数学教育についての意見(理科大の教育 100 委員会に提出したもの

数学教育についての意見(理科大の教育 100 委員会に提出したもの)
高原周一
特に言いたいことは,学生の現状をふまえて,本学における数学教育の目的とめざすレ
ベルについて深く議論する必要があるということである.また,
「数学の授業が待ち遠しい」
という学生が生まれるくらい,インパクトのある教育をめざしてほしいということである.
(1) 学生の現状
本学の学生の多く(応用数学科の学生は知りませんが..
.
)は数学が苦手で,嫌いである.
ある程度数学の点が取れる学生も本質的なことは全く理解していない場合が多い.以下は
化学科の学生に見るその実例である.
・ 「微分とは何ですか?」という問に対して
→
「x2 を 2x にすることですか?」
との回答.手続きは知っていても意味を理解していない.
・ 「熱容量とは1℃上げるのに必要な熱量のことです.ある熱量 Q を加えたとき,温
度変化が ΔT でした.熱容量 C と Q と ΔT の間に成り立つ式は?」という問に対
して
→
わからない.比例,1 あたり量の概念(つまり掛け算の概念)さえ使い
こなせない.
・ 部分系のエネルギーE1 と E2 を足すと全系のエネルギーE になるという式
(E=E1+E2)を暗記しようとする.
→
下手をすると足し算さえ使いこなせな
い.さすがにこれは「暗記するものではない」と指摘するとすぐ理解するようだが.
恐らく小学校の文章題を理解しながら解くということが十分できないまま,高校・大学入
試は正解のパターンを理解せずに丸暗記するという学習法で乗り切り,大学に来たと思わ
れる.このような状態を放置して,大学レベルの数学をまともに教えたり,計算手続きを
習得(=暗記)させても,社会に出てから役立つ力がつくとは思えない.また,多くの学
生は高校までに受験数学にいじめれられて数学アレルギーを持っている.これを放置した
ままでは,たとえ専門の授業で必要であったとしても,社会に出てから自分が使うとも思
えない数学の学習に消極的になるのは当然であろう.
(2) 数学教育のめざすべきもの
本学の数学教育は,暗黙の内に専門の授業で必要な知識・計算手続きをまとめて教える
という目的で行われているのではないだろうか.これもある程度必要であることは認める.
しかし,上記のような学生にそれを無理強いしても,あまり意味がないのではないか.そ
もそも大学の教育は専門的知識の習得だけを目的にすべきではない.21世紀を生き抜く
若者に必要な知恵(死んだ知識ではなく,自ら考えようとする姿勢と思考の確かさなど)
と自信(難しい話でも勉強すれば理解できるという自己肯定観など)を数学教育を通して
授けるという課題に正面から取り組むべきだと考える(参考までに平成10年に出された
大学審議会答申および教育基本法を抜粋しておいた).各学科単位ではなく大学全体として
センターを作って数学教育を行うのであれば,人格形成も含む教養教育的視点こそ大切で
あろう.従来よく見られた計算の手続きの訓練に偏った授業,学生がわかっていないのに
諸定理の証明を次々こなしていく授業をいくら強化しても効果は薄いだろうし,学生の人
格の形成に寄与できないし(逆効果?),学生も満足しないであろう.高校までの数学は受
験と切り離して考えることが困難であるという現状を考えると,大学においてより自由な
発想で楽しくてためになる数学の授業を創造することは日本全体の教育にとっても極めて
重要な意義をもつので,教育100に選ばれるのに値する.具体的には以下の視点が大切
であると考える.
①
数学の楽しさを教える.
わかることの楽しさ,身近な現象・技術に隠れている数学,数学史,など
②
高校までの数学の原理的な部分を理解する.
数学アレルギーのリハビリという観点で行う.計算手続きの習得が前面に出
ると,学生は興味を示さないだろう.これまで丸暗記していたことを自分の
頭で考えて理解するという体験をさせる.
③
大学在学中および社会に出てから学習を行う際,ある程度数式が書かれた本
でも読める程度の力をつける.
大学在学中および社会に出てから,ある程度数式が書かれている本を読む必
要が出てきたとき,最低限モデルの本質と結果の式さえ認識できれば,途中
の式の展開がわからなくてもだいたい必要な情報は得られる.このようなこ
とができる能力をつけることをめざしたい.その際,数式を定性的に理解す
る(y=ax において x が大きくなると y が大きくなるといった理解)ことを重
視する.
④
数学に興味を持った学生が,さらに学習するときに役立つ力をつける.
実はこれは③が達成されていれば,かなりの部分達成されていると思われる.
計算力はつける必要があると自ら思った人に対してのみ行えばよい.
⑤
物事を論理立ててわかりやすく説明する能力を身につける.
高校までの数学教育にはもともと上記の様な目標が含まれていたはず.最近
重視されているプレゼンテーションの訓練とリンクさせるのも良い.
(3) 具体的方法論
①
協同的な学びをシステム化する.
