『それから』の金銭問題

『台灣日本語文學報 21 號』PDF版
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代助的二百元所代表的意義
─《在那之後》的金錢問題─
林寄雯
淡江大學日本語文學系助理教授
摘要
由 於 平 岡 的 失 業 , 夏 目 漱 石 的 小 說 《 在 那 之 後 》 裏 的 代 助 與 三千
代 得 以 再 次 相 遇。作 品 的 第 一 章 裏, 代 助 同 時 收 到 了 來 自 平 岡 與 來 自
父 親 的 兩 封 信。 這 兩 封 信 都 與 金 錢 有 關。在第 八 章,代 助 拿 嫂 嫂 給 他
的二百元送給了三千代 。 因為這二百元,代助與三千代恢復愛的交
往 。 而 這 二 百 元 所 代 表 的 意 義 已 經 遠 遠 超 過 它 原 有 的 經 濟 面 的 價 值。
另 外 , 作 品 的 最 末 章 裏 , 代 助 急 於 尋 找 一 份 工 作 的 描 述 , 更 加 突 顯他
想要進入積極生活的焦慮與不安。
從 序 章 到 終 章 , 金 錢 問 題 與 故 事 的 發 展 緊 密 結 合 。 本 篇 論 文 將就
作品中的金錢問題加以整理,同時探討二百元所代表的意義。
長 久 以 來,
《 在 那 之 後 》的 第 十 四 章 所 描 述「回 歸 昔 日 自 然 」的場
景 備 受 矚 目 。 本 篇 論 文 將 往 前 追 朔 到 作 品 的 第 七 章 。 探 討 代 助 「 想借
她 銭 、 想 讓 三 千 代 滿 意 」 的 心 情 面 的 轉 變 。 探 討 的 焦 點 將 集 中 在 ,非
利 害 關 係 下 的 金 錢 授 與 所 帶 來 的 愉 快 心 情 , 引 領 代 助 回 到 自 然 的 這一
點上。
關鍵詞:金錢、自然、愉快、愛、職業
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The Connotation of “Money” in Natsumesoseki’s And Then:
Daisuke’s Two Hundred Dollars
Lin Chi-Wen
Assistant Professor, Tamkang University
Abstract
In Natsumesoseki’s And Then, the episode, “Return Back to Nature”
(自 然 の 昔 に 帰 る ) in Chapter Fourteen, has been highly discussed. This
paper aimed to gather and examine the varied perspectives on money in
And Then, as well as to explore the meaning of Daisuke’s two hundred
dollars.
In And Then, Hiraoka’s unemployment leads to Daisuke’s encounter
with Michiyo. In the first chapter, Daisuke simultaneously received two
letters from Hiraoka and his father. The two letters are closely related to
the financial difficulties. In Chapter Eight, Daisuke gave two hundred
dollars subsidized by his sister-in-law to Michiyo. On account of the two
hundred dollars, Daisuke awakens in him a love for Michiyo. The value
of the two hundred dollars, however, is far more than the financial
support itself. Moreover, in the last chapter, Daisuke’s eagerness to find a
job reveals his anxiety and unease. This paper, therefore, initiated a
discussion on Chapter Seven to delve into Daisuke’s transformation in
terms of his willingness “to lend Michiyo money and to satisfy her.”
Natsumesoseki weaves ideas about money into the texture of the
story in And Then. Thus, the discussion focuses on a disinterested
money-based relation; and the enjoyment which it brings about takes
Daisuke back to “Nature.”
Key words: money, nature, enjoyment, love, vocation
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代助にとっての二百円の意味
―『それから』の金銭問題―
林寄雯
淡江大学日本語文学科助理教授
要旨
『それから』の代助と三千代の再会は、平岡の失業がきっかけで
あ っ た 。 第 一 章 で 、 代 助 は 平 岡 と 父 の 両 方 か ら の 手 紙 を 同 時 に 受け
取 っ た 。 両 方 と も 経 済 的 な 事 情 が 背 後 に 潜 ん で い る 。 第 八 章 で 、代
助 は 嫂 か ら 二 百 円 を 貰 っ て 、 三 千 代 に 上 げ た 。 二 百 円 は そ の 本 来の
経 済 的 な 価 値 を 遥 か に 超 え た 作 用 が 生 じ て い て 、 三 千 代 と の 愛 の交
流 の き っ か け と な っ た 。ま た 、
『 そ れ か ら 』の 最 終 章 に は 、、
「職業を
探 し て 来 る 」 代 助 の 姿 が 彼 の 積 極 的 な 生 活 に 入 ろ う と す る 苛 立 たし
さと不安とともにクローズアップされている。
金銭 の 問 題 は 序 章 か ら 終 章 ま で 緊 密 に ス ト ー リ ー の 展 開 と か かわ
り あ っ て い る 。 周 知 の よ う に 、 漱 石 ほ ど 金 銭 に こ だ わ っ た 作 家 はい
な い 。 本 論 は 『 そ れ か ら 』 に 取 上 げ ら れ た 金 銭 の 問 題 を 要 約 し なが
ら、代助にとっての二百円の意味を考えてみたい。
従来 は 『 そ れ か ら 』 の 第 十 四 章 の 「 自 然 の 昔 に 帰 る 」 場 面 が 注目
さ れ て き た が 、 本 論 は そ の 「 自 然 の 昔 に 帰 る 」 決 心 の 兆 し と な る第
七章に遡って、
「 三 千 代 に 金 を 貸 し て 満 足 さ せ た い 」と い う 代 助 の心
情 の 変 化 を 探 る 。 利 害 関 係 の な い 金 銭 の 授 与 に と も な う 愉 快 な 心情
が代助を自然へと導いていった点に注目したい。
キーワード:金銭
自然
愉快
愛
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職業
代助にとっての二百円の意味
―『それから』の金銭問題―
林寄雯
淡江大学日本語文学科助理教授
1. は じ め に
『それから』の代助と三千代の再会は、平岡の失業がきっかけで
あ っ た 。 三 年 前 、 代 助 の 周 旋 で 三 千 代 と 平 岡 は 結 婚 し 、 新 夫 婦 は平
岡 の 支 店 銀 行 へ の 転 勤 に よ り 、京 阪 地 方 へ 移 っ て い っ た 。
『それから』
は 平 岡 が 仕 事 の 失 脚 で 、 三 千 代 を つ れ て 上 京 し 、 代 助 を 訪 ね て くる
ことからストーリーが始まった。
『そ れ か ら 』 の 第 一 章 で 、 代 助 が 平 岡 と 父 と の 両 方 か ら の 手 紙を
同 時 に 受 け 取 っ た こ と に は 、 深 い 意 味 が あ る と 、 越 智 治 雄 は 指 摘す
る 。 平 岡 の 方 に は 三 千 代 が 絡 み 、 父 の 方 に は 佐 川 の 娘 と の 政 略 結婚
が 内 在 し て お り 、 双 方 と も 経 済 的 な 事 情 が 背 後 に 潜 ん で い る と 論じ
ら れ て い る 1。
第八 章 で 、 代 助 は 嫂 か ら 二 百 円 を 貰 い 受 け て か ら 、 三 千 代 に 渡し
た 。 代 助 が 素 直 に 嫂 の 同 情 を 受 け 、 ま た 同 情 を こ め た 愛 を 三 千 代に
さ さ げ た 。 二 百 円 に は そ の 本 来 の 経 済 的 な 価 値 を 遥 か に 超 え た 作用
が 生 じ て い て 、 理 屈 の み に 生 き て い る 代 助 に と っ て 、 三 千 代 と の愛
の 交 流 の き っ か け と な っ た 。 三 千 代 と の 会 見 を 重 ね て い く う ち に、
自 分 を こ の 薄 弱 な 生 活 か ら 救 い う る 方 法 は た だ 一 つ の み で あ り 、そ
れ は 三 千 代 に 逢 う こ と で あ る と 、 代 助 は 悟 っ た 。 彼 は し だ い に 三千
代の運命に対して一種の責任を帯びねばならないように自覚し、
「自
ら 進 ん で 求 め た 責 任 」を 自 認 し た 。最 終 章 に は 、
「僕は一寸職業を探
し て 来 る 」と 門 野 に 言 い 捨 て て 、
「 頭 が 焼 け 尽 き る ま で 電 車 に 乗 つて
行 こ う 」 と す る 代 助 の 姿 が 彼 の 積 極 的 な 生 活 に 入 ろ う と す る 苛 立た
1
重 松 康 雄 注 釈 ( 1 9 8 8 )『 夏 目 漱 石 集 Ⅲ』 角 川 書 店 発 行 の 補 注 1 3 5 に よ る
ものである。
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しさと不安とともにクローズアップされている。
金銭 の 問 題 は 序 章 か ら 終 章 ま で 緊 密 に ス ト ー リ ー の 展 開 と か かわ
り あ っ て い る ほ か 、 賄 賂 に 絡 む 日 糖 事 件 、 友 人 の 寺 尾 に 対 す る 金銭
の 融 通 、 兄 誠 吾 の 金 銭 観 な ど も が 挿 入 さ れ て い る 。 周 知 の よ う に、
漱 石 ほ ど 金 銭 の 問 題 に こ だ わ っ た 作 家 は い な い 。本 論 は『 そ れ か ら』
に 取 上 げ ら れ た 金 銭 の 問 題 を 要 約 し な が ら 、 代 助 に と っ て の 二 百円
の意味を考えてみたい。
2.
