組合の組織原理と労働運動再生への戦略的視点

組合の組織原理と労働運動再生への戦略的視点
兵頭淳史
1 企業別労働組合と産業別労働組合
よく知られているように、日本の労働組合は、その多くが組織原理のうえでは「企業別
労働組合」であることを特徴としています。企業別労働組合とは、個別企業の従業員のみ
を構成員とする企業レベルの労働組合組織が、とくに意志決定や財政運営の面で、産業レ
ベルの組織にたいする高度な自律性をもち、また大企業においては職場レベルの組織にた
いする強い統制権をもっていることを基本的な性格とする労働組合です。
企業別労組は企業間競争の論理に巻き込まれやすく、労使協調的ないしは労使一体的な
体質に陥(おちい)る傾向があるとされ、そうした点が欧米的な産業別労組に比較した場合の
日本の労働組合の決定的な問題点・弱点だと言われます。したがって、日本の労働組合を、
資本の論理から自立し労働条件の維持・改善という機能を正しく発揮するものに変革する
という戦略目標を立てる限りにおいては、こうした、企業別労働組合が主流を占めるとい
う現状を打破して産業別労働組合を組織してゆくことが重要な課題であるということにな
ります。
ただ、「企業別」
「産業別」という概念を手がかりに労働組合のあり方を考えようとする
さいには、若干の注意が必要です。たとえば「欧米の労働組合は産業別労働組合である」
と表現されるとき、しばしば「欧米の労働組合は、産業レベルで中央集権化された組織が
経営者団体と交渉をおこない、産業別労働協約を締結する」というイメージが含意されま
す。一部の西欧諸国についてみれば、そうしたイメージはおおむね妥当(だとう)すると言え
ますが、北米について言えば、産業別労働組合の行動パターンや組織のあり方は、こうし
たものとは大きく異なります。
アメリカやカナダでは、自動車労組のような歴史ある製造業の大組織でも、団体交渉は
産別組合本部と各企業の間でおこなわれます。当然、労働協約は企業あるいは事業所ごと
に締結され、産業別協約や横断賃率といったものは存在しません。それどころか、団体交
渉自体を「ローカル」と呼ばれる企業・事業所単位の組織が主体となっておこなう労組も
少なくありません。この場合、当然ながら組織の意志決定もローカルの自立性が強いもの
となり、日本の企業別労組のイメージに近いものとなります。かといって、行動原理や組
織体質が日本の企業内労組のように労使一体的というわけではありません。
また、西欧の労働組合には職場・企業単位の組織は存在しない、というようなことが言
われる場合もありますが、これはまったくの誤解であり、西欧の産業別労組にも職場や企
業レベルでの交渉をおこなうユニットは立派に存在します。
かつての日本にはいかに多くの戦闘的な企業別労組が存在したかという歴史的事実と併
せて考えてみても、
「産業別」
「企業別」といった組織形態のちがいが組織体質や行動原理
を決定する、と性急に結論づけることには慎重であるべきでしょう。
基盤としての職場
とはいえ、日本における労働組合の現状や展望を論じようするとき、やはり組織原理の
重要性を否定することはできません。資本蓄積や企業間競争の論理からの自立や対抗、ま
た労働市場のより効果的な規制という観点から、より望ましい組織原理としての産業別組
合の建設と、それを主体とする産業別の労使関係形成や産業別労働協約の締結をめざすべ
きである、という考え方は、労働運動再生への指針として適切なものであることに疑問の
余地は少ないでしょう。しかし同時に、労働組合の強化や運動の再構築という課題へ向け
て行動するにあたっては、私たちは自らをとりまく現実から出発するほかはないことも確
かなことです。そしてここで、私たちが起点としていま一度直視しなければならないのは
次のような現実です。
労働組合運動の再建とは、労働者の間に「仲間と団結して使用者と対峙(たいじ)し交渉す
れば、法的な最低基準を超えて自分たちの要求を実現することもできる」という信憑(しん
ぴょう)を再生させることに他なりません。そして、そのような信憑を共有しうるような労
働者集団の存在する基盤は、基本的には、労働者が日ごろから顔を合わせてコミュニケー
ションをとりつつ働く場であり、同時に、現実の交渉相手である使用者やその代理人たる
管理職と向き合う場=職場をおいて他にありません。
一部の研究者などには、そうした基盤として「職能」や「職種」に期待する見解もある
ようです。しかし、今日の日本の産業社会において、「職能」や「職種」が、労働者の連帯
の土台となる共通のアイデンティティを提供し、恒常的に経営者と対峙し交渉する単位を
形成する条件は、労働供給を労働者集団自身がコントロールしうる可能性のあるようなご
く限られた特殊な専門的職種を除けば、残念ながら存在しません。
したがって、最終的にめざすべき労働組合組織のあり方が、個人個人が産業レベルの組
