和田壽郎先生の死を悼む

●追悼
和田壽郎先生の死を悼む
浅井 康文
札幌医科大学救急集中治療医学講座,高度救命救急センター
和田壽郎札幌医科大学名誉教授が,2011 年 2 月 14 日,
88 歳で肺炎のためご自宅でご逝去されました(図 1)。長
年寄り添ってこられた奥様に心からお悔やみを申し上げ
ます。訃報を聞き,まさに「巨星落つ」の感でした。告別
式は東京青山葬儀場で執り行われ,会場に入りきれない
多数の参列者が最後のお別れをしました。
今回「人工臓器」の編集委員会から,和田先生への追悼
文の執筆を依頼され,諸先輩を差し置いて若輩ではあり
ますが,和田先生の教え子で最後の現役の一人として,私
が知っている時代の和田先生について書かせて頂きます。
私は札幌冬季オリンピックが開催された 1972 年に札幌
医科大学卒業後,直ちに外科学第 2 講座に入局しました。
入局した理由は,学生時代の和田先生の最先端の胸部外
科の講義がすばらしく,いつも酔ってしまうような迫力
図 1 和田壽郎先生(2008 年 10 月 12 日,第 36 回日本救急医学会)
大学で世界的に通用する先生は和田先生しかいないとの
思いで入局いたしました。和田先生と教室をともにした
和田壽郎先生略歴
[1922 年(大正 11 年)3 月 11 日∼ 2011 年(平成 23 年)2 月 14 日]
1944 年
1950 年
1954 年
1958 年
1967 年
1968 年
1972 年
1977 年
のある内容に魅了されていたからです。そして札幌医科
北海道帝国大学卒業
GARIOA 資金奨学生として米国に留学
本邦初の胸部外科学教室を札幌医科大学に開設
札幌医科大学教授
米国胸部外科学会で Wada-Cutter Valve を発表
アジア初の心臓移植を行う
米ヴァンダービルト大学教授(∼ 1973 年)
東京医科大学第一外科主任教授,札幌医科大学名
誉教授
1987 年 東京女子医科大学を定年退職,和田記念心肺研究
所所長
2001 年 第 6 回世界人工臓器免疫移植学会(カナダ・オタワ)
で 臓 器 移 植 等 の 発 展 に 貢 献 し た 医 学 者“Living
Legends”
(12 人)の 1 人として選ばれる
2003 年 米テキサス心臓研究所名誉会員
2004 年 環太平洋外科学会(PPSA)生涯功労者
2005 年 アジア胸部外科学会(ATCVSA)特別功労賞
2007 年 第 1 回七賢人シンポジウム(ギリシャ・アテネ)で
心臓血管外科分野の“Seven Wise Men of the World”
の 1 人として顕彰される
【好きな言葉】
「全ては基礎医学に始まる。実験は大切である。」
のは,1977 年に東京女子医科大学に赴任されるまでの 5
年間でした。その間には 1 年間米国テネシー州のヴァン
ダービルト大学の客員教授として渡米され,私は米国よ
り手紙にて色々ご指導を頂きました。論文をいつもすぐ
に見て頂き,飛行機の中で教室員の論文を推敲されてい
たのを思い出します。また,最後まで叱咤激励されてご
指導を受けました。
和田先生の数ある人工臓器のご功績の一部を振り返っ
てみます。
1) ペースメーカー
ペースメーカーでは,1970 年代,世界最初の Arco 社製
リチウム電池をいち早く臨床に使用し,水銀電池とリチ
ウム電池との「ペースメーカーの見分け方」と言うレント
ゲン写真集をまとめたのが懐かしい思い出です 1) 。
2) 高気圧酸素
和田先生は高気圧酸素に着眼し,1963 年,本邦初の一
人用高気圧酸素タンクの試作研究を行い(図 2),1964 年
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図 2 本邦初の一人用高気圧酸素タンク
図 3 和田弁(Wada-Cutter Valve)
代に起こった各地の炭坑事故でその成果を発揮しました。
1966 年には大型高気圧酸素手術室を完成させ,高気圧酸
素タンク内で本邦初のチアノーゼ性心疾患の短絡手術が
行われました。1969 年にはこれらの実績が認められ,第
4 回世界高気圧酸素学会(第 4 回日本高気圧環境医学会を
兼ねる)を札幌の地で盛大に開催されました 2) 。
3) 和田弁(Wada-Cutter Valve)
流れに逆らわず,船のかじのように血流をスムーズに制
御できる,蝶番のない「非蝶番(ヒンジレス)弁」である和
