「WB」vol.04(全ページ)

きだ。行列の先に一体何があるんだろうと、試しに並ん
T O K Y O の ニ ン ゲ ン は、 列 を 作 っ て 待 つ こ と が 好
向井豊昭
劇團櫻天幕
ック
ントリ
エキセ じじいの
ー
スーパ 冒険
大
恋と
でしまうニンゲンさえいるらしい。先にあるのはおやき
屋だったり、ラーメン屋だったり、千円札一枚で充分に
まかなえる場合がほとんどだから、手頃なゲームにもな
るのである。行列の先が火葬場のかまどの前で、﹁さあ、
どうぞお入りください。並の火葬料七三〇〇〇円いただ
きます﹂などと、柔らかな物腰で詰め寄られることは金
はたしてそうか?
輪際ないはずである。
六十年前には、ユダヤ人殺しの強制収容所というもの
があった。正門には、﹁働けば自由になる﹂という意味
のドイツ語の甘いスローガンが掲げられていたそうだ。
その日、わたしは、御丁寧に、妻と二人で並んでいた。
長 い 行 列 だ っ た。 大 江 戸 線 の 新 御 徒 町 駅 か ら 地 上 に
出ると、車の往来が激しい春日通りがある。その一本南、
かぶさるように建っているのは、この辺りでは、高さ
小島二丁目の裏通りにわたしたち二人は並んでいたのだ。
も大きさも抜群の三階建ての建物である。進む少子化で
統合され、廃校となった小学校の旧校舍なのだ。その南
側に面した公園に行列の先頭はいるはずなのだが、建物
は見えなかった。
を取り囲んで反対側に続いているわたしたちには、先頭
ドスの利いた声が響き、列が崩れた。首を突き出して
﹁御足労いただき、かたじけない﹂
見てみると、裏通りを侍が一人歩いてくる。浅葱の羽織
組だった。
の袖が颯爽と揺れていた。袖に食い込む純白の山形模様
がまぶしい。新
同じ言葉を何度も響かせ、新
組は列の後方へ去って
﹁御足労いただき、かたじけない﹂
いく。
わたしたち老夫婦の前にいる若いカップルが、一枚の
葉書に見入っていた。その葉書は、わたしのポケットに
も入っている。
中年の男の声と一緒に、紙をはじく音がする。招待の葉書が指
ではじかれているのだろう。すぐ後ろからの音だった。
ハリン︶のクシュンコタンをロシアの軍隊が占領した時のアイヌ
の働きぶりを顕彰するもののようであった。が、それよりも五年
やはり後ろからの声がする。男に見合った年齢の女の声だった。
﹁でもさ、新
﹁うん、ここいらだよ﹂
組の永倉新八が生まれたのはここいらだよね﹂と、
こにあるのかは大きな謎だった。
も早く死んでいたキムラカアヱノの南無阿彌陀仏の墓が、なぜこ
である。墓の世話人
た っ て 言 え な い よ ね。 だ か ら さ、 小 島 公 園 が 藩 邸 跡 だ っ て い い と
﹁ここ、ここ、一ミリの狂いもなく藩邸のこの場所で生まれまし
アヱノをローマ字書きにすれば
として名を刻む清水平三郎の耳は、そう聴いたのだろう。が、そ
居ました。嚴正なる抽籤の結果芽出度當選致しましたので此
葉書を御持參の上當日開演一時間前迄左記公演場所劇團櫻天
と 聴 い た 者 も い る。 幕 府 の 役 人 と し て 蝦 夷 地 に
0
こう書かれているのだ。
やってきた最上徳内である。彼の著作の一つ﹃渡島筆記﹄の中に、
0
自称してアヰノといふ。何の義たることをしらず。アヰノ
も亦自ら解することなし。
﹁ぼくが言いたいのはさ、公園じゃなく、ぼくらが今立っている
から、大通りへかけてがそうなんだってこと﹂
この辺りが松前藩邸跡だってこと。学校みたいな建物のこの一部
﹁それだって、アバウトでしょ﹂
﹁アバウトだけどさ、事実に近いんだよ﹂
﹁事実、事実って何さ。それってケチの言うことです。ケチとは、
もう一緒に暮らせません﹂
ヒールの音がする。
人間、と定義されている。
﹁ちょっと、ちょっと、ちょっと﹂
と 聴 こ え、 “AN AINU-ENGLISH-
らやってきたキリスト教の宣教師、ジョン・バチラーの力による。
ただけの土地ではないか。が、ヒールの音を残して去っていった
傾げることはできる。土方歳三の死んだ場所は、津軽海峡を越え
組が、なぜ、宗谷海峡を越えた先の北蝦夷地なのかと首を
追いかける男の声がだんだん小さくなっていった。
道にいた時のことだった。須藤隆仙という函館の坊さんの﹃日本
文明開化の彼の耳には
新
仏教の北限﹄という本の中に、松前町の光善寺境内にあるアイヌ
女の言い分を当てはめるならば、ロシア兵の占領に耐えたクシュ
組の隊士たちとは、旧体制のお役
にたつという、
﹁ここいら﹂においてつながっているのだ。それは
に 融 け 込 ん だ 時、 杭 も ま た 崩 れ た 姿 を 土 の 中 に 融 か し て い く の
杭 は、 あ の 世 へ の 旅 の お 伴 の 杖 で あ る。 旅 を 終 え、 死 体 が 土
のものの静けさで、列は進んでいった。葉書を手にしたペアばか
さっきとは違う顔だ。今度の隊士は、誠の幟を掲げている。誠そ
静 か と は 言 え な い 声 が と ど ろ き、 隊 士 が 一 人、 ま た 現 わ れ る。
れよ。お静かに、お静かに!﹂
﹁時刻と成り申した。御一同、お葉書をお手に、お静かに前進さ
ンコタンのアイヌたちと、新
の墓として﹁北蝦夷地惣乙名キムラカアエノ﹂の名が書かれてい
が、彼の手によって作られたのである。
JAPANESE DICTIONARY”
アヰノやアヱノは、こうして消えていったのだ。
字の縁は残る力を振り絞って指の腹を引っ搔いた。
それはそうだ。村の外れの小高い丘に、杭一本を目印にして葬
キムラカアエノではなく、キムラカアヱノであるということは分
さは何百人にもなるだろう。アバウトの限界を超えた数なのだが、
り で あ る。 各 回 十 組、 二 十 人 の 招 待 の は ず だ っ た の に、 数 の 多
られるべきなのがアイヌなのだ。
かった。
﹁行年七十二歳﹂という文字もある。正面の左には、
﹁先
教の呪文の石の下に葬られてしまうとは一体どういうことなの
もない劇団名だったが、二千円という観劇料は年金生活のこちら
のは、長い間、わたしが抱えていた謎のせいだった。聞いたこと
ば、 花 び ら の 間 に は 無 数 の 空 が 編 み 込 ま れ、 空 の 上 か ら 俯 瞰 す れ
当 の 桜 の 山 は、 桜 色 一 色 で は な い は ず だ。 枝 の 下 か ら 見 上 げ れ
り上がっていた。桜の山をかたどったつもりなのだろう。が、本
目の先には、桜色のテントが、まんじゅうのお化けのように盛
おお、これもまた、旧体制のお役につながる思想なのだ。
招待される身分として、ケチをつけるのは止めるとしよう。
で あ る。 そ れ が わ ざ わ ざ 海 を 越 え、 南 無 阿 彌 陀 仏 な ど と い う 異
カアヱノたち、先祖代々為菩提に建てたもののようである。
キムラカ
にとってはありがたい。﹁各回、十組︵二十人︶招待﹂という文字
ど、これって噓なんだよね﹂
﹁公演場所の小島公園はさ、松前藩邸跡だってここに書いてるけ
しまったのである。
美しいのは桜ではなく、桜が編み込むコミューンなのだ。
ば、土や草や花見客が模様となって編み込まれているはずなのだ。
﹁御足労いただき、かたじけない﹂
これはこの墓の建立者たちではなく、嘉永六年、北蝦夷地︵現サ
面と背面には、碑文と一緒にアイヌ名がぎっしりと並んでいるが、
同 じ 側 面 に は、 あ の 世 へ 旅 立 っ た 年 月 日 も 刻 ん で あ る。 右 側
もあり、まずは応募をしてみようと葉書を出したところ当たって
A
I
N
U
嘉永元戊申年七月廿五日
﹁世話人
清水平三郎﹂の文字は、墓石の左側面にあった。
││新 組&キムラカ
﹂という文字
か?
﹁風雲北蝦夷地
を新聞のイベント情報欄で見た時、これは行かなければと思った
この墓石、この脇乙名︵副首長︶が、惣乙名︵総首長︶キムラ
0
A
I
N
U
祖代々為菩提 脇乙名ハリ〳〵ホクン﹂と読み取れる文字もあった。
0
面の﹁南無阿彌陀仏﹂の右下にある﹁北蝦夷地惣乙名﹂に続く名は、
はくすみ、文字は読み取り難かったが、それでもよく見ると、正
墓石は、山門を入ってすぐの池のほとりに建っていた。石の色
松前へ足を延ばした。
何年かたち、わたしは函館へ出張する機会を得、休暇を取って
たのだ。
多分、この行列の人々にもつながっている。
アヰノやアヱノがアイヌになったのは、明治十年、イギリスか
んな面倒なことをしなかった。アヰノは、アヰノなのだ。
人間って何?
哲学から生物学まで、地球上の学者たちは総が
かりで答えを求めてきたが、最上徳内が出会ったアヰノたちはそ
今は何種類ものアイヌ語辞典があり、どの辞典にも、アイヌは
思うよ。アバウトでいいんだよ﹂
れを
A
W
E
N
O
幕入場口へ御越下さいますやうに御案内申上ます。
場
って、謎だよね﹂と、若い女が言った。
の名前を知ったのは、もう四十年も昔、北海
A
W
I
N
O
墓石のヱの字を、わたしは膏薬を塗るように薬指の腹でなでた。
キムラカ
A
I
N
U
おせっかいは止めてくれとでも言うかのように、磨り減った刻
A
I
N
U
そう、謎なのだ。
﹁でも、このキムラカ
﹁やっぱ、新 組が出るんだ﹂と、若い男が言った。
臺東區小島二丁目九番地
開
演 午後七時
上
以
記
︶
御招待人數
一組︵二名迄
御 招 待 日
平成××年××月××日
所 小島公園︵松前藩邸跡︶
御
招
待
券
││新 組&キムラカ
此度は劇團櫻天幕の﹁風雲北蝦夷地
﹂の公演御招待に御應募下さいまして誠に有難御座
A
I
N
U
02
﹁御足労いただき、かたじけない﹂
テントの入り口では、浅葱の羽織が勢ぞろいをし、同じ台詞で
出迎えていた。アイヌの姿をする役者は、なぜか一人もいなかった。
テントの中に入る。すっぽりと覆われた公園の立木が、テント
のあちこちに立っていた。
パイプ椅子が並んでいる。わたしと妻は、まだ空いているかぶ
りつきの席へ足を急がせた。
﹁何さ、スタニスラフスキーの本なら、わたし、昔に読んだわよ。
﹁おお、おひねりじゃ。皆の衆、袋はいらん。お、おひねりを願
掛け声が飛び、日常が捨てられる。
ハナが飛んでいた。
寺山修司の手を取り、近藤勇は舞台に上がる。
ててしまった寺山なのだ。
青森のアクセントを捨てようとして、東京のアクセントまで捨
コトヲ ハナト ユウ
アオモリノ ホーゲンデハ オヒネリノ
しつこいようだが、寺山節はこうなってしまう。
コトヲ ハナト ユウ
アオモリノ ホーゲンデハ オヒネリノ
東京弁でのアクセントは、こうなるだろう。
コトヲ ハナト ユウ
アオモリノ ホーゲンデハ オヒネリノ
セントはこうつくはずなのだ。
寺山の証だと言うが、それは違う。青森のなまりで言うと、アク
アクセント一つない寺山節だ。人はこれを青森なまり、土俗の
﹁青森の方言では、おひねりのことをハナと言う﹂
おひねりを縫って、寺山の声がまた響いた。
飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ││。
おひねりが飛ぶ。
い申す!﹂
当たり前じゃありません﹂
当たり前のことを言ってるって感じだったわ。でも、この舞台は
遠慮のない声で妻が言うと、舞台の上に戻ったばかりの隊士が
振り向いた。刀の柄を握っている。妻をにらむと、険しいその目
をぐるりと客席にやった。唇が大きく動く。
のために香を
﹁客人たち、ここで御焼香を賜りたい。前列より、順次舞台上に
お上りあれ。北蝦夷地開拓の祖、キムラカ
えくださるよう願い奉る。御香典袋は、一袋千両で、この場所で
焚くと共に、北方領土返還を祈念し、先人の霊への御香典をお供
舞台には幕がなかった。まだ照明の当たっていない舞台の奥に
いる。舞台の袖のスピーカーからは、くぐもった読経の声が流れ
組 は、 抜 き 身 を
組を追いかける。抜き身が光った。誠の幟が揺れる。
﹁静まれーっ!
