たけおか第55号 - 日本社会事業大学

日本社会事業大学報
第55号
全国の福祉リーダーを養成する
平成18年7月1日発行
≪目 次≫
◆ 巻 頭 言 2006 年度の抱負-大学創立 60 周年を迎えて
大橋謙策(学 長)……… 3
◆ 教 育 強いアイデンティティを感じられる社大をめざして
辻 浩(社会福祉学部長)……… 5
◆ 同 窓 会 「実践記録」
◆
〃
中田 勉(社会福祉法人 めひの野園園長)……… 6
「セーフネットの構築をめざして」
岩崎俊雄(社会福祉法人 すぎのこ会理事長)……… 9
◆ 国家試験対策 「焦らず、諦めず」
◆
〃
橋本健太(学部卒業生)……… 12
社会福祉士・精神保健福祉士合格体験記
靱江淳子(学部卒業生)……… 13
◆ 決 算 報 告 平成 17 年度決算の概要 …………………………………………………… 14
◆ 報
告 平成 18 年度入学式について ……………………………………………… 16
◆
〃
文京社会福祉専門学校について …………………………………………… 16
◆
〃
人事報告 ……………………………………………………………………… 17
※
※ 表紙の題字は、元学長・平田冨太郎筆。
※
※ 表紙の写真は、花菖蒲。
花菖蒲。
。
巻 頭 言
2006 年度の抱負-大学創立 60 周年を迎えて
おお
はし
けん
さく
学 長 大 橋 謙 策
(はじめに)
ある中で全国に誇れる大学として本学を益々充
新入生の皆様ご入学おめでとうございます。
実発展させられるよう尽力する所存です。どう
大学創立 60 周年という節目の年に皆様をお迎
ぞご支援、ご鞭撻を頂きたく改めてお願い致し
えできましたことを教職員一同心から慶び、歓
ます。
迎致します。今年度の新入生は社会福祉学部
201 名、学部編入生 49 名、大学院社会福祉学
(大学創立 60 周年と建学の精神)
研究科博士前期課程 17 名、同博士後期課程 7 名、
ところで、先にも述べましたが、今年の 11
専門職大学院(大学院福祉マネジメント研究科)
月 9 日は本学が創立されて 60 周年の開校記念
68 名、通信教育科 1,386 名の計 1,728 名となり
日です。本学は校歌にあるように戦争で焦土
ます。また、この 4 月から学校法人日本社会事
化し、“餓莩”世に満ちる時代に、東京の牛込
業大学に合併されました文京社会福祉専門学校
区原町(現新宿区、皇居からみて乾(西北)の
(介護福祉士養成コ-ス)に新入生が 32 名入学
方角にある)の地に、“汚濁、貪婪すさぶ世に、
され、茗荷谷キャンパスで在校生 29 名と共に
睦ぶ久遠の夢”を実現すべく、“忘我の愛と智
学ぶことになります。
の灯”をもって“社会の福祉誰が任ぞ”の気概
日常、清瀬キャンパスには全学で通学生約
を果たすべく 60 年前に誕生しました。
1,100 名が学んでいますが、7 月~ 9 月の通信
日本社会事業学校が誕生した同じ 1946 年 11
教育科のスク-リングがある時期にはキャンパ
月 3 日には日本国憲法が公布されました。日本
スに最大で約 2,000 名が学ぶことになります。
国憲法の前文は“われらは、平和を維持し、専
キャンパスで学ぶ期間はそれぞれですが、緑豊
制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去し
かな清瀬キャンパスでの学生生活を満喫して下
ようと努めている国際社会において、名誉ある
さい。そして、都心にある茗荷谷キャンパスも
地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国
活用して頂きながら、文京社会福祉専門学校の
民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和の
学生とも大いに交流を深めて頂きたいと思いま
うちに生存する権利を有することを確認する”
す。
ことを謳いました。この憲法前文の精神は日本
私は、学長職としてこの 4 月に再任され、向
社会事業学校の創立の理念と重なるものであ
こう 4 年間日本社会事業大学の教学の責任者と
り、校歌はそのことを高らかに謳っています。
して学長を勤めることになりました。私自身、
そんなことを考えますと、本学の建学の精神は
日本社会事業大学の卒業生ですし、大学への愛
“忘我友愛”であり、全世界から恐怖と欠乏を
着は人一倍あると思っていますが、私一人の力
取り除く“窮理窮行”、
“平和共存”と言えます。
では何もできません。新入生の皆様、在学生の
日本社会事業大学の創立 60 周年迎えるにあ
皆様、教職員の皆様、同窓生の皆様等と力を合
たり、改めて日本社会事業大学が国民の付託に
わせて、日本社会事業大学を名実ともに、社会
応え、厚生労働省が目的とする福祉人材養成の
福祉学の単科大学として、社会福祉系大学の数
趣旨を十分忖度し、日本社会事業大学が全国の
--
巻 頭 言
社会福祉系大学のモデル校として先導的役割を
敏性のある教学運営が望まれます。そのよう
果たさなければならないことを関係者一同想起
な大学経営を取り巻く環境の変化に対応させ
し、肝に命じる必要があります。
て、全学的な教学組織体制の整備とそれに伴
う学則等の教学組織規程の整備が急務です。
(2006 年度大学運営の考え方)
③大学も今社会の一員としての役割を果たすべ
2006 年度における大学運営、取り分け教学
く、大学の社会貢献、地域貢献が求められて
運営の方針としては、2003 年度に策定いたし
います。本学も地元清瀬市や全国社会福祉協
ました「学校法人日本社会事業大学中期目標・
議会、あるいは全国社会福祉施設経営者協議
中期計画」に基づき、法人理事会で決定いたし
会、日本社会福祉士会、日社大をかこむ地域
ました「平成 18 年度の事業計画」を遂行する
