倒産会社の建て直し 国際戦略の予想外の展開 山本淳二 1 ブリヂストンの海外進出 1964年ーシンガポール工場操業開始。 1968年ータイ工場操業開始。 1969年ー台湾合弁技術契約。 1975年ーインドネシア工場操業開始。 1976年ーイラン工場操業開始。 1981年ー豪州工場操業開始。 1982年ー台湾新竹工場操業開始。 2 ブリヂストンの北米進出の歴史 1970年代初頭より西海岸を中心に販売活動、 販売会社設立。 1970年代後半より東海岸へ進出、 支店設立。 1982年Firestone La Vergne工場買収、トラッ ク用タイヤの生産開始。 1988年Firestone本体買収。 3 Firestone タイヤ 工場買収 1981年2月:M & A コンサルタントを通じてテネ シー州La Vergne工場買収の打診。 1981年5月∼8月ブリヂストン調査団派遣。 1981年9月Firestone-Nevin社長と家入社長 の会談。 1981年10月買収に合意。 1981年12月役員・主要技術陣駐在。 1982年ブリヂストンUSA製造会社発足。 4 Bridgestone USA製造会社概要-1 人事・組織: トップ役員・部門責任者は全員日本人。 工場長・各部門部長/課長は全てアメリカ人。(ほ ぼ全員もとファイアストン) アメリカ人部長/課長全員に日本人アドバイサー。 ピーク時:駐在員57人 応援者87人 計144人 5 Bridgestone USA製造会社概要 -2 工場の規模: 生産量: 1982年;日産800本(トラックタイヤのみ)。 1992年; トラック-日産5,000本 乗用車-日産10,000本 人員: 1982年;工場現業800人 1992年;工場現業1,800人 6 Firestone との接触 La Vergne 工場でFSタイヤ生産供給。 FS-BSで販売ー生産定期会議。 Mr.Nevin と家入社長の定期ミーティング。 1985年以降関係強化の動き。 1986年頃よりFS−オーツの関係冷え込み。 7 世界のタイヤ産業 BS-Mi-GYの3大メーカーで世界の75%のシェ アー。 年間成長率2∼3%。 タイヤ品質要求ー2極分化; High Performanceーー高級車両の増加。 Mileage Tireーー走行距離のみの要求。 技術の陳腐化ー生産技術・材料応用技術。 Miが1歩先行、BS追従、GY2歩遅れ。 8 Billions タイヤ3大メーカーの競争 $13 $12 GY $11 $10 BS Mi GY $9 Mi $8 $7 $6 BS $5 $4 '87 '88 '89 '90 9 Firestone 買収−1− ´87年10月;極秘裏にNevinー家入会談。 同12月;FSの生産部門買収、販売提携の基本合 意。 ´88年1月;BS内に極秘Firestone Project 発 足。 同 2月;イタリア・ピレリー社によるFSーTOB: $46/Share 10 Firestone買収−2− ´88年3月;BSによるカウンターTOB: $86/Share。 同 4月25日;FS臨時株主総会に於いてBS提 案承諾可決(全会一致)。 同 4月26日;BS技術陣7人による技術セン ター、工場の視察始まる。 同 5月4日;BS-FS買収調印。 11 Bridgestone-Firestone Inc.の発足 1988年5月The Firestone Tire &Rubber CompanyをBSが引継ぐ形で業務開始。 John Nevin氏は退任、後任にGeorge Aucott 氏を昇格させ、日本人2名を執行副社長に任命。 各部門長に日本人のアシスタントを付け、すべて の決定は“Joint Sign”とする。 12 Firestoneのグローバル体制−1− タイヤ生産工場: 北米:USAー4工場、Canadaー1工場。 中・南米:メキシコー2工場、ブラジル、べネズエラ、アルゼ ンチンー各1工場。 ヨーロッパ:スペインー3工場、フランス、イタリア、ポルトガ ルー各1工場。 アフリカ:南アー3工場、ケニアー1工場。 其の他:ニュージーランド、フィリピンー各1工場 タイヤ工場計21 13 Firestoneのグローバル体制−2− 非タイヤ部門生産施設: タイヤ材料; 合成ゴム工場:USAー3工場。 合成繊維工場:USAー2工場、カナダ、スペイン、アルゼン チン、ブラジルー各1工場。 天然ゴム園:リベリアー1。 計10工場 自動車関連ゴム製品; エアースプリング工場:USA、ブラジルー各1工場。 其の他:USA, スペイン、フィリピン、ケニヤ、ニュージーラ ンドー各1工場 計7工場 其の他;屋根材工場:USA-1工場 非タイヤ工場合計18工場 14 Firestone グローバル体制−3− 技術センター・研究開発施設; タイヤ技術センター: USA-アクロン ヨーロッパ−ローマ 研究開発(材料研究、基礎技術開発): USA-アクロン タイヤテストコース: テキサス オハイオ ローマ 15 Firestoneの北米販売実績 (1989) 新車用:11百万本(35%)、3億ドル(20%); Ford-40% 日系(日産、マツダ)‐40% GM系-10% 其の他-10% 取替用:20百万本(65%),12億ドル(80%); 直営タイヤショップ:1,500店。 系列ディラータイヤショップ:1000店。 16 GMの離反 Firestone買収直後、GMが納入停止の通告。 年間3∼5百万本の減産、1億ドル以上の売り上 げ減少。 カナダ工場1工場分の余剰生産能力。 