Chapter 2. Foundation of the Learning Sciences (Mitchell J. Nathan & R. Keith Sawyer) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第2章 学習科学の基礎 大島純(静岡大学) 1.章の要約 本章は,学習科学のこれまでの進展に寄与した様々な理論や方法論についてわかりやす く解説している。まず,学習科学のテーマが理論と実践の橋渡し,そしてスケールアップ であることを述べた後で,様々な背景理論の説明が続く。こうした背景理論の概略を押さ えることができれば,学習科学がどのようにそれらの理論を学際的に利用していくのかと いう疑問が読者の中に生まれるかもしれない。それに対する回答を,この章の著者は Newell の学びの時間軸という考え方と,彼ら自身の考える要素研究(elemental research)とシス テム研究(systemic research)という枠組みで総括している。要素研究とは,伝統的な還 元主義アプローチによって,学習という行動を因子分解可能だと想定し,よりシンプルな 下位構造の分析を通して全体像を明らかにしようとする。これに対してシステム研究は, 学習という現象を複雑系として捉える。そのために,それを個々の下位要素に分解すると いう仮定を否定し,要素ではなく全体システムと比較的独立した下位システムとの関係性 で捉えることを試みる。学習科学の研究においては,この要素研究とシステム研究の両者 をうまく統合しつつ効果的な学習環境のデザインを構築,実施,評価,改善していく。そ れぞれの研究アプローチから今現在わかっている原則を整理した上で,スケールアップの ために研究の方法論としてはスケールダウン・メソッドを著者らは提唱する。このスケー ルダウン・メソッドは基本的にシステム研究のアプローチを採用しているが,全体システ ムの問題点を,準分解可能な下位システムの分析と改善,再投入によって解決するステッ プを取る。この準分解可能な下位システムは,分解された因子ではなく,工学における機 能分解に等しい。この新しいメソッドが,これまでの要素研究,システム研究の根本的な 考え方の断絶を橋渡しし,両者の研究成果がより広くそして深く教育の改善に寄与してい くことが期待されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「複雑系としての学びを分析するために要素的方法だけを利用する問題点は,そこで採 用される因子分解の仮定が,特定の参加者と構成要素がシステムに再度投入される時の構 成要素の機能のローカル文脈の固有な相互作用を無視するところにある。スケールダウ ン・メソッドはそうした『再統合プロセス(reintegration process) 』の重要な役割を強調 する。再デザインされた下位システムは大きな全体システムの詳細と関心のある要素の質 をよく理解している参加者によって思慮深く再統合される必要がある。そして,システム 的方法を用いて現実場面の学習環境は研究されねばならない。」 システム研究と要素研究の還元主義を統合する方法の留意点を明確に示しており,学習 1/2 Chapter 2. Foundation of the Learning Sciences (Mitchell J. Nathan & R. Keith Sawyer) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 科学の方法論のユニークさを適切に表現しているから。 3.背景 本章はハンドブックの中でもイントロダクションとしての位置づけが強く,その意味で 著者の研究の背景を色濃く反映したものではない。しかしながら,こうした総括的な章を 任せられる著者たちは学会においてもそれを代表する高い信頼を置かれた研究者であるこ とは間違いないだろう。Second author の Keith Sawyer はハンドブックの編者でもあり, 学習科学の総括を任されている。分散化した創造性(distributed creativity)などを研究の テーマとし,集団による創造的な実践のメカニズムを分析してきた。主に会話分析などの 事例分析を利用しつつ,社会文化的アプローチを背景に,他者との相互交渉がもたらす集 団知の発達を検討してきた。 First author の Mitchell Nathan は,Keith Sawyer と同じく会話分析を研究手法として 採用しているが,その対象は STEM education に関連した教室内の談話(特に数学,算数 教育)に焦点化してきた。最近では video-based discourse analysis を採用することで,会 話だけでは捉えることが困難であった非言語的な行為を取り込むことによって,教室内で の教師と生徒の談話,生徒同士の談話の中で構築される意味について社会文化的なアプロ ーチに準拠しつつ分析を展開している。 4.日本への示唆 本章の中で語られている学習科学の使命は,伝統的な教授主義からの脱却を目指すいか なる教育システムに対しても具体的かつ効果的なアプローチを示している。人間の学びと いう活動自体を複雑系として捉えることを前提に,標準化された知識構造が同じようにす べての学習者の中に構築されるという幻想を捨てている。それぞれの学びの文脈の上でど のような最適解が検討可能かを分析し,開発し,そして評価するというシステム研究 (systemic research)と,それを支える要素研究 (elemental research)の両者の有機的 な融合が,新しい学習研究の horizon を見せてくれているだけに,日本のこれまでの授業研 究の中へ建設的に取り入れられることを願う。 2/2 Chapter 3. Scaffolding. (Brian J. Raiser & Iris Tabak) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第3章 足場かけ 坂本篤史(福島大学) 1.章の要約 学習科学において,足場かけの概念は,ヴィゴツキーの発達の最近接領域の理論に基づ き,有能な他者(チューター)との協同的活動による支援によって一人では達成できない 複雑な課題を達成することによる学習を示していた。このような足場かけによる学習の促 進の特徴は,求められるスキルを細分化し行動主義的な学習を促すことではなく,複雑な 課題に向き合う学習者の状況に即して,課題を変形することにある。足場かけを徐々に取 り外すことが,学習者の能力の獲得を示す。最近では,足場かけを共同体における学習者 同士の働きかけや,活動や人工物の構造,コンピュータのソフトウェアなど,学習環境に 様々なレベルで埋め込むことによって多様な学習を促進することがなされてきた。一方で, 教室の中で,現実的な問題や学問を追究するような状況を生み出すことや,足場かけとそ の取り外しをいかにバランスよく適正に行うかは,今後さらなる研究が望まれる領域であ る。足場かけは単独で要因抽出するのが困難であるため,足場かけの厳密な定義づけを検 討するより,様々な実践のデザインに埋め込むことで研究を進めていくことが望ましい。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「ゲーミングにおける足場かけ(Wong, Boticki, Sun, & Looi, 2011),もしくはジェスチ ャーと足場かけ(Alibali & Nathan, 2007)についての最近の探究のようなイノベーション を排除する可能性があるため,厳密すぎる定義を用いることは生産的でないだろう。 」 学問的には厳密な定義を求めるべきなのだろうが,それにこだわり過ぎることは,かえ って学習科学の進展を阻むことになる。重要なのは,足場かけというメタファーに込めら れた学習者の立つ「足元」を重視し,明日の発達水準への成長を多様な学習環境により支 援するという学習観である。まさに「足場かけ」というメタファーに足場かけされて,新 たな学習環境を創造することが重要だということを感じさせる一文である。 3.背景 Brian J. Reiser は自然科学領域における子どもの科学的探究を促す足場かけから,最近 はソフトウェアによる学習過程を足場かけの概念を用いた研究を行っている。一方,Iris Tabak は媒介された認知を研究対象とし,テクノロジーを用いた学習環境のデザインに関 する開発研究を行っている。本章においても,テクノロジーにおける足場かけに関するレ ビューに力が注がれている。 本章にも記載されている通り, 「足場かけ」の概念はヴィゴツキーの発達の最近接領域に 基づき,大人と子ども,教師と学習者,熟達者と初心者の間で成立するものとして考えら れてきた。最近では,概念的拡張がなされ,学習者同士の間での足場かけに着目し,学習 1/2 Chapter 3. Scaffolding. (Brian J. Raiser & Iris Tabak) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 共同体の中で水平的な発達を促す最近接領域の複数化が考えられ,また,認知的側面だけ でなく,情動的な足場かけ(emotional scaffolding)という概念も出されている。このよう な概念的拡張について,本章では特に,執筆者の研究領域に即し,概念的な拡張が実践に どのような寄与をするかを示している。 4.日本への示唆 足場かけという概念を発展的に活用して新たな学習環境を創造する試みは日本でも積極 的に行われるべきだろう。一方,学び合いを重視する授業実践において,子ども同士の足 場かけがいかに行われているかを分析することも重要である。現場の授業研究においても, 教師の言葉よりも,子ども同士の言葉の方が理解を促すことが指摘されることもあり,子 ども同士の間で教師とは異なる足場かけがいかに行われているかを分析することで,教師 の実践知の形成につながる知見が得られる可能性があるだろう。 5.注意すべき用語 予弁法(prolepsis) より有能な他者が学習者にとって先の内容について質問等の働きかけを行うことを指し, 足場かけによって学習が促進されるメカニズムを説明する概念として用いられる。なお, 予弁法の本来の意味は,未来の事柄について先んじて話す修辞である。 取り外し(Fading) 足場かけという比喩に対し,学習者の能力の向上に即して徐々に支援を少なくしていく 比喩として用いられる。 2/2 Chapter 4. Metacognition. (Philip H. Winne & Roger Azevedo) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第4章 メタ認知 清河幸子(名古屋大学) 1.章の要約 認知とメタ認知の区別をするため「メタ」とは何かについて明確化した後,メタ認知に 関する 2 つの区分,すなわち, 「知識としてのメタ認知」と「思考としてのメタ認知」につ いて説明している (表 4.1 参照) 。その後,学習においてメタ認知が果たす役割に関する実 証研究の概観を行っている。より具体的には,1.キャリブレーション,2. メタ認知と動機 づけの関連,3.メタ認知に関する自己報告測度,4.メタ認知と自己調整学習,5.領域一 般のメタ認知能力,6.課題に埋め込まれた形でメタ認知処理を追跡する方法という 6 つの テーマごとに関連研究を紹介している。 表 4.1 メタ認知に関する 2 つの分類 知識としてのメタ認知 思考としてのメタ認知 ・宣言的知識 ・メタ認知的モニタリング ・手続き的知識 ・メタ認知的コントロール ・条件的知識 ・自己調整学習 2.私が面白いと思った一文とその理由 私が本章の中で最も面白いと感じたのは,「自己調整に影響する別の主要な要因として, 自己意識,自己判断,自己概念,自己効力感が挙げられる。これらの要因はしばしばメタ 認知と切り離されて考えられてきたが,メタ認知プロセスと密接な関連をもつものである (p. 76, 17 行目~) 」である。というのも,メタ認知は純粋に情報処理的な(冷たい)プロ セスではなく,本来的に自己や自己との対比で捉えられる他者といったあたたかい影響の もとにあるものであることがほのめかされているためである。 「メタ認知がなぜ適切に働か ないのか」といった疑問を考える上で,認知資源の限界という情報処理的な(冷たい)側 面からの検討だけではなく, 「自分の認知処理は妥当なものと考えたい。極力変えたくない」 と考える自己保身的なバイアスについても考慮する必要があることを示唆していると考え られる(とはいえ,本章ではメタ認知に対する他者の影響は社会的比較という観点で少し 触れられている程度なので,その点は物足りなく感じられる)。 3.背景 第一著者の Philip H. Winne,第二著者の Roger Azevedo ともに,主として,コンピュー タベースの学習環境における自己調整およびメタ認知について研究を進めてきている。彼 らは,学習者の自己調整およびメタ認知スキルを高めることを支援するツールを開発し, その効果検証を行うとともに,それらのツールをデータ収集のために活用している点が特 1/2 Chapter 4. Metacognition. (Philip H. Winne & Roger Azevedo) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 徴となっている。本章の「6. メタ認知的処理を追跡するための課題に埋め込まれた測度(6. Embedded Tracking of Metacognitive Processing) 」において彼らの最近の研究が多数紹介 されている。 4.日本への示唆 教育心理学分野では,質問紙によって「知識としてのメタ認知」を明らかにする研究が 中心である。また,自己調整学習に関する研究も盛んではあるが,メタ認知と関連づけた 形での研究は少ない。さらに,これらの教育心理学的研究とは比較的独立に進んできたも のとして,認知心理学領域におけるメタ記憶に関する研究があると考えられる。本章では これらを結びつける枠組みを示しており,これまで別々に蓄積されてきた知見の交換に貢 献すると考える。 5.注意すべき用語 ・宣言的知識 (declarative knowledge) ・手続き的知識 (procedural knowledge) ・条件的知識 (conditional knowledge) ・メタ認知的モニタリング (metacognitive monitoring) ・メタ認知的コントロール (metacognitive control) ・自己調整学習 (self-regulated learning) ・領域一般 (domain general) ・キャリブレーション (calibration) ・喉まで出かかる現象 (tip-of-the-tongue (TOT) phenomenon) ・既知感 (feeling of knowing) ・学習容易性 (EOL) 判断 (ease of learning judgment) ・学習判断 (JOL: judgment of learning) ・回顧的確信度判断 (RCJ: retrospective confidence judgements) 2/2 Chapter 5. A History of Conceptual Change Research: Threads and Fault Lines. (Andrea A. diSessa) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第5章 概念変化研究の歴史:議論の脈絡と断層線 寺本貴啓(國學院大學) ・村山功(静岡大学) 1.章の要約 本章の学習科学の位置づけとして,概念変容研究がどのように変化していったのかにつ いて述べている。概念変容研究は,①学習者が概念変容を経験しない限り,多くの科学に おける重要な知識や見解をうまく学ぶことができない,②概念変容を理解するには,学習 に関して理論的な問題が絡んでくる,③概念変容が重要視されているのは,教育場面だけ ではなく,発達心理学や認識論,科学史や科学哲学においても重要とされている,といっ た理由から,学習科学において概念変容研究は中心的な問題であると価値づけている。 学習者の誤概念に対する見解として, 「一貫性」か「断片化」かの断層があり,それぞれ の観点で述べることによって,概念変容研究の歴史に広がるという流れになっている。 「Piaget 研究からの示唆」 Piaget 研究の発生的認識論の概念は,以前の永続的で確実に起きることに重点が置かれる 考え方と対照的で, 「大人とまったく異なるやり方で子どもが系統立てて考えている」とい う新しい知見や,彼の理論の他の要素である,変化のメカニズムとしての不均衡と再平衡 についての概念や同化と調節,反省的抽象などは,概念変容研究に関して影響を与えた。 「哲学および科学史の影響」 Kuhn の理論(一貫性説:coherence)に対する反対を提示している Stephen Toulmin の理論 (断片化説:fragmentation)をとりあげている。 一般的に科学研究では「科学は前進するものである」と考えられていたものに対して, Kuhn は, 「科学革命の構造」の中で,パラダイム転換が起きるとした。また,そのとき,同 じものを見ていても旧来の専門用語の意味と,新しい専門用語の意味が異なることを意味 する「通約不可能性」について述べ,この Kuhn の通約不可能性という概念は,概念変容研 究において長く続く道筋を確立した。 一方,Stephen Toulmin の「人間の理解」では,一貫性説と対極にある断片化説の間の断 層を別の側面から明快に示している。Toulmin は,「すべての科学に適用可能な包括的な固 定枠組みは存在しない」とし,Kuhn の体系性の仮説に批判し, 「人が強い一貫性説に基づい たとき時だけこのような誤りが現れる」と「通約不可能性」に対しても批判した。 「誤概念」 1970 年代半ばから後半に始まった「誤概念 (misconceptions) 」の研究は,教育研究や実 験心理学,発達心理学などにも影響を及ぼした。誤概念研究の肯定的な影響として,実践 的な教授法の重要性が広く認識されるようになったことがあげられる。しかし,誤概念を 「克服する」観点からいつも述べられており,学習者に対して以前の概念を断念すること を説得していた。このような, 「定着しているという誤った既有の信念が,学習を妨害する 要因であり,これを克服するべき」という見方によって,「誤概念」の研究がいっそう進展 1/4 Chapter 5. A History of Conceptual Change Research: Threads and Fault Lines. (Andrea A. diSessa) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). した。しかし,学習科学にとって最も重要なことは,どのように,本物の科学的な概念が 単純なものから発達するか?ということであるにもかかわらず,大部分の研究は,誤概念 の記述の初期のレベルにとどまるものであった。 「初期の3つの流れ」 「科学史との類推」「理論の理論説」 「概念変容に対する合理主義的な見解」の3つの観 点より述べられている。 「誤概念」研究の初期とほぼ同時期に,概念変容研究における,3 つの重要な関連した研究の道筋が進展した。中でも,学習者の知識や思考と科学史との類 推は最も実り多く,また間違いなく最も影響力があった。そして,それは Piaget によって 最初に研究されるようになった。 「科学史との類推」では,科学史と子どもの概念変容との 類似性は,形(構造とプロセス, 概念,理論,通約不可能性,急激な再構築)だけでなく, その内容さえも同様に注目に値する共通性を示している。 「理論の理論説(The theory theory)」 は,子どもや初心者は科学者が理論を保持するのと同様に,自分たちの理論を保持してい るとする説のことを意味している。 「理論の理論説」では,Michael McCloskey(1983a, 1983b) が行った研究を挙げ,学習者が保持する物理学の理論はとても 一貫しておりかつ言語化さ れているものであり,物理学における素朴理論は科学理論のようにー貫性が高く,かつ理 論的であるということを示す際に,有力な根拠として引用されることが多いことを紹介し ている。 「概念変容に対する合理主義的な見解」では,科学者と同様に,学習者は概念を捨 てる正当な理由がないかぎり,現在の考えを保持することを意味する,概念的変容の合理 主義モデルを紹介している。Posner, Strike, Hewson と Gertzog(1982)は,最初で最も有名 な合理主義モデルを確立し,4つの条件が満たされた場合のみ自分の概念システムを変え ると論じている。 「誤概念研究の評価」 誤概念研究の評価として,肯定的な3つの側面と否定的な4つの側面に分けて述べてい る。 「誤概念を越えて」 ここでは「特定の領域における概念変容」「断片的な知識」 「理論の断片(概念変容の構 成要素とシステム) (制約および変化のモデル)」について述べられている。 「特定の領域における概念変容」では,特定の領域について,学習者や子どもは年齢に 応じてどのような知識をもつようになるのか。Piaget 以来,これは重要な課題であった。こ こでは,幼児期までの研究を主に紹介している。 「断片的な知識」では,ここでまで理論の理論説の道筋は,素朴生物学,心理学,物理 学の研究に広くみられ,一貫性説と断片化説との対立において,一貫性説側(Kuhnian)に 立っていたが,ここでは,対照的な「断片的な知識」とよんでいる, 「断片化説」側を取り 上げている。Toulmin による強固な一貫性説の批評同様,筆者(diSessa)も,断片的な知識 を初期のうちから提唱していた側である。筆者(diSessa, 1983)は, 直観的物理学は何百, 何千ものpプリムス(p-prims)とよばれる要素によって構成される部分が大きいという考 2/4 Chapter 5. A History of Conceptual Change Research: Threads and Fault Lines. (Andrea A. diSessa) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). えを紹介した。分類上「理論」とは違い,pプリムスは数多く存在し,ゆるやかに組織化 され,時には文脈に高く依存する。良い教育デザインにおいて,p プリムスは,否定される のではなく優れた学習の道筋であるといえる。直観的知識や思考の多様性は明示的に認識 されるものであり,統合(一貫性の増強)は実質的に概念の進歩とみなされている。断片 的知識説は,発達心理学においてまったく無視されてきた。しかしながら,少なくとも教 育界において,断片的知識の視点は,積極的に取り入れられてきた。 「理論の断片」 ここでは,2 種類の理論的問題に関して考察している。はじめは,概念変容にかかわる心 的実態とは何か,またそれはどのように組織化されているのかという問題をとりあげ, Vosniadou は,体系の中で知識がどのような構成要素として重なるのかについての 2 種類の 理論を提唱し,モデルと枠組み理論を分けて述べている。次に,概念変容が困難であるの はなぜか,また概念変容が起こる場合,それはどのようにして起こるのかという問題につ いてとりあげ,学習者は,体系(科学的な概念)とその中の要素(pプリムス)の大きな セットをどのように集めるのかという問題を提起している。 「教授法」 ここでは教授のための断片的知識(KiP:knowledge-in-pieces)考え方と,それを含む一連 の知見について,7つの観点を示し,教育デザインが理論的なアプローチで他のものより 優れているという経験的な証拠がない理由について,3つの観点を示している。 「概念変容研究のフロンティア(一貫性:中心的な断層)(今後の研究課題)」 「一貫性:中心的な断層」 一貫性説と断片化説の論争を裁定するためには,さらなる理論の展開と経験的な研究の 必要があるだろう。よりよい認知的モデルを構築し,正確な経験的な支持を必要とするの である。 科学史から導入された理論のメタファは, Kuhn と Toulmin の議論で具体化されたように, 知識システムの体系をおおまかにはカバーしている。しかし,この分野はまだ改善の余地 があるといえる。 「今後の研究課題」では,①複数の概念領域において,その領域に固有の内容理解の発 達について詳細な研究を統けること,②文脈依存性(contextuality)を主要な関心とするこ と,③領域の多様性を想定した上で,共通性や独自性を実証的に示すこと,④「概念」と 「理論」のような構成概念の明確なモデルを構築すること,⑤実体と変化のモデルの妥当 性の確認という難題のプロセスに取り組むこと,の5つの今後の課題を挙げている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「学習者の誤概念に対する見解は,一貫し強固に統合したか,断片化したものであり概 念変容の歴史で分岐点となる断層線を構成している。このような概念変容研究の歴史に広 がって,このような断層が本章を構成している。そこで本章では,この断層の歴史と現状 3/4 Chapter 5. A History of Conceptual Change Research: Threads and Fault Lines. (Andrea A. diSessa) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). について主に論じる。 」 概念変容研究を,単なる時系列での解説ではなく, 「一貫性説と断片化説の論争」という 観点で解説している点が面白い。また,特定の分野で概念変容について述べるのではなく, 学習科学の特徴である学際的な視点(多様な研究分野)から解説している点も特徴的では ないだろうか。 