福祉会等との関わりを深め、社会福祉学の単
ことに尽きますが、中でも以下の点を重点的に
科大学としての社会貢献、地域貢献を積極的
取り組みたいと考えています。
に推進していく必要があります。専門職大学
①社会福祉系大学が多数設置されてきている状
院では日本社会福祉士会のご協力を得て様々
況の中で、日本社会事業大学が厚生労働省の
な活動を展開し始めていますし、清瀬市とは
委託を受ける意義について教職員は当然のこ
組織的な連携をより深め、清瀬市を基盤とし
ととして、本学で学ぶ学生、院生にもそのこ
た社会福祉実習を展開できないか検討を始め
とを踏まえていただき、急速に改革が進んで
ることにしました。
いる社会福祉分野において求められる福祉人
④本学の使命の一つは、全国各地から優秀な学
材の養成とそのモデルになるように大学一丸
生を受け入れ、全国各地に就職させることで
となって、組織的に対応していくことが必要
す。そのためには、社会福祉学部生や専門職
です。
大学院生の各地からの受け入れもより充実さ
そのためにも新しい社会福祉の課題に対応
せなければなりませんが、約 1,800 名の履修
できる能力を身につけられるよう実習教育
者が学ぶ通信教育科の位置は大変重要です。
や教育課程を見直し、学部教授会等での FD
通信教育科の履修者の組織化を図り、同窓会
(ファカルティ・ディベロップメント、教員
とも連携して、本学の使命を果たしたいと考
の教育能力の開発)を強化し、社会福祉学に
えています。そのためにも今まで以上に全国
関する教育・指導のあり方を再検討し、学生
各地の同窓会(通信教育科や専門職大学院の
の授業評価に応えられるように教育を豊かに
卒業生も含めて)との関係をより蜜にしてい
していくことが必要です。
きたい思います。
②日本社会事業大学は長らく社会福祉学部中心
以上、2006 年度の抱負をいろいろ述べてき
の単科大学でしたが、ここにきて社会福祉学
ましたが、要は、社会福祉系大学の単なる一員
部に基礎を置かない専門職大学院(福祉マネ
として教育・研究をしているだけでは本学の使
ジメント研究科)を設置し、かつ文京社会福
命を果たすことができません。広く関係者と協
祉専門学校を合併しました。そのことにより、
力して、本学が社会福祉系大学の中核として、
法人全体の教学の方針を決定する機関が従来
また本学が有している機能、社会資源を全国の
の学部教授会のみではできなくなり、全学的
社会福祉系大学の共同利用施設(ナショナルセ
な教学方針を論議・決定する全学教授会の位
ンター)として位置づけ、貢献できてこそ本学
置づけが必要になってきました。また、大学
の使命が果たせることを考えなければなりませ
評価に耐えうる教育実践の推進や外部の競争
ん。
的研究資金の獲得等を考えますと効率的、機
--
強いアイデンティティを感じられる社大をめざして
つじ
ゆたか
社会福祉学部長 辻 浩
社大の財産の一つとして、全国で優れた実践
余地をどう確保するのか。このことは易しそう
を展開しておられる同窓生がおられることをあ
に見えてとても難しいことですが、そのような
げるのは誰もが認めるところだと思います。そ
スタンスでいくつかの事業に取り組みたいと
ういう方々が高校生に社大への進学を勧めてく
思っています。
ださったり、本学に現場の情報を届けてくだ
このように社大の伝統を学び、大学の事業を
さったりしてきました。小規模で個性豊かな大
協働的につくっていくことに加えて、大学であ
学にならなければならない本学にとって、その
る以上、学生が確かな学力を身につけられるよ
ような同窓生の力は貴重です。
う、全力を注がなければなりません。これまで、
しかし、多くの福祉系学部・学科が設置され
単位認定の厳しい教員への学生からの風当たり
ている今日、社大で学ぶことの意味を考えるこ
は強かったのですが、それは一面的だったのか
とが、これまで以上に大切になってきています。
もしれません。授業や試験が厳格で緊張感のあ
学生が社大で学んでよかったと思い、社大に強
るものであることによって、学生は自ずと社大
いアイデンティティを感じられるように、何を
への誇りを感じるのではないでしょうか。
しなければならないのか。私たちはそのことを
「指導的福祉従事者の養成」という本学の設
真剣に考える必要があります。
置目的からすれば、社会福祉の専門教育をリー
そのような状況の中で、今年のオリエンテー
ドできる先進的な教育実践をつくる必要があり
ション・フェスティバルでは、仲村優一先生に
ますし、今後予定されている第三者評価におい
「『人権と社会正義の原理』とソーシャルワー
て高い評価を得ることも大切です。これらの課
ク」というタイトルで新入生にお話をしていた
題と並行して、あるいはこれらの課題を達成す
だきました。また、社大の校歌をみんなで覚え
るために、学生が強いアイデンティティを感じ
る時間もつくりました。社会福祉が今日ほど一
られる大学にしていくことが必要だと考えてい
般化していない時代に、それに情熱を燃やされ
ます。
た方々の思いを理解し、新しい感覚も加味して
今の学生が引き継ぐことができればと思ってい
ます。
また、アイデンティティを高めるためには、
たんにサービスを受けるだけではなく、一緒に
何かをつくり出していくことが有効だといわれ
ています。今日の大学改革の先端部分では、学
生とともに事業や活動を展開するということが
評価されています。大学として明確な方針をも
つことや教員がしっかりとした教育計画を立て
ることは必要ですが、そこに学生と協働できる
--
実 践 記 録
なか
た
つとむ
中 田 勉
(社会福祉法人めひの野園園長:本科 3 期)
戦後の荒廃からようやく抜け出し、朝鮮戦争
かで深川の水上生活者の実態調査も印象に残っ
の特需景気がただよい始めた頃、私は社大に入
