23. 首都東京の郊外の住宅地 に将来性はあるか?

23. 首都東京の郊外の住宅地
に将来性はあるか?
(
成功の法則
その23
)
「人口減少の時代となった今、浦安市の家を買っていいのか?」「液状化で傷んだ
浦安の家を買っても良いのか?」とよく聞かれます。
「ハイ、安心して30年後の将来でも財産価値のある浦安にお住まい下さい!」
(1) 首都東京の郊外の発展の歴史
首都東京の郊外を考えるは、まず東京の発展の歴史を知る必要があります。
①
江戸時代の東京は、江戸城の周りの半径3㎞位の地域、今の環状6号線の内側位に1
00万人が住んでいました。
東京の地形は、丘の上や台地である「山の手」と川沿
い・海沿いの低地である「下町」に分かれ、「山の手」には武士が住み、「下町」
には商店が開け庶民が住んでいました。
②
明治になって、首都東京の発展と共に人口が増え、空気が綺麗で日の当たる見晴ら
しの良い住み易い地域である「山の手」にはお金持ちが住むようになり、西の方へ
西の方えと住宅地が拡がっていきます。
明治初期に開発された住宅地の本郷台が
「第一山の手」です。
③
路面電車の整備につれて(山手線が環状運行するのは1925年・大正14年)、四谷・
麹町台地、牛込台地、赤坂・麻布台地等の山の手の西半分の地域が、明治中期から
大正に開発され「第二山の手」になります。
第二山の手には「山」の付く地名が
多く、御殿山、島津山、池田山、代官山、西郷山等です。
ちなみに、東京の地形
は、手を西に向けて広げた形で、丘と無数の川からできている台地と低地でできて
いる、と言われています。
そして面白いことに、山の手地域でも、台地にお金持
ちが住み、坂を下った川沿いの低地には商店、工場、安いアパート等の庶民的な地
域になって、西の方へと発展し続けていきます。
④
「第三山の手」
更に東京の人口が大正時代には200万人を超えて旧東京市内では
人口を吸収しきれない状態となり、山手線の新宿、渋谷、池袋をターミナルとして
私鉄が延びるようになり、急速にこれらの沿線に住宅地ができてい来ました。
'16に京王線、'27年に小田急線、'27年に東急東横線、'27年西武新宿線、'14年に
東武東上線、'33年に井の頭線、'22年に中央線が延伸開通したことが沿線の郊外住
宅地化を促進しました。
⑤
「第四の山の手」
田園調布、成城学園、洗足、大岡山、常盤平等です。
昭和になっても人口は増え続け、第二次世界大戦中は減少しま
したが、戦後は又回復し、高度成長が始まると、地方から再び人が集まってきます。
しかし、'60年以後は東京23区の人口は飽和状態で、増加分は三多摩地域や神奈
川、千葉、埼玉に開発された郊外住宅地に拡がっていきました。
⑥
このように山の手が拡大した現象は、交通機関の発達と深く関連しています。
第
一山の手時代は移動手段は徒歩、第二山の手時代は路面電車やバス、第三山の手時
代は中央線、東急、小田急、京王、西武、東武等の電車、第四山の手時代は鉄道の
他にマイカーの普及で発達しました。
-1-
このように、社会・経済・交通などの発達
の影響を受けながら、新しい山の手が拡大していったのです。
これを東京都の人口で見ると、1873年(明治6年)の東京府の人口は60万人、192
0(大正9年)の人口は400万人、第二次世界大戦前の東京都の人口は700万に増え、
'11年には1,200万人となります。
第一山の手(本郷台)
上野
郊外
浅草
( 元祖下町)
*
江戸城
山手線
日本橋
東京
銀座
第二山の手 (山手線の西半分)
郊外
池袋
中央本線
新宿
*東京
渋谷
銀座
第三の山の手
吉祥寺
池袋
新宿
郊外
成城学園
千葉
*東京
渋谷
ニュータウン
銀座
田園調布
浦安
第四の山の手
※
東京都心と下町は工場の街・煤煙の街だ
ったので、人々は空気が綺麗で、太陽が
いっぱいの高台・山の手(郊外へ郊外へ)
と移動したのが山の手の歴史である。
所沢
池袋
*立川
府中
八王子
町田
新宿
調布
*東京
渋谷
多摩ニュータウン
厚木
湾岸エリア
二子玉川
藤沢
銀座
お台場
川崎
横浜
-2-
蒲田
浦安
(2) 東京の郊外・山の手に住宅地が拡がった理由は?