代助にとっての職業
第二章に、代助と平岡は三年ぶりに会ったが、その日に二人は人
生 の 経 験 に 関 し 、論 議 を 交 わ し た 。
「 生 活 上 世 渡 り の 経 験 よ り も 、復
活 祭 当 夜 の 経 験 の 方 が 人 生 に 於 て 有 意 義 な も の と 考 へ て ゐ る 」( 二)
代助は次々と人生に対する自己の経験論を発した。
「僕は所謂処世上の経験程愚なものはないと思つてゐる。苦痛
が あ る だ け ぢ や な い か 。」( 二 )
「( 前 略 )麵 麭 に 関 係 し た 経 験 は 、切 実 か も 知 れ な い が 、要 す る
に劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや
人間の甲斐はない。君は僕をまだ坊つちやんだと考へえてるら
しいが、僕の住んでゐる贅沢な世界では、君よりずつと年長者
の 積 り だ 」(二)
代助の論法に対し、平岡は冷淡でも軽蔑でもないような口吻で、
「何時までもそう云う世界に住んでゐられゝば結構さ」
(二)、
「もう
大 抵 世 の 中 へ 出 な く つ ち や な る ま い 。其 時 そ れ ぢ や 困 る よ 」
( 二 )の
返 答 を 以 っ て 返 し た 。 こ の 三 年 間 復 活 祭 の よ う な 経 験 を 満 喫 し よう
と す る 代 助 と 違 い 、 平 岡 は 赴 任 当 時 自 分 の 考 え た 計 画 を 棚 あ げ にし
て 、 周 囲 と 融 合 し て い く 。 仕 事 上 の 失 脚 は 、 関 と い う 同 僚 が 芸 妓と
関 係 し 、 知 ら な い 間 に 会 計 に 穴 を あ け る 結 果 と な っ た 。 そ れ が 露見
し た に よ り 、 関 は 解 雇 さ れ 、 自 分 も 辞 職 を 申 し 出 た の だ と 平 岡 は説
明 し た 。 し か し 、 関 が 使 い 込 ん だ 金 銭 は 平 岡 が 出 し た と の 因 果 関係
の 説 明 で あ り 、 し ま い に 「 あ れ つ 計 り の 金 を 使 い 込 ん で 、 す ぐ 免職
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になるのは気の毒な位なものさ」
( 二 )と 関 に 同 情 し た 。そ の 関 と い
う 男 は 平 岡 自 身 の 言 い 逃 れ で あ る か も し れ な い 。「 あ れ つ 計 り の 金」
( 二 )は「 千 に 足 ら な い 金 」
( 二 )だ か ら と い っ て 、平 岡 が 支 店 長 か
らその金銭を借りて穴埋めをしたものである。
代助 の 論 法 に よ る と 、 平 岡 の 処 世 上 の 経 験 は ま っ た く 劣 等 な 経験
で あ っ て 、「 麵麭 を 離 れ た 贅 沢 な 経 験 」 こ そ 人 生 の 真 の 意 義 が あ る。
代 助 の 今 日 の 生 活 は 父 が 保 障 し て い る か ら 、 彼 は 「 無 論 食 ふ に 困る
様 に な れ ば 、何 時 で も 降 参 す る さ 。然 し 今 日 に 不 自 由 の な い も の が 、
何 を 苦 し ん で 劣 等 な 経 験 を 嘗 め る も の か 。」( 二 ) と い う よ う な 大言
を 放 つ こ と が で き た 。 平 岡 と 代 助 は お 互 い に 相 手 の 無 経 験 さ を 嘲笑
っ て い る 。 代 助 の 「 贅 沢 の 世 界 」 は も ち ろ ん 平 岡 の 贅 沢 な 生 活 とは
別世界なものである。
第三章では、代助の遊民としての生活ぶりがつづられている。代
助 は 月 に 一 度 本 家 へ 金 を 貰 い に 行 っ て 、 親 の 金 と も 、 兄 の 金 と もつ
か ぬ も の を 使 っ て 生 き て い る 。 父 か ら も 、 嫂 か ら も 説 教 を 浴 び せら
れ る が 、 彼 は 自 分 を 上 等 人 種 と 考 え て い る 。 し か も 「 職 業 の 為 に汚
さ れ な い 内 容 の 多 い 時 間 を 有 す る 、上 等 人 種 (
」 三 )だ と 考 え て い る 。
父 に と っ て 代 助 は 「 三 十 に な つ て 遊 民 と し て 、 の ら く ら し て ゐ る」
( 三 )の は 不 体 裁 で あ っ て 、
「 何 も 金 を 儲 け る 丈 が 日 本 の 為 に な ると
も限るまい」
( 三 )か ら 、代 助 に 奮 発 し て ほ し い 。嫂 に は「 貴 方 は寐
て ゐ て お 金 を 取 ら う と す る か ら 狡 猾 よ 」( 三 ) と い わ れ る 。
平 岡 一 家 が 借 家 に 引 越 し た 後 、 代 助 は 訪 ね た 。『 そ れ か ら 』 の 第
六 章 で は 、 人 生 の 議 論 が 再 び こ の 二 人 の 友 人 の 間 に 沸 き 上 が っ た。
今 回 は 働 く か 、 働 か な い か が 議 論 の 焦 点 と な っ た 。 平 岡 は す で に人
生 の 経 験 か ら い え ば 、 失 敗 を 嘗 め た 人 間 だ が 、 彼 は 「 失 敗 し て も働
ら い て ゐ る 。 又 こ れ か ら も 働 く 積 り だ 。」( 六 ) と 自 分 の 将 来 に 意欲
を 持 続 さ せ た 。 後 に 新 聞 で 経 済 係 り の 仕 事 が 決 ま っ た 平 岡 に も 彼の
「 活 動 」 す る 人 生 観 を 示 し て い る 。 代 助 の 消 極 的 な 哲 学 を 聞 か され
て も 彼 は 彼 自 身 の 活 動 の 行 為 を 進 め て い る 。 代 助 の 疑 問 に 対 し 、彼
は「 無 論 大 い に 遣 る 積 り だ 」
( 十 三 )、
「 新 聞 に ゐ る う ち は 、新聞 で 遣
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る 積 り だ 」( 十 三 )、「 出 来 る 積 り だ 」( 十 三 ) と 明 瞭 な 答 え を つ ぎ つ
ぎ に 出 し た 。積 極 的 に 行 為 を 求 め る 平 岡 が 代 助 に 対 し 、
「 何 故 働 かな
い」と訝っても全く理に叶う質問であった。
「 何 故 働 か な い つ て 、 そ り や 僕 が 悪 い ん ぢ や な い 。 つ ま り世
の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係
が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧
乏震ひをしてゐる国はありやしない。この借金が君、何時にな
つたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれど
も、それ
計りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金
で も し な け れ ば 、 到 底 立 ち 行 か な い 国 だ 。( 後 略 )」( 六 )
こ こ の「 借 金 」は 日 本 対 西 洋 の 文 化 の ア ン バ ラ ン ス を さ し て い る 。
西 洋 の 圧 迫 を 受 け て い る 国 民 に は 考 え る 余 裕 が な く て 、 碌 な 仕 事も
出 来 な い 。そ こ で 、代 助 は 彼 の 無 為 な 生 活 の 正 当 性 を 訴 え て い る が 、
『 そ れ か ら 』 の 代 助 と 平 岡 は 、 西 洋 の 圧 迫 の 下 に 生 息 し て い る 対照
的 な 人 物 と し て 描 か れ て い る 。 生 存 競 争 の た め に 「 大 い に 遣 る 」平
岡 と 、 生 存 競 争 に 「 神 経 衰 弱 」 に な っ た 代 助 が そ の 時 代 の 代 表 人物
と し て 登 場 し て い る 。 平 岡 は 自 分 の 意 志 を 現 実 的 な 社 会 に 働 き かけ
る こ と に よ っ て 、自 分 の「 存 在 の 価 値 」
( 六 )を 求 め て い る 。代 助 に
は世の中がよくなれば自分ももっと積極的に生きられると自分の
「怠惰性に打ち勝つ丈の刺激」
( 六 )を 日 本 の 社 会 の 健 全 さ に 求 め る。
二人とも文明に病んで自己を失う人である。
二 人 の 議 論 は 長 く 続 い て い る 。「 食 う た め の 職 業 」 と 「 神 聖 な 労
力 」 の 議 論 で あ る が 、 平 岡 に し て も 代 助 に し て も 、 相 手 の 論 法 に納
得 す る こ と が で き な い 。 し か し 、 三 年 前 の 代 助 と 平 岡 は ど う で あっ
た ろ う か 。 三 年 前 に 、 代 助 と 接 近 し て い た 時 分 の 平 岡 は 「 人 に 泣い
て貰ふ事を喜こぶ人」
( 八 )で あ っ て 、ま た 平 岡 と 接 触 し て い た 時分
の代助は、
「人の為に泣く事の好きな男」
( 八 )で あ っ た 。と こ ろ が、
三 千 代 に 渡 し た 二 百 円 の お 礼 に 突 然 平 岡 が 訪 ね て き た 日 、 そ の 日に
平岡がとうとう自分から離れてしまったと代助は思った。
「 現 代 の社
会は孤立した人間の集合体」
( 八 )で あ っ て 、平 岡 は「 人 の 同 情 を 斥
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け る 様 に 振 舞 つ て 」( 八 ) も 、 世 を 渡 ら な け れ ば な ら な い 。
代助 と 平 岡 は 終 章 ま で 、 交 差 の な い 線 上 に 立 っ た 対 極 の 二 人 であ
っ た 。 平 岡 は 地 方 に 赴 任 し た 当 時 の 理 想 を 棄 て て 積 極 的 に 社 会 と融
合 し て い く 。 一 方 、 代 助 は そ の ま ま の 精 神 の 世 界 に 居 続 け る の だろ
う か 。彼 は「 生 活 欲 を 低 い 程 度 に 留 め 」
( 十 一 )な が ら 、父 に 生 活最
小 限 の 金 を た よ っ て 、自 分 の 世 界 に 安 住 で き る だ ろ う か 。
『それから』
の 第 一 章 に 提 起 さ れ た 平 岡 の 手 紙 と 父 の 手 紙 は 明 ら か に 代 助 の 高尚
な 上 等 人 種 の 終 焉 を 暗 示 し て い る 。 三 千 代 の 金 策 に し て も 、 父 の政
略 結 婚 に し て も 、 代 助 は 金 銭 の 問 題 を 通 し て 、 彼 の 無 為 な 生 活 を考
え直さなければならなくなった。
3.