ている。ノミ、シラミがつくからといって、ズ
した。
ボンのすそを膝までたくし上げて恐る恐る艀を
ようやく短大としての条件整備が整った頃
渡った。また福祉事務所の実習は台東福祉事務
で、不備を承知で、新生日本の将来は福祉の時
所で、ケース記録の書き方、訪問調査など重田
代であろうと希望に胸を膨ませての入学だっ
先生だったと思うが印象深く記憶に残ってい
た。
る。
入学式前日、新聞の布団をかついで松窓寮に
あっと言う間の 2 年間で 2 年目に叔父の家を
荷を下した。大変古い寮で大部屋に 6 ~ 7 人い
離れ当時としてはめずらしい知的障害者の施設
ただろうか。わずか一畳程の空間を見つけ布団
に住み込み、夜間の世話、休日の農作業の手伝
を敷いて寝た。夜半布団の上に雨漏がし飛び起
いなど毎日楽しく過ごした。学校へは北浦和駅
きた。布団を片づけ部屋の隅で一夜を明かした。
からの通学であった。
翌朝早々に池袋の叔父の家に逃げこんだ。
昭和27年 4 月 福島県職員に採用
当時の池袋は一面の焼野原で、木造 2 階建の
福島県児童相談所知的障害児
西武デパートが駅舎で、雑司ケ谷墓地まで見通
すことができた。そんなことで池袋からの通学
施設大笹生学園指導員
昭和28年12月 富山県中央児童相談所心理判
が始まった。
定員に採用
今、振り返ってみると当時の社大の教授はそ
昭和40年 富山県厚生部社会福祉課勤務
うそうたる方達であった。木田徹郎先生、小川
社会福祉法人セーナー苑(障
政亮先生、鷲谷善教先生、谷川貞夫先生などで
害者総合施設)建設に携わる。
あった。授業は比較的真面目に聴講していたと
昭和42年に第 1 回国際会議が南フランスのモ
思っている。しかし大変むずかしい話ばかりで、
ンペリエで開催されるということで、秋山ちえ
ケースワーク、グループワーク、コミュニティ
子さんの働きかけで県から派遣される。菅先生
オーガニゼーションワーク理論など当時として
や小林提樹先生など総勢 30 名位の団体で当時
はアメリカ直輸入学問かなと思っていた。そん
としては破格の出張であった。フランスへの
な中で小川先生の社会学は興味深く聞いた。ま
直行便がなく北欧まわりで、ノルウェー、ス
た、当時新任の垣内先生のレクリエーションは
ウェーデン、デンマーク、オランダの順で各地
楽しい授業であった。郷里を遠く離れているの
の障害児(者)施設をまわり、当時日本のコロ
でなにかと淋しい気持ちを五味先生に甘えるこ
ニーのモデルと言われた西ドイツのベテルの施
とで癒された。当時昼食は神宮橋の袂にあった
設にたどり着いた。現地に入り日本の施設感覚
食堂で、素うどん一杯を行列を作って食べた。
では計ることができないくらいの余りの広大さ
腹が空くのでなるべく動かないようにと明治神
に驚き、特に重度のてんかん病棟を見学した。
宮の内苑の芝生で寝ころんでいた。社会調査と
当時不思議に思ったことは北欧では大施設を解
--
体し国内を幾つかのブロックに分け小規模(10
どくような作業が続いた。20m2 のプレハブの
~ 15 名)の施設に切り換えているとのことで、
小屋が最初の建物であった。約 2 カ月でどうに
そのうちの 1 箇所を見学した。10 人の寮で裏
か平地にすることができた。
にバイオリン工場があり利用者が作業をしてい
そんな頃、家で手に負えない自閉症の子ども
た。日本はなぜ大規模施設を造ろうとしている
たちが訪ねてきて、日中あずかりが始まった。
のか疑問を持ちつつベテルを見学した後、南フ
今でこそ脳の中枢神経系の広汎性発達障害と
ランスの国際会議に出席し、イギリス、イタリ
か、注意欠落多動性障害とか病状が解明されつ
ア、ギリシャと 30 日間の旅であった。
つあるが、当時はまだ家庭環境からとかの時代
帰国後、富山での施設造りに没頭し、どうに
で、遊戯療法が主流であった。思春期の人たち
か定員 350 名の中規模のコロニーらしきもの
は余計いらだっていたようだ参考になる本もな
を完成させた。当時は昭和 50 年初頭のオイル
く、助言者もいない中での取組みが始まったの
ショックで灯油の調達・日用品の調達に振りま
である。
わされた。それよりも何よりも福祉闘争が始ま
まったく自由のない生活を強いられていたこ
り外部からのオルグに心身共に疲労の極に達
の子らを思う存分解放してあげればと山歩きか
し、志半ばで県に帰った。
ら始めた。
以後、社会福祉課、婦人児童課を行きつ戻り
マスコミの取材攻勢でまたたく間に時の人と
つして、生活保護、保育所の仕事を経て昭和
なりボランティアの協力も得られるようになっ
54 年再度児童相談所に戻った。当時養護学校
た。午前中約 6km の山歩き、午後は陶芸や手
の義務制が施行され特殊学級に在学していた障
芸など微細運動を主としての取組みを始めた。
害児が全員養護学校に入学させられた。ところ
農地であったためいろんな制約があり、また
が情緒障害児学級に在籍していた自閉症児らも
法人格取得の手続きを合い間に取り組んだ。い
入学した。当時の教員はその取扱いも判らず、
ずれも約 1 年間の期間を要した。基本財産の 1
「教育の対象」でないと拒否され行き場をなく
億円調達には大変苦労した。
し、児童相談所の門を叩いた。児童施設に措置
昭和 57 年 6 月社会福祉法人の認可書を受理
しようにもこれも拒否され、親からの矢のよう
し、早速、日本船舶振興会に書類を提出した。
な催促で途方に暮れる日が続いた。中には待ち
当時同会の理事から富山県知事に当選された
切れず精神病院に入院させられた児童もおり苦
ばかりの知事さんの力は相当大きかった。
悩が増すばかりで、こちらが極限状態に陥り結
私たちの施設は小高い丘の中腹にあり、前面
局自分で解決の道を見つけざるを得ず、当時
はるかに富山湾が一望でき、晴れた日は能登半
52 才の年令を考え、又コロニー建設の経験を
