1P 得意澹然、失意泰然 2006・ 4・3 477号 加熱するロシア経済II 財部誠一今週のひとりごと 昨日、資生堂の前田新造社長とおめにかかりました。昨年、平取締役 から14人抜きで社長に大抜擢された人物です。134年の歴史を誇る 老舗「資生堂」に大改革を起こしている人物です。注目点はいくつもあ りますが、興味深いのは店頭の美容部員たちの改革です。デパートの化 粧品売り場で、ノルマ達成のために執拗に売り込みをくりかえす女性た ちのことです。女性なら誰でも経験があるといいますが、一度つかまっ たらただでは返してもらえない、といわれるくらい美容部員たちはしつ こい。ところが前田資生堂は、これをもうやめたというのです。ノルマ はゼロ。ひたすらお客さんにつくしなさい、というわけです。1日1人 でいいから、そのお客さんのために必要なアドバイスだけを心がけ、不 必要なものはいっさい斡旋しないというのです。ノルマを捨てて心底つ くして資生堂ファンを作るという戦略転換。営業サイドからは猛反発が あったそうです。これがどんな結果にむすびつくのか、興味深く見守っ ていきたいと思っています。 (財部誠一) ※HARVEYROADWEEKLYは転載・転送はご遠慮いただいております。 「得意澹然(たんぜん)、失意泰然(たいぜん)」とい う言葉があります。 明の陽明学者、崔後渠(さいこうきょ)の言葉です。 「得意のときはついうきうきとしてしまうが、努めて 淡々とした態度をとるようにする。失意のときも、落ち 込んで取り乱すことのないようにする」という意味です が、日本の対外投資の歴史を見ていると、日本企業の行 動はまるっきりその逆をやっています。バブル経済がや ってくると得意満面になって投資をし、それが崩れるや いなや人目もはばからずに取り乱す。まことに情けない 話ですが、これが日本企業の実態です。 ロシアでもそうでした。 97年当時、ロシア経済は絶好調でした。ペレストロ イカで計画経済から市場経済へと移行するなかで、新し い市場としてロシア経済は活況を呈していました。ただ しその賑わいは戦後日本の闇市のようなもので、まとも な経済ではなかった。西側の豊かな製品をただ右から左 に横流しして儲けるブローカーたちが跳梁跋扈した時代 で、マフィアが大手を振るっていた時代でした。自分の みは自分で守るほかないという状況のなかで、まともな 経営者たちはみな自警団を組織せざるを得ませんでした。 移動する時は、経営者本人はベンツのS600のような 頑丈なクルマに乗り、その後ろには自動小銃を小脇に抱 えた自警団を乗せたSUV車がピタリと続いて、クレム リンから続く直線道路を150キロぐらいで疾走してい くという時代だったのです。 しかしロシア経済の賑わいにひかれ、世界中から投資 家たちが集まってきました。日本企業も積極的にロシア に進出していきました。ところが97年にタイで通貨危 機が発生し、それがインドネシアや韓国などアジア全体 へひろがっていくなかで、ジョージ・ソロスが「ロシア も危ない」と言ったことがきっかけとなり、ロシアの通 貨であるルーブルも暴落。ルーブルの対ドルレートはあ っというまに4分の1まで下落してしまいました。 問題はこの時、どんな行動をとったか、でした。 日本企業はいっせいに逃げ出しました。 「これでロシアは終わった」と考えたわけです。先を争 い、なかばパニックになって逃げ出していったのです。 ところが欧米企業はまったく逆の行動にでました。 ◆BRICs向け直接投資の増加 ブラジル、ロシア、インド、中国 (BRICs)への企業の設備投資 や資本参加などの対外直接投資が伸 びている。2005年の国際収支速報に よると、BRICs向けは8731億円 と00年確報値と比べて約10倍に拡大。 中国向けが主因だがインド、ロシア 向けも伸びが鮮明だ。 対外直接投資は海外の不動産の取 得や現地企業への資本参加、現地で の工場建設などを合計したもの。経 営参加が目的の株取得は計上される が、資産運用を目的とした対外証券 投資とは区別される。 投資が最も増えたのは中国。00年 は1010億円だったが、05年には7258 億円と約7.2倍に膨らんだ。インドは 約6割増の298億円、ロシアは約7倍の 106億円となった。中国は昨年の反日 デモの影響などで、前年比ではやや 伸び率が鈍化している。 すべての国への直接投資の合計は5 兆497億円で、00年に比べ約5割増。 そのうちBRICs向けが約10倍に 伸びたのは、電子製品や自動車など の販売が増え、生産拠点としての集 積が進んでいるため。日系部品メー カーの設備投資や資本参加などが増 えているようだ。00年には米国向け の一割にも満たなかったBRICs 向けだが、市場の拡大に伴い、05年 では六割強にまで増えている。 出所:2006年4月2日「日本経済新 聞」朝刊より 2P 「この経済混乱こそ絶好の投資のチャンス」 そう、受けとめたのでした。そもそもロシアは かつて世界第2位のGDP国であり、米ソ冷戦 時代のもう一極として米国に対峙した国であり、 人類史上初めて人を宇宙に送るだけの技術を誇 った国です。世界最高レベルの技術をもった研 究機関や企業がいくらでも存在していたのです。 98年の金融危機でルーブルは4分の1まで暴 落しましたが、冷静にみれば、これ以上の投資 のタイミングはありません。素晴らしい研究機 関や企業が、バナナの叩き売りよろしく、大安 売りされていたのですから。 その当時、ロシア大使館に勤務していた人物 の話を聞くことが出来ました。 「金融危機が起こった時、金融市場と不動産市 場は大きなダメージをこうむりました。