フランコフォニー・フェスティヴァル2003を振り返る

フランコフォニー・フェスティヴァル 2003を振り返る
三
浦
信
孝
3月 20日は忘れられない日に
ブッシュ大統領の指示でイラク攻撃がはじまった 3月 20日は,日本のフラ
ンコフォンたち(仏語話者)にとって忘れられない日になるだろう。この日
はちょうど「国際フランコフォニーの日」にあたっており,東京日仏学院の
中
には 700人もの人が集まって,チュニジア,レバノン,カメルーン,カ
ンボジア,ケベックなど世界各地の料理や音楽をたのしんだ。パウエル国務
長官が発表したアメリカ支持を表明した 30カ国のリストには,ある東欧の国
を除けば,フランコフォニー国際機関の正規メンバー国はみあたらなかった。
国連安保理でのフランスの断固たるノンゆえに,アメリカは国連のお墨付な
しに開戦に踏み切ったが,国際政治の舞台で米仏がこれほど激しく対立した
ことも珍しい。日本の首脳は「NO と言える日本」はどこへ行ったかと思われ
る体たらくだっただけに,開戦までのつばぜりあいは,自 の頭で え自
の言葉で国際社会を説得しようとするフランスの指導者がまぶしく見えた一
瞬だった。
確かに,アメリカの単独行動主義と「帝国」化に歯止めをかける国際世論
をつくる上で,フランスの役割は大きい。だがフランコフォニーは,アメリ
カを批判してフランスの味方を増やそうとする運動ではない。それに,フラ
ンスが国際的影響力を維持するための手段としてフランコフォニーを利用し
ている面は否定できないが,フランコフォニーは,英語支配に反対してフラ
ンス語を擁護する二者択一的運動ではない。フランス語を母語ないし
ないし第二言語として
用語
う世界の国々を結集するフランコフォニーは,フラ
ンスという一大植民地帝国の遺産を引き継いではいるが,フランス語を絆に
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新しい協力関係を築こうとする運動は,旧植民地の指導者たちの呼びかけに
よって生まれたものである。
フランコフォニーの歴
francophonieはもともと,1880年に地理学者のオネジム・ルクリュが,人
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類を人種や民族ではなく言語で
類し,フランスとアルジェリアなど植民地
を含む仏語圏地域をくくるため発明した用語だが,定着するにはいたらなか
った。それが再び脚光を浴びるようになったのは,アフリカの植民地が続々
と独立した 1960年代初めに,セネガルのサンゴール,チュニジアのブルギバ,
ニジェールのディオリらが,フランス語によるコモンウェルス構想を提唱し
たことによる。1970年 3月 20日にニアメで「文化技術協力機関」ACCT が
設立され,こんにち 3月 20日にフランコフォニーが祝われるのは,初の仏語
圏国際機関の 生を記念してのことである。
1986年には最初の仏語圏首脳会議がヴェルサイユで開かれ,フランコフォ
ニー・サミットは以後ほぼ隔年,カナダやアフリカやインド洋で回りもちで
開かれている。1997年のハノイ・サミットでは元国連事務
ガリが仏語圏国際機関の初代事務
長のブトロス・
長に任命され,2002年のベイルート・サ
ミットで元セネガル大統領のアブドゥ・ディウフに引き継がれた。加盟国は
約 50,国連の 4
の 1だから大変な数である。世界に 50もフランス語を
う
国があるかといぶかる向きもあろうが,これはカナダの場合,カナダ連邦の
ほかにケベック州やニューブランズヴィック州が加盟し,ベルギーも王国と
「ベルギー仏語共同体」がサミットに参加していること,またエジプトやブ
ルガリアのようにフランス語が国語でも
用語でもない国がかなり加入して
いることによる。逆に,フランスに次ぐ仏語話者人口をもつアルジェリアは
政治的理由で参加していないし,人口の 20%が仏語話者というイスラエルの
加盟にはアラブ諸国が反対している。制度的フランコフォニーは政治的共同
体であって,仏語
用の社会言語学的現実をそのまま反映しているわけでは
ない。
フランコフォニーと文化的多様性
フランス語の母語話者人口はフランスの人口の 2倍の 1億 2000万人にす
ぎないのに,世界中にその話者がいる不思議な言語である。国際語としての
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地位は後退しているが,啓蒙の世紀以来のフランス語の知的プレスティージ
ュは依然として高い。フランス語を介して知的文化的共同体に参加できるメ
リットは,否定するにはあたらない。自
のことを例に引いて恐縮だが,私
はモロッコ,ケベック,カリブ海のフランス・アンティルなどに友人がいる。
三十数年前にフランス語を学びはじめたときは,予想もしなかった僥倖であ
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る。
フランコフォニー機関を支える財源はフランスがその大半を拠出してお
り,開発援助と結びついたフランスのパターナリズムの痕跡はおおいがたい。
しかし,フランコフォニーはフランスを中心とする二重,三重の同心円構造
から,どこが中心ともいえない列島状のネットワーク構造に変化しつつある。
人種・民族,宗教,文化的背景の異なる人々をフランス語の共有だけによっ
て一つの共同体にまとめ上げるには,フランスという文明モデルへの同化で
はなく,「文化的多様性」の尊重が鍵になる。事実,世界の仏語圏諸国でフラ
