【神を表に! 合気道Ⅲ】

【神を表に! 合気道
! 合気道Ⅲ
合気道Ⅲ】
1. 目次
1.1. 日々メモ メモ 10/
10/06/
06/15より
15より
*印・・・重要 要再読
◎・・・要作成(要・不変かチェック)
○・・・要作成
△・・・作成途中
2010/10/08 しばらくは、考えずに合気道をし続けてみることにする。
(これからは、神を表に! 合気道Ⅳに 気付き他応用技.autにメモ書き)******************************
2011/05/19 PDF作成
2010/10/08 精神と肉体、天と地が繋がるところ(臍下丹田)
2010/09/23 存在が動く(自分とものを結ぶ選択)
2010/09/10 合気道で、または人生でどんな神を生成していくか!?()
2010/09/08 合気道は、やはり神産みである(天の浮き橋から人生創造・古事記からいくつかの神々)
2010/09/07 合気道は哲学である(合気道は動く禅)
2010/09/06 裸の人間(愛は強いもの(優位者)が発揮できるもの・禊)
2010/09/02 善良な合気道(徳・和(自由)・型、包括合気道)
2010/09/01 「万物は一つである」ヘラクレイトス(DNA・大気の存在)
2010/08/31 合気道は神産みである(シコンコウイチツジョエネノカミ)
2010/08/30 秩序はエネルギーが必要(呼吸はそのエネルギー生成)
10/08/27 人は自己の存在のために争う(アメノミナカヌシノカミ・神産み)
10/08/25 宇宙の妙用とは?(宇宙をどう捉えるか?)
10/08/23 曲霊 一霊四魂()ウィキペディア
10/08/21 何かと結んで成長する(森羅万象の観察・水空気太陽、性による進化)
10/08/14 本・合気神髄に出てくる神()
10/08/14 古事記の気()
10/08/12 須 佐 之 男 命(武器)
10/08/12 古事記にみる刀剣(武器)
10/08/12 武器使用のはじめ(武器・伊耶那岐の命?)
10/08/10 本・合気神髄抜粋 技の基本()
10/08/09 道歌解釈(むづかしい道歌について記録)
10/08/07 立場の転換、随所に主となる(目の前に神産み)
10/08/07 本・合気神髄 要点()
10/08/06 古事記(こじき、ふることふみ)(神々)
10/08/06 自分の中に神産み()
10/08/01 無力感(調和の前に葛藤苦行の流れ)
10/07/31 不調和は必要である(宇宙の不思議な力は不調和分子を産み出し修正していく・秩序)
10/07/24 渋谷さんの死について(死は、語ることが出来なくなる)
7/23(金)am4:30渋谷さん他界(肺がん)
10/07/21 気勢をもって攻撃を引き出す(形にまだ出てない世界で和合する)
10/07/15 対立が許されるとき(対立の二人は対立していない)
10/07/14 違和感こそ創造の源(衝撃、攻・反撃から合気道へ)
10/07/13 双方の最大自由度プラス付加価値(ⅹ)
10/07/10 合わせは相手に求めない(単・副・比較・当たり・プラス和)
10/07/03 合気道は利他である(最大自由度、仏の道・神の道)
10/07/01 気を出すとは思い通りにしようとする、支配欲である(思いやり、慈悲等)
10/07/01 合気道において”律する”とは、ある基準に当てはめて判断・処理することである(相手の自由、自分の自
由)
10/06/27 調和を知るには不調和を知らなければならない(我執境界、恕、感動)
10/06/26 答が課題を生む疑問は永遠である(反疑問は隠れている)
10/06/25 合気道は聞く耳を持つことである(動く禅、静慮、配慮に感謝)
10/06/24 存続関係の継続は相手を大切にすること(考え方、行動の仕方、感情の表出)
-1-
10/06/20 調和とは喜びである(共通意識の集団・調和とは平和)
10/06/17 反攻撃とは攻撃である(技、返し技・調和存続)
1.2. メモ
*
2010/07/29出口王仁三郎 霊界物語
http://www.geocities.jp/susano567miroku/kokuso.html
国祖国常立尊。艮の金神ともいわれ、祟り神、方角としては鬼門の神として長年忌み嫌われた神です。日本文化に
おいて、各神社では節分祭の際、「鬼は外、福は内!!」という言葉に合わせて鬼に向かっていり豆をまく行事があまりに
も有名ですが、このいり豆とは太古の神の時代に跋扈跳梁していた悪神たちの呪詛がこめられています。鬼とは国祖
のことです。この言葉には「いり豆に花が咲くまで世に出てくるな!!」との意味が隠されています。いり豆にはすでに火
がとおっていますのでいり豆に花など咲くはずはありません。ですので二度と世に出てくるなという意味が込められて
います。また、日本古来からある伝統文化「正月」では、しめ縄、門松、神社で正月行事として行われる弓道、などはそ
れぞれ呪詛の意味合いが込められています。しめ縄は国祖の神経ですし、門松は国祖の墓、弓道で使われる的は国
祖の眼と言われ、日本の伝統的行事は呪詛に塗り固められています。この国祖は京都の日本海にある孤島、冠島に
気の遠くなる程の長い間、幽閉されていました。しかしながら、国祖は地の主宰神であると物語には表記されてあり、こ
の地球ができたばかりの当初、ドロドロで到底生物が生存できなかったこの大地を、生物が生存、繁栄していけるよう、
妻神、豊雲野尊とともに修理固成した神でもあります。いわば地球の親神といえます。この国祖が太古の神の時代より
追放、
艮の金神 国祖国常立命
幽閉されてより無窮の星霜の時を経て、明治二五年、出口直に神懸りし、あの最も有名な言葉、大本開祖出口直の初
発のお筆先「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりた
ぞよ。」の号令とともに出口直と国祖国常立尊による大本教が開教されます。
*
2010/08/05
気合は敵に対してではなく、己の心に発するもの。
己が身にひそめる敵をエイと斬りヤアと物皆イエイと導け(道歌)
2. 2011/
2011/05/
05/19 19 PDF作成
PDF作成
2.1. 2010/
2010/10/
10/08 08 精神と
精神と肉体、
肉体、天と地が繋がるところ(
がるところ(臍下丹田)
臍下丹田)
逆もあるが、一般的に精神は軽く肉体は鈍く遅い。
心はあっちこっち夢を描けるが、身はひとつ。
1・精神は頭上(宇宙)を漂流。
それがある時、肉体の頭に降りる。気は体の上部でフワフワし、肉体は不安定なものとなり軽くなる。精神活動は速い。
精神の呼吸力、成長力、自由性。
2・肉体の存在は、地から生成、成長して、力が抜けていれば地球の重力の故に、地と一体となり重い。肉体活動は遅
く鈍い。肉体に備わった天地の呼吸力、生かされる力。
3・心身統一、精神と肉体の一致、天地一体。
精神に肉体を合せると、一般的に気は先走りやすいので、姿勢が乱れる。
精神は自由だが、肉体は地とのつながりを忘れて軽くなる。
4・多種の精神の中から選択して肉体に合せる。つまり臍下丹田、腑に落ちるようにすると、肉体の重さを保つことがで
きる。しかし、丹田を意識すると精神を忘れる。重い肉体を動かすほどの精神力を働かすことができない。丹田にとら
われ精神を忘れる。自由がなくなる。地に縛られる。
動けない。身を守ろうとすればするほど動けない。
5・臍下丹田は精神と肉体、天と地が繋がるところ。
6・肉体、物質の現世では、ぶつかったとき、肉体が軽ければ弾き飛ばされ、重ければ自分を保つことができる。存在
の現出が可能となる。
7・つまり、常に臍下丹田を忘れず、精神に従って、地に足をつけて軽やかに行動できなければ、自分を主体的に現
世に現すことができない。精神は軽く肉体は重く、イヤ、両者を臍下丹田に統合し、それを核として精神も肉体も軽や
かに運ぶ・・・。精神と肉体の矛盾を統合調和させ、相手ともどこかで折り合い調和に導く。
8・合気道はこれら、自己の心身及び自他の調和点を意識探求して統合調和させることにあります。
-2-
*
せい‐しん【精神】
1 人間のこころ。また、その知的な働き。「健全な―」
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。「―を鍛える」「―統一」
4 物事の基本的な意義・理念。「憲法の―」
5 ある歴史的過程や共同体などを特徴づける意識形態。「時代―」「民族―」
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
2.2. 2010/
2010/09/
09/23 23 存在が
存在が動く(自分とものを
自分とものを結
とものを結ぶ選択)
選択)
存在とは人間や事物が、あること。また、その人間や事物。
ここでは物に限って考えてみる。
自分の存在は仕方が無い、無条件で認めるか?しかし、待ってください。
外部にある存在は自分にとって、役に立つもの、役に立たないもの、つまり関係あるものと無関係のもので満たされ
ている。
関係あるものとは、日常の家族知人飲食物等であり、それらが存在しないと、自分の存在が考えられない、また、存
在して生きていけない。
無関係のものとは、非日常の他人高級外車等であり、無くても自分は生きていける。どこかで繋がっているとは思うが
、少なくとも直接には関係しない。
関係あるもの、役に立つもの、自分にはなくて頼らざるを得ないもの、それらがあって初めて自分の存在がある。逆に
自分があって初めて、それらの存在価値が生まれていくもの。
前者は生まれたての赤児の周りにある消極的存在、後者は成長課程が進むにつれ増してくる積極的存在となる。
自分自身の存在意義が見つからない不条理の状態にあっても、自分がある(存在する)限り、まわりを選んで、または
無いものは生み出しているのであります。
つまり宇宙の中心であるアメノミナカヌシの神同様といえます。生成力を備えたタカミムスビノ神、カミムスビノ神を内
包し、存在させたものに生命力を与えるウマシアシカビヒコジノ神を、自分は備えていると考えられます。
わたしたちとアメノミナカヌシの神が違うところは、わたしたちは選り好みができる、しなければならないということでしょ
うか。神は当初、無から世界を現出させました。スパンの違い、懐の深さ、スケールの違いがあるのか、宇宙自然は人
間の善悪を問題にしてないかのように、選り好みしません。もっとも、私たちには見えないものもあるわけで、神も選ん
でいるかもしれませんが! それはともかくとして、自分は外に対して神、宇宙自然から備えられた生成力、生命力をもって、影響を与える力を持
っているのか、外に存在するものが自らそれらを備えているのか?迷うところでしょうがその両方でしょう。とにかく自分
という存在は周りの世界を選んでいる・・・つまりは創っているという面を持っていることは疑いのないところだと思います
。
その力を使わないでいると、隅に追いやられ閉塞感に陥り自己矛盾が生じてくることでしょう。私たちは素直に、自ら
に備わっているその力を働かせてやる必要があります。
その自分という存在が周りを選択(無関係の中から)していく方法として、周囲の環境が変わらない場合と変わる場合
(無常)に分けてみます。
周囲の環境が変わらない場合・・観点を変えてみると新しいものに気付き世界が広がる。
周囲の環境が変わる場合・・無常の中から選んで自らに引き寄せ、周りの環境を変える、自分から移動して環境を変
える方法がある。
誰でも、静的に観点を変える方法とか、動的に動き回る方法(異環境を引寄せることを含む)で、自分に必要なもの
は生み出すなどにより自己世界を現出しているのです。
実は、合気道もそうなのです。合気とは愛なりといいますが、合気道は選択の道であり、愛は自分とものを結ぶ選択と
もいえます。
合気道はその力を備えた存在(自分)の動きなのです。
*
大辞泉
.ふ‐じょうり【不条理】
[名・形動]1 筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「―な話」2 実存主義の用語。人生に何の意
義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。
-3-
*
2010/09/27
存在の在り方と状態・・・衝突、対立、並列、行列、整列、直交、綱引き・・・
三元ハ力・・・三元とは気体、液体、個体、八力とは動静、引弛、凝解、分合
並ぶ: 二つのものが一緒に存在する。力の程度に優劣がなく、対等である。〈末席に〉連なる 立ち並ぶ 列する 並
列 整列 隣接、
合気道は互いの存在を(破滅以外に)整理並べ替えることである。
2.3. △2010/
2010/09/
09/10 10 合気道で
合気道で、または人生
または人生でどんな
人生でどんな神
でどんな神を生成していくか
生成していくか!?()
していくか!?()
「2010/09/08 合気道は、やはり神産みである(天の浮き橋から人生創造・古事記からいくつかの神々)」からの続き。
例えば
1・造化三神
アメノジブヌシノカミ・自分
タイムスビノカミ・体
キシンムスビノカミ・気心
ウマシキシンコキュウノカミ・生命力
キシンノトコタチノカミ・気心
シンタイノトタチノカミ
2・禊で生成
キノテラスオオミカミ・気の世界
コロキヨミノカミ・ツキヨミノカミハ夜の世界だがこの神は、人の心を管理。
シンシンスサオノカミ
3・その他
タミカミムスビノカミ・生成
ウズメタノシオモシロノカミ・・合気道を楽しむ
キノハヤオソノブツカリノカミ・・・気が速すぎて、又は遅すぎて相手とぶつかる
キノオクリミチビキノカミ・・相手の気(生命力)を外に導く
ウマシアシカビミライミチビキノカミ・・気を出す、生命力
カミムスビツナガリノカミ・・相手の気と結ぶ
スサノウウケイレノミコト・受けをとる時相手の欲するままに
マトイマトメトコタチノカミ・人生は目標をきめその方面へ歩む、すなわち的をめがけてその方向へ進む。世界を広げる
。
シュウチュウカクサンノカミ
アイキウズメノカミ・天の岩戸で踊ったウズメノカミにあやかり、気の流れの合気道
ウマシキコロコキュウノカミ・生命力
2010/09/12(日)
合気道は行動である。顕幽神、すべては顕になって現れる。
だからカミも具体的現れが望ましい。
2.4. 2010/
2010/09/
09/08 08 合気道は
合気道は、やはり神産
やはり神産みである
神産みである(
みである(天の浮き橋から人生創造
から人生創造・
人生創造・古事記からいくつ
古事記からいくつ
かの神
かの神々)
合気道は、やはり神産みである。天の浮き橋に立って、人生の国土となるべき資産を産み、自分の世界を造る神々
を生成していく、二度目の国産み神産みであります。
天地開闢(てんちかいびゃく)のときに高天原(たかまがはら)に、万物生成化育の根源となった造化の三神(サンジン)
、天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)・神皇産霊神(かみむすひのかみ)が出現
した。
その加護を受けたイザナギ、イザナミノミコトのように、我々も天の浮橋に立って、棲家(すみか)を産み神々を産んで
、自己の世界を生きていかねばなりません。
島々の生成・・・活動舞台
神々の生成・・・生きる手助け、または、時には邪魔してくる運、方向、哲学、考え方など
-4-
黄泉の国、禊、アマテラスオオミカミ、スサノオノミコトなどの神々の行状など、我々の人生に降りかかってくるもの、関わ
ってくるものとそっくりです。つまり古事記は人生をも現してるようなものです。
ここで大事なことは、神々の生成です。自分の人生の前途に、どのような神が現れてくるか?どのような神を生成して
いくかで、人生は変わっていくでしょう。
くれぐれも、合気道の本旨を忘るべからず!です。
2010/09/09
では、どんな神がいるか?古事記からいくつかの神々を拾ってみましょう。あなたの世界を開き、地獄へ引っ張り込ま
ず、高天原へ導いてくれる神が見つかるといいのですが。これから、神を生成していくのに参考となるでしょう。
***
rf・あめのみなかぬし(天之御中主)・・・ひらがなを先に書く
***
別天(ことあま)つ神五柱(いつはしら)独神(ひとりがみ)
『造化三神』1~3
1・天之御中主神(あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神
2・高御産巣日神(たかむすび)独神、生成力の神格化
3・神産巣日神(かみむすび)独神、生成力の神格化
4・宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神 生命力
5・天之常立神(あめのとこたち)独神 天を押し広げ支え挙げた
神世七代(かみよななよ)
1・国之常立神(くにのとこたち)独神、国土の根源神 地が永遠に揺らがないように、どっしり座り込み、大地を守りま
した。
2・豐雲野神(とよくもの)独神、 白いフワフワを星雲に姿を変えた
3・宇比地邇神(うひぢに)と妹須比智邇神(すひぢに) 泥や砂をお産みになりました
4・角杙神(つのぐひ)と妹活杙神(いくぐひ) 泥や砂が他の星雲に飛び出さないように杙を産んで柵を造っ ていきま
した。
5・意富斗能地神(おほとのぢ)と妹大斗乃辨神(おほとのべ) 星雲と星雲の境界を管理するために、門や戸を産んで
出入り口を守られました。
6・於母蛇流神(おもだる)と妹阿夜詞志古泥神(あやかしこね) あらゆるものの陰陽(男根と女陰)をつかさどり、生産と
豊饒の管理をしました。
7・伊邪那岐神と伊邪那美神男女の神、夫婦 日本人のご先祖 島々の生成 神々の生成 十四の島々と三五柱の
神々を産んでいます
伊邪那美神が火の神『かぐ土』を産んだとき、大事件が起きた。
火の神である『かぐ土』の強い炎に焼かれて、みほと(女陰)に大やけどを負い寝込んでしまったのです。そして、嘔
吐し、大小便をたれ流しました。すると、そのゲロ、便、尿からも神様が産まれました。
ゲロからは、鉱山の夫婦神『金山彦』『金山姫』。
便からは、粘土の夫婦神『埴やす彦』『埴やす姫』。
尿からは、水の神『みづはの女』と穀物の霊『わくむすひ』。
このわくむすひの娘が、お伊勢さんの外宮に祀られている『豊受気比売』で、日本中の穀類が豊かに実るようにと守
っておられる神様です。
いざなぎはすっくと立ち上がるやいなや、腰に付けていた、『あめのをははり』という名の十拳釼(一拳は握りこぶしひ
とつ)に手 をかけ、一瞬のうちに息子(火の神『かぐ土』)の首を切ってしまわれました。
刀には『布都の御魂』という神霊が宿っています
たけみかづち(建御雷)・刀のつばについた血が岩にほとばしると神が産まれました。
殺された火の神の体からも神が姿を現しました。頭胸腹男根左右の手左右の足、全部で八柱の山の神々が産まれて
きたのです。
余談ですが、八つ裂きというのはこの体の八つの部分をばらばらに切り離すことでございます。
黄泉の国
腐乱したいざなみの死体に八種の雷(いかづち)神
邪気を払う桃の木に『おほかむづみの命』という 名をさずけた。
『みそぎ』
杖を投げ捨てると、魔をよける道しるべの神が、
帯を投げ捨てると、長い道をふさぐ岩の神が、
袋を投げ捨てると、ものを解放する神が、
衣を投げ捨てると、疫病神が、
はかまを投げ捨てると、二又に分かれた道の神が、
かんむりを投げ捨てると、餓鬼が、
左の腕飾りを投げ捨てると、三柱のたたり神が、
-5-
右の腕飾りを投げ捨てると、三柱のけがれ神が現れました。
こうして裸になられたいざなぎは、今度は水の中に入って体を洗い清めようとされました。
「上流は流れが速過ぎる。下流は遅い」
そう言って、中流へと入っていきました。体を洗っていきますと、黄泉の国で付いた垢から、二柱の禍(わざわい)の神
が生まれて流れていきました。
つづいて、禍を直す三柱の神(神直毘の神・大直毘の神・伊豆能売の神)が産まれ、禍の神を追いかけていきました。
黄泉の国の汚れを払う『みそぎ』をされまして、最後に顔を洗いました。
左の目を洗うと、太陽の神、天照大御神が、
右の目を洗うと、月の神、月読の命が、
鼻を洗うと、嵐の神、建速須佐之男の命が、お産まれになりま した。
この三柱の神々は、いままでに産んできたどんな神々よりも光り輝き、生命力にあふれておりました。
ここまでで、いざなぎといざなみの産んだ神様の合計が八十一柱(九×九)となり、国造りが完成したのです。
いざなぎは美しい玉の首飾りを取りはずし、天照大御神に譲りました。
天照大御神に「高天原を治めなさい」
月読の命に、「あなたは、夜の国を治めなさい」
須佐之男の命には、「あなたは、海原を治めなさい」(海原=地球)
と命じられたのでございます。しかし、このいいつけに須佐之男はふまん顔でした
また、一方民間信仰で須佐之男の命は、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする武塔神の
別名。
すなわち、
古くは『釈日本紀』(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文の疫隈國社 に見えるほか、祭祀起
源譚としておおむね似た形で広く伝わっている。
旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、
巨旦将来 こたんしょうらいとされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟
将来の妻となっていた蘇民の娘には茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。
武塔神は速須佐雄能神(スサノオ)を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする
。(ウィキペディア)
三貴子(みはしらのうずのみこ)
1・天照大御神イザナギが左の目を洗ったとき生まれた。 「高天原を治めなさい」 すべてのものに伸びる力と喜びの
光りを平等に ふりそそぎ
2・月読命(つくよみのみこと)イザナギが右の目を洗ったとき生まれた 夜の国を治めなさい 静けさとやすらぎを与え
ておりました
3・須佐之男命イザナギが鼻を洗ったとき生まれた。 海原を治めなさい(ふまん顔)
須佐之男は、豊かに満ちあふれていた、川、海、森の水分を自分の体に吸い上げて、涙として流し続けています。あ
まりに泣き続けるものですから、川海、山は枯れてしまい、からからと荒れた国になってしまいました。
そのために『もののけ』が、蠅がむらがるように押し寄せ、不気味な音をたてて騒ぎはじめたのです。疫病がはやり、
わざわいも数知れず起こるようになってまいりました。
我が子を追放したいざなぎは、たいへん気落ちされ、しばらくののち、淡海の多賀に隠居されました。
さて、父にしかられて追放された須佐之男は、根の国に行く前に「姉の天照大御神にお別れのあいさつをしてこよう」
とお考えになり、高天原へと昇っていきました。
その勢いは大変なものでしたから、須佐之男が高天原に近づくにつれて、山、森、河はどよめき、大地はゆさゆさと
激しく揺れ動きました。
「高天原を乗っ取るつもりか!」
「わたしは、高天原を奪いにきたのではありません。根の国に住む母のところへ行く前に、お姉さんにあいさつをしに来
たのです」
「お前が嘘をついていないと証明できますか!」
須佐之男はすこし考えて、
「ひとつあります。互いに『うけひ』をして子どもを産み、神様にどちらが正しいか判定してもらいましょう」
このように提案しました。『うけひ』というのは、あらかじめある物事を神に約束しておい て、その約束どおりの結果が
現れるかどうかで、神意を占うことでございます。須佐之男は「それぞれ別々に子を産む」ということをして、その結果で
勝ちか負けかを判断しようとしたのです。
そこで二人は、美しい星々が集まっている『天の安の河(天の 川)』の両岸に分かれて立ちました。
天照大御神が、須佐之男の剣をもらい受け、三つに へし折り『天の真名井』の聖なる水ですすぎました。そして、その
剣を歯でがりがりと噛み砕き、ぷーっと吐き出すと息吹が霧のように広がり、その中から、三柱の海を守る姫神が産まれ
たのです。
つぎに須佐之男が、天照大御神の身体につけていた五種 類の珠飾りをもらい受け『天の真名井』ですすぎ、ばりば
りと噛み砕き、ぷーっと霧のように吐き出しますと、五柱の男神が産まれ ました。
-6-
左の髪に巻いた珠飾りから産まれた長男は、あめのおしほみみ(天の忍穂耳)と申します。
ところで長男の正式な名前は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と言って「まさに勝った。私は勝った、素早く勝った」と
いう意味なのです。
「五柱の男神は、わたしの珠から産まれたのでわたしの子です。三柱の姫神は、剣から産まれたからおまえの子です」
須佐之男はその言葉を聞くなり、飛び上がって喜び、
「それならこの『うけひ』はわたしの勝ちだ。邪心がないから清らかで、か弱い女の子を得たのだ。これでわたしの潔白
が証明され た」
と自分勝手に解釈して、
「勝った! 勝った!」早がてんした須佐之男の喜びようは尋常ではありません。
ついに、
機織り女はたいそう驚き、気絶してその場に倒れ込んでしまいました。その拍子に手に持っていた梭(両端の鋭く尖っ
た横糸を通す木の道具)を取り落としてしまい、それが運悪くほと(女陰)にぐさりと突き刺さり死んでしまいました。
天照大御神は、『天の岩戸』にお隠れになられてしまいました。
高天原は夜のように真っ暗になってしまったのでございます。
その他
1・天之忍穂耳命 天照大御神の珠から産まれた 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかつはやびあめのお
しほみみのみこと)
2・大国主神 スサノオの六世の孫 天の象徴である天照大神に対し、大地を象徴する神格でもある。大国主は多くの
別名を持つ。これは神徳の高さを現すと説明されるが、元々別の神であった神々を統合したためともされる。
大国主神(おおくにぬしのかみ) - 大国を治める帝王の意
大穴牟遅神・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち) - 大国主の若い頃の名前
3・邇邇芸命 天津日高日子番能邇邇芸命 (アマツヒコヒコホノニニギノミコト) 天孫降臨神話の主役 歴代の天皇の祖
先神
4・火遠理命 ホオリノミコト(山幸彦)
5・思金(おもひかね)の神 『たかみむすひ』の神の子で、高天原一の知恵者、 天照大御神を岩戸からつれ出すこと
ができるだろうか、 名案を出しました
6・あめのうずめ(天宇受 売) 神々の人気者 岩戸の中の天照大御神を舞い踊りながら誘い出した。芸能の神
7・おほけつ姫(大宣都比売) 食べ物の神 須佐之男に殺される かむみむすひの神が採って、種とする
8・サルタヒコ 猿田毘古神 邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国ま
でを照らした神。
*以上下記より参考
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98
古事記のものがたり
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/02.htm
***合気道で、または人生でどんな神を生成、生んでいくか!?
*
神名
ウィキペディアより
神道の神の名前である神名は、大きく3つの部分に分けられる。例えばアメノウズメノミコトの場合
「アメ」ノ
「ウズメ」ノ
「ミコト」
となる。
この他に、その神の神得を賛える様々な文言がつけられることがある。例えば、通常「ニニギ」と呼ばれる神の正式な
神名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト」である。
神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。また、民俗学・神話学など学術的な場面では神号(3.の部分)を略すこと
が多い。
「アメ」ノ(神の属性) [編集]
1.はその神の属性を示すものである。最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であること、または天・高天原に関係のある
ことを示す。「クニ」(国)は国津神を表すこともあるが、多くは天を表わす「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に
-7-
関係のあることを示す。「ヨモ」(黄泉)は黄泉の国の神、「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示す。この部分が神名に
ない神も多い。
「ウズメ」ノ(神の名前) [編集]
2.はその神の名前に当たる。これもよく見ると、末尾が同じ音である神が多くいることがわかる。例えば「チ」「ミ」「ヒ」「ム
ス」「ムツ」「ムチ」「ヌシ」「ウシ」「ヲ」「メ」「ヒコ」「ヒメ」などである。これらは、神神習合が起こる前の各部族での「カミ」を
指す呼び名であったとも考えられる。
「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自然神によくつけられ、精霊を表す(カグツチ、オオヤマツミなど。ツは「の」の意味)。「チ」より「ミ
」の方が神格が高いとされている。「ヌシ」(主)「ウシ」(大人)は位の高い神につけられる(オオヒルメノムチ(アマテラス
の別名)、大国主など。 「ムス」(産)「ムツ」(親)「ムチ」(祖)は何かを産み出した祖神を表し「キ」「ヲ」(男)「シ」「コ」(
子)「ヒコ」(彦・比古・毘古)は男神、「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫・比売・毘売)は女神につけられるものである。特に「メ」のつ
く神は、巫女を神格化した神であるとされることが多い。
「コ」は国造(ミヤツコ)小野妹子など、元は男性を表したが、藤原氏が女性名として独占し、近世までは皇后など一
部の身分の高い女性しか名乗れなかった事から、現代では女性名として定着した。
「ミコト」(神号) [編集]
3.は神号と呼ばれる。いわば尊称である。代表的なのは「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)である。
「ミコト」は「御事」すなわち命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミ
は、現れた時の神号は「神」である。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。た
だし、『日本書紀』では全て「ミコト」で統一している。特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。特
に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権
現(ごんげん)などの神号も表れた。
2.5. 2010/
2010/09/
09/07 07 合気道は
合気道は哲学である
哲学である(
である(合気道は
合気道は動く禅)
ここでいう合気道は伝統武道からのものではなく、人類等のためにこれから向かおうとする未来合気道についてであ
ります。
真の合気道には哲学が必要である。深い合気道は競技をもって判定することは出来ない。その合気道から我々が読
み取るとすれば、当人の求めようとする方向性であろう。
その合気道には、哲学であるところの各人の経験に基づく人生観や世界観、また、物事を統一的に把握する理念が
、垣間見られるからである。
合気道は常に世界文化に、より平和貢献できるものに高められるものでありたい。
文化とは、人類がみずからの手で築き上げてきた精神的活動の所産であるから。
また、合気道は動く禅ともいわれる。禅は無我の境地に入ることらしい。無我の境地とは、天地に心身をまかすことで
あろう。そしてはじめて天と繋がる何かが心身に降りてくる。天上に住むとされる神仏が地上に来臨する降臨の恩恵に
あずかれるというわけだ。
一霊四魂・・・天の意思が荒魂、幸魂・和魂・奇魂を授けてくれることを祈るばかりである。
すなわち、
荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコ
ントロールしている。簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、
物事を観察し分析し、悟る力であるという。
ところで、祈るばかりである、と言ったのは、私たちは、天地の地の意思ともいうべき、霊長類の攻撃性、順位制、縄
張り制、性への活力など生々しい現実を抱えていることも事実であるからです。
・・・参考:2010/09/06 裸の人間(愛は強いもの(優位者)が発揮できるもの・禊)
しかし、霊長類には攻撃性などばかりでなく、その反対の意思も働いて、釣り合いを取っているとも考えられます。反
対の意思は天から授かるばかりでなく、その肉体の内にすでに備わっていると思います。
すなわち、勇、前に進む力、親、人と親しく交わる力、愛、人を愛し育てる力、智、物事を観察し分析し、悟る力です
。動物でも群れを組んで生活していますし、 なにしろ肉体はカミの創造物でしょう。皆が皆、哲学を持っていたり、禅
修業をしているわけではない、なのに、この世界が滅失せずに、ある均衡で保たれているのですから。
いずれにしても禊、反省は必要でしょう。作家の出久根達郎が言ってます「強い人間に反省は、自分が弱い人間だ
という認識が無いと生まれてこない」
清濁、強弱の程度を知って、その中で個々別々のものを一つに合わせてまとめる、つまり総合的に振り返る姿勢が
必要だということでしょう。
参考までに。
「人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか
。一つ、ただ一つ、哲学である」(「自省禄」神谷美恵子訳、岩波書店)
マルクス・アウレリウス
:121年4月26日 - 180年3月17日)は、第16代ローマ皇帝。五賢帝の最後の1人。ストア派哲学に精通し、晩年には自
らの体験を『自省録』に遺したことから、後世「哲人皇帝」と称された。
-8-
さて、 我々の合気道を導いてくれるのは、哲学でしょうか?それとも禅でしょうか?
