規制するならば、おそらくキューバらしさは消えていく。この国の政府・ らでも、良い仕事がある方に住むつもりでいる。母語である広東語の 役人の責任感は日本のそれとはまったく異なるのだ。個々の努力もそ ほかに、英語、標準中国語(マンダリン)そして少しのポルトガル語が れなりに要求しつつも持続的な暮らしを提供してきたからこそ、国民は できるので、就職の心配はしていない。 政府・役人を信頼してきたのだ。有機農業によって貧しくなるような策 は受け入れられないのだろう。 ひいおじいちゃんの代にギリシャ系とポルトガル系の祖先を持つ (中国人なのにギリシャの姓なのはこのため)とはいえ、外見は典型的 話を戻す。つまり、議論の相が違うのだ。有機かそうでないかという な漢族である。おそらくは、一九九九年のマカオの中国返還という事 問題以上に、山間部で十分暮らせるだけの収入につながる農業技術 情もあり、十数年前に留学を決意し、いくつかの夢を抱き、TOEFL を として農薬、化学肥料のできるだけ少ない使用を許容する「持続可能 受験し、奨学金をアメリカの企業から受け、それなりの努力をし、そして 農業」が推進されているのである。私が見学した農家の収入の実例を 今、ほぼ当初の夢を実現しつつある。 挙げると、2000 年の 4863 ペソから 2002 年には 2 万 5000 ペソに大幅 に拡大。「これだけ収入があれば、ここでは十分過ぎるほど豊かに暮ら して行ける。人が多く空気も水も汚い都会よりここの方が断然いい」と 語ってくれた。たっぷり頂戴したフルーツジュースと、光害がまったくな いからこそ夜空に映える満点の星、見たこともないほどの流れを見せ るミルキーウェイは、言葉で語るまでもなく山間部での暮らしの豊かさ を感じさせずにはおかないのだ。 閉ざされた社会だけに、その内部からの自壊は絶対に避けなればな らない。このことを今後、「持続可能」な社会を目指して活動する者は 強く意識しておいた方がよいと思った。人々に我慢を強い、暮らしを破 中国山東省青島での「日本留学講座」(前方左が筆者) ●日本への留学生 壊してしまう策は、時にセンセーショナルに登場し、エモーショナルな 支持を集めるかも知れないが、始めた時点で既にほころび始めている のだろう。■ 現在日本に留学・就学している者の過半数は中華人民共和国から の学生である。わたくしの奉職する大学の留学生について見ると、そ の約八割が中国からである。留学生たちの夢はさまざまだが、彼らの 志望動機を聞くと、わが国の学術研究水準の高さや日本文化への興 特別レポート 味などに勝って、しばしば日本の経済力と消費水準の高さが大きな誘 あと少しの、夢を−現代留学事情− 引となっていることがわかる。皮肉にも、彼ら中国からの留学生の場合、 その夢を最初に破るのは日中両国の経済力の差であり、その当然の 塩出浩和(城西国際大学留学生別科専任講師) 帰結である物価の差である。しかしやっかいなのは、ただ単に商品や ●アメリカに行ったヴェロニカのこと サービスの価格が高いことだけが問題なのではないということである。 中国南部のもとポルトガル植民地マカオ出身のある在米留学生の 中国では通常無料かまたは極めて低額で提供されるものが、中国人 話である。彼女は今年二十九歳、独身で、名をヴェロニカ・カタモポラ の感覚からすると「不合理なほど高価」なのである。しかも、それらは嗜 スという。 好品でも遊興のための財やサービスでもなく、生活と勉強に必須のも マカオの高等学校を卒業して、カピオラニ・コミュニティー・カレッジ のである。 (日本の短期大学に相当)からハワイ大学に進み、心理学と教育学を このように留学生が感じる最大のものは授業料をはじめとする学納 学んだ。