失われた豊かな「サンマ(三間)」 中澤秀紀 「かたしてやぁ」私が子供の

失われた豊かな「サンマ(三間)」
中澤秀紀
「かたしてやぁ」私が子供のころ、遊びの仲間に入れてもらうときに使った言葉である。
不思議なことに、小学校では誰も使わず(私も小学校では使わなかった。)、私の住む小さ
な集落だけで使う言葉であった。中学校以降は使うことなく、今では完全に死語で、限定
された時期の、限定された地域のものであった。しかし、時折思い出されるこの懐かしい
言葉は、近所の子どもがいっぱい集まって夕飯まで遊んだ当時の光景と、私の中で完全に
融け合っている。
当時は、近所の子どもがある程度集まると、
「野球らしきもの」をやってよく遊んだ。ボ
ールは寝巻きの紐をグルグル巻いたもので、バットは鍬の柄でとても重かった。年齢は小
学校1年生くらいから6年生まで、当然女の子もいた。とにかく、「野球らしきもの」の仲
間を増やす事が何より重要だった。だから、ルールもいろいろ工夫した。例えば、広場(小
さな空き地、時々自動車が土埃を巻上げながら通る道路も広場の重要な一部であった)を
超える大きな打球を打つと、ボールが無くなるから「アウト」。小さな子は、前に飛ぶまで
「三振はなし」
。いいバッターとはボールを失くさない様にヒットを打つ者で、いいピッチ
ャーとは小さな子に打たせることができる者であった。それから、基本的なルールを知ら
ない子は、必ずヒットにして塁に出し、手取り足取りルールを教えた。上級者で技量が同
等と思われる場合は、「真剣勝負」と称し、大きなあたりを狙った。「真剣勝負」の時は、
広場を超えて草むらや畑に入っても「ホームラン」として、みんなで仲良くボールを捜し
た。時々、中学生や大人が入ってきて、我々のルールを破る。今風の言葉を使えば、
「空気
を読めない奴だ」と思い、軽蔑した。女の子は、小学校の上級生になるにつれて「野球ら
しきもの」から離れていき、同じ女の子を我々から引き離そうとして「対立」していった。
このような光景は、その後、あっという間に少なくなっていった。私の家の周りでも、
道路は舗装され走る自動車も増えた。子どもは習字や算盤などの塾通いで忙しくなり、家
の中での遊び(親がおもちゃを買ってくれるようになったし、「勉強しなさい」という親も
増えた気がする。)も増えた。「時間」「空間」「仲間」の「サンマ(三間)の減少」が子ど
もたちの健全な成長に悪影響を及ぼしているといわれるが、この「サンマの減少」は、驚
くほど短期間のうちに、日本中に浸透していった。
豊かな「時間」
「空間」「仲間」は、発達段階に応じた課題を子どもに課し、そしてこれ
をクリアすることを要求し、その結果として、子どもは肉体的、精神的、心理的、そして
社会的な成長を遂げていく。残念ながら、時計の針を逆に回して私が子どもだった時代に
戻すことはできないし、豊かな「時間」「空間」「仲間」を再び現代の子どもたちに与える
ことは容易ではない。しかし、学校は、失われた豊かな「時間」「空間」「仲間」に代わる
環境を用意して、子どもたちを肉体的、精神的、心理的、そして社会的に成長させる使命
と責任を持っている。学校で起きている課題は学校の責任であり、教育的配慮と指導をも
って、力強く教育的解決を図っていかなければならない。とはいうものの、失われた豊か
な「時間」「空間」
「仲間」に代わる環境を用意するためは、地域や保護者の理解と協力が
欠かせない。
保護者の皆様には、子どもたちの成長のため、御理解と御協力を切にお願いいたします。