9 章:20 世紀ドイツ・モダニズムの概念的基礎についての補説

11 月 2 日 近代建築理論研究会レジュメ(伊藤研・江本)
9 章:20 世紀ドイツ・モダニズムの概念的基礎についての補説 ・執筆意図:19 世紀末と 20 世紀初頭の建築思想の「 分 水 嶺 」 の 疑 問 視 。
・「歴史主義」と「歴史を捨象した純�粋形態」の分水嶺の疑問視=理 論 分 野 の 歴 史 的 連 続
性。
・ヘーゲル観念論から心理学・生理学を基礎とした「 身 体 的 建 築 観 」 へ。
【 モ ダ ニ ズ ム に 対 す る 定 説 に つ い て 】 モ ダ ン
・工業インスパイアの「近代」様式を育んだ、とされるドイツ。
——工場美学の名の下に提唱された「非歴史的造形」と「歴史主義者の造形」の(外見上の)断絶。
コンストラクター
アーキテクト
ex.ギーディオン;20 世紀の「 建 設 者 」(=前世紀の「建築家」)は
19 世紀建築の伝承と無縁である。モダニズムの血脈は工場やエンジニアに遡る。
→その後ドイツの歴史研究・理論史研究は頓挫、この見解が定着する。
(亡命等で)ドイツを離れた建築家たちにも大陸文化の血脈が等閑視されるようになる。
・ドイツ・モダニズムと「アーツ・アンド・クラフツ美学」、「ヴィオレ=ル=デュク美学」、
「アールヌーヴォーの造形」との血脈も語られたが、説得力がなかった。
【「分水嶺」は存在しなかった】
・マルグレイブ「しかし、史学や理論の概念的基礎に果たして、(大きな事件の突発を除いて)それほど性急
な変化が起こりうるものだろうか。〔ˇ…〕答えは明らかである。建築は絶対にそのようには展�開しない。」
・世紀末における、
「燃えかすとなっていた歴史主義」からの「非歴史的な様式」の誕生を辿る。
——また、この「非歴史的な様式」という概念自体がシンケルを嚆矢とする、との示唆。
「ドイツの理論には連続性がある、ということは、20 世紀モダニズムの幾つかのキー・コンセプトの発生を
見ることによっても確認される。」=「空間」、「造形」、「様式」。
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第1テーマ:「空間」 【 ① 建 築 「 空 間 」 に 対 す る 初 期 の 言 及 】 ・ カ ル ル ・ シ ュ ナ ー ゼ [[11779988--11887755]]の『オランダ書簡』(11883344 年)。 ・中世建築を「(内部)空間」のテーマ展�開として読み解く。
・中世建築を「外部に焦点をあてた」古典建築に対する創造的な解と位置づける。
・中世建築に重要な空間感覚:「脈うつひとつの有機生命」
(ex.アントワープ大聖堂身廊の側廊)
・フ ラ ン ツ ・ ク グ ラ ー [1808-58]のベルリン講義(1840 年代)。
・「ルネサンス建築は特に『空間の美』において知られている。」
・ヤ ー コ プ ・ ブ ル ク ハ ル ト [1818-97]の『イタリアルネサンスの歴史』(1867 年)。
・クグラーと同様の意味で、ルネサンス建築(「空間様式」)と
ギリシャおよびゴシック建築(「有機様式」)を区別。
・ルネサンスは「空間」概念を意識的に展�開させた嚆矢である、とする。
【 ② ゼ ン パ ー に 始 ま る 「 空 間 」 観 の 展� 開 】 ・ゴ ッ ト フ リ ー ト ・ ゼ ン パ ー [1803-1879]
・「服飾」の空間モチーフ:「構造とは独立の、空間という概念に基礎をもった、
建築のなかでも最も古い造形原理」
——空間(虚な構造)の概念は紀元前 4 世紀に初めて意識的に芸術の地位に高められた。
ローマ人にとっての「空間」
:世界統治の表現。
・1869 年講義;「全世界の建築の未来はこの新たな空間芸術にかかわる」とする。
・リ ヒ ャ ル ト ・ ル カ エ [1829-77]
・「建築における空間と意味の力について」
——「空間」が建築創造の中核に位置する。
「造形は空間の美的効果を生じさせ、光は空間特性を作りだし、色彩は空間の雰囲
気を変える。スケールは『精神に対する身体の空間的関係にまつわる意識的知覚』
である。」
——様式は非本質的な、空間的な効果にはごく僅かにしか影響しないもの。
・ベルリン建築家協会講演における「空間と鉄」
——鉄の「聳立全体のシンボル」としての可能性;ギーディオンを予感。
——鉄の美学には「軽みの感覚」と「華奢なプロポーション」が求められており、ルカエと
同年代以下の建築家はまだ鉄の美学を十分には理解していない、とする。
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・コ ン ラ ッ ド ・ フ ィ ー ド ラ ー [1841-95]
ゼンパーを称賛、ゼンパー様式論の書評のなかで空間のテーマを扱う(1878 年)。
ロマネスク様式(空間囲繞)ははじめから石造を念頭に置いていた。
→新たな空間原理への期待?