学部在学中にグリーンカード(アメリカ永住権取得者に与えら 金とアパート賃貸料や光熱費など居住に関わる諸費用、そして食費、 れる)をもらい、現在は同大大学院で修士論文を書きながら、公立小 最後に交通費であろう。中国の大学はごく一部を除いて国公立であり、 学校のカウンセラーとして働いている。小学校からの給料はフルタイ その入学定員数が高級中学(日本の高等学校にあたる)卒業者数に比 ム・スタッフと同等である。 べて非常に少ないので、入学選抜を通過することはとても難しい。しか グリーンカードはくじ引きで当たった。収入は月に二千三百ドルほ し、入学が許可されれば、授業料は無料かまたはあったとしても極め どで、ダイヤモンド・ヘッドのすぐ裏手に住んでいる。オーナーの家の て低額の名目的なものが徴収されるだけである。原則的に宿舎はキャ 一部を借りているがバスルーム、キッチン付で、ベッドルームも広い。 ンパス内に無料で提供される。文具購入費なども支給されることが多 日本の金持ちたちが別荘を買うカハラに隣接している。公共バスの便 い。食事も大学内の学生食堂で三食無料かまたはそれに近い価格で も良い。しかし、モペッド(原動機付自転車)を持っているので、移動に 供される。学内に住むわけだから通学のための交通費の負担はな はこれを使う。ハワイ大学本部のあるマノア・キャンパスまで約十分、ワ い。 日本の多くの私立大学では、留学生の授業料を三割引にしている。 イキキの東端までなら三分ほどである。 年に一度数週間ほど、東京、香港経由でマカオの家族のもとに帰 しかしそれでも、中国から来日する学生たちの親の平均収入数年分に る。将来、マカオに住むかアメリカに住むかはまだ決めていない。どち 相当する。国公立大学の学納金も決して安くはない。留学生の側から 見ると、これだけ高額の金銭を大学に納めているのだから、食・住の面 11 で大学は手厚い配慮をしてくれると期待してしまう。必修授業のための 途方にくれた孫君を助けたのは別の同郷の先輩だった。彼のアパ 教科書購入までが自己負担で一科目あたり数千円もかかってしまうと ートは2DK という間取りで四人の中国人留学生が住んでいた。一部屋 いうことなどは、彼らにとって驚天動地なのである。 に二人ずつである。一部屋に三人寝る空間はないが、先輩がどこかか 最近の中国人留学生の社会的背景は極めて多様化している。一 ら古い二段ベッドを調達してきた。その上段を使わせてもらうこととなっ 方で、年収三万ドルを超える新興の個人企業経営者階層や外資系企 たのである。光熱費込みで月一万八千円の負担でいいという。この同 業で働く専門職員を親に持つ学生も、まだ割合は低いが確実に増加 郷の先輩は来日前に会ったことはないが、とても力になってくれる。異 している。彼らは、一人部屋をキャンパス近くに借り、アルバイトはせず、 国で頼りになるのは同胞だと骨身にしみて感じた。 しばしば車まで持っている。ただし、大多数の中国人留学生は、両親 ●希望の新学期と試練 や親戚の援助でやっとのこと初年度学納金の送金と片道航空券の購 孫君の新学期が始まった。期待に胸を膨らませて授業に出た。先 入を済ませて、小額の現金と身の回りの品のみをもって来日する。 生は美人でやさしい。日本人の先生は中国の先生ほど厳しくない。 ●日本に来た孫君のこと 「あ・い・う・え・お」から始めたが、最初の三日間で「こんにちは」「さよう 中国東北地方から来た孫新華君の例を挙げよう。彼の出身家庭は なら」そして「わたしはソンです」まで言えるようになった。嬉しくて仕方 中国のこの地方の中規模都市に住む労働者世帯としては収入の多い がなかった。二十人いるクラスのみんなは、二人の韓国人とひとりのフ ほうであった。高級中学を卒業した後、競争の激しい中国の大学に入 ィリピン人を除いて全員中国人だ。すぐに友達になることができた。