シテール島で共鳴する絵画と音楽の鐘

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
第41回 シテール島で共鳴する絵画と音楽の鐘
フランソワ・クープラン:
クラヴサン曲集第3巻
第14オルドルより
「シテール島の鐘」
フレデリク・アース
(クラヴサン、1751年製エムシュのオリジナル)
▲アントワーヌ・ヴァトー:シテール島の巡礼(1717年) パリ・ルーヴル美術館
■CD:ALPHA 173(2枚組) \4,515(税込) 〈ALPHA〉
おらず、
この絵がシテール島へ向かう船に乗り込
華美で享楽的でその点が軽薄とも捉えられて
むところなのか、それともシテール島から戻ると
しまう。
「ロココ絵画」の持つ一般的な印象を言葉
ころなのか、
どちらを描いたのかは現在でも論争
にするとこんな感じではないでしょうか。確かに
が絶えません。
しかし、人物群のリズムある配置、
ロココ絵画には、華やかでありながら、上流階級
華やかな色彩と繊細な筆致、細やかに描き分け
の恋愛遊びを主題としたような内容の絵画が多
られた人物の表情と身振り手振りなど、同時代以
く、なかなか我々現代の日本人には理解しがた
降称賛され続けるのも頷けるすばらしさを持っ
く、享楽的で軽薄に映りやすいというのも頷けま
ています。
ロココの享楽性的な側面以上に、深い
す。ですが、
このロココ絵画は、実は当時の社会
詩情さえも伝わってくる名品なのです。
の世相をかなり反映しており、男女の関係性の
この絵はその後の音楽家たちにも影響を与え
変化、恋愛観の変化などが巧みに表現されてい
ました。
ドビュッシーやプーランクはこの絵からイ
るのです。ロココはうわべだけ、派手で中身のな
ンスピレーションを受け、
ピアノ曲を作っていま
いものだと見ていると、大事なものを見逃してい
す。そして、同時代のフランソワ・クープランのク
た ― なんてことも起こり得る深みを持っている
ラヴサン作品にも、
「シテール島」の名前を持つ
ことさえあるのです。
作品が存在します。それがクラヴサン曲集第3
さて、そのロココ絵画の代表的な画家がアント
巻に収録された第14オルドル(組曲)の中の1曲
ワーヌ・ヴァトーです。30代半ばという若さで亡く
です。
これもシテール島に響き
なったヴァトーですが、存命中は絶大な人気を 「シテール島の鐘」
渡る鐘の音をイメージして作曲されたのでしょ
誇った画家でした。王立美術アカデミーにもその
う。確かに雅な鐘の音らしい旋律とリズムが出て
実力を早くから認められ、入会のための作品を
来ます。
提出するよう求められ、
ヴァトー自身もそれに取
さて、改めて今回、
この曲を取り上げるために
り掛かるのですが、人気画家だった彼には個人
調べていると、面白いことに気が付きました。そ
の注文が数多く舞い込み、それを優先していた
のことに触れるためにもまずはクープランの曲集
ため、5年もの歳月をかけ、1717年にやっと完
について見ておきましょう。
クープランのクラヴサ
成、晴れてアカデミー入会が認められ、正会員と
ン曲集は、主に4巻の曲集からなっており、それ
なったというエピソードがあります。
と呼ばれる組曲の集まりとなって
その作品が今回掲載した
「シテール島の巡礼」 ぞれ「オルドル」
います。
クープランの作品は曲ごとに意味ありげ
です。
この絵画は「雅なる宴」
というタイトルで呼
なタイトルが付けられていることが多く、印象的
ばれるようになり、やがて「雅宴画」
という新しい
なタイトルが付いたものなど単独で有名となり、
ジャンルが生まれることになります。
この作品は
オルドル単位ではなく、曲ごとに録音されること
アカデミーに提出されて以来、宮廷に展示されて
もあります。確かにそれらが小曲1曲でも成り立