島の山なみが遠望できる。その昔、万葉時代越
生かし施設を造ろうと決意した。
中の国守として赴任していた大伴家持が 4 年間
昭和 55 年暮、現在地に桑畑を手放したいと
過した国府跡の山も望まれる。家持が在任中巡
いう方の情報を得て買収した。約 600m の小
視した折々の歌が数多く残されており、当時前
さい農地だった。小さい建物くらいは建つだろ
面に広がる平地を「めひの野」と称していたと
うと翌年、県職員を退職し退職金を充当すべく
ころから当園の名前とした。JR 富山駅より車
計画を練った。
で 15 分位の近距離にあり、北陸自動車道富山
昭和 56 年 3 月で退職。現地に行くと 1 月の
西インターより 10 分位で近くに富山医科薬科
大雪で梨の枝は無残に折れ棚の番線とからま
大学がある。近年、文教都市として発展し続け
り、その整理から作業が始まった。丁度大学を
ている。
終えた長男が手伝ってくれ、毎日パズルをひも
敷地総面積
2
--
建物総面積
した人もいる。また近隣の福祉系大学の実習施
昭和56年 7 月 無許可による通所事業開始
設、社大の指定も受けており数多くの実習生が
〃 58年 8 月 知的障害者更生施設開設
訪れている。
〃 60年11月 体育館竣工
今後は、利用者と共に、常に選択される施設
平成元年 4 月 増築定員40名より70名に変更
づくりを目指し、日々新たな心で研鑽を積み重
〃 2 年 4 月 福祉ホーム開設定員 10 名
ねていきたいと念じている。
〃 3 年~ 5 年 グループホーム 3 ケ所開設
定員 15 名
〃 6 年 5 月 通所授産施設開設定員 40 名
〃 10年 4 月 知的障害者デイサービスセン
ター開設定員 20 名
〃 12年 5 月 通所授産施設分場開設 19 名
〃 13年11月 職、住分離施設作業場開設
〃 14年 4 月 自閉症・発達支援センター独
自で仕上げる。
〃 17年 4 月 新たに通所授産施設開設定員
40 名
以上のごとく毎年増設。その間、国庫補助、
日本船舶振興会、日本自転車振興会、中央競馬
社会福祉財団、清水基金、丸紅基金、共同募金
等その都度、富山県並びに富山市の助成を得て
整備を進めてきた。なお自己資金の借り入れに
ついては、県に在職中、民間施設建設で借入金
の半額及び利子補給制度は私が起案した制度で
あり以後今日までに及んでいる。
平成 15 年 ISO9001:2000 年版の認証を得て、
名実ともに充実した施設となった。
開設初期より利用者の作品で資金集めのため
のチャリティー茶会を催してきたが、陶芸班の
作品のうち抹茶茶碗が大変不思議な縁で、当時
座禅のため東京谷中の全生庵に訪れておられた
中曽根総理の目にとまった。すばらしい作品だ
と誉めて下さり総理官邸に利用者 10 名と共に
招かれた。翌年、
選挙応援のため来られた折に、
わざわざ訪問され激励して下さった。以後、未
だに交流が続いている。また、森繁久弥さんの
「あゆみの箱」とも交流があり著名な芸能人が
園祭に参加されるなど人との交流も大切にして
いる。
過去社大卒業生 4 名を受け入れており、独立
--
セーフティネットの構築をめざして
いわ
さき
とし
お
岩 崎 俊 雄
(社会福祉法人すぎのこ会 理事長:学部 10 期)
「親は敵であり、収容施設は障害者の牢獄で
様々な思いを抱きつつも一応了承した。建設資
ある。」入学早々、障害をもつ若林先輩のエネ
金については補助団体の目処がつき、自己資金
ルギッシュな反論を許さない言動に、蛇に睨ま
についても妻がヘソクリ全部を当初必要な資金
れた哀れな蛙であった。そして深みにはまり込
として放出してくれたほか、後援会も立ちあが
んでしまった。学生時代は、若林問題で明け暮
り徐々に成果が出はじめた。債務保証制度が確
れたと言っても過言ではない。そして、この強
立していなかったために、借入金の一番の課題
烈な個性のある障害者観が、障害者問題から離
れることを許さなかった。
であった連帯保証人についても、PTA 会長が
「全面的に信頼しているので、寄附申込みを含
昭和 45 年に卒業した後は、東京都の民生行
め好きなところに押印しなさい」と実印を差し
政を 2 年経験した(同期生の妻は武蔵野市ケー
出してくれた。涙がとめどなくこぼれ落ちた。
スワーカー)が、現場を持ちたいという願いと
そして、この年に次男誕生。一家をあげて福
妻が農家出身の三人姉妹の長女で祖母の「福祉
祉に取り組む覚悟から仲人親の仲村優一先生の
をやる人間は、親を捨てないよね」の言葉に、
一字を頂き、優二と命名、法人名も原点に立ち
思いきって東京都を退職し、栃木市に新設され
返って福祉を考える意味を込めて「すぎのこ会」
る知的障害児通園施設に転職することにした。
と決定する。このようなことから、法人の歴史
引越しの翌々日に長男誕生、そして、その日に
は次男の歴史でもある。
急な呼び出しがあり職場に出向いたところ、採
昭和 50 年 6 月 24 日法人登記完了。ここに至
用内定者が全員辞退したとの理事長報告にビッ
り通園施設を退職。すでに通園施設を去ってい
クリ仰天。内部分裂による嫌がらせであるが、
た社大の仲間を呼び寄せ、翌年 4 月栃木県岩舟
なんとしてもオープンさせなければならず、社
町に 30 名定員の知的障害者更生施設「すぎの
大にお願いし二人の後輩に手助けをしてもらっ
こ学園」をオープンさせた。28 歳の新米施設
て難局を乗り越えることができた。この年に養
長としては地域と一体となった施設運営を心が
子縁組により草野から岩崎に改姓、長男の歴史
け、在宅障害者の受入れ等施設オープン化事業
でもある栃木での新しい生活が始まった。
に積極的に取り組んだ。独自の財源を捻出し、
転職先の施設は、障害児をもつ親が入所施設
地域で受入れが困難な養護学校卒業者等の受入
を嫌い、長年にわたって運動した結果オープン
