ニューミュージック歌手から音楽伝道者へ - kameyama

亀 山 東 小 学 校 HP
H.27 年 10 月 13 日
文責:校 長(佐 藤)
ニューミュージック歌手から音楽伝道者へ
東京の国立生まれで、4 歳のころからピアノを習い、中学高校時代は当時人気のあったフ
ォークソング歌手たちのコピーをしたり、自作の曲を書きとめたりしていました。1979 年
久保田早紀の名前で短大在学中に作詞作曲した「異邦人」でレコードデビューしました。私
たちの年代ですと知らない人はいないと思います。とにかく衝撃的なヒットでした。しかも、
ちょっと大人っぽくて、歌詞も難解でメロディーも異国調だったことを記憶しています。
「異邦人」は民放の歌番組で 3 週間連続 1 位の座を獲得するなど大ヒットし、
久米さん当時の久保田早紀は一躍話題のニューミュージック歌手になりました。
その後も、得意のオリエンタルな雰囲気の曲や曲調をがらりと変えた曲を発表し
ましたが、デビュー時のインパクトを越えることはありませんでした。
久米さんは 1981 年に東京都内のキリスト教会で洗礼を受けて、1984 年の結婚
を機にニューミュージック歌手としての活動を中止しました。その後はクリスチャンの
音楽伝道者として活動を続けています。各地の教会等で伝道コンサートを開いた
り、被災地の支援を行ったりしています。そんな久保田早紀さん、いや、久米さ
んの講演を聞きました。
「東日本大震災の被災地の応援活動を続けている。先月下旬にも尋ねた。石巻の教会でのコンサートで讃美歌、
昔のニューミュージック等を歌う。大震災の津波で親を亡くした子供達の面倒を見ている人に出会って、何か
できるころがあるのではないかと思い立ち上げました。楽器を届けるとか、教えるとか、音楽の種をまく活動
もやっています。復興と言うにはまだ一歩一歩前に歩んでいかないと、なかなか復興にはたどり着けないとの
思いはあります。
4 歳のころからピアノを習い始めた。母がピアノを習うようにとの思いがあり、母はピアノを職業とするこ
とを希望していたが、小学校時代は嫌いでも続けていたが、中学校になると、歌謡曲やフォークソング等を弾くよう
になり、その後、フォークソングを主に弾くようになりました。男子中学生と一緒にバンドを結成した。
(ガロをまね
る)私が高校時代、父は通訳の仕事で、イランのテヘランに単身赴任をしていました。イランのヒット歌手のカセッ
トをお土産に買ってきてくれ、不思議な旋律だと思いながら聞いていました。
1979 年 10 月 「異邦人」
(作詩、作曲、歌
久保田早紀)は、
「白い朝」というタイトルだったが、八王子から
学校に通う中央線の電車の中でできた曲でした。短大の 2 年間はソニーに通って作った曲を持って行っていま
したが、その中の一曲でしたが、気にいってくださる人がいまして、もしかしたらコマーシャルに使えるかも
しれないと言う事で、大手電機メーカーのTVコマーシャルとして採用してもらったが、映像がアフガニスタンの国境ぐら
いまで行って撮ってきたもので、エキゾチックな詩に手直ししようと言う事になり、いくつかタイトル候補があり、
その中の一つが「異邦人」でした。サブタイトルがシルクロードのテーマでした。
歌手デビューのイメージは苦節 10 年というような思いがあったので、自分にスポットライトが当たるとは思
わなかった。自分がプロとしての意識等はなかった。心配、不安はいつもあったと思います。ほとんどのニューミ
ュージックの大御所はバックボーンがしっかりした音楽家が多かったが、自分の音楽のルーツ、ポリシーはふわふわしていて、
キャリアもないし情けないなあといつも思っていました。
「異邦人」の後につくるもの、本来の自分らしい世界を聞いてほしいという思いが強かったが、シルクロードと
か、中近東等をイメージする物を作ってほしいという要望があり、そんな中で試行錯誤していた。芸能界引退
は 1984 年で、活動は 5 年間ぐらいでした。その前にクリスチャンになったことが大きな出来事だった。
1981 年に洗礼を受ける。リスボンでレコーディングをして帰って来てから、もう一度教会に行きたいなあと思
った。自分の音楽のルーツを知りたいと思って、教会にもどりたいと思った。子供のころは教会に行って、讃
美歌等が好きだったのでルーツは教会にあるのかなあとふっと思いました。その時点では洗礼を受けるとか、
宗教心を持って生きようとはさらさら思わなかった。
ある時、大平透さんの番組にまねかれて、大平さんから行きたいところとかやりたいことはあるかと問われ
て、私はキリスト教の教会に行きたいと思いますとふっと言ってしまった。それでは僕の親父のところへ行っ
たらいいと言われて、地図まで書いてもらった。母と一緒に夜に行ったが迷ってしまって、別のプロテスタン
トの教会に灯りがついていて、音楽が聞こえてきて、ずーと最後まで聞いていた。中に入って聞いてもいいで
すよと言われたが、信者ではないと言ってその時は帰って、最終的にはその教会で洗礼を受けました。オハイオシ
ンガーズという神学生の人たちのコーラス隊だったようで、3 年か 4 年に一回来る人達で、たまたま私が訪ね
た晩にコンサートをやっていたようですで、不思議な縁でした。
讃美歌、聖歌は別のラブソングだと思っている。神様へのラブソングだと思っている。
『いつくしみ深き』讃美歌 312 番
“いつくしみ深き
こころの嘆きを
友なるイエスは
包まず述べて
罪
咎(とが)
憂いを とり去りたもう
などかは下さぬ 負える重荷を”
変えてはいけないと思っていたが、讃美歌も自分のキーで下げたり上げたりしてアレンジしています。日本
の叙情歌や、「異邦人」も歌っています。私は音楽を通して、その中(聖書)にある喜び、楽しさ、自分を元
気にしてくれる言葉とかというものをお届けできればいいなと思っています。
光は本物と偽物をあぶり出してくれるものだと思っていて、神様の照明、本当にいいものを照らしてくれる
のが私にとってフォートス(ギリシャ語で光)だと思っています。日本ではクリスチャンは 1%いるかどうかぐらいです。
現代的なキリスト教音楽もグラミー賞のジャンルの中にあるので、日本はもっと皆さんに知っていただければ
いいなと思います。
ものすごく大きな気付きとかきっかけを与えてくれたのが音楽界、芸
能界、視聴者の方々だと思うが、久保田早紀時代は、音楽は自分の人生
のすべてだった。今は、音楽は大切で大好きだが、自分の人生の一部だ
とは思っているが、すべてではないと思っている。
」
昨日は、野田あすかさんという、発達障がいをもつピアニスト
を紹介しました。久米さんも音楽を通して、自分の存在を再確認
し、人のためにできることの喜びや生きがいを見いだしたのです
ね。