ストゥディオス修道院写本工房の磔刑図像―礼拝する人物と犠牲の仔羊

ストゥディオス修道院写本工房の磔刑図像―礼拝する人物と犠牲の仔羊
辻 絵理子
ストゥディオス修道院は、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノポリス最大の修道院で、
聖像論争のおりには宮廷と事を構えて画像擁護派の牙城となったことで知られる。現在は主聖堂
の遺構のみが残る同修道院は、写字生と画家を抱える写本工房を有していたが、その実態は明ら
かにされていない。本発表では、様々な美術作品に見られる磔刑図像の変遷を、時間表現という立
場から概観した後、同修道院の基準作例(1066 年)として知られる余白挿絵詩篇『テオドロス詩
篇』(BL, Add. 19352)と、ナラティヴな挿絵を多く持つフリーズ・ゴスペル『パリ福音書』(Cod.
Paris. gr. 74)の二写本を取り上げた。両写本は同時期に同じ修道院工房で制作されたことで知ら
れ、フッターによれば写字生までもが同一であるとされる。
『パリ福音書』f.207v には、ヨハネ福音書に基づく磔刑が描かれている。磔になったキリスト、酸
っぱい葡萄酒を含ませた海綿を持つ人物などは一般的な磔刑図と変わらないが、キリストの足下
に跪く人物が、左右に描かれている。中期ビザンティンにおいて他に例を見ないこの表現は、同じ
写本工房作の『テオドロス詩篇』f.172v にも、群像を伴わない形で表されている。この礼拝像は、図
像学的伝統においては、4~5 世紀のアンプラ(聖油瓶)に表された真の十字架を礼拝する巡礼
者の図像に遡ると思われる。宙に浮いているかのように表現されたキリストの頭部、磔になった
二人の泥棒、十字架の左右に跪く二人の巡礼者が表された作例がある。聖地の油を持ち帰り、巡礼
の記念とするための容器に施されたこの図像は、容器の中身の由来を説明し保証するものであっ
た。跪く二人は磔刑の場に立ち会ったのではなく、聖地を訪れて真の十字架を拝んだ人々である。
発表では、ストゥディオス修道院写本工房の画家が、磔刑の場面にこの図像を採用することに
よって、それぞれどのような読み取りを可能にしたかを論じた。逐語的に、執拗なまでに本文を絵
画化する『パリ福音書』においては、出エジプト記の過越祭に関する規定の記述(12:46)を予型
としたヨハネ福音書本文の挿絵として、折られなかったキリストの足を強調する者として二人の
礼拝者が描かれ、犠牲の仔羊としてのキリストを際立たせた。彼らは磔刑の左側に描かれた人物
と併せて、本文に即しながらも旧約のテキストと結びつく挿絵として描かれた。その傍証として
も挙げられるのが『テオドロス詩篇』f.172v で、こちらは余白縦軸に 3 つのモティーフが並んでい
るが、その中央に礼拝者を伴った磔刑が描かれる。対応する本文は、詩篇 131:7「神の足が立つ場所
で伏し拝もう」である。礼拝者たちがキリストの足を強調していることは、本文からも図像からも
明らかである。このことを踏まえた上で、上下に描かれた「エフラタ」とダヴィデ、パントクラトー
ル型の坐像のキリストとダヴィデの図像と併せた読み取りを試みた。それぞれが対応する詩篇本
文と結びつきながら、同時に他の典拠を示し、挿絵同士がレイアウトによって関連づけられ意味
を生み出す、余白挿絵詩篇の機能を生かしたページであったと言えよう。初期キリスト教時代に
遡る図像が、福音書と詩篇という異なるジャンルの写本において、それぞれの特性に合わせて文
脈を変え、11 世紀のストゥディオス修道院写本工房で用いられていたのである。