れを行うと共に、日中活動としての作業指導の
にこぎつけた施設であるが、それゆえに子供
充実に力を入れた。この結果利用希望が相次ぎ、
の年齢超過と親の高齢化が問題となっていた。
なんらかの対応を余儀なくされた。施設の増
PTA 会長の「岩崎を全面的に信頼して、新し
築、通所授産施設の新築等の案もあったが、入
い法人で知的障害者更生施設建設を成功させよ
所ニーズに対応するとともに「小さな施設を地
う」という言葉に身震いしたことを今でも忘れ
域の中に」の方針の下、新たな知的障害者更生
ることはできない。
施設建設の道を選んだ。
施設用地は義父が提供を約束し、地域住民も
国際障害者年という年に内示を受け、昭和
--
58 年に 30 名の知的障害者更生施設「あすなろ
大型補正の時代ということもあり、30 名定員
園」を同じ町内にオープンさせることができた。
の仮称知的障害者生活施設「もくせいの里」の
人口 2 万人弱の町に小規模な知的障害者更生施
新設が認められることになった。しかし本答申
設が 2 ヵ所できたということで、「すぎのこ学
には生活施設の文字は無く、平成 11 年 4 月「も
園」は重度化への対応、「あすなろ園」は社会
くせいの里」は知的障害者デイサービスセン
自立への対応をそれぞれの課題として再スター
ター「あじさい」を併設した幻の生活施設とし
トした。翌 59 年、
「あすなろ園」においては養
てオープンした。
護学校卒業者から要望の強かった県内初の通所
この頃から障害者福祉を広域圏域で取り組む
部を併設し、社会自立への対応を急速に推し進
べきであることを訴え始めた。障害者福祉の分
めた。その結果、臨時的な雇用を含め毎年数名
野は高齢者福祉分野とは異なり、数的に単一市
の利用者が就職し、施設を巣立っていった。し
町村での対応には限界があることを感じ始めて
かし、その内の何名かは失敗に終わり、自立の
いたからである。一部の行政職員にも同様の意
難しさを実感した。このため試行事業として法
見があり協議の結果、大平町、岩舟町そして藤
令外事業としての自宅を改造した生活寮を開設
岡町(通称頭文字をとり「大岩藤」という)に
し、住まいの場の提供と職場開拓等の支援を開
知的障害者授産施設と身体障害者デイサービス
始した。
センターを整備することが必要であるとの結論
一方、施設利用者は重度化し、作業指導が困
に達し、平成 12 年 7 月、岩舟町に知的障害者
難な利用者も増加してきた。保護者との合同の
通所授産施設及び身体障害者デイサービスセン
新年会を予定していた早朝、重積発作のある男
ター「けやきの家」をオープンさせた。
性利用者が突然亡くなった。不幸は続くもので
併行して、厳しい時代の到来を予測し、大岩
数か月後に精神障害が合併している重度の女性
藤地区の人口 7 万人を対象とする「障害児者地
利用者の死にも直面することになった。利用者
域療育・支援システム」の構築を行政に提案し
の多くが作業所で働いている時間帯に、みんな
た。平成 13 年 3 月に 3 町の町長、助役、収入
が気持ち良く帰ってこられるように施設内のお
役と議長、副議長、各常任委員長と担当課長に
掃除をするグループに所属する 2 人であった。
よる異例の会議が招集され、提案したシステム
「頑張れ、頑張れ」と毎日訓練に励んでいた最
が満場一致で承認され、そのための具体的施設
中の突然の死。彼と彼女の人生とは一体なん
整備計画である「すぎのこ会施設整備 5 カ年計
だったのか。訓練のために生まれてきたのだろ
画~アクションプラン 21 ~」実現のため、3
うか。そんな当たり前の疑問が脳裏を離れない。
町で 1 億 3 千万円の単独補助金の支出が内定し
訓練ではない生活のための施設。そんな施設の
た。
実現が、初代理事長であった義父に交代した私
「すぎのこ学園」と「あすなろ園」を廃止し、
の理事長としての最大の課題として急浮上して
重症心身障害児(者)通園センター併設の 30
きた。
名定員の身体障害者療護施設及び 40 名定員の
そんな折、障害関係三審議会合同企画分科会
自立支援型知的障害者更生施設「ひのきの杜」
が生活施設の必要を盛り込んだ中間報告を出し
を合築として整備すること。更に現状の建物は
た。なんとしても実現したいとの思いで関係機
知的障害者通所授産施設と児童デイサービスセ
関に訴え、隣接する大平町の町長にも説得に出
ンター及び居宅介護等支援センターとして改修
向いた。話が終わらない内にデイサービス併設
整備すること。法人所有の知的障害者グループ
の追加提案もでる程の熱の入れようで、全面的
ホームを 5 棟整備すること。既存のデイサービ
な協力を約束してくれた。景気刺激策としての
スセンターにおいて養護学校の小学部から高学
-10-
部にまで対応できる、更に重症心身障害児にも
たが、休む暇など与えてくれないようである。
対応できる 3 町単独の障害児放課後等健全育成
利用者が生きがいのもてる、地域社会と交流の
事業を実施すること等を主要な柱とする内容で
もてるそして一貫した福祉を保障するという
ある。
「すぎのこ会設立の理念」と「忘我の愛と智の
平成 15 年 4 月、
支援費制度施行と同時に「ひ
灯」の原点に立ち返って、障害児者のセーフティ
のきの杜」の開設を中心とする「地域療育・支
ネットともいうべき利用者本位の新たな療育・
援システム」が完備し、全ての事業がフル稼働
支援システム構築のために再チャレンジしたい
した。障害をもつ方々の立場に立って事業展開
と考えている。
をしてきた法人の方針が認められ、新たな制度
の下で再スタートしたわけである。昨年末に行
われた地元の養護学校在籍者の保護者へのアン
ケート調査でも、当地区における障害児者施策
の満足度は他地区に比べ極めて高い数字となっ
て表れている。
このような状況から、いくつかの市町村から
