論文の内容の要旨 氏名:徐 美朗 博士の専攻分野の名称:博士(生 物 資 源 科 学 ) 論文題名:韓国における食農教育に関する研究 ―学校給食と酪農教育ファームの日韓比較を中心としてー 第一章 序論 韓国では経済成長による国民所得の増加、女性の社会進出等により、外食産業の発達とインスタントフ ードの増加など食の外部化、簡便化が進行している。こうしたライフスタイルの変化の中で、個食・弧食・ PFC バランスの崩れなど、食生活や栄養をめぐる問題が日本と同様に社会問題化している。しかし、現在の 共稼ぎ夫婦の増加などにより、食習慣や食生活・礼儀などを含んだ食の教育を家庭で実施することが難し くなっている。 人間の発達段階の中で、小学生の時期は身体的成長とともに情緒的、社会的、心理的発達にとって非常 に重要な時期であることは広く知られた事実である。特に食生活と関連してみると、小学生の時期は、一 生の健康に影響を及ぼす食生活の行動が形成される時期である。この時期に正しい食習慣を形成すること は大変重要であると言える。食習慣は反復学習によるものと言えるので、価値観が完全に確立されていな い状態で、持続的に教育することが最も効果的である。児童の性格形成、発育成長と健康のために、学齢 期に食育を通した偏食是正と正しい食習慣確立は大変重要である。児童期に形成された食習慣は一生持続 できるし、特に児童期に給食が提供されている学校の栄養士・栄養教諭による食育は、偏食習慣を是正す るのに効果的であることが知られている。以上を背景として、韓国においても日本で「食育基本法」 (2005 年)が制定された 4 年後の 2009 年に「食生活支援基本法」が制定された。 本研究の目的は、韓国における食農教育の実態と課題を明らかにすることである。そのために学校にお ける食育の実態について、特に学校給食との関連において考察するとともに、産業界による食農教育とし ての酪農教育ファームを取り上げ、その現状と課題、今後の方向について検討を行う。 研究の方法としては、先行研究を踏まえ、学校給食および食育の担当者である栄養士と栄養教諭に対す る訪問調査及びアンケート調査を実施するとともに、小学生を対象にした食に関する意識調査を行った。 さらに農業界からの児童・生徒を対象とした食農教育として位置付けられる酪農教育ファームの現状と課 題を把握するために、酪農教育ファーム認証牧場に対する訪問・アンケート調査を実施し、課題への接近 を試みた。 第二章 食育と栄養教諭制度 韓国では食育を食生活教育と呼んでいる。 「食生活教育支援法」 (2009 年)における「食生活」とは、食 品の生産、料理、加工、食事用具、食膳、食習慣、食事礼儀、食品の選択と消費など食物の摂取と関連し た有形無形の活動をいう。そして「食生活教育」とは個人または、集団にとって正しい食生活を自発的に 実践することができるようにする教育をいう。日本では「食育」は「生きる上での基本であって、知育、 徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」 を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである」と定義しており (食育基本法:2005 年) 、両国の「食生活教育」と「食育」に大きな差は見られない。 2007 年に教育人的資源部(現在は教育部、日本の文部科学省)は、より安全で質の高い学校給食運営と 学校給食に対する児童・生徒の満足度向上をめざし、学校給食運営システム全般に対する総合的な改善対 策を打ち出し、学校給食を教育福祉施策の中心として定着・発展させようとしている。具体的には、学校 給食を「教育の一環として運営し、偏食是正および正しい食生活習慣形成など健康の基盤確立に寄与する」 との意味を付与することになった。これをベースに栄養管理および食生活指導強化、学校給食運営の充実 を重点として、学校給食専門担当職員である栄養士の役割の重要性を高めた。さらに同年第 15・16 代大統 領の公約として、小学校を中心に栄養教諭が本格的に採用され、全国で 1500 人が配置された。2012 年現在 では 3 倍の 4,533 人が配属されている。ちなみに日本では栄養教諭が韓国より 2 年早く 2005 年に 34 人が 配属され、2013 年現在では 4,624 人が配置されている。 1 韓国の食育の現状と問題点を知るため実施した栄養士・栄養教諭を対象とした調査結果によれば、食育 の範囲として全回答者が「健康と生命」を挙げ、 「社会・文化部分」が次に多かった。 「食育」については 全回答者が必要とし、教育開始時期としては 87.5%の回答者が幼稚園からと回答しており、早期の食育が必 要と考えられていた。