<天照大神は女神か?> 天照大神は言うまでも無く女神とされているが、果たして、そうなのだろう か?一説には、三輪の大神(大物主神)が伊勢の神と同体、とも言われている し、日本以外の国では太陽神は男神である。(かつてのヒッタイトでは女神。) また、内宮別宮の伊雑宮では、御田植祭で太鼓打ちが女装した男の子である。 これは、本来の太陽神が男神であることを暗示しているのではないか? いずれにしても、天照大神については、歴史を遡っての考察が必要である。 (1)表面的な天照大神 飛鳥昭雄氏に依れば、イエス・キリスト=男神である。シンボルが十字架で、 それは陰陽で言えば陰なので、カバラで封印するために秦氏の八咫烏に依って 陰である女神とされた。そして、ハルマゲドン後に降臨するイエスは“人類の 光”とされているので、ある意味、太陽神的でもある。 しかし、単に封印するだけならば、日本神話は八咫烏に依る創作なので、そ の創作した男神の名でも良いわけである。それを、カバラに依ってわざわざ女 神としたのは、更に深く考察する必要がある。 (2)人類の祭祀の変遷 人類史及びその祭祀の変遷は、<宇宙維新-黄金の夜明け->の著者が詳し く書いている。 人類祭祀の根源は、アヌンナキのような長寿を得たいがために、アヌンナキ という神に願ったことである。そこに、豊穣や太陽の恵み、あるいは嵐のよう な天候など、自然現象を重ねた。(アヌンナキの指導によってそうさせられた、 と言うべきか。)だから、神としてアヌンナキだけではなく、必然的に自然=本 来の神=起源意識の分身エネルギーも祀ることになった。 特に太陽神としての性質は、豊穣神で知恵の女神イナンナの双子の兄弟、ウ ツが受け持った。と同時に、豊穣は太陽がもたらすとも考えられたので、双子 のイナンナは太陽女神と見なされた。他の太陽神としては、マヤ文明を授けた ニンギシュジッダ=ケツァルコアトル=猿田彦大神、諸悪の根源となってしま ったマルドゥク=エジプトの太陽神ラーなども。 アヌンナキとの仲介をする役目の祭司や王、巫女といった人たちは、アヌン ナキによって選ばれて聖別(洗礼)されたが、そのうち人類も進化して、中に は起源意識と関わることのできる人も現れた。 1 (3)縄文時代と弥生時代の太陽神 <宇宙維新-黄金の夜明け->にも書かれているように、古代縄文王国は豊 穣神イナンナを最高神とし、太陽女神、航海の女神としても崇めていた。 (比売 大神=宗像三神。)そこに、地球の主エンキも海神として祀られていた。 その後、イナンナを最高神とするエフライム族がフェニキア人と共に大船団 で渡来し、同じイナンナを最高神とするということで、容易に和平を結び、鉄 の剣やアロンの杖を持っていたこともあり、エフライム族が大王家となった。 この実質の最高神がイナンナで、豊受大神=女神の天照大神である。本来の最 高神は地球の主エンキだが、均衡の柱に相当するため、実質の最高神は慈悲の 柱に相当するイナンナである。おそらく、イナンナと共に、双子のウツも祀ら れていたはずである。(正義の法を授けたウツは峻厳の柱に相当。) その後、元々はイナンナを最高神とするペルシャ系十支族の徐福一団が渡来 し、エフライム族と和平を結んだ。しかし、ペルシャ系はゾロアスター教やミ トラス教の影響もあり、男神の太陽神崇拝が多勢だった。そして、古代は政(ま つりごと)の中心は祭祀なので、各地で宗教的な諍いが絶えなかった。 そのため、新たな最高神でもって統一国家を建国する、ということが成され、 その最高神が太陽神ウツ=天照国照尊である。銅鐸の祭祀から鏡の祭祀へ、こ れは、太陽女神イナンナ(天照大神)から男神太陽神ウツ(天照国照尊)へ、 という変遷である。 2 卑弥呼の時代に小さな統一が成されたが(前期邪馬台国)、卑弥呼没後、おそ らく最高神をイナンナに戻したのであろう。それが、卑弥呼亡き後の男王であ る。(女神には男が仕える。)それに不満を抱く分子が多かったので国が乱れ、 卑弥呼の孫の世代に当たる 13 歳のトヨが女王となって再びウツを最高神とする ことにより、ようやく国が治まった。