①
東京は工業都市だった('27年(昭和2年)の工場分布図参照)。
'27年(昭和2年)の工場分布図を見ると、墨田区、江東区、台東区、中央区、千代
田区を始めとして東京は工業都市だったことが判ります。
併せて更に工場は増えていきました。
その後も東京の発展に
その為、'63年(昭和38年)当時は空はス
モッグ(煤煙)で何時も曇っていて、空気は臭くて、息をするのも苦しい位でした。
この為、お金のある人は、空気の綺麗な日の当たる山の手に自宅を造り住もうと
したのです。
②
'23年(大正12年)の関東大震災で下町にあった多くの工場が被害に遭い、地震を
逃れて山の手に移動しました。
③
戦後地方から集まった工場労働者のほとんどは若い人でした。
就職の世代」や「団塊の世代」が居ます。
その中には「集団
その若い労働者達は未婚であり、結婚
すると子供ができて新しい住まいが必要になりましたが、都内の高い家は買えない
ので、まだ土地が安い第三山の手や第四山の手に自宅を購入しました。
④
このような大都会に流入した若い人のニーズに応える為、'55年(昭和30年)には
日本住宅公団が誕生して、沢山の団地を造っていきました。
それでも団塊の世代
は数が多いので、団地に住めるのは抽選で当たった人だけだ、と言う時代でした。
団地に住んだ人も、子供ができて狭くなると、郊外に一戸建てを買いました。
のように、新しい住まいを作る場所として郊外が必要だったのです。
こ
そして、'85
年~'91年まで続いた「バブル期」には、団塊の世代は国道16号の外側の地域まで
拡がったのでした。
⑤
'80年代になると、工場だらけの空気の汚い煤煙の街と化した東京の街を、金融セ
ンター等が集まる国際都市、綺麗なビジネス街に買えようとする動きが起きて、
「工
場や小さな店舗や収益ビルを売って郊外に買い換えた場合には譲渡税を取らない」
とする買換制度(税金の繰り延べ制度)ができて、千代田区、中央区、港区等の都
心から郊外への買換ブームが起き、多くの工場や商店や賃貸不動産が郊外に移転し
ました。
その為'85年~'90年は都心の地価が急騰しただけでなく、郊外の地価も
数倍に値上がりして「不動産バブル期」となりました。
その結果、都心は、金融
機関、企業の本店等が集まる大型のビジネスビルが建ち並ぶ綺麗な町に変貌しまし
たが、人が住む住宅は少なくなり、人々は郊外へ移転し、都心からは人口はドンド
ン減っていきました。
⑥
こうやって郊外へ郊外へと拡がった住宅地「第三の山の手」「第四の山の手」では
近くに下町的な街がありませんのでスーパーや百貨店のような大規模商業施設がで
きました。
⑦
下町も時代と共に東へと移動・拡大しました。
日本橋が「第一の下町」、浅草が「第二の下町」、関東大震災後に発展したのは
隅田川の東側で工場も沢山できて「第三の下町」になりました。
更に、戦後は荒
川の東側や北側の葛飾区、江戸川区、足立区に工場や人口が増えて「第四の下町」
になりました。
-3-
⑧
沿岸部の復活
'03年以降になると、海側の江東区の工場跡地にはマンションが
ドンドン建ち、「都心に近い海と街が見える快適な街」としてオシャレな人が住む
ようになっています。
又、千葉県浦安市の埋立地にも「アーバンリゾート」とし
て多くのマンションが建ち、そこに住むオシャレな奥様方を「マリナーゼ」と呼ぶ
ようにもなりました。 海側の東が復活しつつあります。 都心に近く、交通の便、
買い物の便、学校環境・文化環境・衛生環境・仕事環境等が良いオシャレな街がで
きているので、「住んでいて快適な住まい」になっているからです。
ちなみに、今タワーマンションが建っている湾岸地域は、昔は「海苔の養殖場」
だった所です(「東京湾の海苔の養殖場」参照)が、高度成長期に埋め立てられて
工場があった所です。
高度成長が終わり、工場は郊外や地方や或いは海外に移転
し、空いた所にマンションが建つようになったのです。
これらの地域は地域的に
は下街ですが、機能的には「お金持の住む快適な住まい」として「第二の山の手」
「第三の山の手」に属する新しいタイプの住宅地と言えます。
(3) 人口減少時代となった今、東京の郊外は今後どうなるのか?
前述したように明治以来の首都東京は、急速な近代化・工場化・拡大化が起きた
結果、空気の汚れた街・大東京になりましたが、そこに仕事場を求めて集まった人
々は「太陽と空気の綺麗さと快適な住居を求めて山の手或いは郊外に拡大していっ
た」のが東京の郊外の拡大歴史でしたが、人口減少の時代が始まった今後では、東
京とその郊外はどうなるのでしょうか?