3.背景 diSessa は,教育におけるコンピュータ活用や遺伝的認識論,物理学,プログラミング言 語を専門とするカリフォルニア大学バークレー校の研究者である。当初の研究では,プロ グラミングや物理学の理解が多かったが,次第に学習者の認知に移行していき,近年では, 概念変化に関する研究が多いようである。 学習科学関連では,近年,認知心理学的アプローチが多く,アナロジーを通した推論, Microgenetic 学習分析に最近のジャーナルがある。 4.日本への示唆 本章の中で述べられている,概念変容研究の歴史は,領域固有性を超えて多様な分野同 士で類似していることを示している。日本においては,各学術分野における概念変容研究 はあるが,学習科学のように学際的な概念変容研究は多くない。 本章の知見は,他分野の知見が別の分野において適用可能な可能性を示しているもので あり,学習科学が一部の分野で閉じていた知見が他分野へつなぐブリッジとなり得る可能 性を示している。 4/4 Chapter 6. Cognitive Apprenticeship. (Allan Collins & Manu Kapur) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第6章 認知的徒弟制 北田佳子(埼玉大学) 1.章の要約 「認知的徒弟制」とは,通常,手工業に代表されるような伝統的な徒弟制に見られる教 授・学習上の利点を,国語や数学といった認知的な知識やスキルを扱う学校教育の教科に も,広く活用しようとするものである。 教授・学習上の利点として特に重視されているのはつぎの 2 つである。第一に,熟達者 の思考過程や問題解決方法を見本として提示し,学習者が課題の全体像を把握し見通しを もてるようにすること,第二に,習得すべき知識やスキルが文脈に埋め込まれたかたちで 学習できる環境をつくりだすことである。 たとえば, 「認知的徒弟制」の概念を取り入れたリーディング指導の一例として,教師が 文章を朗読しながら,同時に考えたことや感じたことを発話することで,生徒が熟練した 読み手の読解過程を学んでいくという方法がある。あるいは,コンピュータ等のテクノロ ジーを活用して,実世界の課題に直面するようなシミュレーション環境をつくりだし,生 徒がオンライン上で他者と協働しながら問題解決をしていく学習環境を提供するという方 法もある。いずれの場合も,普段は内的に進行している認知過程をいかに可視化し,伝統 的な徒弟制の利点と結びつけた学習環境をデザインするかということが重視されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「学習コミュニティでは,コミュニティ全体の知識を発展させることを目指すと同時に, それが結果的にはメンバーそれぞれの知識も拡大することにつながると考えられている。」 この一文は, 「認知的徒弟制」における社会学的な視点の重要性を端的に示すものである。 先に紹介したような,教師の読解過程を学ぶリーディング指導の例も,またテクノロジー の活用によってシミュレーション環境を提供する例も,ともすると,個人の知識やスキル を伸ばすためだけの個別学習に陥る危険性をはらんでいる。しかし,徒弟制という言葉に 集約されている重要なポイントは,まず教室のなかに,ともに探究し学び合うコミュニテ ィが形成され発展していかなければならないということであり,そうでなければ,結局は 個人の学びも深まらないということに気づかせてくれる一文である。 3.背景 第一著者の Allan Collins が, 「認知的徒弟制」に関するまとまった論考を発表したのは, 今から 30 年近くも前の 1980 年代である。当初から,認知過程を可視化し,文脈に埋め込 まれた学習環境を整備することは重視されており,コンピュータ等のテクノロジーの活用 についても,かなり早い段階から言及されている。 また,第二著者の Manu Kapur は, 「認知的徒弟制」の概念を導入した学習デザインの一 1/2 Chapter 6. Cognitive Apprenticeship. (Allan Collins & Manu Kapur) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 例として本章のなかでも紹介されている「生産的失敗」の提唱者である。これは,失敗を 偶然の産物にするのではなく,あえて生産的な失敗が生じる学習環境を意図的にデザイン する方法であり,本章に登場する事例のなかでもとりわけ興味深い。 彼らのこうした考え方は,「知識社会」と称される 21 世紀にふさわしい教授・学習の在 り方に対する重要な示唆を提供してくれている。現代は,既存の知識やスキルをどれだけ 多く獲得しているかよりも,いかに学んだ知識やスキルを活用し,さらに新たなものを創 造していけるかが問われている時代である。このような状況を踏まえると,本章が提唱す るように,失敗すらも含めた複雑な認知過程を可視化し指導に活かすこと,また,多様な 文脈のなかで子どもたちが実際に思考し問題解決をしながら学習していくことは,今後ま すます重要視されていくだろう。 4.日本への示唆 本章では, 「認知的徒弟制」の概念と類似した要素が認められる事例として,日本の実践 が紹介されている。1 つめは,James W. Stigler らが海外に広く紹介した日本の算数授業, そして 2 つめは,板倉聖宣が開発した理科の仮説実験授業である。確かに日本では,算数 の時間に学級全体でさまざまな解法を話し合ったり,理科の時間に班で仮説を検討し合う 活動が多く取り入れられている。これらは,本来 Collins らの「認知的徒弟制」を踏まえて いるわけではないものの,それに共通する特徴を有している。 しかし,こうした授業においてこれまでの日本では,子どもの内的な認知過程をいかに 可視化し指導に結びつけるか,また,子どもの実生活と課題との接点をどうもたせるかと いった問題は,各教師の力量に委ねられてきたところが大きい。だが,このかたちだと, 教師によって学習の深まりに差がでてくる可能性があるし,また子ども本人が自分の思考 過程を省察したり,他者の思考過程と比較したりすることも難しい。今後は,テクノロジ ー等の活用も視野に入れ,教師にとっても子どもにとっても,内的な認知過程が効果的に 可視化され,教授・学習に活かされる方法を考慮する必要があろう。さらに,日本におい て,理数教育以外の分野でも「認知的徒弟制」の概念を導入した実践を研究していくこと もまた重要である。 2/2 Chapter 7. Learning in Activity. (James G. Greeno & Yrjö Engeström) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第7章 活動の中の学び 一柳智紀(新潟大学) 1.章の要約 本章は,個人よりも大きな分析ユニットにおける学びを「活動システム(activity systems)」 における学びとして分析するための枠組みと実際の学びの様相をまとめている。 Engeström の枠組みを基盤に,数学や科学の授業実践から生物医工学の研究室における人 工血管の合成方法の発見など,様々な分野,領域の活動システムでの実践における変化を 同定し,その変化がどのように成し遂げられたのかを説明している。このとき,「拡張性」 が重要な要素とされる。すなわち,定型的な知識や手続き的なスキルからある領域の概念 や原理の理解,さらにはそれらの生産的な使用といった学びの対象における拡張や,学び の文脈や参加するメンバーといった学びの主体における拡張が,概念的な学びやシステム そのものの変化を導くことが示されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「学校は独特な実践を備えた組織であり,生徒は,教育者が価値を置く方法で学ぶため に,教室での実践に参加したり,学習グループにおける実践に参加したり,宿題を行った りといった,学校の活動システムと結びついた実践に適応する必要がある。 」(p.129) 教育者が価値を置く方法で学ぶ,ということを明記しているところに惹かれた。このこ とは,学びを活動システムとして捉え記述することは,教育者が自身の持つ価値に意識を 向け,それがいかにシステムに現れているかを省察することを含むことを示唆しているよ うに感じる。なぜなら,子どもはその教育実践に良くも悪くも「適応する」必要があるか らだろう。この「適応」という表現も面白いと思う。これは学校に限らず,あらゆる活動 システムにおいて言えることではないだろうか。同時に,本章の内容を踏まえると「適応」 を越えて「拡張」していくことも,活動システムにおける学びの射程に入っているのだと 考える。 3.背景 1980 年代前後から,学習は社会的な状況から切り離された個人の中で生起するものであ るとする行動主義,認知主義とは異なり,学習の生起する社会的,文化的,歴史的状況に も着目し,どのような状況の中でいかに周囲と相互作用しながら学習が生起しているかを 検討する学習論が展開してきた。これらの立場のベースには,人間の活動は文化的な道具 に媒介されており,学習はそうした文化的道具を共同体における他者との協同により獲得 していく過程と捉えたヴィゴツキーの認知発達理論がある。こうした立場の初期には,非 西洋文化圏における学校外での子どもの学習や軍艦の航海術など社会的状況における認知, 学習の特徴が明らかにされてきた。これらの研究を引き継ぎつつ,著者らは表象や推論、 1/2 Chapter 7. Learning in Activity. (James G. Greeno & Yrjö Engeström) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 思考といった認知的活動や学校における教科学習がいかに社会的状況と関わりながらなさ れているかを談話に着目して検討している。さらには、活動システムのデザインにも焦点 を当て、実践の組織に参画し,実践者と協働で組織を変革していく「発達的ワークリサー チ(developmental work research: DWR)」を展開している。 4.日本への示唆 本章の内容は,教室での子どもの学びだけでなく,学び続けることが求められる教師の 学び,さらには企業における学びなど,絶えず知識を刷新していくことが求められる知識 基盤社会において,学習者の学びをデザインする主体(教師,教育行政,企業など)に向 けて,学びを個に還元するのではなく,システムとして捉えることの意味とその視座を提 供してくれる。その際, 「拡張的な学び」という視点は示唆的である。 2/2 Chapter 8. Design-Based Research: A Methodological Toolkit for Engineering Change. (Sasha Barab) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第8章 デザイン研究:変化をもたらす方法論的道具 大浦弘樹(東京大学)・大島純(静岡大学) 1.章の要約 本章は,学習科学の代表的な研究法であるデザイン研究(Design-Based Research: DBR) について,その定義や特徴,方法論に関する近年の動向についてまとめている.著者のバ ラブ(Barab)は,伝統的な実験法と対比させながら,デザイン研究は研究者が工学的なア プローチで対象の学習環境の複数の変数(教授法や人工物,その組織など)を変化させな がら,その効果が“どのように”そして“なぜ”起きるのかについて,対照群との比較や 変数の統制をせずに自然なコンテクストで検証し,その知見に基づいたデザイン(変数) の修正を繰り返しながら現場に長期的な効果や変化をもたらす理論を構築することをねら いとした方法論である,と説明している. 2.私が面白いと思った一文とその理由 バラブが自身の経験を経てデザインをオブジェクトではなく「サービス」として捉える ようになったと述べている点は興味深い.デザイン研究ではもともと現場(の教師)との 連携が重視されているが, 近年は研究者—実践者という枠を超え,解決が難しい長期的な 課題に対して(校長や学区,政策など)複数のステークホルダーと協調して取り組む「デ ザイン実施研究(Design-Based Implementation Research) 」も活発になっている.今後, 新たな実践の組織的な取組みやその普及に重点を置いた方法論の構築に向けて更なる議論 がなされていくだろう. 3.背景 ブラウン(Brown, 1992)が提唱した「デザイン実験」を含め現場での介入を伴う研究法 の興隆を背景に,デザイン研究は学習科学のアイデンティティの1つとして認知されてい る.一方で,バラブも指摘するように実験法を推進する研究者からの批判に対して,近年 はデザイン研究の「論証的文法(Argumentative Grammar) 」 (Kelly, 2004)の構築に向け た議論が活発になっている.ハンドブック第一版ではデザイン研究の定義や特徴,事例が 中心であったが,第二版はデザイン研究の成果物となる理論の特徴(物語られる真理)や, 方法論に関する近年の展開(デザイン“実施”研究)についてページを割いて説明してい る. 4.日本への示唆 デザイン研究のプロジェクト事例や方法論の議論は主に北米を中心に当地の教育事情や 研究の環境を前提としており,日本での展開には我が国の教育の歴史や文化,課題,研究 の環境に沿った研究アプローチや方法論に関する議論が必要である.例えば,国内でも小 1/2 Chapter 8. Design-Based Research: A Methodological Toolkit for Engineering Change. (Sasha Barab) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 〜中規模のデザイン研究は増えつつあるが,より多くの現場に長期的な効果や変化をもた らすためには,教育委員会や政策関係者との対話や連携が重要になるだろう.本章の訳者 として,デザイン研究が日本でもより広く認知され,現場の実践や政策にインパクトを与 える教育・学習研究が増えることを期待したい. 5.注意すべき用語 本章の重要な用語の1つである「物語られる真理(Storied Truth)」とは,特定のコンテ クストと結びついた物語を他者に役立つ形に一般化した理論である.デザインの結果や効 果のメカニズムを明らかにするためには,対象となるコンテクストや研究者によるデザイ ンの内容,現場で“実際に起きた” (学習)プロセスを包括した物語としての厚い記述が必 要になる.一方で,個別の事例に関する記述(=物語)を超え,他者に役立つ形に一般化 した知見(=物語られる真理)に昇華させる必要がある,というのがバラブ(独自)の主 張である. 2/2 Chapter 9. Microgenetic Methods. (Clark A. Chinn & Bruce L. Sherin) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第9章 マイクロジェネティック法(微視発生的方法) 望月俊男(専修大学) 1.章の要約 マイクロジェネティック法は学習や推論,問題解決のプロセスを詳細に分析するもので ある。本章では,マイクロジェネティック法の学習科学における位置づけを述べるととも に,ロバート・シーグラー(Robert Siegler)らが開発した「マイクロジェネティック法」 の特徴,学習科学における様々な適用のしかた,マイクロジェネティック法に向いたリサ ーチクエスチョン,マイクロジェネティック法を使う上での課題などが分かりやすく整理 されている。研究事例について具体的な手順は説明されていないが,学習者の方略使用や 概念理解の変容がどのように生じているのかをつぶさに検討する方法であることが,具体 的な事例を用いて分かりやすく紹介されている。なお研究論文として実データをどう取り 扱っているかは,Siegler & Jenkins(1989) , Schoenfeld, Smith & Arcavi(1993)など を参照する必要がある。最後に,マイクロジェネティック法を学習科学研究で用いる上で いくつかチャレンジしなければならない課題について言及している。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「 (マイクロジェネティック法の)目標は,単に学習に影響する要因を同定することだけ ではなく,ステップバイステップで,学習が生起する過程で,複数の要因がどのように学 習に互いに影響しているのかを理解することである」 (p。171)は,マイクロジェネティッ ク法の学習科学における位置づけを表す一文である。従来の教育心理学では,学習の要因 同定を目指すことが中心課題である。一方,学習科学では,それのみならず,学習過程そ のものの多様性や複雑性を理解しようとすることが,本質的な課題であることを示唆する 一文である。 3.背景 この方法は 1990 年前後から,シーグラーやディアンナ・キューン(Deanna Kuhn) ,ア ラン・ショーエンフェルド(Alan H。 Schoenfeld)によって開発された。従前の発達心理 学では,発達段階に応じて概念や考え,問題解決方略が質的に変化するのが認知発達であ ると考えられていた。それに対して,実は学習者の適応はより連続的であり,ある年齢に 達したからといって 1 つの概念や方略を用いるわけではなく,実は複数の候補となる概念 や方略を適応的に用いていき,与えられた環境や課題に応じてより適応的なものが残って いくという考え方が提唱された(Siegler, 1998)。この考え方に基づけば,どのように概念 の使用や問題解決方略を使用しているかを微視発生的に検討しないと,その認知発達過程 を分析することは困難である。そうしたことから発話や道具の使用状況などを分析し解釈 していくために開発された。 Chapter 9. Microgenetic Methods. (Clark A. Chinn & Bruce L. Sherin) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). マイクロジェネティック法は,発達心理学では,子どもの発達の中で起こる学習の微視 的な生起をとらえる,という要素研究(elemental research)の道具として用いられる。そ れに対して,学習科学では,ある種の教授的な支援(スキャフォールド)によってどのよ うに学習の生起が変化するのかを微視的にとらえて評価するシステム研究(systemic research)の道具として使われる(第 2 章も併せて参照)。 4.日本への示唆 マイクロジェネティック法で学習者の学びのプロセスを分析すると,授業時間中には見 えにくかった学習者の細かな言動や,他の学習者との対話をきっかけとして,一人ひとり の学習者の中で意味のある学びがどのように生起していたかをみることができる。一人ひ とりの学びをみとるという考え方は,わが国の教育実践や授業研究でも重視されてきた考 え方である。主観的な印象だけでなく発話や動画データをもとに,どのように学びが進ん でいったのか,その学習の軌跡(learning trajectories)を検討するような形で授業研究を 進めることは,学習者中心を志向した教師の成長を促す上で示唆的である。複数のチーム でデータを分析・検討した上で,学習の生起がどのように生じたかの解釈を付き合わせて 検討するという方法は,実践的に示唆的である。 ただしデータ分析の負担の大きさなど実践上課題も多い。したがって授業実践者と研究 者との協働が求められるアプローチでもある。 5.注意すべき用語 learning event:学習が生起するようなトリガーとなる事象のことである。これはとき に明瞭ではなかったり,学習を前進させたり後退させたりするようなものになること もある(p。180) 。 learning trajectories:学習科学研究では,一人ひとりの学びの進捗・軌跡は異なると いう考え方のもと,その学習過程で学びがどのように変化しているのかを追うことが 主流となっている。適切な教授が行われた場合に実現する概念変化や思考発達の過程 をモデル化したものはラーニング・プログレッションズ(learning progressions)と呼 ばれる。一方 learning trajectories はおおよそ学習のシーケンスとの関連で学習者が描 く概念変化や思考発達の軌跡である。伝統的な心理学パラダイムではプレテスト・ポ ストテストで,教示・教材の変化が成績に与える効果を明らかにしていた。しかし学 習科学では学びの軌跡を重視している。なぜならば,その軌跡をつぶさに追うことで, それ以外にも様々な学習環境のデザインを調整するための情報を手にすることができ るからである(p。183) 。 Chapter 10. Analyzing Collaboration. (Noel Enyedy & Reed Stevens) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 10 章 協調の分析 大島律子(静岡大学) 1.章の要約 この章では,協調の研究をする際の方法論として,研究の目的から4つのカテゴリ:「手 段としての協調」 ,「将来的効果のための協調」 ,「即時的効果のための協調」 ,「学習として の協調」に分けられることを示し,それぞれのカテゴリに分類される研究が,これまでど のような目的でどのような方法により行われ,どんなことを明らかにしてきたのかを整理 し説明している。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「4つのカテゴリを理解する簡単な方法は,このような質問に対する答えを見れば良 い: 『なぜ協調の研究をするのか?』 」 面白いと思ったというよりも,コラボレーション研究の方法論を考える際,最も基本的 で重要なことを端的に述べているので,ここを選んだ。この問いは一見簡単なようにも見 えるが,協調の研究をする者すべてがこの問いに簡単に答えられるかというと,そうとは 限らないであろう。 3.背景 この章の第一著者である Noel Enyedy は,現在 UCLA の Graduate School of Education and Information Studies の准教授である。数学教育と科学教育においてインタラクション や会話を通じた学習の研究を行い,より良い学習環境のデザインに向けた認知理論と社会 文化的理論の調整を試みている。さらに教室における会話をより活発にかつ生産的にする ためのテクノロジのあり方についても研究を行っている。研究の方法論としては,この章 の4つのカテゴリのうち,特に2つめの将来的な学習効果のための協調に属する研究者で ある。 第二著者の Reed Stevens は, 現在 North Western University の School of Education and Social Policy の教授である。学校にとどまらず職場や科学館など様々な場所や状況におけ る学習や活動で用いられる,カリキュラムや活動,テクノロジのデザインを研究対象とし ている。特に,数学的な活動がどのように役に立つか,そしてテクノロジが思考や学習を どう媒介するかに興味関心を持っている。研究の方法論としては,この章の4つのカテゴ リのうち,特に4つめの学習としての協調に属する研究者である。 4.日本への示唆 協調研究に限らず研究の目的とその方法論の選択は,言うまでもなく研究を行う上で基 1/2 Chapter 10. Analyzing Collaboration. (Noel Enyedy & Reed Stevens) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 本的かつ重要な事柄である。目的に適した方法論を用いなければ,その研究を行う価値が なくなってしまう。例えば開発した学習支援システムの効果を検証するのが目的なら,学 習者に使用感のアンケート調査だけをしたところで,ほとんど意味のある結果は得られな い。彼/彼女らは, 「使いやすかった」 「役に立つ」と答えることが期待されていることを 知っているのである。実際のところはシステムを使って学習者が何をどのように学習した のか,それはシステムのどのような特徴により実現したものなのか,それらを分析するこ とで初めてシステムの効果が明らかになる。あるいは,デザインした協調活動がいかに理 解深化に貢献したかを確かめるのに,事前・事後でテストの成績を比較しただけでは不十 分であろう。学習者間でどんなやり取りが行われたのか,それがデザインした活動のどの 要素技術の恩恵なのかを明らかにしなければ,他の人の役に立つような研究は出来ないの である。 そういった意味で,この章はこれから協調学習の研究を始めたいと思う方々や,今行っ ている研究の方法論を再考したい人向けの内容が書かれている。方法論の再考は研究の目 的を見直すことにつながり,そして研究の目的の見直しは自分の行う研究の価値を改めて 考え直す良い機会を与えてくれるからである。 2/2 Chapter 11. Frontiers of Digital Video Research in the Learning Sciences: Mapping the Terrain. (Ricki Goldman, Carmen Zahn, & Sharon J. Derry) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 11 章 学習科学におけるデジタルビデオ研究の最先端 淀川裕美・秋田喜代美(東京大学) 1.章の要約 学習科学におけるデジタルビデオ研究について,歴史,理論,方法論,技術等を概観す る。デジタルビデオ研究は,社会学・エスノグラフィー,数学教育・理科教育,学習の認 知研究等の領域で発展してきた。