マナ 2008/11/24-30

2015/10/26-11/1
デボーションガイド
「ユースマナ」
詩篇 27:4
私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。私のいの
ちの日の限り、主の家に住むこと
を。主の麗しさを仰ぎ見、その宮
で、思いにふける、そのために。
2015/10/29(木)
2015/10/26(月)
2015/10/27(火)
2015/10/28(水)
ルカ 22:54-71
ルカ 23:1-12
ルカ 23:13-25
ユダの裏切りによってイエスが捕らえられた後、弟子
たちは全員イエスを見捨てて逃げてしまった。しかし
ペテロは遠く離れてついて行き、大祭司の中庭で役人
たちと一緒に座った。
そこでペテロは、イエスの仲間かと疑われ、「私はあ
の人を知りません。」と言ってしまう。三度否定した
時、イエスの言ったとおりに鶏が鳴き、イエスはペテ
ロを見つめられた。
この時のイエスのまなざしはどんなだっただろうか。
怒りや憎しみではなく、別のものをペテロは感じただ
ろう。
人は大事な場面で過ちを犯すことがある。
しかし私た
ちの前には悔い改める道が与えられている。ユダは後
悔して終わったが、ペテロは悔い改め赦しを受けた。
こうしてイエスの裁判は進む。神の子である方が、
私たちの罪を負うために、苦しみを通られたのであ
る。
・今の自分を神様はどのように見つめられているだろ
うか。
・イエスが自分のためにしてくださったことに思いを
向けて祈ろう。
罪のない者だけが罪人の身代わりとな
って人を救うことが出来ます!「なん
の罪も見つからない」とピラトに言わ
れたイエス様だけが私達の救い主で
す。ピラトは裁判の責任をごまかすた
めにヘロデにイエス様を送り、ヘロデ
は奇跡を見たい興味でイエス様に近づ
きました。
あなたは、どんな風にイエス様を見ま
すか?自分の都合を興味を満たしてく
れる方?自分の罪からの救い主?
お祈りしよう!!あなたこそ、私の救
い主です!
ピラトは、ローマから派遣された地方総督で、
在任中の治安の維持を最優先し、優柔不断さと
自分の損得への計算高さとが同居していたよ
うな人であった。
ピラトは、イエスには罪がないと理解してい
た。しかし、祭司長や民衆の騒ぎが治安の混乱
につながることを恐れた。そのため、イエスを
無罪と宣言することができなかった。祭りの時
に罪人を一人釈放するという制度を用いても、
イエスの釈放は実現できず、ピラトはイエスに
死刑判決を下すこととなった。
主イエスの死刑判決には、祭司長、総督、民衆
など人間の罪が絡み合っている。そしてイエス
は、罪人の代わりとなって死に向かわれるので
ある。
私たちは、何を最優先しているだろう。
私たちの代わりとなって十字架に向かわれた
イエスの救いを感謝しよう!
神様の心を求めよう!
2015/10/30(金)
2015/10/31(土)
2015/11/1(日)
ルカ 23:26-43
ルカ 23:44-56
ルカ 24:1-12
ルカ 24:13-35
■福音書が伝える十字架は、残酷さを過
度に書いて感情に訴えるよりも、ただ事
実と意味を伝えようとしています。ま
た、その十字架の周りにいる人たちの姿
を描いています。私たちはどのような立
場でこの十字架を見つめるでしょうか。
■ここに出てくる人の立場は、クレネ人
シモン、大勢の民衆、嘆き悲しむ女性た
ち、二人の犯罪人、十字架刑を執行した
人々、指導者たち、兵士たちです。それ
ぞれがイエスと関わりがありました。
■私たちは自身とこれらの人物とを重
ね合わせて聖書を読みます。同時に、私
たちはこの十字架の約 2000 年後に生
きている者です。私たちは十字架にかか
ったイエス様とどのような関わりがあ
るでしょうか。イエスとの関わりを見直
し、一歩踏み出しましょう。
ここにはイエス様が十字架につけられた後、この
地でのいのちを終えられる場面が書かれていま
す。
注目すべき は、神 殿の幕は 真っ二つに 裂けた
(45v)、です。神殿の幕は、神殿の至聖所と聖所と
の間にあるものでした。至聖所とは、年に 1 回大
祭司だけが入ることが許される、神の臨在を象徴
する聖い場所でした。つまり神殿の幕は、罪人で
ある人間が聖い神の前に出ることが出来ないこと
と、神と人との断絶、を象徴するものでした。分
厚く、勝手に破れることなど考えられないその幕
が、不思議なことに突然に真っ二つに裂けたので
す。それは 1 つのことを象徴しています。イエス
様の十字架上での贖いが完成し、人と神が近づく
道が開かれた、ということです!
イエス様は、神と人との断絶を終了され、異邦人
である私たちにも届こうとされました!私たちは
神に近づく者とされたのです!今日、また一歩神
様と近づくことが出来ることを願い、祈り、賛美
を捧げ、神様と一対一の時間をゆっくり持ってみ
よう!
イエス様は死から完全に復活された方
です。
女性たちが墓に向かってみると、入り口
をふさいでいる石がわきに転がしてあ
ってイエス様の身体がなかった。女性た
ちは途方にくれた。まさかイエス様がよ
みがえったなんて考えもしなかったか
ら。
女性たちだけではなく、いつもイエス様
と一緒にいた弟子たちもイエス様の復
活を信じられなかった。だからこそ、本
当に復活したイエス様と出会った彼ら
は、その事実を確信をもって語らずには
いられなかったんだ。
イエス様は確かに死からよみがえった
方、今も生きておられる主です。
そのただ 1 人の主を今日もほめたたえ
て歩もう!
二人の弟子が復活の日曜日の午後、エ
マオに向かっていた時、そこにイエス
様が現れてくださいました。二人はイ
エス様と気づかないまま、道々、エル
サレムでの出来事について語りまし
た。イエス様であることがわからなか
った原因として色々なことが思いつく
けれど、何より「ふたりの目はさえぎ
られて」いたという、当人たちの心の
問題があげられます。この二人はやが
て宿に着き、イエス様がパンを裂いた
時に、二人の目は開かれた。ここから、
礼拝において、聖書が読まれ、語られ、
聖餐式が行われる時に、イエス様にお
会いすることができます。
今もよみがえりの主にお会いできるこ
とを感謝します!!