2010.6 2010.7 両親の新婚旅行中にフィレンツェ(イタリア)で生まれ、生まれた町の名をそ のまま自分の名前につけられたイギリス人 F さん。 34 歳のとき看護師として臨床の現場に。そこは死亡率が 40%に達するよう な異常な病院で、そこで F さんは療養環境の改善にとりくみ、半年後には死 亡率は2%に低下。 この病院は国外の戦場の野戦病院。兵士の主な死因は戦傷ではなく、 「極度の栄養失調と、悪天候による体力低下の末に、手遅れとなって病 院に運び込まれるため」と思われました。数年で体調を崩した F さんは、 病院を離れて帰国します。 病院での高い死亡率の原因を統計処理で解明 病院の環境改善の必要性も統計で示して訴えた 帰国後も体調は回復せずベッド上での生活が続きましたが、F さんは野戦病院の劣 悪な状況と死因の関連について、イギリスの統計学者の協力を得ながら統計分析を行 い、野戦病院の改善についての報告書を作成します。帰国後の統計分析で明らかにな ったのは、F さんが病院で考えていたような悪天候・栄養失調のせいではなく、病院の 過密さ(ベッドの密集度)と不衛生が兵士の死につながったということでした。 F さんは、そのことをわかりやすく示す図を考案し、陸軍の衛生委員会に関わって、 病院の衛生状態の改善を訴えました。 当時のイギリスでは、グラフでの統計データの表 現はまだ確立されていませんでした。しかし F さん は様々なグラフ表現を考案し、それを駆使して、統 計データをわかりやすく表現しました。 政治家も巻き込んでに固執する陸軍の医局を改 革するには、統計処理とグラフ表現という客観的な 説得力が必要でした。 統計処理と、様々なグラフによる視覚的なプレゼンテーショ ンを駆使した F さんによる軍の衛生改革は、アメリカの南北戦 争でも生かされ、F さんは米国統計学会の名誉会員に推挙さ れます。 F さんは、戦場の病院勤務の後は病床からはなれられない 人生でしたが、公衆衛生や看護教育の分野でさまざまな改革 を行い、1910(明 治 43)年 に 90 歳 の生涯 を閉 じます。 イギリスでは F さんは近代統計学の先駆者に数えられてい る著名な統計学者です。 F さんは「看護の臨床現場に関する有用で良 質な知」を、統計処理によって形成し、その成果 を、グラフ表現を工夫した報告書という形で人々に 伝えました。その知識は、衛生環境の改善に使わ れました。 Evidence-based Medicine(EBM)では、エビデ ンスをつくる、伝える、使う という表現が使われま すが、その元祖は、近代看護学の開拓者フローレ ンス・ナイチンゲールかもしれません。 F さん =フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910) 「フローレンス」は、「フィレンツェ」の英語読み ナイチンゲールの行動は、 ●つくる…臨床の現場の事実から質のいい知識を見出す。 ●つたえる…質のいい知識を公開する。分かち合う。 ●つかう…質のいい知識に基づいた実践を行う。 のその先に、変わる(変える) があるということを示しているようにも思えます。 120 年前のナイチンゲールの声 フローレンス・ナイチンゲールの肉声が YouTube で公開されています。 クリミア戦争後、生活に困窮している退役兵 のために、チャリティー基金が設立されました。 そのときイギリスのエジソン商会はチャリティ ーの支援のために 3 本のろう管レコードを作成 しました。 そのろう管レコードにナイチンゲールの声が 録音されています。 1890 年の 7 月に、ロンドンのナイチンゲー ルの自宅で録音された、退役兵へのメッセージ です。
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