それぞれの流れを,重要な概念をおさえながら見ていく。 次に,ビデオデータの収集,記録,キャプチャリング,分析の方法について,具体的な技 術や押さえておくべきポイントを確認する。デジタルビデオ研究の場は,教室内のフォー マルな学習の場にとどまらず,博物館等におけるインフォーマルな学習の場にも広がって いる。それら最近のデジタルビデオ研究を紹介し,最後に締めくくりとして,学習科学に おけるデジタルビデオ研究の今後の可能性について述べる。文脈に根付いた「ローカルな 知」の構築と,ビッグデータ分析による知見の構築とが両輪となって,学習科学研究のさ らなる発展が期待される。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「あるいはまた,同じ教室の状況を 360°パノラマカメラで撮影した場合や,移動可能な ドキュメンタリー・スタイルのカメラで観察し,まさに学習の最中にある学習者と相互作 用した場合はどうであろうか。 」 (p.219) 本章では,時代の変遷に伴い,様々な水準のデジタルビデオ研究が発展してきた過程を 概観した。その中で,この一文は,教室でのビデオ撮影のあり方を具体的に読者に想像さ せ,ビデオの配置や機能の違いによって,得られるデータや分析方法,知見も大きく異な るということを考えさせる記述である。 「教室でのビデオ観察」と言うと,一台もしくは数 台のビデオカメラで教室の前方や後方から撮影するという方法を想像しがちであるが,今 やここまで技術が進化しているのである。録画技術の進化と分析技術の進化とが相まって, デジタルビデオ研究は今後ますます発展していくであろう。ここまで進化してきている技 術を前に,今後どのようにデジタルビデオを研究に活用していくかということを,読者一 人ひとりに問いかけている一文のようにも思う。 3.背景 筆者らは,1981 年頃よりビデオ(記録映像)を学習のメディアとして使用する取り組み を開始した。第一著者のRicki Goldmanは,Learning ConstellationsTM (1988 頃), ConstellationsTM (1993),Global ForestTM (1995),Web ConstellationsTM (1998), Orion-betaTM等の開発に携わってきた。Points of Viewing Theory(POV-T)やPerspectivity Frameworkを提唱し,私たちがいかに多様な視点を重層的に位置づけ,複雑なデータから パターンを見つけていくかを記述している。第二著者のCarmen Zahnは,デジタルメディ 1/2 Chapter 11. Frontiers of Digital Video Research in the Learning Sciences: Mapping the Terrain. (Ricki Goldman, Carmen Zahn, & Sharon J. Derry) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). アを使った学習やCSCL(コンピュータを用いた,ビデオや視覚メディアを用いた知のコミ ュニケーション)等を専門に研究している。そして第三著者のSharon Derryは,経験学習 (experiential learning)の立場から教育環境の研究・開発に取り組んでいる。本章でも紹 介されているが,第一著者との共著 “Video Research in the Learning Sciences” (Goldman, Pea, Barron, & Derry, 2007)の刊行や,”Guidelines for Video Research in Education: Recommendations from an Expert Panel” (Derry, 2007)の発行等を行っている。 4.日本への示唆 本章では,様々な水準のデジタルビデオ研究が時代の変遷に伴い発展してきた様子を概 観した。章のおわりでも言及されているように,近年,個々の事例から学術的知見を得る ことに加え,さらに,ビッグデータを用いた大規模研究が可能となり必要とされている。 学習科学におけるデジタルビデオ研究に限った話ではなく,あらゆる領域で,あらゆるツ ールを用いたビッグデータ研究が急速に進展してきている。データの収集,分析,現場へ のフィードバック,結果の活用方法等,個々の事例分析とは異なるビッグデータならでは の検討事項も多くある。ビッグデータの利点と限界を踏まえて,研究を進めていく必要が ある。 また, 「ビデオのビッグデータを研究するチームで働く際,ビデオを用いて「ローカルな 知」 (Geertz, 1983)を築こうとする個人(や小グループ)の研究者の重要な役割をないが しろにしてはならない。 」 (p. 227)と本章でも指摘されているように,ビッグデータが明ら かにしうることに目を開くと同時に,一方で人が個々の事例を丹念に読み解くことで得ら れる知見の重要さも忘れてはなるまい。そうした個別具体の事例から立ち現れる知見と, ビデオ等を用いたビッグデータ分析により得られる知見とを組み合わせる中で,従来型の 事例研究だけでは到達することのなかった新たな地平が見えてくるであろう。どちらか一 方に偏るのではない,双方の利点を活かした研究が目指される。 5.注意すべき用語 「視点のフレームワーク(perspectivity framework) 」 (Goldman, 2007) ビデオを撮る角度によって,現象の捉え方が異なる。 2/2 Chapter 13. Educational Data Mining and Learning Analytics. (Tyan Baker & George Siemens) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 13 章 エデュケーショナル・データマイニング(EDM)とラーニング・ア ナリティクス(LA) 森本康彦(東京学芸大学) ・宇佐見慧(筑波大学) 1.章の要約 近年,学習者の学習過程において生成される多量の教育データを分析(アナリティクス) し,学習効果を上げたり,学習そのものを促進させたりしようという動きがある。この方 法論は,ラーニング・アナリティクス(LA: Learning Analytics),または,エデュケーシ ョナル・データマインイング(EDM: Educational Data Mining)と呼ばれている。本章で は,LA と EDM について概説し,その相違点を明らかにすると同時に,これらの持つ潜在 的な優位性について述べている。 前半は,LA と EDM が,データ量の増加,データフォーマットの改良,コンピューティ ングの進展,アナリティクスに利用可能なツールの精巧性の向上,研究コミュニティの発 展,の理由から急速に広がってきたことを述べている。後半は,LA と EDM の実現方法に ついて具体的に紹介し,それらを実装しているツールについて説明している。そして最後 に,LA と EDM が学習科学にもたらす影響について議論している。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「EDM の研究者は,教育データ内におけるある発見のための自動化手法に興味を持って おり,LA の研究者は,教育データを調査・分析のための人間主導の方法により関心がある。 」 の一文である。EDM と LA は,一見研究内容もよく似通っており,研究者のコミュニティ も互いに入り交じっている印象があるため混同されがちであった。しかし本章では,上述 のように区別しており,これはこれからこの分野を知ろうとする研究者や教育者に明確な 視点を与え,その差異を意識することによりお互いの優位性の発揮につながると考えられ る。つまり,EDM は,データ分析による学習の自動化に貢献しようする。一方,LA は, 学習全体を視野に入れながら,学習者自らが学び続けるための支援を人間による何らかの 介入によって実現しようとする。現在,LA において,学習者本人もしくは教員などの指導 者に対し,データ分析した結果をダッシュボード上に見える化することが主流になってい る理由がこれによりわかる。またさらに, 「何のデータをどのように分析しどう生かす/活 用するか」と言う視点は,両者共通に持つ本質的な研究課題であることにも気づかされる。 3.背景 近年は,大学などの高等教育機関を中心に,教育の質保証・質向上やキャリア教育の実 現のために e ポートフォリオが急速に導入され,その利用が広がっている。また,小・中・ 高等学校の初等中等教育においても学びの過程で生成される児童生徒の学習記録データを 1/2 Chapter 13. Educational Data Mining and Learning Analytics. (Tyan Baker & George Siemens) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). タブレット端末等の ICT 機器を駆使して蓄積し学習指導や学習評価に活用しようとする取 り組みが始まりつつある。これら学習者の学習プロセスにおける学びの記録データは,上 手く活用されなければ単なる意味のないデジタルデータと同じことになってしまう。そこ で,これら教育データ(有用な多量の教育データの集合体を特に「教育ビッグデータ」と 呼ぶ)を有効活用するための方法が本章で扱っている LA と EDM である。 LA と EDM は,学習状況を把握し最適化させるために,学習者とそれを取りまく文脈に 関わる教育データを測定,収集,分析,報告する方法そのものである。しかし現在は,各 機関等で取得済みの少ない種類のデータを用いて研究を行っているに過ぎない。つまり, どんな意味のある有用なデータを蓄積し,どのような教育的観点で分析して,何をどのよ うに学習者の学習支援として機能させるかなどの教育的立場からの議論はまだ始まったば かりである。 4.日本への示唆 高等教育においては,学士力や社会人基礎力などのジェネリックスキルの育成が求めら れており,初等中等教育では,「新しい時代に必要となる資質・能力の育成」が改訂のポイ ントとして示され, 「何を教えるか」から「何ができるようになるか」への能力観・学習観 の転換が期待されている。その背景には,知識は単なる暗記ではなく,社会的な営みを通 して学習者自ら構成するものであるという社会構成主義の考え方が大きく関係し,学習者 の主体性に学ぶことが重要であるとしアクティブ・ラーニングが注目を集めている。 これら学習者の主体的学びでは,学習者が自らの学びを調整しながら問題解決を図るた め,学習状況を把握し多面的に評価しながら学習を進めていく。つまり,学習過程におい ては,学習者が自らの学びを振り返りながら,常に思考,判断,表現を繰り返すことが重 要となる。そのため,学びの記録をデータとして密に蓄積するとともに,それら多量のデ ータから学習者自らが学びを制御できるための足場を提供することが必要になる。この足 場となるのが,LA の学習状況等の見える化であったり,EDM のデータ分析に基づいた学 習支援だったりするのだ。 今後,この分野は,日本でも大いに発展していくことが予想される。その際,分析技術 の高度化の研究が「分析ありき」になってしまい,実際の教育現場のニーズとかけ離れた ものになってしまうことが懸念される。これから学習科学が,研究と教育実践との架け橋 となり,この分野の発展に益々貢献していくことを期待する。 2/2 Chapter 14. Project-Based Learning. (Joseph S. Krajcik & Namsoo Shin) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 14 章 Project-Based Learning 河﨑美保(追手門学院大学) 1.章の要約 プロジェクトベースの学習は科学的リテラシーの獲得という学習目標に対して有効な教 育方法である。この学習では生徒にとって重要で,プロフェッショナルの取り組む問題に 類似した現実の有意味な(meaningful)問題に取り組む。科学教育でいえば,問いの探究, 仮説の提案,説明,アイディアの議論,他のアイディアへの批判,新しいアイディアの試 行を行う。理論的には,能動的構成,状況の中の学習,社会的相互作用,認知的ツールに 関する学習科学の成果に依拠している。 1990 年代初めには,科学学習への動機づけの低さ, 表面的理解の問題が認識されたが,プロジェクトベースの学習で学ぶと従来の方法よりも 学習成果が高いことも示されている。著者ら自身は,LeTUS,IQWST のプロジェクトを行 う中で,統合的理解を促進するプロジェクトベースの学習環境をどのように設計すればよ いかについての理解を深め,すべてのプロジェクトベースの学習にとって重要な多くの教 訓を得た。本章では,著者らの 10 年以上の実践(LeTUS,IQWST)から得た教訓を優れ たプロジェクトベースの学習がもつ次の 6 つの特徴として整理し,説明している;(1)学 習を駆動させる質問(駆動質問;driving question) ,(2)スタンダードやアセスメントに 沿った学習目標, (3)科学的実践, (4)協調活動,(5)学習テクノロジー,(6)学習成果 のアウトプット(手にとれるものとして学習成果を形にする)。 2.私が面白いと思った一文とその理由 誰が駆動質問を設定するかについて著者らの立場を述べた箇所(p. 281)である。通常は, 教師やカリキュラムの設計者(研究者)が設定するが,これは駆動質問に求められる条件 (特に,価値のある学習目標に即していること)を満たした問いを生徒が考えることは困 難であるためだと述べている。ただし,与えられた駆動質問は生徒にとって意味のあるも のである度合いが低くなるおそれもある。そこで著者らは駆動質問から派生して展開され る探究活動の問いを生徒から引き出すというアプローチをとっている。逆に言えば,生徒 が自ら問いを考えるときに自ずと制約がかかりカリキュラムのねらいとする方向に沿った 質の高い問いが実感を伴って生じるような駆動質問を最初に設計するという細心さが求め られるということである。プロジェクトベースの学習の中には,生徒自身に駆動質問を考 えさせるという手法を採る立場もあることにも触れているが,著者らは上記の理由でこれ に対して懐疑的である。初等中等教育において,伝統的なカリキュラムで不十分であった 統合的理解を発達させるという目標を掲げる一方で,プロジェクトベースの学習が多くの 時間を費やす点で学区や州の学習目標を満たしていることが強く求められることを認識し ており(p. 283) ,理念と説明責任の両方を統合的に満たすために,駆動質問の設計プロセ スに対する信念が形成されていると考えられ,面白いと感じた。 1/3 Chapter 14. Project-Based Learning. (Joseph S. Krajcik & Namsoo Shin) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 3.背景 第一著者 Krajcik(ミシガン州立大学)は,北米のミドルスクールで化学・物理を教えて いた元教師であり,前所属のミシガン大学において学校の教師と共に科学の教授実践の改 革に取り組んできた。その中では,本章の中でも言及されているように LeTUS(Learning Technologies in Urban Schools)や IQWST(Investigating and Questioning our World through Science and Technology)のプロジェクトを進めてきた。北米では,米国学術研究 会議(National Research Council)により,いかに科学を効果的に生徒が学ぶことができ るか等の研究知見および K-12 の生徒が知っておくべき科学の内容の選定に基づいた科学教 育のビジョンが The Framework for K-12 Science Education として 2011 年に発表された。 これに沿った形で新しい科学のスタンダード(Next Generation Science Standards)が開 発され 2013 年に発表された。第一著者 Krajcik はこれらのプロジェクトにおいて中心的役 割を果たしており,特に The Framework for K-12 Science Education の開発においては物 理分野のチームの長を務めた。 4.日本への示唆 日本においてプロジェクトのベースの学習は学習科学とは異なる文脈で実践されている。 一つは高等教育におけるもので,同志社大学の「プロジェクト科目」や公立はこだて未来 大学の 3 年次全員必修の「プロジェクト学習」など,プロジェクトベースの学習を基本と する授業が実践されている。教養教育科目や,キャリア教育の中で,問題の発見や解決の 力,チームワークやプレゼンテーションの力等の養成をねらいとして実践されている。 他方,初等・中等教育においては,総合的な学習の時間に「プロジェクト・ベース学習」 として実践される例がみられる。これは,北米ミネソタ州のチャータースクールであるミ ネソタ・ニューカントリースクール(MNCS)において開発された PBL(学校支援組織 EdVisions の名称をとり,エドビジョン型 PBL と呼ばれる)が導入されているものである (上杉,2010) 。2007 年には NPO 法人日本 PBL 研究所が設立され高等教育への普及活動 も行われている。上杉(2010)によると,エドビジョン型 PBL の顕著な特徴は評価システ ムにあり,広い意味でのプロジェクトベースの学習と区別される。MNCS では入学後すぐ に州の評価規準と自律学習者としての規準の二つの評価規準が生徒に示され,プロジェク トを行う際には,個人の関心に基づくだけでなくそのプロジェクトがどの評価規準に適合 するかを想定することが求められる。日本に導入される場合には教科とのつながり(教科 で習ったことがどのように使えるか)を企画時に考えさせる点にこの特徴が反映されてい る(上杉,2010) 。 本章では駆動質問の質の保証と学習成果の説明責任に対して教師,カリキュラム設計者 の果たす役割が強調されているが,エドビジョン型 PBL のようにプロジェクトベースの学 習の中には,異なるアプローチにより学習者の関与・動機づけと学力保証とを実現しよう 2/3 Chapter 14. Project-Based Learning. (Joseph S. Krajcik & Namsoo Shin) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). としているものもある。他方で様々なプロジェクトベースの学習の実践には教科専門の知 識・理解よりもコンピテンシーの養成に力点があるものや理論的基盤が明確でないものも みられる。本章に示された 6 つの特徴はそれらの実践を理解・整理する視点の一つとなる だろう。 5.注意すべき用語 ・駆動質問(driving question) ・ラーニング・プログレッションズ(leaning progressions) 参考文献 上杉賢士(2010) 『プロジェクト・ベース学習の実践ガイド』. 東京: 明治図書 3/3 Chapter 15. Problem-Based Learning. (Jingyan Lu, Susan Bridges, & Cindy E. Hmelo-Silver) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 15 章 Problem-Based Learning 山口悦司(神戸大学) 1.章の要約 問題ベースの学習とは,複雑で構造化されていない問題のシナリオを学習者に提供し, ファシリテーターからモデリングやコーチングを提供するという環境の下で,学習者に協 調的な問題解決や自己主導型学習に取り組ませることを通して,学習者の知識転移や理解 深化を促進することを目指すというスタイルの教育方法である。複雑で構造化されていな い問題解決に学習者を取り組ませるという教育方法は他にもあるが,問題ベースの学習と いう教育方法の独自性は,チュートリアルと呼ばれる学習サイクルを採用している点にあ る。この学習サイクルは,図 15.1 に示されている通り,問題のシナリオ—事実の同定—仮説 の生成—知識のギャップ(学習すべき事項)の同定—自己主導型学習—問題に対する新しい知 識の応用—評価—振り返り,という活動と順番から構成されている。 問題ベースの学習の原語は Problem-Based Learning であり,その頭文字をとって PBL と略称される。本章では,PBL の事例紹介,PBL の歴史,PBL が背景とする理論,PBL の教授デザイン,PBL の評価,PBL の効果,今後の展望として PBL 実践,テクノロジ利 用,PBL を取り上げた学習研究の課題が解説されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 原文:Structure and complexity determine how difficult a PBL problem will be for students to solve and how willing they will be to try to solve it. However, in problem design, theory-driven considerations of structure and complexity fail to target student perspectives such as promoting self-directed and significant learning, stimulating critical thinking, and triggering interest. Given that the quality of problems is a major factor in determining learning outcomes (Van Berkel & Schmidt, 2000), features that are valued by researchers and by students should be taken into consideration in the problem design though they might be different. (p. 304-305) 日本語訳:PBL の問題の構造と複雑さは,生徒がその問題を解決する際の難しさや意 欲の度合いを決定する。しかしながら,問題のデザインにおいて,理論主導で問題の 構造と複雑さを検討すると,自己主導で意味のある学習を促進すること,批判的思考 を奨励すること,興味を喚起することといった生徒の見方に配慮しそこなってしまう。 もし問題の質が学習成果を決める主要な要因であるならば(Van Berkel & Schmidt, 2000) ,研究者によって価値付けられる問題の特徴と生徒によって価値付けられる問題 の特徴が異なっていたとしても,いずれも問題のデザインにおいて配慮されなければ ならない。 Chapter 15. Problem-Based Learning. (Jingyan Lu, Susan Bridges, & Cindy E. Hmelo-Silver) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 理由:PBL の学習サイクルには,現時点で既に獲得している知識を利用する問題解決 だけではなく,知識のギャップ(学習すべき事項)の同定や自己主導型学習といった 「新しい知識の獲得」や,問題に対する新しい知識の応用などの「新しく獲得した知 識を活用する問題解決」を含んでいる。この箇所は,PBL の問題を設計する際のポイ ントとして,現時点で獲得している知識という観点からみた現在の学習者だけではな く,新しく獲得するであろう知識という観点からみた近い将来の学習者を想定する必 要がある,ということを私たちに教えてくれる。 3.背景 医学教育の研究領域において誕生した PBL は,学習科学の研究領域においては「学習の 転移」と関係が深い教育方法として位置付けられている。ある文脈において学習したこと を別の文脈で応用できない,つまり,学習の転移が生じないという現象は,教育や学習に 伴う「好ましくない」現象として古くから知られている。学習科学の背景学問の一つであ る認知科学においては,学習が行われる文脈や学習したことの応用が行われる文脈が学習 の転移に対していかに影響を及ぼすか,ということに関する研究の成果が蓄積されていた (例えば,Keith Holyoak によるアナロジー研究,Jean Lave による日常生活における数学 に関する研究など) 。学習科学という研究領域が誕生すると,これらの研究成果をベースに して,学習の転移を促進するための教育方法を新たに開発したり,既存の教育方法につい てその効果やメカニズムを解明したりする研究が行われてきた。学習科学の初期の研究成 果がまとめられた学術書“How People Learn” (2000) (邦訳『授業を変える』 (2002) )に おいて,PBL は,Jasper プロジェクトのアンカード・インストラクションと並び,学校で 学習したことを日常生活へ応用するための教育方法の成功例として紹介されている。著者 の一人 Cindy E. Hmelo-Silver は,学習科学の研究領域において PBL 研究を牽引してきた 研究者である。本章を読んだ上で彼女の PBL 研究をフォローすることにより,学習科学と PBL との関係をより深く知ることができる。 4.日本への示唆 教育実践への示唆という観点からすると,PBL は日本の教育実践の改善に寄与するだろ う。ただし,PBL を教育実践へ導入する際には,PBL の「適用範囲」について十分に配慮 する必要がある。