モスク ワ郊外の高級住宅街の賃貸料金も暴落しました。 金融危機前にひと月1000ドルだったマンシ ョンの家賃があっという間に300ドルまで下 がりました。ただ大混乱したのは金融や不動産 市場だけで、一般市民の生活の混乱はほんの一 瞬でした」 彼は金融危機が起こった直後に、近所のスー パーマーケットに食料を調達しに行ったそうで す。ところがスーパーの肉売り場からはすべて の肉が消えてしまい、この先、どうなるのかと 不安になったといいます。 「肉を買いに行ったら、私の前の人物が残って いた肉を全部買ってしまい、目の前から肉が消 えてしまいました。かわいそうだと思ったのか、 その男が私に2切れだけ譲ってくれたというこ とがありました。日本では大行列するロシア人 の姿が報道されていたようですが、それは1、 2週間の話ですぐに元の生活にもどりました。 要するにモノ自体が不足したというより、ルー ブル暴落で商品をいくらで売ったらいいのか、 値決めができなくなってしまい、しばらく倉庫 に保管していただけだったということですね」 じつは金融市場と不動産市場の崩壊。これは ロシア経済にとって思いもかけない効果をもた らしました。じつはこれによってダメージをこ うむったのは無秩序なマフィア経済の主人公た ちであり、結果として、ロシアはこの金融危機 によってマフィア経済からまっとうな市場経済 へと大きく転換をすることができたのです。つ まり98年の金融危機は「終わり」ではなく 「始まり」だったということです。 98年からすべてが始まった この認識は98年当時にロシア大使館に勤務 していたこの人物だけではなく、今回のロシア 取材でお目にかかった多くの人たちが異口同音 に語っていたことでした。07年からサンク ト・ペテルブルグで生産を開始するトヨタ自動 車のロシア担当者も次のように話していました。 「90年代はオリガルヒー(新興財閥)とマフ ィアの闇の時代で、まともな企業はロシアに出 て行かれる状況ではとうていありませんでした。 ことに自動車のような消費財となると中流がど こまで育ってくるかがポイントになってきます が、大きな転換点は98年のデフォルトでした。 ここからロシア経済は正常化にむかいました。 誤った自由主義路線が終わり、海外に逃げてい たマネーが戻ってきた。きちんと設備投資をし て、きちんと企業を運営するというまともな経 済になってきたのです」 面白かったのは、岐阜県関市の和包丁の取材 をしていた時です。いまロシアは空前の寿司ブ ームにわいており、関の和包丁が大量に輸出さ れています。その現場をみておこうということ になり、モスクワ市内のデパートの最上階で営 業している和食レストランを訪ねました。 「和」を意識したインテリアであることは事実 ですが、日本人からみると、怪しげなアジアン テイストのお店で、料理長だけが日本人。残り のスタッフはアジア系のロシア人たちという人 員構成です。 この日本人料理長は95年からモスクワに滞 在していますが、95年当時、モスクワには和 食レストランは3軒だけだったそうです。それ がいまやなんと「400軒はあるだろう」とい うのですから驚いてしまいます。しかしさらに ◆和包丁 驚いたのは、「いつ頃から日本料理レストラン が増えたのか」という質問に対する料理長の返 和包丁を扱っているベストマス 事でした。 タリングイメージ社モスクワ支 「そうだなあ、98年に金融危機があったじゃ 店には、岐阜県関市で製作され ない。あの頃からだよ、急激に日本料理レスト た和包丁とナイフがそろってい ランが増えていったのは。最初はロシアの大手 資本が寿司チェーンをどんどん作っていたんだ て、買うこともできる。壁に約 が、2000年にプーチン政権ができてからは、 70本のそれぞれ異なる和包丁 ロシアの個人のお金持ちが寿司屋に投資をする がかけられているが、それらは ようになったんだ」 関の有力ブランド『カスミ』と ロシア人にとって「寿司」はどのような存在 なのだろうか。はっきりいってロシアの寿司は 『正弘』の包丁だ。それぞれ1 日本の寿司とは大きく違います。似て非なるも 年で3~4万本ロシアで売れて のですね。もちろん握り寿司もありますが、甘 いる。和包丁は料理人ばかりか、 めの味付けをした寿司ロールも多く、いわゆる 「日本のお寿司」とは一味もふた味も違います。 一般家庭でも使われている。そ しかし、ロシアでは「寿司」は日本のもので、 のほか、関で作られた美しい装 とてもいいイメージのものだと、料理長が話し 飾の入ったナイフも約50本ほ ていました。 「初めの頃、寿司は高級イメージだった。俺、 どケースに入って並んでいた。 昨日寿司食ったよと友達に言ったら、すげえな あ、という返事が返ってくるような存在ですよ。 それがいまや大衆化してきました。うちの店で もスーパーマーケットに寿司を卸していますが、 編集・発行 とにかく売れます。うちのお店の地下にある食 ハーベイロード・ジャパン 品売り場でも寿司を小さなワゴンで売っている 〒105-0001 んですが、1日の売り上げが5000ドル 港区虎ノ門5-11-1 (60万円)になったこともある。驚いちゃい ますよね」 森タワーRoP805 これがいまのロシアですが、ロシアで巻き起 Tel. 03─5472─2088 こる空前の寿司ブームに、日本人がまったく関 Fax. 03─5472─7225 与していないという現実。それをみなさんはど う考えるでしょうか。 無断転載はお断りいたします (財部誠一)
© Copyright 2024 Paperzz