いたそうで、そのすばらしさは評判となり、やがて
つ構成を持っているのも事実です。
ですから現在
ヴァトーに同主題の絵画の注文が舞い込みま
ではオルドルとしてのまとまりがそれほど重視さ
す。同じ主題を二枚と描かないというヴァトーで
れていません。
ですが、
もしクープランがオルドル
したが、これに関しては引き受けたようで、この
ごとに明確に性格分けをし、その曲順にも意味
ルーヴル美術館と同じような構図の作品が現在
を持たせた一貫性のある構成をしていたとする
ベルリン・シャルロッテンブルクのフリードリヒ2
ならば、
どうでしょう。すべてのオルドルではなく
世コレクションに所蔵されています。
とも、例えば「シテール島の鐘」が含まれている第
さて、作品に戻りましょう。
シテール島とは古代
14オルドルにはそうした感があるのです。
より、愛の神アフロディーテ(ヴィーナス)が生ま
試しに第14オルドルの構成タイトルを順に挙
れた島とされ、愛と強く結び付き、愛の聖地とな
げてみます。冒頭は有名な「恋する夜啼鶯」、以
りました。
モデルとなる島はあるようですが、一般
下、
「引っ込み思案のリネット」
「小鳥たちは不平
的には伝説の島、一種の楽園のように捉えられて
ばかり」
「勝ち誇る夜啼鶯」
「七月」
「シテール島の
いたようです。
シテール島に巡礼に行くことによ
鐘」
「なんでもないこと」
となります。鳥でまとめら
り、愛は成就するという伝説があったのです。実
れているといえばそれまでですが、果たして本当
はこのヴァトーの作品はタイトルがはっきりして
にただ鳥をイメージしただけでしょうか。
この鳥
は、恋し、不平を言い、勝ち誇るのです。字義通り
鳥と捉えるよりも人間、
もっと言えば恋人たちの
比喩であると考えられるのではないでしょうか。
恋をし、それゆえ引っ込み思案になり、不平を言
い、様々な寄り道をしながら、愛の勝利を誇り、愛
を歌う恋人たちは、やがてシテール島へ巡礼し、
島の鐘は鳴り渡り、恋人たちの恋は成就します。
なにやらヴァトーの「シテール島の巡礼」の構成
そのものに思えてくるではありませんか。
また、恋
愛の成就でまさに大団円を迎えたように思えま
すが、結局、そんなことは「なんでもないこと」だ
という冷めた提示をして、曲=物語が閉じられま
す。
ヴァトーの「シテール島の巡礼」にも、詩情の中
にどこか客観性ともいえる冷めた目が注がれて
いる気がします。
クープランはそんなところまで
読み取って曲にしたのかもしれません。実際、
ヴァトーの「シテール島の巡礼」は前述のように
1717年に完成し、その後宮廷内に展示されてい
ます。
クープランが目にする可能性は高かったの
です。いや評判を呼んだ絵画をクープランが見
逃すはずはないでしょう。
さらに深読みするとク
ラヴサン曲集第3巻は1722年に出版されてい
ます。その前年1721年にヴァトーはこの世を
去っています。
これは単なる偶然でしょうか。
もし
かすると同時代の偉大なる画家ヴァトーに対す
るクープランのオマージュだったのかもしれませ
ん。
さて、録音はこのオルドルがまとめて聴ければ
どれでも良いと思います。
クープランのクラヴサ
ン曲を録音する演奏家たちは、概して並々ならぬ
決意を持って臨んでいるようですから。ですが、
最近発売されたフレデリク・アースによる録音
は、演奏も解説もこのような私の解釈にインスピ
レーションを与えてくれました。
これを推薦盤とし
ておきましょう。 今回の解釈は、完全に私の思いつきに過ぎま
せんが、
クープランのクラヴサン曲の意味ありげ
なタイトルはきまぐれに付けられたと考えるより
も何かしらの意味があったのではないかと考え
ると楽しいものです。特に同時代の絵画と一緒に
楽しめば、何かの発見があるかもしれません。