例えば,教育実践で扱う学習問題がどのようなものであっても,PBL が 効果を発揮するというわけではない。PBL の効果が発揮される学習問題は,単純で構造化 されている問題ではなく,複雑で構造化されていない問題である(この点について,Bereiter & Scardamalia(2000)による problem と exercise の違いの説明が参考になる) 。また, PBL の導入によって, さまざまな教育成果が生み出されるわけでもない。 そもそも PBL は, 学習の転移が生じないという問題を解決するために考案された教育方法である。このよう に PBL の適用範囲に配慮することによって,基礎知識や基礎スキルの習得だけを目指した Chapter 15. Problem-Based Learning. (Jingyan Lu, Susan Bridges, & Cindy E. Hmelo-Silver) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 教育のために PBL を導入する, という不幸なミスマッチを防ぐことができると考えられる。 学習科学研究への示唆という観点からは,研究インフラとしての PBL の応用という点を 挙げることができる。国際学習科学学会(The International Society of the Learning Sciences)の学会誌(The Journal of the Learning Sciences)や国際会議(ICLS,CSCL) 論文集が学習科学研究の全てではないかもしれないが,これらの学会誌や論文集には,2010 年以降,PBL を主要テーマとする論文はほとんど掲載されていない。一方,PBL に関する 学術書や学会誌(末尾の読書案内参照)は 2010 年以降も発刊されており,PBL を主要テ ーマとする論文が掲載されている。これらの論文の中には,学習科学の主要な研究テーマ と密接に関係するものも少なくない。これらの動向を踏まえると,日本において学習科学 の立場から PBL に研究に取り組むのであれば,PBL を学習科学の主要な研究テーマそのも のにするというよりも,むしろ,主要テーマを研究するためのインフラとして応用するこ とが有望な戦略になると考えられる。研究対象とする学習環境へ PBL を導入することで, 協調的な問題解決,自己主導型学習,学習の転移などの主要テーマに関する事象を引き起 こすことができる。そうすると,そうした事象を引き起こすための教育環境のデザインを 開発・評価したり,デザインが事象を引き起こすメカニズムを解明したりする,といった 研究が可能になる。 引用文献 Bransford, J., Brown, A. L. & Cocking, R. R. (2000). How people learn: Brain, mind, experience, and school (expanded edition). Washington, DC: National Research Council.(森敏昭・秋田喜代美監訳(2002)『授業を変える:認知心理学のさらなる挑 戦』北大路書房) Bereiter, C. & Scardamalia, M. (2000). Commentary on Part I: Process and product in Problem-Based Learning (PBL) research. In D. H. Evensen, and C.E. Hmelo (Eds.), Problem- Based Learning, A Research Perspective on Learning Interactions (pp.185-195). Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates. 読書案内 (1)学習科学の立場からの PBL 研究の学術書 Evensen, D. H., & Hmelo, C. E. (Eds.). (2000). Problem-based learning: A research perspective on learning interactions. Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates. (2)最新の PBL 研究に関する学術書 Bridges, S. M., McGrath. C., & Whitehill, T. (Eds.). (2012). Researching problem-based learning Netherlands: Springer. in clinical education: The next generation. Chapter 15. Problem-Based Learning. (Jingyan Lu, Susan Bridges, & Cindy E. Hmelo-Silver) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). Walker, A., Leary, H., Hmelo-Silver, C., & Ertmer, P. (2015). Essential readings in problem-based learning: Exploring and extending the legacy of Howard S. Barrows. Purdue University Press. (3)PBL 研究の学術誌 The Interdisciplinary Journal of Problem-based Learning http://docs.lib.purdue.edu/ijpbl/ Chapter 16. Complex Systems and the Learning Sciences. (Uri Wilensky & Michael J. Jacobson) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 16 章 複雑系と学習科学 大島純(静岡大学) 1.章の要約 ほとんどの自然現象あるいは人工現象は直線的な因果関係で捉えることができるほど単 純な系(system)ではない。個々の要素がどのような機能を持っているかがわかっていて も,それらの相互作用から系全体としての結果を予測するのは困難である。こうした系を 複雑系と呼び,その系の持つ特徴が自然科学を中心として多様な研究手法で検討されてき ている。本章では,こうした複雑系の研究手法を教育の現場に応用すること,そしてその ために学習科学が果たすべき役割と今後の研究について記述している。 教育に関連した複雑系研究は,大きく 2 つの関心に区分できる。ひとつは複雑系の概念 理解に関わる「認知的な(cognitive) 」挑戦で,もう一つは複雑系の学びを支援する「教授 学的(pedagogical) 」研究である。認知的挑戦は,複雑系の概念を学び手がどのように理解 しているかを検討する研究領域である。人間は元来中央集権的な制御と決定論的な因果関 係を想定した説明を好む傾向がある。それゆえに,創発や自己組織化,確率的で(stochastic) 脱中心的な(decentralized)プロセスを用いて現象を記述する考えに対して根深い抵抗を 示す。こうした複雑系に関わる誤概念の特徴を同定し,その原因を明らかにすることで, もう一つの教授学的研究へとつながっていくのである。 複雑系を理解するための教授学的支援の研究に早くから取りかかってきた Wilensky ら は,agent-based modeling の利用と参加型シミュレーションという教授法を開発し,その 効果を丹念に検討するデザイン研究を展開してきた。複雑系概念の中心的なものの一つは 「創発」現象だが,人間は通常複雑系の最終的な創発現象の原因を,下位システムや個々 の要素の相互作用に帰属することができない。この原因帰属の困難性の背景には,複雑系 を要素に分解し,個々の要素の働きを検討することで最終的な系として創発現象が生じる プロセスをシミュレートする手段がないことに起因する。Wilensky ら研究グループは, agent-based modeling システムを利用して,学習者自身が現象をモデル化するために,ミ クロ・レベルの構成要素(すなわち「エージェント(agent)」)に分解し,マクロ・レベル の創発現象を生成するエージェントの行為と相互作用の「ルール(rule)」を見つけ出す活 動を支援した。こうしたミクロ・レベルとマクロ・レベルの頻繁な行き来を実現すること (創発的訓練)で,学習者がより正確な複雑系概念を獲得できることを示している。 こうした基礎的な知見を踏まえて,学習カリキュラム全般に広く複雑系の概念が浸透し ていく必要がある。科学教育カリキュラムの中に,複雑系の概念が浸透するスペースはい くらでもあり,かつこの考え方は,これまでどうしても教科で分断されてきた学習者の理 1/3 Chapter 16. Complex Systems and the Learning Sciences. (Uri Wilensky & Michael J. Jacobson) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 解を横断的につなげる役割を果たすことができるものとなる。もっと言えば,自然科学と 社会科学の架け橋にもなり得る。本来の意味での科学的現象を捉える探究活動を学習カリ キュラムに導入することによって日常生活とは関係ない単純な記憶作業だと科学を捉える 生徒の見方を修正することができる。こうした研究が今後必要とされている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「現在の科学教育カリキュラムは,表面的に多くの領域をカバーしているだけで,その どの一つについてすら強固な理解を生徒は持ちえていないと批判されている(Bransford, Brown, & Cocking, 2000; National Research Council, 1996)。したがって,複雑系の教材 については,すでにうまく行っていない STEM カリキュラムに「追加するもの(add–ons) 」 であってはならない。 」 知識創造型の学習を現場で実現しようとする際に,まさに留意すべき重要なポイントで ある。ATC21S の White paper で Scardamalia らは,この adds-on アプローチでは知識創 造型学習環境を実現するのは困難であると明記している。そこには systemic approach が 必要であり,科学教育カリキュラムに特化して考えると,理解すべき複雑系の創発現象と その説明メカニズムが,断片的知識の adds-on だけでは理解することが難しい概念変化で あることは著者も強調している点である。市民が科学を適切に理解するためには,今後複 雑系リテラシーとも呼ぶべき計算思考が必要となり,それを本当に促進するカリキュラム を考えるのであれば,旧態依然とした教科縦割りのカリキュラムをいかに改善しようとも, そこに期待した変化は起こらないということを明確に謳っている文章である。 3.背景 本章の中で語られている複雑系の概念学習の研究は,創発現象の理解を一つの領域固有 の知識として捉えている点で,これまでの伝統的な概念変化研究と一線を画す。Wilensky を初めとする複雑系の概念変化を研究するグループは,創発現象を人間がどのように理解 する傾向をもち,その問題点を克服するための教授プログラムを計算機アプローチを援用 して検討している。彼らが明らかにしてきた人間の理解の傾向から察するに,これまでの 概念変化研究との関連性を考えると,theory-theory 学派に近いように認識している。すな わち,何らかの理論的な枠組みが存在し,それが様々な創発現象の理解を阻んでいるとい う考え方である。しかし,agent-based modeling などの計算機アプローチで明らかにでき ることは,ある意味のその正反対の knowledge-in-pieces 学派の主張をシミュレートするこ とのようにも捉えられる。個々の要素は比較的単純なルールで相互作用を繰り返しながら も,集合的には予想困難な創発現象を導き出すからだ。今後これまでの概念変化研究とど のように結びついていくのか,そのカギを握る研究者の一人は Jacobson であろう。 2/3 Chapter 16. Complex Systems and the Learning Sciences. (Uri Wilensky & Michael J. Jacobson) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). また,著者らは複雑な自然現象,社会現象を複雑系アプローチで取り扱ってきてはいる が,学習科学的な見解から言えば,今のところ Sfard のいう獲得メタファに準拠している。 より社会実践的な学びのシステムを複雑系として捉えることを通して,参加メタファ,知 識創造メタファでの学びの営みも解明していくことができれば,学習科学の新しい時代の 幕開けになる大きな転換期を迎えることになろう。 4.日本への示唆 第一に,複雑系の計算アプローチは,学習科学の新しいパラダイムを開くことになる。 著者らも述べているように,シミュレーション・レベルのデザイン研究とでもいうべき仮 想実験が,これまでの実験室実験のような変数統制とはまったく異なった仮想環境デザイ ン実験を可能とする。もちろん,そこで見られる学びの姿が,現場の本質を捉えるように なるまでは随分と時間がかかるだろうが,それでも学習科学者が参加型シミュレーション を展開するような機会に恵まれるのは,新たな知識の発展を予感させる。 第二に,著者らの議論の中で見られるのは,複雑系概念が,これまでの教科縦割りのカ リキュラムの限界を生産的に橋渡しする鍵となる点である。NGSS においても,複雑系概 念は随所に取り込まれているが,教科横断的な連携については未だ明記されてはいないだ ろう。もし,日本の学習指導要領が世界標準として脚光を浴びる機会があるとすれば,こ うした教科横断カリキュラムを複雑系概念を中心に再構成し直すほどのパラダイムシフト を実現することなのではないかと思う。 3/3 Chapter 17. Tangible and Full-Body Interfaces in Learning. (Micheal Eisenberg & Narcis Pares) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition) 第 17 章 学習におけるタンジブルとフルボディのインタフェース 望月俊男(専修大学) 1.章の要約 近年コンピュータやセンサ,カメラの小型化,画像処理技術などの向上にともなって, 物に触れる(タンジブル)インタフェースや,Kinect などのセンサデバイスや,空間に埋 め込むセンサ技術によって体の動きを検出し,デジタルコンテンツと相互作用しながら学 習するフルボディのインタフェースの関心が高まっている。様々なアプリケーションが新 技術を用いて作られているが,厳密な教育の枠組みで教育するためのものよりも,経験的 でインフォーマルな学習経験のためのものが多い。それはインフォーマルな状況設定の方 が,空間を使って体全体を使って相互作用するような動きを許容しやすいからである。 背景の認知理論としては,身体化認知(embodied cognition, 第 18 章を参照)がある。 体を動かすことによって認知的に現象や概念の理解を促進するために,システム開発にど のように適用するのか,本章では具体例を挙げて解説している。残念なことに写真などの 視覚的な情報がないのだが,実物は Web を検索すればすぐにスナップショットなどが含ま れた論文を見ることができるので,併せて読むと良いと思われる。 最後に,学習科学研究においてタンジブルと身体性のインタフェースの研究が与えるイ ンパクトと,いくつかの制約可能性について議論を行うとともに,近年の「メーカーズム ーブメント」との関連から,今後の可能性について述べている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「テクノロジと認知科学-この2つの領域は,数学や科学の理解が物理的な経験と身体 的直感に結びついている限りにおいて,そして素晴らしく良い形でデザインされたテクノ ロジを使用することで経験や直感が高められる場合において,相互に補完しあうのである。 」 (p.348)この考え方はテクノロジを使った学習の支援を考える上で大変重要であると訳者 は考えている。しかし,萌芽期であるが故かもしれないが,ここで挙げられた事例では果 たして認知科学とテクノロジの相互補完的なデザインが実現できているのかをよく吟味し て,次のテクノロジのあり方を考えていく必要があるだろう。 3.背景 学習科学ではその黎明期からコンピュータやネットワークなどの新技術を使って,その 技術なしには実現不可能だった有意義な学習活動を実現し,その学習活動のあり方を検証 していく研究領域がある(主に,コンピュータに支援された協調学習(CSCL,第 25 章を 併せて参照)が代表的である) 。近年は,タブレット PC やテーブルトップコンピュータ(数 人で同時使用可能な大型のタブレット PC)が普及しており,体を動かして指示をしたり操 作したりしながら協調的に学習する活動をデザインし,また,その活動を支援するソフト Chapter 17. Tangible and Full-Body Interfaces in Learning. (Micheal Eisenberg & Narcis Pares) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition) ウェアが研究されている。センサやマイクロコンピュータの小型化・高性能化により,教 室だけでなく科学館やアウトドアなどの公共の場にもセンサやプロジェクタを埋め込むこ とで,学習をインタラクティブにし,コンピュータによるデータ処理をシームレスにして 学習できるようになってきている。たとえばスマートクラスルーム(テクノロジ支援を用 いることで,知識操作を身体的動作で可能な教室)の研究なども行われている。 4.日本への示唆 わが国で,タンジブルによる協調学習支援システムの端緒となったのは「アルゴブロッ ク」 (鈴木・加藤,1995)であろう。その後,タンジブルやフルボディのインタフェースに よるシステム開発研究は,科学教育の研究分野で一部進んでいるが,それほど革新的な進 捗はみられない。新しいセンサ技術やファブ技術を日常的なかたちで埋め込んで学習を支 援できれば,コンピュータを日常使用しにくい教育活動の中で有意義な学習活動を展開で きる可能性があることを,本章は示唆している。これにあたっては,教育テクノロジの分 野と,ヒューマンコンピュータインターフェースの分野とのコラボレーションが待たれる ところである。 5.注意すべき用語 Virtual Reality(仮想現実) 最近はコンピュータ上で,ネットワークで繋がった他者 と 3 次元空間の中で何か協調してタスクを行うことが可能となり,日常的にもアクセ ス可能になっている(2015 年頃に世界的に流行している Minecraft なども,その一例 である) 。 Augmented Reality(拡張現実) 現実を「拡張」するとは,現実のものに対して何か 情報を付与することで,現実をよりインパクトのある形でユーザに示すことができる。 Computational Crafts コンピュータなどを使って設計したものを,コンピュータで 操作可能なプリンタ,3D プリンタ,レーザーカッターなどを使って作り出す工作のこ と。具体物を作ったり動かしたりすることを通して抽象的な物の考え方(たとえば, 立体物の幾何学的形状や,電流の仕組み)を学ぶのは,シーモア・パパートが提唱し た constructionism(コンストラクショニズム)の流れを受け継いでいる。本書の著者 らは,単に computational crafts をさせるだけでなく,子どもたちがその活動を通し て何を達成して欲しいのかを明確にすることが大切であると指摘している。 Chapter 18. Embodiment and Embodied Design. (Dor Abrahamson & Robb Lindgren) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 18 章 身体化と身体化されたデザイン 鈴木栄幸(茨城大学) 1.章の要約 ヒトの認知は、例外なく身体的経験に基づいている。数学・科学的概念のように、高度 に抽象化された知識であっても、その基盤は身体にある。そう考えれば、STEM の学習支 援は、認知の身体化理論に基づくデザイン、すなわち「身体化デザイン」によっておこな う必要がある。著者らが提唱する身体化デザインとは、技術的な人工物などを活用した学 習課題によって学習者の身体運動とその調整プロセスを引き出し、それを学習対象となる 専門領域の概念とリンクさせていくような学習支援手法である。デザインの実例として本 章では、身体を動かすことで操作する2種類のマイクロワールドが紹介されている。両シ ステムとも、身体的体験を数学的・物理的に語り直していくための支援がシステムに組み 込まれている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「Rhyme and Reason」節タイトルである。詩の意味は、理性的に捉えることのできる言 語的情報と、押韻や抑揚などから与えられる身体的情報の相互作用によって発生する。こ れは、embodiment の思想を一言で表現しているだけでなく、さらに進んで、詩の理解が「詩 を Perform するという社会文化的実践」と不可分であることを示唆することで、認知を捉 える視点を embodied から Lived へと広げていく可能性を示すものになっている。 3.背景 近代合理主義に立つ認知心理学を乗り越える動きの中で、伝統的な認知心理学が軽視し てきた身体性へ関心が高まっている。身体性を重視した認知研究群を総称して身体化認知 (embodied cognition)研究と呼ぶ。著者らは、Varela らの身体化認知の理論である Enactivism の影響をうけていると考えられる。Enactivism では、心と外界を切り離すこと ができないと考え、世界との身体的関わりをとおして主体と世界が共創出されると考える。 そして、世界の理解は、行為を局所的な状況の要求/制約に調和させようと模索すること をとおして得られると考える。Holton(2010)は、Enactivism を「構成主義+身体化認知」 という式で表現している。 心と外界の連結の仕組みを説明する理論として多くの数学教育研究者が依拠しているの が、Lakoff & Johnson のメタファー論である。レイコフらによれば、日常的な動作の反復 をとおして感覚運動スキーマ(身体動作イメージを基盤とする認識の枠組み)が構成され、 そのスキーマを、概念メタファーの仲立ちによって現実世界に当てはめることで我々は世 界を理解するという。 以上のような理論を下敷きとして著者らは、①課題を解決するための「行為遂行スキー 1/3 Chapter 18. Embodiment and Embodied Design. (Dor Abrahamson & Robb Lindgren) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). マ」を形成させ、②課題解決にむかって調整された身体の動きを学習対象領域に属する知 的人工物(グリッドや目盛り、グラフといった人工物)を介して意味づけることで、身体 との繋がりを失うことなく抽象的概念を理解させる、という独自の発想を得ていると思わ れる。 4.日本への示唆 「身体を使って学ぶ」ということは、日本人にとっては違和感のない、共有の「価値観」 ともいえる思想である。本章は、我々がなんとなく効果があると思ってきた身体を活用し た学習支援システムを理論的に位置づけ、そのデザイン・ガイドラインを示しているとい う意味で理論・実践両面において意義がある。タンジブルインタフェースの教育上のメリ ットとして Oppl(2014)は、協調作業と外的表現の操作をとおした認知モデルの形成を挙 げている。協調作業については支援や分析の手法がある程度確立しているが、後者につい ては今後の研究が待たれる。その意味でも本章は非常に示唆的である。残念ながら本章に おける評価パートは煮え切らないものである。後の論文において微視発生的手法による評 。 価が試みられているので、そちらも併せて参考としたい(Abrahamson et al., 2015) 5.注意すべき単語 Embodiment:身体化 Enact:一般的に何かの実施を指す場合と身体を使って表現することを指す場合があり、 文脈に応じて訳し分けた。 Image scheme:イメージスキーマ Perceptuomotor schemas: Conceptual metaphor:概念メタファー 感覚運動スキーマ (イメージスキーマ、感覚運動スキーマはほぼ同じものを指すと思われる。これらの スキーマと概念メタファーの関係は、Lakoff(1987)を参照) Operatory scheme, Action scheme:ほぼ同義と考え、行為遂行スキーマという同じ訳 語をあてた。 参考文献 Abrahamson, D. & Trninic, D. (2015). Bringing forth mathematical concepts: signifying sensorimotor enactment in fields of promoted action. ZDM Mathematics Education, 47(2), 295–306. Holton, D. L. (2010). Constructivism + Embodied Cognition = Enactivism: Theoretical and Practical Implications for Conceptual Change. 