席に着くのじゃーっ!﹂
近藤勇の声も、スタニスラフスキーシステムではない。パイプ
照明が新
振りかざして一斉に出口へ走っていった。
口を向いていた。それより早く、舞台の上の新
席がどよめいた。あちらこちらで立ち上がる人々がいる。目は出
スタニスラフスキーシステムから逸脱した声がとどろくと、客
切腹じゃあ!﹂
お分け致す。袋の中に入れる額は、五千両以上。これができぬ者は、
は、祭壇のようなものがあった。白木がうっすらと輪郭を作って
ていた。
ブザーが二度鳴り、照明が当たる。背中を見せた浅葱の羽織た
ちが正座をして並んでいる。横断幕が下りてきた。
北蝦夷地惣乙名キムラカ AINU 追善法要
白木の祭壇の上には、額入りの写真が飾ってあった。目をしば
たたく。何とそれは、フセイン大統領の写真だった。
椅子に座り直す音が、テントの中に響いた。
最上席の浅葱が、太った体を重そうに揺らしながら立ち上がる。
垂れ目だった。これが近藤勇だとしても、フセインAINUより
﹁こりゃーっ、そこに立つ者、拙者の声が耳に入らぬのかーっ!﹂
切っ先を宙に突きつけ、近藤勇が叫ぶ。切っ先の先をたどるわ
はまだましだ。近藤勇、ということにしよう。
近藤勇が写真に近づく。懐に挟んだ大きな和紙を開いた。墨で
に囲われた木の一本に寄りかかり、男は腕を組んで立っている。
たしの目に、サンダルばきの一人の男の姿が映った。テントの中
どこかで見た顔である。
声が小さい。かぶりつきにいるというのに、聞き取ることはで
きなかった。
男の口が開いた。
書かれた文字が見える。写真へ向かって、近藤勇は読みはじめた。
﹁聞こえる?﹂と、妻がわたしの耳に口を寄せて言った。わたし
眠っている﹂
﹁一本の木にも流れている血がある/そこでは/血は立ったまま
﹁寺山さんよ。そうかあ、分かったわ。寺山さんって、木だった
一万円札を、妻がひねろうとしていた。
アクセントが捨てられ、卑しい自分が捨てられる。
は両腕で×を作った。
つけた。
んだ﹂と、妻がつぶやく。
妻の顔が正面へ戻る。即座に妻は、舞台へ向かって言葉を投げ
﹁聞こえません﹂
﹁貴、貴殿は、寺山修司殿!﹂と叫んだのは、近藤勇だ。
﹁ジャイアンツの藤本英雄投手が、青森市営球場でパーフェクト
﹁ケチとは、もう一緒に暮らせません﹂
﹁そんなに?﹂と、わたしは言った。
テントの隅々へ届く、声量のある声だった。高校、大学と、演
劇部で活動してきた妻なのだ。高校一年の時、同じ学校の二年に
員 ﹂ を や っ て い た 頃 で あ っ た。 相 手 は 白 石 の 率 い る 西 日 本 軍 で、
ゲームをやったのは、私が少年ジャイアンツの会青森支部で﹁委
演 劇 部 の 発 表 会 を や っ た 時、 席 に は 座 ろ う と せ ず、 サ イ ド の 壁
独得の発音で言うと、寺山はズボンの左のポケットから百円玉
藤本のスライダーに手も足も出なかったのだ﹂
は、文学部長をやっていた寺山修司がいたそうだ。学校の講堂で
時々、思い出話を繰り返す。
66
に腕を組んで寄りかかっていた寺山の姿が印象的だったと、妻は
百円玉を札に乗せ、札をひねる。硬貨の重みをくるませた札を、
96
を出した。右のポケットから出したのは一万円札である。
寺山は舞台めがけて投げつけた。
向井豊昭 § Mukai Toyoaki
﹂ で早 稲 田 文 学
年 生。 年、 歳にして ﹁ BARABARA
新人賞を受賞、奇妙な文体とシュールな物語、真摯な問題意
識のアンバランスが、ファンに熱狂的な人気を博す。 年に
の若 手 写 真 家とのコラボレーション
photographers' gallery
で行った自作朗読での熱演は、一部で今なお語りつがれている。
33
舞 台 の 上 か ら、 浅 葱 の 隊 士 が 一 人、 飛 び 下 り た。 身 を 低 く し、
隊士は声を潜めて妻に言う。
﹁お静かに。これは、スタニスラフスキーシステムで演じてござ
スライダーがフセインの眉間を打ち、舞台の上でおひねりは踊
った。
03
るのじゃ﹂
それだけ言うと、隊士は舞台の上へ戻っていった。
02
A
I
N
U
04
[解説]
引用原典=﹁思ひ出す事など﹂ 大正四年・春陽堂刊。
ルビを一部追加してあります。
奥泉光
い こ と だ と は 思 う の だ け れ ど、 い ち お う 念 の た め に す れ ば、 こ
﹃ 思 ひ 出 す 事 な ど ﹄ を い ま さ ら 推 薦 す る こ と な ど、 全 く 必 要 な
語 の 散 文 を 考 え 抜 い て き た 夏 目 漱 石 が 書 い た、 最 も 充 実 し た 散
れ は 作 家 と し て 出 発 し て 以 来、 い や、 そ の ず っ と 以 前 か ら 日 本
文 作 品 と い っ て よ い だ ろ う。 内 容 は い う ま で も な く、 明 治 四 三
年 夏、 修 善 寺 で 血 を 吐 き 死 に か か っ た 経 験 を 記 し た も の だ が、
お よ そ 近 代 日 本 語 で 書 か れ た エ ッ セ ー 中、 頂 点 を な す 作 品 と い
っ て 過 言 で は な い。 も っ と も、﹃ 猫 ﹄ で デ ビ ュ ー し た 漱 石 が、 精
進 の 果 て、 つ い に こ こ へ 至 っ た と い う の で は な い。 漱 石 は 最 初
ル を 踏 破 し た 作 家 の、 一 つ の 頂 上 で あ る に す ぎ な い。 と は い え、
か ら 完 成 さ れ た 作 家 と し て 出 発 し た の で あ り、 幾 つ も の ス タ イ
存分にいかしつつ書かれた点は注目してよいだろう。漱石は﹃道
﹃ 思 ひ 出 す 事 な ど ﹄ が、 自 然 主 義 文 学 成 立 普 及 の 後、 そ の 成 果 を
草 ﹄ 等 で 自 然 主 義 の ス タ イ ル を 本 格 採 用 し た が、 自 然 主 義 の 技
法 に 一 番 深 く 内 在 し た の が 本 作 品 で あ り、 そ の 結 果、 自 然 主 義
未来を照射するだけの力があると感じられる。
へ の 批 評 を も 鋭 く は ら む こ と に な っ た 一 篇 は、 日 本 語 の 散 文 の
夏目漱石
§ Natsume Soseki
一 八 六 七 │ 一 九 一 六。 小 説 家。 本 名 は 夏 目 金 之 助。
東大で教鞭をとりつつ発表した小説﹁吾輩は猫であ
る﹂が評判を呼び、続けざまに﹁坊ちゃん﹂
﹁草枕﹂
などを執筆。朝日新聞社に所属して職業作家となっ
て以降は、
﹁それから﹂
﹁こころ﹂などの作品を発表
するも、断続的に胃潰瘍や痔瘻などの病に悩まされ
た。
﹁ 思 ひ 出 す 事 な ど ﹂ は、 修 善 寺 の 大 患 と 呼 ば れ
る大病のさなかに執筆された作品。
§ Okuizumi Hikaru
年生。
﹃石の来歴﹄
︵芥川賞︶はじめ小説の方法論
奥泉光
を模索した前衛的作品と、
﹃
﹁吾輩は猫である﹂殺人
事件﹄などのエンターテインメント性の高い長篇を
並 行 し て 創 作。 ほ か に、 吉 野 弘 志・ 小 山 彰 太 ら と
ジャズ・セッションを行うフルート奏者、いとうせ
い こ う と の 掛 け 合 い が 光 る 文 芸 漫 談 師、
﹁文学がみ
るみるわかる﹂熱血大学教師としての顔も持つ。
05
56
ィッ
ハイブリッド
・クリテ
ク
ための空間として感覚するが、車を加速させればさせるほど、この未来の支
配領域は拡大し、そして一度獲得したこの支配領域を減らさないためにさら
4
なる加速への衝動に駆り立てられる。そしてこの加速のために、運転者は狭
い内閉的な車内にいながら閉塞感を感じずに、世界を獲得しているような感
エ コ と エ ゴ の ハ イ ブ リ ッ ド
大 杉 重 男
覚を味わうことになる。大澤はこの自動車運転者の欲望の構造を、ディズニ
Osugi Shigeo
ーランドの体験、引いては外部を常に内部化することによって自身を駆動す
る資本制の構造と重ね合わせ、この加速が行き着いて外部が完全に消去され
た時に到達するのは「死」であると分析している。
この連載の第一回の原稿を書いた時、私は連載全体の題名を決めていなか
った。大学から車に乗ってこれから帰ろうという時に早稲文の編集室から電
私がプリウスに乗って経験したことも、確かにこの大澤の洞察にあてはま
話があり、題名を考えてくれと言うので、家に帰るまで運転しながら考えた
ることが多い。加速は快感であり、そしてそれは「死」の危険の感覚によっ
が、いい案が浮かばないので困っていたら、ふと今運転している車が「ハイ
て昂揚する。しかしプリウスには同時に別の快楽の仕掛けが施されている。
ブリッド車」であることに思い至り、
それで即席につけたのが「ハイブリッド・
それは「燃費」である。私のプリウスは最新のものよりは悪いにしろ、一般
クリティック」である。
の同程度のセダンタイプの車よりは本来捨てられたはずのエネルギーを「回
生」して充電して再利用している分「燃費」がいいはずである。そしてこの
は運転しようと思い、インターネットの中古車販売のカタログをひとわたり
エネルギーを「回生」させる効率は、運転技術によって異なって来る。むや
見て、トヨタのプリウスを買った。プリウスといっても現行のそれ(20 型)
みに加減速せず、電気モーターを効率的に使うことで「燃費」は良くなる。
で は な く て、 最 初 の 型(10 型 ) で あ り、 エ ン ジ ン を 起 動 す る と 画 面 に
かくてマニアのプリウス乗りは、一回の給油で何キロ走れるかを追求するこ
「WELCOME TO PRIUS」と文字が浮ぶ、八年くらい前のものである。この
とに血道をあげるらしい。当然その運転は加速の否定、「死」の否定となる。
初期型プリウスは初めての「ハイブリッド車」ということで、後の型のもの
トヨタがドライバーの心理をどこまで計算していたかは知らないが、「エコ
よりも燃費は良くなく、パワーも出ないらしいが(新しいプリウスには乗っ
カー」とされるプリウスは、単にガソリンを食わず排気ガスがクリーンだか
たことがない)、私は小回りが利くのとオーディオの音が良いのとで気に入
ら「エコ」なのではなく、ドライバーの「エゴ」に新たな欲望の回路を穿って、
っている。
強制ではなく自発的に一種の「養生術」を習得させるところにその本質があ
「ハイブリッド車」とは、基本的にガソリン・エンジンで走りながら、その
るように見える。これはある意味反資本制的であり、それ故に後のモデルチ
時に出る余剰エネルギーを外に逃がさないで充電し、電気モーターを回して
ェンジではより普通の車に近づくように変更されたと聞くが、初期型プリウ
再利用するという仕組みの車である。つまりガソリンと電気の二つの駆動力
スには、意図せずに制度の枠組からこぼれ落ち
を使うということで「ハイブリッド」=「混合」というわけである。長い急
た実験性があって、そこが私には好ましい。も
な峠道などを走ると、充電が切れて、ハイブリッドシステムが停止し(今の
っとも自分では燃費運転はあまり心がけずに乱
プリウスはこういうことはないらしい)
、ガソリン・エンジンだけで走るよ
暴に走っているが(何しろ高速の燃費が一番良
うになるが、そんな時はいかにも片肺走行という感じで頼りない音を立てな
い。ちなみにこの間計算してみたら 14km/ℓだ
がらあえぎあえぎ登るので、この車が電気モーターのアシストがあって初め
った)。
トヨタ プリウスNHW
私は二年前にやっと普通運転免許(AT 限定)を取った。そして取った以上
10
て一人前の車であるということを実感する。
大澤真幸は自動車の本性を「加速性」と「内閉性」ということに見ている
大杉重男 § Osugi Shigeo
(「加速資本主義論」、『「不気味なもの」の政治学』所収)。自動車の本来の機
65 年生。主要著書 『小説家の起源──徳田秋声論』
『アンチ漱石──固有名批判』
。
能は目的地に早く到着することであり、そのために加速をするのだが、この
部
直
己
Watanabe Naomi
陽 気 で 利 発 な 初 心 者 の た め の 現 代 思 想 入 門 ❹
渡
﹁やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける﹂││﹃古
今集﹄序文のこの有名な一行を知らない人でも、まあそんなものだろうと 即
座に頷くだろうし、和歌に限らず、言葉の﹁種﹂が﹁心﹂だということは、さ
らに古今東西 の別を問うにもおよばない。 これほど 自明な因果関係・ 前後関
0
係はないと、遙か昔から人びとはずっとそう感じ考えてきたわけだが、しかし、
0
言葉の方が逆に﹁心﹂の﹁種﹂だとしたら
0
こ の 逆 転 性 に か ん し て、 精 神 疾 患 な る 具 体 的 対 象 の も と、 き わ め て 雄 弁 か
0
つ挑発的な照明を当てつづけた点に、
精神分析の﹁発明者﹂フロイト︵一八五六
0
│一九三九︶の、その最もスリリングな視線が存するというのが、少なくとも
わたしの 人生に出まくって いる肝要事になるのだが、 これは、言語表現 にま
れない。曰く言い難いもの。 何か複雑な思いを言葉にするたびにそこから 漏
つ わ る 齟 齬 の 感 覚 に 立 ち 止 ま っ て み る と、 広 く 誰 に も 思 い 当 た る こ と や も し
れ 落 ち る も の。 だ が、 自 分 の 内 部 に 何 か﹁ 語 り え ぬ も の ﹂ が あ る と い う 感 触
を 抱 く の は、 わ た し た ち が ま さ に﹁ 語 る ﹂ か ら で は な い か、 と い う の が フ ロ
イトの││正確にいえば、後年のジャック・ラカンによって思い切り拡大強調
かつ精密化され、現代思想を刺激する││慧眼にほかならない。
︽抽象的思考言語ができあがってはじめて、 言語表象の感覚的残滓は内的事
象と結びつくようになり、 かくして内的事象そのものがしだいに 知覚されう
るようになった︾
︵西田越郎訳﹁トーテムとタブー﹂︶
原始人のタブーにまつわる出典の論旨は割愛するとして、言語と心との﹁発
生的﹂関係へのこの寸言を敷衍すれば、物の名などの具体的指示言語を獲得
した程度の原始人や、現代人でもこれと同程度の人間には、いまだ﹁心﹂=﹁内
的事象﹂と呼びうるものは存在しないという話になる。﹁愛﹂だの﹁癒し﹂だ
の﹁ 透 明 な 悲 し み ﹂ だ の、 あ れ こ れ ス カ し た 言 葉 を 覚 え ぬ ま で は、
﹁ 心 ﹂ も、
従 っ て む ろ ん、 そ こ に 作 用 す る﹁ 無 意 識 ﹂ も あ り え な い。 少 な く と も、 そ の
傷や変調が治療の対象となるような内面性は成立しない。なにしろそれは、抽
象 化 や 観 念 化 に 伴 う﹁ 言 語 表 象 の 感 覚 的 残 滓 ﹂ の い わ ば 受 け 入 れ 場 所 と し て 、
!?
