The Next 4 Billion: Market Size and Business Strategy

2007 年 6 月 4 日
FASID 国際開発研究センター主任
宮本千穂
開発援助の新しい潮流: 文献紹介 No.69
Allan L. Hammond et al. (2007) The Next 4 Billion: Market Size and Business Strategy
at the Base of the Pyramid, World Resource Institute.
要旨
本書は貧困削減に対する民間セクターの貢献について論じている。これまで、年間所得
3,000 ドル以下の人々は BOP とよばれ、貧しく経済援助が必要な人々と考えられてきた。
近年 BOP をニーズのある消費者あるいは生産者として見なし、市場経済に参加を促すこと
で、貧困削減を可能にする動きが見られるようになってきた。これには従来の政府部門に
よる援助だけでなく、民間部門の関与が重要な役割を果たすと本書では説いている。そし
て、保健を始めとする 8 分野で、BOP 向けの製品・サービスを開発し成功している BOP ビ
ジネスの事例を紹介し、民間部門のいっそうの関与を促している。
背景
世界の人口 55 億人のうち 40 億人は年間所得 3,000 ドル(地域購買力平価)以下の低所得層で
ある。この低所得層は世界の全人口を所得階層順に上から並べた経済ピラミッドの底辺
72%を占め、Hammond らは彼らを BOP (base of the pyramid)とよんだ1。従来 BOP は、
経済的支援の対象であって、ビジネスの対象とは考えられてこなかった。本書では、BOP
をビジネスの対象として購買力のある消費者として見なしている。後述するように、BOP
には満たされていないニーズがたくさんある。さらに言えば、貧しいゆえに損をしている。
このような観点から本書を貫く論理は次のようなものである: BOP の求めるものを探し出
し、製品開発する。その生産を現地で行うことで雇用が創出される。このように市場経済
に参加させることで BOP を貧困から脱出させることができる。
本書の主張は、民間企業が行う経済活動(市場メカニズム)が、貧困削減の解決に役立つとい
うものである。
内容
本書の構成は次の通りである:
第1章 序論
第2章 保健市場
1
Praharad らは Bottom of the Pyramid とよんでいる。本書では BOP を次のように分けている: 年間所得が
500 ドル未満の人々を BOP500、500 ドル以上 1,000 ドル未満を BOP1,000(以上低低所得層)、1,000 ドル以上
1,500 ドル未満を BOP1,500、1,500 ドル以上 2,000 ドル未満を BOP2,000(以上中低所得層)、2,000 ドル以上
2,500 ドル未満を BOP2,500、2,500 以上 3,000 ドル未満を BOP3,000(以上高低所得層)としている。
第3章 情報通信市場
第4章 水市場
第5章 交通市場
第6章 住宅建設市場
第7章 エネルギー市場
第8章 食料品市場
第9章 金融サービス市場
付録
所得データ及び支出データ
第 1 章では BOP 市場の概観が整理されている。まず第 1 の特徴は BOP の一人当たりの所
得は 1 日 1-3 ドルに過ぎないが、全体では 50 兆ドルという巨大な消費者市場を成している
ことである2。BOP の上位の所得階層(3,000 ドル以上 20,000 ドル未満)は 12.5 兆ドルであ
るが、規模では全人口の 72%を占める BOP におよばない。
第 2 の特徴は、国や階層によって構成が大きく異なることである。例えばナイジェリアで
は人口の大部分が BOP の低低所得層に位置するが、ウクライナでは高低所得層に位置する。
アフリカやアジアでは BOP の大部分を農村地帯が占めるが、東欧やラテンアメリカでは都
市部が占める。
