話せるって、楽しいな。 - 埼玉県立越谷西特別支援学校

話せるって、楽しいな。
発語を獲得した2名の事例からの一考察
埼玉県立越谷西特別支援学校
平野
1,
光世
はじめに
発語のない児童の保護者に学校に対する要望を尋ねると、ほとんどの保護者は、子ども
が言葉を話せるようになって欲しいと言う。この言葉を聞く度に、胸が痛くなる思いがし
た 。今 ま で 子 育 て で 大 変 な 思 い を し て い る 保 護 者 に 、子 ど も か ら「 マ マ 」
「 パ パ 」と 呼 び か
けられたらどんなにかうれしいだろうなと想像する 。また、子ども達も自分の思いが話せ
たら、いらいらすることもなく過ごせるのではないかと思う。
幸運にも、音声がでなかった2名の児童が発語を獲得し、それぞれの語彙で自分の思い
を伝えることができるようになった。これをただよかったと喜ぶのではなく、どのような
力をつけることで発語につながったかを考察したい。
2
標準的な言葉の発達と言語発達を予測する要因
通常、子どもは生まれてから1年の間に養育者といろいろなやりとりを経験し、声のや
りとり、微笑のやりとり、視線のやりとり、身振りや指差しなどを通して、コミュニケー
ションの基本的な能力を身に付けていく。1歳頃に、喃語から1語文へと言葉が発達し、
2歳前後に語彙が急増し、2語文を話しだす。この時期に「ことば」がコミュニケーショ
ンの道具となる。3歳になると言葉が認知の道具になり、互いに共通の概念理解 があるか
ら 会 話 が 成 り 立 っ て い く の で あ る 。(「 こ と ば の ス ト レ ッ チ 体 操 」 明 治 図 書 よ り )
文教大学の小野里美帆先生は、言語発達を予測する要因として
意
③ 養 育 者( 大 人 )の 随 伴 的 な 働 き か け
述のバランス
⑥言語指導を受けた期間
④動作模倣
①認知発達
②共同注
⑤ 变 述( コ メ ン ト )・・要 求 と 变
を挙げている。これらのことを参考にどのよう
な力が発語につながったかについて2名の事例を引用しながら考察してみたい。
3
指導事例から
(1)A児・B児の実態
A児、B児ともに繰り返される指示は理解できるが表出言語はなかった。指差しは、
見られず、発声やクレーンで要求を表していた。2人共に人に合わせる事が苦手で、自
分の好きな遊びは集中して遊べるが、短時間しか椅子に座って活動することができなか
った。また、こだわりが強く自分の思い通りにならないと、表現手段は違うが、強く拒
否してきた。日常生活での観察から、聴覚、顎や舌、唇に緊張・麻痺といった問題はな
かった。
(2)発語するまでにどのような力が必要か。
①課題が成立するためには共同注意が基本
Aは、指導をはじめて文字からすぐ発声しだしたので、指導開始後3年目に発声しだし
たBの事例から①から④まで述べたい。指導1年目は、
ア、自分以外のやり方を受け入れ、人に合わすことができる。
イ、課題の意図を理解して、指導者と関わりながら取り組める。
こ と を 目 標 に 取 り 組 ん だ 。形 の マ ッ チ ン グ で は 、色 の つ い た 形 の 見 本 を 見 て の 選 択 か ら 、
線画の形で行い、同じ形を選んで型はめを
して確認する教材や教師がマグネットを移
動するのを見て、同じ方向にマグネットを
移動する教材を行った。徐々に課題の意図
を理解して、指導者と関わりながら取り組
むことができるようになった。これらの課題が
(取り組んだ教材の1例)
できるようになったという事は、指導者と児童が同じ対象物を見るという 共同注意がも
とになり成立したと思われる。
②名詞・動詞理解
1年目12月頃には、指導者の言った言葉を聞いて名詞カードを24枚取ることができ
るようになった。集中できなくなると取れなくなるので、もっと多くの名詞を理解でき