当法人への協力要請が届くようになった。特
に、日光市からは保護者は勿論のこと行政、議
会からの強い要請もあり、平成 16 年度事業と
して知的障害者授産施設と児童デイサービスセ
ンター、更にグループホーム整備を計画し、本
年 4 月にオープンすることができた。今後当地
区においてもニーズの高い入所施設を含めた総
合的な療育・支援システムを早急に整備しなけ
ればならないと考えている。
平成 16 年 10 月に、これまでの障害保健福祉
施策の大転換とも言える改革のグランドデザイ
ン案が提示され、障害者自立支援法案が可決成
立の見通しとなっている。小規模多機能型を目
指してきた当法人にとってはありがたいことで
あるが、サービスの質を落すための施策としか
思えない点も多々ある。私が行おうとしてきた
小規模多機能型施設は、利用者の視点、保護者
の視点からのものであり、今行われようとして
いる方向とは意を異にする。
社会福祉をとりまく状況が極めて厳しさを増
してきている中で、法人創立 30 周年の記念す
べき年を迎えることになった。そんな折、近隣
の町の障害児を抱える母親が自らの命を絶っ
た、というニュースが届いた。もう私の時代は
終わった、少しのんびりしよう、等と思ってい
-11-
「焦らず、諦めず」
はし
もと
けん
た
学部卒業生 橋 本 健 太 〔はじめに〕
のではないかと感じたからです。私は、受験し
私は、国家試験の勉強に向けては、就職に向
た模試、過去問 3 年分の解説を利用しながら、
けて勉強し始めた 3 年生の終わりのころから始
知識についてあやふやな部分については、ワー
めました。しかし、始めたと言っても、実際に
クブックなどを利用して補いました。その際に、
は十分な準備にはなっていなかったのではない
単語帳のようなものを作成しました。この単語
かと思います。それに加え、実習が多くあり、
帳は、要点を整理できるだけでなく、ちょっと
本腰を入れてなかなか取り組めなかった私の体
した時間にも見ることができ、なかなか有効な
験ですが、国家試験の受験をされる方々の少し
手段であったと思います。そして、何より直前
でも参考にしていただければ幸いです。社会福
の学内の対策講座は先生方の丁寧な説明がある
祉士の試験は、勉強すれば誰でも合格できるの
上に、周りの勢いも感じることができ、何より
で、諦めずに根気強く取り組もう、絶対に卒業
もエネルギーになったのではないかと思いま
時に絶対に取得するのだ、という強い信念を
す。諦めずに、自分を信じて、自分なりの勉強
持って取り組みました。
方法を早く見つけることが、無理なく効果的な、
効率的な学習を進める近道ではないかと思いま
〔勉強方法〕
す。
私は、まず日々短時間でもいいので必ず時間
を作り、欠かさず何かしらの目標を立てて取り
〔おわりに〕
組みました。それは、4 年生になってから、試
私は、社会福祉士の受験は、卒業論文、就職
験日の前日まで続けました。内容は、単語帳を
活動と合わせ、この 3 点を大学生活の集大成と
作成したり、ワークブックの内容の確認、過去
して位置づけて、どのことにも均等に取り組み
問を何題か解答し、その問題の内容について確
ました。一人一人、取り組み方については自分
実に理解するようにしました。やらなければな
にあったものがあるのではないかと思います。
らないという強迫観念に駆られなくて済む上
しかし、大学生活の総決算として社会福祉士の
に、確実に力をつけていけるのではないかと思
取得に向けて努力を重ねることは、どんなに困
います。とは言うものの、実際に私は直前の模
難なことであっても人生の中で頑張らなければ
試まで、合格規準になる 6 割以上を取ったこと
ならない何回かの一つと考え、この壁を是非と
がありませんでした。正直、焦りましたし、わ
も乗り越えていただきたいと思います。実際、
からない問題もたくさんありました。しかし、
就職をしてしまった今日では、社会福祉士に向
ここで焦っても仕方がないので、私は確実に得
けて全力を傾けるというのはなかなか出来ない
点できるように、その模試を再度取り組み、な
のではないかと感じています。だからこそ、卒
ぜ間違ったのか、どのような知識が求められて
業時の取得に向けて強い信念を持って取り組ん
いるのか確認しました。国家試験の問題は、独
でいただきたいと思います。皆様のご健闘をお
特であり、その傾向を知らずして、合格はない
祈り申し上げます。
-12-
社会福祉士・精神保健福祉士合格体験記
うつぼ
え
じゅん
こ
学部卒業生 靭 江 淳 子
〔はじめに〕
を勉強し始めた。
多くの大学では 4 年生は暇であると聞いてい
11月:PSW 施設実習あり。また、卒論の仕上
ますが、私は精神保健福祉士養成過程に所属し
げと就職活動が本格化したため、国試から離れ
ていたため、4 年生になってからも実習があり、
てしまった・・・。
さらに医療ソーシャルワーカーの実習もさせて
12月:就職活動も卒論も終え、国試に全力を注
いただき、他にも就職活動、卒論と国家試験の
ぐ。トイレやご飯や寝る時以外は勉強。全教科の
勉強以外にもやらなくてはいけないことがたく
復習をひたすらする。また、全教科の過去問を繰
さんあり過ぎました。おまけにダブル受験です。
り返し解く。学内・全国模試の問題を繰り返す。
そんな私でもダブル合格できました。必要最
1月:気が付けば、ワークブックは 3 冊を 3 回
小限の勉強しかしていませんが、受験生のみな
繰り返した。問題は、のべ 5000 題も解いていた。
さんのお役に立てれば幸いです。
体調を整え、本番に臨む。
〔私の勉強スケジュール〕
〔私の勉強のポイント〕
4月:公務員試験を受ける人たちに便乗して、
1、一度で全部を覚えようとしない。とにかく
毎日 2 時間の勉強を始める。スタートしたのは
繰り返す!!