(後期邪馬台国、大邪馬台国。)そして、 トヨはウツと共に、卑弥呼も重ねて祀ったのである。 神宮の花菱御紋は住吉大社のものとそっくりだが、(卑弥呼がモデルである) 神功皇后がまとっていた鎧に縫われていた御紋である、と住吉大社では言われ ている。この逸話から、内宮では卑弥呼も祀られていることは明白である。つ まり、太陽女神としての卑弥呼である。 この時点では、イナンナとエンキ、ウツも合わせて「ヤー」とした。三つ巴 である。 (4)八咫烏渡来後の太陽神 イエスの降臨により、エフライム族はやむなく王権を秦氏に譲った。太陽神 がエルサレムの最高司令官ウツだったので、南ユダ王国の系統である八咫烏は そこにイエスを重ねて祀ることにした。その時に、カバラが用いられた。そし て、イエスを導いたと考えられるカバラの考案者で天才科学者、ニンギシュジ ッダ=トート神(ヒヒ)を“天を照らし地も照らしていた”という猿田彦大神 =天照国照尊として重ねた。これにより、天照国照尊はシュメールの神々とし てはウツとニンギシュジッダとなる。 マヤでは数学としては 20 進法だったので、王位継承数字が 20 のウツが最高 神のように思えるが、実質は光り輝く蛇神、ニンギシュジッダである。従って、 ウツとニンギシュジッダが重なっても矛盾しない。 イエスは十字架=「生命の樹」に掛けれられたので蛇神と見なせるが、この 重ね合わせにより、確実に蛇神となったわけである。 このようなシンボルの重ね合わせと十支族系封印策により、祀られていた三 神のエンキは海神として大山祇神社に、イナンナは豊受大神として籠神社(後 3 に外宮)に、ウツはイエスと重ねて天照大神として神宮(内宮)に分祀された。 以後、このままである。イザナギ(南向きの顔として)の左目からは天照大神 が、鼻からはスサノオが、右目からは月読が誕生した、というのは、この配置 の暗示である。そして、外宮先祭というのも、外宮の祭神=豊受大神の方がこ の国の根源神だからに他ならない。 以上、この国の縄文時代と弥生初期の古代最高神は、太陽女神で豊穣の女神 =豊受大神=イナンナだった、ということである。ここに、ガイア意識と起源 意識までもが重ねられていたはずである。それが、極秘伝で“豊受大神 天御中主神 亦名 天照大神”とされている。 亦名 また、トヨの大邪馬台国では、卑弥呼が男神の太陽神ウツに重ねられていた。 (5)男と女 <唯識>の著者に依れば、女は“御名”と書け、客体と見なしている。しか し、“御命”とも書ける。ならば、主体は女で、男は客体ではないか? 女は新たな生命を生み出す。科学的には、受精すると分裂を開始して成長、 ということだが、何故、分裂し始めるかと言えば、精子からある物質が卵子内 に放出され、それが刺激となる、ということである。では何故、精子からある 物質が放出されるのかと言えば、解明されていない。言い換えれば、解るはず はない。そのように起源意識が定めたシステムなので、そういうシステムだか ら、と言う他はない。(DNA の塩基配列が、何故そうなっているのか説明できな いのと、同じことである。) 同様に、地球は様々な生命体を生み出しているから、よく言われる女神ガイ アはその通りで、女神的性質なはずである。 “女神的”というのは、三次元の動 物的な生命体ではないので、性質としてどちらかと言うならば“女神的”とい うことである。 これは、日本神話の神々についても言える。天照大神は女神と思われている が、出産した、などとどこにも記述が無い。スサノオとの誓約(うけい)で子 が誕生したりするわけで、それはイザナギとイザナミの神産みも同様である。 だから、神話の世界の男神・女神というのは、あくまでも男性的性質・女性的 性質と見なす必要がある。 そのような見方をすれば、様々な星は宇宙から誕生し、その宇宙は起源意識 から誕生したから、起源意識もまた、女神的性質と言えるはずである。 ならば、男は主体の女から生まれた“子”なので客体であり、母音に対する 4 子音となる。