2007−6 活動名称 生涯学習町づくり回想法 活動要旨 市の生涯学習講座「回想法」の受講生と近隣の主婦などをスタッフとし、回想法を通 じたまちづくりを目指す。認知症高齢者施設へも訪問し、回想法を実施 応募者 コスモスの会・校舎の無い学校 森 依顕 連絡先 〒779-3301 徳島県吉野川市川島町川島 438-1 (1)概要 ・校舎の無い学校は、 現代文明社会が失った創造的遊びの文化の復権・復活を期して昨年4月創立。 ・キャンパスは、町全体。山、川、野原、路地・・・・各種施設・・・・等。 ・校長は、年齢を重ねて遊び心に磨きがかかり、ますます豊かな生活を続けている人。 教員は、一人一芸に秀でた文部科学省無認可のふるさと教員。 用務員は、授業以外の学校経営にかかわる地域アニメーター。 PTAは、各界の豊かな遊び心を保持する専門家。例えば、東京では上智大学教授(臨床心理士) 黒川由紀子氏。 生徒は、年齢、性別、国籍、人種、宗教・・・・等、一切不問。 ・学費は、一切無料。 ・建学の精神は、自立協同。 学校の教育目標は、創造的遊び人間発達をめざし、幼な子が持っている未来に開いた可能性とお 年寄りが持っている過去体験の知恵をかみ合わせ、幼老共生の社会を実現する。 ・一時留学は、自由。寄宿舎は善根宿で三食一泊無料。 ・今年度の重点目標は、遊びをパスポートとして地域の老人施設のお年寄り(認知症)とハートボ ランティア 1 活動の要約 私達の町は、かつて老人達が過ごした少年時代とは全く似て非なる和のない利己主義社会となっ てしまいました。 高度経済成長の結果、私達はあり余る多くのものを持ち、何不自由のない暮らしができるように なっています。 しかし、物質的な豊かさと引き替えに失ったものも多く、決して豊かでも美しい社会とは言い難 いけったいな世の中になってしまいました。 その中でも最も悲しいことは、老人の価値を学ばないことです。人生の大先輩である老人が体得 した生活文化には、戦中・戦後の動乱の世を生き抜き磨き抜かれた燥し銀のような美しい文化が、 無視され一見便利なような使い捨て文化?にすりかえられてしまっていることです。 その上、経済効果だけを優先した平成の町村合併は歴史ある町村を崩壊させた幻の都市を作って しまいました。看板だけは、けばけばしく人の目をひく目立ったものでした。新市誕生わずか 3 年経った今、もうスタート時点の看板は倒れ風雨にうたれた泥だらけのみすぼらしい姿に転じてし まいました。何が間違っているのか‥‥‥全国に目を向ける時、一口で言えば、金の亡者が蠢く戦 国乱世の世の中になっているのでした。正に生活文化扇の要を取り去った社会のシステムに問題が あるのでした。 私達少数の町の有志が大切にしているのは「温故知新」という古来、汗して生活文化を築きあげ てきた無名の人の言葉です。 回想法は、老人の思い出語りによって紡ぎだした生活文化を継承し町づくりに生かすことだと思 います。この小さい努力を積み重ね 6 年目を迎えました。 このドン・キホーテのような町の片隅での行為は、いつも闇夜の海を航行する小舟のようなもの です。ともすれば、行き先が見えずとんでもない方向へ流される危険性がありました。 このような状況下で最初から今日まで、点滅しながら光る灯台の役割を果たして下さっているの が慶成会老年学研究所の黒川由紀子博士でした。 この灯台のお陰で、少しずつですが一歩一歩前進し、多世代交流生涯学習町づくり回想法の集い への発展、町全体をキャンパスにした学習の場、校舎の無い学校を立ち上げ活動ができるようにな ったのです。 今私達は、障害の有無如何を問わず多世代の人達が、交遊できる有力な道具として「遊びの復権」 に気付きました。老人の思い出語りから紡ぎだした「遊びの文化」をパスポートとして町づくりへ 一歩駒を進め、認知症の人との交遊を始めたところです。 私達校舎の無い学校の活動の姿勢は、一人の専門家よりも百人の素人衆の素直で謙虚さを武器に して、世直しにチャレンジする「ともかくやってみよう!」