MRI | 所報 | 知識産業時代の技術経営〜Japan as No.1 again〜

ISSN 1347-4812
JOURNAL OF MITSUBISHI RESEARCH INSTITUTE
所報
42
2003
No.
特集号
「技術経営と産業再生」
巻頭言
●所報42号「技術経営と産業再生」特集号に寄せて
Message :On the Occasion of Publishing No.42 Special Issue,
“Management of Technology and Industrial Revitalization”
常務取締役 尾原 重男
Shigeo Obara
●デスバレー現象と産業再生
Valley-of-Death Phenomenon and Industrial Revitalization
●知識産業時代の技術経営
Management of Technology in Knowledge based Industry Era
●大学発ベンチャー育成とベンチャーキャピタル
Fostering university-launched Ventures and Venture Capitals
●アーキテクチャ創造企業の萌芽
The Indication of Architecture Creating Companies
●技術経営における技術資源管理に関する一考察
Consideration on Technological Resource Management in Management of Technology
●デジタル情報流通市場の中期展望
Mid-term Prospect of the Digital Information Distribution Market
●アイルランドの経済成長とソフト産業
Economic Growth of Ireland and its Software Industry
●Findings from ABS Cases and National and
International Legal Instruments
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研究論文 Research Paper
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要 約 ・
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目 次 ・
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研究論文
知識産業時代の技術経営
∼Japan as No.1 again∼
村上 清明 田中 秀尚 高橋 寿夫 山本 誠司 河合 毅治
日本の製造業再生の手法として期待される技術経営であるが、その原型の多くは、
80年代に世界最強といわれた日本の製造業の経営に行き着く。しかし、当時の大量
生産型工業時代と、現在、日本が足を踏み入れている知識産業時代では、経営環境
が大きく異なっている。本研究は、知識産業社会という新たな時代に相応しい技術
経営の体系とその方法論を提示したものであるが、それは、取りも直さず、Japan
as No.1 again への道標でもある。
本研究では、「世界の工場」に代わる富の獲得の戦略として、「豊かになった世界の
人々が欲する高付加価値商品の提供」を掲げ、かつての日本の製造業の勝利の方程
式であり技術経営の目標であった「安価で高品質な製品の大量生産」に代わり、「価
格競争に陥らない価値の創造」を目標として、技術経営の方法論を構築した。
各手法のバックボーンとなっているのは、不確実性という概念である。市場も技
術も予測可能であった大量生産型工業時代から、市場、技術の双方とも予測困難な
知識産業時代への移行に対応して、効率性重視、集中と選択、決定論的手法からリ
スク管理重視、分散、確率論的手法の必要性が示されている。
1.
知識産業時代の技術経営の体系
1.1 新たなコンセプトの技術経営の必要性
1.2 知識産業時代のMOTの目標
1.3 知識産業時代の技術経営の体系
2.
研究開発マネジメントの方法論
2.1 研究テーマの発掘
2.2 研究開発評価と分散投資
2.3 研究開発評価手法
2.4 研究開発体制
3.
結語
知識産業時代の技術経営
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Summary ・
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Contents ・
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Research Paper
Management of Technology in
Knowledge based Industry Era
−Road to Japan as No.1 again−
Kiyoaki Murakami, Hidehisa Tanaka, Hisao Takahashi, Seiji Yamamoto, Takeharu Kawai
Although management of technology is expected as the methodology for
rebuilding manufacturing industry of Japan, many of the prototypes reach the
Japanese style of management in the manufacturing industry called world
strongest in the 80s. However, business circumstances of today, the knowledge
based industry era which Japan has entered, differs greatly from those of the massproduced type industrial era of those days. This research shows the system and
methodology of management of technology which are suitable for the new era of
knowledge based industry society, and they also show the road to Japan as No.1
again.
In this research, as a strategy of acquisition of the wealth replaced with“the
factory in the world”,“offer of the high added value goods which people who
became rich want”was set up. And the methodology of the management of
technology aiming at“creation of the value without price competition”was built
instead of“mass production of a cheap and high-quality product”which was the
equation of a victory of the manufacturing industry of once Japan, and was the
object of management of technology.
The concept called uncertainty serves as backbone of individual technique.
Corresponding to the shift from mass-produced type industrial era where both
market and the technology are predictable to the knowledge based industry era
where neither are predictable, needs for methods based on risk management,
distribution and the probability theory-technique are shown instead those of based
on efficiency, concentration and selection and the determinism-technique.
1.
System for Management to Technology on the Knowledge Industry Era
1.1 Necessity of Management of Technology with a New Concept
1.2 Aim of MOT in the Knowledge Industry Era
1.3 System for Management of Technology in the Knowledge Industry Era
2.
Methodology for Research and Development Management
2.1 Identification of a Study Theme
2.2 Research and Development Evaluation and Diversified Investment
2.3 Method for Research and Development Evaluation
2.4 Research and Development Structure
3.
Conclusion
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研究論文 Research Paper