*
てんそん‐こうりん〔‐カウリン〕【天孫降臨】
日本神話で、瓊瓊杵尊(ににぎ‐の‐みこと)が、天照大神の命を受けて葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるため
に高天原(たかまがはら)から日向(ひゅうが)国の高千穂に天降(あまくだ)ったこと。
ににぎ‐の‐みこと【瓊瓊杵尊/邇邇芸命】
日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命令
で、葦原の中つ国を統治するため、高天原(たかまのはら)から日向(ひゅうが)高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶
姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこ
ひこほのににぎのみこと)。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
*
哲学
《philosophyの訳語。ギリシャ語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)をphilein(愛する)」という意。西周(にしあまね)が
賢哲を愛し希求する意味で「希哲学」の訳語を造語したが、のち「哲学」に改めた》
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括してい
たが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学
の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての―をもつ」「人生―」
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
*
禅
1 《(梵)dhaynaの音写「禅那」の略。定・静慮と訳す》仏語。精神を集中して無我の境地に入ること。
2 「禅宗」の略。
禅宗
仏教の一派。もっぱら座禅を修行し、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする宗門。達磨(だるま)が中国に伝え
、日本には鎌倉初期に栄西が臨済禅を、次いで道元が曹洞禅を、それぞれ入宋ののち伝えて盛んになった。江戸時
代に明の隠元が来朝して黄檗(おうばく)の一派を開き、現在この三派が並び行われている。以心伝心・教外(きょうげ)
別伝を重んじ、仏の心をただちに人々の心に伝えるのを旨とするので、仏心宗ともいう。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
2.6. 2010/
2010/09/
09/06 06 裸の人間(
人間(愛は強いもの(
いもの(優位者)
優位者)が発揮できるもの
発揮できるもの・
できるもの・禊)
参考:「はるかな記憶・下」カール・セーガン+アン+ドルーヤン朝日新聞社より。
p183・人間社会との対比
人間の目から見れば、チンパンジーの社会生活はまるで悪魔のようなどぎつさで彩られている。男というものをあるが
ままに集約すると、
階級や闘争、血を見るスポーツ、愛のないセックスなどに方向付けられている。
支配的なオス、従順なメス、数は少ないがずる賢い従属者、階級の上下関係への「敬意」に対する渇望、現在世話
を受けることで将来にわたる忠誠心を誓うといった取引、表面上は覆い隠された凶暴性、組織的な脅迫、利用可能な
すべての成熟メスの系統的な性的搾取・・・こうした組み合わせは、専制君主や独裁者、大都市のボス、各国の官僚、
ギャング、犯罪組織、歴史上で「大物」といわれた多くの人たちの生活様式や環境と、著しい類似点がいくつか見られ
る。
しかし、一方で・・・。
p188・共通の秩序
チンパンジー社会は、ほとんどのメンバーが生活していくうえでの明確な規則を持っている。
彼らはより地位が高いものに服従する。メスはオスに従う。親を大事にし、子どもたちの世話をする。ある種の愛国心
を抱いており、よそ者から集団を防衛する。
食べ物を分け合う、インセスト(近親相姦)を嫌悪する。しかしわかっている限りでは、彼らの中に立法者はいない。行
動の規範を記した聖典が整えられているわけでもない。それにもかかわらず倫理や道徳の規範のようなものが彼らの
間に働いている。・・・それは多くの人間社会にとって理解可能であり、多くの共通点を持っている。
p237・
霊長類の攻撃性、順位制、縄張り制、性への活力は、大抵の哺乳類と同様に、主に精巣でつくられ血液によって循
環しているテストステロンによってひき起こされる。これは、ほとんど、最初期の霊長類あるいはそのずっと以前から続
いていることである。
-9-
以上、人類の本性を見る思いではないか!しかしその本性があるから生存し続けることができるのだろう。
******** 人類の世界は狭くなっている。自然の恩恵を争って独占していけば、遅かれ早かれ人類の破滅を招く。運がよけれ
ば生存競争の覇者だけが生き残れるだろう。
この地球環境を保って万物の多くが生存し続けるためには、共生への知恵が必要だ。
人類が引き継いできた競争好きの遺伝子はすぐには変えられないだろう。生存競争の覇者たちが人道上の徳を身に
付け、弱者たちへの思いやり、つまり愛を備えていることを信じて期待するしかない。
・・・そうなると結局、愛は強いもの(優位者)が発揮できるもの、しなければならないものということになる?!
自然回帰するにせよ、このまま前進するにせよ、または新たな領域を創造するにせよ、強いものこそ合気道でいう禊
がより必要である。
世界人口(ウィキペディアより)
2009年 68億人(アメリカ国勢調査局より)
2008年5月1日 66億6000万人
1999年10月12日 60億人
1987年7月11日 50億人(1989年に国連人口基金が、この日を「世界人口デー」と制定。)
1971年 40億人
1961年 30億人
1927年 20億人
2.7. 2010/
2010/09/
09/02 02 善良な
善良な合気道(
合気道(徳・和(自由)
自由)・型、包括合気道)
包括合気道)
2010/09/01の読売新聞にマイケル・サンデル(ハーバード大学教授政治哲学)が「これからの正義」について具体的
に質問をなげかけた。
正義と善をつなぐ対話をしようという趣旨から。
質問1・難破船の乗組員4人がボートで漂流した。船長は体の弱った雑用係の少年を殺し、3人はその血と肉で命を
つないだ。あなたが裁判官ならどう裁くか?
質問2・日本とパキスタンで大災害が起きたら、どちらの救援を優先するか?時刻を優先するのは差別ではないのか?
まだ、その他あるが要は、ベンサムの最大多数の最大幸福、カントやロールズの自由を重んじる、アリストテレスの徳
を培う、のうちどの立場に立つか?ということらしい。マイケルはアリストテレスの徳を培うこと、と言ってる。
「善良な生活は何か?」と考えることなしに、正義や自由に定義を与えることはできない、正義と善を再びつなげたい
、とも述べている。
・・・善良な合気道とはどんな合気道か?あらゆる生物を関連づけ、この惑星全体を一個の生命体といえる状態にして
いる大気のような合気道か!
2010/09/01 「万物は一つである」ヘラクレイトス(DNA・大気の存在)より。
参考:「はるかな記憶」カール・セーガン+アン+ドルーヤン朝日新聞社
p219・緑色植物は酸素を作る。植物は酸素を大気に放出し、動物がそれを吸う。一方で動物は二酸化炭素を大気中
に放つ、植物がそれを取り込む。
まさに大気こそが、あらゆる生物を関連づけ、この惑星全体を一個の生命体といえる状態にしているのである。
わたし・も・生かされ他をも生かす・・・共生関係を作り出す大気・・気・・の存在。
さて、相互に生きられる善良な合気道、より善良な合気道とは、、ベンサムの最大多数の最大幸福、カントやロール
ズの自由を重んじる、アリストテレスの徳を培う、のうちどの立場に立つか?
「ベンサムの最大多数の最大幸福」はつまり妥協して、切捨てるものがある。・・・合気道では一般的基本型
「カントやロールズの自由を重んじる」は現実の中から未来(善良な)を期待するところがある。相互に相手の自由を侵
さず、それでいて共生善良を探る。消極的静的祈りともいえる。・・合気道では和、自由を重んじる。
「アリストテレスの徳を培う」は相互に相手の徳を導き出し、対話することが必要になる。そうして初めてより以上の善
良な合気道に高められる。
積極動的対話型ともいえる。・・合気道では個性を相互に導き出す。
合気道は徳・和(自由)・型の趣旨をもって稽古する必要がある。
2010/09/04
利己主義と利他主義、私たちは当然その二面を有している。その統合が自身であります。善良なる合気道は、より利
他主義に統合されたものでしょうか?それとも包括した絶対的合気道でしょうか?それが不可能ならば、相手と調和一
致させるあゆみより合気道か!
2.8. 2010/
2010/09/
09/01 「
01 「万物
「万物は
万物は一つである」
つである」ヘラクレイトス(
ヘラクレイトス(DNA・
DNA・大気の
大気の存在)
存在)
- 10 -
参考:「はるかな記憶・上」カール・セーガン+アン+ドルーヤン朝日新聞社
p181~182・DNAという形式で表現された全生物の設計図や、その分子機構の類似性を考えれば、類縁性は一目瞭
然とさえいえる。間違いなく、すべての生物は仲間である。
自他の識別
内外
自他
仲間と敵
外部に対する敵意・・排他主義
内部に対する協調・・民族主義
食べる側と食べられる側の生死をかけた相互作用・・軍拡競争
競争相手の種と戦うのも遺伝情報なら、他を攻撃するのも遺伝情報
遺伝子は存続が可能なように並ぶ。・・・配列される
血縁淘汰・・血縁を中心に・環境に適応した生物が子孫を残し、他は滅びる現象。選択。
p206・動物は近親者のために喜んで犠牲になる。自分のものとよく似た近親者の遺伝子配列を保存し、それを次の世
代に伝えていく。
血縁のない他人の集団内でも同じで、そのように共通の敵に対処した方が有利。
自己中心主義と利他主義
p210・サルなどを含め、集団をつくらないと生きていけなくなった動物がたくさんいることも確かである。
p212・アカゲザルの実験で、ひもをひくとえさが与えられる。しかし、そこから、別の部屋で同時に他のサルにも電気シ
ョックが与えられ、苦悶の表情が見えるようにする。
・・・ひもをひくことを拒否するサルが現れ、87%は自らが飢えることを選んだ。
仲間を救うためには進んで犠牲になる、という崇高な精神がヒト以外にも存在することを示した。
p213・人類の歴史において、他人のために嬉々として死を選んだとして尊敬を受けている人物は少ない。そうした局
面を迎えても、何もしなかった人の方が圧倒的に多い。
p212・T・H・ハクスリは、地球の全生物は相互に関係を持っている、と重要な結論を下した人物として知られている。
その後にその事実が見つかる。すなわち、全生物が核酸や蛋白質を利用していること、DNAの情報はすべて同じ言
語で書かれ、さらにそこから同じ言語に翻訳されること、極端に異なる生物にも多くの共通の遺伝子の配列が存在して
いること、である。
p214・ましてや、生物が利他主義と自己中心主義の間で生きている存在であること、全生物の血縁の環が認められる
ようになったのは、この後ずっと経ってからである。
ヒトと他の動物は、部分的には多様化してはいるものの、本質的には何も変わっていない。血縁淘汰は、生命の本質
であり、利他主義はほとんど「愛」である。
p218・わたしがそういうのではない、世界中の人間がみないうのだ。「万物は一つである」ヘラクレイトス・ギリシャ哲学
者
p219・緑色植物は酸素を作る。植物は酸素を大気に放出し、動物がそれを吸う。一方で動物は二酸化炭素を大気中
に放つ、植物がそれを取り込む。
まさに大気こそが、あらゆる生物を関連づけ、この惑星全体を一個の生命体といえる状態にしているのである。
2.9. 2010/
2010/08/
08/31 31 合気道は
合気道は神産みである
神産みである(
みである(シコンコウイチツジョエネノカミ
2010/08/30 秩序はエネルギーが必要(呼吸はそのエネルギー生成)より続く・・・
では次に精神的エネルギーの生成は、どうしたら効率よく営むことができるでしょうか?
・・とりあえず簡単に言いますと、神産みです。自分のやること為すことに、万物生成のカミムスビノカミの神を受け入れ
ると、見えない神が存在することに気付きます。気付くことはまさに、そこに神が生まれたのです。 大げさにいえば、ア
マテラスオオミノカミの天の岩戸開きのようなものでしょうか。
そして、
技に置き換えれば、現実の位置と神の位置、その電位差が技を高めようとする精神のエネルギーとなるのです。
- 11 -
例としてその神をシコンコウイチツジョエネノカミとでもしましょうか。
自分の荒れる魂とそのシコンコウイチツジョエネノカミが導く高さに差があったとき、その差こそが、埋めようとする意思
エネルギーを生むのです。自分を変えようとする精神の生成が成されたのです。
シコンコウイチツジョエネノカミは神ですから天地と繋がっているのです。
シコンコウイチツジョエネノカミとは四魂(荒和幸奇の魂)、高位、秩序、エネルギー、神を合せた造語です。
最後に参考として・・・、
1・万物は宇宙万有能力を持ちながら、アポトーシスの如く人間等それぞれにプログラム化され、不要な能力を能力的
に死なせている。
2・またその逆に、神経細胞間で情報伝達を行う部位であるシナプスのようにその使用頻度が高ければ生成発達して
いく。
以上を合気道の技を行う上でどのように考えるか!
*アポトーシス【apoptosis】
個体の組織の成長の過程で、プログラム化された細胞死をいう。胎児の指が、指と指のあいだの細胞が死ぬことで生
ずるのがその例。自然現象であって、事故による細胞の壊死(えし)と区別される。
*神経細胞間で情報伝達を行う部位であるシナプスに注目しています。シナプスにおける情報伝達効率は、その使用
頻度等により変化します。
2.10.
10. 2010/
2010/08/
08/30 30 秩序は
秩序はエネルギーが
エネルギーが必要(
必要(呼吸はその
呼吸はそのエネルギー
はそのエネルギー生成
エネルギー生成)
生成)
この世に存在するものは、時間と共に崩壊に向かう。生きるものは、時間を経ても秩序を保ち続ける。(「我々は何故死
ぬのか」死の生命科学 柳澤桂子 草思社)
以上10/07/31 不調和は必要である(宇宙の不思議な力は不調和分子を産み出し修正していく・秩序)に掲載済。
秩序とは 事を行う場合の順序・筋道であり、社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまりを言います。
その秩序を保ち続けるためにはエネルギーが必要になります。
生へのエネルギーが枯渇していくとき、無秩序の状態に陥り、もの事は崩壊していきます。我々の眼前に負の神が現
れ出し、あたりを埋め尽くし死の世界へ導くのです。
また反対に、やること為すこと、そこに負の神が顕れるような行動をとると、結果的に死の世界を引き寄せることになり
、エネルギーは供給されることなく奪われていきます。
生き生きと生きるためには、生へのエネルギーが供給されるような判断行動、生き方をする必要があります。
物理的肉体的エネルギーは糖類(ブドウ糖)と酸素の結びつきにより、その糖類が分解される時にエネルギーが発生
する。酸素を取り込み二酸化炭素を吐き出すことを呼吸というが、実はエネルギーを生成することが呼吸だとも言えま
す。
しかし反面、酸素は、諸刃の刃で、生物にとって有害でもあります。細胞をつくっている組織やDNAなども酸化させて
しまうのだそうです。それで寿命というものがあるのかもしれません。
では次に精神的エネルギーの生成は、どうしたら効率よく営むことができるでしょうか?(2010/08/31 合気道は神産
みである(シコンコウイチツジョエネノカミ)へ)
*
2_76 酸素の利用:酸素の物語2
http://www1.tecnet.or.jp/earth/2Life/2_08/2_76.html
呼吸とは、酸素を取り込み、二酸化炭素を放出することをいいます。
酸素は、植物でも動物でも、呼吸をする生物にとって、不可欠なものです。呼吸とは、酸素を取り込み、二酸化炭素を
放出することをいいます。その仕組みは、複雑なものですが、解明されています。
細胞内のミトコンドリアという器官で、食料として取り入れた、あるいは光合成で得た糖類を、分解して、アデノシン三
リン酸(ATP)というエネルギー物質が合成されます。そのときに、酸素が用いられます。すべての真核生物において、
ATPが、生きていくためのエネルギーとなっています。ATP合成のために酸素は不可欠です。それを呼吸として、外か
ら取り入れているのです。
酸素は、細胞内では、活性酸素(フリーラジカル)と呼ばれる、非常に不安定な状態になります。活性酸素の強い酸
化力を利用して、ATPがつくられます。しかし、このような強力な活性酸素は、諸刃の刃で、生物にとって有害でもあり
ます。細胞をつくっている組織やDNAなども酸化させてしまいます。ですから、各組織は、抗酸化酵素と呼ばれるもの
を用いて、活性酸素による酸化を防いでいます。
- 12 -
多数の化学反応や複雑なプロセスは、酸素とATPを使うための代償ともいえます。なぜ、このような複雑な仕組みを持
つに至ったのでしょうか。そこが進化の不思議なところなのですが、酸素とATPを用いるのが、非常に効率よくエネル
ギーを得られるためという結果論的な自然選択が、おこなわれたのではないでしょうか。
数値で比べると、単位ブドウ糖(1モル)あたり、以前の酸素を用いない生物(嫌気性生物)のエネルギー効率(約15
0kJ)に比べて、酸素を用いる生物(好気性生物)では、20倍(約2,880kJ)近く効率がいいのです。これだけの効率のい
いエネルギー源なら、少々複雑な仕組みでも、利用できれば、他の生物を圧倒できます。それが、真核生物が、大発
展をしてきた理由かもしれません。
酸素を生み出す生物、そして酸素を利用する生物が、現在の地球上では多数派となっています。酸素を嫌う、嫌気
性細菌や古細菌などもいます。彼らは、昔の地球では主役だったのですが、今では日陰者となっています。それは、
別の機会としましょう。
*
エネルギー代謝1
http://www.motodoc.jp/qualify/kiso4_1.html
アデノシン三リン酸(ATP)
筋の収縮に使用されるエネルギーはATPの分解により得られます。どんな場合にも、筋肉が直接使用し得るエネル
ギー源はATPです。
2.11.
11. 10/
10/08/
08/27 27 人は自己の
自己の存在のために
存在のために争
のために争う(アメノミナカヌシノカミ・
アメノミナカヌシノカミ・神産み
神産み)
人は何故争うのか?保身か?欲望か?
人は精神と肉体の統合で存在する。自ら一つにまとめあげた、またはまとめつつある自己の領域に侵食してきたとき、
争いの感情が起こるのではないか。もちろん他に解決方法が見つからない場合であろうが。
物理的領域にしろ、思想的領域にしろ、その統合は自己の存在意義なのだ。
元は宇宙誕生とともにその起源を同じくするということが、理解されていれば争いは起こらないのか?同じ父母から生
まれた兄弟姉妹が争いを起こさないという保障は、どこにもない。
多少の歯止めにはなるだろうが。また、争えば双方ともに自己に不利益をもたらすと解っていれば、争いは避けられ
るだろう。
当初から「私は争わない」と決心していれば、争いを避ける解決方法を見出していく。合気道の顕幽神、顕れる世界
、仏の世界、神の世界である。
つまり、争いの気があれば、争いの神が眼前に現れ取り巻く、そうでなければそうでない平和的な神の世界が創られて
いくであろう。タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの造化三神のうちのふたつであります。
争いをトコトン続ければ、争いの神に囲まれ、いづれ身を滅ぼす。この世が滅びずなお生成し続けて自己が存在し
ていることは、どこかに争いの歯止めが効いているということだ。
アメノミナカヌシノカミ、造化三神のうちの残りのひとつ、天原の中心の神である。 、天(高天原)の中央に座する主宰
神で、宇宙の根源の神、宇宙そのものであるともされる。宇宙が存在するということは、アメノミナカヌシノカミは宇宙を
生成し、今なお保持し続けているということです。つまり宇宙を消滅させない妙用そのもので、互いに争って連鎖を崩
し生のバランスを消滅させるものではない。
その妙用が私たちの中に永遠と受け継がれている、という真実、それに気付くことです。それは決して、宇宙は争い
への道ではない、争うことは我欲で表面的であさはかな思慮に基づくものと悟ることでしょう。
逆をいえば、アメノミナカヌシノカミの妙用が働いて、自己の存在の回復のために、争いは治まる、ということにもなる
。
しかし、人間には天地の意思とは別に自由が与えられている。 争いに熱くなりすぎ浅慮に過ぎると危険なことはいう
までもありません。
核の使用など、人間の論理で天地法則を破り反抗することもできるのであります。しかし、長い目で見るとそれは環境
破壊など生存条件を狭め、ついには自身を滅ぼすことになる。
以下は上段だが、 宇宙と人間の関係が死体とそこに寄生する細菌の関係だったら、死体が消滅していくように、宇宙も劣化しているので
あろうか?
少なくとも悪臭は漂って来てないから、それは無いだろう。
2010/08/28
我々宇宙から見れば、表面的末梢的枝葉的相対的泡沫的、何とでも言えるどうでもいい存在の死は、根源である宇
宙の観点からみれば、関知しないことであろう。万物は混沌の中から秩序を見出し、宇宙経綸に調和しながら生き残っ
てきた。もっとも他に寄生する細菌等の如く、宇宙には劣るであろうが、付着する宿主(しゅくしゅ)を渡り歩くものもある。
渡り歩けなければ、その宿主と運命を共にする。
DNAが万世を生き抜くには、宇宙の経綸に委ねられればそれにこしたことはない。しかし、万物には自由があたえら
られた。必ずしも宇宙と調和できるとは限らない。適者生存といわれるゆえんである。
争いは生き残るための手段である。自然淘汰の一つとして優勝劣敗がある。遺伝子が引き継がれるために備わった
- 13 -
ひとつの能力である、ひとつの・・・。それが表面的末梢的枝葉的相対的泡沫的な勝利ならば、一時的で生き続けるこ
とはできない。
宇宙草創期のガス、チリ郡は、引力の強いものに衝突し吸収され、さらにより強い引力に引き寄せられて、星々が誕
生した。つまり望むと望まないにかかわらず、引力の強いものに吸収された。
人間社会で言えば、その引力の種類、価値観は種々あろうが、生存のための引力が大きければ、やはり今でも引き
寄せられるだろう。
生、反生、意識、反意識の存在が互いに打ち消しあって、死または現出しないで消滅していく。この世に精神肉体と
も存在し続けるためには、天地の何と結びつけばいいのか?精神肉体とも・・・
2010/08/29
宇宙の営みとともに、つまり宇宙と一体となるとは、どういうことか?
現出している森羅万象には、隅々に宇宙の意思が現れている。まずそれに気付き発見することである。
例えば、植物は日に向かって枝を伸ばす、これは宇宙の意思か?不変の法則か?いや、日陰を好むものもあるし、
我々だって冬は好むが、夏の炎天下では避ける。
では、重力は?地球上では存在するだろうが、宇宙空間では無重力といわれる。立つ場所が変われば成り立たなく
なる重力は、宇宙不変の法則であるといえないことになる。しかし、重力は地球引力と遠心力の合力でもある、と考える
と宇宙一般法則となる。
植物の伸びる力、成長する力も宇宙の生成の意思が働いている。しかし、条件が整っていなければ、芽が出ない、
出ても萎縮してついには枯れてしまうものもある。条件が整えば・・、つまり成長するに必要な他の要素と結びつけば、
その力が働く、ということになる。
宇宙の大本を脈々と引き継ぎ遠く離れ、種々の元素、要素に構成されて現代に存在するもの、別の言い方をすれば
、それぞれの物の魂である魄、それに魂、または生成されそれぞれに宿る神々、それらとさらに結べば、また新たな神
々が誕生する。
合気道の稽古は神々の世界を広げ、そして日常につながることを祈念して行う。もちろん平和な神々の神産みであり
ます。
2.12.
12. ○10/
10/08/
08/25 25 宇宙の
宇宙の妙用とは
妙用とは?(
とは?(宇宙
?(宇宙をどう
宇宙をどう捉
をどう捉えるか?)
えるか?)
宇宙という入れ物に神が生まれる(生成)。
造物主:造化(ぞうか)の三神
アメノミナカヌシノカミ・天地宇宙の中心的存在・・・宇宙意思
タカミムスビノカミ・天地生成の神・・・・宇宙組織
カミムスビノカミ・万物生成の神・・・・・宇宙構成物
対象性の破れで万物生成
対象性で打ち消しあって生成できないものもある。
消滅までの存在年数の差・・・宇宙と例えば人間(もっとも、DNAをつないで存在し続けるが)
*三貴子(みはしらのうずのみこ)
Feペディア
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E4%B8%89%E8%B2%B4%E5%AD%90
三貴子(みはしらのうずのみこ)とは記紀神話で黄泉の国から帰ってきたイザナギが黄泉の汚れを落としたときに最後
に生まれ落ちた三柱の神々のことである。イザナギ自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとしたところからこの名が
生まれた。三貴神(さんきし・さんきしん)とも呼ばれる。
アマテラス - イザナギの左目から生まれたとされる女神(男神とする説もある)。太陽神。
ツクヨミ - イザナギの右目から生まれたとされる男神(女神とする説もある)。夜を統べる月神。
スサノオ - イザナギの鼻から生まれたとされる男神。海原の神。
2.13.