マルグレイブ:「空間という概念は 1878 年には既に、歴史文脈への建築の依存関係を弱めるいち手
段として認識されていたのである。」
・ハ ン ス ・ ア ウ ア ー [1847-1906]
・「建築様式の発展�への構造の影響」
・いかなる建築理論でも筆頭にくるべきは構造であるが、
建築の最も重要な任務は「空間の創造」である。
・「過去の悉皆の伝統に厚かましい拳を振るう新材料」としての鉄。
←→しかし、これまで鉄道駅に使われてきた鉄造トラスも、
まだ芸術として満足できるようには扱われていない、とする。
・ア ウ グ ス ト ・ シ ュ マ ル ゾ フ [1853-1936]
・芸術史への発生論的アプローチ:「内部からの」美学を主張。
芸術体験の心 理 的 側 面 。人間は被建設世界をいかに知覚し解釈しているのか。
←→ヴェルフリンの形式主義:形式、様式に焦点をあてる「外部からの」美学。
・「パンテオン、穴居人の洞穴、ゼンパーのカリブの小屋などはすべて「空間構造物」であり、
深遠な感情の含みを有したいち現実である。」
——「我々の空間意識と空間的想像力は空間創造に向かって突き進む。
〔ˇ…〕我々は
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この芸術を建築と呼ぶ。平易な言葉で言えば、それは空間創造の女神だ。」
・空間創造は「自分の実在あるいは存在を世界のなかに規定する本能」と同列。
——「建築の歴史は空間感覚の歴史であり、従ってそれは、意識的にせよ無意識的
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にせよ世界観の歴史の基本要素である。」
シュマルゾフのこうした視座は 19 世紀後半の知覚学および生理学研究に影響を受けている。
—→建築理論の焦点を「様式」から
より観念的なもの(建築体験自体)にシフトさせた。
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第2テーマ:「造形」
フ
ォ
ル
ム
( 内 容 を 持 っ た 「 象 徴 」 的 造 形 観 — → 意 味 を 有 さ な い 「 純� 粋 形 態 」 問 題 の 発 見 。) 【「 象 徴 」 的 造 形 観 】 ・ア ル ト ゥ ル ・ シ ョ ー ペ ン ハ ウ ア ー [1788-1860]の『意志と表象としての世界』(1819 年)。
建築は芸術ヒエラルキーの下位に置かれる。
←—「建築は物質を必要とし、重力が物体を崩壊させようとする」ため。
——自然の意志に立ち向かうものとしての建築。
構造や装飾によってこの対立を明示・強調することは認められる。
—→ショーペンハウアー理論の建築理論への侵入。
メカニカル・ファンクション
・ベ テ ィ ヒ ャ ー の「芸術形式」:構材の構造力学の 力 学 的 役 割 の象徴表現。
・ゼ ン パ ー の様式論:「芸術的に引き立たせれば、〔ˇ…〕[支持部材は]純�粋に力学的
なもの[=「力学的な意味の純�粋表現」]として表現される。
〔ˇ…〕個別のパートは本
来生命を有し戦っているもののように見える。」
・フ リ ー ド リ ヒ ・ フ ィ ッ シ ャ ー [1807-1877]の『美学あるいは美の科学』(1846-57 年)
・「意志」理論の哲学界への逆輸入。
「建築」:自動力のない物質に「快活な生命」を吹き込み、
造形をリズミカルに描出するという課題を負った「象徴芸術」。
——「縮小一体化の感覚」(=周囲の感覚世界との同化)への精神衝動を基礎とする。
—→息子ロベルトによる「感入理論」への展�開。
【 生 理 学 ・ 心 理 学 的 建 築 観 の 萌 芽 】 ・ロ ベ ル ト ・ フ ィ ッ シ ャ ー [1847-1933]