2010 AERA Conference. Lakoff, G. (1987). Women, Fire, and Dangerous Things: What Categories Reveal About the Mind. University of Chicago Press 2/3 Chapter 18. Embodiment and Embodied Design. (Dor Abrahamson & Robb Lindgren) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). Oppl, S. & Stary, C. (2014) Facilitating shared understanding of work situations using a tangible tabletop interface. Behaviour & Information Technology, 33(6), 619–635. 3/3 Chapter 19. Videogames and Learning. (Constance Steinkuehler & Kurt Squire) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 19 章 ビデオゲームと学び 池尻良平・藤本徹(東京大学) 1.章の要約 この章では,学習科学においても関心が高まっているビデオゲームの役割,効果,今後 の課題をまとめている。まず,商用のゲームも含めてビデオゲームが学習に対してどのよ うな役割を果たせるかについて,これまでの先行研究をまとめる形で紹介している。ビデ オゲームには,(1)学習コンテンツとして内容の理解を促進させられる役割,(2)学校 で重要視されている思考を促す誘い水として機能する役割, (3)ゲーム内での行動やデー タを利用して評価できる役割, (4)活動に引き込む構造として参照しうるという役割,の 4つがあるとされている。次に,ビデオゲームの学習効果をメタ分析した先行研究をもと に,ビデオゲームの学習効果を確認している。その結果,先行研究によって相反する結果 が出されていることがわかった。著者はこの結果に対し,ビデオゲームと学習の研究が抱 えている問題点,具体的には,ビデオゲームと学習に関する用語に対して統一的な定義を 取るのが難しい点,ゲームメカニクスの特定化が難しい点,学習者によって異なる経験が 生じてしまう点,使用の文脈で効果が変わる点が関係していると主張しておいる。最後に, それぞれの問題点を克服する方針と,学習科学における今後の課題を提示している。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「ビデオゲームがインタラクティブであり,個々のプレイヤーが異なるゴールとプレイ のパターンを持っていることがよくあるため,結果的に各学習者の経験がある程度異なっ てしまい,条件内や条件間での一般化が難しくなる」(p. 387) 。 この一文は,ビデオゲームの学習効果が先行研究で異なる理由として紹介されているが, 同時に,ビデオゲームが非常にインタラクティブな教材で,個々人の目的や考えに対応し うる教材であることも示している。研究対象として困難な題材ではある一方,新しい学習 を切り開く潜在性を持っている点で,象徴的な一文といえるだろう。 3.背景 本章の著者の二人は,ゲーム学習研究分野が注目を集め始めた 2000 年代前半,市販ビデ オゲームを題材とした博士研究を行った若手研究者として注目を集めた。Squire はインデ ィアナ大で Sasha Barab の指導のもと,歴史シミュレーションゲーム「Civilization III」 を学校の授業や課外活動に導入した事例研究を行い,Steinkuehler はウィスコンシン大で James Gee の指導を受け,多人数参加型マルチプレイヤーオンラインゲーム(MMOG: Massive Multiplayer Online Games) 「リネージュ」のゲーム内仮想コミュニティにおける 学習文化に関する研究を行った。その後二人は 2005 年にウィスコンシン大学マディソン校 で研究拠点「Games Learning Society」設立に参画し,この分野の研究コミュニティの形 1/2 Chapter 19. Videogames and Learning. (Constance Steinkuehler & Kurt Squire) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 成に大いに貢献した。Steinkuehler は米国政府の分析官を務め,教育行政関係者のゲーム 学習コミュニティの形成や,政府の推進する STEM 教育振興にゲーム学習研究の知見を取 り入れることに貢献した。ともにこの分野の発展を支える主要な研究者として知られてい る。 4.日本への示唆 ゲーム学習の分野は,2000 年代半ばから急速に研究分野として成長してきた。今日では 米国を中心に多くの研究拠点や推進組織が設置されている。日本でも以前から授業へのゲ ーム教材の導入やデジタル学習ゲームの開発は取り組まれてきたが,研究者の層が薄く, 研究コミュニティとしての発展は欧米に大きく後れを取っている状況にある。この分野の 研究は問題解決学習,プロジェクト学習,デザイン学習,学習コミュニティなどの学習科 学領域の研究にも深く関連している。学校教育への導入とともに,家庭環境やプレイヤー コミュニティにおけるインフォーマル学習における展開が進んでいる。ゲーム学習の評価 手法の研究はこの数年で急速に進展しており,プロジェクト学習やオンライン学習の評価 手法の研究とも関連する重要な研究成果が期待される。 「未来の学びへの準備のためのゲー ム学習」という観点については,マンガや映画など他の娯楽コンテンツを利用した教育実 践においても応用が可能であり,これまで学習研究が進展しきれていなかったコンテンツ 分野の研究の底上げも期待できる。 5.注意すべき用語 “game-based learning” ( ゲ ー ム 学 習 ), ”gamification” ( ゲ ー ミ フ ィ ケ ー シ ョ ン) ,”preparation for future learning"(未来の学習のための準備) 2/2 Chapter 20. Knowledge Building and Knowledge Creation: Theory, Pedagogy, and Technology. (Marlene Scardamalia & Carl Bereiter) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 20 章 知識構築 大島律子(静岡大学) 1.章の要約 この章では,まず似て非なる学習理論である,Scardamalia と Bereiter による知識構築 (Knowledge Building)と Nonaka たちの知識創造(Knowledge Creation)について,そ れぞれその源となった認識論や扱う概念空間,デザインする問題空間,知識創造の貢献対 象などについて,共通する部分と異なる部分の説明がなされている。 次に「知識創造が教育に持ち込まれる時に遭遇するであろう特別なチャレンジを示す5 つのテーマ」と評して「コミュニティの知識の発展」,「アイディアの発展」 ,「知識構築の 会話」, 「権威ある情報の建設的利用」 ,「協調的な説明構築を通じた理解」という5つ-こ れらは,Scardamalia(2002)で示された「知識構築としての学びの 12 の決定要因」のう ち,著者らが現時点で特に重要だと考えているものであろう-について,最新の見解が述 べられている。 そして,最新の知識構築に基づく学習支援環境を構築するための方法論やテクノロジ (Knowledge Forum の新しいバージョン)とそこに搭載される種々の支援ツール(足場掛 けメーター,有望性ツール,アイディア・スレッド・マッパー,KBDeX)の紹介がなされ, 現在このプロジェクトが進んでいる方向性,発展性について述べられている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「知識社会で浮かび上がる需要に適合するように教育を設計することは,世界各国の教 育システムの主要な問題である。この章の執筆時点で,これらの努力は主要企業に経済的 に支援されたテストに基づく「21 世紀型スキル」アプローチに凌駕されているようにみえ る。 (中略)誰も創造性,問題解決,協調性,その他の 21 世紀型スキルの価値について疑 問を持つ者はいないが, 「21 世紀型スキル」の熱狂者はその教授可能性,学びの転移そして テストの妥当性についての難しい疑問には触れずに済まそうとしている傾向がある。経験 豊富な教育者は技能という言葉を望ましい人間の特性に結びつけることは教授可能性を低 めることを認識している。故に,彼らは「共感スキル」などという表現を滑稽だと思うの である。さらに,十分な年限をビジネスの世界にいた教育者にとっては,こうしたスキル・ ムーブメントは「もうそんなことはもうわかってるよ。」という反応を刺激する。「高次の 思考スキル」や過去 60 年間に通り過ぎていった関連するムーブメントと何ら大差ない。」 人が持つ能力(あるいはスキル)をテスト形式で測ることの危うさについて,OECD の 白書執筆に関わった研究者が明言していることに重要な意味がある。テストという方略が 用いられるのはその効率性(少ない労力で,短い時間で出来ること)が重視されているか らであり,本当の意味で「その人ができること」を把握しようとして行われるものではな 1/3 Chapter 20. Knowledge Building and Knowledge Creation: Theory, Pedagogy, and Technology. (Marlene Scardamalia & Carl Bereiter) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). いことを,ここでは暗に言わんとしているのではないか。 3.背景 本章の著者である Marlene Scardamalia と Carl Bereiter は,学習科学の発展にその黎 明期から貢献し続けている研究者たちであり,知識構築(Knowledge Building)理論の提 唱者であるとともに,協調学習支援システムの草分けである CSILE(現在では Knowledge Forum と呼ばれる)の開発者でもある。Bereiter は,1960 年代にはアメリカ合衆国のヘッ ドスタート計画に関わり,セサミストリートの原型となる教育プログラムの開発に関わっ ていた。その後,Scardamalia とともに writing の研究で認知科学や教育研究領域にてその 名を馳せていた。さらに,1980 年台後半より彼らは協調学習支援研究に従事するようにな り現在に至る。また近年では Scardamalia が OECD の 21 世紀型スキルに関する白書の作 成に関わるなど( 『21 世紀型スキル: 学びと評価の新たなかたち』(北大路書房)の第3章 を参照) ,長きにわたり学習研究や教育研究に大きな影響力を及ぼし続けている。 4.日本への示唆 知識構築はとかく難しく考えられがちである。それは,理想とする学習環境がとても手 が届かない感じがすることや,そもそもその背景にある学習理論が難解かつ抽象的に見え るからかもしれない。しかし知識構築の背景にある学習メタファは,人が本来持っている 学びの性質を尊重するものであり,実は身近なものであると訳者は考える。例えば稲垣・ 波多野(1989)が述べているように,人は自分が必要だと感じたり,興味を持ったりする 物事に対しては,多少の困難があっても粘り強く努力をしたり,他者の力を借りたり,他 者と協調しながら学んでいく力を持っている。この力を最大限に活かしつつ学びを深め・ 高めることを目指すのが知識構築が実現したい学びの姿ではないだろうか。 では,これがなぜ難解で手の届きにくい存在になっているのか,訳者がこれまで見聞き した事柄を整理すると,大きく次の2点に集約できる。ひとつには学校という教育システ ムの存在である。学校教育における教授主義や効率化の優先により,子ども達が先述のよ うな学ぶ力を発揮にくい状況に陥っているのである。とはいえ,知識構築は学校教育を否 定しているわけではなく,むしろ学校教育においてどのように知識構築的学習環境を整え るかを探求し続けている。それは幼稚園から大学院に至るまで,実践研究が広く学校教育 現場で行われていることから明らかである。 そしてもうひとつには,知識構築実践研究で得られた知見をはじめからまるごと自分の 実践に活かすには大変な人的・時間的コストが掛かり,とても実現できそうにないからで ある。Scardamalia と Bereiter の研究チームは,先にも紹介したとおり非常に長い歴史を 持っている。そこから得られた知見も膨大かつ深いものであり,新参者にはとっつきにく いのも確かである。そこで,いきなり全てを整えようとするのではなく,できそうなこと から少しずつ始めてはどうか。知識構築のみならず,最近広まりつつあるジグソー法でも 2/3 Chapter 20. Knowledge Building and Knowledge Creation: Theory, Pedagogy, and Technology. (Marlene Scardamalia & Carl Bereiter) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 全く同じことであるが,型どおりにやることばかりを求めると結局のところ手段が目的と なり,本来の目的を見失うことになる。本文中にも書かれている「lethal mutation」に陥 ってしまう。これを避けるには,まずは現状の何が問題でそれをどう良くしたいのか?そ れによりどんないいことが起こるのか?をよくよく考え,一番重要な部分について自分の できる範囲で改良を加えるのが得策だろう。そして,その改良を繰り返していくことによ り,段々と知識構築的な実践に近づくことができるようになる。 参考図書:以下の文献は知識構築を理解する上で役立つ 1. 教育工学選書「学びのデザイン:学習科学」 (ミネルヴァ書房,in press)の第7章「知 識創造メタファに基づく学習理論」(大島律子著) :知識構築とは何か,他の学習理論 との違いも踏まえつつ解説している。 2. 教育工学選書「学びのデザイン:学習科学」 (ミネルヴァ書房,in press)の第 10 章「協 調学習理論に基づく授業設計の理解」(大島律子・大島純著):知識構築の考え方に基 づき,16 年にわたり授業デザインの改良が行われた様子が記述されている。 3. The International Handbook of Collaborative Learning(Rutledge 出版,2013)の 第3章「Sociocultural Perspectives on Collaborative Learning: Toward Collaborative Knowledge Creation 」( Hakkarainen, K., Paavola, S., Kangas, K., & Setiamaa-Hakkarainen, P. 著):知識構築と知識創造を融合させた学習環境デザイン の紹介がされている。 引用文献 稲垣佳代子・波多野誼余夫(1989) 『人はいかに学ぶか-日常的認知の世界』. 中公新書. 3/3 Chapter 21. The Social and Interactive Dimensions of Collaborative Learning. (Naomi Miyake & Paul A. Kirschner) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 21 章 協調学習の社会相互作用的側面 益川弘如(静岡大学) 1.章の要約 本章では,学校の授業場面において効果的な協調学習を実現するために三宅と Kirschner 双方の立場からの研究が紹介されている。両者の研究を統合すると,協調学習が成功する ための鍵は,何を共に解決しようとしているかの「課題」をグループメンバーで共有する ことである。課題が共有された時には,人が生まれつき持っている学ぶ力である,建設的 相互作用が引き出されやすい。その際に各自提案した解は,初期スキーマが異なるため必 ず相手と異なるが,議論の余地のあるものとなる。そこで考えを相互吟味し,より深い理 解が見つかる視点にシフトし,初期の考えより抽象的科学的な形に変化する。この過程で は,分かった状態と分からない状態を繰り返していくが,そこでの課題解決の漸進が,活 動の「効果」を感じることつながる。 Kirschner と三宅は研究アプローチが異なる。Kirschner は,協調学習時によく出現する 現象群の関係を,アンケートで活動者の認識を問うて傾向を整理するトップダウンアプロ ーチである。一方,三宅は,協調学習時にそもそも何が起きているか,簡単には捉えられ ないプロセスを少人数の発話データから見出していくボトムアップアプローチである。 Kirschner は複数領域の研究成果を整理してチームが有効となるモデルを立てた。そのモ デルとは,人間関係,タスク結束,グループ効果,心理的安心,の 4 つの社会的要素がチ ーム学習行動を決め,そこで認知が共有され,チームとして有効に機能するというモデル である。この4要素のうち,どれが中心的な影響を与えているか調査した結果,課題共有 のタスク結束と,グループ効果を感じることの重要性を見出している。 三宅は,ペアでミシンはなぜ縫えるのかを話し合う実験から,理解にはレベルがあり, 課題解決過程では,ある機能の機構についての対話が,次にその機構の機能の機構につい ての対話に繋がり,理解レベルが深まっていくという機能-機構ハイエラルキーの枠組みを 示している。この仕組みが,人が生まれつき持つ理解を深めるメカニズムだとし,この建 設的相互作用がより多く発現する学習環境のデザインとして,知識構成型ジグソー法を開 発し実践成果を挙げていく様子が紹介されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 テクノロジの進展により一人ひとりの学習者に合わせたカスタマイズができるようにな っている。学習科学研究では社会的な学習や協調学習が強調されているが,カスタマイズ された個人学習の利点と,協調学習の利点が両立できるのかという疑問に対して,「これら は補完的で統合できる」という一文である。協調的な学習環境は,知識や意味の共同構成 を行っていると同時に,個々人単位では,個々人なりの理解を深め,そしてその経験から 持続的な学習に向けてのスキルも獲得していると考えられる。そのため,今後重要となっ Chapter 21. The Social and Interactive Dimensions of Collaborative Learning. (Naomi Miyake & Paul A. Kirschner) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). てくるのは「個人に合わせたカスタマイズ」という考え方を,個別学習と協調学習を分離 し並列に扱って前者に利用するのではなく, 「知識や理解は社会的に構成されるもの」とい う学習科学の研究成果を基盤として,協調学習の文脈の中で一体的に検討していく必要が あるだろう。 3.背景 これまでの協調学習研究に偏りが見られたという反省点がある。従来 CSCL 等どのよう な技術的支援が可能かという「技術的側面」や,どのような教授法・手法が効果をもたら すかの「教授学的側面」が強調されていた。重要な要素ではあるが,前提として想定され る「学習者モデル」が強力でなければ,適切な支援が実現できない。それに対して本章で は,効果的な協調学習を実現するための「学習者モデル」の定義につながる知見を提供し ているのが強みであろう。 4.日本への示唆 学習の社会的相互作用的側面は,これからの学校教育における育成すべき資質・能力に 深く関わっている。最近,アクティブ・ラーニングという呼び方で教育改革が進んでいる が,本章の知見を基盤とした設計が強く求められるだろう。 国内において,実践成果のスケールアップにつながる「デザイン実施研究」として学校 現場,教育委員会,教育行政,そして研究者がコミュニティを形成して取り組んでいく必 要がある。今後は,両者の研究アプローチを相互作用させて,利用普及可能なアイデアを 創り出していくことが重要である。例えば Kirschner のアプローチからの知見は,協調学 習の成功条件という測定要素が提示されたことに価値があるが,解答者が実際体験した協 調学習の質との関係が明確ではないため,学習環境の改善方法の提案につながるデータま ではもたらさない。なぜならそれら要素は直接教授できないからである。一方,三宅のア プローチからの知見は,具体的な学習環境のデザインと分析成果との関係を見出すことが できる。しかし,コストがかかる評価方法である。今後は ICT なども駆使しつつ,人の学 びの原理を生かした協調学習を実現していくための枠組みを「デザイン実施研究」を基盤 に研究し続ける必要がある。 Chapter 22. Arguing to Learn. (Jerry Andriessen & Michael Baker) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 22 章 学ぶための議論 富田英司(愛媛大学) 1.章の要約 議論(argument)は古い歴史を持つ,認知的営みの根幹にかかわる社会的過程である。 本章は,協同学習の一側面として,人が学ぶためにおこなわれる言語的相互作用に関する 学習科学の知見を要約している。本章で,検討されたのは,議論の活動において,人々の 論理的な主張を組み立てる能力にどのような個人差がみられるか,そのような能力はどの ように促進することができるか,さらにどのような学習環境において議論の能力を高める ことができるかといったテーマである。特に,本章の後半では,コンピューターを用いた 議論を媒介とした学習の試みについて検討することに力点が置かれている。人々が持つ議 論のための能力についてこれまでの実証研究でわかったのは,人々は理論から根拠を区別 するが苦手であり,自分と異なる立場を検討することをほとんどしないということである。 また,議論に参加することによって,人間関係が脅かされるため,人々は気兼ねのない相 手以外とは議論することを避ける傾向が強い。これまでの教育研究で明らかになったこと は,すべての学習者のためになるような協同的活動の枠組みの中で議論がおこなわれる時 に学習効果が最大になるということである。学ぶための議論は協同的活動に埋め込まれ, 理解や他者との共有を求める願望に駆り立てられた場合に最も効果的である。オンライン 上での協同的議論において,学習効果を上げるには,ソフトウェアを利用するために必要 な学習が最低限であること,学習者が自分や集団の議論過程を把握しやすいように足場か けをすること,協同的議論の過程が教師によって把握できるよう効果的に情報提供できる ようなインターフェイスを設計すること等が挙げられる。 2.面白いと思った一文とその理由 「これらのシステムはなんらかの意味で生徒の議論を足場かけしようとしている。ある システムは対話におけるそれぞれの生徒の役割や関係に構造を提供することによって,別 のシステムは議論マップにおける表現について新しい複数の方法を提供することによって, あるいは議論の構造と内容を生徒が操作可能にすることによってである。 」 これは「電子環境における協同的議論」と いう見出しで始まる節の後に,それから紹介 するシステムの共通点を説明したものである。コンピューター・システムを用いる場合に も,口頭での直接的な交流においても,教師やピアによって初学者に足場かけが必要であ ることは変わらないことを示している。ここで興味深いのは,コンピューター・システム を媒介とした足場かけにはいくつかのアプローチが存在することである。 アプローチ 1 は, 議論の参加者が議論内容の共同理解を促進するような情報をインターフェイスから提供す る方法である。この方法は,学習者同士の共同注意の成立を支援している。アプローチ 2 Chapter 22. Arguing to Learn. (Jerry Andriessen & Michael Baker) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). は,本章で最も有効であるとされている方法であり,議論過程で起こっていることを教師 が効果的に把握することを促進し,学習者同士の議論に教師が参加していないにも関わら ず,教師が議論の内容を共有し,適切な介入を支援するという方法である。この方法は, 学習者同士ではなく,学習者と教師の間の共同注意の成立を支援している。最後のアプロ ーチ 3 は,今後もしかすると,発展するかもしれないアプローチであり,コンピューター 上にプログラムされたエージェントが議論参加者とのバーチャルな「共同注意」を成立さ せ,議論参加者の学びを足場かけするという方法である。社会構成主義の視座からすれば, 人が本質的な学びを経験するためには,学習者と教師もしくはピアの間の相互主観性の成 立とそれを通して実現する足場かけが不可欠である。そのことから考えれば,あらゆる学 習用システムは,足場かけをどのように実現しようとしているかという観点から分類する ことで,これまでの,そしてこれからのコンピューターに支援された学習環境の発展を理 解し,今後のさらなる開発の方向性を占うことが可能かもしれない。 3.