1. 知識産業時代の技術経営の体系
1.1 新たなコンセプトの技術経営の必要性
産業再生。現在、日本の最重要課題のひとつである。それには強い製造業の復活が絶対条
件である。その製造業の最大の課題が、技術シーズをいかに製品や収益に結びつけるかであ
る。今、その方法論として技術経営(以下MOT: Management of Technology)が期待を集
めている。
技術経営は、米国の多くの大学が提供する、技術者に経営を教えるプログラムとして知ら
れているが、元を辿ると多くは8
0年代の日本的経営に行き着く。MOTが注目されたのは、
1990年に“Made in America”でその必要性が指摘されてからと言われているが、同レポー
トは、MITによるもので、80年代に世界最強と言われていた日本式経営の研究から生まれた
ものである。つまり、日本で生まれ、米国でより洗練されて日本に戻ってきたわけである。
ここで、次の問題を提起したい。現在の日本の置かれている状況は、20年前とは、まるで異
なっている。確かに、カンバン方式はサプライ・チェーン・マネジメントへと、仕事の後の
飲ミニケーションは、ナレッジ・マネジメントへと、ソフィスティケートされてはいる。しか
し、過去の成功事例を体系化したMOTが、現在の製造業の復活に本当に有効であろうか。
20年前の日本は国民の欲求もまだ低次であったし、アジアの新興工業国も日本の脅威とな
るには至っていなかった。そうした中で日本の製造業は世界の工場として無類の強さを誇っ
ていた。そこでは、
「低価格で高品質(不良品が少ないと言う意味の)な製品を大量生産する」
するという勝利の方程式があり、それを目標として、技術経営の方法論が構築されていた。
翻って現在の日本を見ると、国内市場はモノが溢れ、国民の欲求はより高次になり、安くて
高品質なだけでは売れなくなっている。国際情勢も、社会主義体制の崩壊により多くの新興
工業国が世界市場に出現した。特に中国は、圧倒的なコスト競争力に加え、技術水準も急速
に高くなっており、日本に代わって世界の工場としての地位を固めつつある。
今や、日本に戦後の成功をもたらした大量生産型の工業化社会は、過去のものとなってい
る。日本の復活は、POST工業化社会である知識産業社会において勝者になることをおいて
他にはない。それには、
「安価で高品質」に代わる新たな勝利の方程式が、そして、それを実
現する新たなコンセプトの技術経営の方法論が必要であろう。
1.2 知識産業時代のMOTの目標
(1)知識産業とは
知識産業時代のMOTを論ずるには、知識産業とは何かを明確にしておくことが必要であ
る。知識産業とは、一般的には「知識が創造する価値の割合が高い商品やサービスを提供す
る産業」と定義されるが、従来の1次、2次、3次産業と言った概念で捉えられるものではな
いし、ハイテクが知識産業というわけでもない。
図1に示すT-W平面は、縦軸に技術知識水準(Technology)、横軸に人間の欲求(Want)
をとり、縦軸は上方向に技術水準が高く、横軸は右方向に、生存→便利・省力(楽)→精神・
情緒的な欲求の順に高次化していく。この平面に、製品やサービスを位置付けると、左下の
知識産業時代の技術経営
表1 知識産業時代の技術経営の体系
規格品大量生産型工業化時代
知識産業時代
経営環境
国内
●国民の欲求:低次の欲求
・豊富な物資(米国流豊かさの実現)
・工業製品=機能(便利、楽:省力)の提供
●生産者と消費者の明確な区分
●国民の欲求:より高次な欲求
・感動、情緒の安定、自己実現、機能回復
●生産者と消費者の融合(プロシューマー)
・選択型→生産への参加→商品企画への参加
海外
●欧米:科学技術のフロンティア、技術の
仕入先
●アジアの中進国:日本の追跡者、安い労
働力、新興市場
●欧米:先端科学技術、プレミアム商品市場での
ライバル
●中国、アジア各国、東欧:新世界の工場、巨大
市場
日本の製造業の勝利の方程式とMOTの目標
日本の位置付け
戦略(勝利の方程式)
技術経営の目標
●世界の工場
●世界の富裕層に高付加価値商品を提供
富の2次的環流
安くて高品質な(不良品のない)製品の大
量生産
価格競争に陥らない価値の創造
●絶対的価値:夢を実現する革新、高級ブランド
●相対的価値:その人にとっての特別の価値
●高い精度の予測可能性
●不確実性
・技術、市場とも先例あり(主として米国) ・技術の不確実性(革新技術の出現)
・国内市場のニーズは低次の欲求
・市場の不確実性(人間起因と商品特性起因)
プライシング
●コストによる価格決定
●均一的価格設定
・同じカテゴリーの製品の価格レンジ小
●価格は製品の成熟度により下落
●価値による価格決定
●差別的価格設定(ディスクリミネーション)
・同カテゴリーの製品の価格レンジ大
●製品の成熟度による価格下落無
IT活用
●効率化の追求(引き算の発想)
・コスト削減
・省力、省資源
●価値創造型活用(足し算の発想)
・創造性の発掘:社外リソースの取り込み
知財活用
●特許が主
●防波堤機能
●特許に加えて、意匠権、著作権の重要性増大
●知財の戦略的活用:収益源としての特許
研究テーマの発掘
●キャッチアップ型
●技術PUSH型
・トレンド予測
●コスト削減、改善、製造技術
●フロント・ランナー型
●市場PULL型
・未来社会(市場)の予測→市場から関連技術の
抽出
●コンセプト・イノベーション
研究開発評価
●最尤シナリオに基づく一意評価
●プロジェクトの個別評価
●複数シナリオ別評価
●プログラム(研究開発ポートフォリオ)評価
研究開発投資
●選択と集中による効率性
●分散投資によるリスク管理と効率性の両立
・リアルオプション
・ポートフォリオ理論
遂行管理
●中長期的テーマを計画的に遂行
→スタティック・決定論的手法
●新技術の出現、市場の変化に合わせてテーマを
随時組替え
→ダイナミック・確率論的手法
研究開発体制
●クローズ型
・社内と系列企業
●縦割り組織型
・事業部別、分社組織別、テーマ別
●オープン型
・企業(大企業、ベンチャー企業)間協力、産学
連携、地域コンソーシアム、消費者取込
●ネットワーク型
・プロジェクト毎の柔軟な体制
●同一商品大量生産→多品種少量生産
・QC、JIT、POS
●国内生産→最適コストによる配置→海外
移転
●多品種少量生産→のオーダーメイド化
・カスタマイゼーション→IT・ロボット技術の高
度活用
●生産拠点のコスト要因が低下→国内立地の可能
性増
共通戦略
研究開発
●知識産業立国:科学技術、感性産業
●大量生産型工業製品の輸出
MOTの方法論
技術経営の鍵となる前提
生産
出所:三菱総合研究所
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研究論文 Research Paper
図1 T-W平面による知識産業のポジショニング(出所:三菱総合研究所)
エリアに農業化社会の典型的な産業が位置付けられ、大量生産型の工業化社会の産業は、農
業化社会の右上側を囲むエリアに位置し、さらにその右上外周のエリアに位置するのが、知
識産業社会の産業である。
本マップによると、知識産業社会は下記のような特性を持つ。
・知識産業は、従来の1次、2次、3次という産業区分によって捉えられるものではない。
例えば、農業であっても、安心や安全が価値を持つ有機栽培の製品や、癒しが価値を創る観
光農園は知識産業である。同じように、価値の殆どが基本機能によってもたらされる大衆車
は、大量生産型工業社会の製品に位置するが、スポーツカーや高級ブランド車のように、基
本機能以外が価値の源泉となっているプレミアム・カーは、知識産業に位置付けられる。
・高度の技術により成立する産業は知識産業であるが、高度の技術が知識産業を成立させる
ことを保証するものではない。技術水準は高くなくても、人間の高次の欲求に応える商品も
知識産業に属する。
・マップの右端に並ぶ感性・情緒型の商品群は、高技術が無くとも成立するが、愛玩ロボット
やCGを用いた映画など、最先端技術の有望な応用分野である。
このような特性を持つ知識産業では、技術の高度化が必ずしも市場に結びつくわけではな
い。逆に、一見関係無いような対象に技術シーズが転用されることもある。こうした特性は、
大量生産型工業化社会にも存在するが、その程度は、知識産業社会の方がずっと大きい。し
たがって、技術経営の研究テーマの設定や技術シーズの実用化等において、時代に相応しい
方法論が必要であろう。
知識産業時代の技術経営
(2)知識産業時代の製造業の基本戦略:新勝利の方程式
産業革命以後、世界の工場と呼ばれた英国、米国、日本は、大量生産型の工業製品を世界
中に輸出することで、世界の富を獲得し、経済大国となった。そして、今、新世界の工場と
なった中国が経済大国への道を踏み出している。かつての日本が、そうであったように、こ
れからの数十年は、中国製品が世界中に輸出され、中国に世界の富が集まるようになるだろ
う。
では、
「POST世界の工場時代」で富を獲得する基本戦略は何か。新しく世界の工場となる
国を脅威と捉えるのは前時代的な発想である。安価な外国製品の輸入を制限するのは、経済
大国として余りにも度量の狭いやり方であるし、国民生活の質の向上も妨げることになる。
また、人件費を削減して、海外からの安価な商品と価格競争するのは、国民に痛みを強いる
ばかりか、過去の経済発展の意義を失わせることになる。人件費の安い国に生産拠点を移す
というのは、バブル崩壊後多くの製造業がとってきた方策であるが、これも対症療法に過ぎ
ない。80年代の米国もそうであったが、中長期的には、雇用の空洞化を招くことになり、根
本的な解決策とはならない。新勝利の方程式の構築は、歴史の必然を前向きに受け入れるこ
とと発想の転換が必要である。
海外の安い製品を受け入れながらも国内の雇用を確保し、国民の生活の質を向上するには、
豊かになった人が欲しいと思う高付加価値の商品やサービスを提供する以外に方法は無い。
これが実現できれば、中国や新興工業国からの安い工業製品の流入や経済発展は脅威から福
音に変わる。なぜなら、安い工業製品は、生活費の余裕を生み、それは高くても価値のある
商品やサービスに向かうし、また、新興工業国の経済発展は、高付加価値商品の購買層とな
る新たな富裕層を生むからである。