・生理学研究、初期夢解釈研究に傾倒。
「身体は知らず知らずのうちに自らの肉体のすがた——とともに魂もまた——を対象のな
かへと投入するのである。私が『感入』と呼んでいる概念はここから導きだされた。」
※Empathy と Einfühlung の違い:
後者は「人格全体がその対象とある程度融合してしまうような、
もっと徹底した自我の転移」である。
——建築およびその造形は現行共有の心理状態をはっきりと示す。
・ハ イ ン リ ヒ ・ ヴ ェ ル フ リ ン [1864-1945]の「建築心理学序説」(1886 年)
・ロベルト・フィッシャーの感入理論の建築理論への逆翻訳。
・「どうして建築造形に感情や雰囲気を表現することが可能なのか」の問い。
「生理学用語と心理学用語を」織り交ぜて説明。
「形而下の造形が性格を持つのは我々自身が肉体を備えているだけのためである。」
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——人間が建築にみる造形表現は人 間 の 身 体 に 必 須 の 感 性(意志表現、バランス
感覚、規則性の感覚、シンメトリ感覚 etc.)にほかならない。
・建築心理学は個々に実例にはあてはめづらいが、
文化や集団心理の表現の分析には有効である、との見解。
—→マルグレイブ:「これで今、すべての様式を集団的かつ心理
学的な造形感覚として吟味できるようになった。」
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「新様式」問題
( 歴 史 主 義 的 様 式 観 か ら の 脱 却 。 心 理 学 的 様 式 史 論 、 純� 粋 形 態 の 様 式 観 。) ・ル ド ル フ ・ レ ッ テ ン バ ッ ハ ー [1840-85]
・「現在の建設努力」:ゼンパー以後の「新様式」論の嚆矢。
・当時の様式論の立場を「単一の様式の狂信者」、「ルネサンス支持者」、
「折衷主義者」、「中立派」の 4 に類型化。
——レッテンバッハーは「より科学的」な立場を支持し、
「ディレッタンティズムの子供靴の外に」踏み出さなければならない、とした。
・「建築は構造と造形世界が不可分のものとなるところからのみ始まる。」
・これは「構造に真の象徴表現が可能となるには、構造はまず、人間の身体のよう
にひとつの有機体のレベルにまで進歩する必要がある、ということである」(マル
グレイブ)。
・『近代建築の建築学』(1883 年)のテクトニクス史学
・テクトニクス史の把握を近代の建築造形論のヒントとする試み。
・「構造から建築のモチーフを勝ち得たほうが実りがある。」←→ゼンパーの「服飾」理論。
——早世(45 歳)による頓挫。
・ゲ オ ル ク ・ ホ イ ザ ー [??]の『工学思想概略』(1877 年)
(・ゼンパー、ダーウィン、エルンスト・カップ(科学技術者)の弟子。)
・「道具」=人間の「諸器官の突出」=人間の頭脳の拡張、と定義。
・1881 年連載におけるダーウィン説的様式史論。
・建築造形の変化は自然淘汰プロセスを介して起こる。
——新材料・新技術ははじめ、在来材料・在来テクノロジーと同様に扱われる。
—→新たな変体が発生、
変体数の増加により時代問題へのデザイナーの解決が正確化。
・現代は「鉄」の造形の成立過程である。
・ハ イ ン リ ヒ ・ フ ォ ン ・ フ ェ ル ス テ ル [1828-1883]
・ホイザーとは逆に「新様式創造の解はすでにゼンパーの理論に盛り込まれている」、とした。
—→ゼンパー理論を足掛かりにできる、若年世代の建築家に問題解決を投げる。
(具体的な方策は明示されず?)