ていると思われた。1 年目2月頃には、身近な動詞も理解できるようになった。自分の
世界の中で遊んでいる時には、人のことばは、本人にはあまり届いていなかったのでは
ないだろうかと感じた。課題の意図を理解して、指導者と関わりながら取り組めるよう
になったことにより、人のことばに注意を向け聞き取れるようになったのではないか と
思う。
③模倣からサインへ
1 年 目 11 月 頃 に な る と 、 体 操 や ダ ン ス な ど の 部 分 で あ る が 模 倣 を す る よ う に な っ た 。
積木は、積む物と思っているのか、積木の課題がなかなか できなかったが、積木で橋を
作るという課題を行ったところ、こちらの要求に応え見本と自分の作る物とを区別し模
倣・構成することができた。1 年目2月頃になると、簡単なマカトンサインの模倣「ト
イレ」
「パン」
「牛乳」
「 ち ょ う だ い 」等 が で き る よ う に な っ て き た 。し か し 、 相 手 の 注 意
を引かずにサインをしてしまうことも見られたので、トントンと肩を叩いてからサイン
を出すよう指導した。多くの場面で発信できるようにするために、日常生活の中にサイ
ンで伝える場面を設定し指導してきた。限られた場面ではあるが、サインを出し、要求
するということが理解できてきた。
④指差し
指導開始2年目には、はっきりした指差しがでてきた。指差しには驚き・興味・再認な
どの指差し、要求の指差し、变述の指差しや応答の指差しがあり、变述や応答の指差し
が、発語のためには極めて重要だと言われている。B児は、食事の場面で「何を食べた
い か 」聞 く と サ イ ン で 伝 え る 前 に 食 物 を 指 差 し 要 求 し て き た 。学 習 す る 中 で 、
「○○ はど
れ」と言う質問に対して指さすという応答の指差しも獲得できたが、变述の指差しはみ
られなかった。
⑤発声するためには、
ここまでに、ある程度サインでのコミュニケーションや、言葉での理解力もついてきた
が、会話に必要な音を出すことができなかった。発話までには、
耳で聞く
→
聴覚情報処理
→ 言葉を聞き分ける
→ 意味を理解する
→
(ここまでが受容言語)
言いたいことを考える
→ ことばにする
→ 命令を受けて発音器官が実際に働き発音する
(ここまでが表出言語)
という一連の流れがある。限られた場面ではあるがサインができるということは「こと
ばにする」まではできていると考えることができる。後は、
ア
どうやって発音するか脳が発音器官に命令する・・モータープランニング(口の動
きを計画すること)
イ
命令を受けて発音器官が実際に発音する・・マッスル・スキル(口の筋肉スキル)
であるが、話せないということは、最後の2つのどちらか、あるいは両方が苦手だとい
うことになる。
B児は、A児ともに音声模倣はできなかったが、生活の中でいろいろな音声を発する
ことができた。それに比べA児は、発声する音が尐なく、笑い声と「ヘンヘン」ぐらい
で あ っ た が 、1 年 目 9 月 末 に「 は 」と い う 文 字 を み て「 は 」と 言 っ た の で あ る 。そ の 後 、
あ 行 か ら 「 は ー い 」「 お ー 」、 文 字 か ら い ろ い ろ な 言 葉 を 覚 え 発 語 で き る 言 葉 が 多 く な っ
た。
A児は、発語が出るまでに、ひらがなボードで遊ぶことが好きで、 1 年目7月時点で
32文 字が音 声で 理解 できて いた 。こ の 、音 声 を 聞 き 分け る 力 が最後の2 つの力 に関 係
するのではないかと考えた。聴覚よりも視覚の方が得意であるA・B児は、聴覚に問題
がなくても聴覚のみから言葉を習得することが難しいと思われる。つまり、耳だけで聞