強い通貨を持ちながら生活の質の向上に結びつかない、安い製品が輸入されるとデフレ不
況に陥る、世界で最大の金融資産を持ちながら安売りに走り消費が伸びない、新興工業国と
価格競争して賃下げや雇用削減に走る、こうした状況を招いているのは、前時代的な政策や
戦略であり、それが日本産業の再生を妨げている。
(3)知識産業時代の技術経営の目標:価値の創造
工業化時代の技術経営が「安価で高品質な製品の大量生産」という目標の下に体系化されて
いたのに対し、知識産業時代の新勝利の技術経営は、「価格競争に陥らない価値の創造」を目
標として体系化される。知識産業に位置する製品やサービスは、需要の価格弾性値が小さい
(高付加価値化し易い)
、機能提供型商品に比べて需要の飽和点が高いという特性を持つも
のが多いが、それでも高付加価値化の基本として押さえておくべき点がある。
図2は、商品の普及率と価格水準との関係で商品をカテゴライズしたものである。高付加
価値の創造という観点から、重要なのは、高付加価値は2つのゾーンで形成されるという点
である。
一つは、革新商品から成長商品までのゾーンI(Innovation zone)である。ここでの価値
はこれまで不可能だったことを実現するという絶対的な価値である。こうした製品は、技術
的イノベーションによってもたらされ、図1の上の方に位置する。
もう一つは、利益面ではゾーンI以上に有望であるにもかかわらず、これまで日本企業の
ほとんどが手をつけていないプレミアム商品と呼ばれるゾーンP(Premium)である。この
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研究論文 Research Paper
図2 商品普及率と商品価値(出所:三菱総合研究所)
ゾーンは、商品が日用品化するのと併行して現れ、日用品との価格差(プライス・ダイナミッ
クレンジ)は、数倍から数十倍にも達する。こうした商品の多くは、情緒・感性型と呼ばれる
商品で図1では右側に位置する。ここでの価値は、誰もが認める高級ブランドという絶対的
価値と、その人にとって固有の価値である相対的価値の2つがある。
高級ブランドでは、欧州の企業が圧倒的な強さを持っているが、それは、ブランド価値の
少なからざる部分が、歴史によって作られているためで、一朝一夕にできるものではない。
また、ブランドは希少性が重要で量的な限界も低い。一方、相対的な価値を形成するオー
ダーメイド商品は、これまでは大量生産を基本とする工業とは、相容れないと考えられてき
た。しかし、ITやロボットを活用した高度な生産技術により、高度なカスタマイゼーショ
ンが可能となりつつあり、日本の高度な製造技術を活かせる有望な価値創造の手法である。
過去の工業化社会では、多くの企業は、革新・成長商品ゾーンだけでなく、日用品ゾーン
においても勝者となるべくコスト削減競争を展開してきた。また、そのための方法論や手法
も用意されている。一方、知識産業に属する商品で構成されるプレミアム商品については成
功例は少なく、世界的な競争力も無い。また、事例研究はあっても組織的な方法論や手法は
無い。そこで、本論文では、革新商品ゾーンとプレミアム商品ゾーンの双方を対象として、
知識産業時代の技術経営の在り方を論ずる。
1.3 知識産業時代の技術経営の体系
(1)技術経営構築の前提条件の鍵:不確実性
技術経営の方法論や手法構築の前提条件で鍵となるのは、市場と技術の予測可能性である。
予測可能である場合とそうでない場合では、方法論が大きく異なるばかりか、第2章で示す
ように、前者では正しいとされる方法が、後者では不適切となる場合がある。
大量生産型工業化時代は、米国という手本があった。国内の消費者の欲求も、便利で楽(省
力)という機能提供型商品が主であり、また、米国のライフフタイルに追従していた日本で
は、将来の市場は高い精度で予測可能であった。技術についても、米国の動向や先例を見れ
ば、将来進むべき道を知ることができた。多くの企業では基礎技術や原理は米国から導入し、
知識産業時代の技術経営
それを改善して安価で効率的に生産する技術を開発すればよかった。しかし、現在は、技術
も市場も先が見えないという二重の不確実性の中に置かれている。国内市場は生活に必要な
ものが揃い、消費者の欲求は多様化し、変化も速くなっている。従来の延長線上で多機能化
や高性能化してもニーズに合わなくなっている。そうなると、日本の得意な改善では対応で
きなくなる。また、先端分野ほど技術の進歩は速く、現在の技術を葬るような革新技術が、
いつ何時、出現するか予測できない。
したがって、知識産業時代では不確実性を前提として技術経営の方法論を構築することが
必須の条件となる。これは、技術経営の方法論に、2つの根本的違いをもたらす。一つは、
予測可能な状況下では、選択と集中によって効率性を高めることが、最も重要であるという
考え方であるのに対し、不確実性の下では、分散により、リスクをヘッジすることが重要で
あるという考え方である。2つ目は、予測可能な状況下では決定論的手法が機能するが、不
確実性の下では、確率論的手法を用いることが必要となる点である。これらを前提とした方
法論は、研究開発に関して言えば、テーマの設定から評価、投資計画、体制に至るまで、従
来の予測可能な状況下における方法論とは異なった解をもたらすこととなる。
(2)研究開発における方法論の概要
研究開発の具体的方法論については、第2章以下で述べることとし、ここでは、大量生産
型工業化時代と知識産業時代の違い、及び、各段階の連携について概要を述べる。
1)研究テーマの発掘
過去の工業化社会における日本式経営では、商品化と生産技術のための研究開発に重きが
おかれていた。そうした状況では、研究開発テーマは技術面から決定すればすむことが多い。
しかし、知識産業時代では、単に技術のスペックを上げるだけでは市場のニーズを捉える
ことは困難である。そこで市場側からのアプローチが必要となるが、それは、単に現在の商
品に対する消費者の要求に応えることではなく、人間の欲求に立ち戻って将来の市場を予測
し、革新的なコンセプトを構築することが求められる。
手法としては、市場の不確実性に対応するため、将来市場(社会)について複数のシナリ
オを想定する手法、さらに、それから関連する技術を抽出する手法が必要である。例えば、
商品による差別化から、個人の差別化に関心が高まる→美容整形のニーズが年齢・性別を越
えて高まるというシナリオを想定するならば、バイオ技術、CG、3Dモデリング、という従
来の産業分類別や製品別の需要予測手法とは異なるアプローチになる。したがって、自社の
事業ドメインに拘らず、マーケット全体を俯瞰した将来ニーズから研究開発テーマを発掘す
る方法が必要となる。
2)研究開発テーマの評価
将来の事業環境が高い精度で予測できるのであれば、それを前提として、研究開発を個別
に評価し、評価の高いものを採択すればよい。また、成果の評価においても、技術的な要求
が達成できたか、技術が実用化したかを個別に評価すれば良い。
しかし、不確実性の下では、研究開発テーマの評価は一意には決まらない。1)で想定し
たいくつかのシナリオ別に各テーマを評価する必要がある。そこでは、3)に述べるように、
リスク管理の面から、生起確率の低いシナリオの下で評価が高いテーマも選択されることと
なる。こうしたテーマ選定を行うことは、実用化されないテーマもリスク管理上選択される
41
42
研究論文 Research Paper
ことを前提とすることを意味している。したがって、成果の評価では、技術の実用化に関し
ては、個別テーマごとに実用化の有無を問うのではなく、研究開発テーマの組み合わせ(ポー
トフォリオ)として評価しなければならない。
さらに、市場ニーズの変化のスピードが速いことから、評価を随時見直すことも必要にな
る。
3)研究開発投資
将来の事業環境が高い精度で予測できるのであれば、評価の高いテーマを厳選し、そこに
集中的に資金を投資し効率性を高めることが正しい方法であるが、不確実性の下では、リス
ク管理と効率性の両立が求められ、そこでは、分散投資が基本となる。分散投資の手法とし
ては、金融工学で用いられているポートフォリオ理論がある。
不確実性の下では、当初計画した研究開発を見直し、投資額を増減、あるいは、中止する
事態が発生することは珍しいことではない。そうした意思決定に柔軟性を持つことの有利性
を、定量的に把握できれば、リスク管理の点で有用である。これを行う手法として、金融だ
けでなく様々な分野にも応用されているリアルオプションという考え方がある。
ポートフォリオ理論、リアルオプションは、ともに不確実性の下での意思決定手法として、
金融を中心として適用されている手法である。研究開発投資も基本的なフレームは同じであ
ることから、いくつか課題はあるものの、今後の有力な手法であろう。次章で、それらの確
率論的手法の適用事例を紹介するが、従来の決定論的手法とは、意思決定に大きな違いがあ
ることが示されている。
4)進捗管理
将来の事業環境が高い精度で予測できるのであれば、中長期の研究開発計画を立て、着実
に進めることが効率性の面で有利であった。そこでは、工程管理手法は静的で決定論的手法
で対応可能である。しかし、不確実性の下では、新技術の出現や市場ニーズの変化に応じて
テーマや組み合わせを随時最適化することが必要となるが、むやみに複雑なプロセスを導入
すれば効率性が犠牲になる。そこで、効率性と機動性を高レベルで両立させることが求めら
れるが、それには、3)で述べたような動的、確率論的な手法が必要である。
5)研究開発体制
研究開発体制は、過去の企業内(クローズド)、縦割り型からオープン、ネットワーク型へ
変わりつつある。この変化も不確実性への対応の一つである。
不確実性への対応として、様々なシナリオに応じたテーマに分散投資するには、多額の費
用と多人数多分野の人材が必要となるが、ほとんどの企業は個別に対応することは不可能で
ある。それには、企業間・産学連携や社外のリソースを下請けでなく頭脳として活用するこ
とが必要となる。しかし、連携が、組織力とならず、単に寄せ集めに終わっている例も多く、
研究開発体制構築の方法論が必要となる。
知識産業時代の技術経営
2.
