2013 年 7 月 私たちのこれまでの飯舘村放射能汚染調査 飯舘村初期被曝プロジェクトチーム 原発事故直後の緊急調査 2011 年 3 月 11 日の地震・津波をきっかけとして、福島第1原発事故がはじまりました.3 月 12 日には1号機の水素爆発、14 日には3号機の水素爆発が起き、大量の放射能が放出されている ことは明らかでしたが、原発周辺地域の放射能汚染についての情報は、政府・公的組織からほとん ど発表されませんでした.飯舘村で大変な放射能汚染が生じているという情報を受けて私たちは、 京都大学原子炉実験所の今中を中心として調査チームを組み、3月 28 日と 29 日に飯舘村の放射 能汚染調査を行いました.図 1 は、そのときの調査結果を図にしたものです. 5 6 7 12 3 4.5 4 3.5 4 7 5 4.5 6 6.5 6.5 7 8 8.5 9 9.5 12 10 14 13.5 11.5 10.5 13.5 15 16.5 12.5 15.5 17.5 16 17 14.5 13 11 12 9.5 8.5 8 5.5 6 7.5 7.5 8 2.5 3.5 4.5 5.5 6.5 6 5.5 6.5 5 6 2 3 5 4.5 3 4.5 2 2.5 3.5 5.5 5 7 2.5 3 4 5 2.5 18 3.5 3.5 5 4.5 4 3.5 6 5.5 5.5 4.5 6.5 7 4 図1.2011 年 3 月 29 日の飯舘村の放射線量率の分布. 数字の単位は、“マイクロシーベルト/時”です。放射線の測定には、その正確さをチェックして あるアロカ社製のポケットサーベメータを用い、測定は赤い線で示してある道路に沿って車の中で 行いました.測定している放射線は、道路や地面に降り積もった放射能(放射性物質)から出てい ます.従って、車自体の遮へい効果があるので、車の外では約4割り増しになります.自然の放射 線量は 0.05 マイクロシーベルト/時ですから、飯舘村全体がその 100 倍以上の放射線量になって いました. 1 写真1 長泥曲田地区での放射線測定(左)と“までいなの家”の花壇での土壌採取(右). 2011 年 3 月末の調査で、私たちが測定した最大値は、長泥曲田地区の田んぼの中での30マイ クロシーベルト/時でした(写真1左) .大学などで放射性物質をあつかう管理区域の中でも、20 マ イクロシーベルト/時を越える場所は放射線が強いので立入制限区域に指定されます.2011 年 3 月飯舘村の方々はそのような放射能汚染の中で通常の暮らしを続けておられました. 村内5カ所で土壌の採取を行い(写真1右) 、大学の研究室に持ち帰って、放射能組成の分析を行 いました.その結果を用いて、大量の放射能汚染が生じた 3 月 15 日夜の長泥曲田で放射線量率を 推定してみると、約 150 マイクロシーベルト/時になりました. その後の調査 私たちは、事故から半年後、1年後、2年 (c) 後にも同様の調査を行いました.図2に1年 6 37.72 5 37.70 4 後と2年後の調査結果を示します。 最初の調査(2011 年 3 月 29 日)に比 37.68 3 べると、放射線量は半年後に約半分、1年後 37.66 2 に約3分の1、2年後に約4分の1に減って 1 37.64 いました. 今後の放射能汚染は、半減期 30 年と寿命 2012/3/27 の長いセシウム 137 が中心になるので、放 射線量の減り方は緩やかになります.今年3 (d) 6 月の調査で、長泥地区の強いところは約 10 37.72 5 マイクロシーベルト/時でしたが、その放射 37.70 4 線量が自然放射線と同じレベル、つまり 0.1 37.68 3 マイクロシーベルト/時程度まで下がるのは 37.66 2 100~150 年後と予測されます. 1 37.64 また、土壌中の放射能分析結果から、内部 2013/3/17 被曝が問題になるストロンチウム 90 やプル トニウムによる汚染は、チェルノブイリ原発 事故の場合と比べて極めて少ないことが明 らかになりました。 図2.1年後(上:2012 年 3 月 27 日)と 2年後(下:2013 年 3 月 17 日)の放射線 量の分布.単位はマイクロシーベルト/時. 2 飯舘村の初期被曝量の推定 放射能汚染がはじまってから計画的避難区域に指定されて飯舘村の方々が避難されるまでの被曝 が“初期被曝”です.昨年度、 『福島第1原発事故による飯舘村住民の初期被曝放射線量評価に関す る研究』という私たちの研究テーマが環境省の公募研究として採択されました. 放射線被曝には、身体の外から放射線をあびる“外部被曝”と身体の内部に放射性物質を取り込 んで被曝する“内部被曝”があります.