金銭と自然の愛
『 そ れ か ら 』の 主 題 に 、三 つ の 流 れ が 見 ら れ る 2 。一つ は 猪 野 謙 二
の 論 を 筆 頭 と す る 「 生 の 不 安 」 と 「 社 会 的 な 不 安 」 を 「 純 乎 と した
一 篇 の 恋 愛 小 説 」に 託 す 展 開 で あ る 。も う 一 つ は 、亀 井 勝 一 郎 の「 知
識 人 の 肖 像 」や 高 橋 和 己 の「 知 識 人 の 苦 悩 」と い っ た 論 で 、そ こ に 、
知 識 人 の 精 神 面 の 苦 悩 が 注 目 さ れ る 。 三 つ 目 は 「 外 の 社 会 」 と 「内
部 の 人 間 」と の 矛 盾 へ の 超 克 に 焦 点 が 当 て ら れ る 。
『 そ れ か ら 』の序
章 か ら 終 章 ま で 、 金 銭 が 重 要 な 要 素 と し て 取 り 入 れ ら れ 、 上 述 した
作 品 の 主 題 と 密 着 し て い る 。金 銭 と 関 連 し て く る 概 念 に 、
「 金 銭 と恋
愛」
「物質と精神」
「社会と個人」
「 現 実 と 非 現 実 」が 対 照 的 に 捉 え る
ことができる。
『それから』の第十四章に、代助は佐川の娘の縁談を断り、三千
代との愛を発展させようと決意し、
「 今 日 始 め て 自 然 の 昔 に 帰 る 」と
いう次の名場面が描かれている。
「 今 日 始 め て 自 然 の 昔 に 帰 る ん だ 」 と 胸 の 中 で 云 つ た 。 こう
云ひ得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故もつと
早く帰る事が出来なかつたのかと思つた。始めから何故自然に
2
石井和夫がまとめた『それから』の研究史によって分けたものである。出所
は 竹 盛 天 雄 編 ( 1 9 8 0 )『 夏 目 漱 石 必 携 』 学 燈 社 P171
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抵抗したのかと思つた。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔
のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。その生命の裏に
も表にも、欲得はなかつた、利害はなかつた、自己を圧迫する
道徳はなかつた。雲の様な自由と、水の如き自然とがあつた。
さうして凡てが幸であつた。だから凡てが美しかつた。
この場面が『それから』のクライマックスであって、中心主題と
も 言 わ れ る 箇 所 で あ る 。 代 助 に と っ て の 自 然 の 性 質 が 注 目 さ れ 、ま
た 和 田 謹 吾 は 「『 そ れ か ら 』 ― ― < 自 然 の 昔 > の 実 験 3 」 と い う 文 章
で、
「 こ の 作 品 の 中 で 最 も 多 く の 枚 数 を 費 や し た 章 で あ り 、漱 石 の最
も 力 を 注 い だ 部 分 」だ と 第 十 四 章 の 重 要 性 を 説 い て い る 。代 助 が「今
日 始 め て 自 然 の 昔 に 帰 る ん だ 」 と 決 意 し 、 白 百 合 を 飾 っ た 自 宅 に三
千 代 を 招 い て 愛 を 告 白 し 、 積 極 的 な 生 活 に 入 っ て 行 く 場 面 は 『 それ
か ら 』の も っ と も 重 要 な 箇 所 と な る が 、本節 で は「 自 然 の 昔 に 帰 る 」
と 決 心 し た 代 助 の 心 の 兆 し を 覗 か せ て く れ る 第 七 章 に ま で 遡 り 、自
然の性質を考えてみたい。次に引用した箇所から探っていく。
正直を云ふと、何故に金が入用であるかと研究する必要は、
も う 既 に 通 り 越 し てゐ た の で あ る 。 実 は 外 面 の 事 情 は 聞 い て も
聞 か な く つて も 、三 千 代 に 金 を 貸 し て 満 足 さ せ た い 方 で あつた。
(七)
早 晩 平 岡 か ら 表 向 き に 、 連 帯 責 任 を 強 ひ ら れ て 、 そ れ を 断わ
り切れない位なら、一層此方から進んで、直接に三千代を喜ば
してやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆ど理窟を離れ
て 、 頭 の 中 に 潜 ん で ゐ た 。( 七 )
「自 然 の 昔 に 帰 る 」 方 法 に つ い て 、 武 者 小 路 実 篤 が 「 自 然 の 力を
顕 は す 方 法 と し て 恋 が 書 か れ て ゐ る 4 」と「『 そ れ か ら 』 に 就 て 」 に
提 示 し て い る 。 し か し な が ら 、 そ の 恋 の 展 開 を 考 え れ ば 、 金 銭 が重
要 な 役 割 を 果 た し て い る こ と は 自 明 で あ る 。 上 京 し た 三 千 代 が はじ
め て 代 助 を 訪 ね れ て き た 現 実 的 な 理 由 は 金 の 工 面 の た め で あ っ た。
3
4
竹 盛 天 雄 編 ( 1 9 8 0)『 夏 目 漱 石 必 携 』 学 燈 社 P 3 2
平 岡 敏 夫 編 ( 1 9 9 1 )『 夏 目 漱 石 研 究 資 料 集 成 』 第 2 巻
79
P59
ま た 、三 千 代 は 雨 に 降 ら れ 損 な っ て 白 い 百 合 の 花 を 提 げ て き て 、
「あ
な た 、何 時 か ら 此 花 が 御 嫌 に な つ た の 」
( 十 )と 代 助 に 昔 を 思 い 浮か
ば せ る 場 面 も 二 百 円 の 小 切 手 の お 礼 の た め で あ っ た 。百 合 の 花 は「 甘
たるい強い香」
( 十 )を 放 っ て テ ー ブ ル の 上 に 載 っ て い る 。代助 は そ
の「 重 苦 し い 刺 激 を 鼻 の 先 に 置 く 」
( 十 )のに 耐 え な か っ た 。そ の う
ち 雨 が 降 っ て き た 。 三 千 代 の 「 あ な た 、 何 時 か ら 此 花 が 御 嫌 に なつ
た の 」と い っ た「 妙 な 質 問 」
( 十 )が 登 場 さ れ る 。三千 代 の こ の「妙
な 質 問 」 を 想 定 し た 上 で 、 第 十 四 章 の 「 雨 の 中 に 、 百 合 の 中 に 、再
現 の 昔 の な か に 」、代 助 に「 何 故 自 然 に 抵 抗 し た の か 」と 思 わ せ た 漱
石 の 工 夫 が 窺 わ れ る 。 ス ト ー リ ー の 展 開 か ら 見 れ ば 、 二 百 円 の 小切
手 は 第 十 章 の「白 い 百 合 の 花 」、そ し て 第 十 四 章 の「 自 然 の 昔 」へ と
繋がっていく要因となる。
第七章の引用に戻って考えると、三千代の事が気になり、三千代
に お 金 を 貸 し て 心 を満 足 さ せ た い 代 助 は 自 分 が 不 徳 儀 と 感 じ な いば
か り か 、 む し ろ 「 愉 快 な 心 持 」 で あ っ た 。 そ し て 、 代 助 の 心 情 は理
屈 を 離 れ て 「 愉 快 」 と 展 開 し て い く 。 第 六 章 の 代 助 は 「 金 に 不 自由
し な い 」( 六 )、 ま た 、「 理 屈 を 離 れ る 事 の で き な い 」( 六 ) 人 で あ っ
た が 、 そ の 第 六 章 の 「 何 故 働 か な い 」 と い っ た 論 理 的 な も の と 大き
く か け 離 れ て 、 第 七 章 の 代 助 に と っ て 、 金 銭 が 切 実 な も の と な って
き た 。代 助 の「 三 千 代 に 金 を 貸 し て 満 足 さ せ た い 」
( 七 )心 情 が 彼 を
自 然 に 導 いて い く き っ か け と な る 。 代 助 に と っ て の 金 銭 の 切 実 さは
金 の 入 用 と い う 現 実 問 題 と し て 描 か れ て い る 一 方 、 代 助 は 金 の 入用
によって嫂の情を快く受けることができた。
三千代に頼まれた金策のことで、代助が最初に考えた人は兄であ
っ た 。そ れ で 兄 に 無 心 し た が 、完 全 に 失 敗 し て 帰 っ て き た 。兄 は「 そ