13. 10/
10/08/
08/23 23 曲霊 曲霊 一霊四魂()
一霊四魂()ウィキペディア
()ウィキペディア
- 14 -
*
一霊四魂
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%9C%8A%E5%9B%9B%E9%AD%82
一霊四魂(いちれいしこん)とは、心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つという日本の神道の思
想である。
目次 [非表示]
1 一霊四魂の歴史 2 一霊四魂の構造
3 四魂の機能
4 直霊の機能
5 魂の発達
6 曲霊の働き
7 参考文献
一霊四魂の歴史 [編集]
心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つという考え方であり、一霊四魂(いちれいしこん)と呼ば
れる。「一霊四魂」のまとまった記述は、幕末から明治の国学者・本田親徳(ほんだ ちかあつ)によってなされた。また、
本田の弟子の長沢雄楯(ながさわ かつたて)の弟子であった出口王仁三郎は、人間の心だけではなく森羅万象がこ
の一霊四魂から成り立っていると説き、一霊四魂に関する多くの著作を残した。
一霊四魂の構成要素の一部「奇魂、幸魂」は「日本書紀」に表れ、8世紀にはその考えが存在したと推測される。
一霊四魂の構造 [編集]
「一霊四魂」とは、人間の心は四つの魂から成り立ち、それらを一つの「霊」がコントロールしていると考える。それぞれ
の魂には、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)という神様の名前がついてお
り、それらを統括するのが一つの霊で、直霊(なおひ)である。これが人間の一霊四魂という「心の構造」である。
荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコ
ントロールしている。簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、
物事を観察し分析し、悟る力である。
これら4つの働きを、直霊がフィードバックし、良心のような働きをする。例えば、智の働きが行き過ぎると「あまり分析や
評価ばかりしていると、人に嫌われるよ」という具合に反省を促す。つまり、この直霊は、「省みる」という機能を持ってい
る。
四魂の機能 [編集]
勇 -荒魂(あらみたま)
「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもあ
る。その機能は、「勇」という一字で表わされる。行動力があり、外向性の強い人は荒魂といえる。
親 -和魂(にぎみたま)
2つめの魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、一字で表現すれば「親」である。平和や調
和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
愛 -幸魂(さちみたま)(さきみたまとも呼ばれる)
3つめの魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という一字で表される。思いやりや感情を
大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
智 -奇魂(くしみたま)
4つめは奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は
、奇魂が強いといえる。
直霊の機能 [編集]
「直霊」(なおひ)の機能を一字で表すと「省」で、自分の行動の良し悪しを、省みることで、四魂を磨いていく働きをす
る。直霊はものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導き、もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自ら
を責め、悔い改めようとする。
この直霊だけが、直接「天」につながり、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをする。荒魂には
「恥じる」ことでフィードバックし、和魂には「悔いる」で、幸魂には 「畏れる」で、奇魂には「覚る」ということでフィードバッ
クする。
この4種のフィードバックをするためには、「省みる」という機能が前提であり、これを加えて、五情の戒律という。
曲霊の働き [編集]
直霊が正常に働いているときは、四魂は磨かれていくが、正常に働かなくなるとき曲霊(まがひ)に転じる。 曲霊によっ
て、荒魂は争魂となり、和魂は悪魂、幸魂は逆魂、奇魂は狂魂となる。
2.14.
14. 10/
10/08/
08/21 21 何かと結
かと結んで成長
んで成長する
成長する(
する(森羅万象の
森羅万象の観察・
観察・水空気太陽、
水空気太陽、性による進化
による進化)
進化)
植物は種だけでは成長しない。水、酸素、光、窒素、リン、カリウムなどの栄養と結びついて発芽する。それに適温も
必要だろう。
- 15 -
不必要なものに囲まれていても成長はしない。
人間もそうだ。
要森羅万象の存在・成長・消滅の観察・・何と関係して今があるのか?
宇宙は、生成と消滅の気のせめぎあいを統合して現出したものである。
古事記によると、イザナギノミコトが、黄泉の国の汚れに驚き逃げ帰る途中、その入口であるヨモツヒラサカ(黄泉比良
坂)の大石を挟んで、イザナミノミコトと別れの言葉を交わした。
「あなたがこんなことをされるのなら、わたしはあなたの国の人間を一日に千人も殺します」それに答えて、イザナギノミ
コトは「あなたがそうされるなら、わたしは一日に千五百人も生ませましょう」
こうして、今日がある、とか・・。もちろん余談でありますが。
2010年8月21日の産経新聞、埼玉大教授、長谷川三千子氏(哲学者)曰く。
要約すると、
われわれ日本人が自然というとき、西洋的な神に造られた被創造物という認識ではない。誰がつくったものでもなく、
自分の力で成長していくものと捉える。
神は西洋の絶対神ではなく、神々は成る、つまりそれまで存在していなかったものが存在し始める・・・自然が「生成」
する力に驚き畏怖の念を抱いた。そのことを神と呼んだ。
以上
**
10/08/06 古事記(こじき、ふることふみ)(神々)より。
1・天之御中主神(あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神 ・天(高天原)の中央に座する主宰神という意味である。
宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされる。
2・高御産巣日神(たかむすび)独神、生成力の神格化
・高木の神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神
とともに「創造」を神格化した神であり、女神的要素を持つ神皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神で
あるとも考えられる
3・神産巣日神(かみむすび)独神、生成力の神格化
・造化三神の中でこの神だけが女神であるともされる。「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「
創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられる。
4・宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神 ・万物の生命力を神格化した神である。一般的に活力を司
る神とされる。
5・天之常立神(あめのとこたち)独神 ・天(高天原)そのものを神格化し、天の恒常性を表した神である。
2010/09/02
意思があれば神は現れる、眼前にもやに包まれて、その世界が姿を見せる。
地球環境は酸素の力を得て、葉緑体とか細胞がつくったとも言える。造物主(造化の三神)が出来上がりの地球を用
意したのではない。
2010/09/04
無性生殖の進化は小さいし遅い。生物たちには変化する環境に対応するため、一気に遺伝情報を獲得できる有性生
殖で増殖するものが出始めた。
(参考:「はるかな記憶」カール・セーガン+アン+ドルーヤン朝日新聞社)
・・・つまり、オスとメスである。
攻撃性、優位性行動、縄張り意識、勇気、独立心、怖気づかない、おべっかを使わない、マーキングなど・・オスのホ
ルモンの特異性である。オスのホルモンが欠けると、従属的、縄張り意識が寛容的になり、メスから見向きされなくなる
。
・・性ホルモンと結びついて(供給される)、それが調節できれば・・・縄張り争いが減る、つまり平和に向かう。しかし、そ
れでは自然の摂理に反することになる。
*
ぶん‐ぴつ【分泌】
[名](スル)生体が細胞から特有の代謝産物を排出すること。分泌を行う細胞を腺(せん)細胞といい、ホルモンなどを体
内に出す内分泌と、汗などを体外に出す外分泌とがある。ぶんぴ。
1.テストステロン【testosterone】
雄性ホルモンの一。精巣から分泌されるステロイドホルモンで、第二次性徴の発現を促す。
2.エストロゲン【estrogen】
⇒発情ホルモン
- 16 -
*
本・・合気神髄・合気道開祖植芝盛平語録・八幡書店より抜粋
p270・二つの性は、互いに目指すものを成し遂げるために(種の保存)、
必要最低限、協調の義務を課した。・・・「協調」の発生。
性が増殖の最大テーマになるにつれ、いかにして異性をひきつけるか?、
多くの相手からどのように選ぶのか?などの問題が浮上してきた。
・・・優性法則、競争原理の発生
rfp272・無性生物は分裂増殖し、特別の時以外、死はない。
子孫のため、種全体のため、自分の命を供出する。つまり、
有性生物は、絶滅への解決策として「性」という手段しかない。
その目的を達成するまでの寿命である。
「性」によってのみ、DNAは若返り、次世代は、より健康なものによみがえることができる。「性の喜び」がまさにここにあ
る。・・・性による進化。
2010/09/05
・・すべては生き続けるため・・か!
*宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神 ・万物の生命力を神格化した神である。一般的に活力を司る
神とされる。
人間は二面性を有する。
肉体と精神である。肉体の魂(魄)は宇宙摂理(草木獣なみ)に従おうとし、精神は神に近づこうとする。
自分が自分であるためには、二面性を認め徳を捨てるか、それとも、
自己をあるところで統合するために、合気道でぶつかってみて、無の天地宇宙と繋がってみるか・・・。
2.15.
15. ○10/
10/08/
08/14 14 本・合気神髄に
合気神髄に出てくる神
てくる神()
本「合気神髄」途中より
アマテラスオオミカミ
・イザナギの左目から生まれたとされる女神(男神とする説もある)。太陽神。 ツクヨミ - イザナギの右目から生まれたと
される男神(女神とする説もある)。夜を統べる月神。
イザナギ、イザナミ・p94
イヅノメノミコトp130・p144・p168・
・伊豆能売(いづのめ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。神
話中では「伊豆能売」とだけ書かれていて、「神」「命」などの神号はつけられていない。神道系新宗教では伊都能売
神と表記することもある。
・神産みにおいてイザナギが黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす
禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。
オオゲツヒメ:スサノオノオオミカキに殺された?
クニノトコタチノカミ・p91・p94・p126
コノハナノサクヤヒメ・木花之佐久夜毘売・p122
・『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハ
ナノサクヤビメは別名としている。オオヤマツミの娘で、姉にイワナガヒメがいる。ニニギの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホ
スセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。
サムハラ・天之村雲の剣・p145・p151・p152
*さむはらとは、宇宙森羅万象の気をととのえて、
世のゆがみを正道にもどすこという。
日月星辰も、人体もことごとく気と気の交流
(原子の結合)の結果生まれたものであるから、
世界の気、宇宙の気を調整しなければ、
やがては邪気を発して、風害、水害、火災、戦争、
病気、飢餓がおこる。
このすべての邪気を、天授の真理によって
みそぎして、地上天国の極楽浄土を建設する
ことを、さむはらという。
~合気道開祖植芝盛平翁~
- 17 -
サルタヒコノオオカミ・p143
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8#.E3.82.B5.E3.83.AB.E3.82.BF.E3.83.
92.E3.82.B3
・サルタヒコ [編集]
ニニギが天降りをしようとすると、天の八衢(やちまた)に、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。そこでアマテラ
スと高木神はアメノウズメに、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神は国津神のサルタヒコで、天津
神の御子が天降りすると聞いて先導をしようと迎えに来たのであった。
スサノオノオオカミp90・p143・
タカミムスビノカミ・p94
タケミカズチノオオカミ・p143
ツクヨミノオオミカミ
トヨクモノノオオカミp91・
ツキタツフナドノカミからヘツカヒベラノカミの12神p92・
三貴神 (さんきし・さんきしん):アマテラスオオミカミ、ツクヨミノオオミカミ、スサノオノオオミカミ。
ニニギノミコト(ヒコホノニニギノミコト)
・神話における記述 [編集]
天照大神の子である天忍穂耳尊と、高木神の娘である栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)の子。兄に天火明命(
アメノホアカリ)がいる。『日本書紀』の一書では天火明命(アメノホアカリ)の子とする。
・天照大神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたとされる。これを(天孫降臨)と呼ぶ。『
ハヤタケムスノオオカミ・p143
フツヌシノオオカミ・p143
マサカツアガツカツハヤヒアメノオシホミミノミコトp125・
・カムヤマトイワレビコノミコト=神武天皇につながる。
・以下10/08/06 古事記(こじき、ふることふみ)()より
葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されるが、下界は物騒だとして途中で引き返して
しまう。タケミカヅチらによって大国主から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が下るが、オシホミミはその間に生
まれた息子のニニギに行かせるようにと進言し、ニニギが天下ることとなった(天孫降臨)。
ミチノナガチハノカミ・p146
・日向の橘の小戸の阿波岐原の禊ぎで生まれた神。
御身に着けておられる物をお脱ぎになられた時に御杖からはツキタツフナドノカミ、御帯からはミチノナガチハノカミ・・
2.16.
16. ○10/
10/08/
08/14 14 古事記の
古事記の気()
神を気に置き換えてみる。
例:天の御中主神→天の御中主の気
rf宇宙気と人間気
2.17.
17. ○10/
10/08/
08/12 12 須 佐 之 男 命(
命(武器)
武器)
*
須佐之男命
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index20.html
須佐之男命は、三貴子といわれた神のうちの一人で、日本神話の主役として重要な一翼を担い、荒ぶる神の代表選
手であったが、八岐大蛇退治では一躍大スターとなった英雄神である。
1 はじめに
「スサノオノミコト」は、古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」と記されている。
須佐之男命というとすぐに思い浮かぶのは、「八岐大蛇退治神話」で、八岐大蛇を退治し草薙剣を得て天照大御神
に献上し、出雲の聖地・須賀に宮処を定め、助けた櫛名田比売と結婚するという善神としての須佐之男命の姿であろ
う。この神話は、古事記・日本書紀の中でも、須佐之男命が高天原を追放され出雲に天下ってからの姿で、高天原で
は、「天岩屋戸神話」に見られるように、営田の畦を壊し、溝を埋め、大嘗の神殿に大便を散らし、逆剥ぎにした天斑
馬を機織屋に投げ込んで、天衣織女を死に至らしめるなどの悪事を働いた荒ぶる神であったのである。
さて、須佐之男命は善神なのか、悪神なのか、かつまた荒ぶるだけの神なのか、古事記・日本書紀に基づきながら
その神性を追ってみることにする。
- 18 -
2 須佐之男命の誕生
古事記では、黄泉国(よみのくに)から逃げ帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が筑紫の日向(ひむか)の橘の小
戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)で禊祓(みそぎはら)いをした際、左の目を洗った時に天照大御神(あまてらすおお
みかみ)が成り、右の目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)が成り、鼻を洗った時に成った神が「建速須佐之男命
」(たけはやすさのおのみこと)であった。
伊邪那岐命は三貴子を得たと歓喜し、天照大御神は高天原を、月読命は夜の食国(おすくに)を、須佐之男命は
海原をそれぞれ分担して治めるように委任した。しかし、須佐之男命は国を治めず、長い髭が胸前(むなさき)に垂れ
るまで啼きわめき、その様子は青々と茂る山を泣き枯らし、河海まで泣き枯らしてしまった。この悪神のたてる音は蠅(
はえ)湧き上がり、万物は災いに見まわれた。伊邪那岐命は怒って、この国に住むことを許さず、須佐之男命を追放し
たのである。
須佐之男命は、赴く前に姉の天照大御神に会いたくて天に上がるが、その時、山川が動き国土が揺れ動いたため、
天照大御神は驚いて、須佐之男命には善心がなく国を奪おうとしていると思い込み、男性のように髪を美豆羅(みづら
)に結い、千入(ちの)りの靫(ゆき)を背負って雄々しく叫んで、その理由を問い質した。
すると須佐之男命は、邪き心はなく、妣(はは)の国に行きたくて泣いていたところを追放されたと事情を説明し、自
分の心が清明であることを証明するために、子供を生もうと答え、天の安河(やすかわ)を挟んで天照大御神と宇気比
(うけい)をすると、5男3女神が誕生した。
日本書紀も同様の内容で、本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が神生みの際に
、天照大神(あまてらすおおかみ)、月読尊(つくよみのみこと)の後に「素戔鳴尊」を生んだとあり、一書(あるふみ)に「
神素戔鳴尊」(かむすさのおのみこと)「速素戔鳴尊」(はやすさのおのみこと)と記される。この神は勇ましく残忍で、常
に泣きわめき、国内の人民を多く若死させて、青い山を枯れ山にするので、父母はその無道を理由に天に君臨すべ
きではないと判断し、根の国に追放した。別の一書には、伊弉諾尊が首を巡らして後ろを見た時に生まれたのが素戔
鳴尊であるとし、物を壊すのを好む性格なので、根の国に下して治めさせたと記される。
次の一書には、伊弉諾・伊弉冉尊が柱を巡る時に、女神の方から先に言葉を発したのが道理に違い、蛭子(ひるこ)
を生み、次の生んだのが素戔鳴尊で、本文と同様に性割(しょうわる)にして泣くことを好み、国民を多く死なせ、青山
を枯らせるので国を治めさせず、根の国に下したと記される。
高天原の段では、天照大神は高天原を、月読尊は青海原を、素戔鳴尊は天下(あまがした)を治めるように詔(みこ
とのり)が下る。ところが、素戔鳴尊は既に年長(とした)けて髭が生え、しかも天下を治めず泣きわめき恨んでいた。伊
弉諾尊がなぜ泣くのかと尋ねると、母のいる根の国生きたくてただ泣いていたという。伊弉諾尊はそれを憎々しく思い
、思うままに行くようにと追いやった。
素戔鳴尊は、根の国に向かう前に高天原の姉に会ってから退(まか)ろうと許され天に昇る。その時、大海は轟き、山
岳も鳴り響き、その性格が荒々しいことが歴然としていた。天照大神は素戔鳴尊が暴(あら)く悪いことを知り、しかも国
を奪おうとしていると疑い、髪を上げて鬟(みずら)にし、裳をからげて袴にし、矢入を背負って勇ましく素戔鳴尊をなじ
る。素戔鳴尊は汚い心のないことを主張し、清き心を明かすために誓約(うけい)により子を生むこととなる。5男3女神
の誕生により、清き心が証明された。
3 天岩屋戸事件
古事記では、須佐之男命は宇気比に勝ったおごりから天照大御神の営田(みつくだ)の畦(あぜ)を壊し、溝を埋め、
大嘗(おおにえ)の神殿に大便をまき散らし、そのとりなしにも反省せず、なおも悪(あ)しき仕業は止まなかった。更に
天照大御神が機織り屋で神に供える衣服を織っていたところに逆剥(さかは)ぎにした天斑馬(あめのぶちごま)を投げ
込んで、天衣織女(あめのみそおりめ)を死に至らしめた。ついに天照大御神は天岩屋(あまのいわや)の戸を閉じて、
中に籠もってしまった。
八百万の神々が天照大御神を岩屋から引き出すと、須佐之男命に多くのあがないの物を科し、髭と手足の爪を切っ
て高天原から追放した。ところが今度は、大気津比売神(おおげつひめのかみ)に食べ物を請い願ったところ、鼻、口
、尻から種々の御馳走を取り出して作ったのを見て、汚い物を奉るのだと思い込んで、大気津比売神を殺してしまった
。
一方、日本書紀では、素戔鳴尊は天照大神の御田(みた)に種を重ね播きし、畔(あぜ)を壊し、まだら毛の馬を田に
放した。これに怒った天照大神は、天岩窟(あまのいわや)に籠もった。諸神は素戔鳴尊にあがないの物を取り立て、
髪や手足の爪を抜いてその罪をあがなわせた。ここまでは、概ね古事記と共通する内容であるが、一書(あるふみ)に
は、追いやられた素戔鳴尊が青草の笠蓑(かさみの)をかけ、神々に宿を請うが、汚らわしいと断られ、風雨の中を留
まり休むこともできず辛苦を受けたとある。
4 八俣大蛇退治
高天原から追放された須佐之男命は、古事記、日本書紀ともに舞台を出雲国に移し、一転して勇敢で人助けをする
善神としての役割を果たすのである。
須佐之男命は、出雲国の肥の河上、鳥髪という地(ところ)に降り、嘆き悲しむ足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづ
ち)の老夫婦とその娘櫛名田比売と出会う。嘆き悲しむその訳を尋ねると、私の娘はもともと8人いたが、あの高志(こし
)の八俣の大蛇が毎年襲ってきて、娘を食ってしまった。今年も今、その大蛇がやって来る時期となったので嘆き悲し
んでいると説明する。須佐之男命は、櫛名田比売を妻にほしいと請い、自分は天照大御神の弟であることを告げ、守
備良く身に付けていた十拳剣(とつかのつるぎ)をもって八俣大蛇を退治し、大蛇の尾から出てきた太刀を天叢雲剣と
名付けて天照大御神に献上した。
その後、出雲の清地・須賀(すが)に宮処(みやどころ)を定め、助けた娘櫛名田比売と結婚する。
5 悪神から善神への転化
本居宣長及び平田篤胤は、須佐之男命が悪神から善神へと転化したことについて、次のように解釈している。
● 本居宣長説
本居宣長は、須佐之男命の悪性は禊祓いが不十分で、黄泉の穢れが残ったままのその出生に原因があるとし、解
除(はらえ)をきっかけに穢悪(けがれ)が除かれ、清浄に立ち返らせたと解釈した。特に、髭・爪を抜かれた穢悪は罪
犯のある人に科せられるあがないの意味があると考え、罪をあがなったのであるから、穢悪された時点でもはや悪神で
はなく、しかも「全体の心の善悪」であるから、悪心から善心への単なる変化ではないとしている。
- 19 -
● 平田篤胤説
平田篤胤は、天照大御神の荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)からの解釈を試み、須佐之男命にも同様に荒魂・
和魂があり、これはなにも天照大御神や須佐之男命に限らず、神も人も汚いことや悪いことを憎み怒り、善神・善人と
言えども怒って荒ぶることもする。それは禍津日神(まがつひのかみ)の御霊(みたま)を享(う)けるからで、反対に、憎
み怒る心を和らげ静めて聞き直し思い直すのは、直毘神(なおひかみ)の御霊を賜っているからであるとしている。
古事記で、五穀の神・大気津比売を殺したことや大国主神に数々の試練を与えたことは、反面解釈によっては、大
気津比売が殺された結果、蚕や稲・粟・小豆・麦・大豆といった人が生きていく上で必要な食物が生じており、大国主
神も須佐之男命の娘須勢理比売(すせりひめ)の助力を得て、最後は葦原中国の国土経営を担い、繁栄と秩序への
布石をなしている。日本書紀では、出雲での素戔鳴尊の言葉が、「詔」(のる)ないしは「勅」(みことのり)として語られる
ように、統治し安定をもたらす神となっているのである。
6 むすび
備後風土記逸文では、疫病除けの蘇民将来の主人公・武塔神は須佐之男命と同一神とされ、また、京都の八坂神
社の祭神・牛頭天王(インドの祇園精舎の鐘の守護神とも言われている)も須佐之男命と同一神であると言われている
。須佐之男命はその神性が疫神と考えられる一方、その荒ぶる神性から疫気を祓う威力を発揮すると古くから信仰上
でとらえられ、一名を「糺神」(ただすのかみ)とも言われているのは、人々を悪疫から守り秩序ある状態に導く善神と意
識されたからであろう。
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http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index12.html
天の岩戸開き
1 素戔鳴尊の暴挙
素戔鳴尊は、天照大御神との誓約を破り、高天原で耕地を荒らし、水路を壊すなどの暴挙の限りを尽くしていた。
ところが、益々凶暴さを増した素戔鳴尊は、遂に天照大御神が神に奉る神御衣を織る機屋に、天の斑馬の皮を剥
いで投げ入れるという暴挙に出て、これを見た織女が驚いて死ぬという事件まで起こした。
2 天の岩屋隠れ
この様子をご覧になった天照大御神は大いに怒り、天の岩屋に入り、堅く岩戸を閉じてしまわれた。
このため、高天原は真暗闇となり、善神は影を潜め、悪神が横行し不幸や禍いが多発した。
3 神々の謀り
これを憂いた神々は、天照大御神を天の岩屋から出すため、天の安河の原に集まりいろいろと協議した。
まず、常夜の長鳴鳥を集めて一斉に泣かせ、伊斯許理度売命は八咫鏡を作り、玉祖命は八尺瓊勾玉を作り、天の
香具山から採ってきた榊を取り付けた大きな幣に飾り付けた。
天児屋根命は、大きな声で祝詞を上げ、天太玉命は、玉串を立て榊の前で礼拝した。
天宇受女命は、伏せた桶の上に乗り、衣服が乱れ肌もあらわに足を踏み鳴らし踊り狂った。
高天原随一の力持ち天手力男命は、天の岩戸の脇に隠れ、岩戸開きの時を待った。
八百萬の神々は、沸きに沸いて笑いころげ、高天原は大騒ぎとなった。
4 天の岩戸開き
この騒ぎを不審に思われた天照大御神は、天の岩戸を少し開けて
今、高天原も葦原中国も暗く、みな困っているはずだ。
なぜ、楽しそうに騒いでいるのか。
と尋ねられ、天宇受女命は
あなたより優れた尊い神がおられますので、みなが喜び、こうして楽しんでおります。
と答えた。
この間に、天児屋根命と天太玉命が差し出した伊斯許理度売命が製作した八咫鏡に、自分の姿が映ったので天
照大御神は不思議に思い、天の岩戸から少し身を乗り出した。
この時、天の岩戸の脇に隠れていた天手力男命が飛び出して来て、すかさず天照大御神の手をしっかり握って天
の岩戸からお出しした。
その後、天太玉命が、天の岩屋の前に注連縄を張り巡らして
もうこの中に入られてはいけません。
と言った。
こうして、暗かった高天原も葦原中国も、再び明るくなり、悪神は何処へとも立ち去り、平穏となった。
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八岐大蛇退治
1 追放された素戔鳴尊
高天原で暴挙の限りを尽くしていた素戔鳴尊は、遂に、天照大御神が神に奉る神御衣を織る機屋に、天の斑馬の
皮を剥いで投げ入れるという暴挙に出て、これを見た織女が驚いて死ぬという事件まで起こした。
事件を起こした素戔鳴尊は、八百萬の神々の会議に諮られた結果、髪を切られ、髭を抜かれ、手足の爪も抜かれ
て高天原を追放された。
2 櫛名田比売命との出会い
追放された素戔鳴尊が、出雲の国簸の川の辺を歩いていると、川上から箸が流れてきた。
素戔鳴尊は、箸が流れてくるのを見て、川上に人が住んでいるに違いないと思い、川に沿って進んで行くと、嘆き
悲しんでいる一人の美しい娘と二人の老人に出会った。
素戔鳴尊が
お前達は何者か。また、なぜ泣いているのか。
と尋ねると、その老人は
私は、この国に住む神です。
私の名は足名推、妻の名は手名推、娘の名は櫛名田比売と言います。
実は、私達にはもと8人の娘がありました。
毎年恐ろしい八岐大蛇が現れて、娘を一人づつ食べてしまうのです。
今年も、一人残ったこの娘が食べられる時期になり、嘆き悲しんでおります。
と答えた。
3 八岐大蛇の正体
素戔鳴尊が
その八岐大蛇とは、どのようなものか。
と更に尋ねると、その老人は
目はほうずきのように赤く、身体は一つで、頭が八つ、尾が八つあります。
その身体には苔や桧、杉などが生い茂り、長さは、八つの谷と八つの峰にわたるほどです。
腹は全体にいつも血が流れ、真っ赤に爛れております。
と答えた。
それを聞いた素戔鳴尊が
私が八岐大蛇を退治してやろう、その娘を私の妻にくれないか。
と願うと、その老人は
どなたにも手に負えません。
また、あなたが何処の方かも分からないので、娘を差し上げることはできません。
と答えた。
素戔鳴尊が
私は、天照大御神の弟素戔鳴尊である。
今、高天原からここへ降って来たばかりだ。
と名乗ると、老夫婦は
まことに畏れ多いことで、早々に娘を差し上げましょう。
と答えた。
4 八岐大蛇退治の秘策
素戔鳴尊は、手名推、足名推に命じて酒を用意させ、八つの門を構えた垣根を作り、それぞれの門に酒を満たし
た樽を置いた。
娘を櫛に変化させて髪に挿し、静かに八岐大蛇が現れるのを待った。
しばらくすると、生臭い風が辺りに立ちこめ、空は曇り、大音響を山谷に響かせながら八岐大蛇が現れた。
八岐大蛇は、大好物の酒を見るや否や、八つの門から頭を突っ込み一気に酒を飲み干し、酔い潰れてぐっすりと
寝込んでしまった。
5 天叢雲剣の献上
素戔鳴尊は、八岐大蛇が寝込んだのを見計らって近づき、携えていた十束の剣を振るって八岐大蛇をずたずたに
切り刻んだ。
なおも尾の方へ切り進んで行くと、腹の中から一振りの太刀を発見した。
八岐大蛇が現れるところには、いつも叢雲が棚引いていたのはこの剣のためであったかと思い、この剣を「天叢雲
剣」と命名し、後に、この剣を高天原の天照大御神に、お詫びの印として献上した。
2.18.