フロイトはここが出る
加速はそれ自体が享楽の対象となる。車に乗る者は常に前方の空間を自分の
06
い
し
たの
④
命
革
絓 秀 実
周知のように、CPE は 26 歳以下の若年層全体を対象に、
「2 年間の試用
期間中は理由なしに解雇できる」とするところの、ネオリベ的な法案であ
る。そして、この抗議行動によって、フランス政府は CPE の撤回を余儀
なくされた。日本の「リベラルな」ジャーナリズムの報道は、反ネオリベ
闘争の勝利を賞賛するという論調だったといってよい(日本に較べてフラ
ンスの学生や労働者はアクティヴだ、という次第)
。大方の「左派」も積
極的な支持を表明した。それは、昨年の「暴動」へのシンパシーと同様の
ものであった。だが果たして、そう簡単にこの度の「勝利」をことほいで
i
em
Suga Hid
よいものだろうか。両者の構造的な関連を論じたものがほとんど見られな
かったことを、むしろ疑問とすべきである。事実、CPE を撤回したフラ
ンス政府が用意している新法案は、解雇の対象から学生を外し、大学や高
花咲政之輔と共同で『ネオリベ化する公共圏』などというタイトルの本
校を卒業していない就職資格者のない若年層に限るというものであるよう
を出してしまった者が言うのも何だが、現代社会を「ネオリベラリズム」
だ。つまり、昨年の「暴動」の主体であったアンダークラスの移民労働者
と規定すれば批判できた気になるという風潮には、かねがね、いさかかウ
2 世 3 世のさらなる切捨てによって、ミドルクラスの者の地位をとりあえ
ンザリするところがあった。確かに、80 年代のレーガノミクスやサッチ
ず確保してやったわけだ。
反 CPE 闘争の現場で移民労働者の問題が論議されなかったということ
済政策が、市場原理主義=ネオリベラリズムと呼ばれてしかるべき色彩が
はないだろう。しかし、それがアンダークラスを切り捨てることで収束し
色濃いことは否定しないし、またそれが、いわゆる「格差社会」を生み出
たということは、その「リベラルな」闘争がネオリベ的な政策に反対して
していることも事実だろう。しかし奇妙なことに、ネオリベを批判する民
いるように見えて、その漸進的な実現に加担してし
主党から市民主義左派にいたる者の、
それに対置するのが「リベラリズム」
まっているという側面が色濃く存在していることも
でしかないのは奇妙なことではないだろうか。いったい、ネオリベラリズ
事実ではないだろうか。アメリカ型の市場原理主義
ムとリベラリズムというのは同根ではないのか。
に、フランス型の福祉主義を対置することが、何の
ここでは、ネオリベの祖と見なされている『諸国民の富』のアダム・ス
解決にもならない理由である。リベラリズムとネオ
ミスが『道徳感情論』の著者でもあるといった、よく知られた事態には立
リベの、このような円環を切断することこそが、
「革
ち入らないし、ましてや、ミーゼスやハイエクの市場原理主義が誕生した、
命」の急務なのだ。
﹃ネオリベ化する公共圏﹄明石書店
ャリズム以来、あるいは、中曽根民活から小泉構造改革にいたる政治・経
第一次大戦後のヨーロッパのコンテクストについて言及する余裕はない
(後者については、
『ネオリベ化する公共圏』を出すきっかけとなった事件
の一当事者である森元孝早大教授の大著『アルフレート・シュッツのウィ
絓秀実 § Suga Hidemi
ーン』が浩瀚な研究としてあり、参照されたい)
。
49 年生。批評家として革命の思想に精根を傾けつつ、
「そんなもの来ませんよ」と笑い飛ばしもする男。最新
刊『ネオリベ化する公共圏』に関する WEB サイトは、
http://www.akashi.co.jp/osirase/neoliberal02.htm
ところで、移民労働者 2 世 3 世による昨年の「大暴動」に続き、今春は、
学生・労組による反 CPE のデモとストライキが、フランスを席巻した。
0
そのつど事後的に作り出されるというのだから。
0
0
0
物 理 療 法・ 催 眠 療 法 か ら 対 話 治 療 へ の 一 大 転 換 も 当 然 こ れ に 連 動 す る。 す
なわち、分析医との﹁対話﹂のなかに浮かび上がる言葉のさまざまな表情︵澱
み、偏り、歪み、すり替え、錯綜、固執、抵抗、拒絶、等々︶から、病の﹁原
因 ﹂ を 探 り だ す こ と。 と い う か む し ろ、 謎 め い た 棘 の ご と き そ の﹁ 原 因 ﹂ を
もつ患者の﹁心﹂そのものを逆に、治療現場の︿いま・ここ﹀に作り出すこと。
この創作性は、﹁原因﹂なるものの実証性︵たとえば、そのノイローゼ患者が
子供のころ両親の性交場面を実際に目にしたか否か︶を二の次となすまでラ
て ら れ た も の を、 自 分 を 苦 し め つ づ け て き た﹁ 原 因 ﹂ と し て、 患 者 じ し ん が
デ ィ カ ル な 転 倒 を 孕 み、 創 作 だ ろ う と な か ろ う と、 と も か く、 そ こ で 探 り 当
明白に承認すれば 一丁上りという 仕儀になる。この道筋には、もちろんヤバ
イものがある。過タルハ猶及バザルガ如シ! いかに治療のためとはいえ、こ
こまで来るとショウミ 治療じたいがまるごと 病気やんけ、という批判が生ず
るわけだが︵ドゥルーズ/ガタリ﹃アンチ・オイディプス﹄等︶
、この点につ
いては措く。ここでは、内と外にまつわる逆転的視界の脅威=驚異的な執拗さ、
強靱な読解力を最大限に強調しておくべきで、﹃夢判断﹄
︵ 一 九 〇 〇 年 ︶ な ど、
その好個の書物となるだろう。
あ ま た の 事 例 を 掲 げ て は そ の つ ど、 内 な る 夢 の 内 容 以 上 に、 そ れ を 外 化 す
る者の語彙や語り方をこそ注意深く追跡しながら﹁謎﹂の解明にいたる一著は、
い わ ば、 世 界 最 高 の 推 理 小 説 集 と も 称 す べ き 趣 を た た え て お り、 言 葉 の︵ し
ばしば、多言語的な︶微に入り細をうがってやまぬその探索ぶりは同時に、き
わ め て 良 質 の﹁ テ ク ス ト 分 析 ﹂ の 観 を も 呈 し て い る。 こ こ に も ま た、 探 索 過
程の大胆かつ繊細な鮮やかさに 比して、犯人がいつも 家族の誰かで、凶器は
必ずペニスという難点がありはする。が、
〝 ネ ク タ イ は ペ ニ ス〟 と い っ た俗 流
跡を絶たず、﹁イメージ﹂やら﹁実感﹂やらに頼って﹁心﹂を語る甘ったれや、
言葉にたいする 鈍感さを﹁誠実さ﹂と取り違えている者たちのさらにうぢゃ
用 文 を 含 ん で、 日 本﹁ 近 代 文 学 ﹂ に よ る﹁ 内 面 ﹂ の 制 作 過 程 を 解 き 明 か し た
07
めく昨今、有為の初心者には一度は手にとってもらいたい。││なお、右掲引
『夢判断』
(上・下) 新潮文庫
名著に柄谷行人﹃日本近代文学の起源﹄があるので併読を勧めておきたい。
§ Watanabe Naomi
年 生。 小 説 や 現 代 思 想 はもちろ
渡部直己
ん、
﹃がきデカ﹄からサッカーまで
を 鋭 く 斬る批 評 家。 増 補 版﹃ 不 敬
文学論序説﹄
︵ちくま学芸文庫︶が
好評発売中。
52
08
���� ������
さて明治の御代もいや栄えて、
彼の時分は面白かつたとなど、学
校時代の事を語り合ふ事の出来る
紳士が沢山、出来ました。
何故かおツ母さんは、泣面です、
そして私を叱るやうに﹃窪田さん、
﹃うん、面白い鳥だらう﹄と、
口は淋い笑を洩して一寸振り向き
声を低く﹃昨日から出て居ない
そんなものを御覧になるなら彼所
ましたが、直ぐ又、下を向て了ひ
口が、何処からか鸚鵡を持て来た
へ持て去つしやい!﹄
分﹄です、それこそ今のお方には想
を越て響く、それ鐘がと、素人下宿
が、君まだ見まい、早く見て来玉
ました。
を上草履のまゝ飛び出す、田圃の小
へ﹄と、言ひますから、私は直ぐ
像にも及ばぬ事で、じやん〳〵 と就
業の鐘が鳴る、それが田や林や、畑
貰うなどといふ有様でした。
路で肥料を担いだ百姓に道を譲つて
早稲田文学会/早稲田文学編集室
落ち合ふ毎に、色々の話題が出
ます。何度となく繰り返へされま
編集・発行
口に聞きますと樋口は黙つて頷
松蔭浩之
﹃可いかい君、
﹄と、私は持主の
奥定泰之
Photograph
︻明治三九年六月号より︼
Design
森本翔子
中村太一
いて軽く嘆息をしました。︵つづく︶
青木誠也
口の部屋にゆきました。
裏の畑に向いた六畳の間に、
口と此家の主人の後家の四十七八
(Concept & Direction)
辛由美
或日、 口といふ同宿の青年が、
何処からか、鸚鵡を一羽、美しい籠
に入れたまゝ持て帰りました。この
をして居る処でした。此後家の事
になる人とが、差向ひで何か談話
市川真人
Special thanks to
す。繰り返へしても〳〵 ても飽を
知ぬのは亦た此懐旧談で、浮世の
青年は何故か其頃、学校を休んで、
を私共は皆なおツ母さんと称んで
何とはなしに日を送つて居ましたが、
おツ母さんは頗るむづかしい顔
をして 口の顔を見て居ます、
居ました。
した。
午後三時頃、
学校から帰ると、
舌の先で甞て、下を向て居ます。
口は平時の癖の下唇を嚙では又た
私には別に不思議にも見えませんで
私の部屋に三人、
長谷部和美
そして鸚鵡の籠が本箱の上に置て
朴文順
友達が集まつて
寺井ゆみ
あります。
山田竜司
山本浩司
は同室に机を並
三田誠広
居ます、其一人
小倉潤也
﹃ 口さん〳〵 ﹄と突然、鸚鵡
が間のぬけた調子で鳴いたので、
佐伯悠
十重田裕一
べて居る木村と
伊藤慶祐
貝澤哉
いふ無口な九州
村田知嘉子
江中直紀
﹃ヤ、此奴は奇体だ、 口君、何
処から買つて来たのだ、此奴は面
青山南
の青年、他の二
(Editor in Chief)
白い﹄と私は未だ童子です、実際
芳川泰久
Edited by
人は同じ此家に下宿して居る青年で、
土田健次郎
面白ろがつて籠の側に接つて眺め
Published by
ました。
2006 年5 月15日発行(隔月刊)
政治科及び法律科に居る血気の連中
WB
Waseda Bungaku Free Paper
でした。
私を見るや、
政治科の鷹見が、
Shock!! Issue vol.04
﹃窪田君〳〵 、珍談があるよ ﹄と
「WB」は、全 国 38 都 道 府 県
+海外 4 都市で配布中 !