背景 足場かけは効果的な教授法を探る過程で,母子間の相互作用にこそすぐれた学習の原点 があることを見出し,それをチュータリングに援用したことから始まっている。そして, その足場かけが成立する最も基本的な前提が学習者と教授者の間の共同注意である。共同 注意が成立しているからこそ,教授者やピアは,Wood, Bruner & Ross(1976)が次の 6 つのように当初想定した足場かけの役割が果たすことができる:(1)チューターが定義し たのと同じ課題への関心を子どもから引きだす, (2)課題を単純化することによって問題 解決に必要なステップの数を減らし,学習者自身がプロセスの要素を管理し,いつ課題が 要求するものに達したのか認識できるようにする, (3)子どもの動機付けと活動の方向付 けを通して,目標の追求を維持する,(4)子どもが生産したものと理想的な解との違いの 決定的な違いを特徴づける, (5)問題解決におけるフラストレーションとリスクを抑制す る, (6)遂行すべき理想的な仕方で問題を解いてみせる。 他方,上の背景から考えると,オンライン上のソフトウェアを利用した議論の足場かけ は,オリジナルの足場かけ概念が想定していたようなお互い意思疎通できているかのよう な場の共有を想定している訳ではないことがわかる。そのため,おそらく議論の組み立て を苦手とする初学者が,上記アプローチ 1 のようにわかりやすいインターフェイスによっ て,自分自身や集団の議論過程に関する情報をフィードバックしたとしても,それをどの ように使うかコンピューターの画面を一緒に眺めながら,本来の意味での足場かけをおこ なう必要があるだろう。従って,アプローチ 1 が功を奏するのは,議論の組み立てとソフ トウェアの利用にある程度習熟し,コンピューターの画面に表示される情報を手に取るよ うに理解できるようになってからと考えられる。そのように,コンピューターによる足場 かけの支援には超えがたい限界があるが,教師に対して学習者の議論過程に関する情報を わかりやすく提供するというアプローチ 2 を採用した Schwarz and Asterhan(2011)のア Chapter 22. Arguing to Learn. (Jerry Andriessen & Michael Baker) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). ーギュノート(Argunaut)は,学習者に対してコンピューター操作への習熟を期待しない 戦略を取っている点が白眉である。 4.日本への示唆 学びのための議論に関連して,日本でその実践を成功させるために最もネックとなるの が,個人主義的で競争的な文化の根深さである。オセアニアや北欧の国々ではいち早く競 争的な学習環境が国家レベルでみたときに効果的ではない方法であることを気づき,教育 実践から競争的な風土を一掃し,個人個人が可能な限り自らの能力を高める方向へシフト した。競争というのは限られたパイを奪いあうということであり,パイそのものを拡大す るような生産的行動ではない。競争的な風土で育まれた個人は,自分の貢献が他の人や地 域社会全体の利益にもなるように努力をすることに価値を置かない。本章では,学ぶため の議論が協同的活動に埋め込まれ,理解や他者との共有を求める願望に駆り立てられた場 合に最も効果的であると主張している。日本でもすでに競争が本質的な学びや生産性に繋 がらないことに気づいている教育者は多いと思われるが,受験勉強,大学教育改革,就職 活動等の多くの文脈において,私たちは競争に巻き込まれて切磋琢磨することが人生で最 も重要な部分であるかのように刷り込まれ続けているのもまた現実である。議論を通して 多くを学ぶ人々を育てるために,まずは教育者自身が個人主義的競争への価値に自らが浸 されて育ったことを自覚し,自らの言動を協同的な価値に向かわせるよう努力し,職業上 の,そして私生活における成功を協同的な方法によって実現することが,ひいては議論教 育の文化的基盤となると考えられる。協同的な文化が浸透するための長大な過程に対して, 一人ができる貢献は砂粒 1 つのようなものであろう。このような過程はいまのところ学習 科学が捉える枠組みとしては長大に過ぎるかもしれないが,本章で述べられたように,議 論実践は文化的制約が強いために,このような観点もまた時に考慮すべきであろう。 5.注意すべき用語 本章では,議論と訳したが,原文では argument, argumentation, arguing とそれぞれニ ュアンスを持って表現されている。これらは文脈によって,根拠に支えられた主張,攻撃 的な論争,話し合い,立論等の意味で用いられている。argument とその派生語をそれぞれ の文脈に応じて分けて別の用語を当てるのが,意味的な忠実なのかもしれないが,混乱を 招くこともあるので,これらに一括して与えられる訳語として議論を選んだ。議論という 用語は日本では,話し合いという意味で用いられることが多いが,argumentation theory に対して議論学という定訳がある上に,議論は社会的過程にも個人的過程にも当てはめる ことができるので,それを当てた。 Chapter 23. Informal Learning in Museums. (Kevin Crowley, Palmyre Pierroux, & Karen Knutson) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 23 章 ミュージアムにおけるインフォーマルな学習 縣 拓充・岡田 猛(東京大学) 1.章の要約 ミュージアムは長きにわたって展示物の収集と保存がその第一の役割であり,モノ中心 の場であったが,20 世紀になって以降,次第に来館者の学習の場としても認識され始めた。 ミュージアムを舞台にした学習研究は,他の学習研究のパラダイムと同様に,行動主義, 構成主義のアプローチを経て,現在はグループにおける「会話」に注目した社会文化的ア プローチを採用したものが中心となっている。本章では特に 3 つ目アプローチをとった研 究知見について, 「家族での来訪」および「学校での来訪」という 2 つの場面に焦点を当て て概観している。 家族は,様々な目的を持ってミュージアムを訪れる。親はミュージアムにおいて,子ど もとの関係性の中で様々な役割を演じるが,しばしば子どもの展示物からの学習を媒介し, 足場かけするような会話や説明を行う。2 節では,それら子どもの理解・学習につながるよ うな親子のインタラクションを促進する展示情報,あるいはテクノロジーに関する実証的 研究が,詳しくレビューされている。 ミュージアムを含むインフォーマルな学習環境は,学校とは大きく異なる特徴や価値観 を有している。そのため,学校でミュージアムを来訪する場合には,学校のように知識や 概念を獲得させることと,ミュージアムが得意とする,展示物を通しての観察や発見を促 すことのどちらを優先すべきか, あるいは 2 つをいかに両立させるかが議論になってきた。 また,ミュージアムでの体験と教室での学習をいかに橋渡しするかということも課題とな っている。3 節では主にこれらの問いに関わる研究知見が紹介され,ここでも新たなテクノ ロジーの利用が一つの突破口となっている。 近年,ミュージアムに関わる教育実践では,来館者の「対話」や「自由な解釈」を重視 した活動が一つのトレンドとなっているが,子どもにただ自由に展示を体験させるだけで は,意義ある学びは決して生起しない。どのような場面においても, 「展示物を中心とした ミュージアムのユニークなリソース」 「意味のある探索や協働を促す学習環境のデザイン」 そして「親や教師,エデュケーターら大人による適切な足場かけ」の 3 つの要素をうまく 組み込む必要があることが,本章全体を通じて述べられている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「先行研究は,学校のフォーマルな教育の要求を満たす,学習成果につながるような教 授型のアプローチと,ミュージアムにおいて価値の置かれている,インフォーマルな学習 や社会的スキルを促すアプローチ,例えばアート作品や歴史の物語,科学のトピックに関 して探求をしたり,発見をしたり,観察をしたり,説明を精緻化したりといった活動との 間のせめぎ合いを指摘してきた」という一文(p467)。学校行事としてミュージアムを訪れ 1/2 Chapter 23. Informal Learning in Museums. (Kevin Crowley, Palmyre Pierroux, & Karen Knutson) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). る際には,その体験を何らかの形で学校のカリキュラムと関連づけることが求められる。 この一文は,そのような場面において,ミュージアムの強みが必ずしも活かされず,学校 文化の学習パタンがそのまま導入されてしまう傾向があることを指摘している。またこの 文は,ミュージアムにおける体験の意味や,学校との有意義な連携のあり方について我々 に考えさせてくれる。 3.背景 1990 年代半ばまでは,学校での学習(formal learning)の研究や家庭での言語獲得等 (everyday learning)の研究はさかんに行われていたが,学校外の学習環境(ミュージア ムのように学習がデザインされた環境)における学習(informal learning)については体 系的な実証研究がほとんど行われていなかった。著者らはそこに着目し,ミュージアムに おける学習に関わる研究をスタートさせた。彼らは当初,「親子」を分析のユニットとして 扱い, 「ミュージアムの学習環境では,展示物を媒介として,親子の会話が子どもの学習を 促進する」という仮説のもとに研究を展開し,ミュージアムにおける心理学的研究の先駆 けとして多くのユニークな知見を得た。現在は,ピッツバーグ大学の中で UPCLOSE とい うプロジェクトを立ち上げ,ミュージアムを中心とした学校外のインフォーマルな学習に 関 わ る デ ザ イ ン 研 究 ( Design-based research ) を 積 極 的 に 展 開 し て い る 。( 参 考 : http://upclose.pitt.edu/) 4.日本への示唆 近年,我が国においても美術館における鑑賞教育などは積極的に行われているが,日本の ミュージアムを舞台にした実証的な研究は驚く程に少ない。とりわけ,学校でミュージア ムを訪れるプログラムは,多くの美術館・博物館が実施しており,実践レベルでは多くな されているにもかかわらず,研究者がそこでの学びを検討することはほとんどない。それ ゆえに,ミュージアムにおける実証的な研究をまとめた本章は,そこでの学びがどのよう なものかという内実とともに,それをどのように実証的に検討するかという方法論の面で も,きわめて示唆に富む内容だと言える。また,独自の展開の仕方をしてきたように思え る日本のミュージアムの教育普及活動であるが,本章を読む限りいくらか時差はあるもの の共通点も多く,決してガラパゴス化した状況にあるわけではないことが確認でき,その 点でも興味深い。 2/2 Chapter 24. Computer-Supported Collaborative Learning. (Gerry Stahl, Timothy Koschman & Daniel Suthers) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 24 章 コンピュータに支援された協調学習 加藤浩(放送大学) 1.要約 本章は CSCL とは何で,何を対象にして,何を目指しているかという定義から始まる。 とくに,類似の概念である Cooperative Learning と Collaborative Learning の違いについ て論じている。そして,CSCL が歴史的にどう発展してきたかを解説している。CSCL をコ ンピュータ利用教育の歴史に位置づけ,研究対象が個人の認知過程から社会的な相互行為 へと変化してきていることを述べている。 次に,CSCL における学習と技術の相互作用について論じている。CSCL が伝統的な教育 心理学と認知心理学とは一線を画し,学習を個人の頭の中で起こることではなく,実社会 で行われている意味交渉と捉えており,デザインの目標がグループの意味生成の実践を促 進するテクノロジー(人工物と活動と環境)を作り出すことであると宣言している。ただ し,実践とテクノロジーとは相互構成的な関係にあり,それゆえ,CSCL デザインには意味 生成の実践を詳細に分析すること(エスノメソドロジー)が重要であると主張している。 最後に,CSCL を研究する際の方法論には,実験室実験,観察記述,デザイン実験という アプローチがあるが,将来的にはそれらのハイブリッドな研究方法論が生まれるだろうと いう期待を述べている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 “Descriptive methodologies are well suited to existentially quantified claims.” ( 「CSCL の複合領域性」の項目) CSCL 研究において少数の事例を質的に詳細に分析する研究アプローチは不可欠のもの である。しかし,この質的アプローチには限界もある。そもそも,質的アプローチと量的 アプローチでは主張できることが異なるのである。そのことをこの一文は極めて端的に言 い切っている。すなわち,質的(記述的)アプローチでは,主張したい命題を P とすると ∃xPx ということしか言えない,ということである。一方,量的アプローチではなるべく広 くサンプルをとることで∀xPx,すなわち,一般法則の主張を目指している。ならば,質的 (記述的)アプローチをとる論文のストーリーは大別して 2 つしかないであろう。∀xPx という状況に対して∃x¬Px を示すことと,∀x¬Px という状況に対して∃xPx を示すこと である。前者は従来一般に認められている P という理論を仮想敵に見立て,その反例を示 すことで P を攻撃するストーリー,後者はこれまで不可能であるとされていたことが,何 らかの介入によって可能であることを具体例で示すストーリーがその典型であろう。本論 では後者の因果関係を示すのには向かないと書かれているが,トライアンギュレーション を行って,丹念に追跡すれば信頼に足るだけの妥当性を持って因果関係を示すことは可能 であろうと筆者は考える。ともかく,この一文は質的・量的アプローチの問題に悩む研究 1/2 Chapter 24. Computer-Supported Collaborative Learning. (Gerry Stahl, Timothy Koschman & Daniel Suthers) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 者にスッキリとした見通しを与えるものであることは間違いない。 3.背景 本章の著者らは,CSCL の最も初期の立ち上げ時期から中心的に活動をしている CSCL 界の大御所である。本章にも書かれているように,CSCL の国際会議は学習科学の国際会議 と毎年交互に開催されており,極めて密接に関連している。 4.日本への示唆 本章は相互行為的達成としての学習・知識という認識論に貫かれており,かなりラディ カルな主張を含んでいる。しかし,旧来の認知主義的認識論に捕らわれている人にとって は(意味の分からない部分を系統的に無視すれば)凡庸な主張のように見えるかもしれな い。したがって,本章を正しく理解するためには社会的認識論を理解することが必須なの であるが,残念ながら本章だけではそれは難しいであろう。むしろ,それは前提知識とし て読者に委ねられている。そこで,それに馴染みのない方には,エスノメソドロジーの基 礎(e.g. 前田・水川・岡田(2007) )や社会構成主義の解説書(e.g. ガーゲン(2004)), およびそれの基礎としての後期ウィトゲンシュタインの哲学(e.g. リンチ(2012) )などを 学ぶことをお薦めする。困ったことに,これらはいずれも難解なので,相応の覚悟を以て 臨む必要がある。実際,我が国の CSCL を標榜する研究者の中にも,都合良く曲解して認 知主義的認識論の亜種のように捉えているものは少なからずある。ぜひ正しく理解して, 本章の深い含蓄を味わってほしい。 5.注意すべき用語,重要な訳語 Interplay は相互作用,Interaction はエスノメソドロジーの慣習に倣って相互行為と訳 した。 参考図書 ケネス. J. ガーゲン (著) 東村知子 (訳). (2004). 『あなたへの社会構成主義』. 京都: ナカ ニシヤ出版. マイケル リンチ (著) 水川喜文・中村和生 (訳). (2012). 『エスノメソドロジーと科学実践 の社会学』. 東京: 勁草書房. 前田泰樹・水川喜文・岡田光弘. (2007). 『エスノメソドロジー: 人びとの実践から学ぶ』. 東 京: 新曜社. 2/2 Chapter 25. Mobile Learning. (Mike Sharples & Roy Pea) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 25 章 モバイル学習 北澤 武(東京学芸大学) 1.章の要約 本章では,モバイル学習について,歴史的背景やこれに関連する諸理論(学習と対話 Miyake & Kirschner, 本巻 21 章; Andriessen & Baker, 本巻 22 章; Stahl, Koschmann, & Suthers, 本巻 24 章) ,メタ認知(Winne & Azevedo, 本巻 4 章) ,CSCL(Stahl et al., 本 巻 24 章) ) , 教室内での学習 (Colella, 2000),教室外での学習 (Lonsdale, 2011; Facer, Joiner, Stanton, Reid, Hull & Kirk, 2004; Vavoula, Sharples, Rudman, Meek & Lonsdale, 2009) の実践事例を取り上げながら,今後の動向や課題について述べている。 モバイル学習の動向について,教室内のフォーマルと教室外のインフォーマルの学習環 境それぞれの強みを併せもつ学習の機会を提供することが述べられている。具体的には, ネットワーク接続により,教室内と教室外,学問的要素と学問以外の要素,カリキュラム と課外教育活動,学内と学外活動などをシームレスに統合させ,学習の文脈を把握できる ようにすることが挙げられている。これにより,児童生徒の学習支援のみならず,教師が 児童生徒の個人間,グループ間,および,クラス全体の活動をうまく管理することが可能 になる。 一方,モバイル学習の課題として,情報過多,執拗な接続から逃れたいというニーズ, 有益な知識と背景データノイズとをフィルターにかけて選別するスキルの必要性といった 問題を解決することが挙げられている。加えて,公教育において,子供たちが生涯にわた り文脈に即した意味づけができるように準備したり,学校外での学習から獲得した知識や 経験の宝庫を活用できるような支援をしたりするために,モバイル機器を利用した学習を 促進させることができるよう,教師が自身の役割を理解しながらスキルを身につけていく 必要性を述べている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「モバイル学習は『人同士の複合的な文脈を超えた対話や探究,および,個人向け双方 向テクノロジーを通じて知識を習得できるようになるプロセス』とみなせるようになる (Sharples, Taylor & Vavoula, 2007 より一部変更して転載) 」 (p.513)の一文である。 わが国の現行の学習指導要領では,子供たちの「生きる力」を育むために, 「基礎・基本 的な知識・技能」, 「知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・ 表現力等」, 「主体的に学習に取り組む態度」の 3 要素に着目しながら, 「確かな学力」を育 成することを目指している。本章では「対話」や「他者との知識共有」が学びのあり方と して述べられているが,上記の一文にあるモバイル学習が公教育で実現できれば,わが国 が目指す「確かな学力」の育成や児童生徒の深い学びを促す一助になると考えられる。 また,上記のモバイル学習を実現させるためには,モバイル機器,ソフトウェア,学校 1/2 Chapter 25. Mobile Learning. (Mike Sharples & Roy Pea) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). の ICT 環境整備といった技術的側面の発展と,教員の ICT 活用指導力向上,さらに,学習 プロセスの分析手法の追究などが急務であり,企業と教育現場,研究機関の連携が一層求 められることに気づかされる。 3.背景 アラン・ケイ(Alan Kay) (1972)の「A Personal Computer for Children of All Ages (あらゆる年齢層の子供のためのパーソナルコンピュータ) 」の論文の中では,子供たちが ワイヤレスでインターネットに接続されたダイナブックを使って,共有シミュレーション ゲームに興じている未来予想図が示されている。約 40 年が経過した現在,技術の進歩に伴 い,これが現実可能となっている。学習科学の研究では,学習者が教師,専門家,または 学習者同士の対話によって,学習者が理解しつつある内容を外化できるようにしたり,こ れを要求したりすることが学習につながると論じられている(Miyake & Kirschner, 本巻 21 章; Andriessen & Baker, 本巻 22 章; Stahl, Koschmann, & Suthers, 本巻 24 章) 。モバ イル学習の進展により,このような対話をいつでもどこからでもできるようになった。し かし,公教育において,対話による学習を目指したモバイル学習を実現するためには,実 践の蓄積や教員のスキル向上などの課題があるため,継続的な研究が求められる。 4.日本への示唆 将来,学習者に一人一台のタブレット端末を所持させることを目指す公教育において, ネットワークを介して,人同士の複合的な文脈を超えた対話や探究を実現したり,個人向 け双方向テクノロジーを通じて,学習者が知識を習得するプロセスを把握できたりすると いうモバイル学習の方向性は,わが国においても重要な示唆となろう。また,本章では, 子供たちにモバイル機器を持たせるデメリットも幾つか述べられており,教師がモバイル 学習で起こりうるデメリットと有益な利用方法を理解しながら,児童生徒の学びを促進で きるような指導力を身につける必要性も謳われている。これらの示唆から,わが国におい て,技術的な発展が期待できるような環境整備と ICT 活用指導力向上を目指した教員養成 カリキュラムの改善が行われることを願う。 2/2 Chapter 26. Learning in Virtual Worlds. (Yasmin B. Kafai & Chris Dede) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 26 章 バーチャルワールドにおける学び 森田裕介(早稲田大学) 1.章の要約 バーチャルワールドとは,多人数参加型ゲームなどで知られているオンライン共同体の ことである,本章では,教育用に開発されたバーチャルワールドを事例としてデザイン研 究の成果が紹介されている。まず,代表的な教育用バーチャルワールドである,クエスト・ アトランティス,リバーシティ,エコミューブ,ホワイビルなどを事例として,学校の内 外で行われた実践研究における学びのデザインについて述べている。バーチャルワールド では,科学実験などに加えて,伝染病などの社会現象をシミュレーションできることや, 学習者の積極的関与を促進できることなどが詳細に説明されている。次に,バーチャルワ ールドへのアクセスログを用いた分析と評価の可能性について述べている。バーチャルワ ールドにおける生徒らの行動や発言はすべて記録されており,膨大なデータを分析するこ とによって,学びのプロセスを明らかにすることができる。また,個別化ガイダンスシス テムを用いることで,個々の学習者にカスタマイズしたメッセージをフィードバックした 事例についても触れている。最後に,バーチャルワールドの将来展望についてまとめてい る。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「バーチャルワールドには, 積極的関与(engagement) ,喚起(evocation) , 証拠(evidence) という 3 つの E があるため,形成的評価と総括的評価の双方に対する独特の将来性を提供 する」 (p. 532)は,バーチャルワールドの特性を的確に述べている。特に,学習者が意識 的かつ無意識的に行ったすべての行動記録(アクセスログ)の分析は,学習科学において 重要な知見をもたらすだけでなく,新しい評価の創出につながる。 3.背景 Yasmin B. Kafai は,1990 年代中頃から子どもたちの学習にコンピュータゲームデザイ ンやプログラミング(Scratch)を取り入れた研究を行ってきた。バーチャルワールドに関 する研究だけでなく,シリアスゲームなどの研究も行っている。Chris DeDe は,バーチャ ルワールドで科学的な考え方を学ぶエコミューブや AR(拡張現実)機能を実装した野外観 察用モバイルツールエコモバイルなどの研究を進めている。 21 世紀型スキルや NGSS (Next Generation Science Standards)と関連した新しい環境学習カリキュラムとして,EcoEXP プロジェクトを立ち上げている。 4.日本への示唆 日本には,本章で取り上げられるようなバーチャルワールドは存在しない。