倫理の起点と「世界の複雑性」2 -「心」の消去

プール学院大学研究紀要 第 52 号
2012 年,51 ~ 65
倫理の起点と「世界の複雑性」2 -「心」の消去
佃 繁 はじめに ― 佃(2011)における考察の概要から
佃(2011)に続いて倫理の起点と「世界の複雑性」について論考する。ルーマンのシステム論に
おいて、「世界の複雑性」は、中世の序列的世界が近代の水平的な関係性へと移行したことを示す概
念である。
哲学において「世界の複雑性」と等
価な議論を探すとき、存在論から認
識論への転換があげられる。17 ~ 18
世紀、近代科学の誕生とともに、普
遍的存在という概念は退行をつづけ、
経験の偶然性の克服が認識論的主題
として浮上したからである(図 1)。
本稿は、19 世紀後半~ 20 世紀の哲
学で「世界の複雑性」に関して決定的な変化があったことを明らかにしようとするものである。内
在主義的に「心」に接近を図る方法としての内観が否定され、認識論が「言語論的転回」をとげる。
さらに言語が概念図式としての役割を否定
され、最終的に認識論的な問題構制として
の「心」は消滅する(図 2)。
(図 1)から(図 2)への変化について、ロー
ティは「心」から認識機能を解除する過程
として説明している。「心」が認識を担うこ
とがなくなるとき、
(図 1)の 3 つの円環(A),
(B),(C)は消去される。結果として、(図
2)にみられるように、身体と同一化すると
いうかたちで、「心」は唯物論化されるので
ある。
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1.表象機能(a1)の無効化
ローティが最初に消去するのは、表象作用を示す矢印(a1)である。矢印の向きが「円環(A)→外界」
となっているように、表象作用は人間が外界を対象とする活動である。感覚器官から得られる外界
データを意識空間に表象として映し出す。それを直観および内観のはたらきで理解する。これがデ
カルトの考えた認識の過程であった。表象作用を否定することで、デカルト的な認識の根拠を崩そ
うとするわけである。
(a1) の 消 去 は、「 信 念 と は 行 為 の た め の 規 則(a rule for action) で あ る 」(Peirce[1877b =
1968:85])というパースの主張に依拠している。彼は、「疑念が刺激となって、信念に到達しようと
する努力」(Peirce[1877a = 1968:61])を「探究」と名づけ、次のように述べる。
探究の唯一の目的は意見の確定にある。それでは不十分だ、必要なのは単なる意見では
なく、真なる意見なのだと思う人もいるかもしれない。しかし検証すればこの思いつきに
根拠がないことがわかる。真偽がどうであろうと、強固な信念に到達しさえすれば、我々
はすっかり満足してしまうからだ。(Peirce[1877a = 1968:62] 筆者訳)
信念の特徴から真理性を取りのぞいたパースは、翌年の論文(1877b)で、
「強固な信念」を「習慣」
と説明している。「信念」とは疑念による苛立ちを鎮め、
「行為の規則を本性において確立する」こと、
つまり「習慣」なのである(Peirce[1877b = 1968:84-85])。
伊藤邦武によるなら、パースの探究論は、直観と内観の否定による反デカルト主義的な可謬主義
を特徴とする。その萌芽は既に初期の 3 論文(1867, 1868a,1868b)にみられ、次のように説明され
る。認識とは記号関係の推論過程であり、デカルト的な直観の確実性に基礎づけられるものではな
い。継起的過程である認識に開始点はなく、前提する概念をもたない直観認識は不可能だからである。
同様に自己意識も直観的ではない。無知や誤謬を修正される過程で、
「可謬的である自己」
(Peirce[1886
= 1968:115] 筆者訳)として推論的に獲得されたものである。これらの主張が後に、「我々は決して
絶対的な確実性には到達しえない」(Peirce[CP 4.71])という可謬主義に結実したのである。(伊藤
[1985:16-66])
ローティもまた『哲学と自然の鏡』(1979)において、反基礎づけ主義の立場から「表象の正確さ」
としての知識観の棄却を主張している。
伝統的哲学を虜にしている描像は、さまざまな表象(略)を内に含み、純粋に非経験的
な方法によって研究することのできる巨大な鏡としての心という描像なのである。鏡とし
ての心という概念がなかったならば、(略)デカルトとカントに共通する戦略-いわば鏡を
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点検し、修復し、磨きをかけることによって、より正確な表象を手に入れようという戦略
-は意味をなさなかったことであろう。(Rorty[1979 = 1993:31])
書名の「自然の鏡」とは外界(自然)を映す「鏡としての心」を意味し、視覚メタファーにもと
