裏 - 山里文化研究所

『恵那・山里の聞き書き 2008』収録 14 篇から抜粋
どんだけ難儀しても、心だけは豊かに
炊事はあんまりしやしんかった
あれいつやったねえ、あの柿の木にねえ。ポンポンと
柿にナタで叩いて傷つけて、お粥をかけて「なるかな
らんか」
「なりますなります」ってってつけてあげたの
よ。私がかんかんと叩いて「なるかならんか」つっと、
腰のかがんだばあちゃんが「なりますなります。」……
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節句は派手にやるよ。十日ぐらい前から表に飾るよ。
お雛様は山が見たいげなで一週間くらい前に出いて、
山の方を見せて、縁側の戸を開けとくのよ、天気のい
い日には。花はちょうど椿の花が咲くら、そいから黄
色い花や、マンサクの花やないかと思うけども、そ…
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根っからの百姓人、だからこそ
同郷に生きるおばあちゃんの暮らしの泉
結婚してから毎日毎日、あぜ草刈ったり、草むしった
りするだけの人生やったもんで、
「やぁ、これで終わっ
ちまっちゃつまらんな」と。何とかこの百姓で、自由
に使える小遣いぐらい取りたいな∼と考えとった時に、
農林課から話があったわけよ。
「恵那で直販場を二カ…
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機械なんか、まだあれ
へなんだもんでよう。そんで刈っとくとお母さんたが
腰にわらを縛りつけとって、抜いちゃー、きゅっ、き
ゅっと締めて転がいちゃーほいっ、大体の束にして…
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神秘的なものだから、野菜づくりは楽しいのよ
捨てるものなーんにもなかった∼山深い棚田暮らし
田の神というのを、田植えをしてから必ずやりおった
よ。田植えがすんだ六月に、稲束を神様にあげておま
いりしよった。それは無事に田植えができたことへの
感謝の気持ちと、稲がよく育つようにという願いを込
めておまいりしたの。そのときは、朴葉寿司を作っ…
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学校から帰ってきてちょっと
した間に山へ駆け上ってった。一面きのこやったもん
で、大きいのだけ採って来よったわ。もうどこ見ても
きのこばっかやったわ。今でこそどえらい貴重なもの
になっとるが、昔はうまいっていうよりかさふやし…
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大家族やったけど、みんなええ人やった
山の食事
嫁入りの時うちから歩いてきたに。婿殿が迎
えに来て、姉に連れられて、連れ女ってやつがあった
もんで。ここへ着いたらちょうど日暮れで、電気を方々
でつけよらしたら電気がとんじゃって。ここら辺じゃ
あ、盛大やった。飲めや歌えで、朝までやったに。…
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膳箱というのがあってお嫁さんをもらうとお膳
箱を買ってあげたものだ。お膳箱は各自の柄が決まっ
ていた。缶つぼ味噌が家族のおかずだった。缶詰の空
き缶の中に味噌を入れて、油揚げや卵を入れて、囲炉
裏の火で温めて食べたな。家族でもうやいっこで食…
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お重とともに∼木曽川を見下ろす四季折々の祭り
「飯地はいいところ」
。守り伝える気概を育てた暮らし
秋の河合神社の大きなお祭りには、戸主は二段のお重
箱、家族は各人が一段のお重箱、子ども用のお重箱も
持って行く。戸主のお重箱の一段には、うま煮・きん
ぴら・果物、二段には、から揚げ・かまぼこ・こんに
ゃくの白あえ・にんじんのごまあえなどを入れた。…
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魚ってのはほとんど塩の魚ばっかりやでね。生魚なん
か「ブエン」といっての、
「ブエンが食える」なんちゅ
ったら、おおごとやった。僕らは塩ぽいものが魚やと
思っておったも。イワシにしてもサヨリ(サンマ)に
しても塩漬けやら。イカなんかは今でもあるけど、…
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みんなで工夫を重ねて生まれた恵那の味
願いは田舎の知恵とともに
サンマの目刺っていうてね、お正月の一番のごちそう
やわ。しっぽを目に刺して、輪にして焼いてね、囲炉
裏で。普段は、しっぽはおかあちゃん、ほんでその次
の一番いいとこはお父さん、ほいで兄ちゃん、おばあ
さま、私。はあ∼もう二センチぐらい。で正月だけ…
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親父から全部、中野方の家売っちゃってここに来た。
何にもなかった。今はこの中学校の方からずっと家が
見えるけど、当時は何にも見なかった。水もない、金
もない、信用もない、何にもない。あんのは夢だけ。
そういうふうに入植したんだな、ここへ。五町歩か…
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昔の食べ物もおいしかった
鳥屋∼失われた大掛かりな鳥猟
昔は鶏のすき焼きはおいしかった。贅沢になったでや
ろうか、って言うけど、私、違うと思う。実際おいし
かったと思う。何でかっていうと、冷蔵庫もないもん
で、鶏を殺いて、その場で刺身で食べれるようなやつ
を食べるら。食べれんとこは辛う煮付けるとか何と…
ツグミが向こうからびゃーーと来て囮の上の近所で舞
うわけやわな。で、囮がこっちで鳴くわけや、チュチ
ュチューって。それに合わして上からビェーーと降り
てくるもんで、ぼい棚の上でぼう。棒の先に白い布と
か、今はビニールの袋とかを付けて振り回す。音が…
山里文化研究所 2008.6.15