日 るほどの学力はなかったので、地元の会社で事務職員として二年働い 本という外国で初めて「上海人」や「福建人」という同胞にも会った。た た。日本の歴史や伝統文化には格別の興味はなかったが、遠い親戚 だし、彼ら同士は集まるとすぐ自分たちの方言で話すので、孫君には に、十年前に日本に留学し、修士課程まで出て帰国した若者があり、 全く聞き取れなかった。 彼が経済的にとても豊かな生活をしているので、「日本留学」という夢 が次第に彼の心を占めるようになった。 順調な日本語学習の滑り出しだが、実は初日に大問題が起こった。 先生が、明日までに大学の「生協書店」というところで教科書を買って 近くの大都市で、ある日本の私立大学の「留学説明会」があるという くるように、と言ったのである。「生活協同組合」ならおそらく中国に子 ので参加したら、その場でその大学の担当者と面接があり、意外に簡 供の頃まであった人民公社と同じで無料または廉価で必要資材を供 単に、「留学生別科」という課程に合格してしまった。日本語を学習した 給してくれるはずである。しかし。行ってみて驚いてしまった。その教 ことはそれまで全くなかったのである。大学担当者の説明によると別科 科書は定価が二千三百円で、「一割引」にしてくれるという。「それなら、 修了者はほぼ全員その大学の学部に入学できるという。母国に在って 二百三十円となり何とか払える」と孫君は考えた。しかし、一割引とは は夢のまた夢であった「学士」に五年でなれるのである。日本留学帰り 中国語の「一折」(定価の一割で売る)のことではなく「九折」(定価の九 の若者たちについてのうわさでは、日本から持ち帰ったお金で家を立 割で売る)のことだという。教科書にこんなに大金を払っていたら中国 て、新しい事業も始められるらしい。 から持ってきた日本円はすぐに底をついてしまう。孫君は「美人の先 孫君は初年度学納金と航空券に充てるため日本円で百六十万円 ほどの借金をして、期待に胸を膨らませて日本に来た。成田空港に降 生」の顔を思い出して、泣く泣く買ったが、その日の昼食は抜くことにし た。 り立ったときの所持金は十八万円ほどだった。この金額は中国人熟練 やはり、すぐにアルバイトを始めよう。そう思った孫君は大学の掲示 労働者の半年の給料より多い。いくら日本の物価が高いとは言え、留 板にあるバイト紹介を先輩に解読してもらい、電話をかけてもらった。 学生活を始めるのに十分な額だと思われた。「すぐに中古車ぐらい買 しかし、どこも「日本語を話せない人はだめ」、「外国人は採用しない」 えるかもしれない・・・、バイトは簡単に見つかると聞いているし・・・。」 と答える。一週間しても仕事が見つからない孫君に別の中国人の先輩 留学生の現実に孫君が直面するのにそれほど長い時間はかから が「いいバイト」を紹介してくれた。やはり頼りになるのは同胞である。 なかった。先ずは住む場所である。最初の一週間は大学が借り上げて 学生食堂の「昼の定食」四百二十円も払えなくなる日が近づいていた いるアパートに滞在していいと言われた。しかしその間に自分で別の 孫君にとって、まさに地獄に仏の情報だった。 アパートを契約しなければならない。この契約に「敷金」と「保証人」が ところが、仕事の内容を聞いてしり込みしてしまった。週に五日、夜 必要だということを「不動産屋」という人から初めて聞いた。同郷の先輩 の十時から翌朝五時まで。食品工場での肉体労働である。大学からは が通訳してくれたのでここまでのことは何とかわかった。しかし、問題 「バイトは一日四時間まで」と言われている。中国では学校の規則など はこの敷金と保証人である。敷金は賃料の二ヵ月分必要だという。キャ 破ったことがない孫君だったが、背に腹は替えられない。今月中に食 ンパス近くのアパートの相場は四万円だから、八万円の敷金となる。