研究開発マネジメントの方法論
2.1 研究テーマの発掘
(1)不確実性への対応
「環境問題の顕在化」、
「ライフスタイルの変化」、
「デフレ進展」、
「モノの過充足」により消
費者の価値観は大きく変化している。家電製品や自動車等の大量生産品を購入する「工業製
品所有の満足」から、自分のライフスタイルに合致するモノのみを所有する「高付加価値商
品所有の満足」や環境保全、文化、芸術、スポーツ、教育等の「文化・行動の満足」を重視
する社会になりつつある。従来型の研究開発システムでは、このような社会に対応する商
品・事業戦略作成に限界があり、次のような視点を踏まえた新しい研究開発テーマ発掘の方
法論が必要となる。
・社会ニーズプルアプローチの視点
従来の研究開発は、解決すべき技術目標を設定し、目標達成のための技術メニューとスケ
ジュールを設定し、プロジェクトを開始するのが一般的であった。しかしながら社会的課題
が複雑化してきた現在では、研究開発管理者は技術や製品の知識だけでなく、社会ニーズと
その要因を相互に連関させ、新製品創造や研究開発計画を策定することが必要となる。また、
必要となる情報を効率的に整理し意思決定に役立てるための社内外体制の整備や意思決定メ
カニズムをつくることが重要となっている。
・複数シナリオ検討の視点
上記のような社会ニーズプル型のアプローチでは、将来社会を1つに断定して研究開発計
画を策定するのは多大なリスクを生じる。そのため、将来を決定づけるマクロトレンドにつ
いては複数のシナリオを策定し、各シナリオでの未来社会を描くことが必要となる。
・従来型研究開発からの転換の視点
これからの技術経営には差別化商品を提供するシステムが求められるが、既存設備や人的
資源の制約により、短期間での転換は困難となることから、従来型の製品についても、よい
製品をより安価に供給する研究を平行して行うことが必要となる。
図3 研究開発対象商品像の変遷(出所:三菱総合研究所)
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研究論文 Research Paper
(2)研究開発テーマ発掘の方法
将来ニーズの高い技術を研究開発するための基本的手順を示す。
1)マクロトレンドの整理
将来を予測する上で重要となる社会構成要素のマクロトレンドを整理する。また、各要素
の相互関係(途上国成長によるエネルギー需要増等)を定義する。
通常は人口(年齢構成)、資源エネルギー、途上国の経済成長、環境問題、産業のグローバ
ル化など10−15分野を定義するが、分析の目的(個人消費財の開発を目的とするのか、国家
戦略を議論するのかなど)で着目するマクロトレンドは変わる。
2)ライフスタイルトレンドの整理
個人の消費意識を左右する要因を整理する。具体的には価値観、社会的責任感、家庭環境、
教育、賃金、就労形態、余暇時間、地域環境、気候風土がある。これらの主要要因について
①と同様に今後のトレンドを整理する。
3)将来社会の予測(シナリオ策定)
1)の各要因を複数組み合わせ、3−4通りのシナリオによる将来社会の予測を行う。
具体的には「中国の人口は10億→15億となった、石油価格は通常のトレンドを維持した。」
等を複数組み合わせていく。
次に2)ライフスタイルトレンドについても同様にシナリオを策定する。
1)の将来社会と2)のライフスタイルの組合せマトリクスを作成し、各主体(企業、個
人等)の対応策を定義する。具体的にはシナリオ別の将来社会変化に対応して個人の消費活
動やライフスタイルがどのように変化・対応するか、企業の経営戦略がどのように対応・変
化するか、国や自治体の長期計画がどのように対応・変化するかを叙述的に予測する。
様々な角度から影響度を検証することが必要となるため、欧米では消費者・企業人・役人・
研究者を交えてあるべき未来社会を予測し、主体別の影響を把握するためのワークショップ
が開催されている。創造的思考を活性化するための詳細についてはここでは割愛するが、各
要因を「代替」、「結合」、「逆転」させることで新規のアイディアが生まれる場合が多い。
4)主体別対応策と新技術・新事業の関係整理
3)による将来社会変化に個人や企業が迅速に対応していくために必要な機能や技術およ
図4 未来社会対応型研究テーマ発掘メカニズム(出所:三菱総合研究所)
知識産業時代の技術経営
び事業を整理する。
通常は技術予測結果やロードマップ等を用いて、必要機能達成にどのような技術が利用可
能かを検討する方法が用いられるが、新規性を確保するために多様な技術発展の予測結果を
複合化し、独自の視点で必要機能を設定することが重要となる。また単に技術用件のみなら
ず、インフラや制度等まで広範囲に俯瞰した内容が求められる。デザインや感性も対象とな
る。
5)科学技術の発展予測
主要分野の科学技術発展の予測結果を体系的に整理し、4)の検討に資する。
6)研究テーマの発掘
4)の必要機能を満足する研究開発テーマを設定する。
複数のメニューからの選択評価方法、スケジュール管理方法、研究開発体制については次
章以降で詳細に説明する。
(3)知識社会での留意点
1)シナリオ策定の重要性
個人の価値観が多様化し、将来予測の困難な時代ではマクロトレンドや主体別影響につい
て複数の発展シナリオを準備し、その考え方に沿った研究開発テーマを採択することが必要
となる。
シナリオ分析には多くの実績があり、シェルのオイルショック対応やIPCCの温暖化シ
ミュレーションは特に有名である。
新事業展開のためのシナリオ分析とその結果(研究開発テーマ)例を示す。ここでも、シ
ナリオの結末が一般的な展開とならないよう「差別化」の工夫が必要であり、インフラ、制
度、技術、社会風土等の多様な要因を組み合わせることで、よりよい事業を生み出せないか
を絶えず思考することが重要である。
2)ライフスタイルの多様化への対応
個人や企業を対象とした事業戦略を策定する場合には、消費者を詳細に類型化し、類型別
の戦略を策定することも重要となる。本テーマはマーケティングの範疇となるため、詳細は
割愛するが、消費者類型化の方法としてステップアップ志向、本物志向、ボーダーレス志向
などが使われている。
3)既存事業からの転換戦略や資源配分の考え方
既存設備や人的資源の制約から、上記のような戦略を短期間で実現することは難しく、既
存事業を改革していくことも重要である。改革の方向性は上記にもとづくが、当面は既存設
備や人的資源の状況を見極めつつ、盛り込むことができる研究開発テーマを順次取り入れて
いくアプローチが必要となる。具体的アプローチについては2.2、
2.3に記載する。
2.2 研究開発評価と分散投資
(1)分散投資による不確実性への対応
将来予測が高い精度で可能な時代では、研究開発テーマを絞り込んで集中投資することが、
正しい戦略であるが、不確実性の下ではそれは大きなリスクを負うことになる。表2は、研
45
46
研究論文 Research Paper
表2 研究開発において考慮すべきリスク
リスク分類
社会リスク
市場リスク
外部
リスク ライバル会社による
技術開発競争リスク
代替技術の開発リスク
内 容
国際環境や国家戦略等により、実用化商品の市場規模が異なるリスク
社会経済環境、ライフスタイルの変化や嗜好性の変化等により市場規模
が異なるリスク
ライバル企業の同種技術開発の進捗度
実用化商品・サービスを提供できるような代替技術が開発されるリスク
自社研究開発体制
自社研究体制が変化するリスク
内部
リスク 産学連携等外部リソース 協業化体制が継続できるか、また新規に協業化が組めるかといったリス
の活用リスク
ク
出所:三菱総合研究所
究開発において考慮すべきリスクを示したものである。これらを大別すると、外部リスクと
内部リスクに分けられる。前者は自社でコントロールすることができないリスクであり、後
者は自社でコントロールする事が可能なリスクである。
不確実性の下では、こうしたリスクの管理が最重要の課題であり、その基本は、分散投資
である。研究開発評価と資金配分の方法論では、複数の研究開発から一つを選択する代わり
に、複数の研究開発テーマに研究資金を最適に配分する方法が必要とされる。
リスクを一定水準に管理したうえで、最大の効果を得る手法として、不確実性の下での意
思決定理論、金融ポートフォリオ理論がある。本節では、それらを研究開発投資に適用する
方法を紹介する。
(2)研究開発における分散投資手法の手順
本節で紹介する研究開発の分散投資のための評価手法は、下記の2ステップにより行う。
1) R&Dペイオフ・マトリックスの作成
ペイオフ・マトリックス(表3参照)とは、将来の不確実性を複数のシナリオで記述し、各
シナリオ別に個々の研究開発テーマ評価を表形式で整理したものである。
シナリオは、個々の研究開発テーマの評価に大きく影響を与える将来環境を示すもので、
通常、最悪から最善の間の数ケースが設定される。生起確率は、各シナリオの実現する確率
である。現実には、正確に定義することは困難であり、不明のまま扱う方法もあるが、ここ
では、数値で表現できる場合の方法を紹介する。
評価値は、各研究開発テーマの個別の評価を表すもので、ここでは、
=Σ市場規模×シナリオ別外部リスク率×シナリオ別内部リスク率×最終製品影響率
で定義する。
ペイオフ・マトリックスの作成手順は、下記に示すとおりである。
実用化商品・サービスの検討
研究開発テーマ別に、想定したシナリオのような状況となった場合にどのような実用化商
品・サービスがあるか洗い出しを行う。
不確実要因の抽出
外部リスク、内部リスクとなる要因の抽出を行う。この要因を整理し、研究開発に影響を
及ぼす要因をシナリオとして整理する。これらのシナリオは独立性を担保し、各シナリオの
知識産業時代の技術経営
生起確率を想定する。
全体市場規模の想定
不確実性を考慮せずに、(1)で想定した商品・サービスの市場規模全体がどの程度となる
か想定する。
外部リスクの検討
各不確実性シナリオのもとで、自社と比較した場合のライバル社の現状における技術進捗
度、研究開発能力、提携戦略等の外部リスク要因を検討し、自社の優位性を外部リスク率と
して百分率で表す。この検討には、階層化意思決定法(AHP)が有効である。
内部リスクの検討
外部リスクと同様、各不確実性シナリオのもとで、内部リスクについても、現状における
会社の業績や市場、自社の事業戦略等内部リスクを検討し、内部リスク率として百分率で表
す。現状と特に変化がないと考えられる場合は100%とする。
最終製品に及ぼす影響の検討
当該研究開発によって実用化された商品・サービスは、通常、その研究開発以外、例えば、
製造、物流、販売等のリソースによっても付加価値が加えられている。よって、当該研究開
発による影響を最終製品影響率として、百分率で算出する。これもAHPが有効である。
評価の実施(R&Dペイオフマトリクスの作成)
上記の結果を利用して、各シナリオ別、研究開発テーマ別に下記式を用いて評価を実施し、
R&Dペイオフマトリクスを作成する。
2)研究テーマ別投資配分額の決定
R&Dペイオフ・マトリックスを用いて、研究開発テーマの選定、各研究開発テーマへの資
金配分を決定する。不確実性の下では、最適解は一意に決まるわけではなく、企業の性格や
経営戦略から決定される意思決定戦略によって異なるものとなる。
(3)R&Dペイオフ・マトリックスの適用例
1)問題の設定
7つの研究開発テーマ候補と、6つのシナリオが想定されているケースについて、投資の
収益性の最大化を目的として、研究開発テーマ及び投資配分額を決定する問題を考える。上
記の手順により作成された、R&Dペイオフマトリクスは、表3のとおりである。なお、研
究開発投資額は、各テーマとも一律10億円とする。
表3 得られたR&Dペイオフマトリクス(億円)
シナリオ
生起確率
テーマ1
テーマ2
テーマ3
シナリオ1
2
34
. %
2
02
.