です。 評論するのでなく具体的に動いてみれば、具体的な答えが出てくる。そこで反省・改善をしなが ら前進するのが老人の生きる知恵であったことを体得しつつあるところです。 今こそ実践のための人間とは何かの問いかけが必要ではないかと思います。 2 (2)地域の紹介 ■沿革 口地域の概要 1)位置・地勢 吉野川市は、徳島県の北部、吉野川の中流域南岸に位置し、同川を挟んで北は阿波市、東から南 は名西郡、西は美馬市に隣接しています。市域南部は四国山地の北部にあたる山地で、高越山をは じめとする急峻な山々が連なっており、これらの山々を水源とする飯尾川。桒村川。学島川・川田 川などが市の北辺を東流し、吉野川に合流しています。 また、県庁所在地の徳島市をはじめ、徳島空港、高松空港、徳島自動車道の脇町,土成各インタ ーチェンジが約 30km 圏内にあって、どこに行くにもそれほど不都合は感じない位置にあります。 2)気候 吉野川流域の平野部は、年平均気温 15℃前後で、温暖で雨の少ない地域です。また、山間部は 平野部に比べ日照時間は短く気温も冷涼となっています。 3)歴史 明治 22 年以降の町村合併の経緯 3 4 (3)活動の内容 1.回想法コスモスの会“校舎の無い学校” コスモスの会は、森依顕氏を中心に、吉野川市生涯学習講座「回想法」の受講生をはじめ、近隣 の“よしみ”で集まった主婦をスタッフとした集まりである。そして、回想法を通じてふるさとま ちづくりや世代間伝承、生きた歴史の保存、若い世代への教育を行っていくことを目的としている。 入退会自由、参加費無料など、地域住民にとって親しみやすく、またアクセスも容易であることを 特色としている。発足から 5 年が経過し、現在以下のような活動を行っている。 “校舎の無い学校”は、コスモスの会会員が主体となって、2006 年 4 月に開校されたその名の とおり「校舎」の無い「学校」である。この学校は、コスモスの会回想法でお年寄りたちが紡ぎだ した生活の知恵、文化、実践道徳などを若い世代に伝承し、さらに未来へ生かしていこうという目 的で設立された。幼老共生のふるさとまちづくりを目指している地域住民主導の活動である。 <現在の活動> (1)思い出語り集会(月例会) −月1回のグループ回想法 (2) “校舎の無い学校”行事開催 −子どもの遊び文化の伝承活動など (3)月例学習会「遊びって何だろう科」 「 “VIDEO”を見よう科」 (4)子ども遊ばせ隊の派遣 (5)校舎の無い学校通信かわら版発行 (6)認知症のお年寄りのところへ訪問し、 「アクティベイト回想法」を実施する。 (7)おもちゃの図書館事業 <現在の活動 詳細> (6)認知症のお年寄りのところへ訪問し、 「アクティベイト回想法」の実施 校舎の無い学校 ●今年度の新しいボランティア学習 「特別養護老人ホーム水明荘」に入所されている認知症をもつ高齢者の方を訪問し、交流を深めて いきます。 (1)毎月 4 回 火曜日 午前 10:00∼11:30 老健施設水明荘・認知症グループ 参加者ハートボランティアとして毎週 1 回 1 名が参加 (2)毎月 1 回第 4 土曜日 午後 1:30∼2:30 老健施設水明荘・認知症グループ 遊びをパスポートとしてハートフルボランティアメンバー6 人 (3)鴨島病院・認知症グループ・ホーム「のぞみ」訪問 子育てグループ「まほの会」による幼児の寸劇 2 回実演、その後は不定期に認知症のお年寄りを訪 問し交流する ●水明荘へハート・ボランティアとして訪問 水明荘認知症グループを訪問 「ワァ一えっとぶりじゃなあ(久しぶり)!元気にしよったで!!」私達スタッフ皆をかかえて離さな い A さん。私達回想法のスタッフの人に何年来の友達であるかのように挨拶をする A さん。ごくご 5 く普通に見える。お腹の中には、パンフレットを丸めた物、ハン力チ、今私達が持って来たメンコ も人っている。 「メンコ遊びをするでえ」と 2∼3 人の人達と遊ぶ。 