い た 言 葉 を 聞 き 分 け 、同 じ 音 を 再 現 す る の が 困 難 な の で あ る 。そ こ で 、聴 覚 だ け で な く 、
視 覚 の 手 が か り が 必 要 に な る 。視 覚 の 手 が か り に は 、・口 形 を 見 る・鏡 を 見 る・文 字 に よ
る手がかり・キュードサインなどがある。A児は、1文字1音声で聞き分けることがで
き、
「 は 」と い う 文 字 を 見 て「 は 」と 発 声 し た 後 、
「はーい」
「 お し ま い 」等 数 え る く ら い
しか言える言葉は増えなかったが、文字チップを置き、単語構成した後、読んでくれと
いうので繰り返し読むことで、徐々に文字を読みだし、それにより 発語できる単語が増
えてきた。音声を聞きながら文字を見ることで、この文字が視覚の手がかりになったと
思われる。
B児は、名詞や動詞の言葉を聞いてカードを取ることができたので、音声の聞き取り
はできるのではないかと思っていた。文字に関心を持ち自分の名前を書くことができ る
ようになったので、ひらがなの習得に向け、名前の文字を1文字1音声で取る学習に取
り組んだ。しかし、なかなか音声との一致が難しく、文字カードを見ようとしないで、
指導者の顔を見て判断しようとしていた。同じ文字カードのマッチングはできたが、音
声と文字の一致は難しかった。そこで、1文字1音声を表す指文字を出し、視覚的な手
がかりにしようとした。B児もサインを真似て取るようになり、尐しずつ正解するよう
に な っ て き た 。こ れ ら の 視 覚 的 な 手 が か り が 、耳 に 入 っ て は 抜 け て い き 捉 え が た い「 音 」
というものがまるで止まるかのようになり耳に届いたのかあるいは視覚的手がかりを通
して音が再認できるのかはわからないが、いずれにしても視覚的手がかりを通して音声
を聞き取れるようになるのである。まもなくして、給食の時間に、食べたいものをサイ
ン で 伝 え る よ う 促 し て い た 時 に 、突 然「 パ ン 」と 言 っ た の で あ る 。そ の 後 は 、
「は」
「め」
「て」など1音から1音ずつゆっくりではあるが、2音節3音節の単語、2語文「ごは
ん
ちょうだい」などの言葉も言うようになった。朝の会 の司会のことばも一生懸命言
う姿を見るにつけ、話せることがうれしいということがわかる。まだ、語頭音や語尾音
のみの発音で不明瞭な言葉も多いが、サインを一緒につけることで理解できる。
(3)発語が出てから、わかったこと(B児の事例から)
①
变述の指差しがでる
指 導 3 年 目 11 月 頃 、 テ レ ビ を 指 さ し 「 て れ 」 と 言 う 事 が み ら れ て き た 。「 テ レ ビ だ
ね」というとうれしそうな表情をみせていた。また、指差しではないが、粘土遊びを
しているときに作った物を差し出しながら「おにぎり」と言うことが見られた。これ
も対象を提示した後、それを他者に教えるという行為という意味から变述の表現では
ないかと思われる。
② しっかり人に伝えるようになった
指 差 し と い う の は 、「 あ る も の を は っ き り イ メ ー ジ し て 」「 相 手 に 伝 わ る ま で 一 定 時
間指し続ける」行為である。
ア、ある物をイメージする:記号的な基盤(認知の力)
イ、相手がわかるまでさす:対人的基盤(社会性)
の 両 方 が 満 た さ れ な け れ ば な ら な い 。発 語 が 出 は じ め る と 、相 手 の 顔 を の ぞ き こ ん で 、
指差しをしながら「こうてい」等言い自分の思いを伝えようとする事が多くなった。
③ 内言語が育っていた
ま だ 、 不 明 瞭 な 発 音 で あ る が ( 語 頭 音 や 語 尾 音 あ る い は 1 部 分 で の 発 語 )、 物 の 名