68
.
1
13
.
シナリオ2
1
19
. %
1
51
.
59
.
シナリオ3
2
02
. %
15
.
29
.
シナリオ4
1
49
. %
1
65
.
シナリオ5
1
24
. %
シナリオ6
1
72
. %
出所:三菱総合研究所
テーマ4
テーマ5
テーマ6
テーマ7
76
.
68
.
1
80
.
159
.
1
62
.
56
.
1
94
.
1
56
.
46
.
1
70
.
1
18
.
60
.
77
.
142
.
1
16
.
34
.
1
93
.
1
40
.
19
.
98
.
19
.
2
07
.
1
67
.
10
.
1
73
.
61
.
143
.
1
74
.
55
.
1
76
.
2
01
.
23
.
57
.
94
.
47
48
研究論文 Research Paper
2)算定結果と分散投資の有効性の考察
投資の収益性を比較するに当たり、上記R&Dペイオフマトリクスを、研究開発投資あた
りの純益額を評価値とするR&D収益性ペイオフ・マトリックス(表4)に変換する。
R&D収益性ペイオフマトリクスは、仮にシナリオ1で、テーマ1を選択した場合、1億円
投資すれば10
. 2億円の純益額(利益率1
02%)が得られ、テーマ4の場合逆に02
. 4億円の損失
(損失率24%)であることを示している。
ここでは、4つの意思決定戦略を考え、各戦略に基づいて選択されたテーマ、資金配分額、
期待収益、リスク(収益分散)を求める。結果は表5∼表8に示される。
これらの結果から、以下のようなことが指摘できる。
従来の予測可能な時代では、最尤最大化戦略がとられることが多かった。最尤シナリ
表4 R&D収益性ペイオフマトリクス(投資金額あたり比率)
シナリオ
生起確率
テーマ1
テーマ2
テーマ3
テーマ4
テーマ5
テーマ6
テーマ7
シナリオ1
2
34
. %
10
.2
−03
.2
01
.3
−02
.4
−03
.2
08
.0
05
.9
シナリオ2
1
19
. %
05
.1
−04
.1
06
.2
−04
.4
09
.4
05
.6
−05
.4
シナリオ3
2
02
. %
−08
.5
−07
.1
07
.0
01
.8
−04
.0
−02
.3
04
.2
シナリオ4
1
49
. %
06
.5
01
.6
−06
.6
09
.3
04
.0
−08
.1
−00
.2
シナリオ5
1
24
. %
−08
.1
10
.7
06
.7
−09
.0
07
.3
−03
.9
04
.3
シナリオ6
1
72
. %
07
.4
−04
.5
07
.6
10
.1
−07
.7
−04
.3
−00
.6
出所:三菱総合研究所
表5 意思決定戦略と研究開発のテーマ選択及び投資配分額
期待収益
リスク
(収益性分散)
最も起こりやすいシナリオ下におい テーマ1に全
て、収益性が最大のテーマを選択
額
02
.5
05
.6
4
各テーマの収益性の期待値が最大の テーマ3に全
もの選択する
額
03
.6
02
.5
8
各テーマ別の収益性の最大値を比較 テーマ2に全
し、それが最大のテーマを選択する 額
−01
.9
03
.4
5
02
.
00
.0
4
投資分類
選択テーマ
投資配分
意思決定戦略
最尤最大戦略
集中投資型 期待値最大戦略
Maxmax戦略
リスク管理・分
散投資戦略
分散投資型
(平均・分散モ
デル利用)
期待値が一定の水準を満たすという
条件の下で、期待値の分散(リスク)
各テーマに分
を最小化する。
(表7)
本例では、期待収益性が0%(赤字 散配分
に な る こ と は 避 け る 戦 略)
、及 び
2
0%のケースについて試算。
出所:三菱総合研究所
表6 テーマ選択結果
テーマ1
テーマ2
テーマ3
テーマ4
テーマ5
テーマ6
テーマ7
期待値最大化戦略
02
.5
−01
.9
03
.6
01
.3
−00
.3
−00
.3
02
.0
Maxmax戦略
10
.2
10
.7
07
.6
10
.1
09
.4
08
.0
05
.9
出所:三菱総合研究所
知識産業時代の技術経営
表7 テーマ間の分散・共分散行列
テーマ1 テーマ2 テーマ3 テーマ4 テーマ5 テーマ6 テーマ7
テーマ1
05
.6
4
−01
.4
9
−01
.7
1
02
.2
5
−00
.9
2
01
.4
5
−01
.0
2
テーマ2
−01
.4
9
03
.4
5
−00
.4
6
−01
.7
8
02
.1
0
−01
.2
2
00
.5
1
テーマ3
−01
.7
1
−00
.4
6
02
.5
8
−01
.3
8
−00
.5
2
00
.6
9
−00
.0
1
テーマ4
02
.2
5
−01
.7
8
−01
.3
8
04
.9
0
−02
.5
4
−02
.1
4
−00
.6
2
テーマ5
−00
.9
2
02
.1
0
−00
.5
2
−02
.5
4
03
.9
6
00
.2
2
−00
.9
7
テーマ6
01
.4
5
−01
.2
2
00
.6
9
−02
.1
4
00
.2
2
03
.2
6
00
.0
3
テーマ7
−01
.0
2
00
.5
1
−00
.0
1
−00
.6
2
−00
.9
7
00
.0
3
01
.4
8
出所:三菱総合研究所
表8 分散投資戦略結果
収益性
分散
テーマ1 テーマ2 テーマ3 テーマ4 テーマ5 テーマ6 テーマ7
0%
00
.0
7
00
. %
2
84
. %
72
. %
2
81
. %
49
. %
3
01
. %
13
. %
20%
00
.0
4
1
25
. %
00
. %
2
77
. %
1
40
. %
1
74
. %
00
. %
2
85
. %
36%
02
.5
1
08
. %
00
. %
9
92
. %
00
. %
00
. %
00
. %
00
. %
出所:三菱総合研究所
オの生起確率が高い場合は有効であるが、不確実性の下では、非常にリスキーな選択である。
期待値最大化戦略は、不確実性を考慮したものではあるが、集中投資であるため、リ
スクを十分回避することはできない。選択したテーマ3では、仮にシナリオ4のような状況
となった場合、収益性は-06
. 6となり、1
0億投資したとしても、3億程度の回収しかできず7
億近い損失をもたらすこととなる。
分散投資戦略を用いた結果は、リスク管理と収益性の確保を高い次元で達成している。
20%収益の収益性を確保しているケースでも、分散は00
. 04に収まっている。これを期待値最
大化戦略でケース3に集中投資する場合に比べると、収益性の期待値は低くなるものの、リ
スク回避の点でははるかに有利であり、多くの企業にとって、実務上望ましい結果であろう。
期待値最大化戦略の収益性の期待値である36%は、ケース1とケース3に分散投資す
ることによって実現できる。この場合の分散は02
. 51となり、テーマ1単独の場合の分散
05
. 64より大きく減少しており、分散投資の方が同じ期待値であってもよりリスクが少なくな
る結果となっている。
分散投資は、複数のシナリオの可能性を前提に研究開発テーマの選定、投資配分を行
うが、実現するシナリオは一つである。このことは、無用となる研究開発の発生を前提とし
ていることを意味している。したがって、研究開発成果の評価においては、個別のテーマを
採り上げて、実用化されなかったからといって無駄という評価をせず、ポートフォリオとし
て評価することが重要である。この点は、現在、一般に行われている個別に評価する方法と
異なる点である。
目標とする期待値を設定したうえで、リスクを最小化する平均分散モデルは、金融ポート
フォリオ分析で利用されている手法であるが、不確実性の高い研究開発投資においても有効
な手法として利用が広がることが期待される。
49
50
研究論文 Research Paper
2.3 研究開発評価手法
(1)DCF法とその拡張
投資プロジェクトの意思決定において最も用いられている手法は、割引キャッシュ・フ
ロー法(discounted cash flow method; 以下「DCF法」と記す)である。DCF法は、将来の
各期のキャッシュフロー(以下「CF」と記す)を推定し、それを適当な割引率で評価時点の
価値(時点価値)に割り戻す手法である。
「伝統的」DCF法*1においては、現時点で将来のCFを定義し、その不確実性はリスク調整
後割引率を用いて固定的に考慮することが原則である。しかし、割引率だけでは、将来の事
業環境の変化および意思決定の時期内容を変更することによるダウンサイドリスクの低減を
考慮しきれないという問題点を持っている。
この問題点を解決するために、DCF法はさまざまな拡張がなされてきた。それぞれの特徴
を合わせて表9に示す。(b)や(c)は、事業環境の変化を考慮することに対して対応可能
である。これに加え、
(d)∼(f)は、意思決定の時期や内容を将来変更する場合、そうした
点を考慮に入れる方法であるリアルオプションという考え方を適用できる。リアルオプショ
ンとは、投資における意思決定の選択肢を金融オプション(
「コール」や「プット」など)の
一種とみなし、金融オプションの計算方法を用いて評価する方法である。
表9 DCF法およびその拡張
手法
リアルオプションの適用
特徴(○利点・×欠点)
×
将来の各期のCFを推定し、適当な割引率で評価時点の価値(時点価
値)に割り戻す。
×将来の事業環境の変化・意思決定の変更に対応できない。
×
CFに関するシナリオを複数設定し、それぞれ計算を行う。
○事業環境の変化をある程度考慮・評価できる。× 複数の計算結果
が意思決定とどう関係付けるかが不明確。
(c)モンテカ ×
ルロシミュ
レーション+
DCF法
CFの分布形を想定し、その分布にしたがって多数のシミュレー
ションを実施し、プロジェクト価値の分布形を得る。
○事業環境の変化を考慮・評価できる。× 結果の値の分布を意思決
定とどう関係付けるかが不明確。
○
CFの変化率の分布を二項分布として、各時点での意思決定を定式
化する。
○将来時点の意思決定の変更を組み込める。○ブラック=ショール
ズ式より感覚的に分かりやすく、かつ複雑なオプションにも対応可
能。
×意思決定過程が複雑である場合、対処が困難。
○
現時点の株価、収益率のボラティリティ(ばらつき)、オプションの
権利行使価格、オプション満期までの期間とオプション価格との関
係を方程式で表現する。
○将来時点の意思決定の変更を組み込める。○ 必要な指標がそ
ろっているとき、バイノミナル分析よりも容易に求解が可能。× 複
雑な意思決定過程には対処不可能。
(a)「伝統的」
DCF法
(b)シナリオ
DCF法
(d)バイノミ
ナルモデル+
DCF法
(e)ブラック
=ショールズ
式+DCF法
○(た だ し、従 来 の 起こりうる状況に依存する意思決定案をマッピングし、将来のある
(f)デ ィ シ ディシジョンツリー法 時点が現時点になったときに明らかになっていく状況に応じてなさ
ジ ョ ン ツ リ ー は割引率の設定が不適 れる意思決定過程を計算式で表現する。
分析+DCF法 切であるため、△)
○将来時点の意思決定の変更を組み込める。○シーケンシャルな意
思決定過程についても検討が可能(ただし,計算式が膨大になる)
。
出所:小林啓孝「デリバティブとリアルオプション」
(中央経済社)をもとに、三菱総合研究所作成
知識産業時代の技術経営
(2)リアルオプションを適用した研究開発評価
1)研究開発評価へのリアルオプションの適用
研究開発の代表的なオプションは、次の2つがある。
●意思決定の時期
早期の意思決定は、他に先行することにより大きなリターンを得る可能性が高くなる利点
がある。一方、不確実性の低下した将来に意思決定を遅らせることにより、確実なリターン
を得る可能性が高くなる利点もある。どちらが望ましいかは個々の状況によって異なってく
る。
●意思決定の変更
硬直的な意思決定では、失敗したときのリスクが大きくなる。将来変更できることを前提
として現在の意思決定を行うことにより、リスクを抑えつつリターンを確保することが可能
になる。
研究開発では、このように、意思決定の時期を変更したり、既に行った意思決定を将来変
更することは決して珍しいことではない。つまり、リアルオプションの適用は研究開発評価
に相応しい手法であると言える。
2)プロジェクトの定義と投資パターン
ここでは、簡単な研究開発事例を対象に、意思決定を変更する場合としない場合での投資
パターンの比較を行う。前者にはリアルオプションを適用した手法(ディシジョンツリー分
析+DCF法)を用い、後者には決定論的手法(
「伝統的」DCF法)を用いる。
表10に示すプロジェクトに対して、表に示す2つの投資パターンを考える。
表10 プロジェクトの定義
項目
概要
プロジェクト実施期間
第0年度∼第1年度の2[年間]
。
総投資額
第0年度3[億円]
、第1年度3[億円]の計6[億円]
。
予想されるリターン
第2年度期首に発生。
状況が良好な場合...1
1[億円]
、状況が不良の場合...3[億円]
。
状況が「良好」か「不良」になるかは、現年度(第0年度)期首には不明(確
率は5
0%:
5
0%と想定する)
、第0年度期末に判明する。したがって、第0年度
期初におけるリターンの期待値は1
1×05
. +3×05
. =7[億円]
。
割引率
将来価値を現在価値に換算する率。リスクが高いほど割引率は高く設定される。
不確実性のリスクがない場合の割引率(リスクフリーレート)
:6[%]
不確実性のリスクを考慮した割引率(リスク込みレート)
:1
0[%]
出所:三菱総合研究所
表1
1 設定する投資パターンの設定
パターン
概要
パターン1
意思決定を変更しない
第0年度に3[億円]を投資する。
状況の良好・不良にかかわらず、第1年度に3[億円]を投資する。
パターン2
意思決定を変更する
第0年度に3[億円]を投資する。
状況の良好・不良により、第1年度の3[億円]の投資の是非を判断する。第
1年度の投資を実施しない場合(=研究開発の中止)は、リターンは得られな
い。
出所:三菱総合研究所
51
52
研究論文 Research Paper
3)計算結果
パターン1
投資の現在価値は3+3÷(1+00
. 6)=58
. 30[億円]、リターンの現在価値は7÷(1+
. 85[億円]となる。事業価値は−00
. 45[億円]となる。この場合、リターンが投
01
. )2=57
資額を下回り、投資は行われない。
パターン2
まず、各シナリオにおける1年度期首以降の投資とリターンを比較する。シナリオAでは、
投資の第1年度期首価値は3[億円]
、リターンの第1年度期首価値は1
1÷(1+01
. )=10
[億円]であり、第1年度の投資は実施される。シナリオBでは、投資の第1年度期首価値
は3[億円]、リターンの第1年度期首価値は3÷(1+01
. )=22
. 54[億円]であり、第1
年度の投資は実施されない。両シナリオの値をリスク中立確率*2で平均化し、現在価値に割
り戻すと事業価値は(
(10−3)×05
. 007+0×04
. 993)÷(1+00
. 6)=33
. 06[億円]であ
る(図)。これから、第0年度の投資3[億円]を除いた03
. 06[億円]が、トータルの事業
価値となる。
意思決定を変更することにより、そうでない場合と異なる結果となっている。両者の差で
ある03
.0
6[億円]−(−00
. 45[億円])=03
. 51[億円]が、意思決定を変更することの価値
となる。
4)有効性と適用の課題
上記の例に示したとおり、意思決定の変更などのオプションが存在する場合には、リアル
オプションを適用した評価手法を用いることが適している。ただし、以下の点において留意
が必要である。
●現実の意思決定との整合
一般的に、リアルオプションを適用した評価結果は、決定論的手法のそれに比べて高い評
価結果となる。このため、実際にはオプションがあるにもかかわらず、それが無いものとし
て決定論的手法を用いることは、過小評価となる。逆に、実際にはオプションが無いにもか
かわらず、それがあるものとしてリアルオプションを適用することは、過大評価となる。現
実の意思決定と整合した評価手法を用いる必要がある。
●指標の信頼性
金融オプションでは指標を市場から得ることができる。しかし、リアルオプションの場合、
指標の多くは市場から得ることができない見積額であり、その信頼性は低い。そのため、こ
れらの指標を利用するリアルオプションの価値も、金融オプションの場合と比較して信頼性
が高いとはいえない。
図5 パターン2における第1年度期首以降の事業評価
知識産業時代の技術経営
●他企業の行動影響
金融オプションの場合は、他人の行動がプロジェクトの価値に影響されることは小さいた
め、ボラティリティ(ばらつき)として乱数のように扱うことができる。しかし、研究開発
への適用を含め、リアルオプションの場合は、他企業がどのような行動を取るかによってプ
ロジェクトの価値が大きく影響される可能性がある。この時は、自企業のみならず他企業の
意思決定過程も考慮したモデルを適用する。
2.4 研究開発体制
(1)不確実性への対応の考え方
「選択」と「集中」が、企業における研究開発のキーワードであったが、前節まで見てきた
ように、将来に向けての不確実性に対応するためには、社内資源を特定のテーマに集中投資
だけではなく、複数のテーマに対応できるよう研究開発投資の分散を図る必要が高まってい
る。
日本の大企業には、研究開発の自前主義を取ってきた企業が少なくないが、複数の研究
テーマを自社内の人的リソースだけでカバーしようとすると、社内に大量の研究者・技術者
を抱え込むことになり、研究開発がうまく行かなかった際には大きな負債を背負い込む危険
性が高い。また、ここ数年間で基礎研究から応用研究や開発研究へと、製品に近い領域へ研
究の焦点を動かした企業は多いが、大学やベンチャー企業をうまく活用して技術進化のス
ピードをアップさせている海外企業に対抗できず、国際的な競争力を失いつつある産業も出
始めている。
したがって、不確実性に対応しつつ、技術開発のスピードを向上させていくためには、従
来の自前主義を捨てて、社外の研究リソースを活用した研究開発体制を取らざるを得ない。
国内においても、研究リスクの高い医薬品分野では、従来から国内外の大学、海外ベン
チャー企業のリソースを活用する方策を採用しているが、他の分野において、今後この傾向
は強まるものと考えられる。また、単に技術を開発するだけでなく、それを早い段階でビジ
ネスモデルに結び付けていくことが強く求められる中、社外の研究リソースを社内の製品・
サービスへ結び付けていくための研究開発管理も重要性を増してくる。
(2)連携組織による研究開発
1)概要
社外組織と連携した研究開発としては、大きく分けると、a)産学連携、b)企業中心の
コンソーシアム*3、c)ベンチャー企業との連携が考えられる。
表12に各方式の特徴を示す。
2)ビジョナリーの発見
連携組織による研究開発の成功に導く条件には様々なものがあるが、日本と海外(特に米
国)を比較した場合に大きなポイントは、ビジョナリー*4(将来の科学技術や社会、産業の
ビジョンを提示して、その方向に向かって多くの人を巻き込んでいく人)の存在である。
往々にして、日本ではビジョナリーに対して山師的なニュアンスを感じ取る人が多いため
か、企業よりも自由な立場にあるはずの大学の研究者においても、実験等の裏づけに乏しい
