1 - 石西礁湖自然再生協議会

第3章 石西礁湖地域の概要
3-1
自然の概要
(1)石西礁湖およびその周辺地域の自然
1)石西礁湖
石西礁湖を含む沖縄県の八重山地域は、北緯 24 度 2 分∼25 度 55 分、東経 122 度 56 分
∼124 度 34 分の範囲にあり、南西諸島の中でも台湾に近い南西端に大小 31 の島々で構成
されている。沖縄本島から石垣島までは約 411km、与那国島から台湾までは約 111km の
距離に位置し、東南アジア、中国に近い。また、世界的に見ると、アメリカのハワイ・ホ
ノルルの北緯 21 度 21 分、フロリダ・マイアミの北緯 25 度 49 分の他、アラブ首長国連邦
のドバイやバハマ諸島等の、世界
のリゾート・ベルト地帯に属して
いる。
(図 3-1-1)
石西礁湖は八重山諸島の石垣島
と西表島の間にひろがるサンゴ礁
で、石垣島の「石」と西表島の「西」
をとって「石西礁湖」と呼ばれて
いる。
琉球列島のサンゴ礁は、島の周
囲に形成される裾礁が大半である
が、石西礁湖の海底はやや深く、
約 10∼20mの水深が顕著で、石
垣島の南西沖と竹富島の南東沖、
また竹富島と小浜島の間には堡礁
が形成されている(町田ほか,
2001)
。
図 3-1-1 八重山諸島の位置図
http://www.iriomote.com/main.htmlより
石西礁湖の東部地域の完新世サンゴ礁は、琉球層群から構成される比較的平坦な基盤地
形(水深約 20∼25m)の上に、約 7600 年前頃から上方に堆積を開始した。石垣島の東南
部は隆起運動が活発なため、約 7000∼6000 年前頃のサンゴ礁が出現し、海進による薄い
サンゴ礁が形成された。一方、石西礁湖の東部地域の内側では、5600∼5000 年前頃にか
けて、海面近くに達するパッチリーフ(離礁)状のサンゴ礁地形が形成され、そのころ、
竹富島では裾礁が形成された。3600 年前以降、その外側(東側および南東側)に、礁嶺を
もつサンゴ礁地形(堡礁)が形成された。これらから、石西礁湖地域のサンゴ礁は、石垣
島東南部の隆起地域も含めると大きく3列のサンゴ礁が形成され、石西礁湖の堡礁は基盤
の琉球層群の平坦な地形に起因している可能性が大きい(河名ほか,1999;河名・管,2000)
。
3−1
2)石西礁湖周辺の島々
石西礁湖周辺の島々(ここでは、行政区分から石垣市と竹富町に属する島々を対象とす
る)は、12 の有人島と2つの無人島から構成される(表 3-1-1)
。
石西礁湖周辺の島々の地形は、山地のある島(高島)と低く平らな島(低島)との2種
に大別される。高島と低島の違いは、島の水環境やそれにともなう集落立地や土地利用の
違いにも繋がっている。
高島は新生代古第三紀(6500 万年∼3800 万年前)より古い地層から構成される島や火
山島で、主として中生代の粘板岩や砂岩でできた山地が多く起伏が大きい。山地を取り巻
くように、標高 200m以下の台地・段丘が発達している。比較的短く急な流れを有した河
川水系が存在し、この山地や台地を浸食して狭く刻み込まれた谷底平野が形成されている。
海岸線は変化に富み、入り江を中心に集落が形成されており、動植物の種数も豊富である。
石垣島や西表島がこの高島に相当する。
一方、低島は第四紀に形成された琉球石灰岩からなり、山地が無く、低平な段丘状の地
形で変化に乏しいが、平坦地が多く耕作地に適した環境が多い。海岸は、サンゴ礁の多い
海岸線のため、砂丘、裾礁等が発達している。琉球石灰岩は非常に水に溶けやすく、雨水
の大部分が地下に浸透するため、河川を地上に形成することはまれで、水資源はほとんど
が地下水系に依存している。そのため、集落の立地も湧水周辺が中心となっており、動植
物の種数が比較的少ない。竹富島、黒島、波照間島等がこの低島に相当する。
表 3-1-1 石西礁湖周辺の島とその面積・世帯数・人口密度
島名
面積(k㎡)
平成12年度国勢調査 人口密度
有人島
無人島 有人島 無人島
世帯数
人口(人) 人/k㎡
石垣市
石垣島
222.54
15,853
43,302
194.6
小島
0.37
竹富町
竹富島
5.42
134
279
51.5
西表島
289.27
935
1,976
6.8
鳩間島
0.96
28
54
56.3
由布島
0.15
22
32
213.3
小浜島
7.84
231
447
57.0
黒島
10.02
94
199
19.9
新城島(上地)
1.76
4
5
2.8
新城島(下地)
1.58
1
3
1.9
波照間島
12.77
240
551
43.1
内離島
2.10
嘉弥真島
0.39
4
4
10.3
外離島
1.32
1
1
0.8
計
12島
2島
554.02
2.47
17547
46853
84.57
離島関係資料(沖縄県企画開発部、地域・離島振興局 平成 14 年1月より作成)
市町村名
3−2
①石垣島
沖縄島の那覇市から 411km に位置し、八重山圏域の交通・物流等の拠点となってい
る島である。沖縄県最高峰の於茂登岳(526m)を有する高島である。於茂登岳の南側
には平野が広がり、北部には約 20km にわたる平久保半島が連なっている。
②竹富島
石垣島の南西 6kmに位置する低平な島。古くは八重山諸島全体を統括する行政府
が置かれていた。赤瓦の屋根の民家やサンゴ石を積んだ石垣、白砂を敷き詰めた集落
内の道路など、沖縄の伝統的な集落景観が保たれており、昭和 62 年に国の重要伝統的
建築物群保存地区に指定されている。
③黒島
石垣島の南西 17kmに位置する低平な島。主産業が肉牛生産であり、集落地以外の
ほとんど全てが放牧地に開墾されている。
④西表島
石垣島の西 30km に位置する。沖縄県内では沖縄島に次ぐ面積(289.27 ㎡)で、標
高 470mの古見岳をはじめ、亜熱帯性の常緑広葉樹林に覆われた標高 300∼400mの山々
が連なる高島である。大小の河川が発達しており、その下流域にはマングローブ林が
発達しているものも多い。流程約 39kmの浦内川は沖縄県内で最長の河川である。
⑤鳩間島
西表島の北 5kmに位置する周囲 3.9km、最高標高 30mの島である。人口は昭和 24
年の最大時に 650 人を数えたが、その後激減している。18 世紀初頭に、西表島の古見
と黒島から約 150 人を移住させて島建てを行ったといわれている。現在はツノマタ等
の海藻養殖が営まれている。
⑥由布島
西表島東岸の美原集落の東海上 500m に位置する。西表島との間は砂地の浅瀬が続き、
干潮時には陸続きとなり徒歩や水牛車等で渡ることができる。
かつては西表島に通耕する竹富島や黒島住民の仮泊地であり、昭和 22 年に竹富島と
黒島からの入植によって集落が作られた。一時は 100 人以上の人口を数えたが、昭和
40 年代の台風被害により、住民は西表島へ移住した。現在は亜熱帯植物園等の観光地
としての整備が進められ、島全体が動植物園になっている。
⑦小浜島
西表島の東2km にヨナラ水道を隔てて位置する。古くは西表島の古見集落からの島
分けといわれ、稲作が可能だったことから八重山地方でも豊かな農業伝統をもつ。1771
3−3
年に発生した明和の大津波の後、石垣島へ 320 人が移住させられた歴史がある。現在
はリゾートホテル「はいむるぶし」を中心としたリゾート地となっている。
⑧新城島(上地島・下地島)
西表島の南端である南風見崎の南島 6.3km、黒島の西 4kmに位置する。新城島と
は上地島・下地島の総称で、八重山の人々はパナリ島と呼ぶ。干潮時には、両島の間
は徒歩で渡ることができる。周辺はかつてジュゴンが多く生息し、その肉を首里王府
