『恵那・山里の聞き書き 2008』収録 14 篇から抜粋 どんだけ難儀しても、心だけは豊かに 炊事はあんまりしやしんかった あれいつやったねえ、あの柿の木にねえ。ポンポンと 柿にナタで叩いて傷つけて、お粥をかけて「なるかな らんか」 「なりますなります」ってってつけてあげたの よ。私がかんかんと叩いて「なるかならんか」つっと、 腰のかがんだばあちゃんが「なりますなります。」…… ● 節句は派手にやるよ。十日ぐらい前から表に飾るよ。 お雛様は山が見たいげなで一週間くらい前に出いて、 山の方を見せて、縁側の戸を開けとくのよ、天気のい い日には。花はちょうど椿の花が咲くら、そいから黄 色い花や、マンサクの花やないかと思うけども、そ… ● 根っからの百姓人、だからこそ 同郷に生きるおばあちゃんの暮らしの泉 結婚してから毎日毎日、あぜ草刈ったり、草むしった りするだけの人生やったもんで、 「やぁ、これで終わっ ちまっちゃつまらんな」と。何とかこの百姓で、自由 に使える小遣いぐらい取りたいな∼と考えとった時に、 農林課から話があったわけよ。 「恵那で直販場を二カ… ● 機械なんか、まだあれ へなんだもんでよう。そんで刈っとくとお母さんたが 腰にわらを縛りつけとって、抜いちゃー、きゅっ、き ゅっと締めて転がいちゃーほいっ、大体の束にして… ● 神秘的なものだから、野菜づくりは楽しいのよ 捨てるものなーんにもなかった∼山深い棚田暮らし 田の神というのを、田植えをしてから必ずやりおった よ。田植えがすんだ六月に、稲束を神様にあげておま いりしよった。それは無事に田植えができたことへの 感謝の気持ちと、稲がよく育つようにという願いを込 めておまいりしたの。そのときは、朴葉寿司を作っ… ● 学校から帰ってきてちょっと した間に山へ駆け上ってった。一面きのこやったもん で、大きいのだけ採って来よったわ。もうどこ見ても きのこばっかやったわ。今でこそどえらい貴重なもの になっとるが、昔はうまいっていうよりかさふやし… ● 大家族やったけど、みんなええ人やった 山の食事 嫁入りの時うちから歩いてきたに。婿殿が迎 えに来て、姉に連れられて、連れ女ってやつがあった もんで。ここへ着いたらちょうど日暮れで、電気を方々 でつけよらしたら電気がとんじゃって。ここら辺じゃ あ、盛大やった。飲めや歌えで、朝までやったに。… ● 膳箱というのがあってお嫁さんをもらうとお膳 箱を買ってあげたものだ。お膳箱は各自の柄が決まっ ていた。缶つぼ味噌が家族のおかずだった。缶詰の空 き缶の中に味噌を入れて、油揚げや卵を入れて、囲炉 裏の火で温めて食べたな。家族でもうやいっこで食… ● お重とともに∼木曽川を見下ろす四季折々の祭り 「飯地はいいところ」 。守り伝える気概を育てた暮らし 秋の河合神社の大きなお祭りには、戸主は二段のお重 箱、家族は各人が一段のお重箱、子ども用のお重箱も 持って行く。戸主のお重箱の一段には、うま煮・きん ぴら・果物、二段には、から揚げ・かまぼこ・こんに ゃくの白あえ・にんじんのごまあえなどを入れた。… ● 魚ってのはほとんど塩の魚ばっかりやでね。生魚なん か「ブエン」といっての、 「ブエンが食える」なんちゅ ったら、おおごとやった。僕らは塩ぽいものが魚やと 思っておったも。イワシにしてもサヨリ(サンマ)に しても塩漬けやら。イカなんかは今でもあるけど、… ● みんなで工夫を重ねて生まれた恵那の味 願いは田舎の知恵とともに サンマの目刺っていうてね、お正月の一番のごちそう やわ。しっぽを目に刺して、輪にして焼いてね、囲炉 裏で。普段は、しっぽはおかあちゃん、ほんでその次 の一番いいとこはお父さん、ほいで兄ちゃん、おばあ さま、私。はあ∼もう二センチぐらい。で正月だけ… ● 親父から全部、中野方の家売っちゃってここに来た。 何にもなかった。今はこの中学校の方からずっと家が 見えるけど、当時は何にも見なかった。水もない、金 もない、信用もない、何にもない。あんのは夢だけ。 そういうふうに入植したんだな、ここへ。五町歩か… ● 昔の食べ物もおいしかった 鳥屋∼失われた大掛かりな鳥猟 昔は鶏のすき焼きはおいしかった。贅沢になったでや ろうか、って言うけど、私、違うと思う。実際おいし かったと思う。何でかっていうと、冷蔵庫もないもん で、鶏を殺いて、その場で刺身で食べれるようなやつ を食べるら。食べれんとこは辛う煮付けるとか何と… ツグミが向こうからびゃーーと来て囮の上の近所で舞 うわけやわな。で、囮がこっちで鳴くわけや、チュチ ュチューって。それに合わして上からビェーーと降り てくるもんで、ぼい棚の上でぼう。棒の先に白い布と か、今はビニールの袋とかを付けて振り回す。音が… 山里文化研究所 2008.6.15
© Copyright 2024 Paperzz