ESSAY SO FAR, SO GOOD ソー・ファー、ソー・グッド 「もっとカナダに馴染みたい」という大義名分の下、始めた教師という職業なんだけど、教師になってもう十年も 経つのに、一向に「もうぼくも立派にカナダの生活に溶け込めたな」という状況が訪れる気配がない。それどころか、 教師を始めた当初から比べると、だんだん孤立化しているんじゃないかと思われる側面が増えているんじゃない かという気さえしてきた。教師という仕事は他の職種と比較して、コミュニティーに根ざす仕事なので、というか現 在と未来のコミュニティを育む仕事として、それに携わっているだけで、コミュニティーの一員としての実感が湧いて もよさそうなんだけどね。 このコミュニティーに根ざすという大義に加えて、もう一つ大きな理由として、夏休みが二ヶ月あるというのがあった。 これは「あった」じゃなくて、いまでも「ある」。この二ヶ月の夏休みというのは額面通りの夏休みで、七・八月の二 ヶ月間学校には行かないし、学校関係者との交信も一切なくなる。ぼくは教師になる前、商社で働いていて、 仕事を辞める頃には有給休暇が年三週間あった。でも、普通三週間続けて有休を取るということはできなくて、 ぼくは夏に一週間と冬に一週間、そして何かあったときのために残りの一週間を一日単位で休みを取っていた。 これが教師になると、夏に二ヶ月、冬は二週間、春に二週間の有給休暇となる。その間も仕事をしているし、 常に仕事のことを考えていると、同じく教師をしているぼくの妻は言うが、それが何の職業であれ、休みの間に仕 事のことを考えないはずはないので、やはり休みが長いということは、ただ単に休みが長いということだと思う。 夏休みの間、ここ数年のぼくは九月からの新学年度の仕事が保障されていて、どのクラスを教えるのかもわかっ ているので、ときどき暇を見つけて(日本映画やドラマの DVD を観ながら)その準備をしているが、教師になる 前の目論み通り、これは誰がどう見ても純粋な夏休みだ。契約教員になる前には、九月の準備なんてものもな くて、夏休みの二ヶ月の間、仕事のことは何も考えずに夏休みを過ごした。今でこそ、日本に帰って、ゴルフをし たりとか、温泉に行ったりとかして時間を潰しているけど、その頃はお金も余りなくて、夏の間失業保険を貰って、 時々「これからどうなるのかな」なんて考えながら、夏休みを過ごしていた。でも、本質的にはお金の有無は関係 ないし、昔も関係なかった。ぼくが教師になったいちばん大きな理由は、生まれてくる子供と一緒に過ごす時間 が欲しかったからだ。 ぼくが契約教師になったのは、ここ数年くらいのことで、それまでは代講教師なるものをしていた。これは病気など で学校を休む先生に代わって授業をする文字通りの「代講」で、パート教師のようなものだ。だから、夏休みに 限らず、時間はたくさんあった。「代講」の電話が掛かってこないと、その日は休みで、子供に保育園を休ませて、 一緒に遊んだ。 夏休みに子供と行った温泉で、露天風呂の湯船に浸かって青空を見上げながら、ぼくは代講教師だった頃の ことを思い出していた。昼の一時だったので、客は日帰り温泉利用のぼくたちだけだった。どこかの映画か何かで ESSAY SO FAR, SO GOOD 聞いた台詞なんだろうけど、そのとき十歳だった彼はこう言った。「これまでの人生はいい人生だった」と。そうだよ ねとぼくも思った。まあいろいろあるし、いろいろあったけど、これまでのところは悪くない。
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