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ジョルジョ・アガンベン

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10 月 16 日(日)14:30-15:10【研究発表 2 分科会 A】
「装置」としての表現活動―ラ・ボルド病院、べてるの家を例として―
京都大学
嶋田久美
本発表は、臨床現場において行われる表現活動の特性について、フランスのラ・ボルド病
院と北海道の「浦河べてるの家」のふたつの事例を通して検討し、さらにその可能性を「装
置」という概念から捉えることを目的とする。
臨床と表現。このふたつの関係をめぐっては、これまで、医療と芸術、セラピーとアート
などの類似する言いまわしによって、双方の交差する様態がさまざまに語られてきた。いず
れの言葉を用いるにせよ、臨床現場においては、歌う、語る、描く、奏でる、踊るなどの人
間の表現行為――それらを芸術表現とみなすかどうかという問題はあるにせよ――に対して
少なからぬ関心と期待が寄せられてきた。鷲田清一が指摘するように、臨床という場が「複
数の主体が共時的な相互感覚へとさらされる場所」(『「聴く」ことの力』1999 年)なのだと
すれば、表現行為はそれが実現される具体的な空間にともにある人々のあいだに交渉の場を
形成しうると考えることができるだろう。では、そのような表現行為にはどのような特性が
あるのか。本発表では、冒頭にあげたふたつの事例をめぐる言説の分析を通して、その問い
に迫ることにする。
ひとつ目のラ・ボルド病院は、第2次世界大戦中からその直後のレジスタンス的な風土の
なかから生まれた「制度論的精神療法」の実践の場として知られる精神病院である。一方、
「浦河べてるの家」は、1984 年に設立された北海道浦河町にある精神障がい等をかかえる
人々の地域活動の拠点である。本発表では、両者における表現活動のあり方に焦点をあてる。
たとえば、前者においては、クラブと称される複数の活動が存在し、それらは人々のあいだ
の視点の交換に作用する。後者においては、
「幻覚&妄想大会」に象徴されるように、当事者
同士の語り合いによるつながりによって幻聴や妄想を集団でコントロールする仕組みがある。
これらの活動のあり方からは、単に「癒しとしての自己表現」といった意味合いや、表現さ
れたもの(表現行為の結果)と疾病の諸関係という範疇におさまりきらない問題が見えてく
る。
そこで、その諸相について「装置」という概念からの考察を試みる。装置概念は、ミシェ
ル・フーコーの思想に端を発し、ジル・ドゥルーズ、ジョルジョ・アガンベンといった系譜
のなかで練り上げられてきた経緯がある。そこからは、管理、統治、配備などの言葉が連想
されるが、本発表では、彼らの論考を踏まえつつも、表現活動そのものが権力として機能す
る可能性を探る。そうすることで、一見なんでもありにもみえる緩やかな表現活動が、実は
厳密な手続きによってなりたっている思考実験の場でもあるのだということが明らかとなる
だろう。以上のことを、さらに、精神科医ジャン・ウリと精神分析家フェリックス・ガタリ
の思想における「制度/制度分析」や「横断性」などの概念との関連から論じ、
「装置」とし
ての表現活動の可能性を提示する。
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