6.くるま雑感 - 日本ダクタイル鉄管協会

昭和 6
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.1
0 第3
9号
ダクタイル鉄管
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覚しているのであろうか、はなはだ心も
とない気がする。物質的には確かに豊か
になったが、心の方はどうであろうか口
暴走族に代表される心の貧しい若者が、
ほんのー握りの人たちであって欲しいと
思う。
0年 か 3
1年 の 5月だったと
確 か 、 昭 和3
記憶しているが、日比谷公園で砂塵の舞
う中、第 1回 国 産 車 の シ ョ ー が 聞 か れ た
とき、友人 S君と学校の授業をさぼって、
いそいそと出控トけていった。当日寺はトラ
ックとパスの全盛時代で¥それも大部分
がボンネット型の普通車ばかりが目につ
いた。今日ではエンジンルームと泥よけ
(フェンダー)とライトが一体となってい
るが、当時エンジンルームとフェンダー
は別々であり、中には、そのフェンダー
水資源開発公団霞ヶ浦用水建設所
八郷出張所長
山 田 裕
私のところにいる 1
9歳 の 職 員 I君は、
の上に大きな目玉のヘッドライトが仰々
しくついているものもあった。今から思
うと、車の部分部分がそれぞれの役目を
t
旦っていることを誇示している型であっ
た
。
公団に入って 2年目、つい最近念願の「グ
そのときのショーであったか?それ
ッ ド デ ザ イ ン 大 賞 」 に 蝿 く 、 日 社 の C車
までは板金をハンマーで打ち出してボデ
を購入した。それはそれは大切に乗って
ィーをつくっていたと記憶しているあの
いるのをみると、自分の同年代のときは
トヨタスーパーが、そのときトヨペット
どうだったのか、想い出してみた・・・・・・。
クラウンと名を変えて展示された。トヨ
ちょうどその頃二浪中で¥予備校通いの
タ自動車工業にいわせればまったく別の
通りすがら走る車を眺めながら、車を自
車て¥本格的な機械プレスのセダンであ
分が持つとか、持てるとか思ったことは
ると叱られるかもしれないが.ゲ当時のほ
なかった。車のオーナーになるなんて夢
かの国産車メーカーはみんな揃ってヨー
の中の夢でしかなかった。世の中が裕福
ロッパの車をライセンス生産していたも
になって、誰でも容易に車を持つことが
ので、
トヨタだけがそれをしないで系屯国
できるようになったカヘ車を持つことは、
産でがんばっていた結品だったと思うと
大きい、早く走る専用室等々多くの個人
このことが自分のことのようにうれしく
的便利さを持つとともに、実に社会的責
て 、 く だ ん の 友 人 S君 と 授 業 中 に ス ケ ッ
任をグッと重く持つことになるのだが、
チしたことが昨日のことのように想い出
I君 は そ の 点 マ ナ ー が よ く て り っ ぱ な オ
される口それから大分年数が経過して、
ーナーで、あることを石窟イ言している。
つい最近、科学万博会場からほど遠くな
さて、一般の若い人たちはどこまで白
い筑波山の西北のふもと真壁町の、とあ
8
3
随筆
る結婚式場の玄関先に、その懐かしいク
相当のマニアか小金持ちでないと持てなか
ラウンがデンと置かれているのを発見し
っ た 。 軽 四 輪 の 新 車 で 40万 円 し た 。 私 が
た。その昔、私が感激したクラウンはフ
その 3年 後 に 就 職 し た と き の 初 任 給 が 1
ロントガラスにセンターピラカずあったカf
万 9,000円、現在の大卒初任給が 1
2万円と
その車にはそれがなく、まさしく基本的
して 6倍強、すなわち、 40万 円 な ら 現 在
な型はなんら変わるところがなかった。
の 250万円、 30万 円 で も 190万 円 と い う こ
本当はそばに寄ってさわってみたいのだが
とになる。それでも父は一度口にしたこ
職員と一緒のワンボックスカーでの通勤
0万円ちょっとの、
となので、無理して 3
の行き帰りに眺めるだけで我慢している。
日本の自動車産業は、日本の経済発展
主
まだ出たばかりのマツダクーペ R360をi
文した。 1カ 月 ば か り が 過 ぎ て 待 ち に 待
の重要な役割を担っていることはいうま
った納車があり、小さな車であったがオ
でもないが、みんながみんな自分の車を
ーナーになったのであった。セールスマ
大切にする余り、新車の売れ行きに影響
ンが、スクーター免許だけの私の腕前を
し、経済発展の重大なマイナス点になる
心配顔で見送ってくれたのであるが、案
ものなのか。私はそうは思わない。車を
