサクラマスにち がいない。それゆえサクラマスそしてサケ マスの分化の歴史を何万代にもわたって伝 重 を手がかりをも提供してくれるにちがい えてきた生き証人として保護すべき価値が ない。ほかの生 . 月 、 地から隔離されたタイワ 高いのである。 ンマスは,なぜ亜熱帯のこの地にこれまで せっかく対面のチャンスが与えられたの 生きながらえてこれたのであ ろう。 かつ だ。七家湾渓の岸で一尾のタイワンマスに て, 「おまえの先祖のことを教えておくれⅠ とはいってもおよそ 5 ヵ年ぐらい前で 写真 2 タイマンマスの 保護区域に立.てられ どサケマス類の卵は古くからあ ちこちに移 ている希板。 植 されてきた,受精から㍾化までの期間が 長く,持ち運びが容易な発眼期が長いとい あ ろうか,寒流が台湾海u『まで南下してい 特,性をもっゆえに ,船で運んでいた頃か た時期に, この周辺の川にも恒常的にサク う ラマスが湖上していたが ,約1 万4,000 年 ら世界中に移植 されてきたのである。 日本 別に始まった 温暖化により 陸封されてし からとなりの台湾までなら,飛行機で 2 一 まったと考えられている。 (Patel and Ⅱ n 3 時間,それから車で半日も走れば放流可 1989) 。 数 あ る川の中でこのⅢだけに残っ 能な高地に着いてしまう。 ところが,これに目を付けた人たちがす たことは,いくつかの偶吠が屯 なった結果 一 8 一 ろ は ワ で にいたのである。 どうやら南国への渓流 大半 を も 小海沿岸の尻別Jll, どちらもⅡ本の 代表的なサクラマス湖上河川だが, く 釣り団体が移弛 しようとしたのだ。移植放 し 六 @J 渓ではな こ も %、 、Ⅰ 年間飼育したのちにそれぞれの放流 ・ と 1 よ 1 し 少し北玲Ⅱの l明 llだったし,方丈 涜 も アマ @地場産角 、 ) と 同じ時に放 と移入角.は の と を 耳 @ し た 両国 の タ イ ス」 異なった鰭を 切除する標識に かけられた。アマコ と ヤマメは自然界でも 放流仔 .のうち ス モルト化して陸海したと 推定される尼 数に対して,親伍、 としての国 帰時に再捕された尼数の比率 (% 捕率) ることは貴重なタイワンマス に 両者が生息す 求めて表 ぅ 児解 | も と ずく Ⅰ | 一小 し た を どち 入角、 の 再捕キ は 地場角 、 のそれに対 も Ⅰから20 分の 1 ときわめて低かった。2 年 あ った。 ラマスを 続けて同様の結果が得られたのだから, こ 試験の内容を みよ として定着する 自色,に且のないことが , 資源 れは確かな結果なのだろう。 それでは,戻っ 実。il てこなかっ ド 放{力L; 式験 で確かめられている (頁・ 山 ほか なってしまったのだろう。ほかの川に迷い 簡単・に紹介 し て Ⅱ 表@ 込んでしまっ たのだろうか。 サケマス類で行われた放流試験で, 呪blJ川 lと ラマスとそれぞれの地場産任 、 を ス モルト放流したげ 廿の回帰率 (百捕脅) の比較" 真山ほかけ 989) より。 ロ ソ㌔ ナ| 0.084 0.222 0.020 0.024 0.469 G.969 0.083 o 出圧 呪 別 Ⅱ @ 移植魚 、 1984 地場 ぬ 、 (% 別Ⅲ 帝) 一 移入角.(科星川産 ) 移入角、(尻 別別鹿) 106 0.910 G.070 (再捕された回帰耕魚、 尾数ノ推定 降海居敷) 一 9 一 Xl00 の 迷い込みが多いという (StabeⅡ 1984@ 報告もあ 率 が著しく低下することはなさそうであ る しかし,今回の試験では 海での町捕率 もやはり低かったし, る。 雄 だけでなく雌も川に残って成黍 し , ほかの も ともと陸海型のサクラマスの出現しなかっ 河川でもまったく再捕されなかった , ところが,となり合った河川ではほとん た地方, これを「ヤマメ圏」と呼ぶことに ど差がなく回帰することが確かめられてい しよう。この範囲の中だけでヤマメの卵を る。回帰 苓 残碑;) の低下は,生育環境 動かしていた分には,それぞれの個体群の が大きく異なる河川間の移殖で顕者なよう 遺伝的な純系が徐 々に失われてきたかもし だ。