波にもまれて、眉目の何処かにか
真の氏名キャプションが、上下入れ違っていました。ここに謹ん
でお詫びしますとともに、訂正いたします。
苦闘の痕を残す方々も、﹃彼の時
ショイと電線」 中で、劇団ヨーロッパ企画のみなさんの集合写
分﹄の話になると、我知らず、青
【お詫びと訂正】前号 21 頁掲載の「福永信の京風対談 ワッ
春の血潮が今一度、其の頬にのぼ
24 頁、巻頭インタビューは小川洋子さんです。乞う御期待。
(IC)
り、眼もかゞやき、声までが艶を
頁に詰め込みましたが、次号(7 月 20 日頃配布予定)はまた
もち、やさしや、涙すら催ふされ
!」とのこと。 新企画の準備と予算のテストで今号は 20
ョン』
ます。
レーションに慣れてきて、「今回のモチーフは『パルプ・フィクシ
力で、校舎も立派になり、其周囲
トグラファーの松蔭浩之氏とデザイナーの奥定泰之氏も、コラボ
て其一を有つとでもいひさうな勢
の方々、発行元・早稲田大学からのサポート、なにより読者
のみなさんのおかげで、ようやくかたちが整いつつあります。フォ
の田も畑も何時しか町にまでなつ
て了ひましたが、所謂る﹃あの時
したり提供して下さる方々や、もちろん書き手や印刷・製本所
私が未だ十九の時でした、城北
大学と言へば今では天下を三分し
「WB」 第 4 号をお届けします。創刊から半年、設置場所を探
169-0051 東京都新宿区西早稲田 2-7-10
TEL/FAX 03-3200-7960
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印刷
(株)早稲田大学メディアミックス
169-0051 東京都新宿区西早稲田 1-1-7
TEL 03-3203-3308
FAX 03-3202-5935
日本語による文学・哲学・芸術表現の普及をめざすフリー
ペーパー「WB」では、主旨に賛同・応援してくださる個人
や企業のみなさまからの、広告出稿や配布場所提供などに
よるご助力を求めています
(広告収入は部数と配布箇所の
拡大のために用いられます)。関心をお持ちくださったかた
は、小誌編集室までご一報いただければさいわいです。
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24 枚刷り)をプリント費用+送料実費(750 円)でお届け
します。詳しくはお電話・メールにてお問い合わせください。
また、
「WB」 vol.01 ∼ vol.03 は 6 月中旬以降、 小誌サ
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09
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フ
ァ
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ョ
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横田創 § Yokota Hajime
女 の 子 の 文 学 ④
横
田
70 年 生。 作 家。“ 新 し い 生 の
様式 ” としての「女の子」の布
教 に つ と め る。“ 男 性 フ ァ ッ
ション ” など存在しない、が持
創
論。もちろん文学も。主著『裸
のカフェ』
。
血となりワインとなる。だから食事は楽しい。排泄することも同じです。
クレオン さあ、きっぱりと申し立てろ。お前も、この葬式の企みに荷担し
あずか
たと白状するか、それとも誓って与り知らぬとでもいうのか。
transport[恍惚と]させられるあまり失禁したり失神したりするのは女
イスメーネー はい、私もその仕事をいたしました、お姉さまがお認めならば、
の子ならではの " 仕事 "。そう書くと思い出すのは武田泰淳の『目まいの
わ
する散歩』のなかで描かれている(『富士日記』の作者として知られる)
いっしょの仲間で、またお咎めも頒けあいます。
いや
アンティゴネー まあ、そんなこと正義があなたに許さないわ、あなたは嫌っ
武田百合子という名の鬼姫です。といっても、彼女は「大学教授の自宅」
て言ったのだし、私も仲間にしなかったから。
で酔っぱらって「無意識のまま、吐きつづけ、それから座ぶとんの上に、
イスメーネー でも、私、こうしたあなたの不幸にあたって、受難のおりの、
おしっこをした」だけのことなのですが。人目もはばからずに? 女の子
道連れになるのを、けして、恥じませんわ。
なのにはしたない? いいえ、大股びらきは女の子の専売特許です。人目
よ み
アンティゴネー 誰の仕事か、冥府の神やあの世の人が、ちゃんと知っておい
を気にして自分の恥部を隠したり他人の恥部に隠れたりするのは " 男であ
る " 男たちの business、女の子のなりそこないのイスメーネーのように
でだわ、口先だけの仲好しなんて、ちっとも有り難くない、私。
誰々が「お認めならば」とか「けして、恥じません」とか条件ばかり並べ
(ソポクレース『アンティゴネー』訳・呉茂一)
て結局はなにもしないのです。比類なき女の子、女の子のなかの女の子で
work でも job でも business でもなく、travail という拷問にも似た
あるアンティゴネーは、国の法律に触れようが触れまいが、仲間がいよう
産みの苦しみ、陣痛。それゆえ労作とも翻訳されるこの言葉は、日本では
がいまいが、ただ祈りにだけゆるされる沈黙のなかで " わたしの " 神とと
「とらばーゆ」という求人雑誌のせいで転職や働き口のイメージが強くな
もに " わたしの " 仕事をするのです。私は私のシゴトを続けなければなら
ってしまったけれど語源的には女の子の " 仕事 " を意味するのではないか
ない。早世した小説家・李良枝の言葉を思い出しま
とわたしは考えています。たとえば食事をすること、それも女の子の " 仕
す(
『ナビ・タリョン』
)。限りあるものを、限りある
ものとして、限りなく愛する神にならうこと。シモ
をほどき胃や腸を風呂敷包みのようにひらかなければならないから否が応
ーヌ・ヴェイユの言葉を思い出します(『重力と恩
にも女の子にならなければならないのです。傷口から(外へ)血を流すこ
寵』
)。まだまだたくさんの女の子たちの言葉があり
とも、口腔から(内へ)ワインを摂取することも皮膚の彼方へ transport
ます。無条件に、そして無際限に愛した彼女たちの
[輸送]していることに変わりないでしょ? そのときわたしたちの魂は
" 仕事 " が。
『アンティゴネー』岩波文庫
ル論﹄
﹃文学的商品学﹄など。
斎藤美奈子 § Saito Minako
年生。文芸評論家。 年、
﹃妊娠小
説 ﹄ で 評 論 活 動 を は じ め る。 他 の 著
書に﹃文章読本さん江﹄
﹃文壇アイド
夏目漱石﹃坊っちゃん﹄、島崎藤村﹃破戒﹄、壺井栄﹃二十四の瞳﹄、石坂洋次郎﹃青
0
い山脈﹄、灰谷健次郎﹃兎の眼﹄。以上の共通点は何でしょう。答えは主人公が教師で
0
あること。マンガやテレビドラマにも﹁教師モノ﹂は多いけれども、日本文学にも﹁教
0
さて、そうした数ある﹁教師モノ﹂の中でも、もっとも異彩を放っていないのが田山
師モノ﹂というジャンルが存在するのである。
花袋﹃田舎教師﹄だろう。
同じ花袋でも、
﹃蒲団﹄の主人公・竹中時雄は、最後の最後に女の弟子が残した蒲団
なおもしろいことすらしない。あまりに輪郭がぼやけているので、新潮文庫の解説を担
に顔を埋めることで文学史に足跡をとどめたが、
﹃田舎教師﹄の主人公・林清三はそん
当 した 福 田 恆 存 は
︿
﹃田舎教師﹄の主人公は林清三であるよりは、私にはそれらの田
舎町の風物や生活であるようにおもわれます﹀と書いているほどだ。
そりゃまあ花袋は紀行文作家としての名声のほうが高かったくらいだし、本来の﹁自
然主義文学﹂とはそういうものかもしれないが、それにしたって﹁田舎町の風物﹂より
影が薄いといわれたのでは立つ瀬がない。
ただ、いま読むと、清三は、まるで現代の若者なのだ。
舞台は埼玉県の行田市、羽生市、そのあたり。清三は家が貧しいために進学をあきら
教員になった。しかし、彼はその境遇に満足していない。
め、熊谷の中学を出ると同時に、三田ケ谷村︵現在の羽生市︶の弥勒高等小学校の代用
︿若いあこがれ心は果てしがなかった。瞬間毎によく変った。明星をよむと渋谷の詩人
の境遇を思い、文芸倶楽部をよむと長い小説を巻頭に載せる大家を思い、友人の手紙を
見ると、然るべき官立学校に入学の計画がして見たくなる﹀といった案配で、青雲の志
︿一つ運だめしを遣ろう。この暑中休暇に全力を挙げて見よう。
みたいなことを考えて、
はあるものの、
カネもないし、
自分でも何をやっていいかわからない。
﹁やっぱ文学かなあ﹂
自分の才能を試みて見よう﹀と一念発起しても、
︿暑中休暇は徒らに過ぎた。自己の才能
に対する試みも見事に失敗した。思は燃えても筆はこれに伴わなかった。五日の後には
旧作 異 聞
事 " です。言い換えれば、ひとは食事をするとき大きな口をあけて結び目
56
94
❹
10
生
可
死
と
能
涼
幻
の
想
❸
介
可能涼介 § Kanou Ryousuke
69 年生。劇詩人・批評家。
『はじま
りのことば』他。自称「21 世紀の
大小説」を、ネット上で連載中。
http://www.carol-kari.jp/
「あなたはどんなパフォーマンスをやっているんですか」と、近頃何人かに
る女性」は、電車の中などで、
しばしば見られたようである。都市化(脳化)
訊かれた。実はこの 2 年あまり、ある長いものを、行っている。
「中年学生」
の進行とともに消えた風景の一つだろう)、2 年ほど前のその人が被写体な
である。
のだった。それは、映画監督の河瀨直美さんで、話してみると、私と同じ
歳なのだった。こちらが、「中年学生」をやっている間にも赤ちゃんはすく
その日暮らしの生活に疲れて手に職をつけようと思ったためか、未知の世
界を覗いてみて「潜入取材」をしようと考えたためか、自分でも定かでな
すくと育ち、河瀨さんの仕事も順調に進行していたようだった。
いが、医療の専門学校に入学した。単に「心の病を持った友人が何人かいて、
中年学生である私が「脳の中」をいかにさらすかを考えているのに対し、
遊んで元気づけるのがうまかった」という思い込みだけで、精神障害者のリ
この写真展の河瀨さんは、へその緒までもさらしている。これらの写真をま
ハビリテーションを仕事にしようと、中年のおっさんが学生になったのだ。
とめた写真集は、一冊ごとに心をこめた豪華版にして、このギャラリーでし
2 年間、朝から夕方まで、週に 6 日学校に通い、学問の単位はなんとか
か売らないという。
すべて取得した。ところがその後の研修で(医者と違って、リハビリ界の研
奈良に根付いた活動を続ける河瀨さんにたいし、中年学生の私は、定期
修は、国家試験を受ける前にある)
、精神病院に 2、3 週間行っただけで、
が切れれば行く先もない。「母性」を見せるあちらに対し、こちらは親がか
こちらの調子が悪くなり、簡単に挫折してしまった。
りの「ガキ」と化している。
現実に、フリーターでもニートでも失業者でもない、「中年学生」が、い
心身が乱調するとどうなるか、いい歳をして、初めて知った。いつか書く
(青春出
機会があるかもしれないが、中島らも著『心が雨漏りする日には』
まの日本にはたくさんいる。気楽に生きてきた
版社〔青春文庫〕
、2005)に、近いものがある。自分を制御できなくなって、
人もいれば、真面目に働いていたがリストラや