んな場合には放つて置けば自から何うかなる」
( 五 )と い う そ っ け な
い 返 答 で あ っ た 。 な お 、 兄 の 理 由 は 「 義 理 や 人 情 に 関 係 が な い 計り
で は な い 、返 す 返 さ な い と 云ふ損 得 に も 関 係 が な か つ た」
( 五 )とい
う 判 断 で あ っ た か ら 。普段「 金 に 不 自 由 し な い 」
( 六 )よ う な 代 助 は 、
「 多 い に 不 自 由 し てゐる 男 」(四)、「 一 文 も 出 来 や し 」( 五 ) な い 男
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になってしまった。
兄に対し、金策で失敗した代助は嫂に相談してみるようになり、
兄 の 家 を 訪 ね た 。 ピ ア ノ の 練 習 を し て い た 嫂 と 姪 の 白 い 手 の 動 く様
子 を 見 、 ま た 、 欄 間 の 画 を 眺 め て い る う ち に 、 彼 は 「 金 を 借 り る」
事 を 殆 ど 忘 れ か け 、 彷 彿 状 態 に な っ た が 、 と う と う 今 日 来 た 本 題に
突 入 し た 。代 助 は「だ か ら 思ひ切 つ て 貸 し て 下 さ い 」
( 七 )と 言 い 出
し た が 、「 さう ね 。 け れ ど も 全 体 何 時 返 す 気 な の 」( 七 ) と 思 い も 寄
らない嫂の質問を聞かされた。
「 金 を 借 り る 」こ と に め ぐ る 嫂 と 代 助
と間にこんな会話がされている。
「( 前 略 ) け れ ど も ね 、 そ ん な に 偉 い 貴 方 が 何 故 私 な ん ぞ か ら 、
御 金 を 借 り る 必 要 が あ る の 。可 笑 し い ぢ や あ り ま せ ん か 。いえ、
揚足を取ると思ふと、腹が立つでせう。左様なんぢやありませ
ん。それ程偉い貴方でも、御金がないと、私見た様なものに頭
を 下 げ な け り や な ら な く な る 。」
「 だ か ら 先 き か ら 頭 を 下 げ てゐる ん で す 」( 中 略 )
「 ぢや 、 そ れ も 貴 方 の 偉 い 所 か も 知 れ な い 。 然 し 誰 も お 金 を 貸
し 手 が な くつて 、 今 の 御 友 達 を 救 つ て 上 げ る 事 が 出 来 な か つ た
ら 、 ど う な さ る 。 い く ら 偉 くつて も 駄 目 ぢ や あ り ま せ ん か 。 無
能 力 な 事 は 車 屋 と 同 な し で す も の 」( 中 略 )
「 全 く 車 屋 で す ね 。 だ か ら 姉 さ ん に 頼 む ん で す 。」( 七 )
第七章は三千代に「金を貸して」あげたい代助の心情の表れと嫂
に 「 金 を 借 り る 」 に め ぐ る 問 答 よ り 出 来 た 短 い 章 で あ る 。 論 理 に熱
心 な 代 助 が 金 の 工 面 に よ っ て 、 自 分 の 弱 点 を 認 め 、 な お 、 嫂 と の問
答 の 間 に 情 が 流 れ て い る 。 兄 に 金 銭 の 工 面 に 行 っ た 時 交 わ さ れ た会
話 と は 別 世 界 の も の で あ っ た 。「 返 す 気 だ の 、 貰ふ 積 り だ の 」( 七 )
といった議論はもはや無意味なものとなった。
嫂にも失敗して帰ってきた四五日後、嫂から「御依頼通り取り計
ひ か ね て 、御 気 の 毒 を し た 」
( 八 )と い っ た 手 紙 と 二 百 円 の 小 切 手 が
代 助 に 届 け ら れ て き た 。 代 助 と 嫂 の 関 係 を 考 え れ ば 、 二 人 の 関 係は
理 に 叶 う 貸 借 関 係 に ほ ど 遠 く 、む し ろ 情 に 訴 え る 贈 与 関 係 で あ っ た。
81
金 銭 の こ う し た 二 面 性 は す で に 『 坊 ち ゃ ん 』 の 登 場 人 物 山 嵐 と 清と
に 反 映 さ れ て い る 。 こ れ か ら 山 嵐 の と こ ろ へ 行 っ て 議 論 で も し よう
とする時の坊ちゃんは、
「 あ し た 行 っ て 一 銭 五 厘 返 し て 仕 舞 へ ば 借も
貸 も な い 。 さ う し て 置 い て 喧 嘩 を し て や ら う 。」(『坊 っ ち ゃ ん 』 六)
と 氷 水 を 一 杯 奢 ら れ た 一 銭 五 厘 を 返 さ な い と 気 が す ま な い 。 そ の一
銭 五 厘 を 返 す か 、 引 き 込 め る か の こ と で 、 坊 っち ゃ ん と 山 嵐 と の交
友 関 係 が 変 化 す る 。 一 方 、 坊っち ゃ ん と 清 と の 金 銭 関 係 は 『 坊 っち
ゃん』第一章にこう描かれている。
是 はず つ と後の 事 で あ る が 金 を 三 円 計り貸 し て く れ た 事さ
へあ る 。 何も 貸 せ と 云 つ た 訳 で は な い 。 向 で 部 屋 ヘ 持 つ て来て
御 小 遣 が な く て 御 困りで せ う 、 御 使 ひな さ い と 云つ て 呉れたん
だ 。 お れ は 無 論 入 ら な い と 云つた が 、 是 非 使 へと云 ふ から、借
り て 置 い た 。 実 は 大 変 嬉 し かつた 。(『 坊 っ ち ゃ ん 』 一 )
借り貸しの関係は人間を理に叶う平等の関係におくとすれば、坊
っ ち ゃ ん と 清 の 金 銭 関 係 に は 人 間 の 情 に 甘 受 す る心 の 表 れ が あ る。
『 坊 っ ち ゃ ん 』 の 第 六 章 に 、 坊 っ ち ゃ ん の 山 嵐 に 対 す る 当 時 の 心情
と清に対する心情を次のように対照的に描かれている。
あした学校へ行つたら、壱銭五厘返して置かう。おれは清か
ら三円借りて居る。其三円は五年経つた今日迄まだ帰さない。
返 せ な い ん ぢ や な い 、 帰 さ な い ん だ 。(『 坊 っ ち ゃ ん 』 六 )
代 助 は 嫂 の 厳 し い 問 答 の 裏 に 「 女 性 の 美 し さ と 弱 さ 」( 八 ) を 感
じ と り 、二 百 円 は あ り が た い も の で あ っ た 一 方 、
「 二 百 円 は 代 助 に取
つて中途半端な額」
( 八 )で も あ っ た 。五 百 円 の 工 面 が 中 途 半 端 の 二
百 円 で 届 け ら れ た が 、 代 助 に と っ て は 「 快 よ い も の 」 で あ っ た 。代
助 は「 女 の 斯 う 云 ふ 態 度 の 方 が 、却 つ て 男 性 の 断 然 た る 処 置 よ り も 、
同 情 の 弾 力 性 を 示 し て ゐ る 点 に 於 て 、 快 よ い も の 」( 八 ) と 思 っ た 。
嫂 の 「 感 情 上 中 途 半 端 」 の 二 百 円 が 仮 に 父 か ら も ら っ た な ら ば 、そ
れ が「 経 済 的 中 途 半 端 」と 解 釈 す る よ う に な り 、
「 不 愉 快 な 感 」に打
たれたかもしれないと代助は考えた。
中 途 半 端 の 二 百 円 は 嫂 の 情 を 受 け る 面 に お い て 、「 愉 快 」 な も の
82
であった。
「 感 情 上 中 途 半 端 」と「 経 済 的 中 途 半 端 」の 対 極 に「 快 よ
い も の 」 と 「 不 愉 快 」 と が 対 照 的 に 描 か れ 、 漱 石 は 『 坊っ ち ゃ ん』
に 提 示 さ れ た 金 銭 の 二 面 性 を 『 そ れ か ら 』 の 中 途 半 端 の 二 百 円 を通
して再び追究した。
嫂に二百円をもらって、晩飯も食べずに代助は三千代を訪ねて来
た 。 二 百 円 を 三 千 代 に 渡 し た 代 助 は 三 千 代 の 笑 い を 見 た 。「 昔 の 様」
( 八 )に な ろ う と す る 二 人 が「 互 の 昔 を 互 の 顔 の 上 に 認 め 」
( 八 )る
こ と が で き た 。 第 十 四 章 の 愛 を 告 白 す る ク ラ イ マ ッ ク ス の 伏 線 とな
る場面を次に引用する。
代助は経済問題の裏面に潜んでゐる、夫婦の関係をあらまし