共通科目から。図書館で教科書を借り、ワーク
2、法律などに深く突っ込まない。
ブックに足りないことを書き込んでいった。
3、山を張らない。バランスよく。
5月:4 月と同じことを継続。ワークブックと
4、勉強していなくても模試は必ず受ける。そ
教科書以外は使わない。「繰り返し」が大切だ
して復習する。
から、1 度に全部を覚えなくてもいい。理解す
5、制度改正など、情報収集を心がける。
ることを優先し、
わからないことは調べておく。
6、参考書など、何冊も何冊も手をつけないほ
PSW の病院実習あり。刺激を受け資格所得に
動機付けができた。
うがいい。
7、人に優しくする。
6月:医療ソーシャルワーカーの実習があった
〔おわりに〕
ので、その期間は国試の勉強に手がつかなかっ
忙しい中で、プレッシャーや焦りに耐えなが
た。焦ってしまうが、腰を据えて実習に取り組
ら勉強をすることは本当に大変だと思います。
むことに専念。
周りと比べて悩んだり、一人で不安になってし
7月:やっと共通科目が全部終わった!!
まうこともあるかと思います。
8月:社会福祉士の専門科目に取り組み始めた。
でもこれだけはお願いです。周囲の人は受験
1 日のノルマを決めるようになり、勉強時間は
生である自分に対して非常に気を遣ってくれて
長くなっていた。共通科目の繰り返しに入る。
いるものです。なかなか難しいことですが、ど
9月:国試の勉強と平行し、卒論の本文を書き
うかそのことを忘れず周囲の人に対して優しい
始めた。同時進行できるように心がけた。
気持ちでいてください。きっと、良いことが起
10月:実習を控えていたため、卒論に比重が大
こります。
きくなっていた。国試は社会福祉士の専門科目
みなさんが、ベストを尽くせますように !!
が終わる頃。また、精神保健福祉士の専門科目
応援しています !!
-13-
決 算 報 告
平成 17 年度決算の概要
学校法人日本社会事業大学の平成17年度決算は、5月29日に開催された評議員会及び理事会
において承認されました。 学校法人会計基準に基づく「資金収支計算書」、「消費収支計算書」及
び「貸借対照表」の概要は次のとおりです。
1.資金収支計算書
資金収支計算書は、当該年度の収入、支出のほかに、次年度の収入(前受金等)や支出を含めた、
あらゆる収入・支出を計上しています。
前受金等と加えた当年度収入は 18 億 1 千 4 百万円となりました。これに対し、資産運用支出等
を加えた当年度支出は 16 億 9 千 2 百万円となり、翌年度へ繰り越される支払資金(現金預金)は、
11 億 3 千 1 百万円となりました。
(単位:千円)
学
手
寄
補
資
事
雑
前
そ
資
当
前
収
収 入 の 部
科 目
生 生 徒 等 納 付 金 収 入
数
料
収
入
付
金
収
入
助
金
収
入
産
運
用
収
入
業
収
入
収
入
(小 計)
受
金
収
入
の
他
の
収
入
金 収 入 調 整 勘 定
年 度 収 入 合 計
年 度 繰 越 支 払 資 金
入
の
部
合
計
金 額
1,014,871
66,924
11,910
611,617
852
28,929
5,573
(1,740,677)
625,890
55,790
△ 608,708
1,813,649
1,009,369
2,823,018
人
教
管
設
支 出 の 部
科 目
件
費
支
出
育 研 究 経 費 支 出
理
経
費
支
出
備
関
係
支
出
(小 計)
資
産
運
用
支
そ
の
他
の
支
資 金 支 出 調 整 勘
当 年 度 支 出 合
次 年 度 繰 越 支 払 資
支
出
の
部
合
出
出
定
計
金
計
金 額
957,100
406,432
152,321
30,259
(1,546,111)
131,628
85,436
△ 70,706
1,692,468
1,130,550
2,823,018
2.消費収支計算書
消費収支計算書は、当該年度の消費収入と消費支出の内容及び均衡の状態を明らかにするもので
す。
帰属収入から基本金組入額を差し引いた消費収入は 17 億 4 千 6 百万円となりました。一方、消
費支出は 16 億 3 千万円で、この結果、当年度の収支差は 1 億 1 千 6 百万円となり、また、翌年度
繰越収入超過額は 6 億 6 千 7 百万円となりました。
(単位:千円)
学
手
寄
補
資
事
雑
帰
基
消
消 費 収 入 の 部
科 目
金 額
生 生 徒 等 納 付 金
1,014,871
数
料
66,924
付
金
17,135
助
金
611,617
産
運
用
収
入
852
業
収
入
28,929
収
入
5,573
属
収
入
合
計
1,745,902
本 金 組 入 額 合 計
△
305
費 収 入 の 部 合 計
1,745,597
人
教
管
資
消 費 支 出 の 部
科 目
件
費
育
研
究
経
費
理
経
費
産
処
分
差
額
消 費 支 出
当 年 度 消 費
前年度繰越消
基
本
金
翌年度繰越消
-14-
の 部 合
収 入 超 過
費収入超過
取
崩
費収入超過
計
額
額
額
額
金 額
973,167
461,824
162,190
32,844
1,630,024
115,573
515,019
36,282
666,874
決 算 報 告
3.貸借対照表〔平成 18 年 3 月 31 日現在〕
貸借対照表は、学校法人の財政状態を明らかにするために、当該年度末におけるすべての資産、
負債及び正味財産(基本金及び消費収支差額)の金額を表示するものです。
平成 18 年 3 月 31 日現在の資産総額は、前年度比 1 億 4 千 9 百万円増加して 34 億 9 千 7 百万円
となりました。これは、その他の固定資産及び流動資産(現金預金)の増加によるものです。
