天国の友を覚える

聖霊降臨後
第21日 礼拝
招詞:ヨハネ黙21:1-4
説教:
2016年10月9日
聖書:
飯川雅孝 牧師
ルカによる福音書7章11-17節
『天国の友を覚える』
1.人間の死は人生の重さを考えさせます。「宗教は必要か」という問いがこの世では時
たま飛び交います。だれでも「葬式はどうするのか。」ということに対して、教会やお
寺を決して否定しません。つまり、一番重要なことはその時になって初めてそれが来た
ことに気が付くものです。バイブルクラスの先輩同士が人の生き方について必死に論争
しておりました。論争の中で一人の方が「死を考えながら生きることと、考えないで生
きることでは、根本的にその生き方の重さが違う。」と語っていた言葉が印象的でした。
後にNPO法人の自死遺族ケア団体全国ネットの代表になりました。家族の中に自死者
が出る。それはどんな死よりもご家族の方にとっては罪責感さえ与えてしまうほどの残
酷さではないでしょうか。そうした方々がお互いに手を結んで支え合うようなグループ
を構想し実現したのであります。人は若い頃抱えた問題の解決に生涯を費やすと言われ
ますが、死について考えていたことがキリスト者医師としてその深さを増して結実させ
たと感じました。
わたし自身も6人の方の葬儀を司式させていただきました。それぞれの方の生き方をご
家族よりお聞きします。そこには、人生で勝ち得た喜びもあれば、汗と血と涙にまみれた
苦闘もあります。時には凄まじい生き方を拝見することが多々あります。とくに末期癌の
方のご家族からは「死んだことで苦しみから解放されました。」とのお言葉をいただきま
す。そのご遺体に接して人生の一番厳粛な時をご家族と共に過ごします。その場は神のご
臨在なくしては考えられない重い場であります。ご家族はそれぞれに、その死を受け入れ
て生きて行かなければなりません。
2.主イエスは一番苦しい死の問題を解決される神の力を持っておられる。
頼りにしていた一人息子を天に送って、深い悲しみにある母親への主イエスのおもいや
りを語っております。ナザレの近くのナインに行かれた時、ある母親の一人息子が死んで、
その棺が担ぎ出されるところに出合います。町の人が大勢そばに付き添っていた。わたし
たち都会で住む者の生活が近所の方とは独立しているのと違って、喜びや悲しみを共にす
る大家族か同情している様子を伝えます。ところが、その母親がやもめであると言う事実、
なんということでしょうか。すべての生きる希望を失い、悲しみの底に落し入れられた人
がここにいる。 主はこの母親を見て、憐れに思い、
「もう泣かなくともよい」と言われた。
そして、近づいて棺に手を触れられた。担いでいる人たちは、イエスに見ていただければ
死人の慰めになると思って、立ち止まった。イエスが「若者よ、あなたに言う。起きなさ
い」と言われると、死人は生き返った。イエスは息子をその母親に「お返しになった。」
とは人の命は神の御手にある。この神のみ業に接して人々は皆恐れを抱いた。だから、大
預言者が我々の間に現れ、わたしたちに心にかけてくださったと賛美したのであります。
わたしたちは、一体どのようにして、この物語の伝えるめぐみをいただけるでしょうか。
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3.聖書のみ言葉はわたしたちが神の前に謙虚にされる時にのみ力を発揮する
5年半前、あの3.11の東日本大震災の後、あるキリスト教の信徒が集会で「自分が
神の霊に接してこの世のものとも思われない至福の境地に導かれた。聖書のみの働きによ
るものであった。と語っておりました。そうです。聖書のみ言葉の力が、やもめの息子を
生き返えさせた物語をわたしたちに解らせる。本日の招詞、ヨハネの黙示録はローマの時
代に殉教した人たちに対して、「神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共
にいて、その神となって下さっている」その境地にわたしたちをも神は導いて下さる。
「彼
らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも
労苦もない。」愛する家族を天に送った人への慰めの言葉です。
ヘブライ人の手紙は語ります。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣
よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見
分けることができるからです。」 「更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべ
てのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたした
ちは自分のことを申し述べねばなりません。」わたしたちが、心をすべて神に差し出した時にの
み、聖書のみ言葉は、わたしたちを生かし力を発揮する。息子に死なれたあのやもめはただ泣く以外に何
も持っていなかった。その悲しみを神の子イエスに差し出した。わたしたちが神に自分の一番弱い所、醜
い所を差し出した時にのみ、神の力が与えられる。逆に自分を神とする心を持った者には死が与えられる。
使徒言行録の12章は神に逆らったヘロデ王の死を伝えております。ティルスとシドンの住民は王を訪ね
て、王が演説した時、「神の声だ。人間の声ではない」とへつらって叫んだ、王が自分が神になったつも
りで、いい気になっていると、たちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒し、彼は息絶えた。と伝えています。
4.信仰を抱いて生きた師や友の姿勢から恵みを受ける
わたしたちはこの地上の生において多くの人との出会いがあります。信仰を抱いて生きた師
や友、告白するに至らなかったけれども真摯に生きた人達の姿勢ほどわたしたちの人生を正し、導い
てくれるものはありません。わたしたちもやがて天国に召される時が来る。この地上の生き
方を最後の一歩まで意味あるものにしたい。だから、今生きる命の重さを考え、これらの人
達からのメッセージを受けたい。今すでに天国にいる友との永遠の魂の交流を覚えたい。そ
の人達の真実な生き方はわたしたちに大きな力を与える。
今日の讃美歌-21
1
花彩る春を
はまことに見事にそれを謳いあげております。
この友は生きた、
いのち満たす愛を
2
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3
歌いつつ。
色づきゆく秋を
いのち
この友は生きた、
他人のために
燃やしつつ。
悩みつまずくとき、この友の歌が
悩みつまずくとき、この友は示す
私をつれもどす
歩みつづけてきた
緑もえる夏を
主の道へ。
この友は生きた、
いのち活かす道を
4
求めつつ。
雪かがやく冬を
主の道を。
この友は生きた、
いのちあたためつつ
悩みつまずくとき、この友のすがた
この日、目を閉じれば
私をふりかえる
この友を包んだ
主の道で。
2
やすらかに。
思いうかぶのは
主の光。