まず、初期外部被曝量の推定方法を説明します. 外部被曝量の推定方法 <ステップ2> <ステップ1> 他の核種も考慮した 単位セシウム137沈着量当りの 積算外部被曝の計算 セシウム汚染地図を作成し 飯舘村各戸(約1700)の位置の セシウム137沈着量を求める <ステップ3> 放射能沈着から避難までの外部被曝量. 飯舘村および各地区に対する 平均外部被曝量とその分布. 図3は、 (米国エネルギー省が 2011 年 4 月~5 月に実施した航空機サーベイデータを使って) ステップ1のために作成した飯舘村のセシウム 137 汚染地図で、黒い点が家屋の位置です.赤い線 はセシウム 137 沈着量の等高線で、高いところで 200 万ベクレル/m2、低いところで 40 万ベク レル/m2 程度です. 図4は、ステップ2のグラフで、2011 年 3 月 15 日の 18 時に 100 万ベクレル/m2 のセシウ ム 137 沈着が起きたとして、その場所に 24 時間ずっと居続けたと仮定して積算外部被曝量を計算 したものです.セシウム 137 以外の放射能の量は、2011 年 3 月末に私たちが採取した土壌サン プルの汚染分析結果を用いています。図4の計算に基づくと、その場にずっと居続けて6月 30 日 (107 日後)に避難した場合の積算外部被曝は 32.6 ミリシーベルトになりました. 積算空間放射線量、ミリシーベルト 40 テルル132 ヨウ素131 セシウム137 ヨウ素132 セシウム134 30 20 10 0 1 図3.飯舘村のセシウム 137 汚染レベル 等高線 16 31 46 61 76 放射能沈着後の日数 91 106 図 4.セシウム 137 沈着量 100 万ベクレル/m2 の場合の積算外部被曝 3 600 500 飯舘村全体 1768戸 戸数 400 平均 12ミリシーベルト 300 200 100 <240 <230 <220 <210 <200 <190 <180 <170 <160 <150 <140 <130 <120 <110 <90 <100 <80 <70 <60 <50 <40 <30 <20 <10 0 × 万 B q/m 2 20 35 20 大倉地区 34戸 16 14 平均 25ミリシーベルト 12 戸数 戸数 25 18 長泥地区 68戸 30 15 平均 4.8ミリシーベルト 10 8 6 10 4 5 2 <10 <20 <30 <40 <50 <60 <70 <80 <90 <100 <110 <120 <130 <140 <150 <160 <170 <180 <190 <200 <210 <220 <230 <240 0 <10 <20 <30 <40 <50 <60 <70 <80 <90 <100 <110 <120 <130 <140 <150 <160 <170 <180 <190 <200 <210 <220 <230 <240 0 ×万Bq/m2 ×万Bq/m2 図5.セシウム 137 沈着量の頻度分布(飯舘村全体、長泥地区、大倉地区) :横軸は沈 2 着量(万ベクレル/m )で縦軸は戸数.被曝量は、6 月 30 日に避難した場合の積算外部 被曝 図3と図4のデータを使って、セシウム 137 沈着量の頻度分布と、平均外部被曝量を計算してみ たものが図5です.外部被曝量の推定にあたっては、次の2つの仮定を使っています. 飯舘村の人々は、事故後も村に居続けて6月30日に避難した ‘建物の遮へい’や‘家の中か外か’に関連する“行動遮へい係数”は 0.5 被曝量推定値の確かさを高めるためには、原発事故が起きて以降に飯舘村の方々が どのように行動され、いつ避難されたかという情報が重要です.そのためこの夏に飯 舘村の方々に直接お会いして聞き取り調査を行います. 内部被曝量の推定方法 内部被曝については、福島原発から大気中 に放出された放射性物質の大気拡散シミュ レーションを基に、飯舘村での空気中放射能 <ステップ1> 福島第1原発からの大気拡散 シミュレーションに基づいて 空気中放射能濃度を推定 <ステップ2> 文献より 平均的呼吸量と 甲状腺被曝換算係数を選択 濃度を求めます.そして、空気中放射性ヨウ 素の吸入にともなう甲状腺被曝量の推定を <ステップ3> 吸入に伴う甲状腺被曝量. 飯舘村および各地区の 平均被曝量と分布の推定 行います.飲食物の摂取にともなう内部被曝 推定は、残念ながらデータ不足のため今回は 実施しません. 飯舘村の皆さんの本調査へのご理解とご協力をお願いします! 4
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