18. ○10/
10/08/
08/12 12 古事記にみる
古事記にみる刀剣
にみる刀剣(
刀剣(武器)
武器)
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馬家一門 修士学位修得者による武学論文
http://www.ne.jp/asahi/tfz/tys/201/nsr/index.html
日本国最古の歴史書(倭国は律令制を導入し、日本の国号を中国・唐が認定した歴史的事実)
- 古事記にみる刀剣
文:川口貴史
(東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻 博士課程前期二年の課程 修了 文学修士)
はじめに
いま、歴代日中刀剣の交流を考えるにあたり、その歴史性を把握するための第一歩として、日本側に現存する最古
の歴史文献資料として「古事記」に目を向け、そこに記載された刀剣の文言を確認し提示することによって、当時の日
本において刀剣がどのような存在として捉えられていたのか、日本における刀剣の持つ意義を再確認し、日中刀剣交
流史研究の一助としたい。
古事記の概要
倭国と呼ばれていた日本では、7世紀後半から、中国大陸の隋・唐で発展した律令制の導入が推進され、701年(大
宝元年)文武天皇のもとに成立した大宝律令の施行をもって、律令制による統一的な政治体制が確立した。これにと
もなって「日本」という国号が正式に定められ、皇帝と同格であるとする天皇の地位が規定され、天皇を中心とした中央
集権的な律令国家が成立することになる。律令に基づいて、天皇を頂点とした官僚機構が組織され、土地や人民は
国家の帰属となり、軍事や地方行政が国家の管理下に置かれた。この大宝律令の施行下において、律令国家として
数々の事業が展開されたが、そのひとつとして歴史書の編纂作業が進められた。そして、712年(和銅五年)に古事記
が、720年(養老四年)に日本書紀が成立した。記紀の編纂には律令国家としての日本およびその中心に位置する天
皇の正当性を歴史的に裏づけ提示する意図があったとみるのが通説である。記紀以前の日本の歴史書は、日本書紀
にその存在が示唆されているものの残存しておらず、よって現存する最古の歴史書は古事記である。
古事記は、上巻・中巻・下巻の三巻からなり、序文が付随する。序文には古事記の成立由来が記されており、古事記
編纂の経緯を知ることができる。序文によれば古事記は、天武天皇の命により稗田阿礼が誦み習っていた「帝皇日継
」と「先代旧事」を、和銅四年(711年)に元明天皇の命を受けた太朝臣安万侶が撰録して書き記し、翌和銅五年(712
年)に元明天皇に献上したものである。上巻は神代の出来事が記される。いわゆる日本神話であり、神々の出現と日
本列島の成立から初代天皇誕生前夜までの神々の物語からなる。中・下巻は天皇の系譜と各時代の物語からなり、
中巻は第1代神武天皇から第15代応神天皇まで、下巻は第16代仁徳天皇から第33代推古天皇のまでの時代の出来
事が記されている。文章は漢字で記載されているが、日本風に改良された変則的な漢文であり、日本語の一音節に
一字を当てた音仮名も多く使用されている。これは上代の音韻を現在に伝えるものとして貴重である。現存する最古
の古事記の写本は、真福寺本古事記三帖で、1371~1372年(応安四・五年)に真福寺の僧の賢瑜によるものである。
古事記に登場する刀剣
普通名詞として登場する刀剣類の呼称には、剣、刀、大刀、横刀、紐小刀(小刀)がある。剣は「つるぎ」、刀、大刀、
横刀は「たち」と読み下されている。「たち」は、刀剣類を総称する呼び名であろうと考えられる。剣という字は、本来は
両刃を呈する形状のものに対して使用されるべき文字であるが、古事記では、剣と刀は形態的な意味合いでの明確
な区別はなされていない。剣と記された同一の刀剣を、別の機会では大刀と置き換えられている部分がある。剣の文
字は上巻において頻出し、人代に移行する中巻・下巻においては使用頻度が下がっていく。またその使用法としては
、神々が佩く「十拳剣」あるいは「十掬剣」と組み合わされることが多く、ともに「とつかのつるぎ」と読み下される。長さが
握り拳にして十個分ほどある剣と解釈される。おおよそ三尺の長さである。修飾的に長大な剣であることが強調されて
いるとの解釈もある。また、「神度剣(カムドノツルギ)」「草那芸剣(クサナギノツルギ)」といった固有名詞を持つ宝剣の
名称として組み合わせて用いられており、剣という文字に、高貴な意味合いを持たせていた可能性がある。また、神の
佩く刀剣を指し示す語句として「御刀(みはかし)」が頻出する。
一方、中巻に至って、はじめて「たち」として「横刀」の文字が使用される。「横刀」は上巻には一切登場しない。代わ
りに「大刀」の文字は中巻では使用されなくなり、「横刀」あるいは単独で「刀」のみが用いられる。「横刀」は、横に佩く
ことから呼ばれたとされる。正倉院に納められた品物の目録である『東大寺献物帳』に「横刀」の記述が見られるが、こ
こでは大刀より短いものを「横刀」と呼んでいるようである。現存する遺物を概観すると、ぶれを持ちながらも全体として
時代が下るにつれ刀長にして三尺以上あったものが次第に短くなる傾向が見られるものの、これが直ちに古事記の構
成に反映するかどうかはまったく不明である。古事記においては、「大刀」から「横刀」への変化が何によるものである
かは、明らかではない。
また、形状を指し示す名称として、上巻に「頭椎之大刀(かぶつちのたち)」が見られる。現存する大刀に、柄頭が瘤
状を呈するものがあり、これに相当すると考えられている。
古事記における刀剣の記述
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<上巻>
上巻には、神々の佩く刀剣と、刀剣そのものを神格化した神とが登場する。これらは各説話の中で重要な役割を果
たしている。物語の進行に準じて、具体的に例を見てみよう。
まずはじめに登場するのは、伊邪那岐命(イザナギノミコト)の帯びている刀剣である。それは「十拳剣」であり、固有
名詞として「天之尾羽張(アメノオハバリ)」あるいは「伊都之尾羽張(イツノオハバリ)」と記されている。また、この剣を指
す呼び方として、「御刀(みはかし)」、「刀(たち)」という文字も使用されている。
イザナギは妻である伊邪那美命(イザナミノミコト)とともに国を生み神を生むが、イザナミは火の神である、火之夜芸
速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)、別名を火之カガ[火+玄]毘古神(ヒノカガビコノカミ)、また別名を火之迦具土神(ヒノカ
グツチノカミ)を生んだときの傷がもとで、この世を去ってしまう。伊邪那美を葬った後の出来事を読み下し文で引用す
ると次の通りである。(※)
「ここに伊邪那岐命、御佩せる十拳剣を抜きて、その子迦具土神の頸を斬りたまひき。ここにその御刀の前に著ける血
、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、石拆神(イハサクノカミ)。次に根拆神(ネサクノカミ)。次に石筒之男神(イ
ハツツノヲノカミ)。次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、甕速日神(ミカハヤヒノカ
ミ)。次に樋速日神(ヒハヤヒノカミ)。次に建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)。亦の名は建布都神(タケフツノカミ)。
亦の名は豊布都神(トヨフツノカミ)。次に御刀の手上に集まれる血、手俣より漏き出でて、成れる神の名は、闇淤加美
神(クラヲカミノカミ)。次に闇御津羽神(クラミツハノカミ)。
上の件の石拆神以下、闇御津羽神以前、併せて八柱は、御刀によりて生れる神なり。」
このくだりは、刀剣製作に深い関係があるとみられ、刀剣製作の順序を表すとの解釈がある。
また伊邪那岐命は、伊邪那美命に合わんとして黄泉国を訪れるが、そこから逃げ帰る際に、「ここに御佩せる十拳剣
を抜きて、後手に振きつつ逃げくる」とある。
伊邪那岐命から生まれた建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)の佩く剣も「十拳剣」であり、ふたつの文脈の中
で登場する。
ひとつは、高天原において、姉にあたる天照大御神(アマテラスオホミカミ)に対して心の潔白であることを証明する
ための儀式で用いられる。
「故ここに各天の安の河を中に置きて誓(うけ)ふ時に、天照大御神、まづ速須佐之男命の佩ける十拳剣を乞ひ度し
て、三段に打ち折りて、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り濯ぎて、さ噛みに噛みて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れ
る神の御名は、多紀理毘売命(タキリビメノミコト)。亦の御名は奥津島比売命(オキツシマヒメノミコト)と謂ふ。次に市寸
島比売命(イチキシマヒメノミコト)。亦の御名は狭依毘売命(サヨリビメノミコト)と謂ふ。次に多岐都比売命(タキツヒメノ
ミコト)。」
この後、速須佐之男命は天照大御神の身につけていた玉を同様の手順で噛み、そこから五柱の神が生まれている
。
次に、地上に降りた速須佐之男命が八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するくだりで二振りの刀剣が登場する。
「ここに速須佐之男命、その御佩せる十拳剣を抜きて、その蛇を切り散りたまひしかば、肥河血に変りて流れき。故、そ
の中の尾を切りたまひし時、御刀の刃毀けき。ここに怪しと思ほして、御刀の前もちて刺し割きて見たまへば、都牟刈(
ツムガリ)の大刀ありき。故、この大刀を取りて、異しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。こは草那芸(ク
サナギ)之大刀なり。」
「草那芸之大刀」は、「草那芸剣」として再登場する。
この後、速須佐之男命は、子孫を遺して地上を去り、地下にあるという根堅州国へと赴く。ここで、その血を引く大国
主神(オオクニヌシノカミ)が地上の国を治める神話が描かれるのであるが、地上の国を治めるに当たってよりどころと
なったのが、速須佐之男命のもとに赴いて譲り受けることになった「生大刀(イクタチ)」と「生弓矢(イクユミヤ)」である。
この大刀と弓をもって、兄弟の神々を制し、出雲国を中心とした地上の国を治めることになる。
この後、大国主神が治めた地上の国を、天照御大神の意向により、天照御大神の血を引く天邇岐志国邇岐志天津
日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)が譲り受け治めることになる、いわゆ
る国譲りの神話が語られる。この国譲りの過程において、また刀剣が登場する。
難航した国譲りのための和平を最終的に成立させるのは、伊邪那岐命の佩剣として登場した伊都之尾羽張神(イツ
ノオハバリノカミ)の子である建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)である。天鳥船神(アメノトリフネノカミ)とともに「出
雲国の伊那佐の小濱に降り至りて、十掬剣を抜きて、逆に浪の穂に差し立て、その剣の前に趺み坐して、」大国主神
およびその子の八重事代主神(ヤヘコトシロヌシノカミ)に国譲りを承諾させる。また、力競べを挑んだ建御名方神(タ
ケミナカタノカミ)に対しては、その力競べにおいて手を「立氷に取り成し、また剣刃に取り成し」て対応し、最終的に建
御名方神にも国譲りを承諾させる。
ここにいたって天津日子番能邇邇芸命(アマツヒコホノニニギノミコト)は、地上の国である豊原中国に降臨するが、こ
のとき、八尺勾玉、鏡、草那芸剣を授かるのである。これは後世に有名な三種の神器であり、歴代の天皇が正統の証
として皇位継承のさいに引き継ぐものである。また、天津日子番能邇邇芸命を出迎えた天忍日命(アメノオシヒノミコト)
と天津久米命(アマツクメノミコト)は「天の石靫を取り負い、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の真鹿
兒矢を手挟み、御前に立ちて仕へ奉りき」とあり、「頭椎の大刀」の存在がここで示されている。
このほか、国譲りの物語の途中で「とつかのつるぎ」が登場する。阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)の
「御佩せる十掬剣」、「その持ちて切れる大刀の名は、大量(オオバカリ)と謂ひ、亦の名は「神度剣(カムドノツルギ)」と
ある。また、天津日子番能邇邇芸命の子である火遠理命(ホヲリノミコト)の佩刀も「十拳剣」であり、兄の火照神(ホデリ
ノカミ)の釣針をなくしてしまった逸話の中に、「故、その弟、御佩(みはかし)の十拳剣を破りて、五百鉤を作りて、償い
たまへども取らず」との記述がある。
<中巻>
中巻では、前述の通り、「たち」には「横刀」または単独で「刀」の字があてられている。
中巻は天津日子番能邇邇芸命の血を引く神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト、神武天皇)の東征から
はじまる。神倭伊波礼毘古命が東へ進んで、熊野村に至ったとき、大熊がちらりと姿を見せると、神倭伊波礼毘古命は
正気を失ってしまう。しかし、「この時、熊野の高倉下(タカクラジ)、一ふりの横刀をもちて、天つ神の御子の伏したまへ
る地に至りて、献りし時、天つ神の御子、すなはちさめ起きて、長く寝つるかもと詔りたまいき。故、その横刀を受け取り
たまひし時、その熊野の山の荒ぶる神、自ら皆切りたふされき。」と続き、一ふりの横刀の威力が語られる。神倭伊波礼
毘古命が高倉下にその横刀を得た経緯を尋ねると、高倉下は夢に見た内容を語り、「己が夢に天照大神、高木神、二
柱の神の命もちて、建御雷神を召びて詔りたまひけらく、『葦原中国はいたく騒ぎてありなり。わが御子等不平みますら
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し。その葦原中国は、専ら汝が言向けし国なり。故、汝建御雷神降るべし』とのりたまひき。ここに答へ曰しして『僕は降
らずとも、専ら平らけし横刀あれば、この刀を降すべし。この刀を降さむさまは、高倉下が倉の頂を穿ちて、それより堕
し入れむ。故、朝目吉く汝取り持ちて、天つ神の御子に献れ』とまをしたまひき。故、夢の教えの如に、あしたに己が倉
を見れば、まことに横刀ありき。故、この横刀をもちて献りしにこそ」との由である。このときくだされた刀について、「この
刀の名は佐士布都神(サシフツノカミ)と云ひ、亦の名は甕布都神(ミカフツノカミ)と云ひ、亦の名は布都御魂(フツノミ
タマ)と云ふ。この刀は石上神宮に坐す」と注釈が入れられている。またこのときの出来事は序文で掻い摘んで語られ
、「天剣を高倉下に獲」と表現されている。
時代は下り、垂仁天皇の段では、御子である印色入日子命(イニシキノイリヒコノミコト)が「鳥取の河上宮に坐して、
横刀一千口を作らしめ、これを石上神宮に納め奉り、すなはちその宮に坐して河上部を定めたまひき」とある。
景行天皇の段には、神話上の英雄として有名な倭建命(ヤマトタケルノミコト)が登場し、刀剣に関わる記述も増える
。以下に簡単にまとめよう。倭建命はもともと小碓命(ヲウスノミコト)、別名を倭男具那命(ヤマトヲグナノミコト)と呼ばれ
、熊曾建(クマソタケル)二人を討ち滅ぼした際に倭建の名を得る。この熊曾建を討ち滅ぼす際に、叔母の倭比売命(
ヤマトヒメノミコト)から衣装と「剣」を給わり、すなわち女装して「剣」を懐に入れ、隙をついて熊曾建を「刺し通し」て殺し
ている。尻を刺された弟の建は「その刀をな動かしたまひそ」と一度命乞いをしている。
出雲国で出雲建(イズモタケル)を殺した際には、赤檮(イチイ)で「詐刀」(偽の刀)を作り自分の御佩(みはかし)とし
、「刀を易(か)へむ」といって出雲建の「横刀」を佩き、「いざ刀合わさむ」と言って、詐刀であるために刀を抜くことので
きなかった出雲建を打ち殺している。
東国を平定するために遣わされた際には、天皇から「比々羅木之八尋矛(ヒヒラギノヤヒロボコ)」を賜り、またその東
征を嘆き悲しんだ倭比売命から「草那芸剣」を賜った。相武国で火攻めにあったとき、この「御刀」の草那芸剣で草を
刈り払い、難を逃れた逸話は有名である。東国の蝦夷や神々を平定した倭建命は、尾張国に帰り、先に約束のあった
美夜受比売(ミヤズヒメ)のもとに立ちより、ここに「御刀の草那芸剣」を遺して去る。草那芸剣は、現代でも愛知県熱田
神宮に奉納されていると伝えられ、その起源を示したものと見られる。
その後、倭を目指して旅を続けた倭建命は、尾津のさきの一つ松のもとで、以前置き忘れた「御刀」がまだ残ってい
たことを受けて歌を詠む。また、倭にたどりつかずに息をひきとる間際には、美夜受比売のもとに残してきた「ツルギノタ
チ」をしのぶ歌を詠んだ。
応神天皇の段では、のちに仁徳天皇となる大雀命(オホサザキノミコト)が佩く「御刀」を見て、吉野の国主が歌を歌う
。
またこの応神天皇の治世には、新羅から人が渡り、百済の国主である照古王から、馬や鏡などとともに「横刀」が献上
され、また他の技術者とともに卓素(タクソ)という名の韓鍛(からかぬち)が渡ってきたことが記されている。
<下巻>
下巻では、これまでに比べ刀剣に関する記述は少ない。刀剣の神性を表す記述はほとんどなく、刀剣の武器として
の側面のみが表れているといえる。また、天皇および皇族が、常に刀剣を佩いていた様子も窺える。
履中天皇の段では、天皇の異母弟である水歯別命(ミズハワケノミコト)が、墨江中王(スミノエノナカツノミコ)の反乱
に際し、自分に尽くしてはくれたものの、結果として主君を裏切ったことになる曾婆訶理(ソバカリ)という名の隼人を、
蓆の下に隠した「剣」で頸をはねて殺す。
安康天皇の段では、根臣(ネノオミ)が大日下王(オオクサカノミコ)の様子を偽って、「横刀の手上を取りて、怒りまし
つ」と報告する。これにより天皇によって殺された大日下王の子である目弱王(マヨワノミコ)が、天皇が父の敵であると
知り「その傍の大刀をとりて」天皇の頸を斬り、天皇の弟の大長谷王(オホハツセノミコ)は兄の黒日子王(クロヒコノミコ)
の不甲斐なさを嫌い「刀を抜いて打ち殺」す。目弱王をかくまった都夫良意美(ツブラノオホミ)は、力の尽きたことを悟
り、目弱王の命により「刀をもちてその王子を刺し殺して、すなはち己が頸を切りて死にき」。
雄略天皇の段では、天皇が側に仕える役人とともに葛城山に登ったとき、一言主大神(ヒトコトヌシノオホカミ)の出現
を受けて、「大御刀また弓矢」をはじめとして、役人の服を脱がせて拝して献上したとの記述がある。また天皇が、酒宴
の際にさかずきの中に木の葉が浮いているのを見て、そのさかずきを差し出した采女を押さえ「刀をその頸にさし充て
て、斬らむとしたまひし時」との記述がある。
清寧天皇の段では、天皇の血を引くものの野に下って馬飼・牛飼と身をやつし、とある宴会の時に火焚きをしていた
意祁王(オケノミコ)と袁祁王(ヲケノミコ)の兄弟が、請われて舞をしたとき、意祁王のあとをうけ袁祁王が舞おうとする
時に詠んだ歌に、「物部の、我が夫子の、取り佩ける、大刀の手上に、丹書き着け、その緒は、赤幡を載り、……」とあ
る。この後にみずからの出自を名乗って、後に、袁祁王が顕宗天皇に、意祁王が仁賢天皇となる。
まとめ
以上、古事記に登場する刀剣のあらましを確認してきた。古事記はその内容の性格上、史実をそのまま反映してい
るとはいえず、下巻においてはその記事の信憑性が増すものの、歴史的事実をそのまま示しているとはいえない。し
かし、律令国家の成立にともなう政治体制の大変革の中で、歴史書編纂の事業として最初に編まれたのが古事記で
あり、この文献をもって日本という国家の歴史的な裏付けとし、そして天皇家の正統性を確認する意図があったことは
間違いないであろう。その中で刀剣はどのように位置づけられていたであろうか。
あらゆるものに神性を見出されるのが日本神話の特徴であるが、国や神々の誕生の過程の比較的初期の段階で、
刀剣製作に関連するとみられる神々が生まれたことはひとつの特徴である。また、神を生み国を生んだ神である伊邪
那岐命がすでに刀剣を帯びていたことも興味深い。須佐之男命が心の潔白を儀式によって判断する際に用いられた
のは、その持てる刀剣である。古事記の構造のひとつとして、さまざまなものの起源がさかのぼって説明されているとい
う側面がある。初期の段階で刀剣(あるいは鍛冶)の神を備え、また原初の神々が刀剣を佩いるという記述は、刀剣が
、非常に身近な存在であり、世界の根源的な属性のひとつとして認められていたことを示している。
また刀剣は、力の継承の場において意味を持つ。出雲に出没して強大な力をふるっていた八俣大蛇を退治すること
によって速須佐之男命が草那芸之大刀を手に入れること。根堅州国の速須佐之男命から「生大刀・生弓矢」を継承し
た大国主命がその力でもって地上の国を統治すること。国譲りにおいて刀剣の神が調停して契約を完成させること。
天津日子番能邇邇芸命の降臨の際に、いわゆる三種の神器のひとつとして草那芸剣を授かること。神倭伊波礼毘古
命(神武天皇)の東征に際して神から刀剣が授けられ、それが建御雷神の代理とされ神性を帯びていること。これらか
ら、正統な力を継承する際に、刀剣が象徴的な意味合いをもっていることが窺い知れる。
古事記からは、当時の日本という国家において、刀剣はたんなる武器にとどまらず、宗教的な色彩を強く帯び、また
政治的な裏付けとしても利用されうる存在であったことが知られ、古事記成立の背景を鑑みると、それが歴史的な日本
- 24 -
の特徴であることを公に示唆するものであったと考えられる。
一方、中国大陸および朝鮮半島との刀剣交流という立場から見ると、古事記の情報は限定されている。直接なんら
かの交流を示すものとしては、応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から「横刀」と鍛冶職人「卓素」が渡ってきたという
記載のみである。
日本の刀剣製作技術が中国大陸に祖を持ち、中国大陸や朝鮮半島に勃興した国家との関係のなかで、交流・発展
してきたことは、他の文献資料や考古学的な研究成果から明らかである。弥生時代に始まり古墳時代、奈良時代と続
く刀剣製作技術(あるいは製鉄・鉄器製作技術)の歴史的な変遷と交流の具体的な様相については、ここではひとま
ず筆を置き、他の文献資料・考古資料に基づいた実証的な研究に委ねたい。(了)
(※古事記の解説、読み下し文および原文は、おもに倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫)によった。漢字は基本的に
新字体を用いた)
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2.19.
19. ○10/
10/08/
08/12 12 武器使用のはじめ
武器使用のはじめ(
のはじめ(武器・
武器・伊耶那岐の
伊耶那岐の命?)
古事記を読むと、
*
タケミカヅチ(タケミカヅチオ)
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%85%E3%83%81
タケミカヅチ(タケミカヅチオ)は、日本神話に登場する神。
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)に祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。
『古事記』における記述
神産みにおいてイザナギがカグツチの首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」の根元についた
血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。葦原中国平定においては伊都之尾羽張(いつのおはばり)の子と
記述しているが、伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。
葦原中国平定においてアメノトリフネとともに葦原中国(あしはらのなかつくに)の荒ぶる神々を制圧し、タケミナカタと
の戦いに勝利し、葦原中国を平定した。タケミナカタとの戦いは相撲の起源とされている。
解説 [編集]
名前の「ミカヅチ」は雷のことであり、雷神は剣の神でもある。また、別名のフツ神は本来は別の神で、『日本書紀』では
葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのはフツヌシであると記されている。フツヌシは香取神宮で祀られている神
である。
元々は鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていた。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になっ
てきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していた
ことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作ら
れると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。
信仰 [編集]
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神
社で祀られている。
*
三種の神器
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%99%A8
三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡・剣・玉
を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。
- 25 -
三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。
1 八咫鏡(やたのかがみ)
2 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
3 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
八咫鏡(やたのかがみ) [編集]
詳細は「八咫鏡」を参照
記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに
開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のちに鏡は
天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) [編集]
詳細は「八尺瓊勾玉」を参照
八坂瓊曲玉とも書く。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。岩戸隠れの際に玉祖
命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) [編集]
詳細は「天叢雲剣」を参照
草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも称され、記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオ
ロチの尾から出てきたとし、その時の名前は都牟刈の太刀(偉大な力を持つ太刀)であった。出雲国風土記では、出
雲国意宇郡母里郷(現;島根県安来市)にてオロチ退治が行われたともされている。剣は須佐之男命から天照大神に
奉納され、天皇家に天照大神の神体として八咫鏡とともに手渡された事になっている。一説には鍛冶の神である天目
一箇命(アメノマヒトツノミコト)が作ったと言われる。
古代において、「鏡」、「玉」、「剣」の三種の組み合わせは皇室だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴であ
ったと考えられ、・・
2.20.
20. ○10/
10/08/
08/10 10 本・合気神髄抜粋 合気神髄抜粋 技の基本()
基本()
10/08/07 合気神髄()から一部分を抜粋した。技を行う際の、基本中の基本とすべき姿勢に繋がると思う。
*
本・・合気神髄・合気道開祖植芝盛平語録・八幡書店より抜粋
新発見した文などを要約抜粋
p17・合気道は、年毎に、ことごとく技が変わっていくのが本義である。合気道は形はない。すべて魂の学びである。
p23・自分の心の立て直しがができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万(やおよ
ろず)の神、こぞって協力するはずになっております。魂磨きが第一番でありますから、強い、弱いというようなことは、
やりません。
p26・顕幽神は、顕れた世界、仏の世界、神の世界です。
p27・合気道は手を見てはいけない。相手を見る必要はありません。姿を見る必要はありません。魂の比礼振り(ひれふ
り)でありますから。
p28・合気は宇宙組織をわが体内に造りあげていくのです。宇宙組織を自己の身の内に吸収し、世界中の心と結んで
いくのであります。すべては結びでやる。
p45・魂の比礼振り・・己が物を生み出すようになる。外(そと)のことは、みな己のこと。
p51・合気道は形のない世界で和合しなければだめです。形を出してからではおそいのです。
p53・鬼おろち吾に向かいておそひこば 後に立ちて愛にみちびけり
p54・武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛錬することである。
p57・合気というものは、森羅万象どんなものでも、極意に取り入れなくてはならない。教えを受けなくてはならぬ。
p58・引力と引力との交流によって世界が収められる。これをもとにして出来たのが合気道で・・。
p63・「エィ」「ヤッ」と合し、「トー」と離れ、「エィ、ヤッ」と結ぶ。そこに隙のないよう練磨を重ねる。・・・rf・掛け声が同時
に発せられるようにすること(合わせ)。
- 26 -
p98・相手よりも、先にその不足を満足させるように、こちらから相手の不満の場所を見出して、術をかける。この不満を
見出すのが合気の道でもある。
p100・結果にならん前に、喧嘩にならん前にすべてをおさめてしまうことです。
p101・魂の錬成をして地球を人のみにするような、立った姿にならなければなりません。
p121・己に魂があれば、人にも魂があり、これを気結び、生産び(いくむすび)して円の本義の合気を生み出させれば
、円はすべてを統合します。
p129・いままでは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台として、その上に自分の魂をのせる。
p170・いかなることに臨んでも、九分九厘相手の圧迫をうけて死地に入るも明らかなる道はあるべし。技は電撃電飛よ
りも早きを要する。相手より圧迫をうけざるように心がくべきものなり。
p171~172・人間の力は、その者を中心として円を描く、その円内のみが力のおよぶ範囲であり、領域である。円外は
無力となる。相手を相手の円外に導き出すこと。
すべての円を、キリリと描く。円に十字を書く。その十の上に左右の足で立つ。それで、三角法で進む。
p173・相手の不足を満足さすべく、相手の隙すなわち不満の場所をみいだして技をかける。
p174・相手の心を小楯に、・・入り身転換の法によって相手を圧迫する。この道理を、体に描き出して大勢の時は一人
と思い、一人のときは大勢と思い、・・
p176・宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。
2.21.