工場閉鎖・大量人員整理・拡販努力の必要性。 GMの離反が積年の組織肥大化から来る高い固 定費を一気に直撃、瞬く間に赤字転落。 17 新生Firestone の大リストラ−1− 数10年来の肥大組織。 GMショック。 一日2億円の大赤字−−1989,90。 米国景気の低迷。 自動車Big3の沈下。 Firestone タイヤの品質イメージ。 前経営陣による不均衡な大なたの後遺症。 ーーー等により、大リストラが必要!! 18 新生Firestoneの大リストラ−2− 人員整理; 本社部門(経理・総務・技術・研究開発)の人員削 減:2,800人から1,600人。 直営タイヤショップの統廃合:5,000人から4,0 00人。 関連事業部門の統廃合:3,500から3,000人。 其の他の人員整理、300人 計3,000人の人員削減 19 新生Firestoneの大リストラ−3− 不要不急施設・設備の売却; 旧工場、倉庫の跡地、遊休建物の売却。 社有ジェット2機と専用ハンガーの売却。 高級ゴルフ会員券、其の他のメンバーシップの売 却。 シカゴ本社移転、ビルのサブリース。 アクロン本社ビルの50%閉鎖。 其の他。 20 新生Firestoneの大リストラ−4− 工場関連リストラ; 工場閉鎖はしなかった。 人員削減は販売計画・生産計画を基礎に慎重且 つ臨機応変行った。 米国の制度を有効活用、一時帰休制度(部分レイ オフ)を最大限活用。 工場生産の効率極大化を図る為、生産能力管理 を引き締め、余剰生産設備の“封印”を行い、人員 の極小化を図った。 労働組合に対し、労働条件の改定を求めた。 21 新生Firestone の大リストラ−5− 本社移転−−−1991年 タイヤの中心アクロン=GYの牙城。 テネシー州はLa Verne工場以来のプロブリヂストン。 移転=人員削減。 新規巻き直し。 本社移転の効果: エンジニアリング部門175人の内、ナッシュビル転勤に同 意した者、47人―――75%削減。 ただし、残って欲しい人はそのうち約20人。 22 新生Bridgestone/FirestoneーBFS −1− ナッシュビルはBridgestone USAの本社。 ナッシュビルは町を挙げての歓迎。 アクロンは大量の職を失い、政治問題。 本社機能約1,200人を500人まで減量し、社名 もBridgestone/Firestone Inc.(BFS)と 改め、再スタート。 旧BSの生産工場、La Vergne工場、Warren工 場、もBFSの参加に入り、名実共に北米の事業 が一本化。 23 新生Bridgestone/Firestone−2− 大リストラと本社移転費用合計3億ドルに昇り、翌 1992年は未だ1億5千万ドル近い赤字を計上。 ´92年の10月頃から単月黒字の月が出始め、 何とかトンネルの出口が見え始める。 1993年リストラ費用を除くと収支トントンまで回 復。 24 新生Bridgestone/Firestone−3− BFS業績回復 1992年の米国政権交代は米国経済、一般市況 の活況を呼び、自動車の生産台数、トラックの走 行距離共に大幅な伸びを見せた。 リストラの終わったBFSは他の2大メーカーに先駆 けてこの昇り景気に乗る事が出来た。 25 3大タイヤメーカーの売上推移 Billions BS Mi GY $20 $18 BS $16 MI $14 $12 $10 GY $8 $6 $4 '87 '88 '89 '90 '91 '92 '93 '94 '95 '96 '97 26 新生Bridgestone/Firestone−5− BFSとして積み残していた“組合問題”に手を打つべ く、1994年の労働協約改訂に厳しい会社側案を提 出。 12時間交代制(4−3制)の導入。 時間管理(始業・終業。休憩時間等)の管理強化条項の採 用。 苦情処理(差別待遇・労働協約遵守等)の簡素化条項。 多能工化への試行。 医療費・Fringe Benefitの会社負担軽減。 時給のインフレスライドから生産性スライド制へ。 27 新生Bridgestone/Firestone−6− この会社側提案はアメリカ産業界では全く新しい物ではないが組 合は最後の砦として受入れる事の出来ない提案。 組合と真っ向からぶつかる形で、1994年7月、対象3タイヤ工場、 其の他3箇所でストに突入。 ストライキ中の操業維持の為の臨時工、社内非組合員で約50% の操業確保。 翌1995年5月まで約270日の長期ストライキは、長期戦に経済 的に耐えられなくなったスト破りの組合員が増える事で終結。 会社側の提案はほぼ全面採用される事と為った。 28 新生Bridgestone/Firestone−4− この景気回復の中で、FordはSUVを始めとする 新車の販売で´93~´98年は売上げではGMに 負けていたものの、利益では米国1位の座に座り 続ける。 この中でFordのSUV-Explorerはヒット商品で、 Fordの儲け頭。 BFSの売上げもExplorerだけで年間約150億 円。 BFSは順調に世界の#1を走り続ける。 29 Bridgestone/Firestoneの最盛期 その最盛期に陰りを見せたのは1996年の ヒューストンに於けるFord Explorerの横転 事故でした。 その後、Fordとの決定的な反目の元にもなっ たこのリコール事件を当時は誰一人BFSの命 取りになるとは思っていなかった。 30
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