ンス語しか話さないのはフランスとモナコぐらいで,それ以外は全部フラン
ス語が他の言語と共存しているのだ。文化と言語の多様性を尊重しなければ,
フランコフォニーは成立しない。そこにフランコフォニーが,文明間対話の
可能性をひらく「多様性の哲学」の担い手になる客観的な条件があるといえ
る。
植民地アルジェリアのユダヤ人家
に生まれ,フランス語の学
で教育を
受けたジャック・デリダは,「私はたった一つの言葉しか話さない,しかしそ
れは私の言葉ではない」というモチーフを『他者の単一言語 用』(邦訳『た
った一つの,私のものではない言葉』岩波書店)で展開した。「母語」の概念
を根底から問い直すこの本の
には,モロッコのアブデルケビル・ハティビ
とマルチニックのエドゥアール・グリッサンの言葉が引用されている。ハテ
ィビはアラビア語,グリッサンはクレオール語が第一言語だが,いずれもフ
ランス語で書く作家である。フランコフォニーの多様性の哲学は,フランス
にとって「外部」の作家や思想家によって模索されている。それによって,
私たちフランス語を母語としない者もフランコフォン空間に招じ入れられる
のだ。「一」や「起源」の思
を脱ぎ捨てないかぎり,「多」や「他者への開
かれ」の可能性は生まれない。フランコフォニーは語の深い意味で多言語主
義的である,さもなくば存在しないだろう。
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日本で初めてのフランコフォニー祭
日本で初めてのフランコフォニー・フェスティヴァルを呼びかけたのは,
日本フランス語教育学会(SJDF)である。フランス系文化機関や仏語圏諸国
の大
館の代表数人が恵比寿の日仏会館に集まり,最初の準備会合をもった
のは昨年 9 月のことだった。以来,会合を重ねるごとに参加機関が増え,当
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初は,記念日の 3月 20日を中心にフランコフォン作家を招いてのシンポジウ
ムと映画上映とパーティーぐらいできればいいと思っていたものが,2週間
にわたり目白押しの企画が並ぶことになった。
フェスティヴァルは 3月 13日,東京日仏学院でのアブデルケビル・ハティ
ビの講演に始まり,28日,大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズで
の仏政府フランス語
代表ベルナール・セルキリーニによる講演で終わった
から,まさにフランコフォニーの 2週間 Quinzaine de la francophonieであ
る。ハティビは評論集『異邦人のフィギュール』(水声社)しか訳されていな
いが,ロラン・バルトが絶賛したモロッコの小説家で,文学的多言語主義の
理論家でもある。『フランス語の
生』(白水社)の著者セリキリーニは,綴
字法の改革,職名の女性化,地域語少数言語の承認問題で活躍した柔軟な多
言語主義政策の推進者であり,言語の潜在性を開発する文学工房 OULIPO
のメンバーでもある。今年のフランコフォニー祭の合言葉 Langagez-vous!
(言語にコミットしよう)をつくったのは,おそらく彼だろう。
ほかに作家ではアルジェリアのアブデルカデル・ジェマイ,ジブチのアブ
ドゥラマン・ワベリ,コンゴのカマ・カマンダが,言語学者ではフランスの
アンリエット・ヴァルテールが招かれ,講演会やシンポジウムが開かれた。
音楽ではカメルーンの歌姫サリィ・ニョロのコンサートが圧巻だったが,ケ
ベックの音楽グループもわれわれを楽しませてくれた。大阪日仏センターは
昨年につづいて仏語圏映画祭を催した。うれしい驚きは,どの企画も盛況だ
ったことである。私がもっとも心配していた「仏系企業とフランス語」の討
論会にも 90人の聴衆が集まった。逆に,フランス語教師の顔が少ないのは残
念だった。フランス語への欲求は教師の期待を追い越していろいろな層に広
がっている。来年はもっと早めにプログラムを確定し,もっと多くの学生に
来てもらいたい。
この春の bonne nouvelleは,4月からフランコフォン・チャンネルの TV5
が受信可能になったことだ。今年はマグレブとアフリカの作家が中心だった
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が,来年はハイチの独立 200周年だから,カリブ海にスポットをあててもい
い。今年は演劇がなかったから,学生による仏語劇の上演はできないだろう
か。来年のフランコフォニー・フェスティヴァルに向けて,日本のフランコ
フォンたちの証言を集め Moi aussi, je parle le franç
ais を編む企画も浮上し
ている。たとえば
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浦ユネスコ事務
長や三宅一生氏,岸恵子さん,国境な
き医師団の日本人メンバーなどの証言を集めれば,フランス語によってどん
な未知の世界が開けるか,若者たちに大きな励ましになるはずだ。シェフや
ミュージシャンや海外青年協力隊の若者にも寄稿してもらい,
「フランコフォ
ン万葉集」ができればと夢想している。しかし欲張ってはいけない。小規模
でも毎年つづけることが肝心だ。持続こそ力なりである。
(『ふらんす』2003年 5月号初出)
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(中央大学)
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