橡 自分と向き合う「知」の方法・本文サンプル

自 分 と向き合う「知 」の方法
私たちが大学で学んできたものは、要するに、自分のことを棚上げにし
に、それを最後のぎりぎりのところで食い止められるような知性が、いま
いように正当化しよう﹂という無意識のこころのはたらきが出てきたとき
はじめに
たままで、社会や世界について考えるための 、
﹁知の方法﹂だった。大学
どうしても必要なのだ。
この本の最初のテーマは 、
︿自分を棚上げにしない思想﹀とは何かとい
で、自分の﹁こだわり﹂や﹁思い﹂をこめた卒論を書いたりすると 、
﹁き
みはまだ客観性が足りない﹂などと先生から文句を言われたりする。それ
は、つまるところ 、
﹁きみはまだ自分のことを充分に棚上げできていない
いうことだ。自分のことを棚上げにしているかぎり、自分に都合のいいよ
この本で、私が言いたいのは、自分を棚上げにする思想は終わった、と
別﹂という社会問題と、それを考えようとしてしまう︵あるいはそこから
たのか﹂というところからスタートしないといけない。そうやって 、
﹁差
めには 、
﹁自分はそもそもなぜ差別というテーマについて考えようと思っ
うことだ。たとえば 、
﹁差別﹂について、自分を棚上げにせずに考えるた
うなものごとしか見えてこない。自分に都合のいいことばかり見続けるの
目をそらそうとしてしまう︶自分とは何者なのかという問いのあいだを、
じゃないか﹂ということなのだ。
は、とても気持ちの良いことなのだけど、そうやっているうちに、だんだ
行きつ戻りつすることだ。これは、人はなぜ学ぶのかという問いとも関係
に分かるのだが、できるだけ快適な暮らしをしたいとか、陽が沈んでも明
第二のテーマは 、
︿欲望﹀である。たとえば、環境問題を考えるとすぐ
する。
ん真実から離れていく。
ひとりひとりが、自分のことを棚上げにせずに、そして自分にとって都
合の悪いことからも最後まで目をそらさずに、どこまで自己と世界を見つ
め続け、考え続けられるのか。それが問われている。
人は、ものごとを、自分に都合のいいように正当化しよう、正当化しよ
地球環境問題が起きている。そういう欲望が原因なのだと頭では分かって
るい部屋でテレビを見ていたいという欲望があるから、自然破壊が起き、
私もまた、そういう罠に、何度も落ちてきた。
いても、私たちはそう簡単には欲望から逃れられない。このあたりを、ど
うとする。
だ か ら 、﹁ 自 分 の こ と を 棚 に 上 げ て 考 え よ う ﹂ と か 、﹁ 自 分 に 都 合 の い
1
う考えていけばいいのだろう。
第三のテーマは 、
︿エロス﹀である。エロスと性愛は、私たちにかぎり
なく大きい快楽を与えてくれるのだが 、それは同時に 、女と男のあいだ︵ あ
第二章以降は、短いエッセイを集めたものだから、肩肘張らずに読んで
いただけるはずだ。いま述べた四つのテーマをめぐって、いろんな角度か
ら迫ってみた。エッセイあり、小説みたいなものありで、楽しんでいただ
けると思う。
この本で問題提起した様々な論点については 、
これからの著作のなかで、
しっかりと受け止めて答えを探してゆくつもりだ。読者からのご意見もお
るいは同性のあいだ︶の根深い相互不信や支配関係を生み出してしまう。
その泥沼にはまったものは、そこから抜け出したいと思うのだけれど、自
聞きしたい。
あと、個人的に強い思い入れのある文章を、無理をお願いして本書に収
分自身の頭とからだに染みついてしまった価値観から自由になるのは、と
てもむつかしい。九〇年代のフェミニズムは、この問題と闘おうとしてい
めてもらった。それは、このあとすぐに続く﹁限りある命と向き合う﹂
第四のテーマは 、
︿生と死、老い、宗教︶だ。いまは元気にこうやって
て 、一気に書き下ろしたものだ 。ほぼ情念だけで書いたものであるだけに、
村上泰亮氏との対話 ﹂
︵第四章︶の三本である。エロスと老いと死につい
る。そして、これは男にとっても無縁なことではないのだ。
本を書いている私も、いずれは老いて死んでゆく。この本の読者もまた同
第一章の著者とは別の面がほの見えるかもしれない。
︵序 ︶
、 最 後 の ﹁ も う ひ と つ の 世 界 ・ も う ひ と り の 私 ﹂、
﹁政治経済学者、
じだ。なぜ人は、老いて、死んでいかなければならないのだろう。死にゆ
くときに、私はいったいどのような絶望に陥り、どのような幻影を見よう
とするのだろうか。しなやかなからだでセクシーに踊っているあの若者も
また 、いずれは老人施設でひっそりと死んでゆくしかないのだ 。そのとき、
人は、宗教になにかの救いを求めようとするのだろうか。自分を超えるも
のに対して、何かの願いをかけようとするのだろうか。
第一章で、いまの私の基本的な考え方がはっきりと示される。自分と向
き合う﹁知﹂の方法と、自分を棚上げにしない思想こそが、私がもっとも
こだわりたいメッセージである。私はまだそれを充分に展開できていない
し、もちろん実践もまだできてはいない。しかし、もうこの地点から後退
するつもりはない。
2