ラッサ熱の概要 鹿児島大学名誉教授 岡本嘉六 ラッサ熱は、感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関 する法律)で一類感染症に指定されている最も恐れられている 7 種類の伝染病 の一つである。ウイルス感染によって発熱と出血を引起す病気には、黄熱、デ ング熱、腎症候性出血熱など多数あるが、一類感染症に指定されたこれらの 4 種類はヒトからヒトへの感染力が強く、しばしば爆発的流行を引起す。 感染症法の一類感染症 病名 発見された年・場所 保有動物の例 エボラ出血熱 1976 年、スーダン コウモリ、サル クリミア・コンゴ出血熱 1945 年クリミア、1956 年コンゴ マダニ・野生動物 南米出血熱$ (17 種のアレナウイルス) ネズミ マールブルグ病 1967 年ドイツ、ウガンダから輸入 サル ラッサ熱 1969 年ナイジェリア マストミス ペスト 1894 年 Yersin と北里柴三郎 ノミ・ネズミ 痘瘡 1920~40 年# (非人畜共通感染症) $ :南米出血熱は、アルゼンチン出血熱、ボリビア出血熱、ベネズエラ出血熱、ブラジル出血 熱を総称したものである。 :ウシ、サル、ラクダなど各種動物に固有の Pox ウイルスが存在し、痘瘡の病態が複数あり、 # 痘瘡ウイルスがヒト以外に感染しないことから、痘瘡の本当の病原体の実証は困難をきわめた (VARIOLA VIRUS AND OTHERORTHOPOXVIRUSES) 。 ラッサ熱は、1969 年にナイジェリア東北部 の Lassa 村の教会病院で流行を起し、患者検体 からウイルスが分離されたことからラッサウイ ルスと命名された。ラッサウイルスは 1 本鎖 RNA を持つアレナウイルス科に属する。4 つの サブグループからなり、ナイジェリアに3つの サブグループ、シエラレオネ、ギニア、リベリ アに残りのサブグループが存在する。 その後も周辺地域で院内感染による流行が続き、致命率がきわめて高いこ とで恐れられた。その後、分離ウイルスを用いた保存血清の抗体検査によって、 1950 年代から発生していたことが判明するとともに、マストミスを宿主とし、 アフリカ大陸に広く常在して地域住民は抗体を保有していることから発症しな いか、軽症で済んでいることが明らかになった。すなわち、院内感染をした海 外支援者等は抗体を持たないために重症化した側面もあった。 シエラレオネの調査では抗体保有率は 8 〜52%、アフリカ一帯で年間 20〜 30 万人程の感染者があり、年間死亡数は 5,000 人程度と推定されている。発症 率は 9~50%、発症した場合の致死率は 15~20%と考えられており、妊婦は重 症化し、胎内死亡、 流早産を起す。化学療法剤リバビリンが有効で、発熱 6 日 以内に投与開始すると致死率が 5%に低下するとされている。 ウイルスを保有するマストミスの尿や唾液中には多量のウイルスが排出さ れるが、 マストミスは病気にならない。ヒトへの感染はそれらとの接触(手、 足の目に見えない傷)や咬まれることなどによる。ヒトからヒトへは血液、体 液など(粘膜 の接触を含む)で感染拡大がおこる。 アフリカで感染し帰国後発症する輸入例が欧米諸国で 20 例以上報告されて いる。米国では 2004(シエラレオネ)、2010(リベリア)、2014(西アフリカ)、 2015 年(リベリア)と続いており、1975 年以降 8 名に及んでいる。日本では 1987 年にシエラレオネからの帰国者が発症しており、1976 年にはシエラレオ ネで感染した米国人を輸送する飛行機に乗りあわせた日本人が到着後隔離され る事態があった。 サハラ砂漠以南の諸国は長期の内戦が続き、社会的基盤が脆弱で重大疾病 の診断もおぼつかない状態であり、昨年来のエボラウイルス病の大流行を招い ている。伝染病が常在することは、当事国だけでなく、国際的脅威となること から、WHO を初めとする国際的支援が重要である。
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