第 3 の特徴はその市場(支出先)である。現状の市場規模は次の通りである: 食品(2 兆 8,940
億ドル)、エネルギー(4,330 億ドル)、住宅建設(3,320 億ドル)、交通(1,790 億ドル)、保健(1,580
億ドル)、ICT(510 億ドル)、水(200 億ドル)3。市場規模からも支出先として食費の占める割
合が圧倒的に高いことが分かる。所得が増加するにつれ、消費パターンは、食費の割合が
減少する一方、住居費は一定であり、通信交通費は急速な増加の道をたどるというように
変化する。
第 4 の特徴は、BOP の大部分がインフォーマルセクターないし自給自足の生活を送ってお
り、グローバル市場経済に統合されていないことである。それゆえその恩恵を受けること
もできず、市場で労働力や生産物を適正な価格で販売することもできない。
第 5 の特徴は、貧困であるがゆえの損失を被っていることである。BOP の多くは上下水道、
電力、保健サービスなど BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)が十分に満たされていない
か、満たされているとしても、他の所得階層より高い代価を払っている。金融サービスや
電話へのアクセスも不十分である。
本書の重要なメッセージの一つは、民間セクターと政府が共にこのような BOP 市場の特徴
を理解し、協同して対処していかなければ、貧困削減を持続的に解決していくことは不可
能であるというものである。特に民間セクターの力を借りた市場メカニズムの活用こそが
2 アジアでは 28.6 億人が 3.47 兆ドル、東欧では 2.54 億人が 4,580 億ドル、ラテンアメリカでは 3.6 億人が
5,090 億ドル、アフリカでは 4.86 億人が 4,290 億ドルの所得を持つ。
3 これらのセクターの詳細については表 1 にまとめてある。
貧困問題解決の鍵である。民間セクターの役割は BOP 市場のニーズを発掘し、BOP 市場
向けの製品やサービスの開発を行い、また BOP 市場への投資を行うことである。(本書に
よれば)BOP 市場においてビジネスチャンスを見出し、ビジネスモデルの構築に成功した民
間企業のみが成功を収めることができる。政府部門の役割は、BOP 市場で民間セクターが
活動しやすい環境整備のための改革に着手することである。一般的に途上国でビジネスを
展開するには、複雑な手続きや高額な資本金が必要とされるなど様々な多くの困難が伴う。
これらビジネス振興の障害を取り除くことは民間セクターには不可能で、ここに政府部門
にしかできない役割がある。
貧困問題について、市場メカニズムの活用で解決を図るという考えは、伝統的援助の考え
方とは根本的に異なる。後者においては貧しい人々は自助できないため公的支援が必要で
あるというのが大前提であり、公的援助で問題を解決しようとしてきた。伝統的援助は供
給先導型であるといえる。一方前者は BOP を消費者や生産者と見なし、安価な製品の供給
や生産物の適正価格での購入などを通じて問題を解決しようとする。BOP のニーズ、すな
わち需要に基づくという意味で需要先導型といえる。
本書で市場メカニズムの活用が貧困削減の鍵を握るとされる理由は、その持続性にある。
40 億人からなる BOP のニーズを満たすには、一方的に与える伝統的援助では足りないこ
とは明らかである。持続的に BOP のニーズを満たせるのは市場メカニズムを利用した民間
セクター以外にありえないというのが本書の主張である。
このように本書では、政府を開発の主たるアクターではなく、民間セクターの活力を引き
出す促進役としてとらえている。途上国の貧困削減に民間セクターの活力を借りるという
考えは新しいものではないが、本書の観点で新しいのは、BOP の所得、支出データに基づ
き、完全とはいえないまでも BOP の経済状況を描写していることと、セクターごとのビジ
ネス事例からいくつかの重要な示唆を引き出していることである。
例えば、近年上記第 5 の BOP 市場の特徴(BOP 家計は十分なサービスが提供されていない