21. ○10/
10/08/
08/09 09 道歌解釈(
道歌解釈(むづかしい道歌
むづかしい道歌について
道歌について記録
について記録)
記録)
むづかしい道歌について記録しておく。
*
http://www.page.sannet.ne.jp/shun-q/doka3h-1.HTML 【読み方】
「細矛 千足のくにの 生魂や
受霊に結ぶ 神のさむはら 盛平」 「くわしほこ ちたるのくにの いくたまや
うけひにむすぶ かみのさむはら もりへい」
"Kuwashihoko chitaru no kunino ikutamaya
ukehini musubu kamino samuhara
Morihei"
【意味・解説】
「細矛(くわしほこ)」…くわし→細し、美し、こまやかで美しい、うるわしい。 美しい矛(ほこ)。
「千足(ちたる)」 …千→千万、百千の千、たくさん。
「生魂(いくたま)」…生魂・足魂(たるたま)・魂留魂(たまとまるたま)・真澄魂(ますみたま)の四魂
の生魂のことで「四魂の動き、結びて力を生ず。愛を生み、氣を生む」と翁先生
は申されています。生きている人の魂。
「足魂(たるたま)」 …満足を知る魂。
「魂留魂(たまとまるたま)」…とどめる魂。
「真澄魂(ますみたま)」 …澄みきったまことのこころ。
「受霊(うけひ)」 …魂を受ける。
「神のさむはら」 …宇宙の氣をととのえ、世のゆがみを正道にもどすことです。
《天のむら雲くきさむはら竜王》(翁先生の守護神)のさむはら。小戸の神業の
ことです。 道歌の下の句が「神のさむはら」とは別に「小戸の神業」とされたもの
があります。
【通解】
美しい矛の多くある、すなわち守りの整った国の、立派な魂の受霊をもって、小戸の神業の禊ぎにて四魂と結び、す
なわち魂の学び、魂の錬成にて、自己・一家・人類を整え宇宙をも和合し、守っていくのが合氣の道である。
【鑑賞】
字々の筆先から、ほとばしる炎を吐き、鋭く集中された気触(きぶれ)、それがひとたび紙の上に接すれば万斛(ばん
こく)の重みとなり地底の奥の奥に螺動(らどう)するすがたを想起してください。またそれが地上に達すれば千変万化
する美を感じ取ってください。
- 27 -
字形からは剛直と、反対の柔軟と、翁先生のユーモアを感じてください。
*
http://www.page.sannet.ne.jp/shun-q/doka3h-2.HTML
【読み方】
「松竹梅錬り
清め行く氣の
仕組何處に生
るや身変る
の火水 」 「しょうちくばい ねりきよめゆく きのしくみ
いづこにうまるや みかえるのいき」
“Shou-chiku-bai nerikiyomeyuku kinoshikumi
izukoni umaruya mikaeru no iki”
【意味・解説】
「松竹梅」…合氣道は松・竹・梅の三つの氣によってできている。これは△○□のことです。
△:生産霊(いくむすび)、○:足産霊(たるむすび)、□:玉留産霊(たまとめむすび)
のことです。また、松竹梅の剣のことです。「歳寒の三友」(さいかんのさんゆう:冬の
寒さに耐える三種の植物)といって、めでたいことに用いられる。
「生産霊(いくむすび)」…生きた魂。
「足産霊(たるむすび)」…満足を知る魂。
「玉留産霊(たまとめむすび)」…魂をとどめる。
「氣の仕組」…魂のまなび。呼吸法(宇宙の胎蔵…自己完成→至誠の人…和合)
「身変(みかえる)」…どんなかたちにも実を変えて。
「火水(いき)」…宇宙の氣、天の呼吸、地の呼吸、身のいき。
【通解】
心のいき、霊のいき、火は水を動かし、水は火によって動く。合氣道は三つの氣の三つの仕組みによってできていま
す。その各々の三つを練りに練り上げて、浄化し、絶えず自己を研ぎ磨いていかねばならない。その研磨されたいき
は、ひびきとなり光となってどこに生まれるや。(それは此処に生まれる。生まれさせたい。)
【鑑賞】(書作品として)
松竹梅の書き出しの「松」は生々盛々として盛んなること松のごとしの、松の氣です。「竹」は直に、素直にすくすくと
強さを秘している氣。「梅」は古木から香氣が強くただよっています。「錬」は剛直なねばりの氣、「清め行く」すがすがし
く広く澄んで、宇宙を行く氣、これらの氣、すなわち合氣の氣をどこかに生まれさせねばならない。それは此処だ、この
道場だ。これは私の道場を設立したときに、大きな期待と希望を込めて書いてくださって、いただいた道歌です。
御作品からあふれ出ずる氣は全宇宙に届き、深く地底に透徹する微細・至大・至小の氣です。肉跳り、氣舞い、足の
踏むところ知らず、じっとしておれない、生々化育、以心伝心そのものの氣を受ける御作です。
以上、文字の線の黒い部分、文字の大小、かすれ、暢達、白い部分を通して、翁先生の氣、ひびき、光に接してくだ
さい。
-------------------------------------------------------------------------------元の画面に戻る
-------------------------------------------------------------------------------Copyright (C) 2003 天之武産塾合氣道々場主 阿部醒石師範
2.22.
22. 10/
10/08/
08/07 07 立場の
立場の転換、
転換、随所に
随所に主となる(
となる(目の前に神産み
神産み)
10/08/07 合気神髄()より
p28・合気は宇宙組織をわが体内に造りあげていくのです。宇宙組織を自己の身の内に吸収し、世界中の心と結んで
いくのであります。すべては結びでやる。
10/08/26
別天(ことあま)つ神五柱(いつはしら)独神(ひとりがみ)は次の神々をいいます。天之御中主神、高皇産霊神、神皇
産霊神であり、サムハラは三神の総称である。
造化三神
天之御中主神(あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神
高御産巣日神(たかむすび)独神、・生成力の神格化 ・高木の神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(む
- 28 -
すひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、女神的要素を持つ神皇
産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる[
神産巣日神(かみむすび)独神、・生成力の神格化 ・造化三神の中でこの神だけが女神であるともされる。「産霊」は
生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「む
すび」を象徴する神でもあると考えられる。
*宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神
天之常立神(あめのとこたち)独神 ・天(高天原)そのものを神格化し、天の恒常性を表した神である
*宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神 ・万物の生命力を神格化した神である。一般的に活力を司る
神とされる。
生命の守護神であるサムハラ、すなわち造化三神は
宇宙の隅々までその気を働かせている。
であるならば、この身にもその気が流れていない訳はない。
現実、日々移り変わる万物、昨日と変わらない今日は無い。
ひとつ言うとすれば、生成だけではなく、消滅、破壊の神も一緒に存在するのでは、ということだ。
イザナミが離別の時に言った「あなたの国の住人を一日千人殺す」これに答えてイザナギは「一日千五百人生む」と
言ったとか。必ずしも日本神話と笑い飛ばせないものがある。
それはさておき、毎日は移り変わり戻ることは無い。前進あるのみであります。つまり次から次に新しいこと、いろいろ
な神が生まれてくるのです。
さて、元に戻りますが、この身にもその気が流れていない訳はない、つまり、この身にも外にも、毎日移り変わり、そこに
神の生成が行われている。
特に人間社会の欲にも染まって善の神、邪悪の神など・・・。
それなりの世界が築かれている。
自分の中に造化の三神が宿り働けば、自分の前に意思に沿った神々が現れ、世界は自分の世界となる。しかもこの
世界は、我欲の独りよがりの世界ではなく、宇宙の意思に沿って調和した世界である。
一霊四魂の働きをどう統合するかは、自分に与えられた自由なのであろうか!
********
*
一霊四魂の構造 [編集]
「一霊四魂」とは、人間の心は四つの魂から成り立ち、それらを一つの「霊」がコントロールしていると考える。それぞれ
の魂には、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さちみたま)、奇魂(くしみたま)という神様の名前がついてお
り、それらを統括するのが一つの霊で、直霊(なおひ)である。これが人間の一霊四魂という「心の構造」である。
荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコ
ントロールしている。簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、
物事を観察し分析し、悟る力である。
2.23.
23. ○10/
10/08/
08/07 07 本・合気神髄 合気神髄 要点()
要点()
・合氣道の神として天之村雲九鬼さむはら竜王
参考
アメリカ椿大神社では太陽の神・天照大神、命の糧を支える豊穣の神・宇賀之魂神 (うかのみたまのかみ)、北アメリカ
の守護神としてアメリカ国土国魂神(こくどくにたまのかみ)、それに合氣道の神として天之村雲九鬼さむはら竜王を併
せてお祀りしています。
*
本・・合気神髄・合気道開祖植芝盛平語録・八幡書店より抜粋
新発見などの文を要約抜粋
p8・海外の指導的立場にある人々が、合気道の精神性を高く評価し、その深い内容がもたらす人間性の新しい時代
に対する高鳴りを期待しながら迎えてくれた。(植芝吉祥丸)
p17・合気道は、年毎に、ことごとく技が変わっていくのが本義である。合気道は形はない。すべて魂の学びである。
p18・すべて形にとらわれてはいけない。微妙な動きが出来なくなる。
合気道は魂の気の洗濯が一番、次に己の心の立て直しが肝要である。
- 29 -
p23・自分の心の立て直しがができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万(やおよ
ろず)の神、こぞって協力するはずになっております。魂磨きが第一番でありますから、強い、弱いというようなことは、
やりません。
p26・顕幽神は、顕れた世界、仏の世界、神の世界です。
p27・合気道は手を見てはいけない。相手を見る必要はありません。姿を見る必要はありません。魂の比礼振り(ひれふ
り)でありますから。
p28・合気は宇宙組織をわが体内に造りあげていくのです。宇宙組織を自己の身の内に吸収し、世界中の心と結んで
いくのであります。すべては結びでやる。
p44・地上に宇宙の愛を現す方法として合気道と名づけた。
p45・六根が光を放ってくると、やることがみな魂の比礼振りということになってくる。・・己が物を生み出すようになる。外
(そと)のことは、みな己のこと。
*.ひれ【領巾/肩巾】
1 上代、害虫・毒蛇などを追い払う呪力を持つと信じられた細長い薄布。
p50・合気道は精神の律法以外の律法はいりません。
p50・天も地もなく・・・大虚空の中にはじめて生まれてくる神代までつき戻すのです。
p51・合気道は形のない世界で和合しなければだめです。形を出してからではおそいのです。
p53・鬼おろち吾に向かいておそひこば 後に立ちて愛にみちびけり
p54・武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛錬することである。
p56・宇宙の理を悟って神人合一、人は神と気を合し、世の初めに神習いて武を興す・・・
p57・合気というものは、森羅万象どんなものでも、極意に取り入れなくてはならない。教えを受けなくてはならぬ。
p58・引力と引力との交流によって世界が収められる。これをもとにして出来たのが合気道で・・。
p58・天地の経綸は武の大道である。
p59・天地の上に恥じざる武、いつの世代にも生き生きしたる武の道を実行しなければならぬ。
p60・天の和合の姿を地上に実践しなければならぬ。
p63・「エィ」「ヤッ」と合し、「トー」と離れ、「エィ、ヤッ」と結ぶ。そこに隙のないよう練磨を重ねる。・・・rf・掛け声が同時
に発せられるようにすること。
p71・大神の御心にかなう経綸の武を生むのが合気の使命であります。
p86・技は、すべて宇宙の法則に合していなければならない。宇宙の法則に合していない技は、身を滅ぼすのである。
このような技は宇宙に結ぶことはできない。ゆえに武産の武ではない。宇宙に結ばれる技は、人を横に結ぶ愛の恵の
武ともなる。宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。
p96・武は宇宙の仕組みから生じるのである。
p98・相手よりも、先にその不足を満足させるように、こちらから相手の不満の場所を見出して、術をかける。この不満を
見出すのが合気の道でもある。
p99・自ら巡るを天という。
p100・結果にならん前に、喧嘩にならん前にすべてをおさめてしまうことです。
p101・魂の錬成をして地球を人のみにするような、立った姿にならなければなりません。
p105・五体の念は、宇宙から切り離しては考えられないことなのである。宇宙と争う念を起こす場合は必ず身を滅ぼす
。
p106・宇宙の美営みの美しき御姿、御振舞いは、万有万神の条理を明示する律法で、すべて一元の元より発す。
ゆえに我々は宇宙の万有万神の真象を、よく眺め腹中に胎蔵して、それを土台として、自己を悟り、開眼し、行をおこ
ない、反省して、絶えず自己を鍛錬、向上することを
怠ってはならない。
- 30 -
p107・全大宇宙を師として精進して、武を行ずるものは、自己の体内から武を産み出すことができ、自己の道を開くこ
とが出来なくてはいけない。
p110・一霊四魂三元八力・・rf*三元:剛柔流気、顕幽神三界・・幽:物の魄の世界p147 *八力:動静凝解引弛合分(つまり全方角へだす力と引力)
p114・万有愛護の心をもって、世の中の生きとし生けるものに、喜びを与えるように接しなければならない。
p115・自分の心を直すことである。これが合気。
p121・己に魂があれば、人にも魂があり、これを気結び、生産び(いくむすび)して円の本義の合気を生み出させれば
、円はすべてを統合します。
p123・至誠の心は本を忘れず自己を知り、完成するのみちであり、和と統一への道であります。
p128・すべて目に見える世界ばかり追うと争いが絶えない。
p129・いままでは形と形のもののすれ合いが武道でありましたが、それを土台として、その上に自分の魂をのせる。
p130・私が教えるのではない、神に聞くのです。
p132・日本を創るのは自分自身、魂は自分自身で創るのであります。
p134・合気は宇宙の始まりから宇宙全体の条理で働いている。
p140・宇宙を己の道場とする。
p147・すべての神の御名というものは全部、我々に対する教訓であり、我々の日々実行すべきところの、教えである。
p148~149・霊の糸筋に障害があれば障害を取り除く。でなければ魄の働きになる。
p149・rf・宇宙の御稜威(ミイツ)を受け止めている引力の持ち主が人である。
p150・rf・魂:精神をつかさどる陽の気。魄:肉体をつかさどる陰の気、肉体に宿り活力を生む。気魄。
rf・親を大事にする、祖先を敬うことは皆知っている。しかし地球を、宇宙を敬い愛することは、皆忘れがちである。とも
に自分のルーツであります。
p152・「さむはら」とは宇宙の気を整えて世の歪みを正すことである。
rfカミムスビノ神の万物生成等三神の宇宙気の流れを取り戻す。
p158・合気道においては、絶対に相手に無理に逆らおうとせぬ。相手が己の無謀なる暴力のゆえに自らを抑制するこ
とができず、自ら空転してたおれるよう、気・心・体の妙用をもって導くだけの話である。
p159・動きの前に相手の気を押えては、合気になりません。相手の気は相手にまかす。
p168~169・業の発兆を起こすには、浮橋に立って言霊の雄叫びをせよ。
p170・いかなることに臨んでも、九分九厘相手の圧迫をうけて死地に入るも明らかなる道はあるべし。技は電撃電飛よ
りも早きを要する。相手より圧迫をうけざるように心がくべきものなり。
p171~172・人間の力は、その者を中心として円を描く、その円内のみが力のおよぶ範囲であり、領域である。円外は
無力となる。相手を相手の円外に導き出すこと。
すべての円を、キリリと描く。円に十字を書く。その十の上に左右の足で立つ。それで、三角法で進む。
p173・相手の不足を満足さすべく、相手の隙すなわち不満の場所をみいだして技をかける。
p174・相手の心を小楯に、・・入り身転換の法によって相手を圧迫する。この道理を、体に描き出して大勢の時は一人
と思い、一人のときは大勢と思い、・・
p176・宇宙のひびきの中の空に技を生み出していかなくてはいけない。
p177・一、心を宇宙万有の活動と調和させる
二、肉体その者を、宇宙万有の活動と調和させる
三、心と肉体を一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる
この三つを同時にかね行うことが必要である。
- 31 -
p178・人間は「心」と「肉体」と、それを結ぶ「気」の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければい
けないと悟った。
もしも「気の妙用」が正しく活用されなければ、心も、肉体も不健全になるばかりでなく、世界が乱れ、全宇宙が混乱す
るもとともなる。
以上
********
*
アメリカ椿大神社由緒
http://www.tsubakishrine.org/jp/history.html
アメリカ椿大神社は、伊勢国一の宮である椿大神社(つばきおおかみやしろ)を本宮とするアメリカ分社であります。椿
大神社の主祭神は猿田彦大神で、地祇(くにつかみ)、地球国土守護の神、祓い清めをして人々を正しい方向へ導く
正義の神です。
またその妻神、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を芸能・芸道の神、鎮魂の神、縁結びの神、夫婦家族和合の神とし
てお祀りしています。
加えてアメリカ椿大神社では太陽の神・天照大神、命の糧を支える豊穣の神・宇賀之魂神 (うかのみたまのかみ)、北
アメリカの守護神としてアメリカ国土国魂神(こくどくにたまのかみ)、それに合氣道の神として天之村雲九鬼さむはら竜
王を併せてお祀りしています。
アメリカ椿大神社は1986年、カリフォルニア州ストックトンで日本国三重県の椿大神社第96代宮司山本行隆師により建
立されました。アメリカ椿大神社は北アメリカに建立された初めての神道神社であります。以後代々日本の本宮から派
遣された神職が神社神道をアメリカに紹介することに努めてきました。
2.24.
24. △10/
10/08/
08/06 06 古事記(
古事記(こじき、
こじき、ふることふみ)(
ふることふみ)(神
)(神々)
正勝吾勝勝速日の由来・・rf後記の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
*
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98#.E4.B8.8A.E5.B7.BB.E3.81.AB.E5.87.BA.E3.81.A
6.E3.81.8F.E3.82.8B.E4.B8.BB.E3.81.AA.E7.A5.9E.E3.80.85
上巻(かみつまき) [編集]
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本
神話」である。
天地開闢とともにさまざまな神が生まれたとあり、その最後に、イザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から
葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで、山の神、海の神などアニミ
ズム的なさまざまな神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。
そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(
死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。
イザナギは黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を
洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗ったときに須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ
淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関しては
その誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉のオオミカミに反逆を疑われる。そこで、オオミカミ
とスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉
を働いてしまう。我慢の限度を越えたオオミカミは天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成
功する。
一方、スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけ
だったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコ
トの子孫である大国主神が登場する。大国主の稲羽の素兎(因幡の白兎)や求婚と受難の話が続き(大国主の神話)
、スクナヒコナとともに国作りを進めたことが記される。国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は葦原中津国の
統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。しかし、子の建御名方神は、始
めは承諾せず抵抗するが、後に受諾する。葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千
穂に降臨させる。次に、ニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話となり、浦島太郎の説話のルーツともいわれる海神の
宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、彼の孫の神武天皇が誕生することを
もって上巻は終わる。
- 32 -
上巻に出てくる主な神々
別天(ことあま)つ神五柱(いつはしら)独神(ひとりがみ)
・ サムハラ
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神であり、サムハラは三神の総称である。
・造化三神
天之御中主神(あめのみなかぬし)独神、天原の中心の神 ・天(高天原)の中央に座する主宰神という意味である。宇
宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされる。
高御産巣日神(たかむすび)独神、生成力の神格化
・高木の神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神
とともに「創造」を神格化した神であり、女神的要素を持つ神皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神で
あるとも考えられる
タカミムスビは、葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(タカギノカミ)という名で登場する。神社の祭神としては
高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)などとも書かれる。別名の通り、本来は高木の神格化されたものを指したと考えられ
ている。
神産巣日神(かみむすび)独神、生成力の神格化
・造化三神の中でこの神だけが女神であるともされる。「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「
創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられる。
*宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神 ・万物の生命力を神格化した神である。一般的に活力を司る
神とされる。
天之常立神(あめのとこたち)独神 ・天(高天原)そのものを神格化し、天の恒常性を表した神である。
・神世七代(かみよななよ)
国之常立神(くにのとこたち)独神、国土の根源神
豐雲野神(とよくもの)独神、
宇比地邇神(うひぢに)と妹須比智邇神(すひぢに)
角杙神(つのぐひ)と妹活杙神(いくぐひ)
意富斗能地神(おほとのぢ)と妹大斗乃辨神(おほとのべ)
於母蛇流神(おもだる)と妹阿夜詞志古泥神(あやかしこね)
伊邪那岐神と伊邪那美神男女の神、夫婦
・三貴子(みはしらのうずのみこ)
天照大御神イザナギが左の目を洗ったとき生まれた。 太陽
月読命(つくよみのみこと)イザナギが右の目を洗ったとき生まれた。月
須佐之男命イザナギが鼻を洗ったとき生まれた。海原:地球
*天之忍穂耳命 注1:アメノオシホミミ(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)は、日本神話に登場する神。『古事
記』では正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
『古事記』では、アマテラスとスサノオとの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長
男(『日本書紀』の一書では次男)で、物実の持ち主であるアマテラスの子としている。高木神の娘であるヨロヅハタトヨ
アキツシヒメとの間にアメノホアカリとニニギをもうけた。
大国主神
武甕槌神(タケミカズチノカミ)と經津主神(フツヌシノカミ)・・天照大神と高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)は、大国主命に
服属をうながす使者を再三送ったが失敗したので、二柱を出雲に派遣し た。
邇邇芸命
火遠理命
(参考:2010/09/08 合気道は、やはり神産みである(天の浮き橋から人生創造・古事記からいくつかの神々))
*宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢ)独神
- 33 -
造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹く
ように萌え伸びるものによって成った神としている。すなわち4番目の神である。『日本書紀』本文には書かれていない
。第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書では2番目に現れた神としている。独神であり、すぐに身を隠したと
あるだけで事績は書かれておらず、これ以降日本神話には登場しない。
神名の「ウマシ」は「うまし国」などというのと同じで良いものを意味する美称である。「アシ」は葦、「カビ」は黴と同源で
、醗酵するもの、芽吹くものを意味する。ここでは「アシカビ」で「葦の芽」のことになる。すなわち、葦の芽に象徴される
万物の生命力を神格化した神である。一般的に活力を司る神とされる
注1*正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%9B%E3%83%9F%E3%8
3%9F
アメノオシホミミ(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)は、日本神話に登場する神。『古事記』では正勝吾勝勝速
日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、『日本書紀』では天忍穂耳命、『先代旧事本紀』では正哉吾勝々速
日天押穂耳尊と表記する。
『古事記』では、アマテラスとスサノオとの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男
(『日本書紀』の一書では次男)で、物実の持ち主であるアマテラスの子としている。高木神の娘であるヨロヅハタトヨア
キツシヒメとの間にアメノホアカリとニニギをもうけた。
葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されるが、下界は物騒だとして途中で引き返して
しまう。タケミカヅチらによって大国主から国譲りがされ、再びオシホミミに降臨の命が下るが、オシホミミはその間に生
まれた息子のニニギに行かせるようにと進言し、ニニギが天下ることとなった(天孫降臨)。
名前の「マサカツアカツ(正勝吾勝)」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「カチハヤヒ(勝速日)」は「勝つこと日の昇
るが如く速い」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられる。「オシホ(忍穂)」は多くの稲穂の意で、稲穂の神であることを
示す。
なお、合気道開祖植芝盛平は正勝を「敵に屈せず、正しいことを行なって勝つ」、吾勝を「たゆまず修行し、己に勝つ」
、勝速日を「相手と対峙した時にすでに勝っている」と解釈し、合気道の理念を表す用語とした。
稲穂の神、農業神として信仰されており、
2.25.
25. ○10/
10/08/
08/06 06 自分の
自分の中に神産み
神産み()
精神と肉体・・天と地を産んだ宇宙意思(愛)を、古事記を参考にして、この身体内にも起こす!?
天も地もなく・・・大虚空の中にはじめて生まれてくる神代までつき戻すのです。(合気神髄p50)
*
古事記のものがたり
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/01.htm
第一話 創世の神々と高天原
天と地が分かれだし、たくさんの小さな光の粒がこの世界に現れたのです。
あめのみなかぬし(天之御中主)の神でした。
天からくるくる回転しながら、たかみむすひ(高皇産巣日)の神が現れました。
つぎに、地から同じように回りながら現れたのは、かむみむすひ(神皇産巣日)の神でした。
この二柱の神々もやはり姿、形が見 えないのでした。
宇宙の始まりでございます。
第二話 よいしょ・こらしょ
うましあしかびひこぢ(宇摩志阿斯訶備比古遅)の神と申しまして、すべての命の素となる神様でございます。
つぎに、あめのとこたち(天之常立)の神がお生まれになられ、
「よいしょ」
と担ぐように、はるか高くまで天を押し広げ支え挙げました。この二柱の神様たちもやはり姿は見えません。
大宇宙は、今でもこの目に見えない神様たちによって支配統一されているのです。見えるものよりも、見えないものが
この世界を動かしているのでございます
- 34 -
つぎに、くにとこたち(国之常立)の神がお生まれになり、地が永遠に揺らがないように、
「こらしょ」
とどっしり座り込み、大地を守りました。
とよくもの(豊雲野)神がお生まれになり、真っ白なふわふわしたいくつもの星雲に姿を変えました。この二柱の神様た
ちもやはり独り神で性別はなく、姿は見えないのでした。
ういぢに(宇比地邇)、妻のすいちに(須比智邇)のご夫婦が現れて、泥や砂をお産みになりました。その泥や砂を丸
めて宇宙に漂っている星雲に投げ、星々の種を造りました。
つのぐひ(角杙)、妻のいくぐひ(活杙)のご夫婦が現れて、その泥や砂が他の星雲に飛び出さないように杙を産んで
柵を造っ ていきました。
つぎに、おほとのぢ(意富斗野地)、妻のおほとのべ(大斗乃弁)のご夫婦が現れて、星雲と星雲の境界を管理するた
めに、門や戸を産んで出入り口を守られました。
つぎに、おもだる(於母陀流)、妻のあやかしこね(阿夜訶古 泥)のご夫婦が現れて、あらゆるものの陰陽(男根と女陰
)をつかさどり、生産と豊饒の管理をしました。
そしていよいよつぎに登場するのが、日本人のご先祖となられ る、いざなぎ(伊耶那岐)、いざなみ(伊耶那美)のご夫
婦の神様なのです。
なんだか神様の名前が多くてややこしいことですが、国之常立の神から伊耶那美の神までは『神世七代』と言って『高
天原』の誕生にとても重要なお役目を果たされた十七柱の神々でございます。
第三話 いざなぎ・いざなみ
二人は天の沼矛を手に持ち、高天原と下界をつなぐ『天の浮橋』の上から、
二人はさっそく出来たばかりの『おのころ嶋』に降りていき、まず最初に『天の御柱』を立てました。天の御柱とは、神霊
が昇り 降りするために立てるとても太くて高い柱で、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をしています。そしてそれは、地球
のどこからでも見ることができます。
いざなぎは、自分自身の下半身に何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下 がっているのが気になり、
「おまえの体はどんな風になっているのか?」
お前のくぼんだところに、わたしのとびでたところを差し入れて、国を産もうと思う が、いかに?」
と申されました。
「では、新しい魂を宇宙からいただくために、天の御柱の周りを 廻ろう」
そして、いざなぎは左から、いざなみは右から回り、二人が出 会ったところで先にいざなみが、
言霊といって言葉には不思議な霊力が宿っております。いい言葉を言えば幸せになり、悪い言葉を言えば不幸になっ
ていくのです。そこで二人は、国を産むにあたってお互いをほめたたえる言葉をかけあったのでございます。このとき、
いざなぎは、
「女の方から先に声をかけたのは良くないのでは?」
いい言霊を使ったのにどうしてこのようなことになったのでございましょうか、お二人は神々にご相談するために、ひとま
ず高天原に帰ることとなりました。
第四話 涙から生まれた神さま
「私たちの産んだ子供たちはよくありません。いったいどうすればうまく国を産むことができるのでしょう?」
その結果「女から先に声をかけたのが良くない」という答えが出たので「改めてやり直すように」と伝えられました。
霧の神。山頂の神。谷の神。暗闇の神。迷いの神、ウロウロ。天の鳥船の神、スイスイ、フワフワ、空も飛べるよ。食べ物
- 35 -
の神おほげつ姫、パクパク。
とまあこんなぐあいにたくさん産み、その子どもたちもつぎつぎと子を産んで、野山には花が咲き、雨が降り、虫が鳴き
、雪が降り、四季もめぐりめぐって日本はたいそうにぎやかになってまいりました。
山や海、石や木や草花、そのひとつひとつに神様が宿っていったのです。
このように、いざなぎ(男)が先に声をかけ、いざなみ(女)をいざなう(誘う)ということわり(天の理)が、高天原の神々の
占いで決まりましたので、
火の神『かぐ土』を産んだ、いざなみに大変なことが起こりました。
火の神である『かぐ土』の強い炎に焼かれて、みほと(女陰)に大やけどを負い寝込んでしまったのです。そして、嘔吐
し、大小便をたれ流しました。すると、そのゲロ、便、尿からも神様が産まれました。
いざなぎは嘆き悲しみ、まだほんのりと暖かい妻の枕元に這いまわり、足下に取りすがって泣き続けました。冷たく冷た
くなるまでそうしていました。
するとその涙から『泣沢女』という、もの静かで美しい神様がお生まれになったのです。
目の前には火の神かぐ土が、母の死も知らずに、より一層炎を燃え立たせて元気に飛び回っています。
いざなぎはすっくと立ち上がるやいなや、腰に付けていた、『あめのをははり』という名の十拳釼(一拳は握りこぶしひと
つ)に手 をかけ、一瞬のうちに息子の首を切ってしまわれました。
さあ、大変なことになってしまいました。
第五話 黄泉の国(死者の国)
*******
2.26.