推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方から問ふのを控
えた。帰りがけに、
「そんなに弱つちや不可ない。昔の様に元気に御成んなさい。
さうして些と遊びに御出なさい」と勇気をつけた。
「本当ね」と三千代は笑つた。彼等は互の昔を互の顔の上に認
た。( 八 )
金銭はからくりのような存在で、合理的に付き合えば、人間は孤
立してしまう。
「 金 銭 は 平 等 主 義 者 で す 。千 円 の 金 は 誰 が 持 っ て も千
円 に 通 用 す る の が 原 則 」と 中 村 光 夫 は「 金 銭 と 精 神 5 」と い う 文 章 で
述 べ て い る 。 ま た 、 金 銭 の 生 み 出 し た 自 由 と 平 等 な 人 間 関 係 は 封建
社 会 の 秩 序 を 破 壊 し た が 、同 時 に 、金 銭 は 相 手 の 親 切 心 と か 正 義 感 、
あ る い は 同 情 な ど に 訴 え な い 点 で 、 一 種 の 非 人 間 的 な 面 を 持 っ てい
るとも述べた。
漱 石 自 身 は 「 道 楽 と 職 業 6」 と 題 し た 明 治 四 十 四 年 の 講 演 の 中 で 、
金 銭 の 合 理な 側 面 を 次 の よ う に 述 べ て い る 。
此 関 係 を 最 も 簡 単 に且明 瞭 に 現 は し て居る の は 金 で す な、つ
ま り 私 が 月 給 を 拾 五 円 な ら 拾 五 円 取 る と 、 拾 五 円 方 人 の為に 尽
して居 る とい ふ 訳 で 取 り も 直 さ ず 其 拾 五 円 が 私 の 人 に 対 し て 為
5
6
中 村 光 夫 ( 1 9 7 9 )『 秋 の 断 想 』 筑 摩 書 房 P 6
夏 目 金 之 助 ( 1 9 9 5 )『 漱 石 全 集 』 第 十 六 巻 岩 波 書 店
83
P399
し 得 る 仕 事 の 分 量 を 示 す 符 丁 に な つ て 居ま す 。
代助と三千代また代助と嫂との金銭関係は決して借り貸しとい
っ た よ う な 合 理 的 な 関 係 で は な く 、 む し ろ 同 情 を 甘 受 す る 非 合 理的
な も の で あ っ た 。 そ の 非 合 理 的 な も の が 代 助 を 「 愉 快 」 と 「 快 よい
も の 」 と い っ た 感 情 に 導 き 、 つ い 代 助 を 「 自 然 の 昔 に 帰 る 」 と いう
道にも導いていった。
『 そ れ か ら 』に 描 か れ た「 愉 快 」、
「 快 よ い 」と
「 不 愉 快 」、「 不 快 」 の 用 例 に 、 次 の よ う な も の が 挙 げ ら れ る 。
「 愉 快 」、「 快 よ い 」 の 用 例
①
彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を
感 じ て は い ゐ な か つ た 。否 、是 よ り 幾 倍 か 快 よ い刺 激 で さ へ、
感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
(二)( 下 線 筆 者 、 以 下 同 )
②
やつぱり三千代の事が気にかかるのである。代助は其所まで
押 し て 来 て も 、 別 段 不 徳 儀 と は 感 じ な か つ た 。 寧 ろ 愉 快な心
持 が し た 。(七)
③
早晩平岡から表向きに、連帯責任を強ひられて、それを断わ
り 切 れ な い 位 な ら 、 一 層 此 方 か ら 進 ん で 、 直 接 に 三 千 代 を喜
ばしてやる方が遥かに愉快だといふ取捨の念丈は殆ど理窟
を 離 れ て 、 頭 の 中 に 潜 ん で ゐ た 。( 七 )
④
代助は嫂の態度の真率な所が気に入つた。それで、
「えゝ、少しは馬鹿にしてゐます」と答へた。すると梅子は左
も愉快 そ う に ハ 、、、、 と 笑 つ た 。( 七 )
⑤
否女の斯う云ふ態度の方が、却つて男性の断然たる処置より
も 、 同 情 の 弾 力 性 を 示 し て ゐ る 点 に 於 て 、 快 よ いも の と 考へ
て ゐ た 。( 八 )
⑥
最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かつたのを、寧ろ
快よく 感 じ た 。( 十 五 )
⑦
「僕は其時程朋友を有難いと思つた事はない。嬉しくつてそ
の 晩 は 少 し も 寐 ら れ な か つ た 。 月 の あ る 晩 だ つ た の で 、 月の
84
消えるまで起きてゐた」
「 僕 も あ の 時 は 愉 快だ っ た 」 と 代 助 が 夢 の 様 に 云 つ た 。(十
六)
「 不 愉 快 」、「 不 快 」 の 用 例
⑧
代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得
て ゐ た 。 決 し て 自 分 に 中 る の ぢ や な い 、 つ ま り 世 間 に 中 るん
で あ る 、 否 己 に 中 つ て ゐ る ん だ と 思 つ て 、 却 つ て 気 の 毒 にな
つ た 。 け れ ど も 代 助 の 様 な 神 経 に は 、 此 調 子 が 甚 だ 不 愉 快に
響 い た 。( 六 )
⑨
平岡は不思議に不愉快な眼をして、代助の顔を窺つた。さう
して、
「何故」と聞いた。
「何故つて、生活の為めの労力は、労力の為めの労力でない
もの」( 六 )
⑩
もし、二百円を自分に贈つたものが、梅子でなくつて父であ
つたとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、
却 つ て 不 愉 快 な 感 に 打 た れ た か も 知 れ な い の で あ る 。( 八 )
⑪
彼は平岡に面するときの、原因不明な一種の不快を予想する
様 に な つ た 。( 十 )
⑫
たゞ是がため、今日迄の程度より以上に、父と自分の間が隔
つ て 来 さ う な の を 不 快 に 感 じ た 。( 十 三 )
⑬
髯の濃い男なので、少し延びると、自分には大層見苦しく見
へ た 。 触 つ て 、 ざ ら ざ ら す と 猶 不 愉 快だ つ た 。( 十 四 )
⑭
其仕打は父の人格を反射する丈其丈多く代助を不愉快にし
た。( 十 五 )
⑮
父 に 対 し て は 只 薄 暗 い 不 愉 快 の 影 が 頭 に 残 つ て ゐ た 。( 十 五 )
⑯
父は最後に、
「ぢや何でも御前の勝手にするさ」と云つて苦い顔をした。
代 助 も 不 愉 快 で あ つ た 。( 十 五 )
85
⑰
代助は此間から三千代を訪問する毎に、不愉快ながら平岡の
居 な い 時 を 択 ま な け れ ば な ら な か つ た 。( 十 六 )
上 述 の 例 を 見 る と 、① と ⑬ と は 物 事 に 対 す る「愉 快 」と「 不 愉 快 」
の 用 例 で あ り 、 そ れ 以 外 は 人 に 対 す る 「 愉 快 」 と 「 不 愉 快 」 の 用例
で あ る 。 ④ は 嫂 梅 子 の 「 愉 快 そ う 」 な 感 情 を 表 す 表 現 で あ り 、 ⑨は
平 岡 の 「 不 愉 快 」 を 表 す 表 現 で あ る 。 そ の 他 の 用 例 は 代 助 の 心 情を
表 す 用 例 で あ る 。代 助 の 心 情 を 表 す 用 例 を 見 れ ば 、
「 愉 快 」の 対 象 が
三千代と嫂であるのに対し、
「 不 愉 快 」と な る 対 象 は 平 岡 と 父 で あ る。
な お 、 ⑥ の 用 例 の よ う に 、 仮 面 を 脱 い だ と き の 父 親 は 快 よ く 感 じら
れ 、⑦ の 用 例 の よ う に 、三 年 前 の 平 岡 は 代 助 に と っ て 愉 快 で あ っ た 。
三 千 代 と 嫂 に 暗 示 さ れ る 自 然 の 力 、 そ し て 、 平 岡 と 父 に 暗 示 さ れる
社 会 の 力 が こ う し た 代 助 の 「 愉 快 」 と 「 不 愉 快 」 の 心 情 に 反 映 され
ていることが明らかである。
金銭面から考えれば、代助の自然は利害のない、人の情を甘んじ
る 反 面 、人 に 情 を 与 え る 快 い 心 境 で あ る 。
『 そ れ か ら 』の 第 十 四 章 に