織に加盟する産業別単一労組であるとしても、労働組合運動の再生・強化へ向けてのプロ
セスにおいて、職場(中小企業においては、しばしばそれは企業と同義になります)に基
礎をおく組織化・組織強化を迂回する道はありません。
「企業別労組は好ましくない組織原
理である」という命題から、企業や職場を単位とする組合組織や交渉ユニットは存在すべ
きではなく、これからの労働組合の基礎組織は地域や職種にのみもとづく組織であるべき
だという結論を導く考え方が存在しますが、このような考え方は現実から遊離したもので
あることを認識しておくべきでしょう。
格差問題と労働組合の戦略
ところで、今日、社会的・経済的格差の拡大が日本のみならず世界大で問題となりつつ
あり、
「1% 対 99%」というスローガンのもと、広範な労働者や市民による格差社会への異
議申し立て運動が世界各国に広がっています。ところが日本には、この「格差問題」が、
新自由主義的な歪曲(わいきょく)を受けて「正社員対非正規労働者」の格差問題へとすり替
えられる傾向が存在します。“非正規労働者の劣悪な条件は、規制や労組によって正社員が
保護されていることによるものであり、非正規労働者の条件改善のために、解雇規制をは
じめとする正社員の労働規制はむしろ緩和すべきである”、といった見解は、主流派経済学
やマスコミ論壇においてはすっかりポピュラーなものであり、さらに、
“年功賃金制のもと
にある男性正社員の相対的な高賃金は、非正規労働者から搾取している結果であり、既得
権をもつ中高年の男性正社員の賃金は引き下げる必要がある”といった論調に至っては、
「貧困」
「ワーキングプア」問題の権威として知られる研究者のなかにさえ存在することが、
その端的な現れです*。
しかし、1990 年代後半以降、正規・非正規を含めた日本の労働者の賃金水準が全体とし
て低下し続けてきたのにたいして、企業部門の内部留保は 1996 年から 2008 年までの間に
70%も増加しています。正規労働者と非正規労働者の賃金の間にゼロ・サム的関係を設定し、
「正社員による非正社員の搾取」というような図式を描くことが現実から乖離(かいり)した
ものであることは、こうした数値からも明らかです。また、労働の規制緩和をいっそう進
めて正社員の雇用をより不安定化させたり、中高年正社員にたいしてさらなる賃下げを迫
ることは、生活防衛を図る労働者の消費性向や消費水準をいっそう押し下げることにより、
さらなる内需の縮小からなお一段の景気後退へというかたちで、これまで日本経済が陥っ
てきた悪循環をさらに深刻化する役割をはたすことは明白だと言えるでしょう。さらに言
えば、こうした政策は多数の住宅ローン破産を生みだすことによって金融システムにも打
撃を与える可能性さえあります。そして、一見「格差是正」を志向するかに見えるこうし
た政策が生みだす国民経済の縮小や混乱の影響に直撃されるのがほかならぬ非正規労働者
であることは、2008 年のリーマン・ショックから「派遣切り」へという、つい先刻の歴史
的経験が雄弁に物語っています。
とはいえ、そうした「正規対非正規」という非現実的な対立図式を、あたかもリアルな
社会矛盾の焦点であるかのように見せている重要な原因のひとつが、これまで日本で主流
を占めてきた、とくに労使協調的な企業別労働組合の組織体質や行動様式にあるという事
実も無視することはできません。こうした労働組合が、主として正社員からなる既存の組
合員の利益実現のために充分活動してきたかどうかはともかくとして、少なくとも非正規
労働者の処遇には関心を払わず、その組織化にも踏みださないことによって、非正規労働
者のおかれた現状や正社員との格差を追認あるいは擁護していると見られてきたことも確
かだからです。
したがって、資本から自立し労働者の階級的利害を守る労働組合の再構築へ向けては、
職場を基礎とした組織化と交渉・闘争の実質化をめざすことを出発点にしつつ、同時に、
次のような戦略を追求することも不可欠だと言えるでしょう。それは、まず職場において
非正規・正規をともに組織化する、あるいは少なくともその前提として、両者の共闘関係
や相互理解の関係を構築してゆくこと、さらには未組織職場の労働者や失業者の組織化、
企業を超えた労働条件の平準化へ向けて、さしあたり現時点においては「企業別組織の連
合体」であったとしても、その現に存在する産別組織での統一行動を強化してゆくこと、
などです。これらの課題にとりくむこと自体、けっして簡単なことではありませんが、労
働者間の分断を克服し、労働組合を運動主体として再び大きく発展させることをめざすう
えでは、けっして忘れてはならない視点なのです。
(ひょうどう・あつし)
『団結と連帯』
(勤労者通信大労組コース通信)2012 年 3 号掲載(一部修正加筆済)
*
例えば、後藤道夫『ワーキングプア原論』花伝社、2011 年。