26. △10/
10/08/
08/01 01 無力感(
無力感(調和の
調和の前に葛藤苦行の
葛藤苦行の流れ)
何とかできなかったものか?と考えるうちに、時には割り切れない無力感に襲われることもあるものです。
具体的にはハサンたちが審査を受けられるようにすることの件である。
残念である。望む方向に進めないことが残念なのである。
堀越先生、バーラム側
・ハサンとカルザイ?、アリたちがバーラムの合気道活動の邪魔をする。・・アリが道場賃貸主に手紙
ハサン側
・バーラムからのいたずら(悪意)電話・・女を使って奥さんに嘘の不倫告げ口
・ハサンの段取得を阻んでいる?ようだ。
私とハサン(トニーさんによると)
・telで吉田先生が何とかしてやる、と言っていた。
(審査は出来ない、ということで終始一貫。トニーさんも承知のこと)
結局誰が本当のことを言ってるのかわからなくなり、ハサンの言動にも疑いをもたらざるを得なくなった。
人間には自己弁護のために、そのような傾向があるということを、多少は承知しているつもりである。
しかし結局今のところ、ハサンたちが審査を受けられるようにすることが出来ない情勢となった。自分の立場能力に落
胆し、また堀越先生他各当事者の、このような事態に至ったという事実、ひいては合気会のシステム(堀越先生と合気
会の関係)、段位制に、ますます解明の必要を感じる。
が、今までの入力情報により推測すれば、合気会は各団体との窓口の簡素化により、イランを堀越先生にまかせる
気配であり、段位制による
上意下達トップダウンを感じさせる。
それはつまり、自由な民主主義とは遠い独裁的全体主義に繋がるものではないだろうか?
ハサンたちが審査を受けられる、という救いがどこにあるのか?
私は今6段であるが、その意味は、価値はどこにあるのか?今のところどこにもない。
次のことを本部に質問するにしても、堀越先生の手前、気を使う。堀越先生の頭越しだから遠慮気味でためらいを覚
える。面倒は嫌いなんだが。
・合気会の審査要請(師範とのつながりが絶たれた団体からの)に答える派遣制度について?
・6段はどういうことができるのか?(合気会への貢献にもなるのだろう)
- 36 -
納得できなければ、退会か!
皆が納得できる結果を得られず残念!皆が納得するということは必ずしも平等にということではなかったが、そこにハ
サン、バーラム間に欺瞞脅迫の類が横行し、議論がなければ納得以前の問題であろう!
それにしても、ハサンにとっては、審査を受けられるようにすることが、何より自分を救うことになるのではないのか?
それともそれ以上の仕打ちを受けた、ということか?
あるいは、審査を受けられることも含めそれ以上の欲が、あるというのか!それは、この窮状から見て考えられないのだ
が・・・。
それにしても、ハサンのこれまでの言動は、より一層ハサンの独り相撲ではないか?ということを感じさせるのだ。
当分の間、ハサンが苦行の末に悟ることを期待して、自然の流れにまかせ、落ち着くところに落ち着くということを信
じてみるか!
それにしても合気道の調和(愛)精神とは?調和の前に葛藤苦行の流れから断末魔の苦しみを克服して得られる悟
り(統合)の境地かもしれない。
発展(変化)と停滞の戦い、押し問答、、揺らぎ・・・それらの統合!
2.27.
27. 10/
10/07/
07/31 31 不調和は
不調和は必要である
必要である(
である(宇宙の
宇宙の不思議な
不思議な力は不調和分子を
不調和分子を産み出し修正してい
修正してい
く・秩序)
秩序)
不調和の状態が解らなければ、調和もわからない。
国語辞書の検索結果 - 大辞泉によると、
ちょう‐わ【調和】
[名](スル)全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。「―を保つ」「周
囲と―のとれた建造物」「精神と肉体が―する」・・とある。
つりあっている・・とは? 矛盾や衝突などがなく、まとまっている・・とは?
そのつりあい・・とは?・・・まとまり具合か?矛盾や衝突などか?
全体が・・であるから、全体の何が、ということではないだろう。仮にその全体を、総合的まとまり具合とでも言っておこう
。
量的な面・・形式 時間 速さ 長さ 面積 空間 動き運動量 濃淡 単調 比重 バランス 力量程度 質的な面・・内容 思想考え方方向性 技術 美的 創造性 色彩 複雑性 バランス 安定 落着き度 動き方 丁寧
さ 量的質的の統合・・ 合気道で
つりあっている・・とは?(取りと受けの間で)
量的な面・・ 時間 速さ 動き運動量 濃淡 バランス 力量程度 質的な面・・内容 思想考え方方向性 技術 美的 空間 創造性 複雑性 バランス 安定安心感 落着き度 動き
方 丁寧さ正確度 喜び 心身 量的質的の統合・・相手との関係が合気道で現される。
矛盾や衝突などがなく、まとまっている・・とは?
量的な面・・形式 時間速さ 動き運動量 バランスなどに無理がない 質的な面・・無理のない自然性 力の方向性 技術 美的 創造性 色彩 複雑性 バランス 安定 落着き度 動き方 丁寧さ正確度 量的質的の統合・・自然な流れ(一時的に流れずとどこおる滞留含む) 結び 愛 成長性 創造性(非消滅)
そのつりあい・・とは?・・・まとまり具合か?矛盾や衝突などとのつりあいか?
・・・どちらにしろ、自分自身でさえ自己内矛盾葛藤を抱えているのだから、増して相手と全く同一ということは無い。
矛盾や衝突などを含めて、
それぞれの個性を引き出し、お互いの良さが発揮され、良好創造的な相手との関係が合気道で現されれば良いので
はないか。お互いの呼吸が合い、受けと取り、どちらか一方に比重がかかりすぎず、見ている人たちに、いい合気道だ
と感じてもらえればなお良い。
量的な面・・ 速さ 空間 動き運動量 力量程度 質的な面・・ 思想考え方方向性 技術 美的 創造性 複雑性 バランス 安定 落着き度 動き方 丁寧さ正確度 量的質的の統合・・
- 37 -
合気道は民主主義
7/31産経新聞より・・・
自由な民主主義とは、紛争や不満と共存する社会であって、紛争のない、階級廃絶のユートピア社会をめざす運動に
は、暴力が登場し、その社会は独裁的全体主義となる。 以上・・とあった。
ファシズム、共産主義、社会主義を思い出させられる。
自由な民主主義に共存する紛争や不満とは不調和分子である。これらの不調和分子がこの社会を悪くもすれば、逆
にその欠陥を補ってより良くすることにもなる。
現実はどうであろう?私には多くの人が他人に殺害されること無く一生を送れる、この社会はより良い(調和へ)方向へ
動いていると感じられる。
不調和分子はより良い方向へ修正する原動力である。
天地には、そのような不調和分子の現出を許し、また調和へ修正する妙な力が働いていると思えるのだ。最初から完
全なる調和などはあり得ない。不調和分子の存在が許されないのならば、そこには独裁者か、強制が支配し自由がな
くなる。
合気道は、そのような不調和分子を産み出し修正していくという宇宙の不思議な力(心・意思)を腹中に胎蔵し、我(
ガ)、人間の力(心)を振り替え修正し、我々を誕生させた宇宙に帰一しようとするものである。
三ぜん世界一度に開く梅の花・・・この細分化され価値観などの相違から争いの絶えない現世に、神が表に表れて
顕幽神界を和と統一に結ぶ、その使命を担って誕生した合気道であります。
以下は参考です。 三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(ウシトラ)の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ
。・・・神が表に表れて顕幽神界を建替え立直しを致すぞよ。全大宇宙に一度に開く天地の岩戸開き・・二度目の天の
岩戸開き・・天地の逆さま状態の人間界を悟らせる。 体主霊従、物質万能、強いもの勝ちの争いの世の立替、立て直
し、三千世界の大洗濯、大掃除・・霊主体従主義に変える・・(参考:大本神諭天の巻・出口ナオ、村上重良校注、平
凡社)
合気道の道歌。
三千世界一度に開く梅の花 二度の岩戸は開かれにけり
常在戦場と言う言葉もある。さて、どうまとめるか・・・!
愛と争いの戦いか・・・別の言い方をすれば、統合。
2010/08/28
宇宙は、ガスとチリのぶつかり合いの中で、淘汰を繰り返し現在の秩序を創った。調和は秩序である。
合気道もぶつかり合いを経て、自身の価値観を統一し、相手との関係にある一定の秩序を持てば、調和に近づく。
2010/08/30
この世に存在するものは、時間と共に崩壊に向かう。生きるものは、時間を経ても秩序を保ち続ける。(「我々は何故死
ぬのか」死の生命科学 柳澤桂子 草思社)
2010/08/31
2010/08/29読売新聞の尼僧とキューピッドの弓の書評(蜂飼 耳:詩人)の中から。
噛み合うことばかりが対話ではないのだ。ずれながら、崩されながら生まれる対話の面白さが、目に吸いついてくる。
たえず揺れ、かたちを変えていく関係と距離・・・
*
ウィキペディア
3つの千世界 [編集]
上述した1つの世界が1000個集まって小千世界となり、小千世界が1000個集った空間を中千世界と呼び、中千世界
がさらに1000個集ったものを大千世界という。大千世界は、大・中・小の3つの千世界から成るので「三千大千世界」と
も呼ばれる。 このように、「三千大千世界」とは「大千世界」と等しい概念で、1000の3乗個、すなわち10億個の世界が
集まった空間のことを指している。
2.28.
28. 10/
10/07/
07/24 24 渋谷さんの
渋谷さんの死
さんの死について(
について(死は、語ることが出来
ることが出来なくなる
出来なくなる)
なくなる)
7/23(金)am4:30 渋谷さん他界
渋谷さんの死(肺がん)という現実を受けて!
死は・・沈黙、静である
*****
7/27
- 38 -
もてなしの合気道:接待とは違う。主従の関係ではなく、同等の立場で席を同じくする。日本のもてなしの心をもって海
外進出する企業が増えているとか。
合気道物語:言葉は粗い。必ずしも自分の気持等を、ピッタリ表現できるとは限らない。一つの言葉を使ったとたん、反
意語他、他の言葉は表に出ない。
どこか自分の中に鬱積する。建前の言葉を使えば本音、本音の言葉を使えば、建前が置き去りにされて自分に残る
。人を見てそのバランスをとるが、そのうち対応できなくなる。
一つの言葉だけではなく、言葉を紡いだ話もそうだ。ひとつの自分の考えを言うと、他の考えは表に出る機会を失っ
てしまう。
言いたい事が言い足りない、語っても語っても、語り足りない。
合気道もそうだ。だから気付きとは別に、いい足りない分を、どこかで言っておかなければ気が済まない、気持が解決
されない。合気道は語りでもある。
渋谷さんは、もう語ることが出来なくなってしまった。
生きることは自分のひとつの物語を表に見せているようなものだが、その裏の数え切れない物語を語ることでもあった。
一献傾けながら・・・。
7/28
死に対する恐怖心・・現世において希望に満ちた、又は目的をもった人生を送ることが出来る人は、死は恐怖であり、
無念なことであろう。しかし、現世を絶望と諦念のうちに生きざるを得ない人にとっては、死は希望でありやすらぎとなる
。
人間は『天国』『地獄』『来世』などの異次元を想像できる。自分の存在(人生)を意味付けし人生を一定の原理と法則
に従って整理し系統だて、結びつなげたいのだろう。これは天地の理でもあると思います。
自分の死期を知った時に、自然の摂理を満足感のうちに受け入れられることは、スポーツと同じように、全力を出し切
ったときに得られる充足感に満たされるときと同じかもしれません。死は恐怖でも希望でもなく自分を誕生存在せしめ
た神に感謝・・か!
合気道の場合は気心体の人間的エネルギーを出しきった後の、無であります。宇宙気の流れへの一体感、肉体世界
から力関係が逆転して精神世界に没入できたときの、あの異次元の感覚でありましょう。まるで宇宙を相手にもてなし
合ってるかの様な一体感・・・自由。
渋谷さんのご冥福を祈ります。合掌!
宇宙が好きな渋谷さんは喜んでいるかもしれない。
*******
2.29.
29. 10/
10/07/
07/21 21 気勢をもって
気勢をもって攻撃
をもって攻撃を
攻撃を引き出す(形にまだ出
にまだ出てない世界
てない世界で
世界で和合する
和合する)
する)
人生に意気、気概をもって積極的に未来に立ち向かえば、対立は次々に現れることは当然です。問題はその対立
にどう対処していくか、ということです。
合気道も気勢をもって相手の前に立てば、相手の攻撃を引き出すことになります。そういう意味では一見合気道は受
身に見えますが、そうではないわけです。しかしまた、先手攻撃とは違うと思います。目的は隻手音声(セキシュオンジ
ョウ)、片手の音を聞け!・・でしょうか?!それも音の種類を聞き分ける。
現世は空(クウ)であり、すべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実体や自我などはない、と
言われています。
自分の存在が、今の世界を現しているならば、その存在根拠は何によるのか?ただの欲望我か、それとも・・・。天の
意思が自己内に脈打っていることを知れば、また天の意思を少しでも理解しようとすれば、眼前に現れる世界は違っ
てくる。
合気道において自己はどういう気勢、意気をもって前に進んで行けば良いのか?・・・それはやはり愛をもって、とい
うことになるだろうか!
あい【愛】が例え、貪愛と言われる自我の欲望に根ざしたものであっても、また親子兄弟異性、広く他人他のものに抱
く、大切に思い深く暖かいこころであっても、自分たちを捨てるという感情ではない。
また、現世が何らかの力で消滅されず継続現出している限り、その愛の力が働いているのでしょう。
母胎内にあってまだ出生しない胎児が、人間としての形が明らかになるまでに、古代魚類の顔、両生類の面影を経
て人間の顔になるらしい。つまり生命誕生以来の38億年の命の流れがこの身に流れている。この源、及び命の継続こ
そ愛そのものと言ってもいい。
この世界、この自我を絶やさないためにも、愛を前面に出さなければなりません。全て大本は一つであったことを思
い出し、38億年のイヤ宇宙誕生137億年の流れを、我心とし・・です。
- 39 -
最後に、
合気道の和合は、ことの起こり、根源においてなされ、形にまだ出てない世界で和合することが肝要です。
形に出てからではおそい、合気道開祖植芝盛平翁も語っています。
(「合気神髄」合気道開祖植芝盛平語録-植芝吉祥丸監修八幡書店より)
***********
眼前の世界はそれに応じて現れてくる、ということを信じて!
全ては自分にあります。
隻手音声(セキシュオンジョウ)、
片手でも両手の打ち合う音がどのような音になって、現出してくるか聞こえます。
2.30.
30. 10/
10/07/
07/15 15 対立が
対立が許されるとき(
されるとき(対立の
対立の二人は
二人は対立していない
対立していない)
していない)
対立とは一般的に、二つのものが反対の立場に立って互いに譲らないで張り合うことであります。この場合、反対の
立場に立って、とは何を基準にしているか、ということが気になります。というのは、人間誰でも見方を変えると、必ずし
も100%対立しているとは限らないからです。
例えば喧嘩中の二人は同じ日本人で、サッカーのワールドカップでは、普通ならば、日本を応援するでしょう。
団体競技で相手方と競うために、仲間内の争いは中段されることでしょう。
つまり、人と人が対立してる場合、何と何が対立してるのか?ということです。観点を変えれば、対立の二人は対立し
てない、ということも言える訳です。もっともその対立点が大きな比重を占めて全面戦争ということも考えられますが、そ
こに行くまでに何とかしたいものです。
*対立の二人は対立してない
私が合気道でもっとも心がけていることは、対立の二人は対立してない・・点を探すことです。
「対立の現実を生みだすもの」で「対立の現実を知るもの」は心である。対立の現実を知った以上、道を探さねばなら
ない。
対立を強引に征服するか、別のグループと組んで勢力拡大、逃げるか、それとも和解するか、対立を対立と思わな
い心の転換をするか、観点を変えるか、それとも別の道があるのか・・・です。中でも今の私に興味深いことは、対立の
現実そのものが対立の現実でなくなる、という見かたを身につけ、方法を探ることです。
大乗起信論(http://www.komyoji.net/node/125)に
「一切の存在は心である。」とある。
動機は呼び声を聞いた者に起こる。呼び声を聞くものは「迷いの現実を生みだすもの」で「迷いの現実を知るもの」で
ある。迷いを知って初めて、現世のこの身にふりかかる。この「身」は心である、と解釈した。求道の始まりであります。
*例・対立の二人は対立してない・・・?この状態を作るにはどうすればよいか?
合気道関係でいえば、外国の話であるが、グループ間において、審査を受けさせない・・・相手を支配する、縄張り
増
集団を独占して、自分の権威と権力を高め、自分の支配欲を安定したものにしていくというたくらみともいうべき行為が
あるらしい。こんな魂胆をもって邪魔してくる相手でも対立してない個所はあるだろうか。
例えば、
1・対立の二人は対立してない、という見方そのもの
1-1・対立観念なし、気にしない(現状維持・脳を変える)
1-2・時期を待つ(エネルギーの枯渇を待つ)
1-3・利点を探す
1-4・立場(役割)を変えてみる。従から主へ、脳を積極的に変える。
2・同じ方向を見る
2-1同方向・・・相手の意に沿う(同じ師範から審査を受けない)
- 40 -
2-2・気を他に向けさせる(例、ハサン)
別種の他グループとの対立に対する団結、(別種グループとの相違を出す)
気を仮想敵に向けさせる(同じ方向を向く)。
縄張り争いから脱却して、共通である高次の価値(技術、理念)を作って共に探求する
2-3・お互いの利益を模索する。
3・自分の視野に入れない
3-1・価値観相違
価値観(スタイル)が違って対立しない。
自分の意に沿うが相手とぶつからない(他の師範から審査を受ける)
3-2・相手の手段と異にする。勢力拡大、権威権力(存在価値)を得るために。
独自戦略を取る。
4・相手の視野に入らない
4-1・煙に巻く、めくらまし
的を絞らせない
4-2・先手
相手の攻撃の先手を取る(自分の方針を先手実行)
5・第三者に委任または、組織を作る(公平、オープン)。
対立(相違)は、世界が二つ以上見えることで、全く見えないことは、世界が無い、闇。
対立は世界を広げる機会を与える、闇に光を当てる機会を与えてくれる。
「対立を生みだすもの」と「対立を知るもの」は、「心・自己」・・そこから智慧への求道が始まり世界が広がる。
取りと受けの間で、一方だけが宇宙に帰一しようとする合気道では、対立の二人は対立していない。しかし双方は違っ
た方向を見ていてつながりはない。
双方が合気道の精神を知っていて、宇宙に帰一しようとする合気道を行えば、宇宙の心で繋がる。対立の二人は対
立していない。
火と水はお互いに相容れないものだが、水は三態(個体液体気体)の一つで、火は化学変化の状態となるものである
。
また、「物質は、火、水、土、空気の四元素からなる」という説。「それらを結合させる『愛』と分離させる『争い』がある。
それにより、集合離散をくりかえす。この4つの元素は新しく生まれることもなく、消滅することもない。」という考え方のこ
と。(ウィキペディア)
現代風の解釈 [編集]
四大元素は、現代の自然科学用語の「元素」とは対応しない。強いて対応するもの・ことを探すと、「空気」は気体、「水
」は液体、「土」は固体と対応づけることも可能ではある。(これらは現代の用語では「物質の三態」に相当する。) 「火
」は、何らかの化学変化を起こしている状態と言える。[2](因みに現代では、高温の青白い炎や放電は、物質が「プラ
ズマ状態」になっているものだ、と解説される[3]。)(ウィキペディア)
************
現実は、対立関係であるのではなく、連続的?