提 示 さ れ た 自 然 は 欲 得 の な か っ た 、 利 害 の な か っ た 、 道 徳 の な かっ
た 水 の 如 き 自 然 で あ る 。「 漱 石 表 現 事 典 7 」 の 「 自 然 」 の 項 目 に よ る
と 、 漱 石 の 作 品 に 描 か れ た 自 然 は 、『 彼 岸 過 迄 』 の 「 運 命 」 に 、『 こ
こ ろ 』 の 「 良 心 」 に 言 い 換 え る こ と が で き る 。 ま た 樋 野 憲 子 が 『そ
れ か ら 』 の 「 自 然 」 は 多 面 的 で あ っ て 、 そ の 第 一 の 様 相 は 「 自 己の
自 然 8 」 だ と 指 摘 し 、「 自 己 の 自 然 」 は 人 間 の 感 情 の 自 然 で あ っ て 、
個の内なる自然であると述べられている。
佐川の娘との縁談は気が進まないままにも自然と進んだ。縁談と
恋愛のジレンマに直面した時の代助はこう考えた。
7
8
竹 盛 天 雄 編 ( 1 9 8 5 )『 夏 目 漱 石 必 携 Ⅱ』 学 燈 社 P 3 0
内 田 道 雄 編( 2 0 0 0 )
『 夏 目 漱 石 』二 版 双 文 社 出 版 P 1 8 5 に 所 収 す る
樋 野 憲 子 の 「『 そ れ か ら 』 論 ― ― 自 然 と の 出 会 い ― ― 」 に よ っ た も の で あ る 。
論文に自然の第一の様相は自己の自然、第二の様相は自己を超える自然、超
越の自然だと指摘している。
86
彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発
展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。
何方かにしなければ、生活の意義を失つたものと等しいと考へ
た。其他のあらゆる中途半端の方法は偽に始つて、偽に終るよ
り外に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対し
て 無 能 無 力 で あ る 。( 十 三 )
結局、中途半端の二百円を受けた代助は彼の中途半端でない「自
然 の 命 ず る 」 ま ま の 道 を 直 進 し た 。 中 途 半 端 の 二 百 円 は 前 に 述 べた
よ う に 「 白 い 百 合 の 花 」 そ し て 「 自 然 の 昔 」 へ と 展 開 し 、 代 助 を一
歩ずつ自然へと導いていった役割を果たしている。
4.
金銭に絡む政略結婚
『 そ れ か ら 』 の 思 想 に つ い て 、 武 者 小 路 実 篤 は 「『 そ れ か ら 』 に
就 て 」 と い う 文 章 で 「『 そ れ か ら 』 に 顕 は れ た る 思 想 を 、 自 然 の 力、
社 会 の 力 、 及 び 二 つ の 力 の 個 人 に 及 ぼ す 力 に 就 て の 漱 石 氏 の 考 の発
表 と 見 る こ と が 出 来 る 9 。」と 指 摘 し て い る 。ま た 、
「自然の力を顕は
す 方 法 と し て 恋 が 書 か れ て ゐ る 」 と 前 に 述 べ た 指 摘 が あ る 。 一 方、
社会の力を描き出すために佐川の娘との政略結婚が用意されている。
社 会 の 力 は 金 銭 を 目 当 て に す る 父 の 思 惑 と し て 描 か れ て い る 。 父に
代表される社会の力は代助とどうかかわっていくかを次にまとめる。
三 千 代 に 二 百 円 を 渡 し て 、「 互 の 昔 」 を 思 い 出 し た 代 助 は 父 に 呼
ば れ て 、人 生 の 大 質 問 を さ れ た 。一 つ は「是 か ら さ き 何 う す る 料 簡 」
( 九 )と い う 質 問 で あ っ た 。次 に 、
「 独 立 の 出 来 る 丈 の 財 産 が 欲 しく
はないか」
( 九 )と 聞 か れ た が 、条 件 付 で 佐 川 の 娘 を 貰 う 。ま た「一
層洋行する気はないか」
( 九 )と 言 わ れ た が 、こ れ も ま た「 結 婚 が 先
決 問 題 」( 九 ) で あ っ た 。
父 は 「 実 業 家 よ り 基 礎 が 確 り し て ゐ て 安 全 」( 十 二 ) な 佐 川 家 の
財産を当てにしており、
「 さ う 云 ふ 親 類 が 一 軒 位 あ る の は 、大 変 な便
9
同注4
P5 7
87
利 で 、且 つ 此 際 甚 だ 必 要 」
( 十 五 )と い う 目 的 を 持 つ こ と が 後 か ら 分
か っ て き た 。 父 は 「 地 方 の 大 地 主 の 、 一 見 地 味 で あ つ て 、 其 実 自分
等よりはずつと鞏固の基礎を有してゐる事」
( 十 五 )を 論 拠 に 、佐川
家 と の 結 婚 を 成 立 さ せ た い 。し か し 、父 は 最 初 に 、佐 川 家 の 娘 は「自
分 の 命 を 助 け て く れ た 」( 三 ) 高 木 と い う 恩 人 の 孫 娘 が 嫁 い だ 家 で 、
と て も「 因 念 の 深 い あ る 候 補 者 」
( 三 )と 説 明 し た 。そ の 父 は 代 助 に
「 人 間 は 自 分 丈 を 考 へ る べ き で は な い 。世 の 中 も あ る 。国 家 も あ る 。
少しは人の為に何かしなくつては心持ちのわるいものだ」
( 三 )と説
法 す る が 、 自 分 の 対 極 に 世 の 中 、 国 家 、 人 と い う よ う に ず ら り と羅
列してくる。
代 助 の 父 は 「 劇 烈 な 生 活 欲 に 冒 さ れ 易 い 実 業 に 従 事 」( 九 ) し て
い て 、 年 々 「 生 活 欲 の 為 に 腐 蝕 さ れ つ ゝ 」( 九 )、 昔 の 自 分 と 今 の 自
分 の 間 に 、 大 き な 相 違 が あ る の に 、 そ れ を 自 認 し て い な い 。 父 は代
助 を 呼 び 寄 せ て 、 財 産 だ と か 、 洋 行 だ と か を 言 い 出 し て 、 佐 川 の娘
を 貰 う よ う に 説 得 す る が 、 代 助 の 許 諾 が 得 ら れ な い く て 、 急 に 「代
助 を 離 れ て 、彼自 身 の 利 害 に 飛 び 移 っ た 」
( 九 )の で 、代 助 は 驚 か さ
れた。
代 助 に と っ て 、 父 と 兄 の 財 産 は 「 彼 等 の 脳 力 と 手 腕 丈 で 」( 八 )
作 り 上 げ ら れ た も の で は な か っ た 。 父 と 兄 の 財 産 は 「 人 為 的 に 且政
略 的 に 、暖 室 を 造 つ て 、拵 え 上 げ た 」
( 八 )も の で あ っ た 。父 に 呼ば
れ る 四 五 日 前 に 、 代 助 は す り と 結 託 し て 悪 事 を 働 い た 刑 事 巡 査 の話
を 新 聞 で 読 ん だ 。 生 活 の 大 難 に 対 抗 せ ね ば な ら ぬ 薄 給 の 刑 事 が 悪い
事 を す る の は も っ と も だ と 代 助 は 思 っ た が 、 父 に 会 っ て 結 婚 の 相談
を 受 け た 時 も こ れ と 同 様 の 気 が し た 。 彼 は 平 岡 に 対 し て も 同 様 の感
じを抱いていた。
平 岡 は 「 泰 西 文 明 の 圧 迫 」( 八 ) の 下 で 、 彼 の 理 想 を 捨 て て 、 学
生 の 清 潔 さ も 失 っ て し ま い 、 今 は 「 劇 烈 な 生 存 競 争 場 裏 に 立 」( 八)
た な け れ ば な ら な い 人 で あ る 。 そ し て 、 代 助 の 父 の 場 合 は ど う であ
ろ う 。彼 の 父 は「 現 代 の 生 活 欲 を 時 々 刻 々 に 充 た し て 」
( 九 )い か な
け れ ば な ら な い 人 で あ る 。 代 助 は 父 に 満 足 を 与 え る た め の 結 婚 は承
88
諾 す る こ と が で き な い 。 し か し 、 父 か ら の 財 源 の 杜 絶 を 恐 れ た 。父
に 代 表 さ れ る 社 会 の 力 は 金 の 力 で 代 助 を 圧 迫 す る よ う に な る 。 いく
ら「 生 活 欲 を 低 い 程 度 」