づく認識論哲学を象徴している。古代ギリシア哲学では、「観想(theoria)」と「実践(praxis)」が
区別されていた。認識、直観のはたらきである「theoria」は、「見ること」を意味するギリシア語で
あり、この時代から視覚メタファーが用いられていたことがわかる。しかし、佃(2011)で考察し
たように、アリストテレス的理性である「ヌース」は、対象に同一化して形相を獲得する。つまり
「見ること」の正確さを必要としない認識であった。デカルトが意識空間を発明したことによって、
哲学は認識における「心の眼」の正確さに「思いわずらう」ようになったのである(Rorty[1979 =
1993:150])。
パース自身は、
「内観」「直観」といった視覚メタファーについては否定したものの、ローティの
ように認識論哲学を完全に否定したわけではない。むしろカント主義者として、科学の合理性と哲
学を両立させることを目的としていた。記号論や数理論理学について先駆的な研究をおこなったの
も、論理学を基盤としてカテゴリー論を構想するという『純粋理性批判』でのカントの方法にしたがっ
たからにほかならない。66 分類からなる包括的な新カテゴリー表を作成し、カント的なカテゴリー
表を「存在論的なものに解釈し直した上で、これを基礎にして存在一般の様相を明らかにするという、
思弁的・形而上学的な企て」(伊藤 [1985:4])を生涯にわたり継続したのである。
したがってパースのカント的側面は、ローティにとって否定の対象である。パースの貢献は、命
名(「プラグマティズム」)によってウィリアム・ジェイムズを刺激したこと以外にないとまで断じ、
近年のパースの過大評価を戒めている。「一切を包摂する超歴史的コンテクスト」(Rorty[1982 =
1985:360])を構想し、すべての言説をそのコンテクストに位置づけ評価しようとするパースの企て
もまた、基礎づけ主義にほかならないからである。
パースから反デカルト主義的結論(「行為のための規則」)のみを採用し、ローティは「実在(reality)
の正確な表象」という伝統的知識観を示す矢印(a1)を消去する。これによって、信念は「現実(reality)
に対処し、何らかの偶然性(contingency)に応じる行動方法を決定するための道具」となるのであ
る(Rorty[1991:118])。
2.認識の外在主義化
(1)クワインの行動主義
次に消去されるのは、カント的理性の構成作用をあらわす矢印(b)である。観念論や懐疑論に触
発され、カントは理性と悟性の構成作用による知識に限定してのみ、人間は外界を認識できると考
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えた。彼が論証に用いた「ア・プリオリ / ア・ポステリオリ」「必然 / 偶然」「分析 / 総合」の区別
のうち、後の 2 つの区別は 20 世紀後半の論理実証主義においても重要な役割を担っている。その意
味で、人間による外界的知識の構成というカント的発想は、18 世紀以降の近代哲学の中心的な認識
原理であり続けたのである。
カント的な認識原理を否定するローティの戦略は、クワイン、ディヴィドソンの理論によって認
識を外在主義化するというものである。
[R](「必然 / 偶然」の)区別を曖昧にするために、クワインは、発話者への対応として「内
在主義的」ではなく「外在主義的」な接近方法(approach)を採用する。信念・欲求のうち、
放棄することが想像できないもの(いわゆる「ア・プリオリ」な信念・欲求)とその他
とを区別するよう頼むかわりに、内観を断念するのである。 (Rorty[1991:120])
[R] の背景には過去半世紀の言語哲学の歴史があり、次の 5 点の理解が必要である。
(r1)論理実証主義の運動以降、意識による認識論が「言語論的転回」を経ている。
(r2)「外在主義的な接近方法」=「内観の断念」である。
(r3)カント的認識では「ア・プリオリ」性が「内観」の確実性を保証していた。
(r4)論理実証主義では「ア・プリオリ=必然/ア・ポステリオリ=偶然」であった。
(r5)クワインは(r4)の区別を曖昧化する戦略をとり、(r3)の否定および(r2)を主張した。
まず (r1) について説明しておきたい。20 世紀中盤から、哲学の関心が「意識」から「言語」に移
行したことを「言語論的転回」(Rorty[1967:8])と呼ぶ。転回以前の認識論では、真理の認識方法を
探究することが中心であった。20 世紀に入り、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(1921)に
影響を受けたウィーン学団が論理実証主義運動を開始する。その主張は、認識論を廃棄し、言語に
よる真理規定へと主題変更することであった。
[R] において「発話者への対応」場面をローティがとりあげているのは、それが言語論的転回をへ
た認識場面に相当するからである。クワインは、ジャングルで他者の発話行動と出会い、それが理
解不能な異言語であった場面について次のようにいう。
言語的意味という点では皆無である。つまり、観察可能な環境における明白な行動から少
しずつ収集されたものを越えるものは何もない。(Quine[2008:341])
引用から、我々は(r2)を理解することができる。通訳者も辞書もない状況では、発話も単なる
音声にすぎない。そこに「言語的意味」は「皆無」である。心理学者ならば、発話者の「内面」を
探る「内在主義的」方法があるかもしれない。しかし言語学者にとっては「行動主義者であること
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のほかに選択の余地はない」(Quine[2008:341])。表出行動と状況を観察して得られる「外在主義的」
なデータしか、手がかりになるものがないからである。
クワインはその「行動主義」的方法について、
「われわれの精神生活(mental life)とは無関係である」
(Quine [2008:341])という。観察を通して発話内容を推測する。確認のために発話者に問いかけ、そ
の応答(同意・不同意)によって推測した解釈を修正する。この過程に「精神生活」つまり意識を「内
観」する方法は無用である。
カント的「精神生活」
(r3)を否定する根拠が、
(r4)
(r5)である。これによってローティも、[R] と(図
1)で「確実」「ア・プリオリ」「必然」を混用する。[R] に「放棄することが想像できない」とある
のは、デカルト的確実性をさす。「懐疑を認容するすべてのものを取り払おう」(Descartes[1641 =
1991:125])と想像をめぐらしたデカルトは、最終的に意識の確実性に到達している。 [R] でデカルト
的確実性が「ア・プリオリ」だとされる一方、(図 1)には「必然的」と記されている。「確実」「ア・
プリオリ」「必然」という 3 つが、同じ対象に同一概念のように用いられているのである。
しかし 3 種の概念は起源的にも内容的にも同じものではない。おそらくローティはあえてこれら
の語を混用している。そこで本節と次節では、3 種の概念の「曖昧化」について、飯田隆の「必然性」
をめぐる論考(飯田 [1989:1-35)を手がかりに探る。
(2)カント的「精神生活」における必然性
近代において必然性は根本的な変化を蒙る。中世までの必然性は、アリストテレスに遡る存在論
的概念であった。「ものそのものに由来し、ものの存在を構成する必然性」であり、「形而上学的必
然性」とでもいうべきものだったのである。しかしデカルトが「疑いえない」という意味で確実性
を主張したことから、必然性と確実性との混同が生じる。「認識の確実性」が「存在の必然性」と同
義的に用いられ、必然性の領域は縮小していく。それを加速したのがヒュームの因果的必然性批判
である。自然事象間の必然的結合(原因-結果)の根拠が不明だと批判され、それ以降自然科学に
おいて必然性を語ることが困難となる。
飯田は、このヒュームの議論が「近代の哲学の基本的構制」(飯田 [1989:11])においてなされたも
のだという。アリストテレス的必然性の場合「必然的な存在は何か」ということが問題であった。
しかし近代哲学では「必然性が認識されるか」という、認識者にかかわる問題へと変更されたから
である。必然性の認識可能性を疑うヒュームの背景には、知識成立の根拠を経験だけに限ろうとす
る経験主義があった。
それ対して、必然性を擁護しようとしたのがカントである。ヒューム以降、自然科学で用いられ
ることが困難となった必然性にとって、残された領域は論理学と数学だけであった。しかし論理的
真理が認識の増大に寄与しないとする当時の見方があり、カントは数学的真理を拠り所に理論構築
を図ろうとした。
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必然性の最後に残された砦は、数学的知識である。ここから、対照的な二つの道が生じた。
ひとつはこの砦から出撃して、必然性の領域を回復しようとするものであり、もうひとつは、
この砦を落とすことによって、すべての「事実的」知識から必然性を完全に追い出そうと
するものである。前者は、「綜合的ア・プリオリ」の概念を携えてカントが進んだ道であり、
後者は経験論の徹底化を図ったミルの取った道である。
(飯田 [1989:14])
カントは、「ア・プリオリ/ア・ポステリオリ」と「分析/綜合」という 2 つの新たな区別を導入
している。彼によるなら、数学的命題は、経験に依存せず必然性が直観されるという点で「ア・プ
リオリ」であり、認識を増大するので「綜合的」である。そこでカントは「ア・プリオリな総合的
判断はどうして可能であるか」(Kant[1787 = 1961(上):73])と問いを立て、感性-直観-悟性の
認識原理を構想している。
カントによるなら、感性による経験的な直観表象を「綜合」して概念を生みだすのが悟性である。
直観表象のままでは「漫然とした知覚の断片にすぎない」(Kant[1787 = 1961(上):231])。ア・プ
リオリに有するカテゴリーを適用することで、悟性は直観表象の多様性に「秩序を与える」
(Kant[1787
= 1961(上):141])。直観表象に「形式」(Kant[1787 = 1961(上):164])を規定する思惟作用であ
るという点で、「悟性は判断の能力」(Kant[1787 = 1961(上):142])なのである。論理学判断から
作成されたカテゴリーは、ア・プリオリ性と必然性を有しており、規則を与える悟性能力の必然性
の源泉とみなされたのであった。
(3)言語論的転回-カントの総合的ア・プリオリの否定
ローティが編集した『言語論的転回(liguistic turn)』(1967)は、その書名をバーグマンから
借用している(Rorty[1967:9])。バーグマンによるなら、言語論転回とは「適切な言語(suitable
language)について語るという方法で、世界について語る」ことであり、その「適切な言語」は 3
つの改善条件をもっている(Bergmann[1960:43])。
①すべての非哲学的な叙述の命題が、その言語へと翻訳されることを可能にすること
②再構成されていない哲学命題は、その言語への翻訳が可能でないこと
③その言語の統語法と解釈を述べることが、哲学命題の再構成であること
この 3 つの条件は、論理実証主義の性格をよく示している。旧来の哲学命題はすべて「適切な言語」
に相当せず、「世界について語る」ことに値しない。よって哲学を「科学の論理学」(飯田 [1989:247248])へと改善すべきと考えたのが、論理実証主義であった。主たる攻撃対象をカント的「精神生活」
に代表される形而上学に据え、ミルの経験論の徹底化をめざしたという点で「論理的経験主義」と
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も呼ばれるのである。
論理実証主義にとって、数学と論理学の必然性の扱いは深刻な問題であった。19 世紀後半から
の科学技術の進歩において、数学と論理学の果たした役割には大きなものがあった。もはや、ミル
のように「経験の一般化」(Mill[1843: Ⅱ §2])とかたづけることは困難であった。しかし意識やプ
ラトニズム(1) などの、形而上学的必然性を認めるわけにもいかなかったのである。飯田によるな
ら、この難問に回答を与えたのが「規約による真理」であった。その詳細を以下に説明する(飯田
[1989:118-184])。
「規約による真理」とは、分析的命題の必然性を、規約の言語的性質とみなす考え方である。こ
の考えを適用するためには、数学と論理学の命題が分析的であると示す必要がある。カントは「分
析/綜合」の定義において、論理学の命題は分析的であると認めていた。しかし数学的命題は「総
合的ア・プリオリ」であるというのが、『純粋理性批判』でのカントの立場であった。論理実証主義
は、それをウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における次の主張によって論駁したのである
(Wittgenstein[1922 = 2003:120,132,133])。
6・1 論理学の命題はトートロジーである。
6・2 数学は論理的方法のひとつである。数学の命題は等式であり、それゆえ、見せかけの
命題である。
6・22 世界の論理は、論理の命題がトートロジーにおいて示すものであるが、数学はそれを
等式において示す。
数学的命題はトートロジーであり、したがって数学も論理学と同じく分析的であるというのが、
論理実証主義のヴィトゲンシュタイン解釈であった。現在では、この解釈の誤りや、ヴィトゲンシュ
タインの理論自体の不十分さなど、様々な指摘がなされている(飯田 [1989:123-169])。しかし、この
ヴィトゲンシュタイン解釈にもとづいて論理実証主義が提示した「規約による真理」は、1960 年代
中盤まで大きな影響力を持ち続けたのである。
論理実証主義者のエイヤーは、「規約による真理」を次のように説明する。規約とは「言葉をある
仕方で用いようという我々のとりきめ」のことであり、分析的命題はそれを「記録したものにすぎ
ない」
(Ayer[1946 = 1955:91])。「経験的検証をまたずに意味に於て経験から独立である」
(Ayer[1946
= 1955:75])のが規約であり、その記録である分析的命題もまた経験の検証を必要としない。「すべ
ての眼科医(oculist)は目医者(eye-doctor)である」が「眼科医」と「目医者」の同義性にもと
づくトートロジーであるのと同様に、「7 + 5 = 12」も「単に“7 + 5”という記号的な表現は“12”
と同義的であるという事実にもとづいているにすぎない」。規約は自分たちが決定したとりきめであ
るという点で必然性をもつ。守らなければ「自己撞着になってしまう」からである(Ayer[1946 =
1955:92]。
したがって「規約による真理」を支える「分析/綜合」の区別について、根拠が曖昧であるとク
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ワインが論証したことは、論理実証主義の基盤を根本的に掘り崩すものとなった。数学と論理学の
必然性の源泉を、再び見失うことと同じだったからである。
クワインによる論証「経験主義の二つのドグマ」(1953)については、詳細を佃(2010)で考察し
たため、本稿では必然性との関連についてのみ言及しておきたい。形而上学の放逐を試みたにもか
かわらず、論理実証主義は「必然性の源泉は何か?われわれは、どのようにして必然性を認識する
のか?」(Dummett[1978 = 1986:133])という伝統的な問題構制から離れることができなかった。論
理的必然性としての分析性に固執したのはそのためである。クワインは分析性を綜合性から判別で
きないことを示し、個別の信念・欲求文の真理性を、分析的規則にもとづいて経験の事実性に対応
させ検証するという論理実証主義のプログラムの無効を訴えたのである。
しかしクワイン自身は、認識論を無用としたわけではない。「語と経験の個々の結びつきにみられ
る混沌とした主観的多様性」、つまり我々は個別に解釈の多様性をもって事象を言語化する。それに
もかかわらず「コミュニケーションと信念においてわれわれを結びつける一様性」が生ずると、ク
ワインはいう(Quine[1960 = 1984:12])。あくまで経験主義者として認識論の構築をめざしたクワイ
ンに、なおカント的認識原理の残余があると批判したのが、次章に考察するディヴィドソンである。
3.概念図式の否定による「心」の消去の完成
野家啓一によるなら、言語論的転回の意義は「基本的な考察場面を『意識の私秘性』から『言語
の公共性』へ(略)大きく転換させた」(野家 [1990:162])点にある。エヴニンはそれを心的状況へ
の接近方法の変化と捉え、現在の哲学では「三人称的視座を適用することが一般的である」(Evnine
(1991 = 1996:27)と説明する。確実性を探究する認識論は、「意識の私秘性」の「疑いえなさ」が
その基盤であった。したがって「私(I)の意識」について「一人称的視座」から考察せざるをえな
かったのである。しかし論理実証主義は、文が「認識的に有意味な主張を行う」(Hempel[1950 =
1986:107])とみなす。前章の「規約」をはじめ、認識的有意味性にかかわる「文」はいずれも、「言
語の公共性」を背景とした「三人称的視座」からの考察なのである。
クワインも同様である。言語は「社会的な技術(social art)」(Quine[1960 = 1984: ⅴ ])であり、
よって「感覚的刺激が言語を通じて世界についての知識を生み出す」(Quine[1960 = 1984:40])。他
者の発話行為を観察するとき、われわれはその場面から「感覚的刺激」を受けている。それは「間
主観的であることがはっきりしている状況」であり、他者が発した語は状況に連関した「感覚的刺激」
との対応によって理解される。伝統的哲学は、真理の認識過程を解明することで、知識の正当化を
おこなおうとした。それに対してクワインは、言語習得や異言語翻訳の場面を考察することで、知
識の成立を説明しようとする。「間主観的な状況」があるかぎり、記述対象となる発話行為は「公的で、
すべての人に観察可能」(Evnine[1991 = 1996:27])だからである。
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そのクワインに対して、なお「一人称的視座」の残余があると批判したのが、ディヴィドソンの「概
念図式という考えそのものについて」(1984)であった。
概念図式(conceptual scheme)は、クワインの場合次のように説明されている。人間は「何らか
の概念図式を持ってその中で作業する」(Quine[1960 = 1984:459])。それは「科学という概念図式」
であり、
「周縁に沿ってのみ経験と接する」。そして「科学全体は、その境界条件が経験である力の場」
であり、「周縁部との経験との衝突は、場の内部での再調整を引き起こす」(Quine[1953 = 1992:6368])。
発話行為の観察を例にとり、クワインの議論の概要を紹介する。観察者は自己の概念図式にした
がって、異言語の発話を「場面文」を作成する。それが妥当であれば、概念図式における場の再調
整によって、知識(「観察文」)として取り入れられる(2)。妥当性の判断根拠として、クワインは「刺
激意味」という概念を設定している。「刺激意味」(3)は発話状況の何らかにおける対象と関連し、発
話者の同意、不同意が直接的に観察者にもわかる。観察文は「刺激意味」の集合との対応関係によっ
て妥当性をもつとされる。
この「概念図式/刺激意味」をディヴィドソンは批判する。「刺激意味」といった経験的証拠が必
要となるのは、発話者、観察者それぞれが概念図式を有すると想定したからにほかならない。概念
図式を取り去れば、観察文が発話原因である対象と直接に触れ合い、真偽を決めることができるの
である。
(図 1)の矢印(a2)を消去する理由もここにある。「文と文でないものとの間に、『真にする』と
呼ばれる関係はない」(Rorty[1991:113])とローティはいう。クワインは、文の真理性を確保するた
めに経験的証拠(「文でないもの」)を求めたという点で、論理実証主義者と同じ地平にとどまって
いた。しかし、文を真にするのは文以外にない。その文をつくるのは人間なのである。
カントの次のような記述と比較すると、三人称的視座への変更がもたらす「言語の公共性」の意
味は、さらによく理解される。
我々の認識は心意識の二つの源泉から生じる。第一の源泉は、表象を受け取る能力(印象
に対する受容性 Rezeptivität)であり、また第二の源泉は、これらの表象によって対象を認
識する能力(悟性概念の自発性 Spontaneität)である。
(Kant[1787 = 1961(上):123])
経験主義者を論駁することをめざしたカントであるが、しかし経験の重要性を認めなかったわけ
ではない。「我々の認識がすべて経験をもって始まるということについては、いささかの疑いも存し
ない」
(Kant[1787 = 1961(上):57])と述べていることからも、それは明らかである。彼のねらいは、
むしろ人間の「自発」の必然性にあった。直観表象だけでは知識になりえない。悟性概念(カテゴリー)
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の必然性による表象の「綜合」が自発的に遂行されるところに、知識としての普遍性の獲得をみて
いたのである。
知識を経験から説明しようとしたという点で、カント、論理実証主義、クワインは、共通している。
しかし、経験とは本来的には「私(I)の経験」であり、他者は内容を知りえない。経験という語に
すでに「一人称的視座」が含まれており、その限界を克服するために意識や言語的規約といった媒
介物を通して必然性を説明せざるをえなくなるのである。
したがって、ディヴィドソンは経験主義から離脱する。「概念図式/世界経験」を第三のドグマと
して棄却した帰結について、彼は次のように説明している。
図式と世界との二元論を放棄することで、世界を放棄するわけではない。なじみの対象た
ちとの直接的接触を再び確立するのであり、またそうした対象たちのおどけた仕種が、わ
れわれの文や意見を真や偽にするのである。(Davidson[1984 = 1991:212])
これは、観察文とその対象との間に経験的証拠を必要としないという宣言である。経験の事実性
に依拠するのではなく、世界にある事物(出来事や物)と文との「直接的接触」によって真偽を判
定する(4)。そのとき「心」は不要になる。認識論的な「精神生活」、論理実証主義とクワインにおけ
る言語、それらは世界と「心」とを媒介するものであった。そのような媒介を不要とするなら、
「心」
の存在を前提する必要もなくなるのである。
ローティはこれを「信念・欲求を所有する(has)自己」から「信念・欲求である(is)自己」へ
の変更と説明する(Rorty[1991:123])。「信念・欲求の所有=自己存在の確証」というデカルト的コギ
ト(我思う我あり)ではなく、<人間=信念・欲求>が存在する。それは(図 1)の矢印(a2)およ
び円環(C)を消去し、
(図 2)を得るということである。身体から分離して、心の眼(inner eye)によっ
て実在を認識する「真の自己(True Self)」はもはや存在しない。<人間=信念・欲求=身体>が因
果的(causation)に環境と連続する。(図 2)を眺める我々は、「三人称的視座」による観察者なの
である。
4.まとめと課題
(1)文の偶然性
カントにおける「世界の複雑性」は、直観経験の多様性と偶然性であろう。その克服のために、
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彼は「私は考える(I think)」の必然性を説く。「私は考える」は、多様な表象が「すべて私の表象
として、一個の共通な自己意識のうちに共在し得るための唯一の条件」であり、「私の一切の表象に
伴い得なければならない」。「私は考える」の「自発性の作用」こそが、一人の人間が「さまざまな『自
倫理の起点と「世界の複雑性」2 -「心」の消去
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己』をもつ」ことを防ぎ「統覚の同一性」を保つ根拠であると、カントは考えたのである(Kant[1787