「こんなん昔 男の子の遊びじゃ ったなあ∼」と言いながら A さんは、メンコを使って遊んでみるが、 「力がないけん裏返せんで わ・・・・・・おまはん(貴方)は、力がありそうだから簡単に裏返せるでわ。チョットしてみなは れ」とわたしに催促をする。なかなか難しい。それを見て楽しそうに二コニコしながら、めんどい (むずかしい)もんじゃなと感心をしている。 B さんにも「するでえ」と渡すと、 「こまい(小さい)時は、皆 ざいしょ(近所)の子供が集まって、 お正月にしよったんでよ(していた)。ヤス子さんともよう遊んだ。 」と応答して下さる。 「えっ!ヤ ス子さんの近くで」と聞くと、とても嬉しそうに「ほりゃようしっとるでわ(よく知っている)隣の 人じゃのに。 」B さんは私に「おまはん(貴方)もヤス子さん知っとんで?」と聞く。 「ほんな、今度 3 人でお茶飲もうなあ∼」と何度も何度も嬉しそうに言う。 「お芋ようけ(沢山)作っとるけん。ほ れで(お芋)お茶飲んでもええなぁ」 と嬉しそうに笑う。 ヤス子さんは、 もう亡くなっていないのだ。 でも、これでいいのだと思う私・・・・・・。少し淋しい。 C さんは、肩揉みの名人だそうだ。私が、肩を撫でてあげると「私の方が上手じゃ。 」と・・・・・・ そこへ職員さんが来て「C さんは肩揉みの名人なんでよ」と言うと、私の肩を静かにさすってくれ る。 「肩もよう凝っとる」と言いながらさすって下さる。C さんは、美郷(土地名)の人らしい。あ まり分からないが、ウンウンと聞いていると、やっぱり昔住んでいる所はいいらしく今、そこに見 えている様に芋掘り、紅葉,山の香りも C さんには目の前にくっきりわかるんだと。連れて行きた い気持ちになりました。イヤ、いつか機会があると是非是非 連れて行きたいです。アッという間 の1時間 2、3 人の方としか話せなかったけど今度は、もう少しこの人達の事分かって行きます。 落合主子 今月の例会は、私達のコスモスの会にふさわしいコスモスの花が咲き乱れています。午前中、お 年寄りと一緒におはぎ,お煮しめ,おにぎり、いなりずしを作って、遊ばせ隊の男性と美味しく昼 食を頂きました。午後は、近くにある水明荘ヘスタッフとおしゃべりしながら満足気分で歩いて認 知症のお年寄りを訪ねて行きました。 話題となるような、懐かしい写真やスケッチを拡大したパネル, 「これなあに?」と箱の中に日常 品を入れたり、バスケットに果物やお手玉を入れたもの,ボストンバックに、昔の遊びでメンコ, べ一ゴマ,手作りの竹下駄を詰めて持参しました。 A さんと、メンコを床にばらまき手で持ったメンコをたたきつけパチッと音を出すのですが床の メンコは簡単にひっくり返ってくれません。 「女の子は、力がないんじゃなあ」とニコニコして続 けます。 又、赤ちゃんの「お宮参り」にお祖母さんが、産着をかけたお孫さんを抱っこしている写真は「可 愛らしい」と目を細めています。 お手玉(おじゃみ)も気に入って「数珠玉を育てておじゃみを作ろうと思いよんです」と申します と、 「よろしいわ」とおっしゃってくれました。 A さんが、お元気な頃よく自転車に乗られていたのをお見かけしました。B さんは、目をつむっ て手拍子をとっておられます。主人がハート・ボランティアによせてもらって「カラスなぜ鳴く の・・・・・・」歌詞を忘れていると「七つの子があるからよ・・・・・・」と目を開けて助けて くれたと聞いていた人でした。 「歌がお好きですか」と聞くと「いい歌はなぁ」と言って「雨々ふ れふれ母さんが、蛇の目(傘)でお迎えうれしいなぁピチピチ チャップチャップ ランランランあ らあらあの子は、びしょぬれだ・・・・・・」と一緒に歌いました。私は「今は、車でお迎えする し、道路はアスファルトで長靴がなかっても平気なんです。 」と言うと「そうや そうや」 「学校で こんないい歌うたわんのですよ」 「あ一なあ」と知っておられました。そして、またチューリップ, ひな祭り,赤とんぼと拍子をとり続けました。 