サラマンカ便り 一一2002

「サマランカ便り―2002年欧州文化首都の現状と仮題」『あいだ』 83号、2002年11月20日、33-35頁
あいだのすみつこ不定期漫遊連載第 8回
サラマンカ便り
一
一2
0
0
2
年欧州文化首都の現状と課題
稲賀繁美
スペイン,カスティージャの古い大学町,
サラマンカで教鞭を取っています。マド')
ツドから「西北西に進路を取れJ 250キ
ロ,日本では考えられないほど座り心地の
よい長距離パスで 2時間半,周囲の風景を
堰能していると,やがてトルメス }
I
Iのほと
0
りの丘のうえに,大聖堂や大学の古めかし
い建物が見えてきます(実際には北米カナ
レハンド 4世によって,大学と公認されま
5万人ほどですが,
した。現在のサラマンカ 1
学生数は 3万 2千,教務員は 3千を数え,
手l
を凌鴛しています。とはい
都市人口の 2苦
えこれも最近 1
0年の変貌に負うところが多
日市街の西側に建設されたミゲ
く,新たに i
ル ・デ・ウナムーノ・キャンパスの稼働と
ダ経由の学会疲れと時差ボケで,ほとんど
眠り込んでいましたが。目が覚めると.そ
の瞬間の,秋の最後のイペリア半島高原地
ともに,学生数で 5割,教職員数で 2倍婚
という大躍進を遂げているところです。実
は. 1
9
8
4
年にも訪れたことがあるのですが,
そのときは,なんとなく老人と観光客ばか
帯は,それは美しいものでした)。大聖堂
2
世紀に着工されたも
は,もとはといえば1
り目立つ,過去の栄光に埋もれた徽臭い町,
という印象を得ていました。それが今回来
ので,レコンキスタ運動のなかでの司教座
の「復帰j は,ぺ 1
)ゴー出身のイエロニム
スという名前の司教に 1102年になされた,
というのが,教会に今日なお保存される羊
てみて,すっかり若返った様に呆れました。
9
8
8年,ユネスコの
実際サラマンカは. 1
世界文化遺産に登録され. 2
002年にはヨー
ロッパの文化首都に選ばれました。地元の
人々の言うところでは,欧州連合からもか
皮紙文書から得られる解釈です。この日付
00年を
からすれば,大聖堂は本年で創建 9
記念する年を迎えたということになり,内
部を修復した鐘楼では,特別展も設けられ
ていました。
サラマンカといえば,ヨーロッパでは,
なりの資金供与があったとのことで. (
日
市
街の主要部は,見事なまでに化粧直しが進
んでいます。園内ではトレドやコルドパが
観光に依存した,切り花か造花のような美
パリ,ポローニャ,それにオックスフォー
ドともならぶ,由緒ある最古の大学都市の
ひとつです。レオン王国のアルフォンソ 9
を見せつけているのにたいし.サラマンカ
には地元の生活文化が立派に息づいて生き
ている,という感触を得ます。ヨー ロッパ
のほかの有名な大学都市,例えばドイツの
世によって 1
2
1
8
年に設立された学堂は,賢
0世のもとで,
王と讃えられるアルフォンソ 1
国際的な水準へと高められ,ローマ教皇ア
ハイデルベルクやチューピンゲンに比べて
も,いまやサラマンカのほうが活況を呈し
ているのでは,との印象です。
あいた器-33
1
1月の初頭に当地に来てみると,今年は
秋の好天が長続きしたとのことで,最初の
ん。日本で実現がむりならば,その分,つ
かの間のスペイン滞在を満喫しなければ。
何日かは,日中はまぶしいほどの陽光に照
らされ,澄んだ青空と,高原を行く白雲と
しかしこれにはかなり強靭な体力が必要不
可欠だな,などと,午後 2時からの昼食に
を背景として,大聖堂やイエズス会の学堂
疲れ果て,午睡を曙む利那に思います。
が,くっきりとした光と影とのコントラス
トのなかに浮かび上がっていました。それ
サラマンカにしばしの滞在をすることに
9
9
8年に開設された,日・西
なったのは, 1
が夕刻も迫り, トルメス川!のはるか西側に
太陽が傾くと,丘の上の砂岩の建築たちは,
文化センター(Cen加 C
u
l
r
u
r
a
l His~叶必IX>悶)
いっせいに樫色や紅色に染まり,やがてタ
閣のなかに没してゆきます。そしてそれと
ヨーロッパでも有数の美を誇るマヨール広
6世紀のサン・ボアー
場から稜近くにある 1
交替するように人工光線が旧市街を照らし
だすと,町並みはー変した様相を呈します。
わずか 1