= 1961(上):175-177 傍点は原著 ])。
それに対してローティは次のように反駁している。すべての表象に「私(I)」が伴うようにみえ
るのは、信念・欲求のネットワーク全体が「私(I)」だからである。信念の獲得は、ネットワーク
の部分として位置づく合理性によって説明される。「信念をひとつ所有することは、自動的に多くの
信念を所有すること」なのである(Rorty[1991:123])。
ローティは「実在との一致(correspondence of reality)」という真理観を棄却すれば、経験的証
拠も不要になるという。カントは人間の外部に絶対的真理として「物自体」が存在すると考えた。
同じく論理実証主義、クワインもまた、外部の経験的事実性にもとづいて文の真理性が確定すると
している。共通するのは、人間の外部にこそ必然的真理があるというプラトン以来の西欧伝統である。
しかしローティによるなら、外部実在との一致や対応が真理性を確定するという対応的真理観にこ
そ誤りがある。
真理が人間の心から独立して存在するということはありえない(略)。文がそのような形で
存在し、そこに在るということはありえないからである。世界はそこに在る、しかし世界
の記述はそこにはない。世界の記述だけが、真か偽になることができる。(略)世界は話さ
ない。ただ私たちのみが話す。(略)文だけが真になりうるのであり、人間存在は(略)言
語によって真理をつくるのだ。(Rorty[1989 = 2000:17-25])
ローティの「世界の複雑性」は「文の偶然性」である。「言語は、真の世界や真の自己の本当の姿
を次第に獲得してゆく媒介物ではなく、歴史的な偶然性なのだ」
(Rorty[1989 = 2000:110])とローティ
はいう。カントの自発性も、文を作成する自由に換えられる。真理作成が偶然性に依存するという
点で、
「偶然性を承認することとしての自由(freedom as the recognition of contingency)」
(Rorty[1989
= 2000:101])となるのである。
(2)偶然性からの行為論的秩序
社会学と哲学における行為論的な等価物としての「偶然性」―これを前稿からの本研究の結論と
したい。「偶然に対して敏感に反応」することで「神が何も与えないにしても、システムは生ずる」と、
ルーマンはいう(Luhmann[1984 = 1993:161])。彼は行為システム論の構築を、パーソンズの「二重
の偶然(double contingency)」論の修正から始めている。ローティもまた、そのリベラリズム論の
根底に「偶然性の承認」をすえる。必然性を真理性の基準として信念確定をおこなう哲学伝統を拒
絶し、信念を「行為の規則」とみなす。ルーマンとローティを通して「世界の複雑性」を考察する
ことにより、「倫理の起点」の探究は「偶然性からの行為論的秩序の形成」に焦点化されるというの
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プール学院大学研究紀要第 52 号
が本稿の結論である。
次稿では、ルーマンの自己準拠システム論とディヴィドソンの「寛容の原則」を対照し、ローティ
のリベラリズム論の根拠を明らかにする。人間の創発的な自由にこそ「倫理の起点」がある。それ
が本研究の見通しである。ただしそれは、カントが道徳法則に自律の実践的根拠を見出そうとした
こととはまったく異なるものとなるであろう。
<註>
(1)飯田によるなら、プラトニズムとは「われわれの行為(認識論的行為を含む)から独立で、時間と空間を超
越して存在する領域に関する知識として、論理的ならびに数学的知識を特徴づける」態度のことである。数
学が論理学に還元できるとする論理主義を展開したフレーゲとラッセルは、「論理対象の自存的領域」が存
在することへの確信があった。その両者に対する「根底的反対から、必然性の問題に対するまったく新たな
アプローチ」を提出したのが、ヴィトゲンシュタインの「規約による真理」であった(飯田 [1989:26-35])。
(2)場面からの刺激に関して発話者に同意・不同意を問う文が「場面文」、刺激の内容が確定したものが「観察文」
とされる(Quine[1960 = 1984:56-72])。
(3)知覚的な信念の原因が「刺激意味」である。これについても表面刺激を原因とするクワイン(近位説)と、
対象を原因とするディヴィドソン(遠位説)の間に対立がある。
(4)ディヴィドソンは「対象との直接的接触」による真偽判定の理論として「真理条件的意味論」「寛容の原則」
「事前理論と当座理論」を提出している。解釈の一致のための実践がそのつど生じるとみなす彼は、「学習さ
れたりマスターされたりするようなもの」としての言語は「存在しない」という言語非存在論を結論してい
る(Davidson[1986:433-446])。