前を聞く等の中で教えていない単語を言えることが多くみられた。このことから、多
くのことばを理解していることが分かった。
④ メージする力が育っていた
B 児 が 粘 土 を 持 っ て き て サ イ ン で「 作 り た い 」と 伝 え て き た の で 、出 し て あ げ る と 、
団子状の物を作ったので「何を作ったの」と尋ねると「おにぎり」と言ってきた。他
の物を作ってというと、ひものようなものを作ったので、尋ねると「ウィンナ」と答
えた。また、A 児も指導後 2 年目11月頃に三角形をはさみで切った後の紙を持って
「ト ン ネ ル 」と 言 っ た り 、 積 み 木 を 組 み 立 て 椅 子 と 言 っ て 座 る ま ね を し た り し た 。 こ の
ことから、自閉症児が苦手といわれるイメージする力を持っているということが分か
った。ただ、ことばがなかったために表現手段が育っていなかったということであろ
うと思った。
4
まとめ
以上2名の事例から以下のような力をつける事が、発語に結びつけたのではないかと考
察される。
① 共同注意行動を促し、物を介して人とやりとりする力をつける。
② 課題の学習を通して、言語理解(言葉と物の関係理解)力をつける。
③ 指差し(要求・質問への応答・变述)
④ 動作模倣からサイン
コミュニケーション手段を
積極的に形成する。
⑤ 生 活 の 中 で ③ ④ を 使 っ て 伝 え る 場 面 を 設 け 、言 い た い 事 が あ り 、人 に 伝 え た い と い う
思いをふくらましていく。
⑥ 音声を聞き分ける力をつける。
B 児 を み て も わ か る よ う に 、発 語 獲 得 し て か ら は 、大 好 き な 校 庭 で「 遊 び た い 」
「トイ
レに行く」
「 ト ン ネ ル が と ら れ た よ 」な ど を 、こ と ば( 単 語 )と と も に 指 差 し や サ イ ン を
使うが指導者の顔をのぞき込んで伝えるようになった。伝わることの喜びや便利さが分
かってきたのではないかと思う。また、大好きな遊具の上に乗ってしまうと、指示に従
えず教室に戻ってこようとしなかったが、声かけに応じて自分から帰ってくる事や友達
がコマ遊びをしているのを見て自分もコマを回したいと教師に訴えてくるなど生活面で
の変化も見られてきた。
A児もことばを獲得してから、友達に関心を持ち追いかけっこや自転車に乗って遊ぶ
ようになった。また、文字を獲得することで、語彙を増やしカテゴリーなども理解でき
るようになった。絵本への関心を持つようになり気に入った絵本を読んだり歌を歌った
りしりとり遊びなどができるようになり生活の幅が広がり豊かになった。さらに、文字
を読んだり文を作ったりする中から、話し言葉につなげることができた。自己紹介や母
親に学校で楽しかったことを伝えたり等簡単なやりとりができるようになった。このこ
とから、コミュニケーション能力だけでなく認知を高める上でも文字獲得することは有
効であると思った。
どうしてもことばを獲得できなければ、AAC(補助代替コミュニケーション)を使
っていくべきであろうと思うが、ことばを獲得することのメリットは、 A・B児の事例
をみても思っていた以上のものであった。
2人が発声をした時のビデオをみると、絞り出すようにして発声していた。言いたい
言葉を考え、どうやって発音するか脳の発音器官に命令し、命令を受けて発音器官が実
際に発音するということが、想像する以上に難しいということがわかる。長い期間発音
器官を使っていない状態ほど、難しくなるのではないだろうか。なるべく早い時期に、
発声を促しことばを引き出していくための指導をしていく必要を感じた。 まだ、2名の
指導事例からの仮説にすぎないが、今後も指導を通してこの研修課題を追求していきた
いと思った。