「厳しい監督」 マタイによる福音書10章30-31節

2016 年 10 月 6 日(関)
日本基督教団華陽教会牧師
聖書:マタイによる福音書 10:30~31
題 :厳しい監督
上田正昭
本日は私達キリスト者の暮らしぶりについてお話をします
さて、いきなりですが、各大学には運動部がありますね。例えば、野球部があって、そこ
には監督と選手たちがいます。その監督には大体二タイプあるのではないでしょうか。一方
はまことに厳しい監督です。徹底的に厳しく選手たちを管理して訓練する監督です。このよ
うな監督の下では選手たちはあれこれ不平を述べることでしょう。しかし、「これだから優
勝できるんだ」といった一種の安心感と満足感が心の底にあるのではないでしょうか。あの
リオデジャネイロのオリンピックで銅メダルを取ったシンクロナイズドスイミング・チーム
の選手たちが、井村コーチのことを「地獄のしごきだと思っていたけれども、信じてやって
きてよかった。」と泣いて喜んでいましたね。そのような監督と選手たちの関係があります。
他方、自由放任、寮には門限なし、各人好きなようにやれ、といった監督もいることでし
ょう。選手たちは一見のびのびと楽しそうですが、常に「こんなことで大丈夫だろうか」と
いった不安と不満を心の底に持っているかもしれません。
そうしますと、厳しい監督の下でも、自由放任を許してくれる監督の下でも選手たちは不
平不満を抱きやすい。どちらに置かれても、本当の安心と満足は得られにくい。まことに選
手たちを導くのは難しいです。ですから、監督やコーチたちは、あれこれどの策が良いかと
考えながら、大変なご苦労をなさっているのですね。
それでは、私達キリスト者はどうでしょう。本日の聖書にありますように、「私達は髪の
毛一本一本まで数えられている」のですから、神様という大変厳しい監督の下にいることに
なります。そして、信仰生活というものは、そうでない人たちがしていないことをいていく
という、ある種の訓練生活のようなことをしています。けっして、自由放任でもなく、のび
のびでないところがあります。ですからこそ、と私は言いたいのですが、私達の心の底は安
定しているのです。神様はこのような私にでも、必ず勝利を与えてくださると信じているの
です。もちろんその勝利は、神様の価値基準で考えた、私にふさわしい勝利ですが。
キリスト者は他人からガミガミ言われて拘束の多い暮らしをしているのではない、わざわ
ざ自分で好き好んでそのような暮らしをしています。そうでない人たちから見れば、まこと
に不思議な生活ぶりでしょう。日曜日に他にやりたいこともあるでしょうに、好んで教会の
礼拝にせっせっと足を運んでいます。しかも、その教会でいろいろな奉仕をしていますが、
ほとんど無報酬です。自分の大切な時間と労力を報酬なしで提供しているばかりではなく、
逆に献金をしています。まことに不思議なことをしているように見えるでしょう。
さて、話が少し横にそれますが、日本のことをまったく知らないような外国の人が日本に
来て、日本人の暮らしぶりを見ますと、クリスチャンとしか思えないのだそうです。日曜日
が来るたびに仕事を休みます。カレンダーにまず日曜日が一番先に来て、月、火と続きます。
これは、週の初めの日にイエス様が復活をなさったということで、まず日曜日に仕事を休ん
で礼拝をささげて、来たるべき一週間を頑張るというキリスト者の生活パターンと変わりま
せん。それだけではなく、結婚式はチャペルで行い、クリスマスは国中で盛大にお祝いしま
す。
それはとにかく、キリスト者は大変厳しい監督の下で暮らしているようなものと申し上げ
ましたが、何も歯を食いしばって、石にかじりついてでも神様を信じていくというような姿
勢で暮らしているわけではありません。むしろ淡々と日曜日が来れば礼拝に出席し、水曜日
になれば、夕方教会に行って祈祷会に出席する。クリスマスやイースターやペンテコステが
来れば、皆と一緒になってお祝いをする。そのようなことを繰り返して、さまざまな経験を
重ねて、このような私でも神様は確かに大切に思っていてくださる、それが実感できる時が
与えられます。それが嬉しいので、信仰生活を続けているのです。神様は、何事がこの私に
起ころうとも、支え、導いてくださる。それが信じられますから、私達は何事も恐れないで
前に向かって歩んでいるのです。
できることなら何事も起こらないで、泰平無事に過ごしたい。そう願っていましても、向
こう側からやって来るとしか思われないさまざまな事が、この私に起こります。これも神様
のお考えかと信じて、私はそれらを受け入れ、経験を重ねていきます。まことに辛い時もあ
ります。ですが、神様の支えを信じて忍耐強く歩んでいますと、不思議と乗り越えられてい
るのです。乗り越えられた時、自分の固い殻に閉じこもっていましたならけっして味わえな
い喜びが与えられます。私の魂は豊かに広がっています。そして、与えられる事に励むこと
で、自ずと周囲の人たちに、社会のためにと言ってもいいでしょう、他のために何かしらの
奉仕が出来ているのです。
私達の神様は厳しい監督かもしれませんが、この方に従っていますと、人生において恐れ
ることは何もないと経験を重ねて徐々に分からせてくださるので、喜んで従っているのです。
もちろん拘束される部分はありますが、キリスト者は案外のんきにのびのびと日々の暮しを
楽しんでいるのです。この世に怖いことはたくさんあります。ですが、必ず乗り越えられる。
それが私達の信仰です。
最後に一言。まだ教会に来たことがない人は、ぜひお越しください。教会の人達は食べる
ことを大切にします。おいしいお菓子やお茶がたいてい用意されています。食事のときは、
質素ではありますけれども、本格的なスローフードが出されることでしょう。食を大切にし
て肉を養い、神様からこの私に与えられたやるべきことを果たしていくのです。日曜日ごと
にちゃんと休んでいる人が教会にも来る。もうそれでクリスチャンですね。
掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー