ポスターのタイトル:「15 世紀ドミニコ会における学位取得規制」 発表者氏名:梶原洋一 所属名:東京大学大学院人文社会系研究科 メールアドレス:[email protected] 概要:15 世紀、大学神学部の相次ぐ新設や、教皇たちの恣意的な直接授与により、神学学位の取得 が以前より容易になる反面、取得に際しての不正などの問題も無視しがたいものとなる。大学 の神学者を多数輩出していたドミニコ会は、こうした状況を是正すべく、修道会中央が会士の 学位取得を規制する制度を構築する。本発表では、この制度の展開と、それがドミニコ会の学 校組織に対して有した意義を、主として修道会総会記録の分析を通じ考察する。 キーワード:教皇、厳修派、シスマ、大学、ドミニコ会 1 はじめに 14 世紀後半以降、それまでパリ大学などに限ら れていた神学部が各地で新設され、またシスマの 混乱の中で教皇たちが学位の直接授与を頻繁に行 った結果、神学学位の取得は以前よりも容易にな った。その最大の受益者は、ドミニコ会などの托 鉢修道会に所属する修道士たちであった。学問を 重視するこれら修道会では、ステータスとしての 学位が非常に尊重されたためである。だがこうし た状況は一方で、学位取得者の過剰や不正などの 問題を引き起こした。本発表では、15 世紀に、と りわけ神学研究で名高かったドミニコ会が、学位 取得規制という新しい制度を導入することでこの 課題に対処したことに注目し、この制度の展開と、 修道会学校組織へのその影響を考察する。史料と して、主にドミニコ会総会記録を分析する。 2 「学位取得課程」 学位取得課程」の形成 課程」の形成 まず、15 世紀前半における学位取得規制制度の 形成過程を示し、その背景にある修道会中央の政 策的意図を考察する。ここでいう取得規制制度と は、ドミニコ会総会の記録(参考文献1)におい て「マギステリウム(学位)の取得手続きと学位 のために pro forma et gradu magisterii」とし て示される「学位取得課程」を指す。これにより、 大学において学位取得に従事すべき会士を、総 長・総会が直接任命する体制が確立された。従来 も、パリ大学における学位取得候補者については、 総会による指名が行われていたが、新興の神学部 における学位取得をも中央の一元的管理の下に置 こうとした点に、この試みの新しさがある。 その目的は、単に綱紀の粛正に止まらない。そ れと同時に、修道会内部における地方分権的圧力 を牽制することが企図されていたことが重要であ る。修道会中央の認可を得ない学位取得や、大学 神学部を地元管区出身者で独占しようとする動き は、いくつかの最高神学学院 studium generale を 頂点として、全管区を有機的に結びつけていた修 道会学校組織が、次第に連帯を弱め、 「地方化」し ていった傾向のひとつの表れにほかならない。言 い換えれば、基礎的教育から学位取得まで、管区 の中で完結するブロック的体制の形成による、思 想、教義面での修道会分裂の懸念が、制度の背景 に存在していた。 従って、学位取得の監視を強化し、学位保持者 の質・思想的傾向を管理すべく導入された「学位 取得課程」制度は、地方ブロック化していく修道 会学校組織の頂点の部分に、中央による統制の網 を広くかぶせようとする、新しい統轄体制構築の 努力と見なすことができる。(次ページ図を参照) 3 プロヴァンス管区における展開 上記のような構想のもと導入された「学位取得 課程」は、各管区における学位取得に、どのよう な影響を与えたのか。南フランス・プロヴァンス 管区の事例から考察する。ここでは、15 世紀前半 中にエクス=アン=プロヴァンス、アヴィニョン、 モンペリエと、三ヵ所もの神学部が設置されたた め、 「学位取得課程」体制の中で、個々の神学部が それぞれいかなる位置づけを与えられていたのか を考察することが可能である。またこの管区では、 15 世紀半ば以降のドミニコ会に特徴的な、厳修派 修道院連合(修族)の形成に伴う行政区分再編の 影響を、世紀末に至るまで免れ、従来の管区の枠 組みが維持された。