対立は引き算ができる
足し算は和
倫理、道徳、法律、契約、規律等の必要性
『大乗起信論』は、仏教におけるふたつの思想、「如来蔵思想」と「唯識思想」の統合と言われています
如来蔵思想とは、人間は誰でも、生まれながらにしてその内に仏(仏性)を宿している、という考えです。また、唯識思
想とは、この世のあらゆる存在は虚妄(こもう)である、すなわち、実体は何ひとつとして存在していない、という考えで
す。
人間は誰しも仏性を宿して生まれてきますが、その輝きは、修行をしなければ現れない、ということです。
********
- 41 -
*
無明
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E
無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう
。法性(ほっしょう)に対する言葉である。
仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべての苦は、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無
明を破ることにより消滅すると説く。我というものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と
見るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く。この苦しみを消滅
する方法は、初期経典には定型文句として四諦、八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無
明である。
たとえば、闇(やみ)について、多くの人は「闇は存在する」と漠然と考えている。しかし、闇に光が当たると、闇はたちま
ち消えうせる。闇がどこか別のところに移動したわけではない。つまり、闇は始めから存在しなかったということである。
闇は「光の欠如」ということであって、闇と呼ばれる「なにか」が存在するわけではない。 精神的な「苦しみ」についても
、同じようにとらえることができる。智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す。苦しみが、何か実体を伴って存在し
ているわけではない。 実際には無いものを有ると考えるのは無明である。
* *****
厭世観の克服 『大乗起信論』 中国仏教の転換
http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_21.htm
身は是れ菩提樹、心は明鏡の台(うてな)の如し。時々勤めて払拭し、塵埃有らしむるなかれ。
「身は菩提樹のように清く、心は明鏡のように清い、ときどきその身と心を、ふきはらって、ちりやごみのないようにしなさ
い」という。ここにおいても、『大乗起信論』で語られるような法性がかたられる。清浄なる法身が、人間の本性である。
その法身をピカピカにみがき、ごみがつかないようにせよというわけである。
確かにその通りである。しかし、あまりにそのとおりでありすぎる。それは道徳性の立場である。道徳性は、確かに、推
奨すべきことであるが、道徳性が、また限界となるのである。ここには自由ということが無いのである。禅で説くのは、道
徳性の教えではない。むしろ、道徳を越えた自由な心をもつことを禅は教えるのである。五祖が、この偈を、「この偈に
よりて、修行せば、即ち堕落せず、この見解をなして、若し、無上菩提をもとめば、即ち未だ得るべからず」と言ったの
は、道徳性の限界を指摘したからである。そしてこの偈の限界は、同時に神秀自身の限界でもある。
ところで慧能の偈のほうは、メチャクチャである。ただ神秀の偈を否定しただけのような偈である。
菩提本と樹無し、明鏡亦台に非ず、 仏性常に清浄、何処にか塵埃を惹かん
「菩提といっても木ではありません、明鏡もまた台ではありません。われらの心身、すべて仏性で、常に清浄です。ど
こにちりやごみがつくというのでしょうか」 慧能は、神秀が、心身を菩提樹とか、明鏡台とかという形あるものに比して
いることを否定しているのである。神秀はまだ形にとらわれている。仏性は形なく、世界に偏在していて、そして常に清
浄である。どこにいったい塵埃があるというのかというわけである。ここにおいて、大いなる自由が告げられる。すべての
限界を、こっぱみじんに否定した自由、いわゆる無の自由が、ここに示されるのである。ここには、もはや道徳性のこだ
わりはない。絶対自由の心境、それが慧能の心境なのである。
私は、ここにおいて、宗教的自由というものと道徳との区別を知るのである。道徳は相対の世界であり、宗教は絶対
の世界である。道徳的人間は、かえって相対的道徳にとらわれて、絶対の自由に生きられないのである。神の声を聞
けるのは、富んだ人、賢い人ではなくて、貧しい人、愚かな人であるという言葉があるが、ここで、同じようなことが起こ
っている。神秀は、風貌秀麗、知識該博、道徳堅固なために、かえって相対にとらわれて、自由な悟りが得られない。
むしろ、あらゆる価値から離れているかに見える慧能のほうが、絶対の自由の境地を得ているのである。
おそらく五祖弘忍(ぐにん)は知っていたはずである。けれど、その性格は容易に人々にはわからない。ひとびとは、世
俗性の価値か、知的価値か、道徳的価値によって、人を判断する。こうした価値の見地から見れば、明らかに神秀が
後継者のはずである。慧能を後継者とするのは、宗教的判断の見地からのみ可能であろうが、そのような判断は、多く
の人には理解しがたい。弘忍は、深夜慧能に後継者の印である法と衣を伝えて逃がしている。
慧能の思想
「わが法門は、無念を立てて宗となし、無相を体となし、無住を本となす」
無念(無心)とは何か。われわれの心は、過去から現在、現在から未来へ、絶えず続いている。今の私は、過去のよく
ない思い出に悩まされ、現在のさまざまな感覚にとらわれ、未来の不安に悩まされる。こうして、わが心は永久にとらわ
れの世界にある。このとらわれの世界を離れるために、念を離れよというのである。過去の思い出、現在の知覚、未来
の期待や不安をすてよ。すべての心を捨てて無心になるとき、われわれは、はじめてとらわれから自由になるというの
である。
無住とは何か。わが心は、あの地位の中に、あの名誉の中に、あの女の中に好んで住もうとしている。そのとき、わが心
は地位に、名誉に、女にしばられる。そのような一切の存在するものの中に、心よ、住むなかれというのである。
そして無相とは何か。すべてのものは、相をもっている。酒はうまいし、娘はきれいで、ババアは醜く、恋敵はにくいの
である。けれどそのような、うまさや、きれいさや、醜さや、にくさにとらわれるとき、わが心は、煩悩によって染められる。
そのような相のとらわれからはなれる時、わが心は、けがれれの無い清い心になるというのである。
- 42 -
「融通無碍の自由」。あらゆるものにとらわれない自由な心のあり方、それが慧能の思想の中心である。
このように、人間の自由を主張するとき、なによりここで、対照的な仏が否定される。仏というもの、それは、この自己で
あり、自己の中にある法身仏をのぞいて、何があるか。おまえの中に清浄の法身仏があるはずだ。不生不滅、清浄無
垢の心が、おまえの中にある。それは月や日のように常に明らかであるが、おまえの中なる煩悩が、その清浄法身を隠
している。山風が、雲霧を吹き払うように、、その煩悩を吹き払え、そうすれば、清浄無垢な法身が、輝きわたるはずで
ある。
慧能によって衆生すべてが仏であるとする禅が説かれた。今まで人間扱いされていなかったまずしい人々も人間とな
り、仏となった。私はその意味で、慧能の禅は、すばらしいデモクラチックな仏教であったと思う。まさに、ここですべて
の人が仏となったのである。慧能によって、『大乗起信論』の衆生仏心の法は、あらゆる人間のものになったのである。
すばらしきかな人間の自由よ、というところである。
*****
*
十牛図(悟りへの道程)・大乗起信論
http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_21.htm
*
大乗起信論
http://www.komyoji.net/node/125
「一切の存在は心である。」
まず『起信論』の基本的主張、第一テーゼからはいりましょう。
「摩訶衍(まかえん)には、総じて説けば、二種有り。云何が二となすや。一には法、二には義なり。」
摩訶衍とはマハーヤーナの音訳で、「大乗」と意訳されます。
大乗仏教の大乗ですが、ここでは、「一切の存在の事実と、事実から真実への道」のふたつを摂めて「大乗」と言って
います。
法と義の二種があるというのは、「法」は、一切のものごと、「もの」や「こと」であり、また「存在」と「現象」と言っていい
でしょう。
「義」とは、一切のものごとの意味や関係、「存在の意味」や「現象の関係性」と言っていいのでしょう。
般若系経典、中観系論書にいう「空」は存在の意味を指す言葉であり、
阿含経典から大乗経論の全部を貫く「縁起」の思想は、現象の関係性を現す言葉ではないでしょうか。
即ち空とは、「現象しているあらゆるものごとには、永遠に固定されたすがたはなく、それらは実体ではない」という意味
であり、
縁起とは、「現象しているあらゆるものごとは、おたがいに条件となりあいながら生起している」という関係性をあらわして
います。
今『起信論』は、この「存在の意味」と「現象の関係性」を義におさめて、それをもって道を明らかにしようとしています
。
しかしさらに、道が道となる前提、何処において道は開かれるのかという、求道の根拠をもたずねています。
『起信論』が連なる如来蔵系・唯識系の仏教は、さきの般若・中観系、阿含系の仏教に加えて、「求道の根拠」をたず
ねたのです。
その根拠は何処にあるか。
その根拠を、「迷いの現実を生みだすもの」と「真実のいのち」の二重性に見出して、それを法におさめた。
一切のものごとの事実。それを「迷える現実」という事実、「あるがままの真実」という事実の、二重の事実としてとらえた
。
迷いの現実を見つめなければ、そもそも道を求める動機が生まれません。迷いを明らかにすることが、道が道となる前
提を見出す。
道の基礎を明らかにする。迷いを迷いとして知るところから道が始まる。
ところで、今『起信論』が説かれるのは、ただに道を求める場処から説かれるのではない。
すでに求め、見出された「真実」から説かれている。真実にめざめ、真実に照らされた場処から説かれている。
より正確には、真実に照らされつつ、しかも道を求めつづける、その歩みの最中において説かれているのでしょう。
照らしてくださる真実を拠り所とし、また導きとする。道が迷い道でないという根拠はどこにあるか。
見出された真実にある。行くべき処、帰るべき場処にある。
帰るべき真実を拠り処とし、「来たれ!」「帰ってこい!」と呼び返す本来の声、あるがままなる如来の声を導きとして道
は道となる。
動機は道の始まる根拠となり、呼び声は歩みの根拠となる。
(そうでしょう。まだ真実を見出さぬ者にとっては、呼び声をたよりとする他にない。呼び声の信頼によって歩む他に歩
める道はない。)
「迷いの現実を生みだすもの」が「迷いの現実を知るもの」となる。そこに始めて道が求められる。道の動機となる。
動機は呼び声によっていのちを得る。機は発動しようとしている。しかし呼び声が聞こえなければ動くことができない、
歩むことができない。
呼び声を聞く者は誰か。「迷いの現実を生みだすもの」であり、しかも「迷いの現実を知るもの」である。
それは「衆生」であり、しかも「如来」であると言ってよい。そこが求道の根拠となる。
ただし、求道においてはどこまでも衆生が場処となる。衆生において道は求められ、歩まれる。
「迷いの現実を生みだすもの」と「迷いの現実を知るもの」とは、衆生において一つの身となっている。
この身を「心」という言葉によって表す、これが如来蔵系・唯識系仏教の特色であり、発見でしょう。
- 43 -
身と心とが別のものではない。心が身となっている。身となっているような心、それを「心」という言葉で表す。
*
対立抗争
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini32.htm
暴力団の日常的な活動は、いわば法の支配するらち外の社会で行われており、そこでは、暴力的な力のみがその社
会を支配する唯一の原理となっています。
そして、本講座「5.縄張り」でも説明しましたように、そうした実力の源泉となっているものが、いわゆる縄張りであり、縄
張りこそそれを支配するその集団の強弱、親分のもつ権威と権力の程度が明確に表現されるものとなっています。
すなわち、縄張りは、それを支配するその集団の独占する家産であって、縄張りが広がれば、経済的には親分の収得
は増大し、ひいては子分の取得分も多くなり、また、親分の暴力団社会における権威はますます高められ、同時に子
分の地位も上昇し、より安定したものとなる理屈ですから、縄張りの拡大は、どの暴力団にとっても最大の集団目標と
なっているわけです。
一方、本講座「4.暴力団の掟とヤクザ気質」の項で説明しましたように、暴力団員は、何にも増して原始的で粗暴な力
をその信条とし、そしてまた、自分に対立するもの、自分のほかに存在するものを認めまいとする不断の攻撃的態度を
保持しています。その結果として、既存勢力に対抗する新しい勢力が生れると、さらに新勢力を倒そうとする勢力が生
れるというように、個々人の間でもその地位の上昇をめぐって常に対立を繰り返すという習癖があります。
このように、暴力団社会では、本質的に対立抗争は避けられない構図となっており、暴力団の対立抗争を根絶するた
めには、暴力団そのものを壊滅させる以外に方法がないとも言えるわけです。
現に、これまでに発生した対立抗争をその原因別に調査してみますと、
●縄張り争いによるもの
一定の縄張りを対象としたものと、縄張り内における個々の利権を対象としたものとに区別される。
●勢力争いによるもの
一定地域において勢力的に優位の態勢を維持獲得することを目的をするもので、例えば、組員の獲得をめぐる争い
など。
●内紛によるもの
暴力団内部においては、親分は絶対的な支配権を有しており、その地位の継承問題は組員の最大の関心事であり、
その跡目相続をめぐるもの。幹部相互間における組員または利権の獲得ならびに勢力の拡大をめぐり内部的に抗争
するものなど。
●その他
上記のような要因がほとんどを占めているが、その他として面子をめぐるもの、女性関係をめぐるものなど
*
言葉を憶えるということ。これが、くせ者なのです。
言葉には、当然意味がこもっています。言葉の意味のことを概念と言います。
言葉を憶えることによって、概念と記憶の世界が形成されていきます。
それを精神界と言います。
そして、その精神界を操作する自分というものが生まれてきます。
この「精神界を操作する自分」
もっとくだけて言えば、言葉を操(あやつ)る自分と言っていいかと思われます。
それを、「意識」と言います。
*
二元対立の世界
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413947614
仏法では私たちの迷いの生存の根源に根本的無知としての無明を説きますが、この無明の働きは、わずかでも心が
起こ
ると(この世に生まれると)、心は見るもの(主体=能見相)と見られるもの(客体=境界相)の二つに分裂し、はるか意
識
の深層において、自己と世界を対立して認識しようとする働き、主客の分裂がすでに起こっていると説いています。私
たち
が朝眼を覚まして、ふと天井を見上げる時、すでにそこには、私(主体)と天井(客体)の分裂があり、本来の自己という
も
のは世界の中の自己であるにも関わらず、世界と対立した、世界を自己の外から認識するしようとする根源的な生命
の働
きがあります。朝の目覚めとともに、主客ニ元対立の「虚妄分別」の世界が始まります。
主客分裂の認識構造が、私たちを世界から独立した存在と見なし、すべての事物を対象的に捉えようとしますが、この
根
源的認識構造があらゆるニ元対立を生み出す究極的要因なのです。
「虚妄分別」は
メビウスの帯にたとえられてます。表
- 44 -
側の主観から辿っていくと、やがて裏に回って表側に戻ってきます。客観も裏側から辿っていくと、やがて表に出てま
た裏
側に戻ってきます。本来は自己と世界の分裂のない世界が、心の先天的なねじれともいうべき無明の働きにより、自己
と
世界の分裂、主観と客観の分裂した世界を作ります。
そして、私たちが生命の根源的働きである主客のニ元対立の認識構造で何かを捉えると、「境界に拠りて心は起って
愛と
不愛とを分別するが故なり。」と説かれるように、即座に愛と不愛、好悪を判断(分別)する働きが意識の深層で性起し
ま
す。私たちが五官で捉えたものを主観を交えて、一瞬のうちに、愛不愛、好悪、美醜、損得などを識別し、意識による
実際
の行動・意識的判断(認識)に移る前に、このような判断が働いていると説いています。根源的要因である主客分裂の
世
界で、この現象世界を五官により知覚した瞬間にはじまる深層における前意識的な判断により、生命の真実相は失わ
れ、二元対立の分裂の世界が始まるのです。
そして、すでに回答にある通り、二元対立を最後の決定するのはコトバの働きです。すべてのものにコトバを付与する
こと
によって、付与された存在はコトバによって他のものから差別化され、特殊化され強烈な呪縛力を形成します。
*
対立(たいりつ)とは、二つの物が張り合い、いがみ合うことである。特に、権力同士の対立は発展して戦争になることも
ある。そもそもこれらの対立はものの考え方や自己の利益を巡って起こり、普通個人同士、法人同士の対立は裁判に
よって調停されることが多い。形式論理学では、2つの物が反対、相関、矛盾の関係にあることをいい、弁証法論理学
では、先述の関係にあり、排除し合いながらも、他と不可分な関係を保つことであるとされる。
*
2つの変数(A,B)間に相関が見られる場合、偶然による相関を除けば、次の3つの可能性が想定される(相関と因果
の違いに関する誤解・誤用において目立つのは、3番目の場合である)。
A が B を発生させる
B が A を発生させる
第3の変数C が A と B を発生させる (この場合、AとBの間に因果関係はなく擬似相関と呼ばれる)
2.31.
31. 10/
10/07/
07/14 14 違和感こそ
違和感こそ創造
こそ創造の
創造の源(衝撃、
衝撃、攻・反撃から
反撃から合気道
から合気道へ
合気道へ)
七難八苦を我に与えたまえ!
対立こそ新しい世界を開く扉である。どの位気負わず力まず自然体で、前進できるか・・、冒険である。目的とするとこ
ろは、自分の世界を広げること。誕生してしまった以上、前進あるのみです。
前進すれば未経験との遭遇は避けられません。中でも衝突して、相反する立場・利害などがぶつかって争いとなるこ
ともありますが、ただの違和感を感じる遭遇でも、その対象と対立する気配を擁しています。
違和感とは
しっくりしない感じの程度ですが、安定状態を崩し、ついには心と心を離し、争い状態に陥る兆しでもあります。
いきなりの衝撃は、意外性がありそのショックに強く心を揺さぶられます。そしてその結果、被害を受けやすく、自分を
喪失しかねません。
兆しである違和感こそ、伸び広がって盛んになり、より進んだ段階に移れるか、後退してしぼんでしまうかの分かれ道
です。
兆しは、物事が起こりそうな気配。兆候です。
そこから、既に合気道は始まっています。
先取りから見切りまでの間に、気配は、その一瞬一瞬に存在して違和感を伴う。はっきりとは見えないが、漠然と感じ
られる、その気配の対処により自分の容認のこころは広く深くなる。
見切りは、見限ってあきらめてしまうのではなく、ものを終わりまで全て見てしまうことであります。
2.32.
32. 10/
10/07/
07/13 13 双方の
双方の最大自由度プラス
最大自由度プラス付加価値
プラス付加価値(
付加価値(ⅹ)
お互いに干渉されず自由に振る舞えることは、この上なくすばらしい。
- 45 -
しかし、この地上で生きている限り、相手が人間であるばかりでなく、いろいろな対象物に肉体的精神的に束縛される
ことは、避けられない。
従って最大自由度の探求は、その重圧との攻防でもあります。
また、最大自由度の探求、重圧との攻防、それだけではつまりません。重要なことは互いの自由度を発揮した結果、生
み出されたものがあるか?どうかです。もちろん争いなど双方の自由の結果が、互いの存在を危うくするような後退現
象を生んでしまうものは、論外です。
新たな価値を創造していく方向にしかも、躍動感、喜びを伴うものでなければなりません。
新たな価値を創造していく方向に進ませるには、お互いの関係が重要になってきます。まず互いを関係付ける結び
が何であるかです。矛盾や衝突を超えた調和、協力精神は何をもってもたらされるのか?何のために協調が必要なの
か?、互いの共通の目標は何か?などです。
お互いを結びつけるものは、どういったものでしょうか?
相互信頼、共通の敵、共通の目標などは理解できるにしても他に
利害や立場などの異なるものどうしが、協力し合えるのでしょうか?
最低限、互いの存在を認め合うという程度では、せいぜいライバル意識の競い合いから得られる、バラバラの結果しか
得られない。到底そこからは互いの協力から生まれる新しい付加価値は生まれない。
やはり共通の敵、共通の目標を作るより方法はないのか!?
共通の敵を設けることは、は団体スポーツの形によくあることです。しかし、合気道はそのような相対的比較精神から
外れると思いますので、他の共通の目標について考えます。
仮想共通目標・・・ⅹとすると、
ⅹを維持するためには・・現状維持・組織維持・矜持(誇り)を持つ
ⅹを獲得(育成)するためには・・より高い技術、理念他の勇愛親智(前進・育成・親睦・知恵)・会員増、一般認知度、
それらの組織維持・・・具体的には合気道を高めて、一般認知度を上げる。誇りを持てる合気道。
他グループに匹敵するためのもの。指導者の生活維持可能のためのもの。
ⅹがすたれる場合・・怠慢、慣れ、進歩を妨げるもの、敵、現状
以上、皆、目線が人間であり相対的部分的である。物足りない。
ⅹは揺るぎの無い絶対真理であれば、より強固となります
人類全てをつなぐⅹとは何か?
・・・合気道ではこの現世の源を創った神、日本では天の御中主の神(アメノミナカヌシノカミ)の意思、即ち天地の理で
あると思います。
我々は共にその天地の理により現出したのです。ⅹを知ることが双方の最大自由度を引き出し、さらに新たな境地に
我々を導くことになるのではないでしょうか!?
「稽古の徳に依りて天地の理を見るべし」植芝守高
注・植芝守高
特に古い高弟は「大先生」「翁先生」(おうせんせい)と呼ぶ。「盛平」の別名として「常盛」「守高」とも名乗った。(ウィキ
ペディア)
徳は何を意味するのでしょうか?恵み、お陰で、稽古で感じさせられる天地とつながるもろもろをいうのか、品格、つ
まり稽古の品(ヒン)を上げてか?。
参考までに、人は宇宙と離れてある程度の自由を獲得しているが、宇宙の秩序を犯せば身の破滅に繋がる。要宇宙と
の調和。
*********
他への委託、神
具体的共通事項
・気
自己団体保身・・共通の敵、他合気道団体、他武道、スポーツ、など
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現実的協調の必要
合気道普及・・・・・合気会への貢献・・・・・現実的協調の必要
勇:前進力・・(ライバルの存在)・・喜びを伴う・・協調により育つ付加価値
・心
理念の相違・・孤立、個性
- 46 -
名誉名声、利益・・・・・・喜びを伴う
信頼・・・・・・・・・・・喜びを伴う
価値観の探求、発見・・意見交換・喜びを伴う・・協調により育つ付加価値
愛:人を育てる・・・・・・喜びを伴う
親睦を深める・・・・・・・喜びを伴う
・体
技術向上・・情報の共有、合同稽古・・・協調により育つ付加価値
段位・・共同講習会、合同審査・・・・・・現実的協調の必要
費用・・・固定費削減
会員数増・・・・・・・・・・喜びを伴う
智:調査理解・・知的探求・・喜びを伴う・・・協調により育つ付加価値
それらの根底を流れるのは、喜びか?その感情が湧かない限り、協調は不可
2.33.
33. 10/
10/07/
07/10 10 合わせは相手
わせは相手に
相手に求めない(
めない(単・副・比較・
比較・当たり・
たり・プラス和
プラス和)
「合わせ」の意は、国語辞書大辞泉によると
1 他の語と複合して用いる。
例えば
①物と物とを合わせることは、「背中合わせ」「顔合わせ」などという。
・・・合気道に当てはめれば、顔合わせ、気合わせ、心合わせ、技合わせ、
呼吸合わせ、タイミングを合わせる、向かい合わせ
②比べて優劣を争うことは、「物合わせ」「歌合わせ」など。
・・・合気道でいえば、技あわせ、手合わせ、組み合わせ
2 釣りで、当たりがあったときに、魚の口に針がかかるようにする操作。さおの穂先をすばやく持ち上げる動作など。
・・・稽古相手とぶつかったり接触、触れたりした瞬間に、合わせて自分の思い通りにすること
3 《飯に取り合わせる物の意》おかず。副食物。
・・・取りに受け・・取りが主で受けが副。またはその逆。
以上合わせには、単にものを合わせる、比較、当たり、副的存在とがあります。
自然に合わさって結合してしまうものもありますが、合気道の気の流れについても、それを期待したいところです。しか
し、稽古の結果、得られるものと思って、自ら合わせることについて考えてみたいと思います。
わたしは、合気道の合わせにもいろいろあっても良いと思うし、その方が個性的で人間が表現されて面白いと思う。
が、単に合わせる・・・取りと受けの調和を考えた①の物と物とを合わせることを、取り上げたいと思います。さて、何と
何を合わせるか?
他の合わせの、比べる、当たり、副的存在については合わせの目的だったり方法であるので別に譲ることにする。
「単にものを合わせる」・・合わせるものを思い浮かべてみると、
肉体的には、顔合わせ、技合わせ、呼吸合わせ、タイミングを合わせる、
精神的には、気合わせ、心合わせなどが浮かぶ。
肉体的合わせについては精神の現われと思って、また人間は精神と肉体のまとまりですから、気、心の合わせは、当
然肉体的合わせにも関係してきます。というわけで、精神的な、気合わせ、心合わせ、を取り上げましょうか。
1・双方で合わせあう・・双方互いに相手の思うところに、合わせる。
10/07/03 合気道は利他である(最大自由度、仏の道・神の道)
相手の「心の欲するところに従いて矩をこえず」と、倫理的規範から逸脱しないことを期待信頼?してか・・・と述べたが
、相手が当方に合わせてくれるなどと、油断してはならない。
2・対立の状況下で会わないものをあわせることを養う。主導権をとる争い状態の中で、遅れず早からず相手の心に沿
うことを目的とする。
相手の心に沿う、とは例えば、取りは受けの立場に立って技をかける、というように、相手の役割に沿いながら自分の
役を果たす。気心体の集中が途切れたり、隙が出来たりするところも指摘しながら行う。
- 47 -
合わせは、相手の立場に立って、立ちすぎない、自己を忘れない、ということです。つまり相手が観えること。
イ・取りに合わす(受け)・・
受けの動作は、相手の気配、心に合わす。
攻撃は相手の気を外して攻撃する。攻撃の姿勢を崩さず取りを追い詰める。
取りになりながら受けを取る。
ロ・受けに合わす(取り)・・取り(技を行う者)も、相手の気配、心に合わす。
攻撃を厳しく仕掛けてもらう
受けになりながら取りを行う。
ハ・返し技・・対立状況の中で双方各自別々に、合わせ所をつかむことを養う
互いを観ながら気心の先取り(主導権を取る)
3・時には意識的に、合わせないことも重要だと思うこと!しかし総体的に合わせ(調和)の方向をとるべし、目的は究
極の合わせを会得すること。
意識的に合わせないことは、筋肉をつける、または落とさないためにも、少々の外しは必要。また、照合、合と不合を
合わせて比較して、合わせの会得度を知ることができる。
最後に、「単にものを合わせる」ことについては、単純に並べる程度の認識でしたが、忘れてはならないことがありま
す。 合わせという言葉には、プラスして一つにするという意思が含まれていることを。
*
大辞泉
合(あ)わせ物は離れ物
「あわせものははなれもの」を大辞林でも検索する
合わせて一つにした物は、いつかまた離れるときがある。
2.34.
34. 10/
10/07/
07/03 03 合気道は
合気道は利他である
利他である(
最大自由度、仏の道・神の道)
である(最大自由度、
気を出す・・とは天地人自・・つまり天の気、地の気、人間社会の気、自己の気を巡らすことである
天の気は創造の気、直霊(勇愛親智、前進させる気)、愛の気。
地の気は天の気を現出実行する気。
人間社会の気は人の気が統合したもの。
自己の気とは天の気、地の気と人間個人の気つまり我の気との調和?統合したもの。
日常、我の気に囚われた自己に、直霊をもって四魂の勇愛親智を、取り戻す。勇は前に進む力、親は人と親しく交
わる力、愛は人を愛し育てる力、智は物事を観察し分析し悟る力・・これらは人間に備わっている自然(神)からの恵み
、賜物です。
天の気地の気に挟まれて、天地間にあって、互いに対立し依存し合いながら万物を形成している陰・陽2種の気という
ものがある。当然人間にも陰陽の気は及んで、対立と依存を繰り返し、個人はもとより社会等を形成している。
ならば、この地球上から対立、争い、戦争を失くすことは無理なのではないか?この現世が存在し見えること自体相
対的である。相対的である以上、天地の心が陰陽の気を産んだといえる。
そうならば、合気道の役割、天地の心である万有愛護の精神で、陰陽をも愛し、自己に打ち克ち敵(対立するもの)
をして戦う心無からしむ、否敵そのものを無くす絶対的自己完成の道なり、・・は空論と言うことになる。それとも、その「
敵そのものを無くす絶対的自己完成の道」を目指して修行に励めと?
「敵そのものを無くす絶対的自己完成の道」とは?
自己の心から戦う心を無くす、とは・・?
相手の「心の欲するところに従いて矩をこえず」と、倫理的規範から逸脱しないことを期待信頼?してか、またはまった
くの利他の精神で、相手の欲するところに愛をもって喜んで沿うことなのか?(・・・確かに相手の敵意は和らぐかも、し
かしこの場合は、自己に喜びがあるのかが重要だろう。永遠の修行、生死は相手の手に、ゆえに受身の重要性増)
あるいはまた、相手の敵意を認めながらもそれに影響支配されず、自己の心から戦う心を無くし、敵の欲するところ、
自己の欲するところに従うも矩をこえず、でその調和点を探求するのか?・・・(現実的日常的である。敵意とそうでない
意の落ち着くところを探求、互いの最大自由度の調和点を探る。毎日の課題であり、先に述べた「愛をもって喜んで沿
うこと」を含んでしまう)
それぞれの特徴をかいつまんであげると・・。
1・ 前者の特徴
- 48 -
・身を守るために閉ざすのではなく合気道は心を開き世界を広くすることである
・受けは自他共通の世界
・取りは欲望のままに我を出す
・受身は自己の全部を相手に託す
・思いやりをいただけるとは限らない!そのために受身は重要である。
・相手を意識して、託せない自己、我を出せない自己がいる
それを裏返せば、相手もそうだ、ということ
相手への思いやり、は自分の問題である。
・自分を相手に託すことは、そうできるものではない。相手に託す勇気が必要。
・不安恐怖との戦い
・相手の良心の存在を信じる
・結局、取り、受けとも自分自身を知ることになり、課題をつきつけられる。
・つながりを感じることができる
・慈悲の道、仏の道
2・ 後者の特徴
・身を守るために閉ざすのではなく合気道は心を開き世界を広くすることである
・取りは欲望のままに我を出す
・受けも欲望のままに我を出す
・互いの心を認める自己の存在(客観的自己)がいる。
・自己は他である。
・互いの自由度を高める、最大自由度を目指す
・自分あっての利他
・神の道
*
「乾坤照寶」の「乾」は、最も純粋な陽の気である天を象徴し、「坤」は最も純粋な陰の気である地を象徴します。大地
は天に従いながら万物を生じ。天の法則に従って変化しています。
2.35.
35. 10/
10/07/
07/01 01 気を出すとは思
すとは思い通りにしようとする、
りにしようとする、支配欲である
支配欲である(
である(思いやり、
いやり、慈悲等)
慈悲等)
気を出すとは自分を生きていくことである。自己を生かしていくことです。脈々としてこの身に息づく、天地誕生時の
エネルギーが、対象と結ばんと空中放電を繰り返しているのであります。ですが、人間は人間という精神を持ってしま
ったばかりに、生きることに苦労するのです。
大分古い新聞に次のようなことが出ていたことを記憶している。
「生き延びていくためには、安定社会を作り、なるべく仲間と摩擦を起こさないよう、譲り合って暮らす許容と争い後の
仲直りの和解が必要になった。しかし、どうも、人間は和解が苦手らしい。
サルの仲直りは、互いに近づいたり接触するなどして、争いの数分後にはするが、人間は仲直りに、何日も何年も、
場合によっては数世代もかかる」と。
空中放電を繰り返すエネルギーはどこに潜んでいるのか?また、それを小出しにして生き延びようとするエネルギーは
何を生み出したのか?
資本主義 社会主義、共産主義、帝国主義
組織を生み出し、組織に従っていれば個人のロボット化が進みエネルギーの放電の必要がなくなる。それでも余った
余分のエネルギーは文化的活動に費やされる。生活を意義あるものにするためにも
資本主義は文化的な「余分」を持つところにシステムとしての救いがある、ということで
文化的付加価値の必要性が言われる。
余った余分のエネルギーは出しやすいが、
文化的生活のなかでスポーツの占める割合も大きい。
スポーツは対象を作ってそれに向かって競争ないしは戦って優劣をつける。
- 49 -
スポーツの世界で、対戦相手を敵とみなす。
勝つために、チームを組んで戦うこと強くあることを目指す。そのチームに必要なものの最たるものは愛か?
愛は、人間が生き延びるためと共に、天地誕生時のエネルギーが生き延びるための境界線である。
天地誕生時のエネルギーから逃れられない。激しい空中放電は落ちるところを見つけてはエネルギーを放出する。
そのエネルギーが流れている自身は自身のままではいられない。
落ちるところを捜して放電を繰り返す。
神はその愛の力(結ぼうとするエネルギー)を万物に与えた。
ゆえに、現世は生存競争の世界ともいえるが、その争いの中でなお世界が消滅し合わないことは、やはりこの世界が
まだ現出均衡を保っていると考えざるを得ない。
現に思いやり、慈悲等の心が存在する。愛は同時に相手への慈悲の心もあわせ持つ。
合気道はその心を現出させようとするものでもある。
調和とは何と何を比較して、つりあいまとまっているというのか?合気道とは愛なり!
rf
隻手音声(セキシュオンジョウ)・・音になる前を聞け
http://www.enekan.jp/archives/2005/08/post_25.html
片手の拍手、は手を打ち付ける相手がない、だから当然パンという音はしません、その音を聞こう、とうわけです。普通
には聞けない音を聞こうとする、なんて変なことですが、対象とするものが無い孤立無援、そのものだけ、という事柄が
宇宙にあるだろうか?
対象が無くそれだけある、とは「絶対」つまり「対」を「絶」する、ことに他なりません。
*
空とは何か
ウィキペディア
例えば、そこらの草木を建材として庵を結ぶ場合、庵が出来上がれば庵という現象が成立していることになる。しかし、
庵を分解して草木にしてしまえば、庵という現象は成立していないことになる。つまり、庵は「存在している」とも言えるし
、「存在していない」とも言える。これこそが竜樹の解釈による「空」の概念である。
この世のすべての物事(色)は相互に因縁によって結びつき、ある現象を構成している。つまりこの因縁の関係性こそ
が「空」なのである。
*******
勝つために団結、勝つための技術、勝つための技で相手を支配する。
支配しようとする心は変わらず
利他主義:利己主義に対して、他人の幸福や利益を図ることをまず第一とする考え方。
他人と繋がっている。自分が今あるのは他人のお陰。自分のことよりも他人のために他人の幸福を願うこと
体と対話、自分自身と対話・・利己主義にならないのか?
