【経営学論集第 83 集】自由論題 (23)オンライン証券業界における イノベーション・プロセスの 進展と競争 ――テキストマイニングによる定量分析―― 東京理科大学 高 井 文 子 【キーワード】イノベーション(innovation)、A-U モデル(Abernathy-Utterback model)、 テキストマイニング(text mining)、インターネットビジネス(internet business)、オン ライン証券業界(online securities industry) 【要約】A-U モデルが想定する産業進化のパターンは、過去 30 年以上にわたってさまざまな 製品分野での実証研究によって検証され、そのメカニズムや、産業内競争に与える影響など が解明されてきた。しかし、先進諸国の経済においてはサービス産業が非常に大きな比重を 占めているにもかかわらず、A-U モデルを初めとするイノベーションのプロセスに関する研 究は、もっぱら製造分野に関心を寄せてきており、サービス業に関わる研究はほとんど存在 しなかった。 そこで本研究では、サービス産業を対象として、①企業レベルでのプロダクト/プロセ ス・イノベーションの採用がどのようなパターンを描きながら進んでいくのか、②それに伴 って企業の業績にどのような影響が及ぶのかという二点について、ドミナント・デザインが 登場する前後の時期に特に焦点を当てて、実証的な検討を行った。 1.はじめに イノベーションがどのようなプロセスを経て進んでいくのかという点に関しては、いく つかの有用なモデルが示されてきた。なかでも Abernathy and Utterback (1978)は、一つ の産業の発展過程を、プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの発生頻 度(生起率)の組み合わせによって特色づけ、流動的な段階からより固定的な段階へと変 化していくと論じた。また、前者と後者の段階を分かつ決定的な契機として、ドミナント・ デザインと呼ばれる、 「当該産業において確立される、その後の基準となる支配的な製品デ ザイン」が登場するとした。これが、有名な「A-U モデル(Abernathy-Utterback model)」 である。 こうした A-U モデルが想定するイノベーションのパターンは、過去 30 年以上にわたっ (23)-1 てさまざまな製品分野での実証研究によって検証され、そのメカニズムや、産業内競争に 与える影響などが解明されてきた(e.g., Utterback, 1994)。しかし、もっぱら製造分野に のみ関心を寄せてきた。幾つかの例外的かつ先駆的な研究は見られるものの、非製造業に おけるイノベーション・プロセスを取り扱った研究はそもそも数少ない。 さらに、過去の実証的研究では、非製造業において企業レベルでプロダクト・イノベー ション、プロセス・イノベーションの導入がどのように進んでいくのかについては、十分 に検証してこなかった。非製造業部門においても、企業の成功にとってイノベーションは 製造分野におけるのと同様に大切であり、イノベーションの採用のあり方が企業のパフォ ーマンスに多大なる影響を及ぼすと考えられるにもかかわらず、企業レベルでのプロダク ト・イノベーションならびにプロセス・イノベーションの採用がどのように進んでいくの か、それに伴って競争の様相がどのように変換していくのかについて扱った研究は、これ までほとんど存在してこなかったのである(e.g., Damanpour and Gopalakrishnan, 2001)。 そこで本稿では、非製造産業を対象として、①企業レベルでのプロダクト/プロセス・ イノベーションの採用がどのようなパターンを描きながら進んでいくのか、②それに伴っ て企業の業績にどのような影響が及ぶのかという二点について、ドミナント・デザインが 登場する前後の時期(流動期から移行期へと転換する時期)に特に焦点を当てて、限定的 ではあるものの実証的な検討を行うことにより、上述のギャップを埋めたいと考える。 2.先行研究の理論的な検討 A-U モデルは、産業進化のプロセスと産業内競争の様相の推移を包括的に把握し、イノ ベーションを企業戦略と関連づけて考える上で多大なる貢献を果たしてきた(Abernathy and Utterback, 1978; Abernathy, 1978)。しかし過去の実証的研究は、もっぱら製造分野 のみを対象とし、非製造業におけるイノベーション・プロセスは、そもそもほとんど扱わ れてこなかった(e.g., Cusumano, Suarez, and Kahl, 2006)。 そうした中で、非製造業におけるイノベーション・プロセスを扱った数少ない例外が、 Barras (1986)と Barras (1990)である。彼は、幾つかの非製造業(銀行、保険、会計、行 政)における先端的な情報通信技術の導入プロセスを観察し、製造業におけるものとは反 対方向のイノベーション・プロセスのパターンを観察した。これら Barras の研究では、 非製造業においては、ラディカルなプロダクト・イノベーションが出現するまでは A-U モ デルと逆のパターンで、それによって新市場が立ち上がって以降は A-U モデルと同様のパ ターンで、それぞれイノベーション・プロセスが進行するという、二段階のプロダクト/ プロセス・イノベーション採用のパターンが見られると論じられている。本稿の分析対象 とする日本のオンライン証券市場を検討すると、Barras の逆 A-U モデルの第三段階にお (23)-2 いて生起したラディカルなプロダクト・イノベーションの結果として生まれた新市場であ り、それゆえに、新市場の誕生以降のイノベーション・プロセスは A-U モデルと同様のパ ターンで進行すると考えられる。また、以上は産業レベルでの話であったが、企業レベル でのイノベーション・プロセスも、A-U モデルと同様のパターンを描くものと考えられる。 3.仮説導出 日本のオンライン証券業界の企業レベルでも、製造業の産業レベルと同様のイノベーシ ョン・プロセスのパターンが見られるものと考えられるため、次の仮説が導出される。 