( 十 一 )に 抑 え て い て も 、父 が 充 た し て い こ
う と す る「 現 代 の 生 活 欲 」
「 劇 烈 な 生 活 欲 」が 代 助 に 迫 っ て く る 。代
助は決断をしなければならない。彼はこう考えた。
もし馬鈴薯が金剛石より大切になつたら、人間はもうだめで
あると、代助は平生から考へてゐた。向後父の怒に触れて、万
一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出
して、馬鈴薯に噛り付かなければならない。さうして其償には
自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。
(十三)
親爺からの金で無為徒食の生活を送ってきた代助は結婚という、
人 生 に 横 た わ る 一 大 問 題 で 父 の 拵 え た 計 画 に 従 わ な け れ ば 、 彼 の世
俗 を 離 れ た 自 適 優 遊 の 暮 し を 失 わ な け れ ば な ら な く な る 。 す で に三
千代に二百円をあげたことによって、
「 愉 快 」を 感 じ 、
「自己の自然」
へ と 回 帰 し た 代 助 が 彼 の 「 自 然 の 愛 」 を 要 求 す る の は も っ と も 自然
の 成 り 行 き で あ っ た 。 か つ て の 代 助 は 「 自 然 を 以 て 人 間 の 拵 え た凡
ての計画よりも偉大なもの」
( 十 三 )と 信 じ て い た 。彼 の 信 じ て い た
「 自 然 」 へ の 信 条 が 金 銭 に か か わ る 結 婚 問 題 に ふ れ て か ら 、 は じめ
て代助の現実な問題として実感することができた。
「 自 然 の 愛 」を追
究 す る 代 助 が 直 面 す べ き 現 実 な 問 題 を 端 的 に い え ば 、 そ れ は 父 から
の 財 源 の 杜 絶 と 彼 の 三 千 代 に 対 す る 物 質 上 の 責 任 で あ る 。 代 助 は実
際 問 題 に 目 を 向 け ら な け れ ば な ら な く な っ た 窮 地 に 追 い 込 ま れ た。
『 そ れ か ら 』の 第 六 章 で 、
「 何 故 働 か な い 」と い っ た 大 言 壮 語 を は い
た 代 助 の 内 面 心 理 は 第 十 六 章 の「職 業 求 め 」、そ し て 、終 章 の 第 十 七
章 の 「 職 業 探 し 」 へ と 転 換 し て い く 。 次 に は 職 業 に 関 す る 代 助 の論
法 の 展 開 を 取 り 上 げ 、 代 助 が 実 際 問 題 に 目 を 向 け て い く プ ロ セ スを
考えてみたい。
本論の第二節では高等遊民代助の職業論を取り上げた。代助の職
業 論 は 職 業 に つ い て い な い 二 人 の 友 人 の 会 見 か ら 始 ま っ た 。 親 の金
89
で 職 業 に つ か な い で 、 書 生 を 相 手 に の ら く ら し て い て 、 高 踏 主 義的
な 生 活 を 送 っ て い る 代 助 は 職 業 替 と い う か 、 失 業 と い う か 、 今 は無
職 の 身 で 東 京 に 帰 っ て き て い る 平 岡 の 経 験 に 対 し 、 同 情 す る ど ころ
か 、む し ろ 軽 蔑 の 意 を 示 し た 。
「麵 麭 に 関 係 し た 経 験 は 切 実 か も 知れ
ない」
( 二 )と 頭 の 中 で 理 解 し て い て も 、金銭 と 交 渉 せ ず に 生 活 を し
て い る 代 助 は 自 分 の 優 越 を 誇 る ば か り で あ っ た 。 そ こ で 、 彼 は 「麵
麭 を 離 れ 水 を 離 れ た 贅 沢 な 経 験 を し な く つ ち や 人 間 の 甲 斐 は な い」
( 二 )と 無 責 任 な 発 言 を し た 。
「 職 業 の 為 に 汚 さ れ な い 内 容 の 多 い時
間 を 有 す る 、上 等 人 種 」
( 三 )と 自 認 し て い る 代 助 は 彼 の「 何 故 働 か
な い 」論 法 、
「 神 聖 な 労 力 」論 法 を 延 々 と 述 べ 続 け た 。代 助 の 職 業 論
は 彼 の 外 部 に 対 す る 刺 激 の 無 感 動 、 無 感 激 を 反 映 し 、 金 銭 の 切 実さ
は 彼 に と っ て 迂 遠 な も の で あ っ た 。 三 千 代 に 金 を 貸 し て 満 足 さ せた
い 心 情 の も と で 、 嫂 の 二 百 円 を 切 実 な も の と し て 感 じ る こ と が でき
た 。「 三 千 代 の た め に 何 か し な く て は ゐ ら れ な く な つ た 」( 十 三 ) 代
助 は 「 も し 父 か ら 物 質 的 に 供 給 の 道 を 鎖 さ れ た 時 、 彼 は 果 し て 第二
の寺尾になり得る決心があるだらうか」
( 十 五 )と 自 分 の 未 来 を 考え
な ら け れ ば な ら な く な っ た 。百 合 の 花 の 香 り の 中 で 三 千 代 に 会 っ て、
言 う べ き こ と を 言 っ た と き か ら 、代 助 は 自 分 と 三 千 代 の 運 命 に 対 し 、
「一種の責任を帯びねば」
( 十 五 )な ら な い と 自 覚 し た 。三 千 代 の 前
に告白した代助は彼自身の変化を感じずにいられなかった。
今の彼は、不断の彼とは趣を異にしてゐた。再び半身を埒外
に挺でて、余人と握手するのは既に遅かつた。彼は三千代に対
する自己の責任を夫程深く重いものと信じてゐた。彼の信念は
半ば頭の判断から来た。半ば心の憧憬から来た。二つのものが
大きな濤の如くに彼を支配した。彼は平生の自分から生まれ変
つ た 様 に 父 の 前 に 立 つ た 。( 十 五 )
今の代助は「三千代に対する自己の責任」への実感から、もはや
無 関 心 な 一 傍 観 者 で い ら れ な い 。 彼 は 生 ま れ 変 わ っ た よ う な 人 とな
り 、 す べ て と 戦 う 覚 悟 を し た 。 父 の 背 後 に は 兄 、 嫂 が い た 。 平 岡が
い た 。 最 後 に 大 き な 社 会 が あ っ た 。 臆 病 と 自 覚 し て き た 代 助 は 自分
90
で自分の勇気と胆力に驚いた。
『 そ れ か ら 』の 第 十 五 章 と 第 十 六 章 は
代 助 の 「 自 己 の 責 任 」 の 発 見 の 章 と も い え よ う 。 次 の 二 箇 所 を 取り
上 げ て 、「 自 己 の 責 任 」 を 強 く 意 識 し た 代 助 の 姿 を 見 よ う 。
三千代は精神的に云つて、既に平岡の所有ではなかつた。代
助 は 死 に 至 る 迄 彼 女 に 対 し て 責 任 を 負 ふ 積 で あ つ た 。( 十 六 )
「だから、僕の思ふ通り、貴方に対して責任が尽せないだらう
と心配してゐるんです」
「責任つて、何んな責任なの。もつと判然仰しやらなくつちや
解らないわ」
(中略)
「徳義上の責任ぢやない、物質上の責任です」
「 そ ん な も の は 欲 し く な い わ 」( 十 六 )
代助は彼の三千代の前での告白、懺悔を増すにつれて、ますま
す 自 分 の 「 物 質 上 の 責 任 」 を 感 じ る よ う に な っ た 。 精 神 上 三 千 代を
所 有 す る 代 助 は 彼 の 徳 義 上 の 責 任 を 負 う 自 信 が あ っ て も 、 彼 は 三千
代 に 対 す る 「 物 質 上 の 責 任 」 を 負 う 力 が な い 。 第 十 五 章 と 第 十 六章
は 代 助 の 「 自 己 の 責 任 」 の 発 見 の 章 で あ る 一 方 、 こ の 二 章 は ま た代
助 の 物 質 的 な 供 給 に 対 す る 不 安 が 顕 著 に 現 れ た 章 で も あ る 。 代 助は
自 分 の 前 途 を 気 に か け た 。 彼 は 「 も し 筆 を 執 つ て 寺 尾 の 真 似 さ へ出
来 な か つ た な ら 」( 十 五 )、「 何 を す る 能 力 が あ る だ ら う 」( 十 五 ) と
心配した。
父 に 「 も う 御 前 の 世 話 は せ ん か ら 」( 十 五 ) と 勘 当 さ れ た 翌 日 、