へ献上した歴史がある。
⑨波照間島
石垣島の南西 63km に位置する、日本最南端の有人島である。島のほぼ中央にある最
高標高点の標高が 60m の低島である。
3)地史
石西礁湖周辺の島々は、ユーラシア大陸の東側に張りだした弧状列島に属している。こ
の弧状列島は、九州からトカラ列島を経て久米島まで連なる火山性の島々(内弧)と、九
州・種子島から沖縄諸島を経て与那国島まで連なる非火山性の島々(外弧)に区分される。
石西礁湖周辺の島々は、外弧の一部を形成している。
石西礁湖周辺の島々は、弧状列島を構成する他の島々と同様に、ユーラシアプレートと
フィリピン海プレートの接点に位置し、第三紀(1500 万∼170 万年前)からの隆起・沈降
と、第四紀(170 万∼1 万年前)におけるサンゴ礁による琉球石灰岩の形成によって成立
した。この間には、ユーラシア大陸や日本列島との接続と分断を繰り返しており、地史的
に大陸島として位置づけられる。
第四紀における接続や分断の経緯から、大陸との間は比較的最近まで沖縄諸島や台湾を
経由して接続していたものの、日本列島との間では早い時期(およそ 150 万年前)からト
カラ海峡によって分断され、氷河期後の海面上昇などにともなって次第に島嶼化した地域
であると見られている。
4)気候・気象
石西礁湖周辺の島々は、前述した位置条件と、近海を流れる黒潮の影響を受け、一年を
通じて温暖・多湿であり、地球全体から見れば温帯的要素と熱帯的要素の両方を有してい
る。このような気候的特徴と植生などの分布に基づいて、
「亜熱帯」と呼ばれる。
日本本土に比べて夏季の亜熱帯高気圧に支配される期間が長く、冬季のシベリア高気圧
の影響が少ない。季節風が夏と冬に顕著に現れ、夏は南東から南、冬は北西から北の風と
なる。
石垣島では 1971 年から 2000 年の 30 年間についてみると、平均最高気温は 26.6℃、平
3−4
均最低気温は 21.9℃であり、冬場でも 15℃を下回ることはほとんどない。降水量は全般
的に多く、わが国でも有数の多雨地帯である。5月から6月にかけての梅雨と、たびたび
襲来する台風によって多量の降雨があり、年平均降水量が 2061mm、年平均気温が 24.4℃
に達している。また、年平均湿度は 77%と高く、これは本土に比べて低緯度に位置するこ
とと、近海を流れる黒潮の影響による海洋性気候が大きく作用しているためである。
表 3-1-2 石垣島における過去 30 年間(1971∼2000 年)の気温および降水量
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全年
最高気温
℃
20.9
21.1
23.2
25.8
28.1
30.3
31.8
31.5
30.5
28.4
25.4
22.4
26.6
最低気温
℃
16.1
16.4
18.3
21
23.5
26
27.3
26.8
25.5
23.5
20.6
17.7
21.9
降水量
mm
139.7
122.5
128.7
153.9
221.4
185.7
160.2
248.5
227.7
183.2
158.7
130.9
2061
300
35
250
30
25
200
20
150
15
100
10
月
月
mm
℃
12
月
11
10
9月
8月
7月
6月
5月
4月
0
3月
0
2月
5
1月
50
平均気温(℃)
1971∼2000年(30年間)の記録値
気象庁統計室運営の電子閲覧室からのデータを元に作成
http://www.data.kishou.go.jp/index90.htm
降水量(mm)
平均気温
℃
18.3
18.6
20.6
23.2
25.5
27.9
29.3
28.9
27.7
25.6
22.8
19.8
24.0
観測月
図 3-1-2 石垣島における過去 30 年間(1971∼2000 年)の気温および降水量
3−5
図 3-1-2 黒潮の流路(2002 年 11 月)
海洋情報研究センター(日本水路保護協会)
(2)調査地域における貴重な自然
石西礁湖周辺の島嶼を含む弧状列島を構成する島々は大陸島で、そこに見られる生物は
主にユーラシア大陸や九州から陸橋を通って到達したと考えられる。弧状列島は第三紀か
らの隆起・沈降と第四紀におけるサンゴ礁による琉球石灰岩の形成によって成立しており、
この間に大陸や日本列島との接続・分断を繰り返し、さまざまな生物種の進入が複数回に
わたり生じたと考えられる。
また、列島の周囲を黒潮が北上しており、一部の陸生生物は陸橋を通らず、海流に乗っ
て北上し定着したと思われる。弧状列島は南西から北島にかけて位置しており、北方に行
くにつれて気候が冷涼になるため、冬期の寒さに耐えることができない生物種は南方から
その島嶼にたどり着いても定着できずに消滅する。
このような状況で,大陸等からの種の進入と絶滅が生じ、また進入先の島嶼で新たな種
が形成されて、現在見られる植物相・動物相ができあがった。以下、石西礁湖周辺の島嶼
における植物相・動物相の概要と主要な種の特性をまとめる。
1)植物
南西諸島は、地理的なまとまりと植物相の観点から、北琉球(大隅諸島とトカラ諸島)
、
中琉球(奄美諸島と沖縄諸島)、南琉球(宮古諸島と八重山諸島)、大東諸島、尖閣諸島の
5地域に区分されることが多い。北琉球と中琉球の間にはトカラ海峡が。中琉球と南琉球
の間には慶良間海裂(宮古凹地)がそれぞれ位置している。石西礁湖の周辺の島嶼は、南
3−6
琉球から宮古諸島と与那国島を除いた範囲といえる。
南西諸島の植物相の植物地理学的位置については、地球規模で見て異なる2つの見解が
ある(環境庁自然保護局, 1990)。1つは東南アジア区系に属するという説であり、もう
1つは南琉球を除く南西諸島は日華区系に属し、南琉球はインド・マレーシア区系に属す
るという説である。国内では、独立した琉球区として扱われることが多い。
南西諸島(琉球列島)に生育する在来の維管束植物は 1,523 種とされ(初島, 1980)、
このうち石西礁湖周辺の島嶼(石垣島,西表島)に固有のものは 12 種とされる。この中
で、両島に生育するヤエヤマヤシは属レベルで南琉球に固有のものである。また、北限・
南限の種を見ると、宮古諸島を含む南琉球を北限とする植物が 128 種、南限とするものが
18 種ある。これは、南方から南琉球に進入して慶良間海裂を越えられない種や、気候的に
中琉球以北には定着できない種が多いことの反映と考えられる。
以下、主要な植物種について概要を記す。
・オキナワジイ Castanopsis sieboldii subsp. Luchuensis:ブナ科
高さ 20m、幹の直径1mに達する常緑高木。西表島などの常緑広葉樹林における主要な
構成種。屋久島以北に分布する基亜種スダジイとは果実の形態等で区別される。長さ 15mm、
幅 10mm ほどの堅果はさまざまな動物の食物となる。
・オキナワウラジロガシ Quercus miyagii:ブナ科
高さ 20m、幹の直径1mに達する常緑高木。日本固有で、奄美大島から石垣島・西表島
までの大きな島のみに分布する。海からの影響を受けない凹状斜面では、常緑広葉樹林の
主要な構成種となる。堅果は日本のドングリ中最大で、径 2.7cm に達する。
・リュウキュウマツ Pinus luchuensis:マツ科
高さ 25m、幹の直径1mほどに達する常緑高木。トカラ列島以南の南西諸島に分布する。
種子に翼があり、風に乗って分散する。裸地に先駆的に生える高木で、南西諸島では二次
林の主要な構成樹種である。