負債総額は、3 千 4 百万円増加して 10 億 9 千 1 百万円となりました。これは、固定負債(退職
給与引当金)及び流動負債(翌年度の入学生に係る入学金、授業料の前受金など)の増加に伴うも
のです。また、基本金は、学校法人会計基準の改正に伴い 3 千 6 百万円減少して 17 億 3 千 9 百万
円となりました。この結果、消費収支差額は 6 億 6 千 7 百万円となりました。
(単位:千円)
資 産 の 部
科 目
固定資産
有形固定資産
機器備品
図書、車両
その他の固定資産
退職給与引当特定資産
第 3 号基本金引当特定資産
情報機器維持・管理等引当特定資産
その他の特定資産
金 額
2,358,095
801,340
294,711
506,629
1,556,755
216,705
640,000
350,000
350,050
流動資産
現金預金
未収入金、前払金
1,138,878
1,130,550
8,328
資
産
の
部
合
計
3,496,973
負債、基本金、消費収支差額の部
科 目
金 額
固定負債
312,983
退職給与引当金
312,983
778,490
70,476
667,179
40,834
流動負債
未払金
前受金
預り金
計
1,091,473
計
1,738,627
消 費 収 支 差 額 の 部 合 計
666,874
負債、基本金、消費収支差額の部合計
3,496,973
負
基
備考:記載金額が千円未満を四捨五入して表示しています
-15-
債
本
の
金
部
の
合
部
合
◇ 平成 18 年度入学式について
平成 18 年度日本社会事業大学並びに日本社会事業大学大学院の入学式が、4 月 10 日(月)に本
学講堂にて挙行されました。平成 18 年度の新入生は、大学院博士後期課程 7 名、博士前期課程 17 名、
専門職学位課程 68 名、社会福祉学部福祉計画学科 66 名、福祉援助学科 135 名、社会福祉学部福祉
計画学科編入生 21 名、福祉援助学科編入生 28 名です。厚生労働省社会・援護局長 中村秀一氏並び
に日本社会事業大学同窓会長 石橋俊一氏をはじめ、多数の関係各位の方々のご臨席を賜りました。
◇ 文京社会福祉専門学校について
平成 18 年 1 月 27 日付(文部科学省認可)で学校法人日本社会事業大学と学校法人光照学園が合
併いたしました。両法人の合併に伴い、平成 18 年 4 月 1 日より学校法人日本社会事業大学の新た
な教育施設として文京社会福祉専門学校を引き継ぐこととなりました。文京社会福祉専門学校は、
平成4年度に開校され介護福祉士養成施設( 2 年課程・学年定員 40 名)として厚生労働大臣の指
定を受けた専門学校です。
【文京社会福祉専門学校】の所在地等 〒 112-0002
東京都文京区小石川 5-10-12
℡ 03-5689-8181
http://www.bunkyofukushi.ac.jp/
-16-
◇人事報告
平成18年
3 月31日付 退 職 社会福祉学部教授 寺 谷 隆 子
大学院福祉マネジメント研究科特任教授 岡 本 康 雄
社会福祉学部実習講師 和田上 貴 昭
事務局長・常務理事 丹 羽 紀 明
教学部次長 及 川 良 子
通信教育科事務室長補佐 横 田 光 秋
4 月 1 日付 任 命 学 長 大 橋 謙 策
社会事業研究所長 植 村 英 晴
大学院福祉マネジメント研究科長 今 井 幸 充(新任)
大学院社会福祉学研究科長 佐 藤 久 夫
社会福祉学部長 辻 浩(新任)
図書館長 児 玉 桂 子
実習教育センター長 高 橋 流里子(新任)
通信教育科長 金 井 一 薫(新任)
文京社会福祉専門学校長 金 井 一 薫(新任)
採 用 社会福祉学部教授 大 島 巌
常務理事・事務局長 金 井 博
図書館事務室書記 八 神 加 奈
昇 任 社会福祉学部教授 後 藤 隆
大学院福祉マネジメント研究科教授 山 下 英三郎
就職支援センター長補佐 藤 田 宗 一
総務課長補佐 大 坪 修 一
研究調整事務室主任 木 原 清 光
配置替 通信教育科事務室長補佐 池 田 浩
5 月 1 日付 採 用 通信教育科事務室長 巻 渕 千 恵
6 月30日付 退 職 通信教育科事務室長補佐 池 田 浩
7 月 1 日付 昇 任 教学部次長 渡 邉 一
-17-
日本社会事業大学・専門職大学院公開シンポジウム 『2015年の医療福祉ビジネス』
開催日時:平成18年9月16日(土) 13:00~16:30
会 場:新橋ヤクルトホール 〒 105-8660 東京都港区東新橋 1-1-19 ヤクルト本社ビル
内 容:☆基調講演 『次の福祉改革とビジネスマネジメント』
中村 秀一 氏(厚生労働省社会・援護局長)
☆シンポジウム
コーディネーター 田島 誠一(本専門職大学院教授・日本老人福祉財団理事長)
報 告
『高齢者の療養と生活支援のビジネスモデルの展開』
藤井 賢一郎(本専門職大学院客員教授・全国社会福祉施設経営者協議会
介護保険事業経営委員会専門委員)
『2015 年への経営戦略-多種法人の活用による複合経営の展開-』
福 聖風会理事長・
医 北辰会理事・㈱ジェイコム代表取締役)
眞鍋 敏朗 氏(
『地域に密着した医食住サービスモデル』
長谷 方人 氏 (ケアタウン小平・開設者)
定 員:500名(先着順)
参 加 費:無 料
主 催:日本社会事業大学専門職大学院
協 賛:エーザイ株式会社・財団法人老齢健康科学研究財団・社会福祉法人青山里会
株式会社ワールドプランニング
後 援:厚生労働省(申請中)・社団法人日本社会福祉士会
※お申し込み方法等の詳細は、大学のホームページをご覧下さい。
日本社会事業大学
〒204-8555 東京都清瀬市竹丘3-1-30
TEL 042-496-3000
http://www.jcsw.ac.jp