田弁(Wada-Cutter Valve)を 1966 年に考案しました(図
3)3) 。この弁は,1969 年,米国ヒューストンで D.A. クーリー
によって世界で初めて臨床に応用された完全埋め込み型の
人工心臓に用いられました。この人工心臓はスミソニアン
博物館(ワシントン D.C.)で展示され,和田先生はいつも誇
りに思っておられました。また,和田弁は世界で最も権威
があるとされる米国のクリストファーの外科学書に写真入
りで掲載されました。
4) 人工心肺
1961 年には札幌医科大学型熱交換器内蔵バブル型人工
心肺(Thermo-Helix-Oxygenator)を考案・実用化し,翌
年には熱交換器内蔵回転円盤型人工心肺を考案しました。
これは D.E. ハーケン教授の要請でハーバード大学に贈ら
図 4 和田式 all-in-one 人工肺(札幌医科大学標本館)
れました。その後,Thermo-Disc-Oxygenator を経て,感
染防止,装置の簡素化などの利点を有する,気泡型の和田
症例数を誇るまでになりました。またフィリピン,台湾,
式 all-in-one 人工肺を開発し,disposable 化に成功しまし
香港,韓国などで心臓手術手技の指導,教育,また直視下
た(図 4)。和田式人工肺クリップはプラスチック製のク
開心術開始に協力,貢献されました。私の入局当時は膜
リップであり,動脈貯血槽および酸素化槽に挟み込むこ
型 肺 の 初 期 で,Lande-Edwards 型,Peirce G.E. 型,
とにより希釈する血液の容積を自由に変えることができ,
T ravenol 型などの膜型肺の臨床研究も盛んに行われまし
乳児から大人まで,同一サイズの和田式 all-in-one 人工肺
た。私の博士号のテーマとなったのが,体外循環終了後
。1967 年当時の札幌医
の覚醒不良や脳塞栓症の対策として,人工心肺における
科大学は,東京女子医科大学に次ぐ年間 1,377 例の開心術
デブリスなどを除去する血液フィルターの開発で,比較
が使用できるようになりました
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4)
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図 5 大学祭の講演後(2006 年 6 月 10 日:札幌医科大学)
右から 2 番目が和田先生,3 番目が筆者。
検討した Poll 社,Swank 社,Bentley 社製品は和田先生の
訪れられ,私の部屋で撮った写真が札幌医科大学での最
お力で直接米国から取り寄せたものでした。
後の写真となりました(図 5)。
2003 年には著者が会長となり第 20 回環太平洋外科系
まだまだ書き残したことはありますが,主に人工臓器
学会日本支部会(PPSA-JC,草野満夫理事長)をグアムで
に焦点を合わせ,和田壽郎先生の追悼文といたしました。
主催させて頂き,和田先生が特別講演でご自分の半生を
和田壽郎先生,天国で我々を見守って下さい。
若い医師のために英語で講演され,皆に多大の感銘を与
文 献
えたのが印象深い思い出です。
2001 年には,カナダ・オタワでの第 6 回世界人工臓器
免疫移植学会で臓器移植等の発展に貢献した医学者
“Living Legends”に選ばれ,2007 年には,ギリシャ・ア
テネでの第 1 回七賢人シンポジウムで心臓血管分野の
“Seven Wise Men of the World”の 1 人として顕彰されま
した。2006 年 6 月には,大学祭の講演で札幌医科大学を
1) 和田壽郎,浅井康文:Pacemaker Today. Medical Tribune,
19-22, 1976.3.11
2) Wada J, Iwa T: Hyperbaric Medicine. 医学書院,東京,1970
3) Wada J, Komatsu S, Kamata K: Cardiac valve replacement
with Wada-Cutter prosthesis. Ann Thorac Surg 14: 38-46,
1972
4) 和田壽郎,金子正光:体外循環を用いる開心術の簡易化.
外科診療 13: 471-5, 1971
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