・ヨ ー ゼ フ ・ バ イ ヤ ー [1827-1910]
・ゼンパー理論の精通者である文学教師。
・1886 年「現代の建築類型」
・「様式」=「特定の思考方法であり、その時代のもっとも内奥にある立脚点・核心に由来
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する形式的な芸術表現であり、主となる方向をただひとつのみ持ちうるもの」。
・今日の芸術は根本的に「社会的」であり、「水平的なもの」が重んじられるはずだ。
——市街地建築の「コンテクスチュアルなグルーピング」。建物同士のリズム。
←→過去の「垂直的」かつ「ヒエラルキー的」な造形志向。
・1886 年「我々の時代の様式の危機」
・「芸術の唯一の主人は『必要』である」(ゼンパー)を支持。
・現代においては、建物のデザインに注がれているトータルな考え方に新しいものの存在が
認められる。
——平面構成、「我々の時代特有の構成上の課題」。
・ロ ベ ル ト ・ シ ュ チ ャ ス ニ ー による 1919 年評論
・バイヤーの「幾分旧態依然としたヘーゲル的な観念論」や「内容への関心」を指摘?
・バイヤーは新様式の問題に近づきはしたが、まだ様式的思考を脱しきれていない。
—→「ヘルバルト論者」ア ド ル フ ・ ゲ ラ ー による回答。
・マルグレイブ「[ゲラーは]心理学美学の考察に立ち戻り、問題を完全に
造形の問題であると見ることを解決策とした」。
・ア ド ル フ ・ ゲ ラ ー [1864-1902]
・「建築における様式変化の原因とはなにか」(1887 年)における、建築の抽象美論
・建築にとっては再現的内容や観念的内容の重要性は劣る。
——建築の知 覚 は抽象的幾何学形態の把握から成り立つところが大きい。
←→ヘーゲル芸術理論:造形美を象 徴 的 (観念的)内容と同列にみる。
・「内容」や「歴史様式」を
ぎとった「純�粋形態の芸術」として建築を定義。
——建築美とは「線条の、あるいは光と影の、本質的に快い、意 味 を 有 さ な い 遊
戯 」のなかに潜むものである。
・同、「記憶イメージ」論
・造形に感じる快・不快の感情には「記憶イメージ」の形成を通じた精神作業が影響。
—→個人あるいは文化の造形感覚は過去の記憶イメージに左右される。
・様式変化の心理学的原因=「疲弊」および「新たな記憶イメージの追求」の弁証法。
・現存イメージの完成・疲弊
—→「記憶イメージ」形成の労がなくなる。
—→造形の多様化=「バロック段階」。
—→全造形の疲弊により「純�粋形態」が仮定される。
・『建築様式造形起源論』(1888 年)
・ゼ ン パ ー の関心からの焦点移動。
←—ミカエル・ポドロ評「ゼンパーの焦点は建築造形の起源やそれらの再解釈に注
がれていたが、ゲラーの関心はそれとは異なる。彼は過去の意匠や造形が変形させ
られる根本的な動機や、こうした変形に感じる意識の満足の性質に関心を持ってい
るのである。」
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・ベ テ ィ ヒ ャ ー の建築原理論(ギリシャ、ゴシックの持つ論理的一貫性の称揚)を論駁。
——任意の文化の造形感覚は本質的に「記憶イメージ」に制約される。
—→「良い」「悪い」形を論ずることの無意味を指摘。
・造形の出現および形式変化の道程を列挙、これらを「転移」、「変質」、「合成」に分類。
・結語(新様式論)にみられるゲラーの迷い
「変化した造形感覚は新たな記憶イメージを生み出さなければならない。」
——が、その新しい造形がどう出現するのかイメージできない。
・ゲラー提唱の選択肢の乏しさ
1)現存のある様式の造形を選びとる。
2)現存のある様式から始めてそれをバロック段階に展�開させる。
・「過去を知りすぎた」災難=かたちのバイアスが払拭できない。
「我々の偏見なき感情が、個々の造形を我々の時代の様式の土台に選びだ