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プール学院大学研究紀要第 52 号
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Originally published as“Logisch-Philosophische Abhandlung”in Annalen der Naturphilosophische,
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※本研究は JSPS 科研費 23531266 の助成を受けたものです。
倫理の起点と「世界の複雑性」2 -「心」の消去
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(ABSTRACT)
The World’
s Complexity Related to the Beginning of Ethics
(Part Ⅱ )
TSUKUDA Shigeru The purpose of this article is to make it clear that both Luhmann’
s system theory and modern
philosophy treat the same problem as‘the world’
s complexity’. Luhmann argues that we need to
differentiate a system from its environment to reduce‘the world’
s complexity’
. In the post-Kantian
philosophy,‘the world’
s complexity’is related to contingent knowledge.
According to Rorty’
s paper‘Non-reductive Physicalism’(1991), philosophy can throw away
the correspondence theory of truth because of three philosophers’theses.
The first philosopher is Peirce. He thinks of a belief as‘a rule for action’, rather than as
a representation of reality, and therefore, we don’
t need the correspondence to reality. We use
beliefs as tools for determinations of how to act in response to certain contingencies.
The second is Quine. Blurring the distinction between necessary and contingent truth, he sees
our knowledge as a network of beliefs and desires.
The third is Davidson. He criticizes Quine’
s distinction between conceptual schemes and
contents as‘the third dogma of empiricism’and drops it. Without this distinction we have
sentences about beliefs and desires touch with their objects unmediatedly.
Through considering three philosophers’theses Rorty finds‘freedom as recognizing
contingencies’. All truths are made by us rather than by corresponding to reality. There are no
truths outside of our minds.
The result of this study shows that sociology and philosophy have the common problem of
how to act in response to contingencies of time and space. Luhmann’
s social system theory and
Rorty’
s liberal pragmatism are the solutions to this problem.