バーチャル 1/2 Chapter 26. Learning in Virtual Worlds. (Yasmin B. Kafai & Chris Dede) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). ワールドでなければ体験できない実験・観察等を組み込んだ,統合的な多人数参加型のオ ンライン学習環境を構築し,授業実践等で活用していくことを検討する必要がある。 5.注意すべき用語 MUVE:MUVE とは,多人数が同時にオンラインアクセス可能な仮想環境のことで,バ ーチャルワールドとほぼ同じ意味で使われることもある。文中のエコミューブは,環境の Eco と MUVE(Multi-User Virtual Environment)を重ねた造語である。 2/2 Chapter 27. Research in Mathematics Education: What Can It Teach Us about Human Learning? (Anna Sfard & Paul Cobb) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 27 章 数学教育における研究:人の学びについてそれは何を教えてくれるのか? 山路茜・藤村宣之(東京大学) 1.章の要約 本章では,入出力モデルによる指導法と成績の因果関係に焦点化された 20 世紀前半以降 の,変容プロセスに焦点化されるようになった数学教育という学問分野において,数学と は何か,数学を学ぶとは何を意味するかという点でアプローチの異なる研究の展開を,獲 得主義・参加主義という説明枠組みによって詳述している。 獲得主義による研究とされるのは,構成主義に端を発する,学びを概念の変容と捉える 研究である。ここでは数学は数学者によって発見され構成された知識の外的な体系であり, 学び手によって獲得され再構成される対象と考えられている。誤概念や学習モデルの研究 がこれにあたり,生徒の示す誤りには教室・学校・国を超えた一貫性がみられることや, それは教え方の失敗によるとは限らないことが示唆されている。 一方,非西欧の社会におけるエスノグラフィーによる研究が注目されると,人の知能発 達が不変ではないことが証明され,文化・状況横断的であると認識されるようになる。学 ぶということは人々が生まれた時代や文化を特徴付ける活動への十全的な参加者となるこ とであると再概念化されることで,参加主義と呼ばれる研究が出現する。 参加主義はビデオなどの技術的な革新とともに発展する。ある立場では,数学の学びを 実践の変容プロセスと捉え,教室研究が行われる。例えば,教室で頻発する行動様式を特 徴付ける教室規範の視点によって,教室での数学の実践は教室内の相互作用を経る中で変 化することが示される(Cobb et al., 2001)。その相互作用を通じて,生徒の学びのプロセ スはもちろん,教師の学びのプロセスが実践の文脈に即して探究される。 別の立場では,ルールで支配されたコミュニケーションである談話が,学びにおける変 容の対象として捉えられる。この分析では,出来事が生起したその時点では気がつかない 豊富でかなり詳細な次元での,学びに対する発見がもたらされる。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「個々の生徒の学びに加えて,共同的と呼ばれる型の学びがあり,それは物事の受け入 れられやすい学びの作法として教室で考えられる全体的な変容を含んでいるからである。 そして,中心的には注目されてこなかったが,かつてより検討されてきた教師の学びがあ る。 」 (p. 554) この一文は教室における学びの複層性を簡潔に指摘する。生徒の自力解決,小グループ での生徒どうしの支え合い,教師が介在する学級全体での議論など多様な場面での学びの 主体とその様相のイメージを浮き彫りにし,誰が何をどのような状況でどのように学んで いるのかを明確にすることが教室での学びを探究するうえで重要であることを想起させる。 1/2 Chapter 27. Research in Mathematics Education: What Can It Teach Us about Human Learning? (Anna Sfard & Paul Cobb) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 3.背景 第 1 著者の Anna Sfard は, “On two metaphors for learning and the dangers of choosing just one.”(1998)において,学びのメタファーとして「獲得メタファー」と「参加メタファ ー」を提唱したことで著名な研究者である。本章はこの 2 つのメタファーを数学の学びに 対するアプローチを整理するために応用したと考えられる。彼女自身は学びを談話の変容 と捉え,数学はよく定義された独特なコミュニケーションの形式をもった談話であるとす る立場をとる。第 2 著者の Paul Cobb は教室を談話のコミュニティと捉え,教室における 生徒や教師の学び,さらに指導デザインの実証的研究を行っており,教室規範(p.554 参照) やデザイン実験(p.555 参照)など,数学の教室談話研究において著名な研究者である。い ずれの著者も変容のプロセスに価値を置き,本章はその価値観のもとに近年の数学教育研 究が整理されたものであるといえる。 4.日本への示唆 数学を学ぶとは何を意味するかという捉え方により,生徒の学びや実践の価値づけが変 わること,そして教室には生徒の学びだけでなく,共同的な実践そのものの変容や教師の 学びがあるというダイナミクスを,本章から知ることができる。しかし,実践現場におい て学びをどのように定着させられるかについては,読者に委ねられている。 また,獲得主義と参加主義の研究の相補性の指摘に留まり,両者の関係が語られていな い。参加主義の研究では,談話の変容として学びのプロセスを文脈に即して客観的に捉え られるが,個人の数学の概念がどのように深められたのかを捉えるのは容易でない。獲得 主義が重視する個人の内的な概念の変容に,参加主義が描き出す集団およびその中の個人 の学びのプロセスがどのようにつながるのかを明らかにすることが,今後必要なのではな いか。談話に表れてこない非発言者が自己内対話を通じて学ぶプロセスに着目することも また重要である。 5.注意すべき用語,重要な訳語 獲得主義(acquisitionism)と参加主義(participationism)は,学びのメタファーとし ての獲得メタファーと参加メタファーがどちらか一方を選択すればよいのではないと指摘 されるように,二項対立を示すものではなく,研究の志向性に自覚的になるために用いら れた枠組みの内の 2 つであることに注意が必要である。 2/2 Chapter 28. Science Education and the Learning Sciences as Coevolving Species. (Nancy Butler Songer & Yael Kali) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 28 章 ともに進化する種としての科学教育と学習科学 齊藤萌木(東京大学)・山口悦司(神戸大学) 1.要約 本章は,学習科学研究と科学教育研究が互いに影響を及ぼし合いながら共進化してきた ことを,4 つの主題について象徴的な研究例を取り上げて示した章である。4 つの主題とは 科学教育における科学の知識のとらえ方,教授方法,教育の対象,基礎となる学習観であ る。本章では,各主題について象徴的な具体例を紹介しながら,こうした共進化が今後も 2 つの領域に新しい知見をもたらしうるであろうことが示唆されている。あわせて,共進化 の過程から生まれたいくつかのデザイン原則が,科学教育だけでなく他の教科内容につい ての学習環境デザインにも関係する共通の考え方として示されている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「2 つの知識を結びつけたスタンダードを導入することは小さな変更にみえるかもしれ ないが,結果的に私たちは,いざというときに使えない科学の事実に関する知識を記憶す ることから,科学の知識と考え方の両方に関わることをとおして科学の中身を概念的に深 く理解することへ,教育活動の焦点を移行させることへと動機づけられている」(p.569) という一文が印象深かった。研究により得られた知見がもたらす変化は,直接的には大き くはなくても,教育システムの諸要素に連動的に影響を与え,着実に実践の方向性に大き な影響を与えるのだということを,明確に述べている一文だと感じるため。学習科学と科 学教育が「共進化」関係にあるからには,この領域の研究に取り組む際には,常にこうし た見通しを持ち,示そうとする知見が学びをどう変えうるかをイメージしておく必要があ るのではないか。 3.背景 戦後,科学教育には 4 つの改革の波が訪れている(Pea & Collins,2008) 。科学者の主 導 す るカ リキ ュラ ム改革 運 動の 波( 1950s-60s), 認知 科学 によ る基 礎理 論 改革 の波 (70s-80s) ,スタンダード策定の波(80s-90s) ,システム改革の波(2000s-現在)である。 学習科学は,認知科学の基礎理論をもとに,科学教育と共進化しながら,教育方法,学習 評価,教師教育などの様々な要素からなる現在のシステムの改革を支えている。認知科学 は,学習を環境の様々な要素との相互作用をとおした主体的な知識構築の営みとみなす新 たな学びの理論体系を構築してきた。学習科学研究は,こうした理論に基づき,人の学び のプロセスとその支援のあり方を探究する領域であり,主なフィールドとなったのが科学 教育である。学習科学研究の進展に伴い,科学教育の目標も,学習者の視点から,より広 く長期的な視野でとらえ直されつつある。そして,新しい目標に向けた新しい学習環境の デザイン研究をとおして,学びの理論も発展し精緻化し続けている。 Chapter 28. Science Education and the Learning Sciences as Coevolving Species. (Nancy Butler Songer & Yael Kali) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 4.日本への示唆 本章の内容は,科学教育だけでなく様々な領域の教育実践に示唆を与える。2 つの領域の 「共進化」の過程から見いだされた新しい知見は,教育システムの諸要素に連動的に影響 を与えるものだからである。たとえば, 「多様なサイズ・構造の協調的な学習活動を導入す る」というデザイン原則は,1 クラスの人数などの行政レベルの変更,更に中長期的なカリ キュラムデザイン,もちろん 1 時間の授業や単元のデザインにも指針を与えてくれる。本 章では,新しい学習環境に即した学習評価のあり方については詳細に述べられていないが, 「自身に関連のある文脈と学習を結びつける」といった原則は,児童生徒一人ひとりが多 様な先行知識に応じて,多様な活動をとおして知識を構築していく過程を丁寧にみとる学 習評価の重要性も示唆しているだろう。 5.注意すべき用語 Blended Science Knowledge prior knowledge (カリキュラムデザインへのアプローチとして) “general” and “targeted” design strategies (学習環境デザインの視点として)situated perspective Chapter 30. Learning to Be Literate. (Peter Smagorinsky & Richard E. Mayer) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 30 章 リテラシーの学習 犬塚美輪(大正大学) 1.章の要約 本章の目的は,人が読み書く認知プロセスと社会的プロセスについて検討し,学習科学 全体への示唆を得ることである。本性では,伝統的なリテラシー(文字を読むこと書くこ と)を取り上げるが,近年提案されているより広範なリテラシー(メディアリテラシー, 科学リテラシーなど)の研究にも本章の内容が有効であると考えている。 リテラシーに関する知識のうち,一般的知識では,読み書きにおいて基礎的で,領域を 問わず必要とされる知識に注目し,その研究がどのように進展してきたかを概観する。一 般的知識は重要だが,より熟達するとジャンルや領域固有の知識が不可欠になってくる。 物語文と論説文では必要とされる認知的スキルも能力も異なる上に,作品とその評価基準 もまったく異なるものになる。最後に指摘する共同体固有の知識では,実践の共同体に固 有の知識が読み書きに用いられることを示している。同じ領域であっても,共同体によっ て重視される点が異なったり,付加的な要請が加わったりする。 学習科学への示唆として次のような点が指摘できる。まず,読み書きのような複雑な認 知的スキルの学習には,多面的な認知的要素の組み合わせが必要である。ただし,より低 次の認知的スキルが獲得され自動化されなければ,高次のスキルを学習することはできな い。また,こうしたスキルの獲得においては,一般的知識だけではなく,領域や実践の共 同体が本質的な役割を果たす。 2.私が面白いと思った一文とその理由,および背景 筆者のうち,R. E. Mayer は,マルチメディア教材の開発とその学習プロセスの理論化で 著名な研究者である。テクノロジーを中心とした「こういうものが作ってみたいから作っ た」というマルチメディア開発ではなく,学習者を中心とし「学習メカニズムから適切か つ効果的なマルチメディアのあり方を提案する」という立場から「マルチメディア学習の 認知理論」を示している。認知資源や記憶のメカニズムといった観点からマルチメディア 教材の効果を分析・考察し, 「マルチメディアの原則」としてまとめた(Mayer, 2009) 。 一方,P. Smagorinsky は,主に文学の領域での読解・作文について研究し,活動理論と 記号論の立場からリテラシーを論じている。従来,読解は,読み手とテキストの交互作用 として定義されてきたが,Smagorinsky は文化の媒介という観点からの考察を行ない,読 み手とテキストの間で文化によって媒介された符号化活動として読み書きを捉えている (Smagorinsky, 2001)。 本章では,読解の認知プロセスについて概観した上で,領域固有知識と共同体固有知識 の重要性を指摘しているが,本章の特徴は,特に 616 ページ以降にある共同体固有知識の 強調にある,と言ってよいだろう。この点について筆者らは次のように述べている。 1/3 Chapter 30. Learning to Be Literate. (Peter Smagorinsky & Richard E. Mayer) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 「リテラシーに関わる活動では,一般的知識だけでなく,課題固有の知識が特定の領域に おいて用いられる。それに加えて,異なる実践の共同体においては,そこで読み書きする 際に成員が用いる固有の知識が必要とされる。特定の社会的共同体・談話を構成する共同 体においては,異なる要請や習慣が存在するためである。」(p. 616) 伝統的に,認知心理学では「一般的知識」を追求してきた。これに対して,学習科学(近 年の教育心理学)は,領域によって有効な読解方略が異なることやその領域での熟達によ って構築される理解表象が異なることを示すなど, 「領域の知識」を重視する点に特徴があ る。本章では,こうした領域を超え,実践の共同体によって読解方略の違いや,トゥール ミン・モデルではうまく解釈できない「よさ」が発生すること,人種やジャンル(広い意 味での共同体)によって「よさ」の判断基準が異なることが示されている。こうした実践 の共同体の文脈の中でリテラシーを捉える視点自体は実は新しいものではないことも同時 に示されている(本章で引用されている論文の多くが 2000 年以前のものである)ものの, 近年の研究では主流ではなかったと言えるかもしれない。 また,筆者は次のように述べ,リテラシーの発達について提案している。 「より高次の認知的スキルを学ぶ前に,より低次の認知的スキルを学習する必要がある。」 (p.619) 「一般的知識・領域固有知識・共同体固有知識という(略)3 種類の知識は教育カリキュラ ムにおける子どもの発達をなぞるものでもある。 」(p.619) 領域によらないリテラシー,つまり一般的知識が基礎であり,より熟達すると領域固有・ 共同体固有の知識を身に着けていく,という方向性を重視していると言えるだろう。一般 的知識か領域固有か,というように立場を分断するのではなく,より基礎的な知識と熟達 者の知識として統合していく方向性を示すものといえるだろう。 3.日本への示唆 近年のリテラシー研究では,関連知識の量と質や,複数のテキストの統合に関心が向け られつつある。また,読解指導では,CORI(Guthrie ら,1998)をはじめ,オーセンティ ックな課題の中で協働で学ぶことの効果が示されてきた。このように,より高度で本質的 な読みを促進することを目標とした介入研究が多い印象である。しかし,本章で著者らが 指摘しているように, 「一般的知識」の獲得がその前提となっていることにも改めて目を向 けることが必要かもしれない。特に符号化のスキルをどう獲得するかというような基礎レ ベルの読み能力の獲得について,より学習科学的なアプローチが可能か検討することも可 能だろう。 2/3 Chapter 30. Learning to Be Literate. (Peter Smagorinsky & Richard E. Mayer) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). さらに,本章で示された,一般的知識の上に領域固有の知識,共同体の知識,という熟 達過程からは,個々の学習者が必要としている知識がどのようなものかを見極めたうえで, 体系的な指導を実施することの重要性を読みとることができるだろう。 PISA など学力調査の結果を受けて,読解力の「熟考・評価」の側面や, 「説明する」 「プ レゼンテーション」に注目が集まっている。一方で,これまで読解研究で蓄積されている 方略をはじめとした一般的知識やスキルの指導が十分体系的になされるようになっている わけではない。さらに,本章でも提案されているように,領域によって有効な方略や,課 題の場面や教科によって異なるスキルは明示されにくく,暗黙知となっている部分がある のではないか。 一般的知識を十分にオーセンティックな課題の中で体系的に指導することや,共同体の 知識を意識的に取り上げることが,学習者のリテラシーの熟達を助ける教育的介入として 必要ではないだろうか。 引用文献 Guthrie, J. T., Van Meter, P., Hancock, G., Alao, S., Anderson, E., & McCann, A. (1998). Does concept-oriented reading instruction increase strategy use and conceptual learning from text? Journal of Educational Psychology, 90, 261-278. Mayer, R. E. (2009). Multimedia Learning (2nd Edition). New York: NY: Cambrige University Press. Smagorinsky, P. (2001). If meaning is constructed, what is it made from? : Toward a cultural theory of reading. Review of Educational Research, 71, 133-169. 3/3 Chapter 31. Art Education and the Learning Sciences. (Erika Rosenfeld Halverson & Kimberly M. Sheridan) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 31 章 美術芸術教育と学習科学 佐川早季子(東京大学) ・荷方邦夫(金沢美術工芸大学) 1.章の要約 芸術における学習は,他の科目とは次のような特徴によって異なっている。 1) 芸術は,ある表現を選ぶことで鑑賞者にどのように意味を伝えるかという過程である こと 2) 形式と意味とが分かちがたく統合されていること 3) アイデンティティの探求,文化の検証のようなプロセスが重視されること 芸術における学習は,社会文化的な視点,認知科学の知見,学習環境のデザインといっ た視点に基づき,主要なテーマとして表現の創出,アイデンティティ・プロセスへの関与, 言語の発達,創造性および批判的思考が議論に上る。そして,これらの研究から,効果的 な学習につなげるための芸術を基盤とした学習環境のデザインとして,信頼できる鑑賞者 の存在,批評,プロセスおよび制作物の両方に埋め込まれている適正な評価,そして役割 取得の機会を挙げている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「表現に関しては,あらゆる芸術表現に一貫するかたちで,創りだされる表現に,それ ぞれのメディアのツールが影響を与えること,連続して生み出される表現が,表現しよう としているものへの理解を深めることに注目した。この過程を通して,表現者はメタ表象 能力(diSessa, 2004)を発達させ,批評や鑑賞者の存在を通して,作品の社会文化的な文 脈についての感覚を発達させていく」 表現者は,芸術表現をする際,表現者の外にあるツールの影響を受け,表現しようとす る対象への理解を深め,自己を発達させていく。また,批評や鑑賞者を通して熟達者の仕 事に自己の制作過程を重ね,実践共同体への参加を追体験する。このように芸術表現にお ける学び,芸術表現を通した学びは,表現者の内と外との相互作用的な側面や社会文化的 な側面をもっていることを示している箇所である。 3.背景 本章の執筆者である Halverson は劇や言語表現を含む芸術活動の実践から,Sheridan は デジタルメディアをツールとした表現活動の視点から,教育における芸術の役割,学習過 程,認知プロセスを検討している。2人の研究は,芸術活動の参加者の間でどのような相 互作用が生まれ,表現やその意味とは何かを自覚する深化のプロセスの検討,あるいは制 作の環境やツールといった,表現者の外にあるものが,芸術表現や学習のリソース(資源) としてどのような役割を果たすかといった問いに取り組んでいる。 従来の教育研究では,芸術は「人間の内面の表現」という視点によって考察され,人間 1/3 Chapter 31. Art Education and the Learning Sciences. (Erika Rosenfeld Halverson & Kimberly M. Sheridan) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). の認知過程を中心とした議論を行っていた。これに対して Halverson らは,社会文化的な アプローチ,状況論的な視点などを援用しながら,芸術を人間の内外にわたるさまざまな リソースの構成として再構築しようとしている。この視点はメディア・アートやインスタ レーションなど幅広い表現形式を扱うようになった現代アートを考える上でも重要な視点 であることを強調しておきたい。 4.日本への示唆 芸術教育と聞くと,日本では「美術・音楽」といった,日本での教科に即したジャンル の理解が中心となっている。これに対して,本章で扱われている芸術教育は,ダンスや劇 による表現活動,メディア・アート,言語表現のような幅広い活動が含まれている。学校 における学び,インフォーマルな学習環境における学びの双方で,これらの幅広い活動が 芸術として研究の対象となっていることに注目したい。新しい学習指導要領では,美術教 育の中に映像メディア表現が必修教材として取り扱われ,言語表現活動を含む学習がすべ ての教科を通して重視されている。学習科学研究でのこれらの研究の盛り上がりを考える と,日本ではまだこれからの感が強い。 日本における芸術研究では,芸術活動が個人の感性の表出,真正な解釈と表現といった 議論がいまだ主流といえる。本章が示すように,芸術教育を,表現の創出と表現を通して 表わそうとしているものへの理解の深化,言語の発達,創造性および批判的思考の側面か らもとらえ直すことは,他者やモノといった周囲の世界からの「外から内へ」の作用を受 け,自己もまた発達し,新たな自己をつくり出す活動として芸術活動を捉える契機となる はずである。 5.注意すべき用語 representation 表現,表象,表示 心理学では一般に表象と訳され,芸術領域でも「表象論」となどのように広く使用さ れているが,本章では人間の認知プロセスのような内的な representation は表象,作 品や活動を含む外的なものについては「表現」・「表示」と訳した。 authentic 正統な,適正な,信頼できる 初版のハンドブック(Sawyer, 2006)では「真正な」と訳されていたが,authentic は 社会文化的な関係,制約のもとで合意に達した「正しさ」という側面がある。また, 日本では「教科の本質に即した(佐藤学,2012, p.33)」などの訳が与えられてきた。 これらを踏まえると,この語については,「正統な,適正な,信頼できる」といった訳 がよりふさわしいと思われる。本章では,これに基づいて文脈に応じて訳がなされて いる。 