こ 費にも事欠くのは明白だったからだ。この仕事なら日本語が話せなく れならぎりぎりなんとかなりそうだ。ところが、問題は保証人である。留 てもできるという。なによりも他にバイトの口はない。 学生の先輩は保証人になる資格がないという。孫君には「日本人で年 さっそく、この食品工場で働くことにした。幸い毎晩八時四十五分 収四百万円以上の人」という不動産屋の条件に合う知人などいない。 にアパートの近くまで工場のバスが迎えに来てくれる。このバスで翌 大体、日本人の友人は皆無である。大学の事務の人に相談したら、敷 朝六時半頃に部屋に帰ることができる。何しろ、時給八百四十円もくれ 金・保証人不要のアパートもあるというのでさっそく、「マンスリー・ライ るし、バイト仲間も皆中国人留学生だった。近くの別の大学に通学する オンパレス 22」という別の不動産屋に行ってみた。ここの人はニコニコ 学生が多かったが、母国語で話すのは気楽だし、夜食を出してくれる してとても親切だったが、家賃六ヵ月分一括前払いだという。 のが何よりありがたかった。「時給八百四十円で百時間働けば八万四 12 千円にもなる・・・」こう皮算用をすると、日本に来て良かった、という思 機会もないし、帰化もかなり難しい。日本人と結婚するなどした一部の いが込み上げてくる。「故郷の国家幹部の月給より多い」と孫君は思っ 者のみがずっと日本で生活することができる。このため日本に滞在す たのである。これで毎月親元に送金し、借金を返すことができる。 るためだけに不本意な結婚をしたり、同居の実体のない偽装結婚をし バイトを始めて最初の一週間は何とか大学の授業には出ることが たりする者が後を断たない。 できた。別科の授業は月曜から金曜までで、朝の九時から午後の三時 しかし、最近の留学生の実態を見ると学部卒業までたどりつく前に までである。毎朝夜勤明けでアパートに帰って二時間寝てからクラス 上述の孫君のように挫折する場合が多い。甘い見通しをもって来日す に出た。ところが、第二週目からどうにも朝九時という大学の始業時間 る留学生本人にも責任はあるが、正確な情報を留学希望者に伝える に間に合わなくなった。一時限目は毎日遅刻するようになってしまっ 努力を怠っている日本側にも落ち度があると言わざるを得ない。政府 た。孫君の大学では通常一時限目にその日学習する課の文法事項を の「留学生十万人計画」をサポートする日本側の奨学金などの制度も 説明する。朝遅刻するようになった孫君はだんだん授業についていけ ここ数年は改善するどころか、後退している。地域社会も留学生を受け なくなった。担任の先生に「どうしたの」と聞かれたが、学校に知らせず 入れる準備に欠ける。外国人には部屋を貸さないという大家さんがま にアルバイトをしていたので、「環境が変わって体調が悪い」と答え だ多い。 た。 「留学生十万人」など今の日本社会にはまだ贅沢な、過分の幻想・ 別科の授業が九ヵ月済んだところで、その大学の学部に入学する 願望である、という想いはわたくしだけのものではない。留学生教育に ための試験があった。出席率は八十五パーセントで別科卒業基準をク 現場で関わる多くの教員が共有する考えである。希望は棄てたくない リアしたが、第二学期はずっと授業中眠っていたこともあり、志望学部 が、圧倒的な現実の前に立ち尽くしている。 の日本人の先生との面接では、ほとんど何も日本語で答えられなかっ 日本という国は、あとほんの少しの夢を留学生に頒けることができ た。うまくなったのは日本語よりも、クラスメートたちが話すのを毎日聞 るのだろうか。 いていた上海語と福建語であった。孫君の学部入試の結果は「不合 (本稿は事実に基づいているが、個人名や企業名は仮名を使用し、複 格」であった。 数の実在の留学生がモデルとなっている。