陸海 性 サクラマスの場合は, どうやら れないが,減少しかけた資源を支えてきた @- 海洋生活という関門で,遠距離からの移入 ことは確かで,移植もそれなりに評価でき 角を寄せ付けないようになっているよう た。 ところが,この卵を「サクラマス圏」 だ。 しかし,中にはわずかながら回帰して (雌のほとんどが 陸海する地方) に持ち込 いるのもいるし,河川に残留する成軌雄色、 んだことによってやっかいな問題が生じて もいる,これらが産卵に・参加すると , 回 @ きたのだ, 効キの悪い子を作ることになるだろう, 何 ここに岩手県内水面指導所が 8 日 千日 57 年に 代 かのち,いずれこの形質は消え去る運命 遊漁団体を対象に行ったアンケート調査結 にあるかもしれないが,一時的に資源昌の 果があ る 低下をもたらすおそれは十分にあ る, べき回答は , サクラマス圏への「ヤマメ」の侵入 は 非常に稀であ った焼成軌角が,ヤマメを (宇部 1982@ その中の注目す 「かつては,いないかもしく それでは陸海しない「ヤマメ」を移殖 し 放流するようになってから川でよく釣れる た場合, うまく定着しているのだろうか。 ようになった。 」という一節であ る " また 移植色、 と地場価.との 生態の違いを調べてみ これと同時に,本来の降海時期に釣れる佳、 るのものおもしろそうだ。国内では最近や のうち「ヒカリ」 (地元では ス モルトのこ たらとヤマメの卵が移植 されている。これ とをこ 称する) の比率が低下し, らの移植仁、 の由来をたどっていくと, 系・ xx 00 う ヒカリ とヤマメ (残留型) との区別がつきにくく 系ときわめて複雑で得体がしれな なっているともいう。このような現象は単 い。一カ,地場任 、 とは目ってもすでに純系 に岩手だけでなく , はほとんどなく , 本来サクラマス 圏で 色々な起源のものが 混 あ った東北・北陸の各地方で近年目立つよ じっているといわれる。これでは両者を比 うになっており,秋に出現する ス モルトも 較する意味がないのかもしれない。しかし, 近年増えてきていると言われる。 これらの地域に大量のヤマメを移植放流 これまでの移殖の結果をみるかぎりでは , 淡水域だけで一且を終える「ヤマメ」では , するに至った経過は,河川の生育環境の悪 若十の環境不適合があ っても放流魚の生残 化と釣り人口の増加によって河川生活斯 の 一 10 一 サクラマス幼魚の資源量が減り,釣り人か 聞いたし, このところ抱卵ヤマべのことが らの収入をあてにせ さるを得ない内水面漁 新聞ダネになったことがないような気がす 協が,河川への残留度合の高 い ヤマメを積 る。北海道でも ヤマべの養殖が盛んになっ 極的に移入したためであ る,また,内水面 てきて,池の 中での網代も進んできている。 漁業者は法により漁業対象伍パ重の fg 殖努 そして村 おこし町おこしの - 環として,佳、 ・ ゾり が義務づけられているため,犬吠資源量の 多少にかかわらず毎年一定量の放流 @ 務 の住む美しい川を売り物にするところがふ え, ヤマべの放流も増えてきている。 どう 放@ というらしい) をおこなわなければな もいやな・チ 感がする。 いつの 日か,北海道 らない。このとき手に入れ安く,そしてど と うせ放・流するなら 釣り資源として価値の高 い「ヤマメ」をということになるらしい, にとって変わっていくのではと, サクラマス圏での雄の降海率の地域差 ヤマメのストレインをサクラマスと比較飼 育しても, スモルト化 辛が明らかに低いこ とはこれまでも数多く報告されている (人 傑 のあ ちこちの河川で「ヤマベ」が「ヤマメ」 1980 ほか)0 サクラマスの生物特性の地域差のひとつ として,北方の雄ほど多く降海し,南方で は雄の河川 l残留度合が高いということが, あ たりまえのようにいわれてきた。ところ 「ヤマ ベ」から「ヤマメ」への 変身 が サクラマスを移植したとき,遠距離から の移入 価 .は定着しにくいことは前に述べ 雄 め 、つ け タ受る ち か, その割合を具体的な数値で示した調査 結果はほとんど 見あ たらない。 陸海魚を採集してその比率をみるにして た 。 