合気道において気を出す・・とは、天地人自、つまり天の気、地の気、人間社会の気、自己の気の統合でしょう。
天の気:創造の気、直霊(勇愛親智:)
地の気:創造を実行する気:形に現す
人間社会の気:人の気の統合
自の気:我の気:利己的、つながりの無い気
相手と対話・・利他主義は結構だが無私、自己は無くなる?
存在しなくなる?、天地宇宙と対話
天と地:陰陽
調和しようとする気、
相手あっての自利
*
「乾坤照寶」の「乾」は、最も純粋な陽の気である天を象徴し、「坤」は最も純粋な陰の気である地を象徴します。大地
- 50 -
は天に従いながら万物を生じ。天の法則に従って変化しています。
2.36.
36. 10/
10/07/
07/01 01 合気道において
合気道において”
において”律する”
する”とは、
とは、ある基準
ある基準に
基準に当てはめて判断
てはめて判断・
判断・処理することであ
処理することであ
る(相手の
相手の自由、
自由、自分の
自分の自由)
自由)
10/06/26 答が課題を生む疑問は永遠である(反疑問は隠れている)で、最後に「合気道も、その道を律して進まなけ
れば、たちまちにして反合気道が出現してくると覚悟することです。反合気道を意識して油断しないことです。」と述べ
ておきました。
反合気道とは、合気道を滅失させようとする力、エネルギーです。
その他合気道に対立する負の側面を持つ合気道と言ったら解ってもらえるでしょうか。私の場合に限っていえば、
私の理念にあります未来の合気道、を忘れさせる、または打ち消そうとする私の過去の合気道だったり、見栄えの良い
基本の形にこだわった合気道です。
その他考えても、邪魔してくる合気道は次のようなものがあります。
力の抜けてないもの、技にこだわったもの、基本形ばかりのもの、単調でメリハリの無いもの、相手とのつながり、人間
性のないもの、自分を高められないもの、戦闘的なもの、演武的なもの、受けを受け身一方にさせるもの、取りばかりが
めだつもの、精神の感じられない肉体的なもの、社会的存在意義を感じさせないもの、迷いのないもの、いい加減さを
認めないもの、嫌悪感を起こさせるもの、以上を含めその他一切を認めないもの・・そして調和を忘れたものです。
私の理念にあります未来の合気道とは、いわゆる調和の合気道になるかもしれません。相手の存在との調和を、実
現させる能力を養う業としての合気道です。つまり相手の存在を認められる自分を、合気道に現出させることです。対
立が深ければ深いほど、その合気道はわたしにとって、意義あるものということになります。
あらゆる対立を認める、もちろん自分をも認める。それは共存しかないでしょう!調和させるといいましたが、自分がど
こまで、相手の存在を許すか、です。
通常は相手もこちらの存在を、ある程度は許すでしょう。しかしそれは相手頼みで、頼っていては、相手あっての自
分で自己の確立はほど遠くなります。
だからと言って、対立関係にある相手を調和させる、などとは最初から一方的に言えません。相手の気持は完全に
は解らないのですし、相手の自由ですから。相手の気持を和解へ導く、調和へ導くなどの意図は、一歩間違えれば、
形(暴力、権力)を変えて心の支配を行おうとしていることになりかねません。
合気道において律するとは、自分の自由を失わず、相手の自由を認識尊重することを意識して、許容しながら判断
して行う、ことかもしれません。
調和は相互つながりの中で、共通意識を探求し折り合ううち、互いの自由度が最大になったときの状態でしょう!
合気道も反合気道も、存在してしかるべし、ということになります。
思うような合気道が出来ないことも当然のことと、覚悟して前進するのみです。
地球上に、人類希求の平和に混じって局地的に戦争等の負が生じることは、平和も反平和も存在することの証でし
ょう。
*
りっ・する【律する】
[動サ変][文]りっ・す[サ変]
1 一定の規範を設けて統制・管理する。「おのれの行動を―・する」
2 ある基準に当てはめて判断・処理する。「大人の考えで子供を―・するべきではない」
[類語] 扱う
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
2.37.
37. 10/
10/06/
06/27 27 調和を
調和を知るには不調和
るには不調和を
不調和を知らなければならない(
らなければならない(我執境界、
我執境界、恕、感動)
感動)
調和を知るには不調和を知らなければならない?
そうではないだろう。善人はすべて、悪人の要素を持っている、ということになる。善人は善だと認識してないこともある
はずだ。
例えば、人のちょっとした仕草、言葉から相手を思いやれるなんてことは、本人は、善悪など意識すらしてない普通の
ことかもしれない。
自分とは関係ない他人を気遣える、これはどこからくるのだろうか?
殆どの人は、そういう気遣いに心から感謝すらできない。一瞬でも、自分のために時間を使ってくれる、なんてことは驚
きなのだ、しかも自分の利益とは無関係に!社交辞令でさえ・・・!?。
なぜ私があなたのために、しなければならないの?こんな気持と先ほどの気持の境界はどこにあるのか?善人はき
っと、自分中心の考えから離れられない我執の境界線が我々より、チョッと低いのかもしれない。
合気道の演武でもよくわかります。自分だけが演武している者、または、相手を気遣って相手のために演武している者
、双方互いに相手を気遣いながら演武している者達、もちろんその他にも、自分のことで余裕の無い組
- 51 -
が一番多いことは言うまでもありません。
合気道はこれが一番・・などということは言えません。決めるのは自分自身のことです。しかし社会を考えたとき、どれ
が望ましいか解ります。
個人がより自分らしく生きられる社会とは・・・より調和された社会です。繋がれている意識は、お互いに各自の人生
を尊重しようとする恕の意識でしょう。
調和を知るには不調和を知らなければならない・・こともあるかもしれません。しかし、まず自分に見えない価値観に
気付くこと、相手に気付かせてもらうことです。
あ~!こんな合気道があるんだぁ。感動!
*******
不調和と調和のせめぎあいの所で調和能力を伸ばす
互いに争う境界を知り広げる
破壊
[類語] 損壊・破損・破砕・砕破・全壊・壊滅(―する)壊(こわ)す・叩(たた)き壊す・打ち壊す・打ち砕く・打ち崩す・毀損
2.38.
38. 10/
10/06/
06/26 26 答が課題を
課題を生む疑問は
疑問は永遠である
永遠である(
である(反疑問は
反疑問は隠れている)
れている)
例えば人生は世界である、などと自分なりに答を出す。
すかさず、人生とは?世界とは?なんだ?と課題を与えられる。課題を解決しなければ自分の答ではない。
君は人生をどう捉えるのか?人がこの世で生きていくこと、すなわちその生活をいうのか。
それとも人のこの世に生きている間、人の一生をいうのか?
世界とは?・・その言葉の使われ方によって意味が違ってくる。
[1] 地球上のすべての国家・すべての地域。全人類社会。
[2] 物体や生物など実在する一切のものを含んだ無限の空間。宇宙。哲学では社会的精神的事象をも含める。また
、思考・認識する自我に対する客観的世界をさすことも多い。
[3] 自分を中心とした生活の場。自分の知識・見聞の範囲。生活圏。世の中。
[4] 同一の種類のものの集まり、またその社会。
[5] 歌舞伎・浄瑠璃で、その作品の背景となる特定の時代や人物類型。例えば「仮名手本忠臣蔵」の世界は「太平
記」。
[6] くに。土地。地方。異境。
[7] 界隈。付近一帯。
[8] 遊ぶ所。遊里など。
[9] 〔専門〕 仏
〔補説〕 (梵) lokadhtu
(ア) 須弥山(しゆみせん)を中心に形成される一定の空間領域。全宇宙にはこの世界(一世界・小世界)と同じ規模の
世界が数多くあるとして、三千大千世界などと表現する。
(イ) 衆生(しゆじよう)が住んでいる場所で、時間・空間的になんらかの制約を受け、まとまりをもっている広がり。
(ウ) ある仏を中心とする空間。仏国土。
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
また、
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]によると、次のような意味を含んでいる。
1 地球上のすべての地域・国家。
2 自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。世間。世の中。
3 職業・専門分野、また、世代などの、同類の集まり。「医者の―」「子供の―」
4 ある特定の活動範囲・領域。「学問の―」「芸能の―」「勝負の―」
5 歌舞伎・浄瑠璃で、戯曲の背景となる特定の時代・人物群の類型。義経記・太平記など、民衆に親しみのある歴史
的事件が世界とされた。
6 自分が自由にできる、ある特定の範囲。「自分の―に閉じこもる」
7 《(梵)lokadhtuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。
須弥山(しゅみせん)を中心とした4州の称。これを単位に三千大千世界を数える。
一人の仏陀の治める国土。
宇宙のこと。
8 このあたり。あたり一帯。
・ 「―暗がりて」〈竹取〉
9 地方。他郷。
10 遊里などの遊興の場。
ちなみに、人生は世界であるとは・・・。
生きてきた結果、は今自分が認識している世間そのものである。
- 52 -
今自分が認識している世間、は私がこれから生きていくスタートとなる舞台である。
自分とは世界(宇宙、客観的世界)を認識する私である。
ここで課題が突きつけられず途切れれば、私の道程は終わりだ。
合気道に振り替えれば、
合気道は調和だ。
調和とは、合気道と反合気道が程よくつりあって、双方とも消滅せず、特性を際立たせながらも、ある一定方向への動
的まとまりがあるもの。
よくつりあって、双方とも消滅せず・・・?・・・合気道と反合気道は正反対で打ち消しあうもの、と考えているので疑問で
ある。
しかしよくよく考えてみれば周りを見渡せば、例えば木々の葉にしても、(花でも良いが、)春に芽吹き秋に落葉する。・
・・そこには葉を生じさせるもの、葉を枯らすものの存在を意識せざるを得ない。葉、反葉は全く消滅などしていない。
隠れているだけなのだ。条件によって現出したり消滅したりする。
合気道とは?反合気道の特性とは?
私は思っているのですが。
合気道は万物創造共存、人に関して言えば人を創り、平和共存へ導くものというところか。反合気道はその逆、つまり
万物を破壊打ち消しあって空に帰す、人に関すれば、人を抹殺し、争いの世界に落とし込むものです。
合気道と反合気道も完全にどちらかによって一方的には消滅されず、その存在が表に出たり隠れたりしています。た
とえ消滅しても、消滅したようにみえるだけで、隠れて見えないだけです。
争いなど戦争に限らず、経済格差、人種差別、宗教、文化の相違、考え方などから、いたるところで見え隠れしてい
ます。それを考えると、争いなど消滅させることなど不可能なことで、ただ現出しないように律していく必要があります。
ですから、合気道も、その道を律して進まなければ、たちまちにして反合気道が出現してくると覚悟することです。反
合気道を意識して油断しないことです。
合気道をもってその役割を律しながら、宇宙のビッグバンのように拡大化してこそ、反合気道は部分的存在として隠
されます。
では、合気道において”律する”とはどういうことでしょうか?
反合気道を意識して合気道をすることでしょうか?
rf
10/07/01 合気道において”律する”とは、ある基準に当てはめて判断・処理することである()
******
疑問自体が答を既に持っている
苦悩は解決のエネルギーである
疑問など不要、世界は自分の頭の中の写しではない
疑問は自分が納得したいからである
2.39.
39. 10/
10/06/
06/25 25 合気道は
合気道は聞く耳を持つことである(
つことである(動く禅、静慮、
静慮、配慮に
配慮に感謝)
感謝)
合気道は動く禅である。
合気道の動きの中で【静慮】 「せいりょ」 することが必要である。
心を落ち着けて静かにおもいをめぐらすこと、である。
相手の心に耳を傾けることです。
聞いてどうするのですか?
聞く耳をもって、推察して心を理解する、相手を理解するのです。
その理解度が自分自身となります。また、それに対する反応、それが真の自分を現すことになります。
相手との間に生じる相互作用、時間空間の共有の有無など・・
自分の思惑を離れて、相手無視の必要以上の我の現れを知った時、現実の自分(真?)に、恐ろしくもあります。
そのような不安を払拭できるように、自分を信じて、合気道で体術を練りながら、心はもちろん体でも静慮します。
しかし、相手の心を聞いたら相手の心に引きずられてはなりません。
自分の心に忠実に、しかし相手の心を重んじて、相互理解が深められる点を探す。その過程の心の変化が、見知らぬ
世界を、旅しているような新鮮な好奇心をもたらします。
知らない世界は、必要な時に見えてきます。
それもこれもお互いに仲良くとまではいかなくても、自分に沿って生きるためでしょうか。結局、相手あっての自分を
知ることになります。
- 53 -
自我が強すぎると、相手のことが見えない、聞こえない、感じない。
自我は自分であり他者(他我)から区別されるが、他我もまた一個の自我の延長の場合がある。他者をも思い通りにし
ようとするのである。
【自我】とは辞書によると、
自分であり、自己であります。意識や行為をつかさどる主体としての私です。対象(非我)・他者(他我)から区別されま
すが、他我もまた一個の自我であります。それは、人格や作用の中枢となり、認識の根拠・道徳的行為や良心の占め
る場所となります。
ところで、不愉快さはどこから来るのか?
楽しくなく気持は良くない、おもしろくなく、心が浮きたたずに沈む。
イヤな気分になる。気分が落ち込む。・・自分の思い通りにならず支配欲が満たされないからか、または良心が無いか
らか?
ゆ‐かい【愉快】とは
楽しく気持ちのよいこと。おもしろく、心が浮きたつこと。
愉快な気持が生じてもそれに慣れれば、浮き立った心は静まり、揺れ動くことの無い平常心に戻る。
しかし、不愉快な気持を経験すれば、チョッとのことで、また愉快な気持になる。
原因に左右され、思い通りにならない揺さぶられる心から、自律した自我が必要となります。すなわち不愉快の中に
愉快を認識できる心を自分のものとすることです。
そのためにはまず、不愉快な気持、不快感を内にこもらせず、引き出してやることが必要です。そうしますと、不快感と
の対立が起こります。
不快感と自分を対立させてやるのです。逃げずに自ら、心を波立たせて落ち着けさせないもの、静かにおもいをめぐ
らすことを邪魔するものとの対峙です。
不快感を破壊して葬ることに、人生を消耗させるか?それとも・・・
どこに快感があるか?他者の中か、自己の中か?それとも外か?
耳を澄まして、気持ちを落ち着かせて聞くことです。
愉快な世界、安寧で平和な世界は自分の視点を変えたりして、見つけるか、創るか、であります。相手は相手の自由
です。もちろん相手も私との関係の中で変わってはいくでしょうが、過剰に期待しすぎることは、相手に依存することに
なりかねません。
ところで、不愉快にされること自体が快感、などと言わないで欲しいものです。破滅への道が快感と言ってるも同様で
す。
不愉快さは、全体の調和が崩れているから生じるので、病気と同じことともいえるかもしれません。自己の幸福感に基
づく快感が家族他身近な人への伝播を願っているのなら・・不愉快自体が快感などと錯覚しないことです。
不愉快な世界をつぶしての愉快な世界は一時的です。また不愉快な世界を経験しないと、愉快な気持はやってこな
い。禍福はあざなえる縄のごとし、と同じです
愉快な世界を創るということは、最初から愉快な世界を創ろうとすることはもちろん、不愉快な世界を愉快な世界へ変
化させていくこと、つまり不快感を快感に変えていくことも愉快な世界を創ることになります。
変えるにはまず!不快感が生じたら、裏腹に快感が存在していると、思って静慮しましょう。
不快感が自分を守ってくれている・・・。耳を傾けると、そう感じるときがあります。
また、風の音を聞き、氣の息吹の声を聞き、天地自然に乗っていくように、相手の心を推察し、そこに自分への配慮
が少しでも感じられた時、感謝の念が自然に湧き出ることでしょう。
あらゆる所に耳を澄ましても、普段忘れている自分への配慮が感じられるようにする!ことです。
そしてそれは、あなたの合気道に深みを与えてくれることでしょう。
2.40.
40. 10/
10/06/
06/17 17 反攻撃とは
反攻撃とは攻撃
とは攻撃である
攻撃である(
である(技、返し技・調和存続)
調和存続)
- 54 -
攻撃を消滅させる反攻撃とは何か?
現世の起こりは物質と反物質の対象性の破れにあるという。
宇宙創世記には、物質と反物質がぶつかって対消滅を繰り返し、条件のわずかな違いから「物質」がとり残された。
対消滅(ついしょうめつ, annihilation)は、粒子と反粒子が衝突し、エネルギーないし他の粒子に変換される現象であ
り、対生成の逆。
対象性の破れで消滅しなかった物質が現世を現している。
もぐらたたきのようなものか?たたきそこねたから、もぐらは顔を出す
攻撃を消滅させる反攻撃とは
攻撃と反攻撃をぶつけても反攻撃の方が弱く、攻撃が優り残るのか?
物体(肉体)と反肉体の対消滅は・・・血を流して生々しいので、合気道の理念であります調和に反調和をぶつけて
みます。
この身に生きようとするエネルギーを認めている限り、相手のそれも認めて双方の調和を模索することが、自然のこと
であろう。それに、調和とは各独立要素の全体的統一であり、現にこうして、山川草木鳥獣虫魚あらゆる物が存在して
、宇宙を形作っている。
しかし一方で、近視眼的にみると、調和は同時に反調和をもどこかで認識させる。宇宙を存続させるために、反調和
によって起こるエネルギーをもって、生命に限らず消滅させ、新しい命(エネルギー)を誕生させ、つないでいるからで
ある。人生に寿命があるのを見よ!反調和は今も存在している。
調和とは継続である。
独立要素である攻撃側の肉体を抹殺してしまえばどうなるでしょう?
この場合独立要素とは、攻撃と受けである。一方の存在が無くなると、
お互いの攻防にみられる破壊への恐れさえ、無になります。増して、ある全体的まとまりに導かれる調和への可能性は
考えられなく、調和以外の問題であります。
ある意味では、攻防の存在自体が調和であり、その継続こそ調和の形を現出させています。
詰まるところ、調和とは存在であります。ある全体的統一を保つ各独立要素の存在です。
では、攻撃と反攻撃の調和はどうあるべきなのでしょうか。攻撃は反攻撃を、反攻撃は攻撃の存在を消滅させない攻
撃である。ですから攻撃は消滅のためではなく、お互いの存在を維持する攻撃になるかと思います。
その最たるものは、マイナスの攻撃、すなわち生かしあうことです。
さて、
人の感情にも反攻撃は宿っています。、外への従順と反従順(反抗、抵抗)であります。双方が存続できれば、いや、
真にその存在価値を高めることができれば、いわゆる人間としてバランス(調和)のとれた成長をなすことができると言
えます。
生きること自体、環境等世界に対して気を出して働きかけ、より価値ある調和への挑戦であります。
その調和探求する合気道は、対立している対象と、どうお互いをまとめるのかを、問うています。
以下、、気、心の使い方を含め、参考に!
攻撃相手を抹殺することは、寿命という死の自然の摂理に反する。肉体を消滅させるわけにはいかない。合気道で
は、受けを取ることを楽しめる方向へ。
①真っ向から、攻撃以上の攻撃力で衝突させ戦意を弱らせおさえる。存在力で。
②戦意は戦うエネルギーであるから、そのエネルギーを外に現れる前にそぐ、あるいは、疲れさせてエネルギーを弱め
る。
③エネルギーの方向を変える・・・省略して両極端で考慮
④相手の意のままに、エネルギーを使わせて、受け止め弱らせる。
⑤受け止めず、力を流して浪費させ弱らせる。相手の目標とするところにいない。攻撃対象を失くす。
反攻撃は攻撃の反義語です。反義語、反意語、反対語、対語、アントニムです。
反義語等は いづれも対義語である。
①生死男女などと意味が正反対になる場合、・・受け身にたたない
②大小など、程度さがある語、・・・・適度に調整
③一つの事柄を見方や立場をかえて表現する「売る⇔買う」「教える⇔習う」などの場合がある。・・・先手必勝、攻撃側
に立つ
ところで、
反攻撃の反の意味を理解すると、技、返し技につながる。
① 表裏を逆にするなど、向きを変えること。ひっくりかえすこと。「手首の―が悪い」・・・技一般
② しかえし。・正面打ちなら同じ正面打ちを返す。目には目を歯には歯を
③ 釣り針の先につけてある内向きの突起。かかった魚やえさが落ちないためにある。かえり。かかり。あご・・・逃げられ
ないように
- 55 -
④ 波・地震・大風などが一度やんで再び起こること。風の場合は反対の方向に吹くことをもいう。ぶりかえし。・・・連続
技、呼び戻し(元の状態へ戻しながらの技:相撲技:相手の体をふところに呼び込んで、反動をつけるようにして 差し
手 を返し、前に突きつけて相手を倒すこと。)
2.41.
41. 10/
10/06/
06/20 20 調和とは
調和とは喜
とは喜びである(
びである(共通意識の
共通意識の集団・
集団・調和とは
調和とは平和
とは平和)
平和)
調和とは存在である、ならば、調和は喜びに充ちている方が良い。
誰も、嘆いて毎日を暮らす悲しい存在でいたくは無いだろう。
一人ひとりの存在が、その特質を活かし、それらしい存在であり続けることは喜びである。
また各人が調和して生きることは、その存在をいきいきとさせるものでなければなりません。
ここでいう存在とは「ただある」ではなく、それ自体としてあるもの、実体が他のものに依存してあるのではなく、ものの
本質としてあるものをいう。つまり自立しているということである。
10/06/17反攻撃とは攻撃である(技、返し技・調和存続)の仲で、調和とは継続であると言った
継続とは消滅せずにそのまま存在し続けること
各人が精神的肉体的に消滅せずに存在すること自体、調和状態にあるといえる
しかし、その調和もいつも一定ではない、変化し続けている。
死へ向かっているのか、またはますますその本質を輝かせる方向へいくのか
現実自体が存在することは、生が死より優っているからであろう。
ただ存続しているだけであれば調和なのではない、ただの存続は停滞してすぐに衰退消滅へ転がっていく。
調和とはあるまとまりを持った、独立した諸要素の集合体である。
あるまとまり、とは
諸要素の一定の共通目標ために全体が機能するようにまとまったもので、
組織的・系統的である。諸要素は一定の共通目標で繋がっている。
調和は諸要素(諸単体)が肯定的関係でなければ、その全体的統一は弱く機能しない。
つまり結び関係させるものの強弱による
対立しあうもの、自己自身に相反するものから調和が生じるというが、均衡させようとする力が自らにも備わっているの
だろう
競い合い、ライバル意識は自然なものだが、時に、人間社会では原始的に働くことがあるから、要注意である。
平和を共通目標に置いてあることさえ忘れる。
調和には
諸要素の本質を保ったまま、その存在を継続させるために、その全体の目標が各要素の目標とするものであり続ける
ことである。つまり常に、一人ひとりが負の要素によって凌駕され忘れさせられないように、努力を継続しなければなら
ない。
各要素が一定の共通目標を意識してこそ、調和が維持されより以上の存在が達せられる。
では、平和以外に一定の共通目標に何があるか?
例えば、各人の独自の能力以上に、強い調和が、その能力を更に引き出してくれるもの・・・?
・・・その調和の存在価値となるものは何か・・・?
負を超える正のエネルギー?、自身の調和を維持する、自身を超える?正のエネルギー。
それは逆に、自身を超えない程度の正のエネルギーでも良いし、また負のエネルギーでも良い。その際は戦う本能
を利用する。
戦う本能を利用するときは、主観を離れ客観的に、必要なエネルギーに振り替えて働かせることが肝要である。
合気道の共通目標は何か?
愛を以って自己の使命を完遂すること・・・愛で結ばれた調和を実現維持することか?、調和とは平和。
平和とは、戦い(負のエネルギー)を超えて正のエネルギーが存続すること。
- 56 -
合気道の調和とは
その戦い(負のエネルギー)をより超えるためのエネルギー存続に、組織的系統的模索をすることにある。そして、その
結果が個人に還流されることで各人がより高次の合気道を理解し、より深く結ばれる。
これは自己の内心においても言えることであります。
********2010*06*23
調和とは全体の存在
それぞれの単体本姓の照応が全体を方向付ける
全体のために単体が本姓を変える?全体のために単体の本姓がある?
調和とは世界、・・世界と単体特性が共通の集団、共通意識の集団・家族、友人、団体、国家、世界
調和とは宇宙・・・宇宙と単体本姓が共通の集団、共通無意識の集団
***********2010/06/21
生かしあう
存在を高める
存在を高めるとは
存在を高めるためには
調和とは存在であるならば、調和とは喜びである。
諸要素の存在が、その特質をより現して、活き活きとして存在することは、喜びである。
存在を高めるとは
存在を高めるためには
特質とは
特質を磨くとは
2.42.
42. 10/
10/06/
06/24 24 存続関係の
存続関係の継続は
継続は相手を
相手を大切にすること
大切にすること(
行動の仕方、
仕方、感情の
感情の表出)
表出)
にすること(考え方、行動の
私たちは日常、相手の気持を大切にしているか?
相手のちょっとした言葉から心を推察し、大事にしているのだろうか?
有限的存在の我々が周りの世界を知ることが出来るのは、他の有限的存在者(事物も含む)を理解するからである。
結合と分離は何も物体に限ったことではない。人間の心においても、それは起こることです。人間社会を更正してい
るのは個人ではない。孤独な人間もいるだろうが、大多数は家族友人地域職場などの何らかのつながりを持っている
グループまたは団体である。
そのなかには、職場などの各個人の役割によったつながりとは別に、友人などの精神的つながりによって維持されて
いるものもある。役割には精神的役割も考えられる。
社会の統一体としての形象は、それらグループ団体内等の結合と分離を繰り返すことにより成立する。結合と分離を
繰り返すことは一面、ダイナミックに写るが安定調和に欠け、持続的発展性の可能性を積んでしまう。
安定調和は惰性と紙一重でもある。
強い結合は何によって可能なのか?
大体は、役割への期待が薄らいでいき疎遠、分離に至る。
分離の危機を孕みながらも、結合の状態を維持していくには、何が必要か?
そもそも社会関係は、人々の相互作用を促し、お互いに他方の地位の承認と役割への期待を生み、さらにそれを組
織化してなお安定した相互期待感を持たせるものが望ましい。
その社会関係を作るには、各個人は相互作用を通じ、行動の仕方、ものの考え方、または感情の表出や統制の仕
方を学んでいく必要がある。rf社会化:[ 日本大百科全書(小学館) ] .socialization
つまり、社会的人間として自己を形成していかなければならない。
自他の視点の違いをわきまえて他者の考えを重んじる相互尊重の精神と良心の形成(相互性の段階)である。
他者の考えを思いやることができず、自分を優先してしまうと我が現出してしまう。
さて、合気道団体において、相互作用の現実的な動的過程を活発化するには?何で繋がるか?
合気道でいえば
取りとしての存在と役割又は受けとしての存在と役割への期待度の違い
自己の合気道への期待点と審査制度の違い
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自己の合気道への期待点と合気道精神の違い
自己の合気道と他の合気道の違い
自己の精神と肉体の不一致等がある。
まず、自他の視点に相違があることを徹底的に知ることである。
後は自分の考えや行動を内省し、お互いの働きかけ、それにより及ぼす、又は受ける影響等を技を通して、相互作用
の繰り返しにより、考え方や行動、感情をコントロールしていく。
そのような合気道が合気道の社会的役割であり、個人の対立、社会的対立を引き起こす限界域を広げることに繋が
る。
それは自己の世界を広げ、より自由になることである。
方向を見失った合気道は、対立による葛藤と争いに束縛される。
- 58 -