これは性染色体を見れば明白で、女は XX、男は XY だが、Y 染色体 はその実際の形が記す如く、X の一部が欠損している。だから、主体は女で、男 は客体である。 古代社会を見ると、西洋は(今でも)男が主体となっているので、言語とし ては子音が勝る。男は客体なので記号であり、現在のインド・ヨーロッパ語は まさに子音が主体となっている記号の文字である。フェニキア文字が単に記号 化してアルファベットになったことは、言語学的にも明らかである。 これに対して、古代日本は母系社会である。ヘブライも母系で、血統的に母 親がユダヤ人でなければ、子は血統的にユダヤ人とは見なされない。そして、 日本語とヘブライ語は言語学的に一致する部分が見られることは、言うまでも ない。 (イタリアはヨーロッパの中で例外的にマンマの国である。これは、イタ リア語は子音と母音がほぼ同格だからである。) このように見れば、主体が反転した客体で「死の樹」になってしまったのは、 記号と化してしまった言語を使用する西洋的男性社会=エゴが勢力を持ってし まったから、とも言える。 (6)結論 以上のことから、起源意識、ガイア意識、縄文時代・弥生初期の最高神はい ずれも女神的性質と言え、それを継承する母系社会だったならば、ここまで世 の中は崩壊しなかったと考えられる。 そうなると、伊雑宮御田植祭の太鼓打ちが女装した男の子というのは、表面 的には、カバラによって女神に変えられたイエスだが、その深層(真相)は、 時が満ちた 2014 年に女の子に変えられたことにより、根源神は女神であるとい うことを明らかにした、ということだと考えられる。 これは御田植だから、豊穣の祈願である。この国の豊穣神(大地の女神)は、 縄文以来ずっとイナンナで、イエスには豊穣の印は無い。祭では田の中でゴン バ団扇をバラバラにするが、これは世界中で見られる、豊穣神をバラバラにし て埋めることと同義である。そして、伊雑宮がエフライム族系の宮であること と併せて、太鼓打ちが“女の子”なのは、この国の本来の最高神が豊穣の女神、 豊受大神=イナンナであることを暗示している。それが 2014 年に実質の女の子 に変えられたことに依って、真相が明らかにされたということである。 5 また、御田植祭でのゴンバ団扇には宝船に“太一”と書かれている。これを 三次元的に表したのが、舟に乗る太鼓打ちの子供である。ゴンバとは“権場” で“仮の場=三次元世界”であり、 “太一”の“太”は“太秦”の“ウズ”であ って、これは太陽神“ウツ”が転じた言葉で、従って“太一”とは“唯一の光、 太陽”という意味である。宇治橋が京都でもないのに“宇治”と言うのも、実 は“ウツ橋”のことで、 “太陽の橋”なのである。だから、太陽の威力が復活す るとされる冬至の日に、朝日が宇治橋鳥居の中心から昇るわけである。 このように、太陽神ウツを暗示しているのは伊雑宮が内宮の別宮だからだが、 “太”の“ゝ”は宇宙の根源神=起源意識を表しているので、やはりこれは舟 に乗った根源神の暗示で、それは女神、ということの暗示である。ならば、こ の太陽神も本来の太陽女神=イナンナと見なせる。 (カバラ的には、ウツとイナ ンナは双子だから一心同体の同一と見なすことができるし、またマヤと同様に、 ウツをシンボルとして利用した、ということである。)そして、イナンナは豊穣 神=大地の女神でもある。つまり、イナンナという女神を通して、ガイア意識、 起源意識を重ね合わせているわけである。 すなわち、冬至の日に、神の名が書かれていない神明(しんめい)鳥居(= 神名鳥居)形式の宇治橋鳥居の中心から朝日が昇ることの真意は、本来の神が 女神的性質の起源意識であることを暗示しているのである。そして、その鳥居 は外宮の棟持柱だったものなので、外宮の神=豊受大神こそ、名が無い本来の 太陽神かつ起源意識ということである。 6 以上、様々な面から、天照大神=豊受大神=天御中主神は本来、女神的性質 であると言える。 7
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