・ガジュマル Ficus microcarpa:クワ科
高さ 20mに達する常緑高木。アジアの熱帯から亜熱帯に広く分布する。常緑広葉樹林の
林縁や石灰岩地に自生し、また集落付近に植栽される。側方に伸びた枝から気根を出し、
地面に達すると支柱根になって独立した樹木となる。イチジクを小さくしたような果実は、
オオコウモリやセマルハコガメ等の動物の重要な食物となる。
・ヤエヤマヤシ Satakentia liukiuensis:ヤシ科
一属一種のヤシ類。高さ 25mに達する常緑高木で、石垣島と西表島の固有種。斜面下部
の湿った場所に生育する。数は少なく、西表島ウブンドル、石垣島米原の群落はそれぞれ
国の天然記念物に指定されている。
3−7
・ソテツ Cycas revoluta:ソテツ科
高さ4mに達する常緑低木。九州南部以南に見られる。海岸付近の日当たりのよい崖地
に見られ、群生することもある。幹や種子にデンプンを含み、救荒食糧とされた。
・ヒカゲヘゴ Cyathea lepifera:ヘゴ科
高さ8m、茎の径 20cm に達する木性シダ。奄美大島以南の南西諸島に分布し、台湾や
フィリピンにも見られる。渓流近くや丘陵地の湿った谷間に生育し、群生する場合もある。
・ナンゴクデンジソウ Marsilea crenata:デンジソウ科
水田の地上の生じる常緑性の水生シダ。九州南部以南に分布する。葉柄は長さ2∼8cm、
小葉は長さ 0.5∼1.5cm に達する。水田の畑地への転換、用水路の改修、湿地の開発、土
地造成等により減少しており、環境省版 RDB では絶滅危惧ⅠA 類とされている。
・モダマ Entada phaseoloides:マメ科
大型のツル性常緑木本。海岸近くの常緑広葉樹林に生育する。豆果は長さ 120cm、幅 12cm
に達する。森林伐採などのために減少しており、環境省版 RDB では絶滅危惧ⅠB 類とされ
ている。
・テンノウメ Osteomeles anthyllidifolia var. subrotunda:バラ科
高さ 20cm ほどの常緑小低木。屋久島以南の南西諸島に分布し、台湾、中国南部、ハワ
イなどにも見られる。岩石海岸の風化した隆起サンゴ礁上に生育する。園芸目的の採集や
海岸の開発によって減少しており、環境省版 RDB では絶滅危惧Ⅱ類とされている。
・コウトウシラン Spdthpglottis plicata:ラン科
高さ 60cm に達する常緑草本。日当たりのよい草地や川沿いの岩上に生育する。園芸採
集、草地の開発、道路工事等のために減少し、環境省版 RDB では絶滅危惧Ⅱ類とされてい
る。
2)動物
石西礁湖周辺の島々を含む琉球列島は、その地史的成立過程と生物の移動を踏まえて見
ると、ユーラシア大陸と日本列島の間の陸橋として機能し、生物地理的には、南方系の要
素と北方系の要素が入れ替わる、あるいは両方の要素が混在する移行帯となっている。そ
のため、南方系と北方系の種が混在した動物相が見られる。
南西諸島には、動物の分布から見た区系の境界線がいくつか提唱されている。哺乳類・
両生類・爬虫類において、大隅諸島以北と奄美諸島以南では動物相が大きく異なることか
ら、トカラ海峡(悪石島と小宝島の間)に沿って「渡瀬線」が提唱されている。この他、
鳥類の分布から沖縄島と宮古島の間に「蜂須賀線」が、昆虫類の分布から九州の大隅半島
と屋久島との間に「三宅線」がそれぞれ提唱されている。これらの線は、世界の動物地理
3−8
区の旧北区(日本本土を含むユーラシア大陸の大部分)と、東洋区(インドから中国南部、
東南アジア地域)を分ける境界線に当たっており、世界的な動物分布の移行帯上に位置す
るといえる。
石西礁湖周辺の島々を含む琉球列島の動植物には、固有種や固有亜種が多くみられ、そ
の中には遺存種、すなわち他の地域では既に絶滅してしまった古いタイプの動植物も含ま
れている。
こうした固有性は、琉球列島における動植物の定着と隔離によって形成された。すなわ
ち、そこに定着していた動植物が長い時間にわたって島嶼に隔離されることで、遺伝的な
変異を蓄積させて独自の進化を遂げたり、古い形質を残したまま現在まで存続してきたの
である。
特に遺存種の成り立ちについては、琉球列島の地史的な経緯との関わりが重要である。
新生代の新第三紀中新世中期(1500 万年前)には、西南日本、ユーラシア大陸及び南方の
フィリピン、インドネシアがひと続きの陸地であった。この時期にケナガネズミやトゲネ
ズミなどの哺乳類が南方から、イボイモリ、シリケンイモリ、アマミノクロウサギなどが
大陸から移動して定着したと考えられている。その後、第四紀更新世後期(100 万∼40 万
年前)になると陸地の陥没沈降によって海面が上昇し、高島は海面上に残り、低島は海面
下に没した。この時期に、高島である奄美大島と徳之島でこれらの生物が隔離され、その
後も原始的な形態を残したまま生き残ったと考えられている。
こうした固有性は、脆弱性も有している。すなわち、生態系の規模が小さく構成要素が
少ないために人為的な攪乱などに対して脆弱である。例えば、ハブを例外として肉食性の
哺乳類のような上位捕食者を欠いている島が多く、在来の動物は捕食者への対抗手段を進
化的に獲得していないことが多い。そこに人為によって捕食者(例えばマングースなど)
が持ち込まれると、在来の動物に対して特に大きな影響が及ぶことになる。そのため、こ
れら固有種・遺存種の中には、国際的・全国的に絶滅の恐れが高いとして、IUCN(国際自
然保護連合)や環境省のレッドリストに掲載されているものが多い。
以下、主要な動物種について概要を記す。
・イリオモテヤマネコ Felis iriomotensis:ネコ科
頭胴長 50∼60cm。西表島のみに分布する。南西諸島で唯一の在来食肉目。生息情報は低
地の湿地や河川沿いに多く、マングローブ林や農耕地もよく利用する。観光開発、農地開
発や交通事故などにより生息を脅かされており、環境省版 RDB では絶滅危惧ⅠB 類とされ
ている。
・ジュゴン Dugong dugon:ジュゴン科
体長3m、体重 400kg に達する。かつては北緯 30 度から南緯 30 度の世界中の海域に広
く生息したが、乱獲により減少し今では限られた海域のみで見られる。日本では、沖縄島
近海に少数が生息し、国の天然記念物に指定されている。石西礁湖周辺の新城島では、か
つて米のかわりにジュゴンの捕獲を課せられていたという。肉は不老長寿の霊薬とされ、
3−9
ジャーキーとして国王の食膳に出たり、江戸幕府や中国へも献上された。
・カンムリワシ Spilornis cheela perplexus:タカ科
全長約 55cm、翼長 340∼380mm。八重山諸島の固有亜種で、石垣島と西表島に留鳥とし
て生息する。林縁や水田周辺、湿地などを中心に生息する。八重山諸島の生態系において
は、イリオモテヤマネコと並び最上位の捕食者である。森林や水田の減少に伴い生息を脅
かされており、環境省版 RDB では絶滅危惧Ⅰ類とされている。
・エリグロアジサシ Sterna sumatrana:カモメ科
全長約 30cm。太平洋西部とアジア海域の熱帯に広く分布し、日本では奄美諸島以南で繁
殖する。6∼9月に、サンゴ礁や内湾の岩礁にコロニーを形成して繁殖する。漁業や観光
による繁殖地への接近が悪影響を及ぼす可能性が高いとして、環境省版 RDB では準絶滅危
惧とされている。
・セマルハコガメ Cuora flavomarginata evelynae:ヌマガメ科
甲長 170mm に達する。石垣島と西表島の固有亜種。常緑広葉樹林内を中心に生息し、沼
