天野には、悲しい娘さんの、話が3つあります。1つ目は、お照の墓の話しです。2つ目は、西行堂の話です。3つ目は横笛の恋塚の話しです。 私達は、3つ目の横笛の恋塚の話を、調べました。これは、平重盛の家来であった斉藤時頼【のちの滝口入道】と横笛との悲恋物語です。 斉藤時頼は、平 清盛の演会へ行きました。そこで、おどっていたきれいな女性にひとめぼれした斉藤時頼はその女の人に何通も手紙を書いておくりました。その女 の人が、横笛でした。横笛はほかの男の人からもたくさんの手紙をもらっていましたが、斉藤時頼の手紙で心をうたれ、気に入りました。 ですが、斉藤時頼の父は、出世のために、結婚を反対しました。 斉藤時頼は横笛と恋愛してはいけないことに悲しみ、横笛を忘れるため、高野山にしゅぎょうをしに行きました。昔の時代は、高野山に、女の人が、入ってはいけな い事になっていたからです。 横笛はそれを知り、高野山に入るため、尼さんになることを決めました。そのために、天野で住むことになりました。 横笛は何度も斉藤時頼の所へ行きましたが、斉藤時頼は、横笛に合うとおぼうさんになる気がうすれるかもしれないと、横笛に合いませんでした。 横笛は、天野の家でずっと斉藤時頼を待っていましたが、合わずに、死んでしまいました。 天野の人達は、横笛の死に深く悲しみ、横笛の墓の石を集めました。 それは、斉藤時頼の耳にもとどきました。 それから何日かたったころに、高野山の梅の木の枝に、うぐいすがとまりました。横笛は、うぐいすになったのです。横笛は、うぐいすになって、斉藤時頼に合いに 来ました。 ホーホケキョ と鳴いたしゅんかん、梅の木の下の井戸に落ちました。 こうして、斉藤時頼に会えないまま、2度目の一生を終えました・・・。 斉藤→撲がおぼうさんに 斉藤時頼は、その井戸の前で、立ち止まりました。 なったらうらむ? 斉藤時頼は、横笛をすくい、うぐいすの墓をたて、仏像のお腹に骨をいれました。 横笛→いいえ、うらまない わよ。 所がどっこい、生きているうちに、斉藤時頼と横笛は、和歌でやりとりをしていたのです。 その和歌です。 斉藤時頼 ⇒そるまでは うらみしかども あずさゆみ まことのみちに はいるぞうれしき 横笛 なにかうらみん あずさゆみ ひきとどむべき こころあらねば ⇒そるとても うらまん 横笛の墓↓ 大円院【だいえんいん】のおぼうさんが、天野の横笛の墓に、おとずれました。 大円院のおぼうさんは、天野の人達が集めた石のお墓をはしによせて、自分達でりっぱなお墓をたてたのです。 天野の人達は、それを見て、怒りました。ですが、その時もう完成していたので、今もまだ二つ、あります。 決して、大きいほうが、横笛の墓だと思わないでください!! (´_ゝ`;)(-_-;) 似せ物↓
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