渡嘉敷 - Hi-HO

沖縄地名エッセイ(渡嘉敷)
そう言えば、もうずいぶん前 の話である。 沖縄にいるときに、1・ 3研修というのがあ
渡嘉敷︵とかしき︶︱ビキニと水着と僕の歴史︱
孝一朗
ている犬ぐらいで 、野良の犬 やネコは木陰 でじーっと 涼んでいるだけである。僕 のような
く別の事象として 理解されている。はしゃいで海に飛 び込んでゆくのは、ペット で飼われ
を聞かなかった。 つまりビ ー チでビールを 飲むということと、海に 入るということは、全
たということが、 夏の週 末 夕 方のニュース で報道さ れ る。しかし沖 縄ではそのようなこと
よく沖縄以外の地 域では、海水浴に出かけ 、ビールを飲 んで海に入 り、水の事故 になっ
つまり海は泳ぐ場 所でもなければ、水着を 着る場所でもないのである。
見たことがない。 なぜだろう ?︶。しかも 服を着たまま 、つまり着衣水泳である 。ビーチ、
飛び込みをやっている女子中高生ぐらいなものである ︵この飛び込 みは、なぜか 女子しか
海に入ることはない。海に入 っているのは 、小学校低学年の子供たちか、近くの 堤防から
いる︵ただしせいぜい高校生 が年齢上限である︶。だからまずビーチ で水着にならないし、
所、⑤ビールを飲 む場所のことを言う。元 気ならビ ー チ・バレーのようなことをする人も
る場所、③ゆ ん た く︵井戸端会議︶する場 所、④アメリカ兵が異様 に盛り上がっている場
沖縄のビーチとは 、①ビーチ ・パーティをする場所、② お昼休みに 弁当を食べて 昼寝す
ーチと、ある男の 歴史にまつ わるエッセイ である。
言い合っている。 ということで、そんな困 惑した海を 記念して、今 回は夏らしく 沖縄のビ
重ねて聞いてしまった。そしたらみんなで 顔を見合わせて﹁泳がないね、泳がないね﹂と
思わず﹁えーっ、 あんなきれいな海が あ っ て、せ っ か く島に行く の に、泳が な い の?﹂と
た。するとみんな不審 そうに、
﹁泳がないですよ、海は﹂という 答えが返ってきた。驚いて
ば良いのか分からなかったので、とりあえず﹁やっぱ 海で泳げるもんね﹂とまず 返してみ
えーっと僕の質問 の答えになってないんだけど・・・ と思ったのだが、自分でも 何を聞け
そのことをゼミ生 のみんなに 聞いてみた。 その答えは ﹁島に行ける !ワーイ!﹂ だった。
かといろいろ思案 してしまった。そこでちょうど担当 していた3年 生ゼミがあったので、
いう意味で1・3 研修と言うのだが、何か 海や島でないとできない ことが隠されているの
別に海や島で実習 することもない。この研 修は、大学 1年生と3年 生が合同で出 かけると
としか思い浮かばなかった。僕 の所属していた学科は、海洋関係の学 科ではなかったので、
mほど離れた海のきれいな島 である。はじめてこの研 修の話を聞い た時、﹁?なんで島?﹂
って、学生のみんなと渡嘉敷 ︵とかしき︶ 島にいった 。渡嘉敷島は 、沖縄本島か ら50k
澤野
2006/08/02
沖縄地名エッセイ(渡嘉敷)
感覚が標準的かどうかは分からないが、沖縄以外の地 域で子供だ っ た人には、夏 ・海・海
水浴というのが普 通の連 想 連 鎖だった。そして夏休み に一回でも行 くことができれば良か
ったのが、ビーチ つまり海水浴場だった。 だから朝か ら晩まで無理 になって海で 泳ごうと
するし、時には海水浴に行け る興奮で前日 に発熱し、 具合の悪い ま ま一日中フ ラ フラにな
っている子供も少 なくなかった。
﹁あ り ゃ∼海に対す る感覚が 、全然違うんだなあ﹂と、近
所のビーチで、ゴロゴロしながら思うことであった。
しかしリゾート・ ビーチに行 くと、様相は 一変してしまう。ビキニ ・スタイル、 つまり
ビキニ水着の人だらけなのである。実は、 地元ビーチ とリゾート・ ビーチ︵観光 ビーチ︶
ははっきり分けられており、 沖縄観光のシンボルで あ るビーチには 沖縄の人はあまり行か