沢地に多い。西表島では集落内でも目撃される。森林伐採や道路工事、帰化競合により生
息を脅かされ、環境省版 RDB では絶滅危惧Ⅱ類とされている。
・アオウミガメ Chelonia mydas:ウミガメ科
直甲長 950mm に達する。世界の熱帯から亜熱帯域に広く分布し、日本列島周辺も索餌海
域となっている。日本での産卵場は屋久島、小笠原諸島と奄美諸島以南の南西諸島である
が、八重山諸島では多くない。西表島では上陸数の減少が知られている。観光開発などに
伴う産卵場の減少により生息が脅かされており、環境省版 RDB では絶滅危惧Ⅱ類とされて
いる。
・コガタハナサキガエル:Rana utsunomiyaorum:アカガエル科
頭胴長 40∼60mm。石垣島と西表島の固有種。常緑樹林に囲まれた山地渓流の上流域のみ
に見られ、日本産カエル類の中では絶滅が最も危惧される種のひとつである。森林伐採や、
移入種オオヒキガエルとの競合により生息が脅かされており、環境省版 RDB では絶滅危惧
ⅠB 類とされている。
・ウラウチフエダイ Lutjanus gouldiei:フエダイ科
最大で全長約1mに達する。パプアニューギニアと西表島のみから記録されている。西
表島の大きな河川で記録されており、汽水域から淡水域にかけて生息する。釣り等による
採集や観光開発に伴う環境悪化により生息が脅かされており、環境省版 RDB では絶滅危惧
ⅠA 類とされている。
3−10
・アサヒナキマダラセセリ Ochlodes asahinai:セセリチョウ科
前翅長 18mm。石垣島と西表島の山頂付近のみに生息し、幼虫はリュウキュウチクを食べ
る。北方系の種が標高の高い両島の山頂に遺存的に残っているとされる。沖縄県の天然記
念物に指定されている。環境省版レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類とされている。
(3)調査地における保護区・保護種等の指定状況
以下に調査地における保護区・保護種等の指定状況を示す。
表 3-1-3 石西礁湖及びその周辺における国立公園等の指定状況
所在・生息地
指定年
(期限)
陸域面積
(ha)
海域面積
(ha)
竹富町
1972
12,506
32,100
タキドングチ海中公園地区
竹富町
1977
37
シモビシ海中公園地区
竹富町
1977
83
キャングチ海中公園地区
竹富町
1977
46
マイビシ海中公園地区
竹富町
1977
48
崎山湾自然環境保全地域
竹富町
1983
128
西表国設鳥獣保護区
竹富町
(2011)
3,841
仲の神島国設鳥獣保護区
竹富町
(2018)
18
県設鳥獣保護区:名蔵
水産資源保護法に基づく保護水面
石垣市川平地先
水産資源保護法に基づく保護水面
石垣市名蔵湾
石垣島
(2015)
172
石垣市
1974
275
石垣市
1975
68
指定名称
西表国立公園
886
表 3-1-4(1) 調査対象地域周辺における天然記念物等の指定状況(保護区、地質)
分類
保護区
地質
名称
星立天然保護区域
仲間川天然保護区域
マンゲー山(大・小)
中マンゲー
アサビシバナ(遊び岩)
所在
西表島
西表島
石垣島
石垣島
黒島
3−11
指定
国指定天然記念物
国指定天然記念物
石垣市指定天然記念物
石垣市指定天然記念物
竹富町指定天然記念物
指定年
1972
1972
1972
1998
1972
表 3-1-4(2) 石西礁湖及びその周辺における天然記念物等の指定状況(動物)
分類群
名称
天然記念物
所在・生息地
指定区分
国内希少野生動植物種
指定年 指定区分
指定年
哺乳類
イリオモテヤマネコ
西表島
国指定特別天然記念物
1977 国内希少種
1994
鳥類
カンムリワシ
石垣島・西表島
国指定特別天然記念物
1977 国内希少種
1993
リュウキュウキンバト
西表島・石垣島・宮古島
国指定天然記念物
1972 国内希少種
1993
アカヒゲ
全県
国指定天然記念物
1970 国内希少種
1993
ウスアカヒゲ
先島諸島
国指定天然記念物
1970 国内希少種
1993
ヨナクニカラスバト
八重山諸島
国指定天然記念物
1971 国内希少種
1993
カラスバト
沖縄諸島
国指定天然記念物
1971
カンムリウミスズメ
全県
国指定天然記念物
1975
イイジマムシクイ
全県
国指定天然記念物
1975
爬虫類
ハヤブサ
全県
セマルハコガメ
西表島・石垣島
国指定天然記念物
1972
キシノウエトカゲ
先島諸島
国指定天然記念物
1975
甲殻類
オカヤドカリ類
全県
国指定天然記念物
1970
昆虫類
コノハチョウ
沖縄島・西表島・石垣島
県指定天然記念物
1969
アサヒナキマダラセセリ 石垣島・西表島
県指定天然記念物
1978
ヨナグニサン
与那国島・石垣島・西表島 県指定天然記念物
1985
イシガキニイニイ
石垣島
国内希少種
1993
国内希少種
2002
表 3-1-4(3) 石西礁湖及びその周辺における天然記念物等の指定状況(植物・群落)
名称
所在・生息地
天然記念物
指定区分
指定年
船浦のニッパヤシ群落
西表島
国指定特別天然記念物
1972
ウブンドルのヤエヤマヤシ群落
西表島
国指定特別天然記念物
1972
平久保のヤエヤマシタン
石垣島
国指定特別天然記念物
1972
米原のヤエヤマヤシ群落
石垣島
国指定特別天然記念物
1972
荒川のカンヒザクラ自生地
石垣島
国指定特別天然記念物
1972
宮良川のヒルギ林
石垣島
国指定特別天然記念物
1972
古見のサキシマスオウノキ群落
西表島
国指定特別天然記念物
1978
船浮のヤエヤマハマゴウ
西表島
沖縄県指定天然記念物
1959
宮鳥御嶽のリュウキュウチシャノキ
石垣島
沖縄県指定天然記念物
1959
仲筋村ネバル御嶽の亜熱帯海岸林
石垣島
沖縄県指定天然記念物
1972
3−12
参考文献:
池原貞雄・加藤祐三編著. 1997. 沖縄の自然を知る. 築地書館, 269pp.
奥田重俊編著. 1997. 生育環境別日本野生植物館. 小学館, 631pp.
河名俊男・管浩伸・杉原薫. 1999. 八重山諸島の石西礁湖における完新世サンゴ礁の
内部構造と発達過程.沖縄地学会報,32,7.
河名俊男・管浩伸. 2000. 琉球列島南部の石西礁湖における完新世サンゴ礁の掘削に
よるボーリングコアの記載.琉球大学教育学部紀要,57,343-354.
環境省編. 2000. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブック―
3 爬虫類・両生類. 財団法人自然環境研究センター, 120pp.
環境省編. 2000. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブック―
8 植物Ⅰ(維管束植物). 財団法人自然環境研究センター, 660pp.
環境省編. 2002. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブック―
1 哺乳類. 財団法人自然環境研究センター, 177pp.
環境省編. 2002. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブック―
2 鳥類. 財団法人自然環境研究センター, 278pp.
環境省編. 2003. 改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物―レッドデータブック―
4 汽水・淡水魚類. 財団法人自然環境研究センター, 230pp.