5万人の人口を数える都市に 5
,
0
0
0
ル宮が,スペインに進出した日本企業など
による出資によって改装されたもので,今
年で開設 3周年を祝いました。なんでもサ
軒を越えるパルがあるとのことで,仕事が
引ける時分には,カジュアルな服装の若者
いたパイプ ・オルガンの修繕を日本人技師
ばかりか,酒落た着こなしの老夫婦も含め,
が受けもち,当時の皇太子夫妻の肝煎りも
信じがたいほどの群集が,石造りの町並み
に溢れ始めます。そして週末など,車の入
あって.その完成が言祝がれたのが 1
9
9
0
年c
さらに技師の出身地,岐阜県の県民会館に
らない世界遺産の石畳を舞台に,老若男女
を関わぬにぎやかな喧喚が,深夜まで続き
ます。
つい,同じような規模の日本の地方大学
との係わりゆえのことです。市庁舎を囲む,
ラマンカの大聖堂に壊れたまま放置されて
このオルガンの複製が設置され,サラマン
カホールと命名されたのが9
8年,といった
背景があるそうです。日本の皇室が,特定
の文化事業にとりわけ名前を出すことは,
都市と比べてしまうのは,悪い癖かもしれ
宮内庁としては極力回避しているはずです
ません。私が 7年ほど住んだ三重県の津市
など,夜 8時を過ぎれば,町は死んだよう
が,それだけに,サラマンカの文化事業は,
に静かになり,活気などどこにも感じられ
ませんでした。島根県の出雲や松江といえ
ば,夕日の美しい屈指の地方都市ですが,
それでもサラマンカの夜の一般市民の賑わ
いに匹敵するような情緒は皆無です。なぜ
日本の地方都市は,いや大都市もでしょう
か,こうも人間的な味わいのない,詰まら
ない,寒々しい場所になってしまったので
しょうか。もちろん午後の 2時から 6時ま
行政主導の色彩が濃厚だった犠子です。
1
9
9
9
年以来,サラマンカ大学の自由聴講
授業の講師として,毎年日本からスペイン
語に尊重能な各分野の第一人者の方々が, 一
週間の集中講義に派遣されてきました (
9
9
年には神戸大学の松下洋先生.関西外国語大学の国民
000年度には,
陽一先生と筑波大学の級野昭Ht先生. 2
フェルナンド・ガルシア ・グティエレス先生,上智大
学のアントニオ ・ルイズ ・ディノコ先生.学習院女子
大学の阿曽村智子先生。 2
0
0
1
年度には東京大学の笹川
恵一先生,上智大学の消水Al!男先生,早稲田大学の市
∞
でが事実上機能停止というスペインの生活
習慣には,能率一点張りの日本人としては,
川│慎一先生.そして2 2
年度には,元東京大学の大賞
必ずしも馴染めません。それでもその代価
ています)。これらの方々は,日本サラマン
カ大学友の会による派遣ですが,当方はこ
良夫先生,同志社大学の松下マルタ先生が.予定され
が,夜の帳の降りる頃からパルでの社交と,
夜 9時を過ぎてようやく始まる夕食,それ
れとは別に,もつか国際交流基金から,一
に街のあちこちで頻繁に催される演奏会や
学期の文化史授業の担当を命じられて, 1
1
国際ジャズ・フェスティバルといった費沢
な時間の過ごし方にあることは見逃せませ
月から年末まで,当地に滞在しているとこ
ろです。
あいだ岳-34
スペインでは,現在まで外国語としての
日本語講座は存在しましたが,日本文化学
科のようなものは,大学の学部レヴェル1::
存在していませんでした。との冬にも,東
洋文化研究学科の設立が間議で了承される
見込みで,うまく行けば来年度には,マド
リッドの自由大学に中国と日本,バルセロ
ナに中国,そしてサラマンカに日本を専攻
する学部レヴェルの学科が設立されること
になっています。その準備として助言をせ
よ,というのが小生に与えられたいまひと
t
は,目
つの業務です。とはいえ,現地の仮l
下のところ来年度からの新設学科の準備は
まったく進んでおらず,新規の人事もいつ
になったら始動するのか,なお不明です。
センターには,この学科新設も見据え,元
スペイン大使,林屋栄吉氏のご尽力により,
8
0
0
加にのぼる日本語を中心とす
この春, 1
る書籍の寄贈がなされました。物理的には
センターの文化活動の基礎が,第一軌道に
乗った段階ですが,正念場は,これから 1
年間,日本学科の創設が次の軌道に乗るか
どうかに,日本とスペイン語圏との文化交
流の未来の一端がかかっているといっても,
決して過言ではないと思います。