ブラジル味の素の「突破力」

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波乱にみちたブラジル経済の20年
ブラジルは日本企業の墓場といったらいいすぎでしょう
2007・3・26 525号 ブラジル味の素の「突破力」
か。過去を振り返ると、1970年代、日本企業がブラジル
に殺到した時代がありました。
まあいつものことといえば、い
つものことですが、資源豊富で経済成長期を迎えたブラジ
ルをみて、当時の日本財界は「21世紀はブラジルの時代」
と手放しの賛辞をおくり、日本を代表する企業が続々とブラ
ジルへでていったのです。それがどのくらい大規模なもので
あったかは、銀行のビヘイビアをみれば一目瞭然です。住
友、富士、第一勧銀、三井、三和などなど、都市銀行全行が、
財部誠一 今週のひとりごと
そして一部、地銀までサンパウロに支店をかまえたのでした。
いわば日本財界が総力をあげて、ブラジル進出を果たした
といっても過言ではありません。
東京ミッドタウンが30日、いよいよグランドオープンとなります。
総工費3700億円。東京の再開発のなかでも最大のプロジェクトで
す。プロジェクトを推進したのは三井不動産ですが、そこには自ら
「ディベロッパー人生の集大成」といってはばからない三井不動産の
岩沙弘道社長の執念があります。マスメディアではグルメだ、レジャ
ところがその後、邦銀はことごとく撤退。いま残っているの
は三井住友銀行と東京三菱銀行の2行だけになってしまい
ました。その姿こそブラジル進出を果たした日本企業がそ
の後たどった道を象徴しています。
80年代になると世界の期待とは裏腹にブラジル経済
は破局へむかって転がりおちていきました。ハイパーインフ
ーだといったニュアンスで東京ミッドタウンをとりあげていますが、
レと通貨 クルゼイロ の暴落でブラジルは追い詰められ、
BS日テレの「財部ビジネス研究所」では岩沙社長への単独取材も
ついに87年にはデフォルト
(債務不履行)を宣言し、諸外
終え、この巨大プロジェクトの背景にある壮大なドラマに迫ることが
国からの借金を踏み倒しました。信用の失墜はさらなる通
できました。この放送も楽しみにしていただきたいのですが、ブラジ
貨の暴落と年間のインフレ率が1000%を軽く超えてし
ル取材レポートが完結したのちに、三井不動産と岩沙弘道社長がた
まうという異常なハイパーインフレに突入。たった1日で物
どった10年の闘いについてレポートします。さて、新著『勝者の思
価が80%値上がりしたこともありました。当然のことなが
考』がでました。私にとってもひとつの集大成となる本です。どうか、
ら市民生活も大混乱におちいりました。スーパーマーケット
ご覧ください。
の棚にならんだ商品は、午前中に買いに行かないと、午後
(財部誠一)
には値上がりをしてしまう。給料の支払いを1ヶ月もまってい
たら、通貨価値が暴落してしまうから、
どこの会社も給料は
月に2度払いがあたりまえ。その給料も払うたびに値上げし
※HARVEYROADWEEKLYは転載 ・ 転送はご遠慮いただいております。
なければならない。
そこでこんなジョークさえ語られるようになりました。
「レストランに入って注文をしたら、すぐその場で、支払いを
するのが常識だ」
現地で聞いてみると、
さすがにこれは「嘘」
でしたが、そんな
◆ レアルプランについて
レアル・プランとは 93
年 12 月に発表されたブ
ラジルの経済改革プロ
グラムのこと。
94 年 7 月の新通貨レア
ル ( 導入時 1 ドル=1 レ
アル ) の導入を中心に、
財政安定化、マネーサ
プライの抑制、ドルに
ペッグした為替レート
導入、賃金や税金など
のインデクセーション
の撤廃を行うことに
よって、インフレを抑
制することを目的とし
た。
94 年 6 月に前月比 50%
にも及んだ消費者物価
上昇率は急速に低下し、
95 年 8 月には前月比
1.0%となっている。一
方で、高インフレの収
束に伴い、低所得者層
の購買力の増大が生じ、
消費が拡大した。
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ジョークがでるほどの、常軌を逸したインフレがブ
ラジル経済を覆いつくしていたということです。
こ
日本企業らしくない骨太のマーケティング
です。今回のブラジル取材でも味の素は、見事なグ
ローバルセンスをみせつけてくれました。
うしたブラジル経済破綻のひとつの要因としてさ
ブラジル味の素の素晴らしさは2つの点に集約さ
ブラジル味の素の歴史は古く、ブラジル進出は
さやかれたのは、米国のヘッジファンドの存在でし
れます。ひとつはブラジル国内専用の独自商品を
1950年代までさかのぼります。おもにサンパウ
た。彼らが クルゼイロ を徹底的に売り続けたの
次々と開発し、大ヒットにつなげていること。
もうひと
ロ近郊の日系人のレストラン向けに 味の素 や ほ
です。97年にタイから始まった「アジア通貨危
つは、ハイパーインフレ、通貨の暴落、超高金利とい
んだし を日本から輸入、販売をするという小さな商
機」
とまったく同じ構図だといえば、イメージがわく
う最悪の経営環境の中で、50年ものながきにわた
売でした。その後、
ブラジルが力強い経済成長をは
でしょうか。
って経営をもちこたえてきたことです。ブームに乗っ