しかし、実際に小学校で食育を実施していた栄養士・栄養教諭は 50%にとどまった。 食育の内容としては 62.5%が「食習慣」とし、教育方式としては「資料を配付する形式」が最も多かった。 食育を実施していない理由は、62.5%が「教育課程にないから」と回答している。食育を教育課程に位置づ けることについては、94.0%が必要であると答えている。食育は「食生活教育支援法」が制定された後でも、 必須科目としてカリキュラムに位置づけられず、各校の校長の権限に委ねられており、実際に実施してい る学校は少ないことが明らかになった。現在の食育の問題点としては、 「時間的余裕の不足」94.0%、 「教 育プログラムの不足」87.0%などが多く、さらに栄養士と栄養教諭だけでなく、他の教科の教諭と連携して 実施することが効果的であると考えられていた。以上から権限者である校長の認識向上がまず不可欠であ り、最終的には教育課程への位置付けが必要であると考える。 第三章 学校給食・牛乳給食制度と食育 韓国の学校給食は、狭義の学校給食と牛乳給食とに分けられる。学校給食とは、学校で児童・生徒に昼 食を提供することと定義される。一方、牛乳給食とは、学校で午前 10 時頃に牛乳を提供することである。 韓国は 1953 年 3 月にカナダ政府、国際児童基金(UNICEF)、アメリカの対外救済協会 (CARE)、米国国際開 発庁(USAID)の支援で、パンや粉ミルク、とうもろこし粉を小学校に供給したことが、給食の始まりである。 2012 年現在、小・中・高・特殊学校 11,520 校全校で学校給食を実施しているが、牛乳給食は 52.5%と比 較的普及率が低い。牛乳給食実施率が低い理由として、制度的な側面から見ると、①牛乳が学校給食と一 緒に提供されていない、②学校給食の担当者が栄養教諭であるのに対して、学校牛乳給食は一般教諭や保 健教諭が担当している、③それぞれの給食を管轄している政府機関が異なり、 学校給食は教育人的資源部、 学校牛乳給食は農林水産食品部である、ことなどがあげられる。 学校給食は食育の生きた材料となりえると言えるが、現状では学校給食と関連した食育としては、学校 のホームページへの掲載や資料配布にとどまっている学校がほとんどである。特に牛乳給食は牛乳のみが 朝食欠食児童のために昼休みではなく 10 時に提供されているが、食育を含めた担当者が栄養教諭ではなく 担任教諭であり、さらに学校牛乳の時間は 10~15 分程度なので、食育の内容は牛乳関連の動画を見せる程 度にとどまっている。 以上の様な学校給食・学校牛乳とそれに関連した食育の実施状況を踏まえ、韓国の小学生の食と学校給 食、特に牛乳に関する意識を知るためアンケート調査を実施し、同様の日本の小学生を対象とした調査と 比較検討を行った。その結果から見ると、韓国では「朝食を食べている」割合は 6 割のみで、4 割は食べて いないことを分かった。牛乳に対する意識については、 「体にいいもの」とする者が韓国は 83.2%、日本は 87.3%を占めており、健康食品としての評価は高いが、牛乳の嗜好性はさほど高くなく、牛乳給食を「全 く残さない」ものは 54.4%で、日本の 69.8%より少なく、約半数が残している現状であることが明らかに なった。韓国では日本と同様にカルシウムの摂取不足が大きな問題となっており、その克服のためにも、 牛乳の栄養の理解とその摂取が必要とされているが、児童の意識は高いものではなかった。 学校給食を食育の生きた食材として活用することが望まれているが、実際には学校給食と連携した食育 はほとんど行われていないことが現状であった。学校牛乳給食の担当である担任教諭と、栄養士・栄養教 諭との連携による食育の実施が期待される。 第四章 酪農教育ファームと食農教育 韓国の酪農教育ファームは、2004 年にキョンギドのテシンファームが酪農振興会の主管によって開始さ れたのが始まりである。酪農教育ファームとは酪農振興会によれば、 「生命産業である酪農の特性を生かし て児童・生徒たちに、農業、労働、生命、食べ物などに関する教育的機能を提供することによって、牛乳 生産、流通、消費の全過程に対する理解と実際の体験を通して学校教育と関連した教育プログラムを実施 できる牧場」と定義されている。酪農教育ファームは、食について、その生産過程を含めての理解を深め るための食育という意味で、食農教育としての面が強調されていると考えられる。 2006 年には「酪農体験牧場協議会」が創設され、2008 年に国から補助事業「酪農体験観光事業」による 2 認証制度も開始された。2009 年には酪農体験牧場研修教育、2011 年には酪農体験指導士認定研修教育がス タートした。