龍谷大学世界仏教文化研究センター 2016 年 度 第 2 回 学 術 講 演 会 講演名 開催日時 場所 講演者 亀茲国の仏教石窟壁画の図像学 2016 年 6 月 2 日 ( 木 ) 17:45~ 19:15 龍谷大学大宮学舎西黌 2 階大会議室 檜山智美氏 ( 日 本 学 術 振 興 会 S P D 研 究 員、龍 谷 大 学 仏 教 文化研究所客員研究員) 司会 宮治昭氏(龍谷大学文学部特任教授) 共催 龍谷大学世界仏教文化研究センター 仏教文化研究所 参加人数 39 人 【講義のポイント】 ベ ル リ ン 国 立 ア ジ ア 美 術 館 (Museum für Asiatische Kunst, Staatliche Museum zu Berlin)中 央 ア ジ ア 部 門 で 研 究 員 を 務 め た 経 験 を 持 ち 、中 央 アジアの仏教壁画の分析を専門とする、檜山智美博士による、亀茲国 (ク チ ャ )に 残 る 仏 教 石 窟 壁 画 、 特 に 壁 画 様 式 の 文 化 的 差 異 に 関 す る 講 演が行われた。 【講義の概要】 ■はじめに 中央アジアの亀茲国、現在のクチャは、かつて一大仏 ーとして繁栄した。現在でも非常に多くの仏教遺跡・石 ている。それらの多くは、イスラム教徒らによる人為的 どによる自然的破損が見られるものの、中央アジアを中 美術を知る上で、大変貴重かつ重要なものである。 20 世 紀 初 頭 に は 、 大 谷 探 検 隊 を 初 め と し て 、 各 国 の 探 クチャに到達した。その中でも、最も大きな成果を挙げ のトルファン探検隊であった。その膨大な壁画断片、塑 物類、その他考古学的資料は、現在ドイツのベルリンと クトペテルブルグに散在しているという。一般未公開の 在している。 檜山氏が、クチャの仏教壁画の分析において特に重視 「様式」「説話モチーフ」「非説話モチーフ」である。 教 窟 破 心 文 寺 損 と 化センタ 院が残っ 、地震な した仏教 検 た 像 ロ も 隊 の 、 シ の が が 木 ア も 続 ド 彫 の 多 々 イ 、 サ 数 と ツ 織 ン 存 する事柄は、 ■様式 クチャの石窟壁画には四つの「様式」が見られる。それらは「漢様 式 」「 ウ イ グ ル 様 式 」 、 そ し て 「 第 一 イ ン ド ・ イ ラ ン 様 式 (以 下 、 第 一 様 式 )」 「 第 二 イ ン ド ・ イ ラ ン 様 式 (以 下 、 第 二 様 式 )」 で あ る 。 本 講 演 1 で檜山氏 の比較を ョンと三 の特徴と 寒色系の Giuseppe れた石窟 そもそも という疑 ■説 第 つあ アヴ とし ピッ 檜 てい チャ こに う方 手は と説 「 られ 世王 さ ヤ・ 話 一 り ァ て ク 山 る の 描 法 、 明 仏 る の ら ア は、この内、二つの「インド・イラン様式」に着目し、両者 行った。第一様式の特徴としては、肉体の自然なプロポーシ 次元的な量感、暖色系の顔料が挙げられる。一方、第二様式 しては、より硬化した輪郭線、平面的・装飾的効果の強調、 顔 料 (ラ ピ ス ラ ズ リ な ど )が 挙 げ ら れ る 。 そ し て 、 檜 山 氏 は 、 Vignato 氏 (北 京 大 学 )の 説 を 受 け て 、 「 第 一 様 式 壁 画 に 描 か と第二様式壁画の描かれた石窟は、発展的な様式ではなく、 根本的に異なる文化的グループに属していたのではないか」 問を呈した。 