じめた1970年代半ばに、生産工場を構え、本
この時もIMFが救済に乗り出してきたのです
て海外進出し、その国の経済状況が悪化するとすぐ
格的な商売がはじまったものの、
じつはブラジル国
が、非常に興味深いことはブラジル政府に対して
に逃げ帰る。残念ながらこれが日本企業のグローバ
内で 味の素 はまったくといっていいほど受け入れ
IMFが注文をつけた中央銀行の総裁人事でし
ル化の実態です。現地に派遣された社員の多くも、
られませんでした。
ブラジルでは一般家庭料理向け
た。詳しい経緯はわかりませんが、IMFの意向
せいぜい3年、ながくても5年の任期をつとめたら、
さ
をくんだ、カルドーゾ大統領(当時)が中央銀行の
っさと帰国する人たちばかりですから、いつも日本の
に「塩、にんにく、たまねぎ」を原料とした調味料が
夜明け前
普及していたうえに、味の素のブランドイメージもな
新総裁に任命したのは、なんとブラジルを通貨危
本社を気にかけ、帰国後の自分のポストがどうなる
かなか浸透させることができず、苦闘の連続でした。
機に叩き落した張本人ともいうべき、
クォンタム・フ
のかが気になってしかたがないという、純粋培養の
最大の商品である 味の素 で勝負できないとな
ァンドのファンドマネージャー、アルミニオ・フラガ
サラリーマに海外ビジネスなどできるはずがありま
った時、
ブラジル味の素の社員たちは、
ブラジル市
氏でした。
せん。現地に根を張り、腰をすえ、その国を心から好
場で50%のシェアをもつ同業他社の調味料を参
94年、
ブラジルは通貨を クルゼイロ から レ
きになれる人間がどれだけいるか。
グロバールビジ
考に SABORAMI(サボラミ)という類似商品を発
アル に切り替え、緊縮財政をとり、
クォンタム・ファ
ネスは現地の市場に本気で向き合うことのできる日
売したのですが、
これも不発。
しかし、それでもブラ
ンドの腕利きファンドマネージャーを中央銀行総
本人社員をどれだけ派遣できるかで、その成否がき
ジル味の素は諦めることなく、サンパウロの工場で
裁にすえるという大胆な決断によって、見事にイン
まってしまいます。サラリーマン根性の集団しか送り
生産した商品を海外向けに輸出することで、キャッ
フレの克服に成功したのでした。
込めない企業はグローバル競争への参加資格すら
シュを回しながら、
ブラジルの国内市場の開拓まで
ないことを、日本人は自覚すべきです。
の時間をかせいでいたのでした。
いまブラジルは中国、
ロシア、
インドとならぶ21
世紀の成長国家のひとつとみられていますが、ブ
味の素はもともと国際企業として大変評価の高い
後から振り返ると、
これが大きかった。ハイパーイ
ラジル経済が本当に安定感をもってきたのはこの
会社です。ロシアが97年にデフォルトしたとき、日
ンフレでブラジル経済が大混乱するなかでも、
ブラ
数年といっても過言ではありません。
本企業はいつもどおりに我先に逃げ帰りましたが、
ジル味の素は輸出によってキャッシュを稼ぎ続けて
ざっくりいえば「黄金の70年代」に続く、80年
欧米企業の投資行動はそれとは真逆でした。ロシア
いたからです。そして91年、ひとりのキーマンが日
代、90年代のブラジル経済はまさに混乱の20
の通貨ルーブルが3分の1に暴落した今こそ、世界
本からサンパウロにやってきました。東京外国語大
年でした。その20年を振り返ると、
まさに屍るい
レベルの技術力を誇るロシアの超一流企業を買収
学でポルトガル語を専攻し、入社試験の際に「ぜひ
るい。70年代、80年代にブラジルに直接投資
する絶好のチャンスとみて、彼らはいっせいにロシア
ブラジルに行かせてください」
と願い出た吉田尚史
をした多くの日本企業が夢破れ、90年代に撤退
企業の買収に乗り出したのです。
このとき、日本企業
さんです。3年後の91年、味の素の人事部は吉田
をよぎなくされたのでした。そんななかで、驚くべ
で唯一、同じビヘイビアをとることができたのが味の
氏をブラジルに送り込みました。
ブラジル経済復活
き突破力で成功をおさめている日本企業がいくつ
素なのです。
ヨーロッパ最高のアミノ酸の技術をも
のきっかけとなった「レアルプラン」はその3年後で
かあります。なかでもとりわけ素晴らしいのが味の
つといわれていたロシアの研究機関を味の素は見
す。
まさにブラジル経済史の怒涛のなかで、吉田氏
素でした。
事に買収しています。あまり知られていませんが、
じ
のブラジルビジネスは始まったのでした。
(続く)
つは味の素は、日本でも屈指のグローバル企業なの
(財部誠一)
◆味の素の海外拠点について
味の素グループは、現在下記
の国・地域で、食品やアミノ
酸、医薬品など、さまざまな
事業をグローバルに展開して
いる:タイ・フィリピン・マ
レーシア・シンガポール・イ
ンドネシア・ベトナム・イン
ド・中国・韓国・台湾・アメ
リカ・イギリス・ポーランド・
スイス・イタリア・ロシア・
ドイツ・フランス・ブラジル・
ペルー・ナイジェリア・日本
◆味の素 創設の経緯
1908 年 ( 明 41) 東京帝国
大学教授の池田菊苗博士が
湯豆腐のダシ用昆布のうま
味の正体がグルタミン酸で
あることを突き止め、(現
在でも日本人の十大発明の
ひとつに数えられている)
その後、うま味調味料グル
タミン酸ナトリウムの製造
法特許を取得し、味の素の
創業者である鈴木三郎助が
特許を共有、その工業化を
引き受けた。