アイソザイムを用いた集団遺伝学的手 法による分析からも,サクラマスでは隣キ妾 も,雌雄によって相分化の様式が異なるの した河川間でさえ遺伝的独立性の強いこと だから,偏りなくサンフリンバする方法苛令 が確かめられている をまず解決しなければならない。回帰して (岡崎 1986) 。 どう やら海洋生.活を 経るサクラマスの場合は, きた親任、 の性比を調べるのも良いが, これ いまだ河川毎の純系が比較的よく保たれて も雄の湖上が早・ い 時期に偏るというサケマ いるようだ。 さいわいにして北@海道にはヤ スに一般にみられる特性をサクラマスでも マメの卵はほとんど入ってきていない。抱 持つこと 卵ヤマ ベ (似卜,混乱を避けるためサクラ なかなかやっかいである。 このような事@. 青 マスの河川生活期幼角 という意味で「ヤマ からなかなか 自信をもって数値化できない ベ」を用いる) が釣れると新聞の記事にな のだ。 ・ 山 1989b) から, こちらも 正確さはさておいて,あえて手持ちの断 るほどである。いや,「・‥であ った"」と書 くべきかもしれない。 @ 片的なデータから推測してみよう。秋季に つい最近,あ る川で一日に成軌した雌 ヤ マ べ を 3 尾も釣ったという話をひとづ てに 支流の目名川に湖上するところを角 止めで 取り上げている尻加川の場合,1978 年から 一 11 一 1987 年までのm0 年間の回帰親任.の 平均雌 は 69.9% であ る 1989b@ 小型の雄からなる組合せは不自然に 巴 われ 上 ヒ 雌が 全 てしょうがない。ほかのサケ マス類では通 数降悔 し,海洋での白 妖及び漁業死亡率に 常はこうい う ことがないのになぜかという ,性差がないとすれば ,雄の降海率は43% 疑問がそのひとつの理由であ る。大西洋サ (真山 と 算出される,陸海保、 の , ℡比を1985 年に同じ ケでの実験では, この組合せでは走卵に至 日名川の下流域で採集した ス モルト 120 尾 らなかったという (Jones l959) 。 そして視 でみると,雌が69.2% で, ほぼ回肘任、 の平 巾を恋えて考えたとき, 均値と一致する ,これらの結果からは, スの雄魚は性海するのだろうという疑問が こ ではなぜサクラマ の 河川では雌の引数弱が 陸海するとみてよ 浮かぶ,雌は大きく成長することによって さそうである, 卯の増やし再生産力を高めるという有利さ サクラマスの 分布の南 限 に近い河川で があ る。雄の場合は,精子の量だけならⅡ、 は,雄はほとんど陸海しないといわれる, 型のでマべで十分足りるだろうし,実際に 婁九,太に洋側の南三陸沿岸では 海で捕ら この組合せで再生産している他方があると えられたス モルトのほとんどが雌であ った いわれていするのだからそれで間に合って という (木曽 1984) 。 南方では河川水温 いるにちがいない。大形の湖 L 雄が存在す が昂く ,初期成長が 良いから雄はすべて成 る意味ははたしてどこにあるのだろう。 執 してしまうのだと 説明されることが 多 い。 ところが,北海道のヤマべは山奥の@実 流 よりはむしろ開けた平地に高い密度で分 布していて,沿岸近くまで い ることに本州 からきた人は驚く。 このため,水温が20 。C く あ たりまえに 以上に ヒ がるところでもこ。 件. 而 している。釣り人が多く 入る 川での で マ べの分布密度は低く, たっぷり餌にあ り つくこともできる" だからといって, すべ 写真 3 ての雄が成執して残留してしまうというこ とはない。 雄が降海する理由 陸海する雄がほとんどいないということ 海洋生活一年を 経て河川回帰した 同 じ年齢の雄 親魚でもこの様な 大きさの 差が見られる。 1982 年 9 月 23 日に 尻加 川で採捕された 成熟魚で, 上の大型魚 は居丈長68cm, 体重4.Okq, 下の小型 角.は居丈長 41 ㎝,体重0 . fn.5k 肋 海洋生活を経て体長50 は,サクラマスの産卵がとんでもなく大き 一 60cm まで成長し さの違うノミの夫婦のあ いだで行われると た 産卵間近かの雌親角、 は, 越夏場と いうことを意味する。 どう考えても,海か た水量の安定した深みから産卵湯に向かう ら戻ってきた大利のサクラマスと残留した が,平水時にはじっとしていて降雨による 一 12 一 は 急 ょ 出水時になって一気に上流に 向かう。