妙な動きをしてしまう様が、その本には書かれているのだ。ただ、らもさん
倒産の憂き目をみた人もいて、手に職をつけよ
の場合、「徘徊」するにしても東京と大阪の間を動いていたようなのに対し、
うとしたりしているのだが、思うほどには簡単
こちらは、京都、大阪、奈良の間を、学生としての「定期券」を使ってさ
ではない。死とも、幻聴や妄想とも、極めて近
まよっていただけだという違いはあるが。実家にパラサイトして学生をやっ
い所にいる人も多かろう。
ている身分では、酒に溺れることもできない。留年して研修を受け直すか
それらの声(魂の叫び?)をすくいあげるの
中退するか、缶コーヒーで考えるだけだ。
も、文学の仕事ではないか。パフォーマーとし
ては「中年学生」だが、物書きとしての私は、
さて、奈良をうろついていたときに、あるギャラリー(OUT of PLACE)で、
出産のシーンを撮った写真展にでくわした。会場の隅で赤ん坊に授乳して
親でも子どもでもなく、
「助産士」である。な
いる女性がいて(昭和四十年代頃までは、
「赤ちゃんにおっぱいをあげてい
んとかやってみたいものだ。
かれは断念して筆を捨てた﹀りする始末。根気が続かないのである。
甚だしきは、いったい何を思ったか、学校のオルガンをいじっているうちに音楽に目
覚め、身の程知らずにも、上野の音楽学校を受験してしまったりすることだろう。無理
だっちゅうの。小学校教師とはいえ、いまの感覚でいうと、彼はモラトリアム型のフリ
ーターである。後に引っ越すとはいえ行田の実家から学校まで歩いて通うパラサイトシ
トをしながら小説家を夢見たり、ミュージシャンもいいかもと日和ったり⋮⋮。気にな
ングルだし、
︿何か一つ大きなことでも為たいもんですなア﹀とかいいつつ、教師のバイ
る女性がいたりもするが、恋愛関係にまでは至らず、そうこうするうちに貸座敷︵遊郭
のことね︶に通いはじめ、借金までこしらえるのだから、世間知らずの若者が風俗にハ
マって﹁どうするアイフル﹂にしてやられる、そんな図が浮かんでくる。
﹃田舎教師﹄が発表されたのは一九〇九︵明治四二︶年。
﹃坊っちゃん﹄と﹃破戒﹄が
発表された一九〇六︵明治三九︶年の少し後である。この三作は日露戦争の時代を描い
ている点でも共通するが、日露戦争と﹃田舎教師﹄とのからみで重要なのは、日露戦勝
こが﹃田舎教師﹄のもっともドラマチックな場面とさえいえる。
の祝勝会で日本中でお祭騒ぎをやっているその日に、清三が結核で死ぬことだろう。こ
一九〇五年九月の祝勝会の日といえば、坊っちゃんと山嵐が、四国松山で師範学校の
生徒との乱闘を繰り広げていた、まさにその日である。坊っちゃんはこの乱闘のおかげ
で学校をやめ、田舎教師の生活から抜け出すが、清三は同じ日に二一歳の短い生涯を閉
じる。文学史上における両作品の待遇の差は、ここで決まったようなもの。
﹃田舎教師﹄
は実在の人物︵小林秀三︶の日記を元にした小説だから、モデルになった青年もこの日
に生涯を閉じたのか。ったく、なんちゅう不運なヤツなんだ。
そもそも清三は、病床でも︿本当に丈夫なら、戦争にでも行くんだがなア!﹀と口に
﹂も読んでいた可能性がある。
するような、普通に愛国的な若者である。百年後のいまならさしずめ、ワールドカップ
したと思うね。ブログもやっていただろうな。あと﹁
に熱狂した口だろうし、自民党に投票しただろうし、小林よしのりのファンだったりも
﹂
︵と略
活動らしいことは何もしていない清三が唯一かかわった活動は、友人たちの﹁行田文学﹂
というフリーペーパー︵同人誌︶に参加したことくらいで、しかしこの﹁
林清三の家に財力があり、東京の帝大に入れたら、三四郎
してしまうが︶は、資金が続かず四号で廃刊するのである。くわばらくわばら。
11
になっていただろう。せめて物理学校でも出ていれば、坊っ
ちゃんにはなれたかも。
﹃田舎教師﹄の隠れたテーマは、し
たがって格差社会である。身につまされちゃって、涙なしに
は読めませぬ。
『田舎教師』新潮文庫
G
B
W
B
百々俊二写真展「花母」
恥を知る者は、強い
年 生。 太 平 洋 戦 争での徴 兵 経 験 をもとに描いた長 篇 小 説
ぎてもみずからHPを持って新作小説を発表し続けている。
﹃神聖喜劇﹄は現代日本文学の金字塔と称される。傘寿を過
う、あの 青 年 将 校 た ち を 後 ろ か ら 精 神 的にサ ポートした
Onishi Kyojin
喪失の屈辱﹂
、﹁文化展望﹂一九四六年四月創刊号、
大西巨人文選1、
一九九六
は言いませんよね。世の中みんな左の方へいって、民主主
﹁恥を知る者は、強い。
﹂という断章を結びとする短文 ︹﹁独立
批 評 家 桶 谷 秀 昭 を、かつて 私 は、文 芸 上・思 想 上 反 対の立 場
義 イコール戦 後 革 命 という ふ うに 捉 えて た わ けで す か ら
終わった時に大西巨人はそういうこと言わなかった。それ
に立つものの、いささか恥を知る存在、
﹁ た い て い 勇 を たっ と
ね。だけど今はもう何が何だかわからんでしょう。ソ連は
人ですね││の﹃魚歌﹄を、愛読してます。ところが戦争
び死をいとはず、恥を知り信を重んじ、むさくきたなくさうら
年八月第一刷︺の提示が、敗戦後の私の文業公表開始であった。
大西巨人
19
ふ事を男子のせざる事と立てさうらふ習はし﹂のプラス面︵廉
︹
﹁国文学 解釈と鑑賞﹂別冊/新保祐司編﹃北村透谷 ││︽批評︾の
七〇年で潰れましたしね。
誕生﹄所収﹁シンポジウム﹂
︺
敗戦後の一九四五年十月に復員帰郷した私は、同年十二月か
ら、九 州 福 岡 市で、商 業 綜 合 雑 誌﹁ 文 化 展 望 ﹂の編 集にた ず
を 私 は 思い出 す。 議 論 が 紛 糾 して、激 昻 し た 大 西 巨 人 が
や飯塚浩二の﹁アメリカ文明の批判﹂や阿部真之助の﹁天皇制
﹁文化展望﹂一九四六年四月創刊号は、太宰治の﹁十五年間﹂
さわった。
詰め寄ったときの蔵原惟人の水のような冷静な物腰は、異
︵短歌﹁視よ高く
への提案﹂やと共に、齋藤史の﹁こぼれ水﹂
﹁その時の一情景﹂は、桶谷の﹁むさくきたなき﹂妄想の所産
字詰め原稿用紙約八十枚︶は、坂口安吾の﹁ぐうたら戦記﹂と
︵四百
首︶を掲載している。齋藤史の小説第一作﹁林檎の村﹂
﹁文化展望﹂第七号︵一九四七年一月発行︶に掲
いっしょに、
読まなかったかといえば、そんなことはありません。大西
にいて戦後左翼運動をしていた。だから保田與重郎なんて
漢桶谷秀昭の﹁むさくきたなき﹂語り口が、火を見るごとく明
の歌人が初めて世に問う力作﹂云々である。恥知らずの破廉恥
ニィクな作品と共に、齋藤史氏の﹃林檎の村﹄
。
﹃魚歌﹄
、
﹃歴年﹄
私の執筆した﹁編集後記﹂は、
﹁創作欄は、坂口安吾氏のユ
載せられた。
巨人は齋藤史という歌人││彼女は二・二六事件の時、首
︹二〇〇六年四月中澣︺
明白白ではないか。
たし、父親は二・二六事件で官位剝奪になった齋藤瀏とい
謀 者 と し て 死 刑 に なった 栗 原 安 秀 中 尉 と 非 常 に 親 し かっ
そ していま、 大 西 巨 人。 大 西 巨 人 は 九 州 の 方 の 新 聞 社
﹁むさくきたなく﹂語った。
にほかならない。そして今日、その妄想家桶谷は、左のごとく
冴えし山あり艶失せし昨日のまなこをぬぐふべくあり﹂ほか九
︺
様なほどであった。
自責の文学﹄
︹﹃中野重治
その 時︹ 新 日 本 文 学 会 第 十 回 大 会・ 筆 者 註 ︺の一情 景
二十五年前、桶谷は、次ぎのように書いた。
谷が直に恥知らず︵破廉恥︶に過ぎないことを思い知った。約
しかし、やがて私は、それがまるで買い被りであること・桶
恥︶に幾らか所縁のある男と思っていた。
`
12
フリーペーパーなんだから、
街へ出てゲットしろ、
もしくは郵送で送ってもらえ、
俺の文章はデータじゃねえよ。
より引用︶
e-mail
13
︵※編集部注 モブ・ノリオ氏の
⋮という著者の意向により、﹁絶対兵役拒否宣言﹂は紙版でのみ掲載しております。
:
リテラリー・ゴシック[04]
高
原
英
高原英理 § Takahara Eiri
59 年生。主に評論家。美と憧憬
の理論『少女領域』
『無垢の力』
の後、
『ゴシックハート』を著
してゴスの暗黒卿となる。合言
理
葉は「残酷・耽美・可憐」
。
ロンドンに滞在した経験のある方は御存じのことと思うが、かの地
ある。
にはゴースト・ツアーといった呼び名で、半日ほどのバス旅行プラン
ならば同じ薄暗い場所から「魔物への親しみ」というテーマも始ま
がいくつもある。その名の示すとおり有名な幽霊屋敷、怪事件殺人事
るだろう。レイ・ブラッドベリの『塵よりよみがえり』という連作は
件ゆかりの場所を巡るのである。街には幽霊見聞の話が多く、またそ
ゴースト・ストーリーの里イギリスの陰惨さをもう少々新大陸風なパ
れを求めて見たがる好事家も多い。日本と異なり、「出る」評判のア
ロディの形で受け継いだ童話のような世界と言える。ここで描かれる
パートが家賃を下げる要さえないとも聞くがこれは定かではない。だ
エリオット一族は文字どおりの「お化け一家」で、実現はしなかった
がともあれロンドンには怪奇を愛する人士がこれほど多いということ
もののチャールズ・アダムズとブラッドベリとで合作をなす案もあっ
だ。それはあるいは、その社会の「希望の共有」の乏しさにかかわる
たと言う。連作の発端となった一篇は短篇集『10 月はたそがれの国』
のかも知れない。階級差別の強固さゆえ、パンクの発生したのもこの
に「集会」という題で入っていたものだ。かつて戸口の前に捨てられ
地なのである。そして既に諸人の告げるとおり、日本もいくらかは、
ていたため、エリオット家の一員として暮らすことになった人間の少
その種の絶望的社会に向かっているように思える。
年ティモシーは、不死の魔物である他のメンバーと異なり、限られた
現状況が過去の蓄積によってほとんど変更不能、心底度し難いもの
生しかなく、超能力も持たない。闇に棲む一族にあわせることの難し
と思い知ったとき、生きるだけで搾取され、かつまた自らは自分より
い彼を、家族はそうした個性として見守っている。世界中から一族が
僅かに立場の悪い者たちを搾取する汚れた存在であることをもわかっ
集まる「集会」の日、遠方からやってきた、背に翼のあるアイナー
た上で、ときに幽霊談や怪談のもたらす暗い情緒にもたれかかり、惨
(
『10 月はたそがれの国』の表記ではエナー)叔父は、自らの無能力を
憺たる生の時間をやり過ごそうとしても誰が責められるだろう。あち
悲しむ彼をなぐさめる。この叔父はまた人間の女性と結婚して子を養
らの、こちらの、立場のよい威張りたがりたちが命令し続ける営為を
い家庭生活を営む父でもある。
個が阻止するには多大の苦難が伴い、結果は常に芳しくなく、立場の
闇の物語を愛する意識には、色褪せた古い写
逆転は稀である。とするなら、遮二無二他者に優越しようと前向きで
真のような記憶の彼方で死体や魔物とともにま
あるより、むしろぼんやりと憂鬱な無能者であることの方が、有能な
どろむ無時間への渇望がある。その型に嵌まっ
命令者たちの望む物事を遅らせ鈍らせる、いわば抵抗ともなる。だが
た「怪奇趣味」を滑稽と笑うことは容易いが、
むろん当人たちに抵抗などという意識はない。そうした無能者の友が
さりとて彼らの棲まう闇を払拭するに足るほど
怪奇小説であったり、お化けの漫画であったりすることは珍しくない。
光度の高い希望などもはや誰も手にしてはいな
メランコリーは怪奇趣味と親和性が高い。そこにはいずれ共同体的た
い、違うだろうか。
らざるをえない想像力を僅かな間だけ無駄な方向へ曲げておく喜びが
『塵よりよみがえり』河出文庫
翼賛下の批 評