①
今や東京都心からは公害を出す工場や小さな商店や借家は外に追出されて大規模
で機能的なオフィスビルが建ち並ぶビジネス街に変貌し空気も綺麗になりました。
「耐震性に優れた、且つセキュリティーやコミュニティー
にも配慮したマンション」が建ち始めて、「通勤に便利で、空気が綺麗になって、
住み心地も良くなった東京都心部や都心に近い地域にできれば住みたい!」と希望
そして、工場跡地には
する人が増えています。
②
又そんな時に、東日本大震災が起きて、東京都心に勤めるサラリーマンの帰宅困
「都心から歩いて帰れる範囲・耐震性に不安がない・子育てし易い地
域に自宅を持ちたい!」と言う住まいへの要望が大きくなった、と言われています。
難を経験して
恐らくは今後はこの基準に準じて人々の住まい選びは進行することになるでしょ
うから、この基準を満たした地域や建物が人気を博して栄えることになり、若くて
お金のある人は都心に移住するでしょう。
反対にこの基準から外れる地域や建物
は徐々に売れなくなり、過疎化することになります。
例えば、'80年代以降に大規模開発された郊外の団地である「第三山の手」や「第
四山の手」に住居を買った「団塊の世代」(約1,290万人)は、そこで子育てをし、
今や60歳前半となりました。
最近は親子二所帯の住宅は少なくなって、子供達が
独立した後は親夫婦二人で住み、小中学校は1クラスだけになってやがて廃校にな
-4-
り、その地域全体が60歳以上の老人親世代だけが住む老齢化した街になる団地が増
えていますが、今後はこんな街は人口が減り、地価が安くなるでしょう。
(4) ここで人々が郊外に住まいを求めた理由をもう一度考えてみます。
①
都心が既に飽和渋滞で地価が高くて庶民には買えなかったこと。
②
東京都心が工業都市化して空気が汚く住みづらかったこと。
③
郊外の山の手は空気が綺麗で太陽が燦々と当たる住み易い場所だったこと。
④
郊外の山の手に交通機関が発達して職場に通勤し易い環境が整えられたこと。
⑤
郊外の山の手は地価が安くて買い易かったこと。
⑥
「住宅ローン制度」等々の「住宅取得促進税制」が取られたこと。
⑦
買換制度等で都心から郊外への「追い出し政策」がとられたこと。
⑧
人口が急激に増加していたこと。
「人は仕事のある所に集まり、その近くの子育てし易い・住み易い地
域の家に住みたい」のです。 もちろん経済的に自分が買える範囲でです。
要するに、
そこで、郊外の住宅地が今後どうなるかを考える場合にも、この基準で考えれば
予測がつきます。
人口が減少していく時代になっても、「首都・東京には常に仕事の場がある」の
で、今後も若い人は仕事のある東京に集まります。
「2030年頃までは東京の人口
は増え続けるし、GDPも増え続ける」と経産省の地域経済委員会は報告しています。
しかし、首都東京の近県である埼玉県、神奈川県、千葉県は徐々に人口が減る可
能性が指摘されています。
現に2011年度には(東日本大震災の影響が大きかった
のですが)千葉県の人口は少しだけですが減少しました。
確かに上記の如く、都心から遠く離れる地域で、仕事がなく、住みづらい地域の
人口は減少傾向になるでしょう。
ただ、全体的には人口減少下の日本ですが、一
律に見ることは適当ではなく、その地域ごとに「そこに良い仕事があるか?」「そ
の地域は子育てし易い環境にあるか?」「地価はリーズナブルな価格か?」で個々
具体的に判断するしかないでしょう。
即ち、仕事環境、通勤環境、学校環境、保
育環境、衛生環境、文化環境、運動環境、娯楽環境等の条件によって地域格差が開
いていくことになる、と予測できます。
(5)では、「浦安市に将来性はあるか?」
(1)
残念ながら浦安市は、'11年3月11日の東日本大震災で甚大な液状化被害を受けま
した。
今後この液状化に対する不安がある限り、簡単には不動産の価値は回復し
ないかもしれません。
しかし、私は浦安市の震災復旧計画と工事は着々と進行しており、その工事の進
行と共に、マスコミによる風評被害は薄らぎ、3年後には「液状化対策を施した復
旧のモデル地域」として復活するものと確信しております。
その論拠は以下によ
るものです。
①
公共の被災箇所の修復工事は、国と県からの支出金・交付金で約244億、市債で募集
-5-
したお金で約34億、市の備蓄金から約23億、合計約302億を持って、'13年までの2
年間で修復工事は完了予定(浦安市復興計画)である。
②
液状化の被害調査と液状化対策については、浦安市は日本有数の学者や実務家15人
に依頼して「浦安市液状化対策技術検討委調査員会」を招集・開催して詳細な調査
と対策が報告されている。(浦安市のホームページ参照)
③