サク ヤマメの放流による残留雄の増加 日本海側サ ラマスの産卵は, 生まれた幼価 が長期間河 ラ 川 ほとどまるギンザケやマス ノスケと同じ の神通川, ここのサクラマスは鱒 寿司の原 @ ように,自分の斤達が-下流に散らばってⅡ 料 (の一部という説もあ るが) として有名 の 生産力を有効に利用できるよ れるこ それも源流域までさかの 翌春,雪ど けの始まる頃, ン 前後の漁獲があ ったという 近年でも毎年 6 と @ ト やってこんなところまで上ったのかと思、わ の漁獲がある。 これらは犬伏産卵で再生産 れほど急勾配の流れの岸辺にも稚角、 が泳ぎ されてきたが, ところまで到達するために ,ふだん・流量が 少なく上 っ l { れる増殖用親任、 の性比であるが, ろ と から1988 年までの 5 ヵ年平均では雌が全体 も通過できる出水時がチャンスである。 、 流をさかのぼる 遊休力を体長 で, | 上 うことはない (表 2@ @ - @ わ @ナ レ 北海道で はなかろうか。 産卵に適した場所を求めて 河川により差が大 き 力強くさかのぼる大型の雌在 、 のパートナー と し て ど ま で 付 も て @ @ナ る 0 1 よ や い年もある,これらの数値に湖上布.全体の は考えにく | いが,なんらかの 傾向は読み取れる だ ろ Ⅱ 表2 里 信 1 中 北海道でサクラマス捕獲数の多 い 上位 10 河川と富山県の神通川で人Ⅰ増殖のために 採捕された河川湖上親任、 の雌の比率 (1984-1988年). 1984 年 北 海 1985 年 1987 年 1988 年 平 均 道 54.2 85.7 75.2 暑 寒 別 72.7 別 津お @ 1 西本 81 .7 74.5 富 オ 」 ヒ 山 県 適 77.5 @ 道さけ・ます化 場 事業成績書及び 本州地域さけ・ますふ 化放流事業成績 書 ( 一 13 一 1 つ め Ⅱ 千 資源 呈が多かった故に, 「ヤマ 光景はあ まりにも滑稽である。幼型成熟角、 されることもなく地 うしの産卵時にこれらも放精 場の 「サクラマ いることを確かめ, Jones 近いこの川で, 精の確度を高めるための生物保@ 多く混じっていることはどういうことだる という考え方が ヤマべにも当てはまるかも おそ ら く 本 @の @ ナ 1 . つ ま 力 0 1 1 きた神通川,日本のサクラマス圏の南限 に (1959) の 一形態 しれないと考えた。0" 角を含めた10 尾 ほと でも,そして 南隅 と 占われるところでも,本来は雄も数 の成軌 ヤマべの精子をサクラマスの卯の媒 精に個別にM いてみたことがあるが,すべ のでは, と 考えてみた る そして, こ て 95% 以上のふ化率で湖上雄 と 差がな . 一0 の 地区で雄が降悔 しなくなた理由の たことからは,産卵の瞬間に突入しての放 精 がまったく軸駄 にはなっていないとも考 の 放流をしてきたことによる 遺伝的変質 えられる, であ ると考えるのは 牙 l;推に過ぎるだろう 産卵黄 に 群がるあ の ヤマべたちはどこか サクラマスの 資源増大の実験 か ら現れたのだろう。あ の小さなからだで湖 稚魚の時の雌雄のおl@ 上届 、 の後を追ってくるのはとうてい無理だ れら人形の雄だけで再生産が計らているの して私たちが10 数年来ヤマべの生活実態を だ 調べてきた と し た 成軌雄任、 たちの出番 た ヒ こからともなく集まっ 放流する。 彼らがサクラマスの 両生産にな ) マ 日日 l 適用 旛 3 ケ月 け 図 @ 人 名川 では, 毎年春になると しばらくして川 全体に分散 マべの性比を調べると,場所による偏り 郡 赤 沢 ) 放 ㈹ 流用 為 笠 自 所ほどの支流に,体重約 l u の稚魚、 を @毎 道でも産卵佳 、 のまわりには と 本流 (上目名@ 河Jl@ l ふ化サクラマ 一 14 一 三の助 沢 O 50 Ⅰ 00% が80% にも達する。そして,放流占から離 か, れるにしたがって雄の比率が減り, ら興味深い。 目 名川 の中・下流では雌が優勢となる (真山 19 こちらも産卵榛式の連 い との関わりか どこに潜んでいた秋の湖上無 サクラマスの産卵親任、 をめぐる話には下 89a) 。 