53
54
研究論文 Research Paper
発想については大っぴらにせず、確実なデータに基づく部分のみを公表する傾向が強い。も
ちろん諸外国でもこの傾向は見られるが、突拍子もない発想がベースとなって、新しい研究
分野、産業分野へと発展していった事例が見られる(例えば、アラン・ケイのダイナブック*5
やエリック・ドレクスラーのナノテクマシン*6)。
今後、日本企業が産学連携のような連携組織で従来にない新しい研究成果を得ようとする
ならば、ビジョナリーを発見し*7、そのビジョンに対する議論に参加していくことで、技術、
社会の方向性を描き、そこでの自社の研究開発のロードマップを描いていくことが重要である。
(3)研究者マップの活用
国内の産学連携は、ここ数年で企業、大学側の意識の刷り合わせができてきた段階であり、
米国のように大学・産業界の人材交流に裏打ちされた情報交換には至っていない。特に、新
しい研究開発テーマを興そうとしている企業の場合、その技術テーマに関連している分野の
大学研究者の情報、すなわち、a)どのような研究者が大学に存在しているのか、b)その研
究者はどのような研究を行っているのか、c)またこれまでにどのような企業と共同研究を
行ったのか、といった基礎的な情報を収集し、整理することが必要になってくる。
これらの情報の多くは、学会の梗概集、論文誌、特許庁の特許データベースを調べること
表1
2 各連携方式の比較
産学連携
企業コンソーシアム
ベンチャー企業との連携
企業でカバーできていない基礎分野で
の大学の研究成果を、他社に先駆けて
製品開発に生かすことができる。
失敗リスクが高い研究でも大学側のリ
ソースを活用することで実施すること
ができる。
失敗リスクが高い研究でも複数
の企業のリソースを活用するこ
とで実施することができる。
国からの援助を受けやすい。
少数先鋭での開発体制を組むこ
とができ、研究開発のスピード
が早くなる。
既に技術を持っているベン
チャー企業との連携の場合、製
品開発期間が短くなる。
国内大学の研究者は、契約に基づいた 各社がエース級の研究者を出さ
研究に慣れていない。また、契約行為 ない可能性がある。
そのものに時間がかかる。
多くの企業で開発成果を利用す
企業側にも大学の研究者を含めた研究 ることになるため、海外企業と
問 管理に対するノウハウがない。
の差別化にはなるものの、国内
題
企業側のニーズに対応するテーマを専
企業との優位性を持つことがで
点
門とする研究者に関する情報が乏しい。きない。
大学、企業側ともに将来の技術展開や
産業に対するビジョンを提示できる研
究者が少ない。
日本国内には、まだハイテク系
ベンチャー企業の裾野が狭く、
連携できる先が限定される。
製品に生かせる形になった成果
を有するベンチャー企業が少な
い。
IPO(株式公開)を目指すベン
チャー企業経営者が多く、他企
業による買収をゴールと考えて
いない。
メ
リ
ッ
ト
国立大学法人化に向けての動きの中で、航空機やロケットのような多額 大学発ベンチャー企業数は5
00
動 国立大学が知的財産管理の動きを強め の研究投資が必要とされる一方 社を超える段階にまで達したが、
向
︵ ており、TLOを活用した研究成果の大 で、成果のリターンが不透明な 様々な援助の元で成立している
国 学外への展開に意欲的になっている。 分野ではまだこの方式で研究開 ベンチャー企業が多く、米国の
内
発が行われている。
ように産業の新陳代謝を促進す
︶
るベルまでには達していない。
動
向
︵
米
国
︶
米国では、企業資金ベースでの大学で 米国では、国際競争力の面で不
の研究、研究成果からベンチャー企業 利な分野(80年代の半導体)
、戦
の輩出、大企業によるベンチャー企業 略的に今後重要性が増すと考え
の製品・サービスの買収という一連の られる分野(ナノテク)におい
流れが産業の新陳代謝を促進している。て、企業コンソーシアムが利用
されることが多い。
出所:三菱総合研究所
米国では、企業資金ベースでの
大学での研究、研究成果からベ
ンチャー企業の輩出、大企業に
よるベンチャー企業の製品・
サービスの買収という一連の流
れが産業の新陳代謝を促進して
いる。
知識産業時代の技術経営
図6 研究者マップの概念図(出所:三菱総合研究所)
で入手可能であり、それらを組み合わせると、図6のような研究者マップを描くことができ
る。このマップを活用することで、新しい研究開発テーマに適した大学研究者の候補やニッ
チな研究領域等を推測することが可能になる。
3.
結語
日本の製造業再生の手法として期待される技術経営であるが、その原型の多くは、80年代
に世界最強といわれた日本の製造業の経営に行き着く。しかし、当時の大量生産型工業時代
と、現在、日本が足を踏み入れている知識産業時代では、日本の位置付け、国内市場、技術
競争環境の全てが大きく異なっている。本研究は、知識産業社会という新たな時代に相応し
い技術経営の体系とその方法論を提示したものである。
本研究では、「世界の工場」に代わる富の獲得の戦略として、「豊かになった世界の人々が欲
する高付加価値商品の提供」を掲げ、かつての日本の製造業の勝利の方程式であり、技術経営
の目標であった「安価で高品質な製品の大量生産」に代わり、「価格競争に陥らない価値の創
造」を目標とする技術経営の方法論を構築した。
各手法のバックボーンとなっているのは、不確実性という概念である。市場も技術も予測
可能であった大量生産型工業時代から、市場、技術の双方とも予測困難な知識産業時代への
移行に対応して、効率性重視、集中と選択、決定論的手法からリスク管理重視、分散、確率
論的手法の必要性が示されている。但し、本研究では、手法の方向性を示したに過ぎず、実
用には、産業界の協力を得た実証的な研究が必要である。
次に、研究の対象範囲についての補足をしておく。本研究では、知識産業を対象としたが、
当然のことながら、知識時代といっても、全てが知識産業になるわけではない。今後とも、
55
56
研究論文 Research Paper
我々の生活の大部分は、生活必需品や大量生産型の工業製品によって成り立つのであり、そ
うした産業や企業は将来も存続する。したがって、過去の技術経営の方法論も存在意義を失
うものではない。しかし、割合的には小さくとも、21世紀のエクセレント・カンパニーが生ま
れるのは、知識産業というフロンティアからであり、その成否が、21世紀の日本の浮沈を決
定することは確かである。
知識産業社会を、個人の資質が問われるからといって、過度に警戒したり、不安を煽った
りするのは誤りである。高い知的水準、優れた感性、厚い技術の蓄積、よい物を見分け評価
する消費者、豊富な資金を保有する日本は、知識産業時代の勝者となる条件を備えている。
日本は、大量生産型の工業化社会であまりに成功を収めたがために、過去を清算できないで
いる。安売り競争、デフレ不況、賃下げ論、中国脅威論等はその現れである。しかし、過去
を断ち、知識産業時代の勝者となる道以外、未来の繁栄は無い。本研究で提示した知識産業
時代の技術経営とは、知識産業社会における戦略と方法論を示したものであり、それは、取
りも直さず、Japan as No.1 again への道標でもある。
注
*1 「伝統的」を加えたのは、これを拡張した手法(後述)と区別するためである。
*2 実態確率でなく、期待収益率がリスクフリーレートになるようにリスクを調整した確率。詳細は略。
*3 このタイプにも大学研究者は参加することから、産学連携の一例とみなせないこともないが、企業
側が強くイニシアチブを持っていることから産学連携とは区別している。
*4 文字通りの意味は幻視者。
*5 パーソナル・コンピュータの姿を提示。
*6 原子レベルから望みの物質を合成する技術の提示。ドレクスラーの発想と現在のナノテクノロ
ジーはダイレクトに結びついていない面もあるが、彼の発想が多くの研究者をこの分野に引き寄
せた。
*7 IPv6の村井純(慶応義塾大学教授)
、トロンの坂村健(東京大学教授)のように日本にも優れたビ
ジョナリーはいる。
参考文献
1)堺屋 太一(2
0
0
2年) 日本の盛衰―近代百年から知価社会を展望する PHP新書
2)堺屋 太一(1
9
9
0年) 知価革命―工業社会が終わる 知価社会が始まる PHP新書
3)P.F. ドラッカー(1
993年)
ポスト資本主義社会 ダイヤモンド社
4)P.F. ドラッカー(2
00
2年)
ネクスト・ソサエティ ダイヤモンド社
5)寺本 義也 他(2
00
3年) 最新技術評価法 日経BP社
6)籠屋 邦夫(2
002年)
意志決定の理論と技法 ダイヤモンド社
7)今野 浩(1
9
9
5年) 理財工学Ⅰ―平均・分散モデルとその拡張 日科技連
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0
02年)
入門 知的資産の価値評価 東洋経済
9)春日井 博(1
971年)
ORの基礎と技法 税務経理協会
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0)小林 啓孝(2
003年5月)
デリバティブとリアルオプション 中央経済社
1
1)山本 大輔(2
001年6月)
入門リアル・オプション―新しい企業価値評価の技術 東洋経済新報社
15
2 筆者紹介
筆者紹介
デスバレー現象と産業再生
井上 隆一郎
1
9
5
2年生まれ.197
9年東京大学経済学部経済学科卒業.(株)日本リサーチセン
Ryuichiro Inoue
ターを経て、1
9
84年(株)三菱総合研究所入社.現在、政策・経済研究センター
長、主席研究員.専門は自動車産業を中心とした産業分析、市場分析および製品
市場戦略・事業戦略策定.