環境庁自然保護局. 1990. 南西諸島における野生生物の種の保存に不可欠な諸条件に
関する研究・平成元年度西表島崎山半島地域調査報告書. 財団法人世界自然保護基
金日本委員会, 317pp.
初島住彦. 1980. 植物相の由来. 琉球の自然誌(木崎甲子郎編著)113-123, 築地書館.
町田洋・太田陽子・河名俊男・森脇広・長岡信治編. 2001. 日本の地形7 九州・南
西諸島.東京大学出版会, 355pp.
3−13
3−2 社会・経済の概要
(1)歴史概要
1) 先史時代
先島(宮古・八重山)地域で最も古い土器は、波照間島から出土した下田原式土器で、約 3600
年前のものだとされる。西表島や石垣島からも同系統の土器が出土している。発掘された遺跡や
遺物から、当時は、水を得やすい小高い台地に簡素な竪穴式住居を建て、自然採取を主とした生
活を営んでいたと考えられ、貝塚からはおびただしい量の魚介類の食べ跡やイノシシの骨等が出
土している。道具として、石斧等の石器や貝製の装飾品など南方系のものが多く出土している。
その後 3 世紀ころに、土器を伴わず、石器や貝器・貝斧等を使う南方系の文化が八重山諸島か
ら宮古諸島まで伝わり、1つの文化圏を形成し、12 世紀半ば頃まで続いた。当時は、海岸砂丘
に住み、漁労を主とした自然採取の生活を主としていたが、この時代の終わり頃にはイノシシの
飼育や簡単な畑作も行われていた。
2)古琉球時代
12 世紀以降、沖縄本島においては、本島南部、中部、北部を拠点とした南山、中山、北山と
称する 3 つの勢力が争う三山時代を迎えた。
八重山でも 14 世紀後半から 15 世紀後半にかけて、豊かな富と強い権力を持ち武力により村々
を支配する按司が各地に現れ、島々が争乱状態となる群雄割拠の時代となった。特に、石垣島の
大浜地域に勢力を持つオヤケアカハチと、石垣地域を支配していた長田大翁主が、石垣島の統一
を目指して覇を競っていた。15∼16 世紀の八重山の遺跡からは、中国明代の青磁や白磁等の遺
物が出土しており、広範囲な貿易が行われ、先島独自の経済圏を築いていたと考えられている。
15 世紀の初頭、南山の支配下にあった按司(首長)である尚巴志(しょうはし)が三山を統
一して琉球王国が誕生した。尚巴志の死後、1469 年に最初の統一王朝は幕を閉じるが、翌年開
かれた「第二尚氏王朝」は 1879 年まで続いた。琉球王国は、16 世紀の初めには奄美・宮古・八重
山諸島にまで拡大した。
このころの琉球は三山時代以来の中国(明)との朝貢貿易を主軸に、北は日本本土、朝鮮、南
はシャム・マラッカ・ルソンなどとの中継交易を盛んにおこない、王国の経済基盤としていた。
また、古代の祭祀歌謡を集めた「おもろさうし」が編纂され、円覚寺や守礼の門ができるなど、
この時代に琉球文化は最盛期をむかえた。
3−14
3)近世琉球時代
1609 年、島津藩の侵攻で琉球が薩摩に支配されると、琉球王府は薩摩への貢納負担のため新
たな税制を整えて、貢租を徴収しなければならなくなった。そのため、八重山では 1632 年に、
首里王府から派遣された役人である在番が設置された。
薩摩は琉球を支配に収めると、主だった島々の検地を行い、琉球の総石高を定め、それを元に
藩への貢納高を決めた。それにより、毎年多額の出費を余儀なくされた琉球王府は、先島に対し
ては 15∼50 歳までの男女1人1人に一定の税を課す人頭税制を導入した。当時は役人が農民を
不当に扱ったり、特権を持って所遣唐米を多く徴収するなどが横行し、人頭税時代は苛酷な時代
であったといわれる。
また、1771 年(明和 8 年)には、石垣島東南海域で生じた地震によって大津波(明和の大津
波)が生じ、先島地域に甚大な被害がもたらされたと記録されている。八重山の官庁である蔵元
がまとめた首里王府への報告書「大波之時各村形之書」では、この地震と津波によって石垣島東
海岸の村々の多くが壊滅し、離島の村々にも大きな被害をもたらした。特に宮良村では最高 84.5m
の地点まで津波が押し寄せてきた。死者は八重山全人口の 1/3 に当たる 9,913 人におよんだ」と
記録されている。
4)近代∼現代沖縄
明治維新により誕生した明治政府は 1872 年に琉球王国を琉球藩にした後、1879 年沖縄県を設
置し、琉球王国は終焉を迎えた。これは琉球処分と呼ばれている。
第 2 次世界大戦において、
沖縄では住民を巻き込んだ大規模な地上戦が行われた。
沖縄戦は 1945
年 3 月下旬から 7 月 2 日の米軍の作戦終了まで続いた。
戦後、1951 年、沖縄はサンフランシスコ平和条約によって暫定的に米国の施政下におかれた
が、その後、1971 年に調印された沖縄返還協定により、1972 年に日本に返還された。復帰後、
政府は沖縄の復興・開発のために復帰特別措置と沖縄三法(沖縄振興開発特別措置法、沖縄開発
庁設置法、沖縄振興開発金融公庫法)を定め、これに基づいて沖縄県は 10 年単位の沖縄振興開
発計画(現在では沖縄振興特別措置法と沖縄振興計画)を策定し、社会資本の整備等を推進した。
しかし、復帰後の社会資本整備が進む一方で、道路・林道事業や土地改良事業、ダム建設など
の大規模な公共工事や宅地造成、大規模リゾート開発などが盛んになり、森林や河川等の生態系
の消失、農地や工事現場からの赤土流出による海洋汚染等が問題視され、近年では公共事業や各
種開発のあり方の見直し等を求める自然保護運動が高まっている。
3−15
表 3-2-1 沖縄の歴史概略表
先史時代
旧石器時代から貝塚時代がはじまり、貝塚時代後期のうち12∼15世紀ころ(第二
尚氏王朝成立まで)は特にグスク時代と呼ばれる。
12世紀ころのグスク時代から1609年の慶長の役(島津侵入事件)まで。
古琉球
近世琉球
有力グスク(南山・中山・北山)の首長が明・日本・東南アジアとの交易を通じて覇
を競い合う時代から統一王朝の成立、政治・経済の面で国の基礎を固めた時代。
琉球王国が中央集権を強めるにしたがい、先島・奄美も編入されて行く。
1609年の島津侵入から1879年(明治12年)の廃藩置県(琉球処分)まで。
薩摩の武力制圧によって徳川幕藩体制の附庸国(属国)として組み入れられたも
のの、対外的には独立国家の体裁を保ちつづけて東南アジア中継貿易の拠点と
なった時代。中国(明・清)との冊封・進貢を通して得られる文物・諸制度と日本の
文化が融合して琉球独特の芸術文化が爛熟した。幕藩体制の崩壊と清朝没落の
影響を受け、王国も斜陽してゆく。
1879年の琉球処分から1945年(昭和20年)の沖縄戦終結まで。
近代沖縄
明治政府によって琉球藩(琉球王国)が解体され、沖縄県として日本の一地域とな
る。第2次対戦では、大規模な地上戦が展開された。
1945年の沖縄戦終結から現在まで。
現代沖縄
第二次世界大戦(沖縄戦)の後の歴史は主に統治・政治形態の違いによって194
5∼1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約締結までの米軍占領時代、
1952年∼1972年(昭和48年)までのアメリカ信託統治時代、1972年∼現在ま
での新生沖縄県時代の3区分に分ける。日本復帰を基準にして復帰前・復帰後で
区分することも多い。
引用・参考文献等
外務省のホームページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/ko_2000/outline/jp/okinawa/oki0301.html
沖縄県歴史研究会・新城俊昭編(1995)
,高等学校琉球・沖縄史
3−16
(2)社会構造
1)総人口の変化
石西礁湖周辺地域(石垣市・竹富町)の人口は、平成 12 年国勢調査で 46,853 人を数え、八重
山圏域(与那国町を含む)の総人口 48,705 人の 96%を、沖縄県の総人口 1,318,220 人の 3.6%
を占める。そのうち、石垣市の人口は平成 12 年国勢調査で 43,302 人を数え、八重山圏域人口の
88.9%を占めている。
石垣市の人口の推移をみると、昭和 40 年の 41,315 人をピークに、その後は次第に減少し、昭