犬吠産卵床から抜け出た稚在 でも同じよ 町 恩議なことが多い。河川湖上する時期も うに雄が上流に残り, 雌が下流に下りる習 そのひとっである。一般に,北海道では 6 所の放流 点 付近でサンフリンバを始めた。 写真 4 ところが,なんと次の日にはもうすでに顕 著な性差が生じていたのだ 間後,そして 3 ; 月 @ 1@ 1週 後でもこの@ 比には変 母Ⅲ周辺の沿岸に 回帰した脂鰭のな いサクラマス。 前年春に尻加川にス モ ルト放流され 1987 年 5 月 21 日に 寿都沿 Ocm, 体重 岸で再捕された居丈長田. 2.lka の標識魚。 化がなかった。 この放流直後に生じた性差 一 7 月に湖上のピークをもっ河川が多いと の発現要因についてはまだよく分かってい いわれている (待島 ・加藤1985@ ない。 しかし,上流に残った初期成長の良 コヒ い雄はその多くのものが成執 してその場で :ニ スモルトを放流しているが, 展開されるのであ ろう産卵行動に参加でき 切除標識を施されているため沿岸への回帰 る 有利さを持つし,下流に降下移動 時期を確かめるには都合がよい。その結果, は, 最近, @毎 道ではあ ちこちの川に長期飼育した人 これらは鰭 より生育環境の良い中・下流域で良好 早いところでは 5 月いっぱいで,遅いとこ な成長を遂げて翌春には高い ス モルト化卒 i ろでも 6 月中旬頃 までには母 Ⅲ周辺の沿岸 を得て性海することが期待できるだろうか でこれら標識角が再捕されなくなる。 この ら, これら分布の性差 は 河川の生産 ] をう あ と海で標識魚が採捕されることは滅多に まく使い分けるためのサクラマスの適応戦 ない。 したがって,このときまでに回帰朝 m各と 考えられ,遺伝的関与の 強さがうかが 佳 .は沿岸漁業の 対象とならないところに到 われる。分散の,性差は ,阿川の形態によっ 達しているにちがいない。 ノ ても異なるよ う で, もっと明らかにすべき 図 2 に北海道の川のうち,河口から 2km 占が多い。そして,ヤマメ圏ではどうなの 上流までのあ いだのごく河口部でサクラマ 一 15 一 そして根室海峡沿岸の標津川で もこの日 寺期 40 標注Ⅱ 20 (2.0km: に 118 尾の湖上親任、 が捕らえられている。 成軌親色、 が秋にも湖上してくる川はそれほ 0 斜里 @ll 20 0 信砂川に回帰した ス モルト放流標識 伍、 の ・ (0.3km) lll 再捕結果も興味深い。1987年春にこの川に 20 穂末川 れた標識スモルトが翌年大量に帰っ 20 (0.泳 m) てきたが, この高楠時期は 沿岸では 5 ト叶 月 中 ・下句がピークで, 6 月下旬には姿を消 した。ところが海からわずか 300m のとこ ろでの湖上親任、 の 採捕は月末まで 続き 20 @ そのピークは 8 月上旬だったのである 10 図 2 月 1989)n 本 河口域でのサクラマス 親任.を 採補して これら遅い湖上魚の潜伏先を探ってみよ 北海道)。 ( ) 内の数字は河口から 採捕 う,もし湖上直前の夏から秋にかけて沿岸 地点までの距離。 横軸下の 男三角は採捕 に回遊してきたのなら漁獲対象となるはず 開始時と 終 Ⅰ時を ボす 」 だが,そのようなこともない。 このときま スを採補 している6lnT 川での採捕尾数の時 で海にいたとすれば,活動を停止して深み 期変化を示した。春の増水明の採捕 とその などでじっとしていたのだろうが, あ との長期畜養が難しいため,夏になって 出 から採掘に赤手する川もあ って,すべての ていることから,川水の影響を 受ける紙塩 季節にわたっての湖上童変化をみることは 分の河口付近にいたにちがいない ,川に できない。 しかし,この回だけからも一時 入っていたとすれば海までのわずかの 離 期に集中することなく産卵期 までだらだら のあいだの流れのめるやかな深みで期の執 と 湖」 :の続く様子がうかがわれる, 6 月に フ尺 河川の 時には湖上の活発化することが知られ 世臣 するのを待っていたのかもしれない。 この は沿岸から姿を消していたサクラマスは河 答えを得るためには, 口部の採捕地内を通過するまでいったいと, がまだ未執 な春のうちに河口域 にたどり着 こに潜んでいたのだろう。 