(リムさんの卒業生総代スピーチ) ご来賓の皆様、会場の皆様、こんにちは 私が日本語の勉強を決意してから6年が経ちました。その時、日本語を選んだ 理由はとても簡単でした。それは、ドラゴンボールというアニメを基にした日 本語のロール・プレーイング・ゲームをやりたかったからです。そのゲームは 完全に攻略できましたが、完全主義者の私はゲームのストーリーもわかりたい と思いました。こうして、私と日本語との関係が始まりました。 中学一年の日本語の授業はとても厳しいものでした。日本語の漢字は中国語と 類似点がありますが、平仮名と片仮名は難しかったのです。そして、多くの友 達はすぐにやめていきました。しかし、日本語に触れて日本語が大好きになっ た私は、やめようとは一度も考えませんでした。時が経つのも忘れて勉強して、 真夜中過ぎまで日本語を勉強したこともあります。この6年間のうちには、自 分に自信をなくして、スランプ状態になったこともあります。しかし、日本語 があったからこそ、学校からのストレスや柔道の怪我などを乗り越えて、再び 目標に向かって奮闘できました。 実は、私はどうしてこのように日本語に興味を持ち続けられたのか今でも分か りません。日本語を勉強する前日本へ行ったこともないし、家族に日本語好き もいないし、本当に具体的な理由が見つかりません。しかし、私の日本語への 情熱は何よりも確かなものです。そして、日本語の勉強を続けるにつれて日本 の文化や歴史などにも興味を持つようになりました。高校一年の交流プログラ ムで日本へ行った時は本当に感動しました。 「これは本物だ」と心で叫びました。 日本の美しさや日本で受けた思いやりは決して忘れられません。冬だったにも かかわらず、私は何故かただのジーンズと T シャツ一枚で平気でした。体育の 授業の時も、T シャツと半ズボンだけでラグビーをしました。たぶん、その時の 私は興奮のあまり、寒さも感じなかったのでしょう。 日本語と出会わなかったら、今の私は将来のことを迷っていると思います。私 は勉強は好きですが、日本語を勉強する前は、特に好きな科目はありませんで した。情熱が将来を決めるのだと考える私にとって、その状態で将来を決める のは無理なことです。けれども、日本語と出会った今、人生の方向は明白にな りました。日本に留学し、そして、日本語教師になろうと考えています。日本 語を通して、日本語への情熱を伝えられる日本語教師という仕事ほどいい仕事 はないと思います。 教師と言えば、本当にいろいろな先生に感謝しなくてはいけません。先生方の おかげで、すべての授業を十分に楽しんで、日本語を身に付けることができま した。今まで教えてくださった先生方、本当にありがとうございました。特に、 コースワークに関する指導とアドバイスにはとても感謝しています。 今語学センターで日本語を勉強している皆さん、外国語の勉強は確かに難しい けれども、障害に直面した時、日本語への情熱を思い出して、自分の目標に向 かって頑張りましょう。どんなことがあっても、あきらめないでください。語 学センターを卒業した後も日本語は皆さんの宝です。センターからの卒業は決 して終わりではありません。日本語に情熱を持ってさえいれば、日本語の勉強 は続けられます。 言語は人をつなぐ橋だと思います。だから、私は絶対に日本語の勉強をやめま せん。そして、できれば、ほかの言語も学びたいです。私は日本語を勉強する 機会を得たことに感謝しています。日本語はもう単に好きな科目というより、 既に私の存在の一部です。日本語はこれからも私の人生の伴走者です。
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