vol. 88 館長コラム 昨年の秋、近くの渓谷を散策した。既に晩秋。 発見する。そして朦 朧 体と言われたこの実 験 谷を覆う木々は深い辰砂 色の紅葉に色付き、 的な新しい技法は、後年の春草の作品へと繋 左 右の枝はさまざまな色が重なり合って、谷 がってゆくのである。 は奥深い。一人そこに佇むとき、私は重厚な色 春 草の作品は後 年、次 第に琳 派 風の装 飾 彩の綾の中に包まれた。そしてこのとき、ふと 的な明るい作品へと変化してゆく。中でも今 春草の「菊慈童」の絵を思い出したのである。 回出品予定の「春 秋」は、琳 派 的要素が明快 今年は菱田春草が没してから、100年になる。 に表われている作品である。この作品は双幅 この九月から本館は、春草 没後10 0年を記念 仕立てで、それぞれ画面の背景は暖色系の色 して特別展を開催することとなった。 に胡粉を加えた(具のものという)柔らかな平 この展覧会は春草晩年の装 飾 的傾向の作 面空間を用いている。右幅(八ツ手に鼬)の八 品を中心に展示する。あわせて同時 代の作家 ツ手の葉 脈は金泥の線で描かれ、左幅(楓に の琳 派風の作品も展示する予定である。春草 鳩)の楓 は華 やかな黄 色で 全 て正 面 性に描 は短い生涯の中でも作風は変化しながら、多 かれ 美しい装飾効果を生んでいる。穏やかな くの傑作を生んでいる。その中で今展をとおし 色彩対比であるが、補色に近い配色効果を巧 て春草の色彩について考えてみたいと思った。 みに用いた表現である。宗 達、光 琳が 使った 展 示に先 立って、私は当館の学芸員と「菊 金 銀箔に代わる絹 地を用いた装 飾 的 技法で 慈童」と「春秋」をじっくり観察・研究する機会 ある。 をもった。そして「菊慈童」の幽玄、深遠な世界 私は、春草には生まれ育った信州の色彩が と、 「 春秋」の静けさに包まれた簡素で穏やか 体質の中に組み込まれているように思う。それは な情趣に改めて感動したのである。 信州伊那谷の固有の色ではないかと感じる。 「菊慈童」の技法は絹地に岱赭・黄土・古代 あの美しい色相は赤石、木曽の両山脈の稜線 朱や焼 緑 青を置き、刷毛を使ったぼかしによ を 越えてくる光 の屈 折によって生み 出され 、 り深い空間 性を出している。明度を落とした 互いに輝きあって眼 球の奥に留まる。春草は 画 面は一瞥すると暗い印象を受ける。春草は 故郷の光の中で美しい色感を得たのである。 なぜこのような暗 紫色系の不透明にも見える 春草の作品は冷静にして理智的であるとの 混色法を用いたのであろうか。画面にじっくり 評も多い。しかし私は彼の作品の色彩の中に、 対峙し見つめていると、その複 雑な色調の中 並々ならぬ強い感情と情熱が宿っていることを に印象派が試みた光の分析に近い技法が隠 感じる。それは春草の魂の中に潜む、春草自 されていることに気付く。その重厚な色相の中 身の色の質なのである。 いたち かえで に、奥 底で 密かに輝いている色のあることを 飯田市美術 博 物館 ニュース 発行日/2011年9月1日 印刷/杉本印刷株 式会社 発行者/飯田市美術 博 物館 〒395 -0 034 長野県飯田市追手町2-655-7 TEL 0265-22-8118 UR L http://w w w.iida-museum.org / © 2011 Iida City Museum ※本 書 を 無 断 で 複 製・転 載 することを 禁じます。 ﹁春草の色彩﹂ 滝 沢 具幸 Iida City Museum news “TERRACE” vol. 88 「落葉(部分)」 菱田春草(19 09)福井県立美術 館蔵 CONTENTS 菱田春草没後百年記念特別展 春草 晩 年の探 求 −日本 美 術 院と装 飾 美− ( 9/3 ∼ 10/2 ) 特別 陳 列 瑠 璃寺と天台の秘宝 (10/8 ∼ 11/13) 新指 定の飯 田 市 文化財 ① 菱田春草筆「霊昭女」 「 帰樵」 「 春秋」 Iida City Museum news “TERRACE” 2 10 8 土 ∼ 11 13 日 特別陳列 瑠 璃寺と天台の秘宝 3 いまからおよそ千二百年をさかのぼる弘仁6年( 81 5 )、天台 新指定の飯田市 文化 財 ① 「秋色」横山大観(1917)個人蔵 1 9 3 土 ∼ 10 宗 を 開 いた 伝 教 大 師 最 澄 は 東 国 巡 化に 旅 立 ち 、難 所を 越 え 2 て伊 那 谷入りしました 。