くのだろうという, なぜサクラマスだけ も う ひとつの疑問と合 津軽海峡や姉陸沿岸に面した川では秋に わせて論議するのが適当かもしれない,こ 湖上するサクラマスがいて特異的であ るか の話を始めると長くなるので次の機会にし のように占われてきた。 ところが,図に示 ょう。 したよう に日本海沿岸の朱大川では 8 月下 川 により異なり年変化の少ない産卵期 旬以降に258 尾,信吾 呪 llでは同じ時にf68尾, 斜星川 と尻別Ⅲは日本を代表するサクラ 一 16 一 Sep 10@ 20@ Oct 30@ 10@ 20 一 一 'A YEAH 。 。 。 標注 234 30@ 賀別当 l 20@ ・ " 目" AUg. 3 4 で る 田 一 一 ト一 斜里 Ⅱ l 宿志 別 ll Jl 信砂 一 6 "@" この 7 局方@ l 8 @ j @l Ⅱ タ 白 北海道の主な河川におけるサクラマスの 産卵ft糊ロ )時期とその年変化 (1973-1977 伺 ,採 白 九でその年の50% に至った日を ,火線で 25 一 75% が得られた期間を ,細線、 その範囲を小す。 図 3 り口口を期を , で・ 最も早・ を 保ってきた。 ところが,この両河川の芋 宋 い斜星川から遅い Yタ泊川まで 4 旬もの差を持っがそれぞれの 3cW年間ほとんと変わっていな は年変動が少ない と が図 3 力 ら も よ 9 月 2l 日 t軍 リ と で @ょ 9 同 Ⅰ 日 そ し て 尻月 J Ⅱ 1 : 1 ょ ポ ム 1 | 1 わかる。そしてこの図 をみる 年の採卵数 025% 2 旬 も の 差 があ 0 目 ま 斤 ぅ , 採捕から成軌まで に達した日から75% まで, 日 数は, もっとも短い別当賀川で 日 変化していない の 畜養期間が長 の平均は8.6 日である。 と を示すのだろう。 うことは,この成執時 る 性質であること 日 と ラフトマスは 岩尾 別川で 13 一 21 17.0 一 17 一 日 ) そして 余斗里 .川で14 一 31 目 @ 約 19.6 酎 と , それぞれサクラマスより 1.5 哲夫さんが日本に帰るとき, この川で採集 倍から 2 倍も長く,しかも 年変動が大きい。 この違いには 何か意味があ るのだろう したサクラマス ギンザ ケ の 幼角、 を持ち 帰ってくれた。 サハリンで 2 番目に長 い ティミりの一文 か。湖上敷が多くしかも川の中・下流の比 較的限られた範囲で産卵する サケや カラフ と ・流であ る ピ レンガ川からはるばる運ばれて トマスでは,産卵湯付近にはつねに多くの きたこの 2 種の佳、 の 標本を見るとき,南国 産卵仔が群れていて,ペアとなる相手を容 の高地に生きながらえてきたタイワンマス 易にさがすことができる。 ところが,サク と対面した時とはまた異なるときめきを感 ラマスの場合は, 致 しれぬ支流に散らばっ じた,サクラマスと ギンザケ は生活史も形 て 産卵するため, それぞれの産卵湯にはせ 態 もよく似ているが,両者が生月、 する極東 いぜぃ数尼が湖上してくるだけであ ろう, 地方では北にギンガ ケ 南にサクラマスとそ もし産卵 (成軌 ) 期が長ければほかの成軌 の生月、 域が異なり, ほとんど重複していな 色 、 と産卵湯でめぐり会 い。 ところがこのティミ川にはこのふたっ う チャンスが少なく 生貝 な な ら を 袋 疋 ン 同 て 数の親任.で 産卵を成功させるための適応・と キハ に 卵親任、 が湖上しないサクラマスの場合,少 す おそらく,川の生産力に見合うだけしか 産 こい︵ と,同種の分布域の違いを生じる要因を解 力連り の種が共に生月、 しているのだ。もしかする たく出現しないことさえおこりかれない。 きて なり,翌春い くつかの支流には稚魚がまっ して,河川毎の親任、 の成熟期間が短くそし て年変化が少なくなってきたに違いない。 が回 このような特@ は,移植任、 由来の親任、 帰したときに地場のものと交雑しにくい生 殖隔離ともなっているだろう。 