大 塚 英 志
Otsuka Eiji
教えている大学や大学院のシラバスをぱらぱらと見ていて気づいたのだが
大学だけかもしれないが、ぼくが学生の頃は﹁民俗学方法論﹂とか﹁史学方
講義名に﹁方法論﹂と題されたものが殆どない。あるいはぼくが教えている
法論﹂といった課目が﹁概説﹂とは別に必ずあった気がしたからだ。このと
ころぼくは批評めいた仕事は﹁憲法﹂その周辺に限定して、まんがの仕事も
半分ほど整理して大学で教える仕事︵といったところで非常勤講師二つと専
は民俗学や物語論及びまんが史といった名目だが、ぼくの感覚としてはどれ
任一つでまんがの連載一本分にも満たない︶を増やしている。教えているの
も﹁方法論﹂と呼ぶのが一番、しっくりくる。講義名は大学が文部科学省向
の﹁方法﹂を歴史的に検証して、現在の﹁方法﹂の起源を考えることにある。
けに適当に作ったものだから知ったこっちゃないが、ぼくの関心はその領域
例えば柳田國男の民俗学と田山花袋の文学がいかにして﹁自然主義﹂という
方法を共有し離反したかがぼくの﹁民俗学﹂の授業だし、
﹁物語論﹂はプロ
として回収されていったかの検証である。まんが史は、まんがの非リアリズ
ッ プ の フ ォ ル マ リ ズ ム が い か に映 画 産 業 の 中 に ス ト ー リ ー テ リ ン グ の方 法 論
特に物語論とまんが史は映画やまんがの創作論を実践的に教える前提として
ム的作画法・映像的手法・内面表現の三つの方法の起源と変遷を追うものだ。
行なっていて、自分達の﹁方法﹂の歴史性や政治性を知った上で初めてそれ
は大 衆 動 員の技 術と し て極め て使い勝 手の良か っ た過 去を か つ て の戦 時 下に
は使っていいものなのだ、とぼくは考える。民俗学も含めてぼくの専門領域
持つ点で、翼賛小説でも書いて軍部の顔色をうかがうしかなかった文学とは
れた﹁方法論﹂の授業とは﹁方法﹂の歴史性や政治性を説いて、その下位に
﹁方法﹂が持っているリスクの大きさが決定的に違うからだ。ぼくには耳慣
来る具体的な技術や手法を上位で律するものだったように思う。ぼくは手塚
治 虫 の 方 法 も 含 め あ ら ゆ る お た く表 現 の 領 域 で そ の方 法 の 起源 と 進 化 が か つ
ての﹁戦時下﹂にあったと繰り返し語っているが、しかし同時に、そのよう
にいくようになって思うのは、大学も学生もあらゆる意味ですぐに使える技
な﹁方法﹂によってぼくたちは何かを語らなくてはならない。けれども大学
術の習得に目がいっていることで、別に大学が就職予備校化するのは構わな
い が、
﹁ 技 術 ﹂ は﹁ 方 法 ﹂ と い う 上 位 概 念 が な い と 実 は 使 え な い ん だ よ な、
4
14
❸
翻
訳
の
ア
レ
青山 南
か
コ
レ
か
青山南 § Aoyama Minami
49 年生。とりあえず翻訳家、ときたまエッセイスト。翻訳に『血
の雨』
(コラゲッサン・ボイル著)など。著書に『南の話』など。
アーサー・ビナードは、このところ、『日本語ぽこりぽこり』や朝日新聞
なんで英訳のことなど考えたのかというと、中原中也賞は受賞作の詩集
に定期的に書いている「日々の非常口」等、エッセイがだんぜん目立って
を英訳して出版するのがご褒美になっている賞なのだ。主催は山口市で、
いるが、もともとは詩を書く人である。どっちも日本語で書いているが、英
英訳版の版元も山口市である。ビナードまでは、受賞者は日本人ばかりだ
語が母語だ。学習した日本語で書いた詩集『釣り上げては』で中原中也賞
ったから、英語を母語とする人間が英訳していた。ビナードは英語が母語だ。
を受賞した。
「ことば使い」という短い詩一編をみても、たいへんな日本語
さあ、どうするか、ということになり、結局、本人が英訳した。
(作家のリ
使いであるのがわかる
(①)
。
ービ英雄にその話をすると、「どんな名医でも、自分の身体に手術を施すこ
とは不可能だ」と忠告されたそうだが。)英訳版のタイトルは Catch and
① ②
Release。
「
吠えろ」と怒鳴り
“Speak!” I command,
「猛獣」ということばが鮮烈な「ことば使い」は “Words” に、本文はつ
「
芸になってない」
and when they won't,
ぎのように翻訳されていた
(②)。
と鞭打つ。
I crack my whip.
うまい訳だなあ、と感心した。とくに「一行」を “a conclusion” にし
一行の
I make them line up,roll over
「いろい
ているのには絶句。「結論」という訳語で知られているこの語だが、
輪抜け跳びを
and jump through the hoop
ろ考えた末に出てくるもの」というのが本来の意味だから、いろいろ考えた
何回もさせる。
of a conclusion.
末に出てくる表現としての「一行」にそれをつかうのはうまい。とてもぼく
には思い浮かばない。感嘆した。
いくらおとなしく
No matter how tame
しかし、どこか落ち着かなかった。「『芸になってない』
」が消えてしまっ
馴れているようでもやつらは
they may seem,remember,
たことも気になるし、だいいち、「猛獣」という衝撃的なことばがなく、「跳
猛獣。
at any moment they can
びかかってくる」という意味のことばに変わっている。
それに、タイトルが “Words” になってしまったせいだろうか、詩ぜん
turn on you.
たいが、「猛獣のようなことば」にポイントが移っているような印象がある。
「猛獣のようなことばを相手にする者」がポイントではなかったのか。
初めてこの詩を読んだときは、最後に待っている「猛獣」という一語に打
作者とて、作品を書いてしまったら、
あとは一読者である。この英訳は「こ
ちのめされた。すべてがこの語でピシッときまり、ことばがおそろしい生き
とば使い」という日本語の詩に触発されて書いたもうひとつの恐い詩である、
物であることをパワフルに伝えている。しかも、
そのことばはタイトルの「こ
と理解したい。しかし、「ことば使い」という詩、「翻訳」というタイトルに
とば使い」とつながっていて、サーカスの「猛獣使い」という言い方を連想
してもよさそうだな。
させるようになっている。完璧だ。もしもこの詩を英語に訳すとしたら、ぜ
ったい「猛獣」がポイントだな、とおもった。
かつての翼賛下、まんがの方法を ﹁進化﹂させてしまったのは軍部からの
とは思う。
﹁まんがも科学的たれ﹂という要求に対し、ただ科学的啓蒙の道具にまんが
技術を使わず、まんが表現そのものの﹁科学化﹂、つまりリアリズムの徹底
が、その変革は主として中村書店の子供まんがの領域で生じたことで、それ
し た 導 入 と い う 方 法 論 上 の 変 革 を 行 な っ た か ら だ と い う こ と は各 所 で 記 し た
が生じなかったまんが家たちも少なからずいる。それがプロレタリア芸術運
動の一領域としてあった風刺まんが系の描き手たちである。例えば昭和一〇
年に中野重治、小熊秀雄と﹁サンチヨ・クラブ﹂を結成したこともある加藤
同書を読んで思うのは、彼ら﹁転向﹂したまんがの描き手たちに技術の変化
悦郎は昭和一七年﹃新理念漫画の技法﹄なるまんが入門書を刊行しているが
が何故起きなかったのかということだ。加藤は﹁漫画家は思想戦における一
お の れ の 国 籍 を 忘 却 し て い た ﹂ と か つ て の プ ロ レ タ リ ア芸 術 を 標 榜 し た ま ん
戦士である﹂といさましい。
﹁昭和の初期以後におけるわが漫画界は、全く、
がを批評し﹁大和民族としての誇りと伝統にめざめ﹂よと説くあたりなどは
今の﹁ヲタ・ナショ﹂と変わりなく微笑ましい。しかし加藤のまんがの定義
は﹁国家・民族の意志をもって、世界のあらゆる不正・不合理・不自然・不
技術
調和なものに対して警告を発し、またこれを積極的に攻撃する﹂ことにあり、
﹁民衆の意志をもって﹂が﹁国家・民族の意志をもって﹂に変わった、つま
︱
りプロパガンダの中身が変わっただけで、加藤は﹁戦時下﹂を方法
面に出すのは﹁誇張﹂つまりカリカチュアライズであり、大城のぼるら児童
の作り変えとして受けとめていない。その結果、彼がまんがの技法として前
まんが家が﹁誇張﹂=﹁記号﹂からリアリズムへと方法の作り変えをしたの
と対照的だ。その結果、風刺まんが的な領域は戦後、一挙に戦時下の技術革
新を戦後に持ち込んだ手塚治虫によって圧倒されるのである。創り手の﹁方
法 ﹂ 意 識 は 戦 時 下 で さ え 表 現 を 進 化 さ せ て し ま う こ と は藤 田 嗣 治の 戦 争 画 や
﹃FRONT ﹄の写真家にも見出せる。創り手はそれ故﹁方法﹂の水位で表
現に敏感でなくてはいけないし、
﹁方法﹂の変化を外部のいかなる力が求め
ということは実際に﹁方法﹂の歴史をたどり、自分の﹁方法﹂の起源と政
ているかをとらえられなくてはならない。
治性を知り、それでも尚、何かを創ることでしか身につかないので、それを﹁文
もりでいる。
§ Otsuka Eiji
学 ﹂ 以 外 の 創 り 手 に は 伝 え て お こ う と割 と ま じ め に し ば ら く は教 壇 に 立 つ つ
大塚英志
年 生 。 まんが 原 作 者 。 文壇的文学は知ったこっちゃないが、
者のための文学﹄を7月に出す。
親切にも読者が正しく ﹁文学﹂ と出会うための入門書﹃初心
15
58
談
16
Murase Kyoko
名 古 屋 駅 タ カ シマ ヤ 六 階 京 甘 味 文 の 助 茶 屋
村瀬恭子
年生まれ。画家。この春、森の中を彷徨う少女を鳥かごを
[ゲスト]
覗き込むように描いた個展〝月と森とシダの下のかたつむり〟
︵タカ・イシイギャラリー︶を開催。
[編]
17
J
R
63
Fukunaga Shin
「 読み終えて」でリトルモア‐ストリートノベル大賞受賞。
72 年生。作家。
『あっぷあっぷ』。
、
『アクロバット前夜』
の
京 風 対 談
福 永 信
い
かも。
が
な、
て、
、言
界を
思いま
と、本
だった
まったく
く違うマ
に近いも
して、ど
感はあり
ど……。
︵重松︶
盾にさらさ
なことを考
重松清 § Shigematsu Kiyoshi
年生。﹃ビタミンF﹄︵直木賞︶をはじめ、泣かせたり勇気づけたり、様々な作風が魅力の小説家。
﹁早稲田文学﹂ の学生スタッフおよびデスクだった過去アリ。
を
﹁頭が勃つ﹂んですよね
す。
たんですか?
町
的な土壌はあっ
沢さ
いて。そういう
、そういう宗教
大変さが、藤
は
の
に
間
町
人
た
っ
ゃ
町で芸者さんが
ち
し
烹
引
割
取
で
直
町
と
師
界
漁
新川に跳ね
で、肉体で世
ないですね。
[重松] 武道とか
[藤沢]まったく
いた。だから、
一日中眺めて
を
?
川
か
て
す
と
っ
で
に
」
故に、
い
分
川
新
ゃな
気づいて、自
。なにもないが
の中で俺は、「
んにはあるんじ
だと 40 過ぎに
知ってるんです
め
を
だ
葉
ゃ
言
き
ん
な
さ
か
く
ては、た
な人間を書
は育んでくれ
いんです。身
[藤沢] 小説は俗
ている光につい
して感じ取る力
、身体性しかな
く見る、匂いと
、やっぱり究極
か
と
細
る
こ
え
を
ど
考
の
、
と
も
う
ら
る
ろ
あ
。
わかりなが
(笑)
ただ目の前に
って俗って何だ
だけど、それを
たすら、ケモノ
、暴力とか ―
教とは対極、ひ
か
宗
と
。
の
。
す
)
も
ま
る
笑
い
か?