なお,authentic assessment は,Wiggins(1950-)らが提唱したアプローチである。 2/3 Chapter 31. Art Education and the Learning Sciences. (Erika Rosenfeld Halverson & Kimberly M. Sheridan) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). authentic assessment は, 「大人が仕事場や市民生活,個人的な生活の場で試されてい る,その文脈を模写すること」 (Wiggins, 1998, p.24)と定義されるように,学習者に 現実生活を反映したリアルな課題に取り組ませ,その取り組みにおいて発揮する力を 評価しようとする(田中,2013) 。本章では,このような含意を踏まえ,現実生活を反 映し,教科の本質に即した課題への取り組みを評価するという意味で「適正な評価」 という訳語をあてている。 engagement 関与,取り組み 関与については,commitment,involvement といった語も同様の訳が与えられる。 engagement は,契約や帰依といった,関わる対象について,自発的・積極的な意志を 持った関わりを含んだ意味を持つ。そこで,関与・取り組みといった語があてられた。 habits of mind 心的な習慣 自他の表現の微妙な違いを吟味することで養われる観察,予想,表現,省察といった 一連の態度のこと (e.g. Eisner, 2002; Hetland, Winner, Veenema & Sheridan, 2013)。 3/3 Chapter 32. Learning Sciences and Policy Design and implementation: Key Concepts and Tools for Collaborative Engagement. (William R. Penuel & James P. Spillane) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 32 章 学習科学と政策デザイン・実践:協働的な参画のための鍵的概念と道具 篠原岳司(北海道大学) ・秋田喜代美(東京大学) 1.章の要約 本章では,学習科学が教育政策のデザインと実践に対し積極的な貢献を試みる事例を取 り上げ,学習科学の専門家が政策関係者らと協働する意義が明らかにされている。そのた めには,資源を課題に集中させ,システムを変革させる道具として政策を捉える重要性が 示され,(1)システムと組織構造の再設計,(2)システムおよび組織を相互に媒介する 道具,理論の開発, (3)多様な関係者集団との連携方略に焦点が当てられる。また結論と して,学習科学の専門家に対し,徒弟的・実習的な機会を通じて,教育制度,組織,政策 に関する専門知識・技術,そして参加型デザインの技法を身につけていくことが提起され ている。 2.私が面白いと思った一文とその理由 ここでは,政策実施研究の節における「分散型では,実践の定義を,一人のリーダーの 活動ではなく,教職員と彼らの状況における相互作用を表すものとして捉えている (Spillane 2006) 」 (p. 655)を取り上げたい。J・スピラーンの分散型の考え方は,今日の 政策研究,組織研究の背景を踏まえながら,政策デザインに関与するアクターを拡張させ, 教師を含めてリーダーシップ構造の再構築を試み,政策デザインや実行に関わる構造再編 の課題に応えていくものである。その考え方に倣えば, (1)多様なアクターが政策デザイ ンや実践を構成する過程でいかなる相互作用がおこり, (2)アクター間でいかなる「学習」 が展開し, (3)それがいかにして政策デザインやインフラの再設計へと発展しうるのかを 解明することは研究上の課題となる。この一文は,学習科学の専門家たちを教育政策,教 育制度,学校組織の研究領域が注目する理論へと誘い,協働の足がかりを提供するものと 考えられよう。分散型の考え方については,分散認知や状況的学習論との関係を論じる J・ スピラーンの他の論稿(Spillane et al., 2004)もぜひ参照されたい。 3.背景 教育政策の内容が教育実践に反映されにくい背景の一つに,学校組織が官僚的構造を採 らず,「疎結合(ルース・カップリング)」の特性を有していることがあげられる。学校組 織の目的は,端的に言えば多様な個性を持つ子どもたちの発達と学習を援助することにあ る。その舞台が教室で,その担い手が専門職としての教師である限り,その職務はトップ による強力な統制や政策による過度の標準化には馴染みにくい。むしろ,教師の専門的で 即興的な判断,そして専門技術の行使を尊重した構造を採ることが合理的であると考えら れてきた。その構造がゆえに,学校組織は上意下達による伝達や統制,また専門技術の集 団化や組織的実践が機能しにくい特性を有してきたのである。一方で,この特性があるが 1/2 Chapter 32. Learning Sciences and Policy Design and implementation: Key Concepts and Tools for Collaborative Engagement. (William R. Penuel & James P. Spillane) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). ゆえに,教室内の実践と教師の専門技術が教育政策の介入から「保護」されてきたとする 見方もある(Elmore 2004, p. 45-53) 。この指摘は,教育政策一般が教育現場における教授 と学習の事実に応えず,政策のデザインに教師の専門技術や情動面との対話が不足してき た現実をシニカルに批判したものである。 4.日本への示唆 学習科学に限らず,自らの研究成果が政策に反映されず,システムの改革,実践への貢 献に結びつかない現実に悩みを抱える研究者は多い。わが国でも,政府の審議会等に参加 され,研究成果を活かすべく関与される研究者は多い。しかし,政策の決定は議会や他の 専門領域を含めた政治的な過程であり,党派政治による諸派の思惑と財源との関係で,実 務上の妥協と調整なしに成立しえないものである。研究者が自らの研究成果を政策に反映 させることを強く望めば望むほど,その関与自体に政治的な意思と技術を要し,時には科 学に対する一種の「割り切り」も迫られ,矛盾と葛藤に苛まれることが避けられない。研 究者が政策デザインに関与し,その研究成果を活かした改革の実現に貢献することは,そ れほどまでに困難で矛盾をはらむ過程と言える。 本章の意義は,第一に政府および地方自治体における実務担当者,また実践者との対話 的,学習的関係を構築する必要性を強調すると共に,ローカルレベルでのパートナーシッ プを支援する技法(ファシリテーションなど)への言及がなされている点,第二に,学習 科学の専門家と教育政策や教育制度,学校組織分野の専門家がチームを作り,研究開発と 改革実践の支援に参画する課題が示された点である。読者の中には,結論で示される「他 の当事者(ステークホールダー)たちが,目的や価値,展望,経験のように,政策のデザ インに関連し政策の効果的な実行に関わる上で必要な全てをもたらしてくれる」認識が, いささか楽観的な展望と思われるかもしれない。しかし,著者たちの主張の肝は,研究者 が政策デザインに真に貢献可能となる前提として,これらを実現させるローカルなパート ナーシップの構築にこそある。その価値を見誤り,その労を避けるばかりでは,研究者の 研究成果はいつまでも政治的思惑の中で埋没することになる。 参考文献 Elmore, R. F. (2004). School Reform from the Inside Out Policy, Practice, and Performance. Harvard Education Press. (エルモア著・神山正弘訳 (2006). 『現代 アメリカの学校改革 教育政策・教育実践・学力』. 東京: 同時代社.) Spillane, J. P., Halverson, R., & Diamond, J. B. (2004). Towards a theory of leadership practice: a distributed perspective. Curriculum Studies, 36 (1), 3-34. 2/2 Chapter 33. Designing for Learning: Interest, Motivation, and Engagement. (Sanna Järvelä & K. Ann Renninger) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 33 章 学びのための設計(デザイン):興味,動機づけ,関与 小野田亮介(東京大学) ・鹿毛雅治(慶応義塾大学) 1.章の要約 学習者の興味や動機づけ,そしてそれに基づく課題への関与という教授学習心理学にお ける伝統的テーマを学習科学の観点から捉えた章。前半部では,興味,動機づけ,関与の 概念についての説明が行われており,著者らが提案する興味の 4 段階モデルも紹介されて いる。後半部では,OECD のデータを用いた大規模な量的調査から,博物館への来場者に 対するインタビュー調査, CSCL における学習プロセスの事例分析,学級に対する観察など, 様々な研究手法による研究例を概観し,興味,動機づけ,関与が実際の研究でどのように 分析されているかが紹介される。これらの理論と実証的研究の紹介は,興味や動機づけが 学習者と学習環境との相互作用によって喚起され,維持されるものであること,そして, 研究者は学際的な分析手法を用いて多角的に相互作用のプロセスと心理メカニズムの関連 に迫る必要があることを示唆している。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「すでに学習に関与している学習者に対し,彼らの学習内容への興味や動機づけをさら に高めるためには,どのような学習環境のデザインができるか?」(p. 669) 質の高い学習環境とは,興味や動機づけが低い学習者を支援するための学習環境ではな く,様々な段階の興味や動機づけをもつ学習者が互いに高め合う環境であることを示唆し ているため。 3.背景 本章で最も焦点が当てられている「興味」は,デューイやピアジェらも言及しており心 理学的変数としての歴史は長い。しかし,興味が日常語であり,概念として明確化できな かったことから,組織的な研究がなされてきたのはここ 30 年ほどである。近年では,興味 に複数の段階が想定されるなど概念的整理も進み,いかに興味を喚起し,維持するかとい う方向で検討が進められている。また,興味の喚起と維持においては,教師や同僚,さら にはコンピュータや展示物などの学習環境との相互作用が重要であることが解明され,実 際の学習場面を対象とした研究も進められている。 4.日本への示唆 化学のテキストにマンガのキャラクターが載っているから「興味がある」ことと,化学 のテキストに載っている化学反応の起こり方に「興味がある」ことは質的に異なるように 感じる。しかし,それらはどのように異なるのだろうか。そして,異なっているとして, その差異を教育や学習の実践においてどのように活かすことができるだろうか。このよう 1/2 Chapter 33. Designing for Learning: Interest, Motivation, and Engagement. (Sanna Järvelä & K. Ann Renninger) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). な問いをもつ読み手に対し,本章が示す実証研究の知見は,興味の深まりや,興味の機能 を捉えるための方法を示す点で示唆的である。 5.注意すべき用語 Interest / Motivation:興味は常に動機づけを伴うが,動機づけは必ずしも興味を伴わ ないなど,両概念の区別は本章を理解する上で重要になる。 Engagement:本文では「積極的関与」としている。本章における積極的関与とは,学 習課題に積極的に取り組み,知識を拡張しようとすることを意味している。より日常 的な表現に置き換えると,何かに「はまる」ことや「没入する」といったイメージに 近いと思われる。 2/2 Chapter 34. Learning as a Cultural Process: Achieving Equity through Diversity. (Na’ilah Suad Nasir, Ann S. Rosebery, Beth Warren & Carol D. Lee) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 34 章 文化的プロセスとしての学習としての学習:多様性を通した平等性の達成 三輪聡子(東京大学)・香川秀太(青山学院大学) 1.章の要約 本章では,学校外の場にて,各場特有の文化的実践に馴染んできた子ども・若者が,学 校という,また別の振る舞いが要求されるコミュニティに参加していく過程に着目する。 とりわけ,学校に参加すると困難に直面する,主流層ではない子どもたち(例えば,アフ リカ系アメリカ人)に着目し,次の三つの問いを投げかける。 1) 日常生活や学外の場における学びの特徴とは何か 2) 学校外経験と学校教育との間の文化的ギャップをいかに接続するか 3) その際,どのように,子どもたちの日常で培ったレパートリーが活用可能か 1)からは,「心理的安全」や「熟達化への見通し」等のキー・ポイントが示される。2)で は,学校の接点となりうる日常実践のレパートリーが示される。3)は,そうした多様な日常 経験や知識を排除せず,むしろ学校学習に積極的に活用する実践例が例示される。以上を ふまえ,副題のとおり,本章で「達成」したい「平等」とは,多様性を最小限にしていく 「均質化」ではなく,むしろ皆の多様性を教育の財産として生かすことと結論づける。 2.私が面白いと思った一文とその理由 「教師や研究者が若者の多様な考えや経験を活用し,学問的談話,学習と教授,言語, 文化,人種についての限定的な想定を乗り越えていかねばならない」 (Question 3 の最初の パラグラフより) 。本章の内容は,主流層ではない子どもの日常と学校との間の議論にとど まるものではない。上記は,科学や論理や厳密性や数値上わかりやすい成績・業績などの 権威性を帯びた言葉や実践の陰で,否定的に評価され排除されてしまっているものの「生 きた姿や独自性」を調査して理解し,両実践の接点を探る中で,従来の発想の前提を問い 直し,両者の関係性の再構築を図ろうという提案(エール)が端的に示された一文として 取り上げたい。 3.背景 本章は,学習を本質的に文化的に埋め込まれたものと捉える,状況的学習論や活動理論 といったアプローチ(以下,状況論)に依拠したものと考えられる。状況論は,ヴィゴツ キーに代表されるマルクス主義心理学に強い影響を受けたアプローチで,心を孤立した実 体ではなくむしろ,関係性や状況の動きから立ち現われ変化し続けるものと捉える。 状況論においては,70 年代~80 年代にかけてのその黎明期から,学外の学習の調査や, 学校教育の前提の見直しを図る動きが活発に行われていた。 例えば,その急先鋒たる J. Lave は,日常生活状況に埋め込まれた算術と,学校の教科教育に埋め込まれた算数の実践との かい離を主張し,学校教育に強い疑問を投げかけた。活動理論をけん引する Y. Engestrom 1/3 Chapter 34. Learning as a Cultural Process: Achieving Equity through Diversity. (Na’ilah Suad Nasir, Ann S. Rosebery, Beth Warren & Carol D. Lee) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). もまた,学外の世界とつながりが薄い学校の学習に疑問を投げかけ,生徒自身,それを批 判的に省察し教師と共につくり変えていくラディカルな主体として位置づけた。 こうした研究では,全体のトーンとしては,教え込み的な教科教育の在り方や教授主義 的発想に批判的で,学外の学習に着目し,その可能性を見出そうとする傾向があった。ま た,学外と学校という複数の文脈を議論の視野に入れる諸研究は,ワークプレース(職場) 研究とも連動しながら,学習発達論における,単一文脈内での熟達化を研究する垂直的な 学習研究から,複数の文脈間を横断する水平的な学習研究(越境論)への拡張にもつなが った。 本章も,学外と学校の間という複数の文脈間の横断過程を論じ,学校教育の見直しを提 案している点で,こうした流れの一部を形成する諸研究を概観した章と言える。 4.日本への示唆 本章のような議論は,国際化や多文化化,情報化等の社会変化が進む我が国の子供たち の学びや学校教育の在り方を考えるうえでも,今後需要が高まっていくであろう。学習環 境を設計する際,学校の教授法の検証や,教室の中の子どもたちの調査を行う「閉じた研 究」から,学外での相互行為の特徴や可能性を大いに調査し検討してみようという「開か れた」提案である。探り当てた学外の資源は,学校教育の前提を作り変える資源にもなり える。 本章では,状況論的学習観に依拠しつつ,学外の学習のうち,特に学校教育との共通点 を探り,それを学内教育に生かすことを主張している点が,従来の学校と学外とのかい離 を強調する類の従来の議論と比べてユニークと言える。 ただし,こうした議論に対して,学外と学内との間の一般原理(共通点)を探る類推研 究の延長と見なし,はたして従来の認知主義的学習観に依拠した形で理解を進めてよいか は,慎重になる必要があろう。この解釈では,とたんに表象主義に回帰し,具体的実践や 学習の根源的状況性を隠蔽・排除しうるからである。また,関連して,本章の特に 2),3) は,学校の科学概念に近いものが日常生活にも見られるのか,日常経験知をいかに教科学 習に活用するかという,どちらかといえば,学校を基準にした(学校優位の)議論の傾向 が強い。あえて極端な言い方をすれば,学校教育に日常活動が「取り込まれる」ことで, 教育者目線では好まれても,かえって日常の学びの特性(ノイズ含めて)やある種の「良 さ」がそぎ落とされ,上記, 「学校の前提の見直し」という著者ら自身の提案から遠ざかる リスクも生む。逆に,どうしても相いれない両者の前提の不一致や矛盾が生じる可能性は 常にあり,そこに身をおくところにこそむしろ,新しい学習が弁証法的に誕生しうる。す なわち,葛藤や矛盾に焦点化した最近接発達領域(ZPD)に関する議論(香川, 2011; 香川・ 青山, 2015 参照)や,学校の枠それ自体からよりラディカルに解放する議論(Holzman, 2009) も重要ではなかろうか。これらは本章の事例等の一部の議論でも垣間見えるものの,あま り焦点化はされてはいない点として注意が必要と思われた。 2/3 Chapter 34. Learning as a Cultural Process: Achieving Equity through Diversity. (Na’ilah Suad Nasir, Ann S. Rosebery, Beth Warren & Carol D. Lee) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 引用文献 香川秀太 (2011). 「越境の時空間」としての学校教育:教室の外の社会にひらかれた学び へ. 茂呂雄二・田島充士・城間祥子 (編)『社会と文化の心理学:ヴィゴツキーに学ぶ』, 106-128, 京都: 世界思想社. 香川秀太・青山征彦 (編) (2015). 『越境する対話と学び:異質な人・組織・コミュニティ をつなぐ』. 東京: 新曜社. Holzman, L. (2009). Vygotsky at work and play. London & New York: Routledge. (茂呂 雄二 (訳) (2014). 『遊ぶヴィゴツキー:生成の心理学へ』. 東京: 新曜社. 3/3 Chapter 35. A Learning Sciences Perspective on Teacher Learning Research. (Barry J. Fshman, Elizabeth A. Davis, & Carol K. K. Chan) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 第 35 章 教師の学習研究についての学習科学的視点 児玉佳一(東京大学)・木村 優(福井大学) 1.章の要約 研究者や実践者の目標が生徒の学習改善である場合でも,教師がどのように学習してい るかを理解することや,どのように教師の発達を支援できるかを理解することは重要であ ると考えられる。なぜなら,例えば,教師教育による教師の学習は,教師の信念や知識の 変化・獲得をもたらす。こうした信念や知識の変化・獲得は,教師の教室での振る舞いに 影響を与える。こうした振る舞いの変化が,生徒の学習に影響を及ぼすと考えられるため である。 本章は,従来の教師研究について,“知識や信念(例えば,PCK)”,“キャリア段階によ る専門性発達(例えば,養成段階の教育や初任者研修,キャリアを通した継続的な発達)” から概観し,さらに上述の点において学習科学がいかに貢献できるかについて,その研究 例を挙げながら示している。 特に学習科学による研究例は2つの節に分類して紹介されている。1つは,学習が社会 的で分散化されたものであるという立場に立ち,実践コミュニティやメンタリング,そし てこうしたサポート体制を支えるネットワークテクノロジーといった,社会的サポートに よって教師の学習を促進する研究例を示した「社会的サポートと分散された専門的知識の 前景化」の節である。もう1つは,学習科学の中核的概念でもある状況性に着目し,実践 を記録したビデオの視聴や状況に合わせて教材を使用する能力の促進を目指したカリキュ ラム教材の使用といった,状況に埋め込まれた真正な学習を引き出す研究例を示した「実 践に焦点化した状況性の前景化」の節である。 2.私が面白い思った一文とその理由 「筆者らは,教師から学ぶことと教師の学習へ貢献することの両方に,学習科学研究の 範囲のさらなる拡大を期待している。」(p.719) この一文は,学習科学の研究者が教師の学習を支援するというスタンスのみならず,「教 師の学び」から研究者自身も学ぶというスタンスを取ることを示唆している。学習科学の 対象者は生徒や教師だけでなく,研究者自身も“学び手”の1人であり,教師の学びに関 わる研究者自身の立ち位置を今一度確認させられる一文であるとともに,そして学習科学 に関わるすべての人の学びが豊かになることを願った一文であるとも考えられる。 3.背景 教師の学習研究自体は,認知心理学の台頭により 1980 年代から盛んに行われてきた。特 に近年の教師の学習研究は,本文中でも指摘されているような,認知科学や学習科学にお ける実践コミュニティの理論や状況論などの影響,また,知識基盤社会や学習者の文化的 Chapter 35. A Learning Sciences Perspective on Teacher Learning Research. (Barry J. Fshman, Elizabeth A. Davis, & Carol K. K. Chan) In R. K. Sawyer (Ed.) Cambridge Handbook of the Learning Sciences (2nd Edition). 多様性の増大といった社会・文化的影響も受けながら進められている(坂本, 2007 も参照) 。 著者の Fishman, B. J. と Davis, E. A. は本ハンドブック第1版でも同じ章を担当しており, Fishman は教師の学習をサポートするテクノロジーの開発や,本文中にも触れる「専門性 開発」に必要な要件について探求している。また,Davis は特に科学教育を中心に,教師の 学習支援や教師教育カリキュラムについて探求している。第2版より著者に加わった Chan. C. K. K. は, 「知識構築(knowledge building:本ハンドブック 20 章も参照)」をキーワー ドに研究しており,教師や学習者の知識構築をサポートするテクノロジー(CSCL:24 章 も参照)の在り方について探求している。Chan の加入を受けて第2版より本章には「知識 構築コミュニティの創造」の節が加わっており,このことはコミュニティの在り方として 「知の伝承」の他にも, 「知の創造や構築」といった観点の必要性を示唆している。 4.日本への示唆 日本では古くから“授業研究”を通した教師たちの協働による学習文化が根付いており, こうした学習文化は海外からも高く称賛されている(e.g., Lewis, 2002; スティグラー・ヒ ーバート, 2002) 。従来の“授業研究”を通した教師の学習は,学校単位または地域単位に よる実践コミュニティの中で行われてきたものである。本章では,こうした実践コミュニ ティによる学習の重要性を指摘する他に,ネットワークテクノロジーを駆使した遠方間の 実践コミュニティの形成可能性も研究例から示唆している。校内研修をはじめとした face to face の実践コミュニティやメンタリング制度によって日本の教師の学習は機能してきた が,ベテラン教師の大量退職によって従来の学習方法が効果的に機能しなくなる可能性も 指摘されている。ネットワーク環境の整備やリテラシーなどの課題は残るが,遠方同士の 教師をつなぐネットワークテクノロジーを使用した実践コミュニティの構築は,こうした 教師の学習に対する現状を打開するための手がかりとなるのではないだろうか。
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