お風呂の時間がきて別れましたが、お元気な頃は何をされていたのだろうか、やさしいお母さん 6 だったのだろうと胸がいっぱいになりました。 社交的な C さんは、ぐるっと一回りして話しかけてくれます。また次は何を一緒にしようかとス タッフと話し合い定期的に訪問を約束しました。 森順子 ●認知症 第一回目 鴨島病院グループホームのぞみ訪問を終えて のぞみの職員の方が、ご老人達 (軽い認知症)に「かわいい子供たちが、ももたろうの劇を見せ てくれるわよ‥‥‥」と呼びかげていらした時は、どの方もみんな観客の顔いつもの受け身で保守 的であった気がした。 それがどうだろう。ももたろうの配役をみんなで決めて寸劇をやってみようという話になった時 のご老人たちは「えっ・・・・・・私たちも・・・・・・」と驚きとワクワクした心が目の輝きとなり生き生き とした表情に変わった。自発的にももたろう(主役)になろうと言ってくれたおぱあちゃんには私は たまげた。ももたろう(もものダンボールから出てくる主役)は子供と決めつけていた自分の偏見、 固定観念があったからだ。子供がするももたろうとはまた 180°ちがう実に味のあるおみごとな演 技だった。 練習も全くなくアドリブいっぱいの寸劇はまさしく幼児からご老人までが、みんなが主役の楽し い寸劇だったように思う。たとえ自分の足で動げずにいても鬼のお面を持って座って参加している 方も、終了後に職員の方に聞くと、はじめてこのような子供たちを交えた会で、この方の今まで見 せたことのない表情と動きにびっくりしたとの事だった。それは大人がいくら上手に誘導してもで きない事で、改めて子供の存在ってすごいと感じさせられた。 言葉にならない幼老が手と手を重ねる握手、無心なものどおしの最高の笑顔が職員の方に、ご老 人の家族の方に、私たち訪問ボランティアに‥‥‥偉大な力を与えてくれていることに気づき感謝 したい。 今井和代 「楽しかったなぁ!‥‥ああほ一んまに楽しかった。 」後片付けをしている私の耳に飛び込んできた 入所者の方々の声。そのハリと明るさは、ここに入ってきた 1 時間半前とは明らかに違っていた。 笑いの絶えなかった1時間半。歌とごあいさつに始まり、 “ももたろ”の劇、果物やお手玉を使っ た“あてものゲーム”へと遊んでいった。私はお手玉を入れた箱を持ち、どなたの所へ行こうかと 一瞬迷った。そして、後ろのすみに座っておられた表情の変化に乏しかったご婦人の前へ歩み出た。 7 「○○さん箱の中に手を入れてみで下さい。・・・・・・何が入っているか、わかりますか?」介護士の 方も手伝って下さって、その方が箱に手を入れ、そっとお手玉江触れた。数秒の後「‥‥‥おじゃ み?」と口にしたその表情のかすかな揺れ。遠くを見ているような、それでいて久々に巡りあえた ものを愛しむように何とも言えぬ表情だった。 「おじゃみ!そうですよ、すごいなあ!1 回で当たってしもうた!!○○さん、これでよく遊ばれたん でしょう?どうやって遊ぶかしてみせて下さい。 」という問いに「さあ‥どうやって遊んだかいな、 もう忘れてしもうたなあ‥‥‥こないするんやったかな。 」その方は、両手にお手玉を持ち交互に 放り上げる真似をしてみせた。手から離れこそしなかったが、まさしく、それは “お手玉をして みせてくれた”のだった。 「おじゃみの中は何が入ってるんですか?」 「数珠‥‥‥それから、大豆。 」 「小豆は入れんの?」 「小豆は高いけんな、数珠や大豆入れるんよ。 」 入所者の方々が次々に私の知らなかった"お手玉の知識"を教えて下さる。その中には、とても手先 が器用で娘さんが持ってこられる型紙をもとに、お手玉を製作されている方がいらっしゃるともう かがった。お手玉の中味は何だろうと指先に神経を集中して考えている方。 ・‥‥・お手玉ひとつ で、こんなにも話が広がり表情が変わる。記憶の底にある体験が指先の感触を通して覚えず口にし たコトバを通して、生き生きと呼び起こされる過程を間近に見て、私はヒトの体の中にストックさ れた体験の偉大さを思い知らされたように感じた。