仮説 1 日本のオンライン証券業界個々の企業レベルでも、当初はプロダクト・イノベ ーションの生起率が高く、プロセス・イノベーションの生起率が低いが、ドミナント・ デザインの登場と相前後して、プロダクト・イノベーションの生起率が下がる一方でプ ロセス・イノベーションの生起率が上がり、両者が逆転するという傾向が見られる。 また、ドミナント・デザインの登場を機に、競争の様相も変化し、それ以前に比べて業 績が向上すると考えられるので、次の仮説が導出される。 仮説 2 ドミナント・デザインを採用した前後で、企業のパフォーマンスに差が生じる。 4.リサーチデザイン 4-1.分析手法 本稿では、プレスリリースをテキストマイニング分析することで、個別企業のプロダク ト・イノベーション及びプロセス・イノベーションの採用動向の推移を定量的に検証する。 分析の素材は、黎明期における大手オンライン証券 5 社(松井、DLJ ディレクト SFG 証 券、カブドットコム、マネックス、日興ビーンズ証券)のプレスリリースのうち、1999 年~2005 年の間で採取が可能な期間ものである。 4-2.分析の手順 まずはそれぞれの企業のプレスリリースから、商品・サービスやその特性に関するもの、 あるいはそれらを提供するためのプロセスやその特性に関するものを全て選び出し、各々 の本文を Microsoft Excel 2007 に企業ごと・四半期ごとに整理し、SPSS Text Analysis For Surveys 3.0 を用いて単語の出現頻度を計測した。その後、抽出された名詞から分析に不 要な語を削除するなどのクリーニング作業を行った上で、1 語のみ検出された名詞を除い た。 次に、これらについて、その意味や内容ごとに 17(うち 2 つはサブカテゴリー)のカテ ゴリーに分類した。分析のベースとなるこの表を作成するにあたっては、その語の意味す (23)-3 る内容がどのカテゴリーに含まれるのかを判断する作業を、それぞれの元となるプレスリ リースを参照し、オンライン証券業界に関する資料や先行研究を参考にしながら、一つ一 つ丁寧に行った。 さらに、上で整理した名詞カテゴリーを、 「プロダクト・イノベーション」と「プロセス・ イノベーション」に分類し、それぞれ、6 つのカテゴリーが含まれることになった。この 表を作成するにあたっては、語の前後関係まで遡っての慎重な確認作業を行い、分析の精 度を上げることを意識した。 5.分析結果 5-1.企業ごとのプロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーションの描写 前節で述べた手順を経て、企業ごとにプロダクト・イノベーション、プロセス・イノベ ーションの推移の結果を図示した。なお、プレスリリースの出現頻度は、季節によって大 きく変動するため、4 区間の移動平均の値で描画した。 各社ともおおむね、ドミナント・デザインの導入のまえにプロダクト・イノベーション が増加し、導入後にプロセス・イノベーションの比率の増加がみられた。また、5 社のド ミナント・デザイン(信用取引と定額手数料)を導入した時期を揃えた上で、プロダクト/ プロセス・イノベーションそれぞれの平均をとり、描画したのが図 1 である。この図から は、ドミナント・デザインの出現前後で、典型的な A-U モデルの特徴を見てとることがで きる。 これらの結果をまとめると、データ収集の制約があるものの、各企業レベルにおいて、 A-U モデルに準じたプロセス・イノベーションとプロダクト・イノベーションの特徴があ る程度見られたと言えよう。これらは仮説 1 を概ね支持する結果であると言える。 図 1 5 社のプロダクト/プロセス・イノベーションの平均 (%) ドミナント・デザイン導入 (信用取引+定額手数料) 0.12 2語以上の出現名詞に対する比率 プロダクト・イノベーション 平均 プロセス・イノベーション 平均 0.1 0.08 0.06 0.04 0.02 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 ドミナントデザイン出現を11と統一したときの 4半期ごとの区切り(2社以上得られた期間のみ) (23)-4 5-2.ドミナント・デザインとパフォーマンスとの関連 ドミナント・デザインが確立される前後において、パフォーマンスの平均値に差がある かどうかについて、t 検定を行った。ここでは、DLJ については 5%水準で、残り 4 社に ついては 1%水準で、それぞれの平均値に統計的に有意な差があるという結果が得られた。 以上の分析の結果をまとめると、データの制約はあるものの、ドミナント・デザインの 導入と各社のパフォーマンスの間には一定の正の相関があることが認められた。これらは、 仮説 2 を支持する結果であると言える。 6.まとめとディスカッション 本稿では、プレスリリースの文字データを素材として、テキストマイニングによる定量 的な分析をイノベーションの研究に適用することを試み、オンライン証券業界を対象とし て、A-U モデルの「流動期」のイノベーションのプロセスの進展と競争力について分析を 行ってきた。これまで、特に非製造業においては、イノベーションに関する定量的な研究 がほとんど行われてこなかったなか、非製造業においても新たな研究の可能性を広げたと いう意味で一石を投じたものと思われる。 参考文献 Abernathy, W. J. and J. M. Utterback 1978. "Patterns of industrial innovation," Technology Review, 80(7): pp. 40-47. Barras, R. 1986. “Towards a theory of innovation in services,” Research Policy, 15: 161–173. Barras, R. 1990. “Interactive innovation in financial and business services: The vanguard of the service revolution,” Research Policy, 19: 215–237. 高井文子 2006.「『支配的な通念』による競争と企業間差異形成:オンライン証券業界の事例」 , 『日本経営学会誌』 ,16: 80-94。 (23)-5
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