すことの妨�げとなっている。——そんな新様式などというものが可能であ
ればの話だが!」
・現代の進歩と様式上の悲観論
・傑作の現存—→美しい平面の手本となる。
・住宅改良—→くつろげて実用上も満足できる場所になった。
・過去にはなかった、富および技術的手段の増大、社会生活の向上。
・鉄による大スパン・大空間実現の可能性。
——し か し 、「鉄とガラス」の様式はかたちに実態がなさすぎる。
——芸術造形の産出にかかわる救済手段は万策果たされ、
過去から選ぶことしかできなくなった、とする。
——マルグレイブ「しかしともかくも、建 築 を 純� 粋 な 抽 象 形 態 へ と 心 理 学 的 に
還 元 したゲラーは、1920 年代の建築上の問題を既に解決していた。」
——ゲラー自身の理解していなかったこの点を理解した人物としての
ヴ ェ ル フ リ ン とグ ル リ ッ ト 。
・ハ イ ン リ ヒ ・ ヴ ェ ル フ リ ン
・1886 年学位論文;個人の造形感覚および、その建築読解との関連性を考察。
・ゲ ラ ー の研究(集団的・文化的造形感覚)に対する言及は末尾の数ページ。
——「国民・国家に流行している考え方やムーブメントはその国の芸術様式のあら
ゆる側面に反映されている。」
・処女作『ルネサンスとバロック』(1888 年)
・各時代に対してその時代の核となる感性をひとつずつ論じる。
——すべての様式は固有の心的状態を有している。
・「ルネサンス→バロック」の遷移について
——全ての様式はその時代に固有の芸術気質や造形感覚の産物であるが 、 それらは文化・
個人の感受性や「疲弊」の心理プロセスによって変化するものではない(ゲラー批判)。
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——ゲ ラ ー は
1)造形の問題と造形の歴史文脈の問題を切り分けている。
2)ゲラーの造形進化論は「完全に自動的」なものである。
3)ゲラーの論はイタリア・バロックの性質を正しく説明していない。
——ヴェルフリンのバロック観:「バロックの芸術気質は全く新
しい何物かであり、ルネサンスの僅かな造形やプロポーションに
飽きて進化した嗜好のごときものではない。」
——しかしヴェルフリンはその後ゲラー説を容れる。
・コ ル ネ リ ウ ス ・ グ ル リ ッ ト [1850-1938] ・1887 年記事;マルグレイブ「こちらの方は当座の問題をはるかに鮮明に焦点化させた。」
——「ゲラーの心理学に不足をみたのがヴェルフリンであったとすれば、グルリットはゲラ
ーを、実は未 来 の 美 学 の 基 礎 を 据 え た 人 物 であるとみた。」
・「芸術作品の美は必ず精神的な内容の中に潜んでいる」というシェリング、ヘーゲル説
(=「建物はひとつの機能を表現を表現しなければならない」)
の今 日 的 不 可 能 性 を指摘。
←—今日の建築の複雑さや多様性は一対一対応の表現を受け付けない。
・グルリットによるゲラー心理学の評価:上述のヘーゲル哲学的な基盤を転覆させながら、
・抽象造形に潜む「 純� 粋 形 態 の 美 」 の存在、および、
・造形の感動性の変化を司る心 理 法 則 の存在を指摘した。
・しかしこの「純�粋形態」の原理は建築のみ(←ゲラーの指摘)に当てはまるものではない。
——「〔ˇ…〕今や知的内容を逃れている造形の世界は、この芸術〔絵画と彫刻〕のなかでもま
た、我々の美的感覚を大いに感動させることができる〔ˇ…〕——[ペーター・]コルネリウス
の内容積載的な作風からリアリズムに移ること、すなわち観念の世界から五感で感じる造形
の世界へと移ることが、ドイツ芸術にとってどれだけ好ましいことであるか〔ˇ…〕。」
——マルグレイブ「抽象芸術が実践のなかに現れはじめる 20 年前に書かれた、抽
象芸術のコンセプトが明言された最初。」
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