す
(
思
す
体で感応
たんだと
だったわけで
かしいんだけど
のが、禅仏教
るんだよ、恥ず
い
あ
近
も
し
ん
求
が
ば
希
気
ち
に反射
の
な
い
う
へ
に
[重松]その感覚
たら変わるよ
ときには、川面
かに純粋言語
ど、病気になっ
ずっと見ていた
け
を
だ
川
方
新
い
で
言
歳
。
な
5
ね。4、
礼で不吉
気持ちよかった
[重松]すごく失
[藤沢]そうです
。それがすごく
す
で
け
63
わ
た
い
ろうと思って
いほうがいい
する光自体にな
ませんか? と、身体ってな
う
言
当
。
)
本
笑
。
(
ね
ょう
すね
我を落
れはあるんでし
こまなかったで
[藤沢]ああ、そ
[重松]よく飛び
瞑想、つまり自
教でいう座禅や
仏
禅
、
。
は
し
れ
る
うこともあ
もたぶんそ
んだようなも
[藤沢]ねえ。で
んだろうなと思
。だから飛び込
りうると?
となんですよね
になることもあ
こ
魔
ぶ
、
邪
遊
き
が
と
て
う
い
っ
ほ
た
き
の
り
葉
[重松] 逆に、言
いる雫を書き
として対象にな
の先に溜まって
身
れてる草や、葉
。
揺
す
に
で
。
風
ん
い
。
い
な
る
た
れ
う
[藤沢]あり
のかもし
そのものになり
★
自分がその雫
、
、
り
ど
よ
け
う
だ
い
ん
と
ばんいい
う
い
思
て
っ
、
だ
ん
言葉で書きた
藤 沢さんのいち
い
たんですが、
ら書かなくてい
っ
た
思
っ
て
き
れ
り
つ
ぎ
な
てい
繋
に
に
て雫
話を伺う
いうか世界を
という生活をし
[重 松] 今日 の
体も言葉も消え
も、無が怖いと
のだけでいい」
つ
も
つ
る
し
い
求
て
希
え
を
見
に
いちゃう。無
苦しんでい
うね。
「世界はいま目
読者は、
それでもまた書
をどう掴むかに
かないんでしょ
るような、それ
い
段がもう言葉し
て
手
え
の
教
く
そ
ま
書
、
い
ば
て
い
て、
。肉体を書け
止めたい自分が
る大人じゃなく
つ」んですよね
?
説って「頭が勃
小
能
じゃないですか
官
ち
いきたい。ま
の
た
周
生
[重松] 藤沢
る若い学
に子供になって
自分自身がさら
、
に
現
時
表
同
を
て、山
。
と
の
る
。
ね
[藤沢]そうです
えられないも
ないで歩いてい
ほど観念的にな
山道を手をつ
らも言葉では捉
の
が
倉
な
い
鎌
扱
、
を
き
と
葉
獣
ぐらいの
結局、言
声をあげた。俺
簡単な道は 「
[藤沢] 官能でも
だ息子が 2 歳
「おおーっ」と
とき、いちばん
の
で
そ
人
。
二
ね
に
よ
時
す
同
としての、
葉としては
れたんです。
盾を抱えていま
親しんだ、人間
の木が風で揺
ているけど、言
しようとする矛
。自分の慣れ
)
触としては知っ
笑
感
(
は
す
彼
で
。
ん
を
る
とき、
た
体
て
知っ
と思っ
ラフィックな身
いるのね。その
は風って言葉を
になる」ことだ
から、ポルノグ
、獣として見て
だ
を
。
と
う
こ
い
」
と
た
う
い
お
動
を壊してしま
が生々しく
ざかっている」
知らない。「木
男としての感覚
の実 相から遠
なってしまう。
て、 逆に世 界
にか観念的に
っ
な
よ
に
に
的
タ
と
カ
説
こ
が
る
逆
を、疑
、
使え
沢周の 「周」
まれてきた世界
書こうと思っても
「 俺は言 葉が
言葉で教え込
れませんが、藤
し
で
も
ま
か
ま
去
い
過
、
も
い
あ
学生たち
は抹消した
かの感情の
をかく小説が
[重松] 藤沢さん
と思ったんだ。
巡とか、暴力と
に向かってマス
から、彼らの逡
だ
発表した、地面
。
に
ね
誌
よ
人
だ
。
同
る
ん
に
な
く」とか連呼す
カナだった時代
い始める時期
っかく、ぶっか
ね。
う作
立た
「ぶっかく、ぶ
い
。
て
か
っ
に迫ってきます
す
」
実
で
書
い
切
覚
な
、
すか。教壇に
坐
表出は
ったじゃ
ったじゃないで
。あれは 「憑
か
は
よ
れ
て
そ
え
、
教
な
で
同人誌か
がないでしょ
、やっぱり大学
の、「トウキョ
[藤沢]
[重松]だったら
「えん」という
いちばん接点
作った同人誌
法大生時代に
らいの子って、
う
ぐ
い
歳
と
」
20
尖
、
「
19
周には、
、
も、
手としての藤沢
品だね。それと
なかったら、18
文学」 の書き
春
青
「
の
で
正しい意味
かったんで
だったか。
ウの空は…」
う? だから、
地とセックスした
すか?
んだけれど、大
るんじゃないで
た
っ
か
わ
て
て
正直言っ
テージになって
聞い
ン
バ
ド
ア
[重松]いまの話
な
き
かっていうと、
大
るのがなんで嫌
え
教
で
学
大
た
や
き。
しれない。
ライド噴出させ
よ。獣のやりか
[藤沢]そうかも
すよね、あのと
んですよ。「プ
えちゃうんです
い
捉
さ
で
く
ろ
倒
後
面
の
が
とか聴く
一緒にいるの
よ」とか、
えるときに、耳
[藤沢] 世 界を捉
。見るとか嗅ぐ
停滞してるのか
て、若い奴らと
ているわけです
ところで悩んで
え
な
捉
ん
て
こ
し
「
と
す
な
か
配
に
と
郎」
ど、気
みたいにわかり
、そういう表現
だと思うんだけ
がって、この野
とつ自分のこと
再生するときも
ひ
、
つ
て
と
っ
ひ
な
、
に
が
ゃ
てぐちゃぐち
考えているの
細部まで響
いろんなことを
とかが統合され
けど、いちいち
な仕事なんだ
楽
し
少
う
も
し
ら
も
かっ
た
か
かっ
態を成さない
「このひと、わ
ぎて。それがな
っちゃう。
てくれるのは、
、散文としての
っ
て
慕
し
と
を
語
俺
本
が
ら
日
言うと、彼
そうすると、
楽に表現する
[重松]だけど、
いてくる。逆に
けれど、もっと
も音楽でもいい
と思うんです。
で
絵
も
で
「世
詩
、
ってことなんだ
に
。でもたぶん、
)
れない。本当
てんだろうな」
たいですね(笑
み
」
生
?
先
か
ー
す
が、
世
キ
ゃないで
魂のヤン
るとすれば、「
まの連中のほう
[重松]なんか 「
道はあったんじ
の世代よりもい
癖なところがあ
ち
潔
た
一
く
唯
ぼ
、
、
に
て
を手放せ
るか」につい
で、「藤沢
らしない男なの
[藤沢]こんなだ
界をどう獲得す
ている点。それ
タヴューを読ん
だろう」と思っ
から、このイン
い
だ
な
。
か
す
し
で
も
葉
伝
ん
、
言
う
って
と思
だ」というのが
になれば、「あ
界を認知するの
はるかに切実だ
、根っこは同じ
。本当に大人
ど
)
け
笑
た
(
き
ど
て
れ
え
け
んの話が増
ガキなんだ
商売やっても
周は最近おじさ
ないところが、
うし、全然違う
(構成・青木誠也)
わ」 でいいと思
る
な
に
主
坊
ね。
た、
よね。
るといいですよ
だ
わ
う俺文学やめ
ん
う
ま
し
て
っ
にかかわ
どうしても言葉
いいんだけど、
★
れるスキ
をでっち上げら
腕だけで小説
、
と
っ
も
。
年
取って 8
[重松] 芥 川 賞を
すか?
ってなかったで
りを持てると思
ルとか、割り切
大変だったよ。
。でも、余計に
[藤沢] 思ってた
ノ道を。
んですよ、ケモ
、進んじゃった
には、鎌倉っ
[重松]やっぱり
ど、学生時代
住んでるんだけ
に
倉
鎌
は
だと思
俺
思う。
[藤沢]そうだと
た、嫌な土地
ガクブンガクし
ン
ブ
)
も
に
か
い
』(最新単行本
んいて、
『第二列の男
ると、自然(じ
て文士がたくさ
んだろうと考え
る
い
亡遊戯』
に
『死
社
倉
作品
鎌
時』
ま
イレス午前零
、魂とし
なのになんでい
『ブエノスア
河出文庫
すよね。それを
ってたんです。
河出文庫
ろだからなんで
こ
と
い
す
や
え
じ
捉
感
で
く
分
ご
す
部
の
の
ノ
も
モ
を
ねん)
部分、ケ
き放たれている
い、人間から解
ら。
かいいようのな
るに、獣性だか
文学って、要す
の内 野
。
う
思
と
だ
ん
すよね。新潟
ている
トポスがありま
う
い
て
っ
州
紀
次だったら、
[重松] 中 上 健
★
18
俺、 の頃と変わんねえじゃん
、退屈、
ありえない停滞
の藤沢周では
期
初
、
も
』
破
ン
ショ
破かない、まだ
[重松]
『箱崎ジャンク
じけてて、まだ
は
ツ
プ
ツ
プ
で
皮膚の中
す。
焦燥ですよね?
瞬間に、動きだ
ポンッと破れた
。いか
、
が
れ
そ
、
い
可能なんです
かな
マはいくらでも
ラ
ド
、
ど
け
す
型的で
んじゃないかっ
[藤沢]
『 箱 崎 』 は典
それが日常な
と我慢してた。
っ
ず
、
で
か
い
な
にそれを起こさ
っ
たんです。
め
じ
は
い」とおっしゃ
て気づき
カダンをやりた
デ
「
、
に
頃
た
っ
は芥川賞を取
[重松] 藤 沢さん
すね。
行ってないんで
は
に
こ
まだそ
んでる状態。
てましたけど、
で
中 どんどん膿
というか、魂の
、
膚
皮
。
ね
[藤沢]まだです
ヴでしょう?
いませんか?
を選んでいる。
く身体性と似て
めていくという道
描
深
が
、
ん
て
さ
っ
説
層
沢
よ
表
藤
に
て
くこと
れって
態ですよね。小
、「刺青なん
[重松]でも、そ
[重松] 退屈を書
ここにある」 状
師の彫阿弥は
「
彫
で
る
く
ま
て
ま
出
が
る
に
あ
、つまり、
ね。『刺青』
そこに逃げる
ヤはもっと切実
[藤沢]そうです
[藤沢] 退 屈って
めるんだけど、
人公の少女ア
ス的なものを求
る。だけど、主
シ
て
っ
ル
じ
思
タ
通
と
カ
は
」
は
がいい
で
い
者
な
底的に見たほう
…そういう部分
の戯れに過ぎ
だと、つねに読
刺青を選ぶ…
したたかに、徹
て
、
し
に
と
重
印
鈍
刻
と
」
っ
こにある
よね。も
のは嫌なんだ
で、「自分がこ
?
か
。
う
す
何をしてい
ょ
ていると思いま
と思う。
作品は 「海で
んでいるんでし
の一番重要な
SATORI』を読
ん
『
さ
か
沢
と
藤
』
ば
、
」じ
青
ね
と
でいう
は 『刺
停滞した不穏
部は他に読ま
[重松] 学生たち
[重松]その 意 味
、「完全なる、
えている経済学
は
教
の
の
る
俺
あ
。
に
)
こ
笑
を
ます。あそ
い、と思う(
済学ってすべて
[藤沢] 読んでな
た?」 だと思い
。ところが、経
くて(笑)
し
ら
る
な
あ
感
「海
と
、
ン
敏
マ
書けるんだけど
できないものに
ならないのがゴ
ゃないですか?
枚を 3、4 日で
、逆に数量化
0
ら
10
か
。
く
よ
い
だ
て
ん
め
理的に詰
、途中狂いそ
んだけど世界の
書くの早い方な
[藤沢] 俺、
数量化して論
んです。しかも
、非論理的な
3 カ月かかった
とか、たとえば
に
」
の
情
な
。
感
枚
る
の
す
30
た。やっ
間
応
ようかとも思っ
ると、すごく反
んですよ。「人
で∼」はたった
小説書くのやめ
う
レーズを提示す
も
フ
1
、
か
の
と
説
あ
か
小
ような
殺しよう
クすることは
底に届いている
うになった。自
。
説にフィードバッ
う部分があって
、藤沢さんの小
が
覚
感
の
になりきったとい
海にいた
ち
頃
た
[重松]その学生
ごみって、裸で
ぱり、18 歳の
海で∼」 のす
「
。
ね
す
で
す
代
で
はふ
時
ーだった
ざるを得ない
っていたら、実
[重松]ヘヴィ
ります?