北の地でのギンザケ との共存 タイワンマスの話から始まって, 日本の サクラマスのあ れこれをとりとめなく書き 綴ってきたが, 写真 5 ここでさらに北に飛んでみ よう, ここは北 サハリン 北サハリンのティミ 川 支流ピ レンガ 川で採集したギンザ ケ 切角 (左) と サ クラマス幼ぬ. @) 。 尾鰭のひどく欠 損したギンザケ が目立っ" 1989 年 6 月 下旬に小林哲夫氏が 釣りで採集したホ ルマリン同定標本, 日本とソ連とのさけ ます増殖合弁事業で最初に作られたふ化場 のわきを流れる ピ レンガ川である。北緯51 出してまず目にっい たのは,ギンザケ の尾 度のこの地に技術指導のため 滞在していた 鰭が奇妙に変形していることだった。飼育 元水産庁北海道さけ・ますふ化場長のⅡ、 林 石 、 にみられるような徐々に短くなったよ 一 18 一 う なものではない。 ちぎれたような跡があ り, の 住み分けで共存しているかのようにみら ひどいものは後縁がガタガタになっている れる丙種 も , のだ (写真 3@ の重複をむずかしくしているかもしれな サクラマス と ギンザケ の標 本はそれぞれ同数の3f 尾 だったが,平均届 、 じつは強く干渉し合って分布 。 文展9.2rm のサクラマスは 5 尾は 3.9%) で ギンザケ に対し優位にみえるサクラマス 小さい変形がみられたにすぎないのに, 平 がこれより北の地方ではカムチャッ カ 半島 もの 西岸の川やアムール川に生 目 するだけで, ょ 99.4fm のギンザ ケ では 21 尾 (58.3%) 尾鰭がさまさまに変形していたのであ る。 その分布域を北に拡大できずにいるのはな これらの標本は釣りによって採集された ぜだろう" ひとつには,水温の拝みの違い が,サクラマス 幼色 は・流れの早い・ 抗心部で, が考えられる。標津川に放されたギンザケ そしてギンザケ はゆるやかな流れの岸寄り は水温2O 。C 以下ではサクラマスに比べ摂餌 と, はっきりした生月、 域の違いがあ ったと 量が多かったのに, 25@C を越えたときに逆 いう。ギンザケ の卵をアメリカのワシント 転したこと (梅田ほか ン州から北海道に移入し,サクラマスの住 クラマスの方がより高 い 水温での生活に適 るが,その む遊楽部別に放・流したことがあ 応しているよ う にみえる。そして, も ときも同様の分布の違いが観察されている とつの理由として河Jllの形態の違い がある (石田ほか 1975) 。 そしてこの川では,同種 かもしれない。北側の川は原野をゆったり はひとつの淵の中でも住み分けていたが, と流れるのに対し,南サハリンから 日本に 餌の流入量の 多い上流部を占めるサクラマ 多く かけてはどちらかといえば.急流河川が スに近づいたギンザケ は小さくサクラマス 対照的であ る。 ピ レンガ川でみられた丙種 にさえ撃退され常に劣位だったという, の生息、 場所の違 い からもこのことが裏付け 半 数以 L のギンザ ケ にみられた尾鰭の奇 ・ f は, なればりをめぐる攻撃行動によるも 升 しかし,仲間同士でここまで傷つけ ぬぅ う ひ されど,しぶとく生き残るサクラマス サクラマスについてのとりとめのない話 も, 南から北へと - 応その分布域 をひと巡 りしたのでそろそろ幕を下ろす時がきたよ と は考えにくい。伊奈仁川に移植 されたギン からは,サ られたそうだ。 のだろう。ギンザ ケ の 幼仔、 はサケ属魚類の 中でも1女筆的であることが知られている。 1979) ・だ やは 十育環境の悪化によって資源量が激減し りそのときギンザケ の尾鰭がひどくやられ たとか,幻の荏 、 になりつつある, などとい ていたのを今でもおぼえているという。画 われてから久しいサクラマスだが,亜熱帯 接見たわけでないのでなんともいえない の高地には遠い卸に分かれた仲間が健在で が, 何種間 で優位な立場にあ るサクラマス あ るし,北辺の地ではギンザ ケとすみかを がかみつけた跡と居、 えてならない。生活ぉ文 めぐって激しく闘い続けている。そして 日 ザケ を調べたことのある梅田さんも, 一 19 一 本でも養殖が可能となった「ヤマメ」はあ ちこちのⅢに放され, それなりに渓流色 、 の 王者として君臨しているし, 引 用 文 献 石田昭夫・田中哲彦・亀山四郎・佐々木金 吾・根本義昭Ⅰ975) : ユーラップ川に放 「サクラマス」 は 敷 こそ(成ったがまだまだ北国の数多くの 流した北米産ギンザ ケ について. さけ @@ll でしぶとく生きながらえている。