和 50 年には 35,000 人を割るに至っている。しかし近年は、次第に増加の傾向を示し、平成 13
年 11 月には 45,000 人を越えている。その要因としては、沖縄振興開発計画に基づく公共投資の
増大や観光収入の著しい伸びに支えられ、それらの産業が好調に推移し、労働力人口の流出が抑
えられたためと考えられる。
また、竹富町で過去に最も人口が多かった年は昭和 25 年で、9,908 人を数えたが、その後は
次第に減少し、昭和 50 年には 3,500 人を割っている。平成 12 年の国勢調査では、3,551 人を数
え、近年はわずかであるが増加で推移している。
表 3-2-2 石西礁湖周辺地域の人口変化(石垣市・竹富町)
昭和30年
昭和35年
昭和40年
昭和45年
昭和50年
昭和55年
昭和60年
平成 2年
平成 7年
平成 12年
1955
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
石 垣 市
33,131
38,481
41,315
36,554
34,657
38,819
41,177
41,245
41,777
竹 富 町
9,266
8,260
7,026
4,904
3,468
3,376
3,467
3,468
3,508
3,551
計
42,397
46,741
48,341
41,458
38,125
42,195
44,644
44,713
45,285
46,853
43,302
資料:総務省統計局「国勢調査報告」
注1:昭和30年及び35年は12月1日現在人口である。その他は10月1日である。
50,000
30,000
石垣市
竹富島
20,000
10,000
0
20
0
5
0
19
9
5
19
9
0
19
8
5
19
8
19
7
0
5
19
7
0
19
6
19
6
5
0
19
5
人口(人)
40,000
年
図 3-2-1 石垣市と竹富町の人口の推移
3−17
2)年齢別人口の変化
次に、石垣市、竹富町の年齢階級別人口の推移を見てみる。
(表 3-2-3)
石垣市、竹富町ともに、昭和 40 年以降に幼少年齢人口が大きく減少する一方、老齢人口が大
きく増加している。平成 12 年度の老齢人口割合が、石垣市では 15.4%、竹富町では 25.0%と、
双方において高齢化が進んでおり、今後も少子化、若者の流出等により、この傾向が続くものと
考えられる。
表 3-2-3 石垣市の年齢階級別人口の推移 単位:人(%)
昭和40年
昭和45年
昭和50年
昭和55年
昭和60年
平成2年
平成7年
平成12年
0歳∼14歳
15∼64歳
(幼少年齢人口) (生産年齢人口)
16,998 (41.1) 22,383 (54.2)
13,508 (37.0) 20,880 (57.1)
11,019 (31.8) 20,990 (60.6)
11,516 (29.7) 24,046 (61.9)
12,068 (29.3) 25,213 (61.2)
11,457 (27.8) 25,118 (60.9)
10,325 (24.7) 25,806 (61.8)
9,238 (21.3) 27,400 (63.3)
65歳以上
(老齢人口)
1,934 (4.7)
2,166 (5.9)
2,648 (7.6)
3,257 (8.4)
3,896 (9.5)
4,670 (11.3)
5,646 (13.5)
6,653 (15.4)
計
41,315
36,554
34,657
38,819
41,177
41,254
41,777
43,291
注:年齢不詳分の人数は除いた
資料:八重山地域島おこし計画(平成 9 年度∼平成 13 年度)、総務省統計局「国勢調査」
表 3-2-4 竹富町の年齢階級別人口の推移 単位:人(%)
昭和40年
昭和45年
昭和50年
昭和55年
昭和60年
平成2年
平成7年
平成12年
0歳∼14歳
15∼64歳
(幼少年齢人口) (生産年齢人口)
3,242 (46.1)
3,317 (47.2)
1,953 (39.8)
2,505 (51.1)
990 (28.5)
2,015 (58.1)
748 (22.2)
2,115 (61.9)
791 (22.8)
2,060 (59.4)
760 (21.9)
2,007 (57.9)
711 (20.3)
1,949 (55.6)
599 (16.9)
2,064 (58.1)
65歳以上
(老齢人口)
467 (6.6)
446 (9.1)
463 (13.4)
513 (15.2)
616 (17.8)
701 (20.2)
848 (24.2)
888 (25.0)
計
7,026
4,904
3,468
3,376
3,467
3,468
3,508
3,551
注:年齢不詳分の人数は除いた
資料:八重山地域島おこし計画(平成 9 年度∼平成 13 年度)、総務省統計局「国勢調査」
3)島別人口の変化
次に石垣市、竹富町に属する島々の島別人口と世帯数の変化を見る。
(表 3-2-5)
平成12年において、石垣島の世帯数は 15853 世帯、人口は 43302 人であり、石西礁湖周辺地
域では最大の人口を示している。次いで、西表島の 958 世帯・2009 人、波照間島の 240 世帯・551
人、小浜島の 235 世帯・451 人、竹富島の 134 世帯・279 人、黒島の 94 世帯・199 人、鳩間島の
28 世帯・54 人、新城島の 5 世帯・8 人の順となっている。
平成7年から平成12年にかけて、石垣島、竹富島、西表島で、世帯数・人口ともに増加が見
3−18
られる。一方、小浜島、新城島、波照間島では世帯数や人口の減少が見られる。
表 3-2-5 石垣市・竹富町の島別世帯数・人口変化(平成7年∼12年) 単位:世帯・人
島
名
石 垣
竹 富
西 表
鳩 間
小 浜
黒
新 城
波照間
島
島
島
島
島
島
島
島
世帯数
14 207
126
803
28
236
94
8
231
平成7年
総 数
男
41 777
20
262
1 918
45
486
193
9
595
874
122
993
25
242
99
7
295
女
20 903
140
925
20
244
94
2
300
世帯数
15853
134
958
28
235
94
5
240
平成12年
総 数
男
43302
21561
279
132
2009
1038
54
31
451
220
199
109
8
7
551
274
資料:沖縄統計年鑑平成 14 年度版
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/yearbook/yearbook46.html
3−19
増△減
女
21741
147
971
23
231
90
1
277
世帯数
1 646
8
155
0
△ 1
0
△ 3
9
人 口
1 525
17
91
9
△ 35
6
△ 1
△ 44
(3) 経済・産業
1)産業構造・形態の変化
石西礁湖周辺地域(石垣市・竹富町)の就業者人口は、
「3-2(1)
」でみた両市町の人口とほぼ
同じ経年変動を示している。
すなわち、石垣市では昭和 40 年の約 16,000 人から次第に減少し、昭和 50 年には約 13,200 人
まで減少している。しかし近年は、次第に増加の傾向を示し、平成 12 年には約 19,800 人に達し
ている。また、竹富町では昭和 40 年に約 2,950 人を数えたが、その後は次第に減少し、昭和 50
年には約 1,900 人まで減少している。その後は 1,900 人前後でわずかに増減を繰り返しながら推
移していたが、平成 12 年の国勢調査では、2,036 人を数え、近年はわずかであるが増加してい
る。
石垣市の産業別就業構造は、平成 12 年の国勢調査において、総数が 19,805 人となっており、
その内訳は第1次産業就業者が 2408 人(12.2%)
、第2次産業就業者が 3852 人(19.4%)