学生間のレベルの格差があるので習熟度別クラスにするということが検討さ
れているようだ.これはある程度仕方ない面もあるが,上のクラスに属する
人間も多くの場合計算手順を知っているだけで原理的なことはわかっていな
いという実態を考えると,教養教育的な数学の授業においては必ずしも習熟
度別にする必要はないのではないか.むしろ,わかっている学生がわからな
い学生を教えるという協同的な学びをシステム化するというアプローチの方
が実りが多いのではないか.具体的には,班分けをして演習問題を班に対し
て与え,班内で議論させるなどの方法が考えられる.このような方法では,
教える方,教えられる方共に成長できる.学生参加型であるという点でも学
生の満足度は高まる.授業の進度は落ちるであろうが,うまく機能すればそ
れを補って余りある成果が得られるであろう.応用数学科の教職志望学生に
SA をやってもらうというのもよいかもしれない.
②
高度なレベルの内容をわかりやすく教える.
「フーリエの冒険」という本は,中学生もしくは高校生にでもわかるように
フーリエ変換の説明をしており,この中で高校レベルおよび大学レベルの数
学も学習できるという内容であり,そのまま大学の授業のテキストとしても
使いうる本である.この本のように,高度な内容をわかりやすく説明すると
いうアプローチも魅力的である.授業の 1 回分を使って,カオス,フラクタ
ル,数学史といったトピックスを単発的に行うのも面白いだろう.
③
高校までの数学の原理的な部分を説明させる.
単純に高校までの授業のようなことをもう一度行うと学生は嫌がるだろう
(昔の数学にいじめられたことを思い出してしまう).しかし,例えば「分数
の割り算はなぜひっくり返してかけるのか」といった質問には案外乗ってき
て,自分で考えようとする.その考えをわかりやすく他人に説明するという
ことは,自分の考えを洗練させることになるし,プレゼンテーションの訓練
にもなる.微分,偏微分,行列などにつて「それは何か,なんの役に立つの
か」ということを答えさせてもよい.それをそのまま試験に出してもよい.
④
数学の本を読ませる.数学の啓蒙書を紹介し,読書感想文を書かせる.
②,③のような内容は数学の啓蒙所に書かれている.教員が授業でしゃべれ
る内容は限られているし,良い本であれば,その本を読んでもらったほうが
わかりやすい場合も多々ある.教員が授業でしゃべるのは,そういった本を
読むきっかけを与えるためであるという視点が大切である.単に本を読めと
いってもなかなか読まないので,
「数学に関係する本を 1 冊読んで感想文をか
け」という課題を必修にするとよい.わかりやすく面白いテキストを選んで,
それを読ませるという課題でもよい.このようにすれば数学への興味も広が
るし,雑学も増えるし,読書力もつく.
⑤
様々なタイプの授業を用意し,学生に選ばせる.
全学共通のカリキュラムを作るという動きもあるが,上記のような授業を各
教員が工夫するというのが理想である.少なくともやる気のある教員の自由
を束縛することだけは避けるべきだ.共通のカリキュラムを作るのなら複数
のカリキュラムを作って,それに従って教育をやってみて,結果を検証する
方がよい.また,学生に授業を選ばせると,良くないカリキュラムが淘汰さ
れるであろう.計算力をつけることをメインにした授業も開講しておくとよ
い.小学校でやっている100マス計算のように計算時間を競わせるのも案
外受けるかも.
参考資料
<平成10年大学審議会答申>
平成10年に出された大学審議会答申では「学部段階においては.
..「課題探求能力の育
成」を重視するとともに,専門的素養のある人材として活躍できる基礎的能力等を培うこ
とを基本として,教育内容の再検討を行い,.
.
..」と述べられている.ここで「課題探求能
力」とは「主体的に変化に対応し,自ら将来の課題を探求し,その課題に対して幅広い視
野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」のことである.また,同答申は教養
教育の重視,教養教育と専門教育の有機的連携の確保が重要だと指摘している(「教養教育
は専門教育と対置されるものではなく,専門教育においても教養教育の理念・目標を踏ま
えた教育が展開されることが専門教育の充実・強化の上でも一層重要となる」).ちなみに
教養教育の理念・目標は「学問のすそ野を広げ,様々な角度から物事を見ることのできる
能力や,自主的・総合的に考え,的確に判断する能力,豊な人間性を養い,自分の知識や
人生を社会との関係で位置付けることのできる人材を育てる」ことである.
<現行の教育基本法>
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平
和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育
の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、
普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確
立するため、この法律を制定する。
第一条〔教育の目的〕
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、
個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民
の育成を期して行われなければならない。
(以下略)
上記の提案は似たようなことを高原の授業(化学熱力学)で既に試したものも含まれてい
ます(本の推薦,読書感想文,班学習など).そちらの情報に関しては HP をご覧ください.
http://www.chem.ous.ac.jp/~takahara/index.html