ない。友達や知り 合いの引率 でリゾート・ ビーチに行 くと、そのギ ャップに驚き を感じる
とともに、目の や り場に困ってしまった。 僕が子供の 頃には、海に ビキニの人なんていな
かったので、慣れ な い の で あ る。その一方 で〝ビキニ 〟という言葉 は、社会科の 教科書で
は﹁ビキニ水 爆 実 験﹂という 所で出てくる 。なんなんだこの言葉は ?というのが 、子供の
頃からの疑問だ っ た。昔から 〝ビキニ〟に 強い関心を 持つ子供だ っ た。
実は、﹁ ビキニ 水着 ﹂と﹁ ビキニ 水爆実験﹂ に は あ る関係 が あ る。広辞苑︵ 岩 波 書 店︶
で﹁ビキニ﹂を引 いてみると 、次のように 書いてある 。①中部太平洋、マーシャル諸島の
北西部に位置する 環礁、②︵ 着用時の効果 をたわむれに核爆発になぞられての称 ︶胸と腰
だけを覆う型の女性用水着。 ビキニ・スタイルの水着 、つまりビ キ ニ水着が世界 に登場し
たが一九五五年である。当時 、アメリカが 南太平洋の ビキニ環礁で 水爆実験を行 ったとこ
ろ、あまりにも想 像を絶する 破壊力で、世 界の滅亡を 予感させるに 十分なインパクトを与
えたことがあった 。それに刺 激を受けたファッション ・デザイナー が、その破 壊 的なイン
パクトを︵社会に ︶与えるスタイルということでビ キ ニ・スタイル の水着を発表 したこと
が契機である。もちろん平和 への思い、反原水爆の主 張が、その底 流に流れ て い る。しか
しビキニ水着は あ まりにも大 胆だったため 、日本ではすぐに普及することはなかった。い
ろいろな現代史年表や服 飾 年 表を引いてみると、ど う も日本にビ キ ニ水着が広がったのは
一九七一年ごろ、 ワンピース 型水着の露 出 度が高まったのが一 九 七 八年ごろで、 その後は
全く社会的なニュースになっていない。
僕は一九七一年生 まれなので 、ちょうど日 本のビキニ水 着の歴史と 同じ年月を歩 んでい
ることになる。と 言っても、 そんなことを 知ったのは 、かなり大きくなってからである。
僕は九州の田舎生 まれなので 、海水浴場に ビキニ水着 の人なんかいなかった。だいたい水
孝一朗
澤野
2006/08/02
沖縄地名エッセイ(渡嘉敷)
着という表現は女 子に使うもので、男のは 海パン︵海 水パンツ︶と 言った。夏休 みの学校
プールに行って、 先生から﹁ パンツ忘れんなよ﹂と注 意されても、 なぜか履いてきたパン
ツが更衣室に忘れられていて 、海パンでそのまま家に 帰り、自宅で 忘れてきたことに気が
つくというのがよくある話だった。小学生 の頃、ビ キ ニなんて見たことがないどころか、
聞いたこともない 言葉だった 。ただ少し大 きくなってから聞いた話 で、主婦団体 ︵現在で
は消費者団体と い う︶が﹁ビキニ水着は、 ワンピース 型よりも生地 が少ないのに 、値段が
変わらないのは、 衣料品メーカーの横暴だ ﹂というようなことを主 張していたことぐらい
である。
もっと大きくなって、高校生 になった。僕 は、四国・松 山の男子校 に通っていた ︵もち
ろん女気はない︶。高校 の近所に小さ な海水浴場 があったのだが、来 ているのは小学校低学
年の子供を連れた 家族連れぐらいなもので 、もちろん ビキニの人なんていなかった。そも
そも浜辺に来て い るのは、泳 ぐためではなくて、おしゃべりするため、ごろ寝するため、
タバコを吸うため 、釣りするため、犬の散歩のため、そしてジュース を飲むためであった。
近くの堤防で﹁ビキニなんて、雑誌の中だけの話だ よ な あ。こんな人 、世の中にいないよ。﹂
としょうもない独 り言を吐きながら、防 波 堤をゴ ロ ゴ ロ寝っころが っていた。
さらに大きくなって、大学生 になった。あ る夏に、友達 やその知り 合いで、ま さ にリゾ