、第3次
産業就業者が 13,232 人(66.8%)である。
石垣市の各産業の内訳は、第1次産業就業者中、農業従事者が 2,024 人(84.1%)
、漁業従事者
が 374 人(15.5%)
、林業従事者が 10 人(0.4%)である。第2次産業就業者では、建設業が 2,719
人(70.6%)
、製造業が 1,082 人(28.1%)
、鉱業従事者が 51 人(1.3%)である。第3次産業就業
者では、サービス業が 6,203 人(46.9%)
、卸売・小売業・飲食店が 3,940 人(29.8%)
、公務が 1,382
人(10.4%)
、運輸・通信業が 11,77 人(8.9%)、金融・保険業が 263 人(2.0%)
、電気・ガス・熱
供給・水道業が 152 人(1.1%)
、不動産業が 115 人(0.9%)となっている。
竹富町の産業別就業構造は、平成 12 年の国勢調査において、総数が 2,036 人となっており、
その内訳は第1次産業就業者が 584 人(28.7%)
、第2次産業就業者が 212 人(10.4%)
、第3次産
業就業者が 1,240 人(60.9%)である。
竹富町の各産業の内訳は、第1次産業就業者中、農業従事者が 524 人(89.7%)
、漁業従事者が
58 人(9.9%)
、林業従事者が 2 人(0.3%)である。第2次産業就業者では、建設業が 134 人(63.2%)
、
製造業が 78 人(36.8%)
、である。第3次産業就業者では、サービス業が 802 人(64.7%)
、卸売・
小売業・飲食店が 231 人(18.6%)
、公務が 26 人(2.1%)
、運輸・通信業が 173 人(14.0%)
、金融・
保険業が 1 人(0.1%)
、電気・ガス・熱供給・水道業が 7 人(0.6%)となっている。
3−20
表 3-2-6 石垣市・竹富町における産業別就業者数・割合 単位:人(%)
第1次産業
第2次産業
第3次産業
農業
林業
漁業
鉱業
電気・ガ
卸売・小
運 輸 ・
建設業 製造業 ス・熱供
売業・飲
通 信 業
給・水道業
食店
石垣市
2024
(84.1)
10
(0.4)
374
(15.5)
51
(1.3)
2719
1082
(70.6) (28.1)
152
(1.1)
1177
(8.9)
3940
(29.8)
263
(2.0)
115
(0.9)
6203
(46.9)
1382
(10.4)
19805
(100)
竹富町
524
(89.7)
2
(0.3)
58
(9.9)
0
(0)
134
78
(63.2) (36.8)
7
(0.6)
173
(14.0)
231
(18.6)
1
(0.1)
0
(0)
802
(64.7)
26
(2.1)
2036
(100)
金融・保
険業
不動産業 サービス業
公務
総数
資料:八重山地域島おこし計画(平成 9 年度∼平成 13 年度)、総務省統計局「国勢調査」
沖縄統計年鑑平成 14 年度版 http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/yearbook/yearbook46.html
次に、両市町について、昭和 40 年以降の産業別就業構造の推移について見る。
石垣市では、昭和 40 年では第1次産業就業者が最も多く 42.2%を占め、次いで第3次産業就
業者が 30.9%、第2次産業就業者が 26.9%であり、第1次産業主体(主に農業)の産業構造で
あった。しかし、昭和 40 年以降第1次産業就業者は減少の一途をたどっている。これとは逆に、
第3次産業就業者は昭和 40 年以降には増加の一途をたどっている。第2次産業就業者は昭和 40
年以降、20%代をほぼ横這いから漸減程度で大きな変化は示していない。昭和 45 年には第3次産
業就業者の占める割合が最も多くなり(41.7%)
、第1次産業就業者は第2位の 34.8%となってい
る。さらに昭和 55 年には第2次産業就業者が 24.0%で第2位となり、第1次産業就業者は第3
位の 19.9%となっている。その後平成 12 年まで、産業構造は就業者の多い順に、第3次産業、
第2次産業、第1次産業の順で固定化して現在に至っている。
竹富町では、昭和 40 年では第1次産業就業者が最も多く 76.5%を占め、次いで第3次産業就
業者が 14.1%、第2次産業就業者が 9.3%であり、第1次産業主体(主に農業)の産業構造が石
垣市と比べても顕著であった。しかし、昭和 40 年以降第1次産業就業者は減少の一途をたどっ
ている。特に昭和 55 年までの減少は著しく、45.8%まで減少している。これとは逆に、第3次産
業就業者は昭和 40 年以降は増加の一途をたどっている。第2次産業就業者は昭和 40 年以降、10%
代をほぼ横這いから漸減程度で大きな変化は示していない。第1次産業就業者が減少したとはい
え、昭和 60 年までは第1次産業就業者が 47.8%、第3次産業就業者が 41.5%と、依然第1次産業
が主産業であったが、平成 2 年には第3次産業就業者の占める割合が最も多くなり(45.0%)
、第
1次産業就業者は第2位の 42.9%となっている。その後平成 12 年まで、各産業就業者割合は、
第3次産業、第1次産業、第2次産業の順で固定化して現在に至っている。
3−21
表 3-2-7 石垣市・竹富町の産業別就業者割合の変化 単位:%
昭和40
昭和45
昭和50
昭和55
昭和60
平成2
平成7
平成12
石垣市
竹富町
就業者総計
第1次産業 第2次産業 第3次産業 就業者数 第1次産業 第2次産業 第3次産業 就業者数
42.2
26.9
30.9
16,073
76.5
9.3
14.1
2,947
19,020
34.8
23.5
41.7
14,070
66.2
12.6
21.2
2,201
16,271
24.0
21.7
53.6
13,231
56.8
12.5
30.7
1,904
15,135
19.9
24.0
55.9
16,579
45.8
14.7
37.5
1,928
18,507
18.1
21.8
55.9
17,990
47.8
10.7
41.5
1,916
19,906
16.4
20.0
63.6
18,531
42.9
12.1
45.0
1,940
20,471
13.6
21.4
65.0
19,347
32.1
13.3
54.7
1,906
20,437
12.2
19.4
66.8
19,805
28.7
10.4
60.9
2,036
21,841
資料:八重山地域島おこし計画(平成 9 年度∼平成 13 年度)、総務省統計局「国勢調査」
沖縄統計年鑑平成 14 年度版 http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/yearbook/yearbook46.html
産業別就業者割合(石垣市)
%
80.0
70.0
66.8
60.0
50.0
40.0
30.0
20.0
63.6
65.0
21.8
20.0
21.4
18.1
16.4
55.9
55.9
24.0
24.0
21.7
19.9
53.6
42.2
30.9
41.7
34.8
26.9
23.5
10.0
19.4
12.2
13.6
0.0
昭和40
昭和45
昭和50
昭和55
第1次産業
昭和60
第2次産業
平成2
平成7
平成12
第3次産業
産業別就業者割合(竹富町)
%
90.0
80.0
76.5
70.0
66.2
60.0
60.9
56.8
50.0
45.8
37.5
40.0
30.0
21.2
20.0
10.0
41.5
42.9
32.1
28.7
14.7
12.6
54.7
30.7
14.1
9.3
47.8
45.0
10.7
12.1
13.3
10.4
12.5
0.0
昭和40
昭和45
昭和50
昭和55
第1次産業
昭和60
第2次産業
平成2
平成7
平成12
第3次産業
図 3-2-2 石垣市・竹富町における産業別就業者割合