サク ますふ化場所報,㈲ : 1l-15 ラマスのもつ個体毎の変異の 大きさ,生 E ・「 Jones, J. W. 史の多様,性が 環境の変化に適@ させながら 1959. The ・ saln,on. l円 92. Collins, Lond0n. 木曽克裕 (1984) : 宮城県沿岸におけるサク この種の保存を図っているのだろう。 ラマス幼魚に関する知見.昭和58 年度マ サクラマスは幼魚期の釣りに始まり, 降 リーンランチング計両 プロバレスレポー 海後は沿岸域を回遊する習性ゆえに漁獲さ れ続ける。そして産卵のために別に戻って ト からさえ,本州の多くの河川ではこれを捕 らえる漁業が占くから行なわれていて,一 サクラマス,@4) : 93- 104. 水産庁北 海道さけ・ますふ化場. 久保達郎Ⅱ 1980). 北海道のサクラマスの 生どこにいても 人間からねらわれる。それ 生活史に関する研究. さけ ・ますふ化場 でいて,サクラマス (ヤマメ) の住めるき 所報 ,㎝: 1- 95. れいな川を守ろうなどと,環境保護の対象 時鳥精油・加藤定彦 (1985): サクラマ 魚種にまつり上げられたりもする。 これも (Oncor め仰由 ひとえに,食べておいしく,釣っておもし 北太平洋漁業国際委員会研 報 , ろく,ながめて美しいという , usm れ aso) の 産卵群と 海洋生活 : 1 - この仔、の 持 つ魅力 (魔力) ゆえであろう。 人工ふ化放流サクラマ ともあれ,サクラマスの魔力に冒されて ス @ は0%W 肋Ms 坦 ㏄幼稚魚にみられた しまったらしい私は, これからもしばらく 河川内での分布の性差 @ は,「水産資源として価値の高い」この 任、 すふ化場所報,@4% : 115-118. を 皿③ 増やすためという名目で, まだまだ良く 真山 手は ). さけ ・ま 紘 (1989b) : サクラマス (㎝ c0%W. 知られていない彼らの生活実態を探ってい M 邪 Ⅲ㏄川の交換移 かねばならないようである。 道オホーツク海沿岸の斜星川と 日本@ 沿 (調査課 生態研究室長) 植 試験 1. 北海 の 尻別Ⅱ lのサクラマスの生物特性の比較 さけ,ますふ化場所報, 真m [4③ : 75-97. 紘 ・野村哲一 ・大熊一正(1989) : サ クラマス to7tcorゆ化脇smas 植 試験 舛の交換移 2. 地場産月、 との移植魚 の 陸海 移動と親角 .回帰の比較. さけ ・ますふ化 場所報,は③ : 99-113. 一 20 一 宮本真人 (1989) : 他産サクラマスの 大量回 し @ Ⅱ・ り rh ダれ Ⅰ たれ 5% 億 B Sm れ ofJapan. ス れ ll に関する生 Patel. A. D. and Y. S. Lin. 1989. H 田orv of Ⅶ dlife con ㏄Tvation in Talwan. 目が月Sは㎡ tu れグ . 几repslrV㏄ries,@20@', 1-115. 鯛 ah 甜 , O. B. 1984. Ho 而 ng and olfaction in salmlonldぷ A critical review Cial ROC. con@ll w止h spe. reference to the Atlantic sa@on. 技0l. Rel,. 59 : 333-388. 鈴木 弄 は 982) : ヤマメ・アマゴの雑種 淡水魚増川, ヤマメ・アマゴ 特集 : 74- 問題.全国湖沼河川養殖研究会第58 回大 会要録 : 85- 92 宇部 稔 ㎝ 98% : サクラマ フ、 資源実態調査 岩手内水指年報,昭和59 年度 38-41. 梅田勝博・松村幸二郎・奥川元一・佐沢力 男,本間広口・荒内 学・笠原恵介・ 奈 良和俊Ⅰ981) : 伊奈仁川に放流した北米 産ギンザ ケ について.さけ ・ますふ化場 再 記載. 日本生物地理学会報, 40001 : 一 2l
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