また、必ずしもわたくしの勤 今、孫君は日本語ができなくても年間四十五万円の学費を払えば 務する大学の実例ではないことをお断りしておく。)■ 二年間のビザ手続きをしてくれる専門学校に行くか、帰国するかを決 めかねて悩んでいる。日本で大学卒業の学位を取り、貯金もして故郷 に帰るという「夢」はどうやら実現しそうにない。そればかりか、まだ、借 金さえ返し終わっていない。 ●来日留学生の夢とその障害 連載:ヨーロッパずっこけ探訪記 その12 ずっこけスイス編 ∼―ユースホステルで英語の喧嘩をしたの巻 日本に留学する多くの中国人も、ヴェロニカと同じように「夢」をもっ て来ているのだろう。留学生たちにとって日本は夢の国である。彼らは、 舟木環境経済政策研究所 舟木賢徳 ドイツでの取材を終え、午後7時半、次の訪問国のスイスへと向かう。 自らの将来を日本という国に託した。恋人と別れて来日した者も、在学 面積は約 4.1 万km2と九州の 1.13 倍とほぼ等しい。しかし、人口は 中の学校を中途退学した者も、キャリアを中断した者も、さらには孫君 2002 年で 720 万人と、九州の人口約 1,346 万人のわずか約2分の1で のように親戚に多額の借金をしてきた者も多い。彼らの夢を引き受け ある。ドイツに近いところはドイツ語、フランスに近いところはフランス語、 たこの国は、その夢のいくらかでも叶えるための援けができるのだろう イタリアに近い所はイタリア語が公用語となっている。国民の中には 3、 か。いくつかの社会的な要因や制度的な側面から検討してみよう。 4 ヶ国語を話すバイリンガルの上を行く人が多い。 ヴェロニカが就職できたのは学部卒業後一年間の就業許可をアメ スイスと言えば、言わずと知れたシラーの戯曲で有名な独立運動の リカ合衆国移民局からもらったためである。この許可は原則的に、アメ 英雄「ウイリアム・テル」の国。そして永世中立の国でもある。しかし、 リカの大学(学部でも大学院でもよい)を卒業するすべての外国人留 EU に参加するヨーロッパの国が多くなる中で、将来の EU 加盟を睨み、 学生に与えられる。雇い主があらかじめ決まっていなくても良い。この 昨年の3月の国民投票で僅差で可決、9月に国連への加盟を果たした。 一年間に、アメリカでいくつかの職業を経験し、その後フルタイムで働 何度目の国民投票であろう。スイスと言へども、共通貨幣のユーロに見 くか、大学院の修士課程や博士課程に進むか、あるいは帰国するかを る経済の流れを無視できなかったということであろう。1815 年のウィー 決めることができる。 ン会議で永世中立を果たして以来なんと 188 年目の転換である。これ 一方、日本に留学する外国人たちの中で、日本の大学を卒業して、 すぐにフルタイムの仕事をさがしあて、正式の就業ビザをもらって会社 で、独立国家で国連に加盟していないのは、バチカン市国だけとなっ た。 や官庁で働く機会を得る者の数は極めて限られている。日本の就業ビ 明日の取材先はフライブルク駅から列車でわずか 23 分のスイスの ザは就職する会社が決まっていないと出ない。所謂不法滞在者となり 首都ベルン駅である。ベルン駅の近くにある、生協組織としては恐らく 不正規に就労するか、形だけ大学院に進学しアルバイトに精を出すか、 は世界最大のミグロスーパーマーケットのベルン支店を取材する。本 または帰国するかを迫られるのが実態である。大学院修了者にとって 日は、宿泊費を節約するため、ユースホテルに泊まる。ベルン駅を降 も事情は大同小異だ。 り、「地球の歩き方」の説明に従ってアーケド街を通り抜け、ドイツ語で 永住権についてはどうだろう。日本には、くじ引きで永住権を取る 13
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