資料:八重山地域島おこし計画(平成 9 年度∼平成 13 年度)、総務省統計局「国勢調査」
沖縄統計年鑑平成 14 年度版 http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/yearbook/yearbook46.html
3−22
2)観光関連
A. 交通体系
八重山地域(与那国島を除く)には、石垣空港、波照間空港の2ヶ所の空港が存在し、地理的
特性から、観光客のほとんどは空路を利用して八重山地域を訪れている。
(表 3-2-8)
表 3-2-8 空路状況(2002 年 2∼3 月フライト状況)
路線名
運行距離 所要時間
(km) (片道)
472
0:55
472
0:55
2,171
3:45
1,650
3:10
1,820
2:40
1,403
2:10
1,370
1:55
便数
(往復)
22便/日
10便/日
3便/日
4便/日
2便/日
2便/日
2便/日
片道料金
航空会社※
機種
座席数
石垣∼那覇
石垣∼那覇
石垣∼東京
石垣∼関西
石垣∼名古屋
石垣∼広島
石垣∼福岡
JTA
ANK
JTA
JTA
ANK
ANK
ANK
B737
B737
B737
B737
B737
B737
B737
150
126
150
150
126
126
126
石垣∼与那国
RAC
DH8
39
175
0:30
2便/日
(水・金・日)
¥9,500
石垣∼波照間
石垣∼宮古
石垣∼多良間
RAC
JTA
RAC
BN2
B737
BN2
9
150
9
63
183
87
0:25
0:25
0:25
2便/日
2便/日
2便/日
¥6,360
¥9,500
¥6,420
(大人・通常期)
¥19,000
¥19,000
¥51,500
¥41,500
¥47,000
¥40,000
¥36,500
※ JTA:日本トランスオーシャン航空、 ANK:エアーニッポン、 RAC:琉球エアーコミューター 平成13年度版八重山要覧より作成
八重山地域(与那国島を除く)港湾施設は重要港湾の石垣港の他に地方港湾 10(うち避難港 1)
が設置されている。
八重山地域を訪れる観光客のほとんどは、竹富島や西表島をはじめとした各島々のすぐれた自
然環境、地域文化を求めて訪れており、それらの各島々を結ぶ交通は石垣島を中心とした放射状
の海路が重要な交通手段となっている。また、近年は大型クルーズ船の入港により、観光客も増
加している。
八重山地域(与那国島は除く)における陸上交通手段としては、タクシーが石垣島、西表島で
営業している。石垣島については観光客・島民の足として定着しているが、西表島については観
光客用・島民の足としても台数は少ない。
バスについては、石垣島、西表島に定期バスがあり、島民の足として利用されているものの、
本数は少ない。観光用としては、上記の2島に加え、竹富島、波照間島、子は間島で運行されて
いる。
近年の個人旅行の定着により、レンタカーが石垣島、西表島、小浜島で営業しており、その他
の島ではレンタバイク・レンタサイクル(民宿や土産物店との兼業が多い)が観光客の足として
利用されている。
3−23
表 3-2-9 八重山地域における航路状況
航路名
竹富航路
小浜航路
黒島港路
大原(西表島)航路
上原(西表島)航路
船浦(西表島)航路
鳩間航路
波照間航路(高速)
与那国航路
運行距離 所要時間
便数
(km)
(片道)
(往復)
6.5
0:10 72便/日
17.7
0:25 8便/日
18.5
0:25 20便/日
38.7
0:40 34便/日
37.2
0:40 10便/日
37.2
0:40 14便/日
38.3
2:05 3便/週
52
1:00 14便/日
127.4
舟浮・網取航路(西表島内)
宮古・那覇航路
基隆・高雄航路(台湾)
*石垣∼与那国、石垣∼鳩間航路は貨客
4:00 4便/日
8便/日
2便/週
2便/週
備考
竹富島経由あり
竹富島経由あり
火・木・土曜運航
2便は
2便は
2便は週2回運航
網取は火・木・土曜運航
曜日は変動あり
曜日は変動あり
平成13年度版八重山要覧より作成
※フェリー会社では複数のフェリーを利用客数に応じて運航している。例えば八重山観光フェリーでは 48
名∼188 名乗りまで 12 隻を保有しているが、最も頻繁に使用されているフェリーの乗客定員は 90 名であ
る。
宮古・那覇へ
基隆・高雄へ
図 3-2-3 八重山地域における航路図
資料:石垣市「とぅもーるネット」整備事業基本設計書より一部改変
http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/110000/110300/110301/tumhoru/kihon_sekkei/top.htm
3−24
3−25
B. 観光動向
図 3-2-4 には、八重山圏域の島々における観光動向を模式的に示した。
平成 12 年度の統計では、沖縄県に年間 452 万人を越える観光客が訪れる中で、石垣島には年
間約 43 万 5 千人が訪れている。そのうち「八重山へ一度は来てみたかった」という人が約半数
を占めている。
旅行形態ではフリー客が 51%、パッケージ客が 43%を占めている。また、団体旅行者が 36%、
家族連れが 33%と多い。これらの観光客は石垣島を交通・宿泊の拠点として、周辺離島へは日
帰り・周遊型で訪れる場合が大半である。
こうした中で、伝統的な集落景観で有名な竹富島には年間約 26 万人が、また西表島には年間
約 29 万人が訪れており、石垣島から周辺離島を訪れる観光客にとっては、この2つの島が2大
目的地となっている。
環境省が平成 12 年度に実施した「地域の自然・歴史・文化等の地域資源を活用した地域づく
りに関する調査」から明らかなように、観光客が西表島に求めているのは、ツアープログラム等
に参加して独特な自然環境を体験することももちろんであるが、豊かな自然の中でゆるやかな時
間の流れの中に身を置き、心身共にのびのびと過ごすといった精神的効果も求めている。それは
団体で訪れる日帰り・周遊型の観光客でも、ガイド付きツアーに参加したり、個人で自由に島内
を観光する事を目的とした滞在・自然体験型の観光客でも同じである。
このように、八重山圏域を訪れる観光客からは、西表島は自然を資源とした観光フィールドと
して位置づけられているといえる。
3−26
沖縄県を訪れる観光客
約452万人/年
西表島を含む八重山観光圏の観光動態
沖縄本島
鳩間島
約600人/年
竹富島
沖縄観光の約10%
約26万人/年
伝統的集落景観
小浜島
約7万人/年
西表島
石垣島
約29万人/年(八重山観光の約67%)
自然を資源とした観光フィールド
約20万人が日帰り・周遊
約9万人が滞在・自然体験
(宿泊は民宿・ペンション程度の規模)
1日約30便
片道30∼40分
約43万5千人/年
八重山観光の交通・滞在拠点
(空港・港・大型リゾートホテル)
新城島
約1700人/年
黒島
約1万3千人/年
波照間島
約1万9千人/年
・八重山に訪れた観光客の約4割が西
表を訪れる。
・西表は石垣からの観光客にとって、2
代目的地の1つ(もう1つは竹富島)。
・自然を資源とした観光フィールドとし
ての位置づけ。
図 3-2-4
・八重山地域の観光は、石垣島を交通・滞在
の拠点として、西表を含む周辺離島への日
帰り・周遊型が大半を占める。
・石垣(八重山)へ、「一度は来てみたかった」
人が47%
・フリー客が51%、パッケージ客が43%
(夏はフリー、冬はパッケージ多い)
・団体旅行が36%、家族連れが33%
八重山観光圏の観光動態
*八重山観光圏域の数値は、竹富島入域観光統計調査報告書(平成 13 年竹富町)より引用し、石垣島の値は、
この報告書の中で試算された値。沖縄県を訪れる観光客数は、第 45 回沖縄県統計年鑑(平成 13 年度版)より平
成 12 年の入域者数を使用した。石垣島における観光動向は、石垣島の観光動向調査(石垣市観光協会アンケー
ト)の平成 12 年度の値を引用した。
3−27