2010 年現在全国 18 ヶ所が認証されており、体験利用者は 2004 年の 400 人から 2010 年には 9 万 7,000 人に増加している。 酪農教育ファームの役割や教育機能に関する認証牧場経営主の意識を知るために、訪問調査を行うとと もにメールを利用したアンケート調査を実施し、18 牧場から回答を得た。その結果を 2004 年に日本大学畜 産経営学研究室で行った「東日本における酪農教育ファームに関する調査」と比較検討した。その結果、 酪農体験ファームを開始した理由は、韓国では「乳製品に対する親密度を高めるため」が 80.0%で最も多 く、 「酪農の実態を理解してもらうため」が次に多かった。一方、日本では「農業の理解促進のため」が 78.0% で最も多かった。また、 「酪農教育ファームで期待される効果」として、日本では「酪農への関心の増加」 が 78.0%で最も多かったが、韓国では「乳製品消費増加」が 90.0%で最も多く、韓国では開始要因や期待 について実利的、直接的な側面が強かった。学校を訪問して教育を実施している牧場は両国とも 1 割ほど で同程度だったが、日本では家畜などを学校に同行する割合が 8 割に対し、韓国では全く同行していなか った。 「学校との連携について」には両国とも 4 割弱が連携していると答えているが、問題点として「教育 現場との提携の必要性」が韓国 80.0%、日本 63.0%と共に最も多かった。韓国では教育現場との連携は体 験実習生の受け入れがほとんどで、教室に出向いての食農教育の実施はさほど実施されていなかった。日 本においては現在酪農教育ファームへの小中学校教諭の理解と連携の深化を図るため、教諭を対象とした 研修の実施や酪農教育ファーム研究会の創設、モデルカリキュラム作りが進んでおり、韓国においてもそ うした方向を追求することが望ましいと考える。 第五章 結論 韓国は日本と同様にライフスタイルの変化の中で、個食・弧食・PFC バランスの崩れなど、食生活や栄養 をめぐる問題が社会問題化する中で、学校における「食育」の重要性を認識し、2009 年には「食生活支援 基本法」を制定し、学校給食を食育の生きた教材として活用しながら食育を展開するために栄養教諭制度 も導入した。その狙いは専門家養成と、より一層質の高い水準の教育を授けるための制度転換であったが、 その目的は実際には十分には達成されていないことが今回の調査で明らかになった。 教育課程に位置づけられていないため栄養教諭による教育は難しくなっている。その大きな理由は各校 の自主性に任せられているため、教育を実施するのはもっと厳しい事実である。 そして、牛乳給食時の教育は担任教師が担当しており、栄養教諭による教育は難しくなっている。学校 給食との一体的な食育は困難を伴う。各校の校長の権限に委ねられており、実際に実施している学校は少 ないことが明らかになった。現在の食育の問題点としては、 「時間的余裕の不足」94.0%、 「教育プログラ ムの不足」87.0%などが多く、さらに栄養士と栄養教諭だけでなく、他の教科の教諭と連携して実施するこ とが効果的であると考えられていた。以上から権限者である校長の認識向上がまず不可欠であり、最終的 には教育課程への位置付けが必要であると考える。 今後は栄養教師と栄養士の役割分担の明確化と学校長の認識改善が必要である。それと実効性ある食生 活教育の実施が必要であると考える。 酪農教育ファームは栄養士・栄養教諭に対いて実施したアンケート調査結果でみると食生活教育範囲と して多く答えた健康と生命、社会文化部分に該当する分野に適合している。韓国の酪農教育ファームは 2004 年から施行され、少しずつファーム数は増加しているがその数は微弱だ。農場主の多くの意見は教育現場 との提携の必要性に重点を置いていることに比べて学校を訪問して教育をしている農場主は少なかった。 そして教育現場との連携が弱く、乳製品の消費拡大意向が強い。食生活教育の一環で教育機関との提携に 対する検討とインタビュー調査で感じた問題点である一回だけ教育でない教育カリキュラムに対する方案 が検討されなければならないと考えられる。 結論として「食育」を取り入れた年間カリキュラムを組み、家庭教科に限定されずに社会、道徳、数学 などの様々な科目と連携したカリキュラムを取り入れ教育効果を高める必要がある。そして管理職の認識 改善と一般教師との意見交換が必要であるし、栄養教諭たちの研修教育を補強して教育現場で教育提供者 として認識を高める必要がある。給食や教育の運営仕方がばらばらになり、教育を主管する立場になるた めには牛乳給食と学校給食の運営の一体化が必要である。 3
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