そして信 濃 国 をはじめ上 野( 群 馬 県 ) 日 菱田春草没後百年記念 特別展 春草 晩年の探 求 ̶ 日本 美術院と装 飾美 ̶ 「賢首菩薩」菱田春草(19 07) 東 京国立 近代美術 館蔵 「柿に猫」菱田春草 (1910) 個人蔵 「帰樵」菱田春草(19 06) 菱田春草筆「霊昭女」 「 帰樵」 「 春秋」 や下 野(栃 木県)に天台の教えをひろめていきました。かくして この 地 にも最 澄 の 教 え が 根 付 いたのちの 天 永3年( 1 1 1 2 )、 平 成 2 3 年7月2 0日に新たに飯 田 市 文化 財として 、当館 所 蔵の 大 嶋 山 瑠 璃 寺(天台宗 下伊 那 郡 高 森 町)が創 建されます。 菱田春 草作品6点と春 草会所 蔵「武 具の図」、下伊 那 教 育会所 蔵 眼 前に屏 風 のごとく連 なる伊 那 山 地 、眼 下にはのどかな田 の菱田春 草 書 簡 6 9点が 指 定されました。今 回は、そのうちの3点 園 風 景を見 渡 す 勝 地 に 境 内 を構え 、瑠 璃 寺 は 南 信 地 域 に お をご紹介します。 ける天 台 宗 の中 心 寺 院 のひとつとして 、源 頼 朝 や 武 田 信 玄と 「霊 昭女」は、中国 唐 時 代に禅の修行をした龐 居 士の娘 霊 昭女 明治7年(1874)9月21日に飯田、仲之町で生まれた菱田春草は、 いった有 力 者 たちの 庇 護 を得 て 大 いに栄 えてきました 。同 時 を描く作品で す。竹 籠を手に持って立つ美 人は、修行中の父の生 明治31年に日本美 術 院の結成に参加して、僚 友の横山大 観や下村 に伊 那 谷 の屋 台 獅 子 舞 発 祥 の 故 地としても知られています 。 活を助けて竹 製品を売り歩いたという孝行娘の姿です。春草が絵 観山たちとともに朦 朧 体の画風を研 究し、日本画の近代化に貢 献し そして 九 百 年もの 長 い 歴 史 のな かで 守り伝 えら れて 宝 物 類 の研 究に励んだ日本 美 術 院 では 、毎 回の課 題に対して作 品を寄 ました。そして明治40年代には朦 朧体から脱して装飾的な画風へと は 、戦 禍 など で 失 われたものも少なくありませんが 、それでも せる研 究会、互 評 会が 行われました。 「 霊 昭女」は「端 妍」 ( 容 姿が 進み、数々の名品を手がけていきます。しかし明治4 4 年(1911)9月 なお当地 随 一 の古 刹にふさわしい質と量を誇っています 。 整っていて美しい )という課 題に対して 描かれた作 品で 、姿 形だ 16日、慢性腎臓炎のため満36歳という若さで没しました。 そして平 成 2 4 年( 2 01 2 )に開 創 九百年という節目の 年を迎 けでなく凛とした心 の美しさまでも表 現しています 。国の重 要 文 平成 23 年(2 011)は菱田春草が没して百年という節目の年にあた えます 。そこで 本 展 覧 会 では 、瑠 璃 寺を中 心 に密 教 関 係 の 仏 化 財 である「 王 昭 君 」に通 ずる色 彩を持った作 品であり 、互 評 会 ります。そこで 飯田市美術 博 物 館では、春草の最後の画風となった 画 類などおよそ2 0 件 の宝 物をご 紹 介します 。当 地 域の 仏 教 文 での履 歴が明確な作品として評 価されました。 装 飾 的傾向に焦点をあてた展覧会を開 催します。本展では、初 期か 化の 懐 の深さを実 感していただければ幸いで す 。 