殊に、反応に乏しい、表情の硬い方に見られた “かすかな変化”には大きな意味があるのではないか?こうした経験を重ねていくことが、お一人 おひとりが自分らしく生きることの一助になれば、と思う。そしてこのかかわりを通して、私たち 母子が大切な宝物を分けていただげることに感謝せずにはいられない。 三浦千代 8 (4)活動の成果と今後の展望 認知症介護研究・研修東京センター長谷川和夫先生の著書に亡くなられたアルツハイマ一病の患者 さんが走り書きに綴られた詩が紹介されています。 長谷川先生は、これは他人のことではなく、私たちや私たちの家庭にも起こってくる可能性が高 いことですと書き添えられています。 私達は、認知症を学びよく理解して、できることに取り組んでいく必要を痛感しました。 私選一般市民のシニア・老人達は、ご近所のよしみで集合し、6 年前から月例会グループ回想法 の集いを開き生涯学習として継続実践しております。 9 2 年前からは老人が、昔の思い出語りから紡ぎだす生活文化や集会時の言動で示される道徳の徳 目の姿に人生の先輩の秀でた特性を感じ、その生活文化を引き継ぐため若い世代の人々を勧誘し校 舎の無い学校を立ちあげ、多世代回想法集会を開いております。 多世代の人々が、お互いを知り合い理解しあうことで、人の和が生まれ、それがまちづくりの基 盤づくりにも役立つものと信じたのです。 今年度の重点目標に「認知症のお年寄りのところへ訪問し、 「遊び」を回想刺激にした「アクテ ィベイト回想法」を試行することにいたしました。 まだ一歩踏みだしたばかりですが、認知症についてほとんど何にも知らない素人が、老若あいま って交流をお願いしたのですが、交流して驚いたことはことのほか喜んで下さり手を握りまた来訪 して欲しいと言われたのでした。 この事実を考えます時、私達の言動には、格別、認知症の人にケアをしようとか慰めよう等とい った魂胆を持たず日常的に素直で謙虚に接するのが良かったのだと気付いたのでした。 又、言語的コミュニケーションだけに頼らず、遊びや簡単なゲームを介しての接触が、ご老人の 気持ちをリラックスさせ、又、お手玉など懐かしい遊びを思い出されたり、ゲームにちょっとした スリルをも味わわれたため言葉を交わしやすかったからかもしれません。 慶成会老年学研究所の黒川由紀子所長さんは、老人のケアのキーワードとして「遊び」を一番に あげています。 又、今年 6 ケ月間「遊びって何だろう科」で仲間達と学習した結果は、哲学者ホモ・ホイジンガ 先生が「人間は余暇を遊びに使い、それがため人自身が、自ら学び、考え、調べる力を身につげて 進化した唯一の存在だ」と喝破されていることに、自分達の少年時代を回想して、腑に落ちるので した。 今年度から私達校舎の無い学校のふるさと教員は、地域の小学校の総合的学習の時間にふるさと 教員として昭和の子ども遊びの文化を伝承しております。 平常の授業とは比較にならない程、子ども達の目は生き生きし新しい遊びを夢中になって自らが 学び、考え、調べて上達するのでした。 その姿は、ドキドキ、ワクワクする気持ちに満ちあふれていました。 先月私達は、 「おもちゃの図書館」を開館しました。老人の手作りのおもちゃ遊びを介して障害 を持つ子どもと地域の子ども、そして大人達との交遊を日指すためです。今、私達の夢は、老人が 思い出語りから紡ぎだした遊びの文化をパスポートとしてすべての人の遊び心に点火して、誰もが 自分らしく楽しく暮らせる町づくりに尽くしたいと思っているのです。 これからは、善かれと思ったことはともかく具体的に行動し、具体的な答えを得て、反省、改善 しながら一歩一歩進んでいきたいと思っています。 これが、私達校舎の無い学校の成果であり今後の展望なのです。 10 11 12
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