<発表要旨> ラテン・アメリカの解放の神学について 後藤政子 (東京外国語大学) 解放の神学については信徒や司牧者が反独裁lllI争や土地闘争など政治闘争に加 わっていることにとかく目を奪われがちであるが、信徒の行動はあくまでもその ●●●●●●● 影響で「目覚めた」生活者としての選択であり、解放の神学は「神学」という学 問であるということをまずおさえておかなければならない。 しかし、その特性からみて解放の神学は政治と深く関わらざるを得ないことも 否定できない。現在、日本でも解放の神学に対する関心はぶい分高まっているが、 そこには様々な誤解も生じており、その誤解をとくためにも解放の神学とは何か を正しく把握する必要があろう。 解放の神学という言葉が最初に使われたのは1968年7月にペルーのチンボテで 開かれたある司祭の集まりでペルーのグティエレス神父が自分の考える神学を 「解放の神学」と名付けた時のことである。その後、1971年にグティエレスが『解 放の神学-その見通し」を、ブラジルのウーゴ・アスマンが『抑圧と解放一キリ スト者の挑戦』を出し、初めて解放の神学の理論を体系的なものとして呈示した。 これらは解放の神学の古典とされている。解放の神学思想はこれらの二瞥を原点 として今日まで発展をとげてきたものであり、また今日もなお発展を続けている ものなのである。そこにこの神学思想の重要な特性のひとつがある。 解放の神学とは、「キリスト教は貧しい人々の人間解放のための宗教である」 ということを聖瞥解釈学など、これまでの神学研究の成果を駆使して論じたもの である。これを基礎として1970年代および1980年代を通じて、本来の教会は信徒 と直接に接するキリスト教基礎共同体にあるとする「草の根教会議」又は「人民 教会論」、十字架にかけられたキリストより復活したキリストを重視する「ラテ ンアメリカ・キリスト論」、キリスト教輔神にもとづき金銭崇拝などの資本主義 -53- イデオロギーの批判などが展開されていく。これをみても解放の神学の主要な関 心は神学問題にあると言ってよい。一般には解放の神学と言えばすぐさま社会主 義への接近が論じられるが実際にはこの問題を正面から論じている解放の神学者 はほとんどない。 解放の神学の思想が大きく普及したのは「貧者のための教会」という概念が19 68年のメデジンにおけるラテンアメリカ司教協議会総会で公式路線と認められた ためである。そのため解放の神学思想の成立をメデジン会議に求めるのが一般的 であるが、このメデジン会議の思想と解放の神学思想との間には「飛曜」がある とみるべきである。つまり、同じく「貧者のための教会」という立場を認めなが らも前者では「上から」貧者のために奉仕するものであったが、後者では「貧者 の主体性を認め、貧者から学ぶ」という点を重視している。さらにメデジン会議 ではこの新しい教会の概念を実践に移すために「キリスト教基礎共同体」の形式 を促進することが決定されたが、そこでは教会のヒエルラルキー構造の一部とと らえられており、解放の神学のとらえ方とは決定的に異る。(つまりキリスト教 基礎共同体といっても解放の神学思想にもとづくものから単に教会と信徒の接触 を強めるためのものまで様々なものがあるということである) 解放の神学のもっとも重要な特性は『貧者こそ霊的な存在であるとしてその主 体性を認める点にある。したがって、それは貧者と神学者との思想的相互浸透に よって発展するものなのである。 解放の神学が発展したのは1970年代であった。この時代はラテンアメリカでは 軍政の時代であり、その開発優先の政策のため「大過の貧困」と歴史上例をみな い人権や自由の弾圧が荒れ狂った。ここから解放の神学の重要な特徴のひとつで ある資本主義体制の否定が理論化され、ごく少数の例として社会主義への受容へ と向っている。 解放の神学において社会主義の受容と言う場合、その意味をはっきりさせる必 要がある。まず第1にそれはキリスト教基礎共同体における活動を通じて目覚め た信徒が70年代の緊迫した政治情勢の中で既成の政治運動と共闘したり、又は合 流したりすることを指す。 第2に、より重要な問題であるが解放の神学者や、あるいはキリスト教徒のい う社会主義の概念は一般のそれとは異なるということである。それは現代におけ る社会主義概念の多様化を反映した、きわめて広義の社会主義を意味する。とく -54- に解放の神学者においては社会主義の基礎となるのは「貧者」の解放であって、 資本家対プロレタリアートという概念ではとらえられていない。言い換えれば、 貧者とは単に貧しいというだけが共通であり、さまざまな職樋についた、さまざ まな考え方をもった人々がおり、その要求にはきわめて多槻なものが含まれてい る。そのため「貧者を解放する」社会主義社会とは従来の「資本主鍵か社会主義 か」という概念ではとらえられないものであり、解放の''11学の社会主鍵への接近 というMH麺を論じる際にはまったく新しい発想をもって行うのでなければならな いことになる。 最後に解放の神学は貧者という、これまでの社会からの疎外者を歴史の舞台に 主役として登場させたものであり、それはまったく時代の産物であるといえる。 その彫襟によって他の大陸では黒人の神学、ヒスパニックの神学、フェミニズム 【アゲユン の神学、民衆の111学などが成立しているのもそれを示ブーものである。解放の神学 の功繍はこうした「声なき大衆」を覚醒させ、社会の主役として歴史の舞台に登 場させたことである。これは史上初めてのことであり、今後のラテンアメリカ社 会の方向を考える上でも見逃せない要素である。 -55-
© Copyright 2024 Paperzz