今の彼らを書か
ていくんだと思
り
れ
は
潰
や
て
、
け
ば
負
れ
に
常が不穏
峙していた
よね。普通
登場人物であ
[藤沢] 10 代の
18 歳の彼の日
クトに世界と対
さを増す点です
身体性でダイレ
どん静かに不穏
は
ん
ち
ど
た
、
俺
観
が
、
「
分
なと思
も
の
自
の
性で
くキツいだろう
重んじつつもそ
ね。同じ身体
りかえる 40 代
で、それはすご
か、身体性を
う
け
い
わ
と
な
る
ン
い
ー
て
タ
い
い
は守られ
は逆のパ
上にはなりえな
」と言った方が
の回想小説と
んだけど、彼ら
説は 30 枚以
身 体の観 念 性
小
「
、
の
ろ
あ
し
く
む
ら
そ
、
意味でも、お
が薄い。いや
念の身 体 性 」
いました。その
だ
て、流れて、
でしょう?
いか。
がどんどん崩れ
でしょう?
分
ん
自
た
の
っ
代
く
づ
40
ち
それを書き
はなにがかた
い。30 枚で、
[重松]その観念
[藤沢]なりえな
までいった―
なのかな。
狂うというところ
義
に
主
か
本
静
ゃ
資
。
ち
報
い
っ
、物語
さな
う、情
いう単語を使
[藤沢]なんだろ
。その世界は
けど爆発もおこ
59
って、観念って
けると思ったよ
念
書
観
も
た
で
っ
何
が
を
あ
て
世界すべ
本主義ででき
すごい退屈だ
[重松] 情 報 資
上げたときに、
読者は、もの
だけ。たぶん
よね?
」
す
る
で
あ
の
示
に
も
を
こ
い
そ
応
安
たんです。
「
に
けど、拒絶反
ような感じだっ
ではなく、ただ
いけないぐらい
る学生達もいる
き刺さってくる
て
突
、
き
が
生
つ
に
1
ク
ラ
つ
、その 1
になじんで
[藤沢]その安さ
ろうな。
と思う。だけど
ほうにいくんだ
★
らが、表現の
奴
う
い
共感を
う
そ
、憧れと尊敬と
す奴もいる―
★
していることに
と
う
ろ
や
で
説
代
小
ない
世
沢さんが
あり得るんじゃ
ら、自分と同
[重松]ぼくは藤
葉じゃない道も
はじめたころか
言
え
ら
教
た
で
っ
学
だ
大
、
うにも見え
で藤沢さんは
、逆にいえば
[重松]その 一 方
持つんですが
禁欲しているよ
文学的なものを
春
青
、
て
っ
かも。
な
うに
から禅僧になる
N
の焦燥を書くよ
ですか?
に行って、それ
句
俳
ん
H
ぶ
た
ら
まま進んだ
ろは、エッジ
れていく気が
K
[藤沢] 俺、この
ますが。
。17、8 のこ
ど、使うほど離
気がするんです
葉を使うんだけ
る
言
い
て
て
っ
み
じ
B
思
通
踏
と
う
、
を
ような、
こ
書
つは
[藤沢]そのふた
から、俳句の
か、その一歩
S
世界の実相を
に生きたらいい
があるから。だ
か
分
い
部
。
う
思
た
っ
と
う
、
だ
て
ろ
うな感じ
てんだ
移る技を覚え
書くことによって
の上に立ったよ
して、なにやっ
ない。散文を
らエッジへ飛び
れ
か
し
ジ
も
ッ
か
エ
ぶ
、
選
が
のかな。それ
却させる表象を
るけど、言
ぎて立ち止
言語構造を脱
出せないと言う
みもまだ残って
ところが 40 過
き上がらせる望
勝だな」って。
浮
楽
ら
て
か
ん
だ
だ
な
い
た
常
あ
間の
「日
いに集まってい
無のトポスを人
社会に出たら、
ジが剣山みた
しれない。
て―単にエッ
き
と
っ
サ
にいっちゃうかも
グ
ろ
、
こ
の俗な世界を
と
い
な
ゃ
じ
葉
98
まったときに
。
という、ある種
えじゃん、って
シーの運転手
ね
ク
タ
ん
や
わ
も
き
変
て
引
と
い
思いま
ン
頃
の
がポ
[重松] 藤沢さん
延命策なんだと
果、ふつうに歩
けで、俺、18
ないための、
から、その結
せ
た
さ
っ
化
ま
狭
晶
が
結
を
隔
は、言葉
エッジの間
を続けると、本
[重 松]エッジと
描くっていうの
だろうし、これ
で∼」になる
海
「
っ
と
わ
く
い
変
て
と
め
を疑ってたころ
OK に……。
す。純度を高
よね。
17、8 で世界
かもしれません
でし
ない。自分が
葉
れ
し
言
も
う
てる瞬間が来る
か
い
捨
の
と
を
魂
た
葉
か
言
[藤沢]なっ
と
に
美
当
、
り
気がしている。
な
う
に
い
う
るものは詩だと
日常性を扱うよ
あ
っ
の
に
戻
年
核
て
中
の
し
て
分
巡
い
自
[藤沢]だから、
わけです。一
てないと気づ
ね。
と、また思った
っていましたよ
るんじゃないか
あ
が
詩もお書きにな
の
、
も
イメージだった
と
い
も
松]
な
と
[重
も
か表せ
は、ほぼ詩の
め
初
、
も
』
。
戯
ね
遊
よ
す
亡
)『死
がするんで
ましたよね。
通じるまったく
[藤沢]
(デビュー作の
てきたような気
きるようになり
仲間内だけに
、「 退 屈 」 がで
だかというと、
で
ん
と
選
こ
を
る
き
た
い
っ
引
は
あ
ン
く違うマ
が
ポ
日 常が
[重 松] 大 人 の
地図とはまった
たくない」 感じ
んです。なんで
、我々散文の
たりとも退屈し
は
行
と
こ
一
う
「
い
は
と
。
前
が
てるから
説って、
、詩に近いも
に入れてる感じ
藤沢さんの小
違う言語を持っ
持ち込みながら
さ」を積極的
的にね。俗を
常的な 「退屈
略
日
戦
の
、
公
と
て、ど
ら
人
か
主
う
言葉が結晶化し
けれど、今は、
ップがあるだろ
です。だけど、
ん
た
っ
思
と
り
さ
か
じゃない
めるという鈍重
いく恐怖感はあ
のが出てくるん
します。
語がなくなって
逡巡して、確か
ち
言
い
に
ち
い
い
た
を
み
作
」
盾にさらさ
て、「海で∼
ね。ひとつの所
で見えてくる
[藤沢]そうです
んどん短くなっ
葉にしていく矛
細かいところま
ない感覚を言
き
常が粒子状に
で
日
に
。
葉
い
な
言
っ
な
れ
、
を考
し
に
かも
えない
と。そんなこと
れたくなるよう
が出てきたから
ます。目に見
何なんだろう、
く、微分して入
は
か
と
細
こ
と
る
っ
い
も
て
を
自分のやっ
でも、空間
うけど……。
れて、いったい
よう、停滞して
になれるんだろ
に成熟したプロ
当
本
、
ば
れ
い
てきた。
えないで書いて
急に目
話すと、学生は
実践的なことを
う
い
う
そ
…
…
がある
非常にかかわり
の後のリ
んだよねえ。
る
んですよね。そ
を輝かせ始め
交世代じゃない
援
る
ゆ
わ
い
、
学生は
か?
[重松]いまの大
影響はあります
でしょうか。その
代
世
ー
ゥ
『蛇にピア
ト
タ
スカ世代、
だけど、彼女の
さんぐらいの歳
み
と
ひ
原
金
は
すよね。
学生
[藤沢]いまの大
グとは違うんで
とかピアッシン
ー
ゥ
ト
タ
た
い
タ
の考えて
マーはこういう
ス』 は、我々
リズム。「チー
バ
イ
ラ
ト
、
の
も
部族主義的な
とプリミティ
我々のときは、
彼女たちはもっ
としてあった。
号
記
か
と
」
め
きゃだ
トゥーを入れな
18
︵藤沢︶
藤沢周 § Fujisawa Shu
年生。躍動する物語と沈降する内面、動と静をあわせもつ小説家。 年に ﹁ブエノスア
ブックレビュー﹂ の進 行 役 を務めつつ、
﹁
イレス午 前 零 時 ﹂ で芥 川 賞 を受 賞、
法政大学の教授職も務めるなど、多彩な活躍をみせている。
ですか?
嫌
何年目
ることも
になって
授
教
し、教え
い
の
な
政
ら
法
引き受
かわか
沢さん、
]
[重松 藤
しぶしぶ
たらいい
、
え
て
教
れ
を
なに
に頼ま
年目。
]
の恩 師
[藤沢 三
学時代
大
、
ど
んだけ
いだった
ょう?
のう
多いでし
よね。
コマ。そ
コマ数も
、
けたんだ
と
る
ゼミが2
な
、
に
と
論
授
化
任の教
]
日本文
[重松 専
表現、
んです。
、文 章
学
文
で
き受ける
も きた
本
]
の
て
[藤沢 日
っ
むなく引
」
や
ミ
。
ゼ
)
門
笑
すね(
から「入
生」 で
え今年
に 「先
。
すか?
全
笑)
で
完
ったん
ごい、
ようと(
]
あ
は
[重松 す
の
ようにし
い
なも
な
的
れ
略
、
て、戦
言葉で
ことを忘
人間の
にあたっ
である」
いている
が作家
」
書
分
界
で
自
「
ず、
]
無の世
、現場
[藤沢 ま
教の 「
ではなく
仏
葉
禅
言
、
浪人
ズムの
それと
、ぼくが
アカデミ
ようと。
一」とか
現を教え
同
表
る。
己
章
自
文
やってい
矛盾的
文 学や
「絶対
について
の
」
郎
点
幾多
分にも勉
のゼロ地
とか西田
は、自
の言葉
の
分
る
自
え
「
がら教
学んだ
整理しな
時代に
両極を
の
そ
、
ロ
文学とゼ
って。
ません?
かなと思
き裂かれ
ぼくは、
る
引
は
側
強にな
説では
る
小
え
。
教
よ
で、
です
の両極
]
ンスなん
[重松 そ
。主
いいバラ
に
いんです
外
れが意
]
描写した
を
[藤沢 こ
」
ま
たい。
あるがま
一致させ
には 「
究極的
在なしに
介
の
語
も、いざ
を、言
いに。で
た
体と客体
み
、
ない
も存在し
自分すら
ても動き
、どうし
て
れ
ま
語が生
うか世
」、とい
てきて物
客合一
物が出
主
人
「
場
登
から、 観
人 公の
書くと、
き、 主
なる。だ
と
く
小説を
の
な
そ
か
れの
が動
う? 、物語
るでしょ
はそれぞ
出してく
すぎると
書くとき
き
、
置
ら
を
が
点
おさえな
写に重
一」を
んです。
界の描
主客合
両極な
「
て
し
、その
と
る
?
本
見
基
を
察の
てますか
て世界
要な
生に届い
あわせ
学
に
は
ー
は、主
タ
識
で
問題意
キャラク
化論」
の
文
ん
本
さ
日
ど、それ
の「
いう藤沢
] う
ているけ
[重松 そ
学ぶため
っ
を
使
き
を
引
』
け
道、能、
の研究
界との駆
]
れから弓
[藤沢 世
の 『善
そ
郎
道
多
茶
田幾
教、
て、
として西
トを使っ
道、禅仏
テキスト
エレメン
から、武
な
い
ん
く
ろ
に
い
す。もち
わかり
郎……
していま
だけでは
崎潤一
に
谷
チ
や
ー
成
アプロ
川端康
か、の
あるいは
とはなに
り
悟
いけど。
、
です
にか
分からな
てくるん
ど
な
無とはな
」
に 持っ
達
め
悟
た
「
向して
教える
俺自体も
なかに志
ントは、
の
ろん、
メ
ん
レ
さ
エ
沢
の
]
[重松 そ
もそも藤
れともそ
か? そ
?
から
か
幼い頃
たんです
かな。
る
入ってい
て
っ
、入
道って、
分以上
]
けど、武
[藤沢 半
だ
ん
る
て
応で
道をやっ
撃に反
ずっと武
手の 攻
相
と
い
教と
滅却しな
、禅仏
自分を
意 味で
の
そ
。
んです
きない
藤沢周
F
U
J
I
S
A
W
A
S
H
U
連載インタヴュー「作家の背骨──重松清の部屋 」④