第2章 第1節 ヨーロッパにおける大学の歴史 はじめに 今日、教育の荒廃が叫ばれて久しい。凶悪な犯罪を起こす子どもたちの低年齢化や、学 校での教育機能の低下など、社会における混乱は教育界にも及んでいる。日本がまだ景気 がよく、人々が高学歴を目指していたころには、経済成長という人々の目的もあり、より 高い学歴を目指して、子供たちは勉強しその親もまた子どもたちを応援した。しかし、バ ブルがはじけ、これまで倒産することのないと思われていた大企業までが倒産するような 状況になり、それまでいい大学に入って、いい企業に入り、周りの人々よりもいい生活を 送るという考えを現実のものとして捉えることがもはや難しくなってしまった。企業に就 職しても、それまでの終身雇用制は崩れ、リストラされることが現実に起こってきている。 そのような中で今までのように学歴さえ身に付けておけばよいという考えは通用しなくな る。学歴よりもその人が何を身に付けてきたか、どういう生き方をしてきたかが問われる 時代になってきたといえる。このような時代において、大学のもつ使命とは何なのか、ま た大学はこれから何を目指していけばいいのかということを考えてみようと思い、今回、 このテーマを選んだ。 第2節 イタリアの大学 中世のイタリアにおいて、世界最古と呼ばれるボローニャ大学が創設される。創立の年 は 1088 年とされ、今から 900 年以上前にさかのぼる。この創立の年は「11 世紀終わりと いう創立の時代については、資料的な制約で不明な部分が多々あり、創立年も実際のとこ ろ創立 800 年祭にあたって定められたものである」(坂本辰郎「権威から独立した学生の大 学」、第三文明社、2000 年、63 ページ参照)とあり、その理由として、「ボローニャにおい ては 1088 年になって初めて、当時存在した協会付属学校からは独立して学校教育を行う体 制が整ったのであり、この独立が大学の一歩を記すものである」(同上)とボローニャ大学 のウンベルト・エーコ教授の「ボローニャ大学創立 900 年記念史」をひかれている。 中世イタリアにおいて、この街が学問の都となった背景には、交通の要衝となっていた ことがあげられる。この街には多くの人々が行き交い様々なことを吸収していった。 ボローニャ大学の学生の中で外来のものは彼ら自身の組合(ウニヴェルシタス)を同郷 のものとつくり自分たちの権利を獲得していくようになる。 ボローニャ大学ははじめ法律だけの大学であったが、14 世紀のはじめには医学の学生が 組織を形成し、組合員としての権利をもちえた。その後、自由科も組合(コレギウム)を 形成する。そして 14 世紀半ばには神学の組合も作られることになる。 第3節 フランスの大学 フランスではパリにおいて学問の都が形成される。パリが学問の都とさかえたのもボロ 27 ーニャと同じように交通の要衝であったことがあげられる。ボローニャで法律学が栄えた が、パリで自由学と神学が栄えた。パリでは私塾を経営する教師が多く、それらの教師の ほとんどは学生と同様に外来者であった。これらの私塾を開設するには司教あるいは修道 院長の許可が必要であり、教師同士は自分たちで同業組合を作り、新しく入ってくる教師 の規制を行うなどした。 第4節 イギリスの大学 オックスフォード大学は 11 世紀にはイギリスにおける教育の一中心となっており、12 世紀後半では多数の学生を擁するようになる。学生が増えてくると学生が住む住宅問題が 起こってくる。当時もっとも一般的だったのは学生同士で一軒の家をかりて共同生活する やり方であった。またこの他にも慈善施設として貧困学生のために学寮が出現する。これ らの学寮は単に学寮や食事を提供するだけでなく、教育の場として発展していくようにな る。13 世紀の後半にはチューターと呼ばれる個人指導制を導入した学寮が現れる。これは 年長者である正規の寮生がそれぞれ数名の年少者に当たり、教育を行うやり方で、フォロ ーと呼ばれる年長者は学寮から若干の手当てを受け、担当している学生からも謝礼を受け るという仕組みである。 第5節 学問の自由 中世ヨーロッパにおける大学が人々に知的好奇心を与え、また様々な歴史を刻んできた ことが分かった。それらはともすると大学の自治をどのように守るか、学問の自由をどう 守りゆくかという権力者との闘争であったともいえる。支配者が変れば、その支配者を指 示する人々が手厚く擁護されるようになり、支配者に反対した者は大学から追放されてい くという歴史は長く続いたようである。こうなると落ち着いて学問を追及していくことが 難しくなる。その土地で政治を行うものに学問が利用されていくというのは、その時代を 生きる人々にとって必ずしも、幸福をもたらさなかったであろう。 第6節 まとめ 大学の使命 大学は真理を追及する場であるという言葉をある人の著作で読んだことがある。真理と いう言葉が今の世の中でどれだけ通用するであろうかと考えてみた。人間として生きてい く上で真理を求め続けていく生き方は尊い生き方であるが、そうしたことより友すると、 要領のいい生き方のほうが今の日本では求められているように思えてならない。そうした 社会的風潮がぐぇん材の日本を築いてしまったのではないだろうか。人々が希望を持てず 混沌としている世の中において、今後、大学はどのような使命を担っていくべきか。どの ようのように社会に対して光を投げかけていくべきなのか。それは学生が学び続ける姿勢 を持ち、教職員の方々が学生を育てていく以外にない。その努力を続けていく中で今の社 会の闇は必ず打ち破られていくと信じる。 28
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