ート・ビーチのような海に大 挙して出かけたことがあった。そこは ビキニだ ら け で、それ
はそれで驚異の体 験だった。 まずそんな人 が現実にいたということが驚きだったし、都会
の人は進んでいる というのが 正直な感想だった。そ し て目のやり場 に困った。そのとき交
わした友達と の や り取りは、 今でも鮮明に 覚えている 。
﹁サワノくん、目 が泳い で な い?﹂
﹁えっ、いや・ ・ ・﹂
﹁見ていいんだよ 。ほら﹂
﹁・・・﹂
﹁その視線、やらしい!︵↑ ここでケリが 入る︶﹂
その子は、ハハハ と笑い な が ら、あさっての方向に走 っていった。 そのときの僕 がどうい
うエロ視線だったのかは今になっては分からないが、 あれほど暑い 夏に冷や汗をかいたこ
とは、あの夏以来一度もない 。そしてそれ 以来、ビ キ ニ水着と い う か、スタイル に自信の
孝一朗
澤野
2006/08/02
沖縄地名エッセイ(渡嘉敷)
ある女性の前では 冷や汗をかくようになってしまった 。
今はどうなのだろうかと思う 。もうビーチ や海水浴場に 行くことも ない。もし仮 に行っ
たとしたら、き っ と目のやり 場に困り、相 変わらず目 が泳いでいるのではないかと思う。
つまり自分は、今 でも〝ビ キ ニ〟には原水爆級のインパクトがあるという訳で あ る。最近
は、原爆や水爆と 言っても、 誰も強い感想 を持たないようであるが 、少なくとも 一九八〇
年の冷戦時代と言 われる頃ま では世界滅亡 を予感さ せ るキーワード だった。毎年 、ある国
際団体が世界終末 時計というのを発表していた。こ れ は、対立する 国々が〝恐怖 の均衡〟
を保つため、軍拡競争を展開 し、原水爆の 配備を進めていたことが 大きな契機となってい
る。この配備され た原水爆が 利用され、地 球が滅亡するまで、あとどの程度だけ 残されて
いるかを示すものであった。 この世界終末 時計は、あくまでも象 徴 的なものに過 ぎなかっ
たが、毎年決ま っ た季節に公 表され、その 秒針の僅か な動きが世界滅亡までの恐 怖を刻々
と伝えていた。
いまや恐怖の競争 と呼ばれた 原水爆配備は 鳴りをひそめ、原爆は〝 貧者の最 終 兵 器〟と
呼ばれるようになった。逆に ビキニ・スタイルは一 般 的になり、誰 も驚かなくなった。恐
怖も脅威もなくなった現代で 、自分は い ま だ恐怖と驚 異の中にいる 冷戦時代の人 である。
現代のティーン・ エイジャー に聞きたい、 目のやり場 に困らないの ?、目は泳がないの?
かと。僕は、木陰 でビール飲 みつつ、ぼんやり青い空 に流れる白い 雲を見ているだけの沖
縄ビーチ派だ。ビーチにビ キ ニはいらない 。平和が一 番である。
しかしいま思ってみても、1 ・3研修では 自分は何をしたのであろうか。初日の 夜、い
ろんな刺激が あ っ て興奮したせいか、日に 当たりすぎたせいか、頭 痛が止ま ら な く、他の
先生方にご迷惑をおかけして 早めに休んでしまった。 翌日、近くの ビーチで海洋実習とい
うのがあったが、 泳ぐ人は少 数で、みんな ビーチ・バレーのようなことをやっていた。僕
がやっていたのは 、近くの木 陰でボーとしながら弁当 を食べ、他の 先生方と話をしていた
だけである。帰り の船の中で 、ゼミ生のみんなから﹁ なんで昨日の 夜、いなかったんです
か?﹂という質問攻めにあってしまった。
﹁いや頭が 痛くて﹂と答える と、明らかに﹁はあ
∼ダメ男﹂という表情が顔 に出ている 。確かに ダメ男で 、この研修で 僕が役に立てたのは、
木陰に敷く大きな レジャー・ シートを持っていったことだけである 。全く肝心なときに勇
気がないというか 、役に立てない男である 。ゼミ生のみんなが卒業 するときにくれた1・
3研修のときの写 真を見ると 思い出す。そしてこのスナップ・ショットは、ダメ 男の貴重
な歴史の一場面の 証言者となっている。
孝一朗
澤野
2006/08/02