こと)をふまえた上で、戦略的に製品・サービスの開発に取り組んだ先駆的なビジネス事例を
挙げ、今後とも拡大していくと見られること、また援助コミュニティにおいても BOP の人々
をフォーマルセクターに引き込むことで、サービスデリバリーの改善に貢献し、最終的に
は貧困削減の解決につなげていくことが可能ではないかという考えが広まっている。
本書で紹介されている先駆的ビジネスに共通する特徴として次のようなものがあげられる:
1. BOP のニーズに特化した製品やサービス、技術を開発している。
2. 能力開発や研修など大規模な投資が行われ、価値を地域に生み出す仕組みがある。
3. 財やサービスに対する金銭的あるいは物理的なアクセスを可能にしている。
4. 従来とは異なる連携(パートナーシップ)が活用されている。
本書の示唆は、熾烈な競争社会を行き残るには、このようなビジネスチャンスを逃すべき
ではないというものである。
2 章以下では、8 セクター(市場)について、BOP の市場全体に占める割合や BOP のニーズ
を明らかにし、いかにして市場メカニズムが貧困削減という開発課題の解決に寄与しうる
かを示している。
表 1 は 2 章から 9 章で扱われている 8 つの BOP 市場の規模、特徴、先駆的ビジネス例をま
とめたものである。
表 1: BOP 市場の特徴
市場規模
保健
市場の特徴
先駆的ビジネス例
1,584
(アフリカ 180 億ドル、 支出の大部分が医薬品
CFW(ケニア)、Janani (インド)、Mi
億ド
アジア 955 億ドル、東
Farmacita Nacional (メキシコ)によ
ル
欧 209 億ドル、中南米
る薬局のフランチャイズ化
240 億ドル)
Aravind Eye Care Hospital(インド)
購入に充てられる。
による貧困層が白内障手術を無償で
受けられる体制整備
情報
514 億
(アフリカ 44 億ドル、
代表は携帯電話を利用
Smart Communications( フ ィ リ ピ
通信
ドル
アジア 283 億ドル、東
したサービスで、規制
ン)のエアータイム、送金サービス、
欧 53 億ドル、中南米
緩和の進展している国
Vodacom Community Service によ
134 億ドル)
ほど浸透している。
る携帯電話のアクセスの共有サービ
ス
水
交通
201 億
(アフリカ 57 億ドル、
市場の大部分は大規模
インドでは官民共同体や協同組合が
ドル
アジア 64 億ドル、東
な都市水道網がカバー
BOP 向けに水道事業を行っている。
欧 32 億ドル、中南米
するが、行商人や小規
P&G による PUR( 希釈漂白剤 ) 、
4.8 億ドル)
模コミュニティ水道網
Vestergaard
がカバーする部分もあ
Lifesraw(携帯用浄水フィルター)な
る。
ど。
Frandsen
に よ る
1,794
(アフリカ 245 億ドル、 所得の増加に伴い急増
メキシコとフィリピンにおいて
億ド
アジア 983 億ドル、東
する。主に輸送手段の
BOP をステークホルダーとして、官
ル
欧 107 億ドル、中南米
バイクや燃料に支出さ
民協同による輸送計画設計が実施さ
459 億ドル)
れる。
れている。
住宅
3,318
(アフリカ 429 億ドル、 主な支出先は家賃、住
Cemex(セメントメーカー)によるセ
建設
億ド
アジア 1,714 億ドル、
宅ローン、修繕費であ
メントを含む住宅建設関連サービス
ル
東欧 608 億ドル、中南
る。
米 567 億ドル)
エネ
4,334
(アフリカ 266 億ドル、 所得増加に伴い、また
異なる燃料を使える特別なストーブ
ルギ
億ド
アジア 3,509 億ドル、
都市部では電力などよ
の開発、光発電の活用、発光ダイオ
ー
ル
東欧 254 億ドル、中南
りクリーンなエネルギ
ードを組み込んだ製品の開発など。
米 305 億ドル)
ーへとシフトする。
食料
2,894