二瓶 正
1
9
5
8年生まれ.1
98
1年一橋大学経済学部卒業.同年
(株)三菱総合研究所入社.現
Tadashi Nihei
在、情報通信政策研究部 情報通信戦略チーム チームリーダー、主席研究員.専
門は情報・通信戦略.
石川 健
1
9
6
3年生まれ.1
98
7年東京大学工学部土木工学科卒業.同年(株)三菱総合研究
Ken Ishikawa
所入社.現在、産業政策研究部 産業デザイン研究チーム チームリーダー、主任
研究員.専門は産業政策、産業イノベーション政策、マーケティング・コンサル
ティング.
船曳 淳
1
9
7
0年生まれ.1
99
3年東京大学理学部天文学科卒業.1
9
9
5年同大学院理学系研究
Jun Funabiki
科終了.1
9
97年(株)三菱総合研究所入社.現在、安全技術研究部 原子力安全
研究チーム、研究員.専門は原子力工学、システム工学.
知識産業時代の技術経営
村上 清明
1
9
5
5年生まれ.1
9
7
8年東京大学工学部土木工学科卒業.1
9
83年Cornell大学大学
9
87年(株)三菱総合研究所
Kiyoaki Murakami 院社会環境工学研究科修了.日本国有鉄道を経て、1
入社.現在、科学技術政策研究部長、主席研究員.専門は科学技術政策、技術評
価・実用化.
田中 秀尚
1
9
5
8年生まれ.1
98
2年九州大学工学部機械工学科卒業.本田技研工業(株)を経
Hidehisa Tanaka
て、1
9
9
0年(株)三菱総合研究所入社.現在、科学技術政策研究部、主席研究員.
専門は科学技術政策、新事業戦略、自動車工学.
高橋 寿夫
1
9
6
3年生まれ.1
98
7年早稲田大学理工学部工業経営学科卒業.1
9
89年同大学院理
Hisao Takahashi
工学研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、科学技術政策研究部、
主任研究員.専門は技術評価、経済性評価、オペレーションズリサーチ.
山本 誠司
1
9
6
4年生まれ.1
98
7年大阪大学工学部環境工学科卒業.1
989年同大学院環境工学
Seiji Yamamoto
研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、科学技術政策研究部、主任
研究員.専門は科学技術政策、大学評価、技術動向調査.
筆者紹介
河合 毅治
1
9
6
7年生まれ.1
9
90年東京大学工学部土木工学科卒業.1
99
2年同大学院工学系研
Takeharu Kawai
究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、科学技術政策研究部、主任研
究員.専門は技術の経済的評価、知財分析、社会システム分析.
大学発ベンチャー育成とベンチャーキャピタル 桐畑 哲也
1
9
7
0年生まれ.19
92年同志社大学文学部(米国史研究)卒業.日本放送協会
Tetsuya Kirihata
(NHK)記者を経て、2
0
02年(株)三菱総合研究所入社.関西研究センター、研
究員.2
0
0
3年京都大学大学院経済学研究科
(組織経営分析)
博士前期課程修了.現
在、同大学院経済学研究科(組織経営分析)博士後期課程在籍.専門は新事業創
出(インキュベーション、ベンチャーキャピタル)
、企業広報.
アーキテクチャ創造企業の萌芽
歌代 豊
1
9
5
9年生まれ.1
9
82年上智大学理工学部電気・電子工学科卒業.同年(株)三菱
Yutaka Utashiro
総合研究所入社.1
9
9
2年筑波大学大学院経営・政策科学研究科修了(経営学修士).
現在、企業経営研究部 経営システム研究チーム、主任研究員.専門は経営情報、
IT戦略、ITマネジメント.200
3年4月より大阪大学大学院経済学研究科客員教
授(兼任)
.
技術経営における技術資源管理に関する一考察
前間 孝久
1
9
6
8年生まれ.1
9
91年早稲田大学理工学部工業経営科卒業.1
99
3年同大学院理工
Takahisa Maema
学研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、経営システムソリューショ
ン事業部 研究開発システムグループ、主任研究員.専門は経営工学.
魚住 剛一郎
1
9
7
2年生まれ.1
9
95年慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業.1
997年同大学院理
Koichiro Uozumi
工学研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、経営システムソリュー
ション事業部 研究開発システムグループ、研究員.専門は経営工学.
デジタル情報流通市場の中期展望
佐野 紳也
1
9
5
6年生まれ.1
9
78年慶應義塾大学経済学部卒業.同年(株)三菱総合研究所入
Shinya Sano
社.現在、情報通信政策研究部長、主席研究員.専門は情報通信、eビジネス.
中村 秀治
1
9
6
1年生まれ.1
9
83年北海道大学工学部建築工学科卒業.1
9
85年同大学院環境科
Shuji Nakamura
学研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、IPv6事業開発部長、
主席研究員.専門は地域情報化政策、都市開発、環境計画.
153
15
4 筆者紹介
二瓶 正
1
9
5
8年生まれ.1
98
1年一橋大学経済学部卒業.同年
(株)三菱総合研究所入社.現
Tadashi Nihei
在、情報通信政策研究部 情報通信戦略チーム チームリーダー、主席研究員.専
門は情報・通信戦略.
アイルランドの経済成長とソフト産業
市吉 伸行
1
9
5
5年生まれ.1
97
9年東京大学理学部情報科学科卒業.1
981年同大学院理学系研
Nobuyuki Ichiyoshi
究科修了.1
9
8
2年(株)三菱総合研究所入社.現在、情報技術研究部 先端情報
技術チーム チームリーダー、主席研究員.専門は計算機技術(並列処理技術、
等)
.
小林 慎一
1
9
4
9年生まれ.1
97
3年東北大学理学部数学科卒業.
(株)東芝を経て1
9
79年(株)三
Shinichi Kobayashi 菱総合研究所入社.現在、取締役 情報環境研究本部長.専門は人工知能、コン
ピュータサイエンス、情報技術政策など.
Findings from ABS Cases and National and International Legal Instruments
林 希一郎
1
9
6
6年生まれ.1
99
0年東北大学理学部地球物理学科卒業.1
9
9
2年東京大学大学院
Kiichiro Hayashi
理学研究科修了.同年(株)三菱総合研究所入社.現在、サステナビリティ研究
部 環境政策・経営研究チーム、主任研究員.専門は環境政策、国際環境条約、
貿易と環境、アジアと環境、生物多様性条約.
[所報編集委員会]
委 員 長:尾 原 重 男
編集委員:芝 剛 史
青 柳 雅
野 口 和 彦
小 林 慎 一
宮 武 信 春
平 石 和 昭
谷 明 良
高 尾 建 次
[査読者]
芝 剛 史
内 野 尚
田 中 秀 尚
磯 部 悦 男
中 村 秀 治
内 海 和 夫
三 嶋 良 武
谷 明 良
―――――――――――――――――――――――――――――――――
三菱総合研究所 所報4
2号 特集号「産業再生と技術経営」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
発 行 日:2003年11月25日
発 行:株式会社三菱総合研究所
〒1
00−8141 東京都千代田区大手町二丁目3番6号
電話(03)3270−9211〔代表〕 http://www.mri.co.jp/
発行・編集:中村喜起
印 刷:エム・アール・アイ ビジネス株式会社
弊社への書面による許諾なしに転載・複写することを一切禁じます。
Printed in Japan, Mitsubishi Research Institute, Inc. 2003
3-6, Otemachi 2- chome, Chiyoda-ku, Tokyo 100-8141, Japan
Tel.(03)3270-9211 http://www.mri.co.jp/
―――――――――――――――――――――――――――――――――
*この印刷物は上質再生紙を使用しています。