「 帰 樵 」は 、春 草が 欧 米 遊 歴から帰 国して 後に描かれた作 品で ら晩年までの春 草の画 業を概 観しつつ、明治4 0 年 代に描かれた名 「鵜鴎図(右隻)」下村 観山(19 01頃)滋賀県立 近代美術 館蔵 ところで 、今 回 注目していただきたいのは「 紺 紙 金 字 般 若心 す 。この頃の 春 草 は 朦 朧 体と批 判された 色 彩 の 曖 昧さを取るた 品の数々を紹介します。また春草と深い影 響関係にあった横山大 観 経 」というお 経 の 巻 物 で す 。紺 色に染 めた 紙 に金 泥で 経 文 を めの研 究を続けていました。一 時の色の混 濁は克 服され、やわら や下村 観山、木 村 武山の大作も展示して、春草たちが明治40年代を 書 写した 本 品は 、表 紙 には 宝 相 華 の唐 草 文 を配し 、見 返し部 かな色の階 調 が 心地 良い 作 品を生み 出しています 。何気ない風 通じて探求した「装飾美」をご覧いただきます。 分 には 観 音 菩 薩を中 心 に菩 薩 や比 丘 、礼 拝 者を周 辺 に 描 き 景を色 彩豊かに描き出した帰 国 後の作風がよくうかがえ、春 草の 浄 土の 様 子をあらわしています 。また 流 水や 土 坡 などの自然 この時期の特 徴をよく示している作品として評 価されました。 描 写に銀 泥を用い 、観 音 菩 薩 の 住まう補 陀 落 浄 土を幽 玄に演 「春 秋」は、名作「落 葉」 「 黒き猫」が 描かれたのと同 時 期の作品 開幕講演会「技法と表現からみる春草の装飾美」 出しています 。平 安 時 代の 後 半 期 、こうしたきらびやかな紺 紙 です。朦 朧 体から離れて、新たな日本の装 飾 絵画への研 究を行っ 講 師 : 滝沢具幸(当館館長) 金字 経 が 数 多く書 写されました 。本 品は 、優 品が 数 多く制 作さ ている作品の一つです。色 彩が明 瞭になり、朦 朧 体にはなかった 受 講 料 : 無料 れた同 時 代 の 作 品と比べても遜 色のない出 来 映 えで 、しかも 線も復 活しています 。そして 、絵 画の 平 面 性や面白 味に注目しは 特別講演会「明治の琳派と春草・大観」 当 地 はこの 種の 作 例 に恵まれていないので 、たいへん 希 少な じめています 。春 草 芸 術 の成 果を示 す 重 要な作 品 の 一 つとして 遺 品で す 。 評 価されました。 開 催日時 :9月3日(土)午後1時30分∼ 開 催日時 :9月19日(月)午後1時30分∼ 講 師 : 玉蟲敏子氏(武蔵野美術大学教 授) 「鵜鴎図(左隻)」下村 観山(19 01頃)滋賀県立 近代美術 館蔵 受 講 料 : 無料 展示解説会 会 期 : 平成23年10月8日(土)∼11月13日(日) 開 催日時 : 毎週日曜日午後3時∼ 休 館 日 : 毎週月曜、11月4日 受 講 料 : 観覧券が必要です パスポート会員向け解説会 開 催日時 :9月9日(金)午後5時30分∼ 観 覧 料: 一般310円(210円)/高校生200円(150円)/ 小中学生100円 (80円) ( )は20名以上の団体料金 Ʃƥƅశգ ǺǢȆÁDZӂЌۇୗ 主 催 : 飯田市美術博物館 協 力 : 瑠璃寺 付属事業 : ①講演会「伊那谷の天台寺院と瑠璃寺の仏教美術」 10月23日(日)13:30∼ 休 舘日 :9月5日(月) ・9月12日(月) ・9月20日(火)、9月26日(月) 観覧料 : 一般500円(400円)/高校生300円(250円)/小中学生200円(150円) ( )は20名以上の団体料金 ②パスポート会員向け特別解説会 10月21日(金)19:00∼21:00 ※春草命日 (9月16日)と春草誕生日 (9月21日)は特別無料観覧日となります 「紺紙金字般 若心経」下伊那郡高森町・瑠 璃 寺蔵 Ʃƥƅశգ ǺǢȆÁDZӂЌۇୗ 「霊昭女」菱田春草(19 02) 「春 秋(右 幅)」菱田春草(1910)
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