②の報告を元に、浦安市の震災復興計画が練られ、道路と道路の下のガス、上下水
道、雨排水、電気の設備等のライフラインが今後の大地震や液状化によって傷まな
いようにできる限りの液状化低減策を施した復旧計画を立てていること。
④
液状化には「S波の横揺れを和らげるという一種の免震作用があり」その為「建物
は倒壊しないで、傾くだけ」「液状化では人は死なない」と言う大きな長所もある
ことが判りました。
地震の被害が大きいのは、津波、建物の倒壊、火災旋風の順であり、沿岸部の埋
立地は、液状化による建物の沈下・傾斜は起きても倒壊や建物倒壊での死亡の被害
は出ない地域であることが判ったのですから、今後は液状化対策さえ取れば、身の
安全を守れる地域であると言うことです。
ですから、「次の地震に備えては地震
保険に加入しておけば、沈下修正の費用には備えられるし、経済的な損失は防げる」、
と言うことです。
⑤
東京湾は、南を向いた入口が狭く奥行きが広いという特徴から、この1,000年来2m
以上の津波が来たことがないので、想定外の最大の津波を想定しても2.5m以上の
津波の心配はないと、内閣府の東海沖地震対策検討委員会は報告しています。
また、「首都直下地震」では海溝型の地震ではないので津波は起きない、と発表
しています(「内閣府の首都直下地震対策検討委員会報告」参照)。
(2)
①
浦安市は、日本一がいっぱいある・子育てし易い・住み易い街である。
交通環境が良い。
首都東京の中心まで12㎞、わずか4k四方の街に2つの鉄道の
3つの駅があり、京葉線新浦安駅から17分、東西線浦安駅から19分、湾岸道路で20
分で行ける「通勤の便」が良い地域です。 又、市内にはオリエンタルバス交通の
バス網が張り巡らされて市内をグルグルと循環していますので、さほど混まないで
目的地に着けます。
その上、幹線以外の道も市の補助金で「お散歩バス」と言う
小型のバスが走り回って便利です。
①
東京湾を埋め立ててできた街なので、都市計画通りの街造りができており、道路は
広く、歩道や街路樹が整備されて、危険のない美しい街並みです。
③
公園や運動公園が100箇所以上あり、運動環境・健康環境・防災環境が整っていま
す。
④
1km以内に中学校、500m以内に小学校と幼稚園があり、学校設備は日本一整ってい
ます。
⑤
浦安中央図書館の本の貸出量は日本一で、文化環境も整っています。
⑥
ディズニーリゾートは若者を引きつける日本一の設備です。
ちなみに、来園者は
ほとんどがリピーターであり、その80%が首都圏近郊の若者のデートスポットにな
-6-
っていることがオリエンタルランドのデータで出ています。
⑦
若者を引きつける賃貸住宅環境が整っています。
ディズニーがある街浦安に引か
れて浦安に住んだ若者は、どこからでも自転車で15分以内にディズニーランドに行
けます。
又、20,000室あるワンルームに住む若者の為に、100m起きにコンビニや
飲食店や娯楽設備があり、若者には便利で楽しい環境が整っています。
又、市内
には西友、イトーヨーカドー、ダイエー、OKマート、ケーズデンキ、ケイヨーD2、
ベビーザラス、マルエツ等の大きな駐車場を揃えた大型スーパーや店舗があり、買
い物の便はとても良好です。
⑧
浦安市は職住接近の街としても日本一です。
ディズニーリゾートを始めホテル群や高級スーパー群、鉄鋼団地、漁業関係の企
業、不動産業等の企業数が約5,000社あり、その従業員は約80,000人居ますので、
共稼ぎの家族には就職にもパート探しにも、学生のアルバイト探しにも困らない、
職住接近の街、子育てし易い街としても適した環境が整っています。
⑨
以上のように浦安市は「何でもギュッと詰まったコンパクトシティー」として「都
市計画が成功した街」であり、「住み易い街・子育てし易い街」になっていますの
で、若い子供世代の家族も親の住む浦安市内に住むことが増えて、老若男女の人口
構成もバランスの良い街になっています。(詳しくは
照)
「浦安一学(浦安編)」参
この町が震災から復興した後には、また、成功したビジネスマンにとって日
本一住みたい街」「人に自慢できる街」として栄え続けることを私は疑いません。
2012年1月22日
記
参考文献
「郊外はこれからどうなる?」三浦展著
中公新書ラクレ出版、「不動産マーケ
ットはこうなる」三菱UFJ信託銀行不動産コンサルティング部著
日経BP社刊、「不
動産マーケット再浮上の条件」三菱UFJ信託銀行不動産コンサルティング部著
日
経BP社刊、「不動産マーケットはこうして勝ち抜く」三菱UFJ信託銀行不動産コン
サルティング部著
日経BP社刊、「日本一学(浦安編)」水野勝之編
刊
-7-
(株)創成社