の定、狭い路地裏に停めであったオート
大切にすることは自ずと無暴運転をやめ
三輪の荷台の止め金にぶつけて、右フェ
させて、交通事故の大きな減少になり経
ンダーの横を少々へこませてしまった。
費の節減になり、高度な得策と思考され
ご れ が 車 壊 し の 第 1号 。 さ ら に 半 年 位 後
る
。
に第二京浜国道で、秋の交通安全週間中
あの結婚式場前にあるクラウンはなに
のこと、片側三車線のいちばん外側を走
に{吏われているのかわからないカヘ来庁主昏
らねばならないところを中央車線を走り、
カップルを乗せてやればよいと思う。大
墨 田 区 の 交 通 簡 易 裁 判 所 で 1日を費やし、
切 に 使 わ れ た 車 の 心 は 2人 に 通 じ て 、 お
科 料 500円 也 を 納 め た 。 こ れ が 最 初 で 最
そらく 2人 は 互 い に 大 切 に し 合 い 、 末 永
5年 、 か
後の違反であった。現在運転歴2
く幸せな生活を送ることになると思う
すり傷程度のことはあったが、無事故無
D
私 の 、 車 と の 出 合 い は 昭 和3
5年 の 春 で
あった。 1年 後 に 弟 が 大 学 に 入 り 、 父 が
違反である。
私はよく人に「うまい運転とはどうい
「お前たち 2人 と も 国 立 大 学 に 入 っ た の
う運転だと思う」とたずねるのだが、違
で、授業料の高い大学へ入ったつもりで
反しない人、今まで無事故の人、スピー
ひとつ車でも買ってやるか」といい出し
ドをあ去り出さない人、等々の答えが一般
た の で あ る 。 本 当 は 私 が 2年 、 弟 が 1年
的である。若い人の中には「ノ、ンドリン
間浪人生活をしているので、父の勘定は
グとプレーキングのうまい人かなあ」と
合わないわけであるが、とにもかくにも
の答えが返ってくる人もあった。そこで
勇んで教習所に通い出した。それまでス
私はいつもこういうのである。「同乗車に
クーターに乗っており、運転感覚は身に
不安をいだかせない運転だよ」と、これ
つけていたので、実地試験も問題はなく
が答えのすべてをいい表わしていると思
交通法規のペーパーテストだけでただち
う。前にちょっと触れたが、私たち出張
に軽自動車免許がもらえた。さて肝心な
0分 の 道 程 を 9人乗り
所 の 職 員 は 、 片 道5
車であるが、当時自家用車を持てたのは、
のワンボックスワゴン車で朝夕通勤
医者か企業主ぐらいのもので、軽四輪でも
い る 。 運 転 手 は プ ロ の H 氏、
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そこそこの人であるが、この人が私の考
える運転のうまい人である。若い人(こ
の場合年齢だけでなく気の若い人も含む)
の中には、美女を横に乗せて彼女にせが
まれるのか、事故寸前のスリルを味わう
人もあるが、車を下りた後は疲れてしま
って、その後のお楽しみが果せるかどう
かと変な心配をしてしまうのも中年のせ
いかもしれない。私の考えるうまい運転
のできない人は、しらずしらずのうちに
疲れてきて注意力は散慢となり、忠、わぬ
事故を起こすという悲しいことになりか
ねない口
排ガス規制が厳しくなる以前は、それ
なりに車を持っていることに楽しみがあ
った気がする。エンジンルームの広さに
対して、エンジンは小ビんまりしていて、
いピりやすかった。自分でポイントのす
り合わせをしたり、タイミング調整もで
きた。今の車は居室を広くとるのは結構
だが、そのためにエンジンルームは狭く
なり、コンピューター制御とかで、やた
らと配線ばかり多く、手のつけようがな
い。いや、子をつける必要がないまでに
性能が向上したのだろうけれど、理屈が
あまりわからない利用者に、スーパータ
ーボとか、ツインカムとかいわれでも日幸
易してしまう。油にまみれて、死んで、い
た機械を生物のように匙らせる楽しみは、
これからの車にはもう戻ってこないので
はないかと思うとさびしい気がする。今、
6
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0
c
.
c
.の OHCの 4
私の乗っている車は1
気筒エンジン、なんの特徴もない車では
あるが、
7年目に入っても快調で、ある。
毎週末に筑波山のふもとから、愛する家
族のもとへ送り続けてくれるかわいい奴
なのである。今後も大切に乗り続けてや
りたい。もしかしたら「くるま」は私に
とって、セカンドワイフなのかもしれな
いから。
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