このことは、長期的な動向観 察にとっては有利な条件と言える。 プロヴァンス管区における学位取得規制制度 に関し、とりわけ特徴的なのは、学位取得拠点と してのエクスの突出した地位である。すなわち、 参考文献 エクスでは大学自体がようやく 1409 年に創設さ れたにすぎず、規模の面でモンペリエなど旧来の 大学に及ばなかったにもかかわらず、総会はこの [1] B. M. Reichert (ed.), Acta capitulorum 大学を好んで「学位取得課程」実施地に指定した。 こうした選択は、教育機関としてのエクス大学 の質よりも、エクスとドミニコ会を取り巻く政治 的状況の結果であろう。すなわち、一方ではエク ス大学創設の推進者であるプロヴァンス伯とドミ ニコ会の結びつきが、他方では 15 世紀第二四半期 を通じドミニコ会総長を務めた人物がエクスを拠 点としていたことが、エクス神学部の重要性につ ながったと考えられる。これらの事実から、 「学位 取得課程」がしばしば大学の教育機能自体とは別 の原理、つまり修道会と大学都市の関係に大きく 左右されつつ運用されていたことが理解される。 他方、15 世紀半ばのプロヴァンス管区会議記録 によれば、エクスはその学位取得拠点としての重 要性の反面、モンペリエ、アヴィニョンのような 修道会内部教育の拠点(最高神学学院、管区学院 studium provinciale)とは見なされていなかった。 従って、ここに内部教育と学位取得という、新た generalium Ordinis Praedicatorum, 8 vols (Monumenta Ordinis Fratrum Praedicatorum 3-4, 8-14), Rome, 1898-1904. [2] Isnard Frank, Die Bettelordensstudia im Gefüge des spätmittelalterlichen Univer -sitätswesens, Stuttgart, 1988. 図表など 図「ドミニコ会学 ドミニコ会学校制度と学位取得規制」 会学校制度と学位取得規制」 *凡例 □:最高神学学院 studium generale ○:管区学院 studium provinciale △:修道院学校 (以上は全て修道会内部の施設) ※矢印は修道士の移動、太さは人数規模を示す。 太い点線が総長・総会による規制を示す。 ①14世紀前半まで パリ大学神学部 な機能分担を見出すことも可能だろう。 さらに、上述のような修道会中央の統制の意思 がどの程度貫徹しえたのかという点についても、 プロヴァンス管区の事例は重要な示唆を与える。 すなわち 15 世紀第四四半期になると、中央が独占 すべきであったはずの「学位取得課程」への任命 権限が、部分的に管区長に移譲される。このこと は、世紀後半以降修道会がますます地方分権的な 体制へと移行するなかで、配下の修道士の学位取 得を自ら差配したいと考える管区権力の圧力に対 し、修道会中央が結局は譲歩せざるをえなかった という事情を示している。 4 フランス管区 A 管区 B 管区 ②15 世紀 まとめ 本発表では、15 世紀ドミニコ会における学位取 得規制が持つ、地方分権的傾向に対する中央の抵 パリ大学神学部 大学神学部 フランス管区 A 管区 神学部 神学部 抗としての側面に注目した。プロヴァンス管区の 事例から見る限り、一元的管理という当初の方針 は、管区権力の意向の前に転換を余儀なくされた。 しかしながら、エクスを巡る学位取得と内部教育 の機能分担に見られるように、この制度は修道会 学校組織再編の契機になったとも考えられる。今 後は、他の地域におけるこの制度の展開にも目を 配り、ドミニコ会学校制度が、15 世紀という混乱 と再編の時代にどのように変容していくのかを、 総合的に考察することが必要だろう。 B 管区
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