(アフリカ 215 億ドル、 BOP 家計の支出総額の
Hindustan Lever (インド)によるヨ
品
億ド
アジア 2,236 億ドル、
半分におよぶ最大の
ウ素添加塩「アンナプルナ」、
ル
東欧 244 億ドル、中南
BOP 市場である。
ダノンとグラミン銀行の開発した安
米 199 億ドル)
価で、栄養価の高いヨーグルト、
Hector Gonzales(メキシコ)による
フードバンク
現 状 で は 、 5.56 億 の
SKS Microfinance (インド)による
サ ー
BOP 家計のうち、金融
ローンと保険サービス、
ビス
サービスへのアクセス
Safaricom(ケニア)による携帯電話
があるのは 0.82 億家計
を利用した金融サービス
に過ぎないが、潜在的
Prodem FFP (ボリビア)による BOP
には全 BOP 家計にニー
向け ATM の開発、
ズがある。
Wizzit (南ア)によるインターネット
金 融
不明(公式な試算は不可能)
バンキングサービス
コメント
本書は、世界 40 億人の貧困問題の解決には、公的援助機関だけでなく市場メカニズムを通
じた民間企業の役割が重要であり、企業は 40 億人を抱える BOP 市場で利潤を得ることが
可能であるというメッセージを特に民間企業に向けて発したものである。従来、貧困は公
的援助機関の取り組むべき問題と考えられてきた。また民間企業の開発への関与としては、
CSR(企業の社会的責任)を意識した社会貢献や途上国支援そのものを動機とする開発支援
型(CSR 型)のアプローチが知られている。
本書は、50 兆ドル規模の BOP 市場では、競争が過熱気味の先進国市場以上に利潤を獲得
できる可能性が高いというメッセージを世界各国の詳細な家計調査と支出データに基づい
て示している。若干主観的な仮定に基づく部分もあるが、BOP 市場の規模をここまで具体
的に試算した点は賞賛に値する。
本書でまとめられている BOP の特徴の一つに多様性がある。一口に BOP といっても、年
間所得 3,000 ドルある層と 500 ドルの層では、ニーズも異なる。確かに 500 ドルの人にと
っては、所得の大部分を食費に充てなければならないであろう(それでも一部は食費以外に
充てる)。500 ドルでは足りず公的支援が必要だと考えられる。しかし、世界全体でみると
所得が 500 ドルに満たない層(低低所得層)より、1,500 ドルの層(中低所得層)の方が数は多
い。地域によって違いはあるとはいえ、500 ドル未満は大多数ではない4。このことは我々
先進国に住む人間にとって、開発援助のあり方や民間企業の開発への関与のあり方につい
て再考を促すものである。確かに BOP には支援が必要な人々もいるが、通常の市場経済活
動に巻き込むことで生活が豊かになる人々もいるのである。前者は公的支援で、後者は市
場メカニズムで、というのが本書の主張である。ただし、本書で試算された BOP 市場が一
般的な日本企業に魅力的と映るかは不明である。日本企業にとって、国内と先進国市場が
大きく、これまでは途上国市場への進出が必然ではなかったからである。今後少子化が進
み人口減少が急進展するとなれば、BOP 市場の魅力が増すことも予想される。
最後に、文中で述べられているように、本書は単なる中間報告である。各市場の規模と先
駆例をあげ、これからさらなる民間部門の開発への関わりが増えていくことを期待してい
るようであるが、その先に何があるのかは明らかにされていない。本書の文脈からは「持続
4
詳しくは本書 13 ページ BOP 市場全体をまとめた図を参照のこと。
可能な開発」となるのであろうが、民間の参入が持続可能な開発あるいは貧困削減に必ずつ
ながるという保証はない。その前に法制度などビジネス環境が整備されていないと民間企
業の参入は進まない。まずはこれに公的部門が本腰を入れて取り組む必要がある。BOP 市
場への民間企業の参入を促すにはまずは参入を阻害する要因を取り除く公的部門(政府)の
後押しが必要である。