代 助 は「 父 か ら 受 け る 物 質 的 の 供 給 が も う 絶 え た も の と 覚 悟 」
( 十 六)
し 、彼 の「 尤 も 恐 る ゝ 時 期 」
( 十 六 )が や っ て き た 。こ の 時 、代 助 の
頭に「職業」の二文字が浮かんできた。
彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと
思つた。けれども彼の頭の中には職業と云ふ文字がある丈で、
職業其物は体を具へて現はれて来なかつた。彼は今日迄如何な
る職業にも興味を有つてゐなかつた結果として、如何なる職業
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を想ひ浮べて見ても、只其上を上滑りに滑つて行く丈で、中に
踏 み 込 ん で 内 部 か ら 考 へ る 事 は 到 底 出 来 な か つ た 。( 十 六 )
彼の軽蔑していた「職業」はにわかに切実な問題として彼に迫っ
て き た 。「 自 分 よ り 社 会 の 子 ら し く 見 え た 」( 十 五 ) 寺 尾 の 文 筆 を 職
と す る 仕 事 で さ え 、 代 助 に と っ て 現 実 的 な も の と し て つ か め る こと
ができなかった。彼は狂乱に陥った。
中二日置いて三千代が来る迄、代助の頭は何等の新しい路を
開拓し得なかつた。彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で
焼き付けられてゐた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶
がしきりに踊り狂つた。それが影を隠すと、三千代の未来が凄
じく荒れた。彼の頭には不安の旋風が吹き込んだ。三つのもの
が巴の如く瞬時の休みなく回転した。其結果として、彼の周囲
が 悉 く 回 転 し だ し た 。( 十 六 )
代 助 は 「 職 業 」、「 物 質 的 な 供 給 の 杜 絶 」、「 三 千 代 の 未 来 」 に 対 す
る 極 度 の 不 安 に 襲 わ れ 、 し ま い に 、 周 囲 が 回 転 し だ し た と い う 幻覚
に 陥 っ た 。 こ こ の 描 写 は 『 そ れ か ら 』 の 結 末 の 次 の シ ー ン へ と 繋が
る。
「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云ふや否や、鳥打
帽 を 被 つ て 、 傘 も 指 さ ず に 日 盛 り の 表 へ 飛 び 出 し た 。( 中 略 )
「焦る焦る」と歩きながら口の内で云つた。
飯田橋へ来て電車に乗つた。電車は真直に走り出した。代助
は車のなかで、
「あゝ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云つた。彼
の 頭 は 電 車 の 速 力 を 以 て 回 転 し 出 し た 。( 十 七 )
代助の「あゝ動く。世の中が動く」という言葉の背後に、代助の
未 来 に 対 す る 不 安 は ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ て い る が 、 こ の 不 安 は 言う
ま で も な く 、 代 助 の 物 質 に よ っ て 作 り 上 げ ら れ た 社 会 へ の 恐 怖 が潜
んでいる。
『 そ れ か ら 』の 結 末 に つ い て 、亀井 勝 一 郎 は 代 助 を 狼 狽 さ
せ る の は 三 千 代 の 夫 た る 平 岡 で は な く て 、 む し ろ 「 生 活 」 だ と いう
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次 の 指 摘 が あ る 10 。
代助を狼狽させるものは、必ずしも三千代の夫たる平岡では
ない。平岡はすでに三千代を愛してゐないといふ実証的なたし
かめの上に、代助の行為は始る。形式の上での夫婦は認めない
といふ暗黙の倫理がある。彼を狼狽させるのはむしろ「生活」
である。姦通の発覚によつて当然父兄から見離されるが、彼は
パンを得るいかなる能力もないのだ。あれほど軽蔑していたパ
ンのための労力が、第一の問題になる。三千代との恋が無償の
ものであればあるほど、いよいよハッキリと金が必要になるの
だ。
金が最後のもっとも重要な因子として代助に働きかけてきた。
『 そ れ か ら 』 の 第 二 章 で 描 き 始 め た 代 助 の 職 業 論 は 、 最 終 章 の 代助
にとってはすでに論理的なものではない。
「 職 業 」の 二 文 字 は い かに
上 っ 面 で し か つ か め な い も の で あ っ て も 、 い ま の 代 助 に は 通 過 しな
ければならない大きな関門となっている。
5.
おわりに
『それから』は平岡の失業で始まり、代助の職業探しで終わる。
結 局 、 パ ン の た め の 労 力 は 代 助 の 避 け て は 通 れ な い 問 題 で あ る 。代
助 が こ う い う 関 門 を 通 過 し な け れ ば な ら な い の は 、言 う ま で も な く 、
三 千 代 に 対 す る 自 然 の 愛 の 発 見 が で き た か ら で あ る 。 彼 が 父 の 計画
し た と お り の 結 婚 を 受 け 入 れ れ ば 、 彼 は い ま ま で ど お り の 太 平 の紳
士 の 生 活 を 悠 々 と し 続 け て い け る 。 嫂 の 二 百 円 が な か っ た な ら ば、
代 助 は 三 千 代 に 対 す る 愛 の 回 復 も で き な か っ た か も し れ な い 。 金銭
が も つ 合 理 と 非 合 理 な 二 面 性 を 通 し て 、 代 助 は 一 つ の 実 験 に か けら
れ た 。 彼 は 自 然 へ の 回 帰 は し た が 、 彼 の 未 来 へ わ た っ て い く 戦 いが
いまに炎のように、赤く燃え上がっていて、その幕が開いた。
『 そ れ か ら 』では 、代 助 に と っ て 重 要 な 意 味 を も つ 二 百 円 以 外 に、
10
大 田 登 ・ 木 股 知 史 ・ 万 田 務 編 ( 1 9 9 5 )『 漱 石 作 品 論 集 成 』 第 六 巻 P9
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各 人 物 の そ れ ぞ れ の 金 銭 観 が 多 く 描 か れ て い る 。 各 登 場 人 物 の 金銭
観をまとめることによって、
『 そ れ か ら 』の 金 銭 問 題 を 深 く 探 る こと
を次のテーマにしておきたい。
使用テキスト
『漱石全集』第六巻
岩波書店
1994年
参考文献
猪 野 謙 二 ( 1 9 6 6 )『 明 治 の 作 家 』
越 智 治 雄 ( 1 9 7 1 )『 漱 石 私 論 』
佐 藤 泰 正 ( 1 9 7 2 )「 夏 目 漱 石
岩波書店
角川書店
二つの自然」
近代日本文学と自然
和 田 謹 吾( 1 9 7 3 )「 漱 石 の 世 界 像
学の原点
『国文学』特集
学燈社
P97
自 然 」『 国 文 学 』特 集 漱 石 文
学燈社
P1 5 6
荒正人 (1976)
「漱石文学の物質的基礎」
『文芸読本夏目漱石』
七刷
江藤淳
河出書房
P152
( 1 9 8 2 )「『 そ れ か ら 』と『 心 』」『 講 座 夏 目 漱 石 』第 三
巻
二刷
有斐閣
P49
竹 腰 幸 夫(1 9 8 6 )「 夏 目 漱 石 の 金 銭 哲 学 」『 文 学 に 見 る 経 済 観 近
代作家十人』教育出版センター
P2 3
藤 堂 尚 夫(1 9 8 8 )「 漱 石 の 一 断 面 ― ― 金 を め ぐ っ て ― ― 」『 仁 愛
国文』第六号
P33
木 股 知 史 ( 1 9 9 0 )「『 そ れ か ら 』 の 百 合 」『 夏 目 漱 石
テキスト』
王志松
有精堂
反転する
P55
(2003)
「漱石文学における金銭」
『 広 島 大 学 紀 要 』P89
94
『台灣日本語文學報 21 號』PDF版
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