的モチーフと非説話的モチーフ 様式、第二様式に共通して見られる説話的モチーフは、主に三 、そ れ ら は 1 ) 仏 説 法 図 、2 ) 仏 伝 図 ( 特 に 涅 槃 図 ) 、3 ) ジ ャ ー タ カ ・ ダ ー ナ 図 で あ る ( 檜 山 氏 は 、現 在 は 特 に 非 説 話 的 モ チ ー フ の 一 例 「僧衣に用いられた布の種類」に関心を持っているが、このト に つ い て は 、 中 央 ア ジ ア 学 フ ォ ー ラ ム で 発 表 予 定 で あ る )。 氏は、「仏説法図」の事例として、第二様式壁画にのみ描かれ 「エーラパトラ龍王の物語」の壁画を取り上げた。そして、ク 仏教壁画に見られる視覚言語あるいは絵画的文法を用いて、そ かれた様々な要素を抽出し壁画に描かれた人物などの特定を行 を紹介した。例えば、ブッダと目線を合わせて話をしている相 そ の 装 飾 (頭 の 上 の 蛇 )な ど か ら ナ ー ガ も し く は 龍 王 で は な い か した。 伝 図 」 に つ い て は 、 キ ジ ル 第 207 窟 の 第 一 様 式 と 第 二 様 式 に 見 涅槃サイクルが比較された。そして、檜山氏によって、「阿闍 霊 夢 と 蘇 生 」が 、第 二 様 式 に の み 見 出 さ れ る こ と が 指 摘 さ れ た 。 に 、 キ ジ ル 第 199 窟 に 描 か れ て い る 図 像 は 、 ま さ に 『 デ ィ ヴ ィ ヴァダーナ』に記されているものと一致することが示された。 【議論】 阿 は 法 を 摘 ど タ フ す そ の の こ 講 闍 経 図 重 し も 聴 ー ミ 単 石 こ 教 段 と 演 世 典 」 視 た 述 講 准 ー 語 窟 で 育 階 を 会後半の議論で、檜山氏は、まず、クチャの石窟壁画において 王の物語は特に第二様式に多く出てくること、次に、第一様式 (sūtra)、 第 二 様 式 は 律 (vinaya)に 因 っ て い る と い う の は 「 仏 説 という主題に関してのみであることを説明した。また、阿含経 す る グ ル ー プ と vinaya を 重 視 す る グ ル ー プ が あ っ た 可 能 性 も 指 。さらに第一、第二によって使用言語が異なっていた可能性な べた。 に 来 ら れ て い た 、ト カ ラ 語 専 門 の 萩 原 裕 敏 氏 ( 京 都 大 学 白 眉 セ ン 教 授 ) は 、講 演 で 示 さ れ た ク チ ャ 壁 画 中 ( 須 弥 山 図 ) 中 の 、ブ ラ ー 文字に似た文字について「これは、トカラ語の中の須弥山を表 の頭文字ではないのでは」と指摘した。 寺院内の図像の制作などに僧侶が多くかかわっていたとすると、 は一体何が行われていたのか。この点について檜山氏は、僧侶 用であったのか、観者に説明するためのものだったのかは、今 では簡単に結論を出すことのできない非常に難しい問題である 述べた。 【まとめ】 檜山氏は、何がクチャの画家たちにとって重要視されていたかを見 極めることためにも、様々な図像のバリエーションをどのように収集 するかが重要であると主張する。また檜山氏は、「様式」「説話的モ 2 チ 統 況 研 ー 、 の 究 フ 地 反 を 」 域 映 行 「 的 な っ 非 な ど て 説 仏 を い 話 教 読 く 的 文 み と モ 化 解 い チ ・ く う ーフ」を三本の柱として、図像のテキスト系 物質文化の反映、シルクロードの地政学的情 という独自の方法を提唱し、今後も精力的に 。 以上 【文責】 龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員 3 唐澤太輔
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